イノベーションに関する研究
第1章で日本企業の経営環境を分析し、現在日本企業が直面している課題を述べた。すなわち、
日本企業は競争優位性を確保するため、イノベーションを積極的に促進しているものの、その主 眼は持続的イノベーションであり、主として技術そのものの高度化に注力していることが課題で あると言える。結局、日本企業の技術力は高まっているが、市場を一変させる破壊的イノベーシ ョンには注意が向けられていない状況にあると言えよう。本章では、イノベーションの定義に関 する先行研究をレビューし、イノベーション戦略を定義する。また、イノベーション戦略との関 係でイノベーションの分類を検討し、イノベーションのジレンマを再考したうえで、破壊的イノ ベーションの概念を拡張する。
イノベーションの定義
イノベーションを最初に定義した研究者は、Schumpeter
である。Schumpeter(1926,pp.100-101)は、「生産とは利用できる種々の物や力の結合を意味し、生産物や生産方法などの生産諸要素
が非連続的に新結合することがイノベーションである。このイノベーションは内部から自発的に 発生する経済の非連続的発展及び創造的破壊につながるのである」と述べた。つまり、Schumpeter はイノベーションの本質として新結合を捉えている。
Drucker(1985,p.47)は「イノベーションとは、資源に対し、富を創造する新たな能力を付与す るものである。資源を新の資源たらしめるものが、イノベーションである」と主張している。
今口(2007,p.45)は、きわめて広範な内容を含むイノベーションを狭義のイノベーションと広義 のイノベーションという概念で整理した。狭義のイノベーションとは、様々な活動の果実として 生み出される技術や製品・事業レベルのイノベーションを表している。一方、広義のイノベーシ ョンは、狭義のイノベーションを支える組織の変革やプロセスの再活性化を含むものとしている。
後藤(2004,p.49)によれば、イノベーションとは、機会を新しいアイディアへと転換し、さ らにそれらが広く実用に供えせられるように育てていく過程であると強調している。
Trott(2007,p.12)はMyers and Marquis(1969)の論点をまとめて、イノベーションは単独の 行動ではなく、緊密な繋がりがあるプロセスであることを主張している。単なる新しいアイディ アの出現や、新しい機械の発明、新しい市場の開拓だけではなくて、それらはすべての要素が調 和し、一体として機能するプロセスであるという。
野中(2002,p.278)は、知識創造理論を展開し、イノベーションとは新しい知識の創造であると規 定したうえで、「すべての事象を知識創造という観点から見直すことによって、イノベーションを、
天賦の才能に恵まれた個人の再現不可能な行為、あるいは偶然の積み重ねによって出現した一種 の奇跡を把握することから決別し、複雑な関係性の網の目の中で営まれて、人間の相互作用的行 為のプロセスとして認識し直すことができるようになる」と述べている。
また、Rogers(1962,p.18)は、個人、企業と社会の観点からイノベーションの定義を検討し、「イ
ノベーションとは個人もしくは他の採用単位によって新しいものと知覚されたアイディア、行動 様式、物である」と定義した。
岸光(2005,p.4)はこれらの定義を検討したうえで、イノベーションはただ単に企業の中の現象 と捉えることはできないと結論付けている。新しい製品や新しいサービスを生み出すことに主眼 が置かれれば、企業はイノベーションの主体となる。しかし、イノベーションにより生み出され た製品やサービスを受け入れることによる享受側の変化に主眼が置かれれば、イノベーションの 主体は社会やその成員となる。イノベーション活動は様々な分野において、その影響力を発揮す ることを認識しておく必要があると指摘した。
他方Chris(1982)は、「産業イノベーションには、技術に加えてデザインや製造方法、経営手
法、そして商業上の活動が含まれる。これらの活動は、新規の(または改良された)製品を市場 に導入する際に、あるいは新規の(または改良された)製造方法や機械を初めて商業的に利用す る際に生じるものである」と述べている。
そこで本研究では、企業を主体としたイノベーションを考察するために、イノベーションを、
「企業が持続的な競争優位性を獲得するために、社会的な価値を生み出す新しいアイディアを実 現すること。アイデアの実現は、既存技術あるいは既存製品を、新たな観点で新結合させること を指し、新結合の場である組織の構造やプロセスの変革・再活性化に支えられている」としたい。
イノベーションとインベンション
イノベーションという言葉に関する人々の解釈は多様であるが、多くの場合、発明(インベン ション)と混同されている。イノベーションという現象を管理する場合に、これが大きな問題の 一つとなる。
イノベーションの定義に対して、「インベンション」とは、「発明」、つまり新しい技術要素を 生むことを意味している。発明はこれまで世の中に存在しなかった新しいものを創造する行為を 意味する(柴田,2015,p.8)。これまで世の中に存在しなかった電灯を発明することはインベンシ ョンとなる。インベンションは社会的な価値の創造と必ずしも直結しているわけではない。イノ ベーションが、新アイディアの製品化に注目した概念であるのに対して、インベンションは、必 ずしも製品化されることを保証していない。すなわち、経済性や社会的な価値の創造が実現され たか否かという点で、イノベーションとインベンションには相違がある。イノベーションにとっ て、インベンションは重要な要素であるが、それだけではないのである。
例えば、米国3M社は、イノベーションとインベンションに対して、次のように定義している (Trott,2007, p.12)。インベンションとは、実現性が高い新たな発想を意味し、イノベーションと は、企業が、新たな発想を製品化する行動である。この場合、インベンションは発想に止まるの であり、イノベーションはさらに企業によって製品化されるところまでを含む。
飯田(2010)によれば、IBMの元CEO、Sam Palmisano氏は「Innovation(イノベーション)」とは
「Invention(発明)」と「Insight(洞察)」の交わるところで生じるものであると述べている。
つまり、イノベーションに先行してインベンションがあり、インベンションを「何か」に適用す るインサイトを以て、インベンションはイノベーションに昇華するのである。インベンションを
適用する対象である「何か」を見出すインサイトが、イノベーションにとっては重要となる。
イノベーションとインベンションを混同している場合、重要ではあるが発想に過ぎないインベ ンションの考案を促進することに力点が置かれ、イノベーションに昇華させるうえで必須となる インサイトの重要性を看過することになる。結果として、インベンションは適用されるべき「何 か」を見出すことなく、発明者の思考の範囲で結合可能な平凡な「何か」に適用されることにな る。無論、発明者自身が重要なインサイトに気づき、イノベーションにおいて適用されるべき
「何か」を見出す可能性は存在する。しかし、これは偶然に完全に左右されるのであって、決し て管理されたイノベーションの創出にはならない。イノベーションを管理しようとするならば、
発明者に限らず、この重要なインサイトを組織的与える仕組みを考える必要がある。
先に述べたとおり、日本の大企業の多くにおいては、いわゆるイノベーションのジレンマ論が 指摘するとおりに、低収益・低性能・低水準の破壊的イノベーションを忌避し、主流顧客の現時 点での購買対象である既存製品に焦点化した持続的イノベーションに偏向している。したがっ て、こうした持続的イノベーションの創出に携わる者が、破壊的イノベーションに昇華し得る発 想によってインベンションを実現したとしても、発明者の意識が既存製品に意識を集中している 限り、インベンションは既存製品に適用されることになるだろう。このこと自体は決して望まし くないことではないにしても、イノベーションの対象を既存製品、特に発明者が関わる既存製品 に限定してしまうという点において、イノベーションの創出可能性を著しく減ずることになる。
イノベーションの創出、特に破壊的イノベーションの創出という観点では、発明者が自ら関わる 既存製品の開発の枠を超えて、適用されるべき「何か」に注意を向ける必要がある。
イノベーション戦略の定義
戦略とは、企業の長期目標や目的の決定、行動方針の採用並びにこれらの目標を実行するのに 必要な資源を配分する行為である(渡部,2006,p.83)。企業は、自社の強みを発揮し、弱みを回避 する戦略を設定しようとする。戦略の策定においては、企業は設定した目標や目的を達成するた めに、自社の強みを発揮し、弱みを回避する行動方針を探索することになる。