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国会内に一定数の野党議員を確保する憲法制度の創設

ドキュメント内 【論文の要約】 氏名: (ページ 92-95)

第5章 「政党国家」的条項の作用と議会制の安定化を期待する憲法体制 はじめに

第4部 PAP政権の確立・安定期における憲法体制 第6章 「近代立憲主義」的憲法典の成立とその展開

2 国会内に一定数の野党議員を確保する憲法制度の創設

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(1) 「非選挙区議員」制の導入

1984年8月、1984年の「シンガポール共和国憲法(改正)法」(Constitution of the Republic of Singapore (Amendment) Act)は、国会を組織する議員として、従来の選挙区選出議員のほかに、「非 選挙区議員」(Non-constituency Member)を加えることにし、そのために「1980年リプリント憲法典」

39条(国会条項)1項を改正し、同条に1項b号を追加した。それに対応する国会選挙法(Parliamentary Elections Act)の改正も行われた。

「非選挙区議員」制の目的は、国会での野党議員の一定数確保にある。「非選挙区議員」の数は、憲 法では6名までを認めたが、施行法である国会議員選挙法はその数を3名以内と定めた。野党議員の 確保は、総選挙の結果を基にして次のようにして達成される。すなわち、総選挙の結果、野党候補者 が1名も当選しない場合、3名の「非選挙区議員」が指名される。同様にして野党議員が1名当選し た場合、2名の「非選挙区議員」が指名され、2名当選の場合には「非選挙区議員」が1名指名され る(憲法39条1項b号、国会選挙法52条1項)。

また、「非選挙区議員」となる資格を有するのは、落選した野党候補者で、その候補者の選挙区で 15%以上の得票率を獲得した者に限られる。有資格者に対する「非選挙区議員」の指名は、最高得票 率を得た者から順次、得票率順に行われる(国会選挙法52条3項)。

さらに、「非選挙区議員」は、議会の審議・表決に加わることができるが、公選議員と違って、表決 に加わらない事項がある。すなわち、憲法改正法案、予算案、財政法案および内閣不信任案の表決に は加わることはできない。これらについては、審議に参加できるだけで、議決に参加することはでき ない(憲法39条2項)。

このような議員を創設することになった事情を、リー首相は次のように説明した。すなわち、1960 年代および1970年代には、野党排除がなされた。指導層にとって喫緊の課題は、国家の生存であり、

そのため挙国一致の必要があった。しかし、1980年代になって状況は違った。野党議員が出現し、議 場で行う政府攻撃は、若手指導層に緊張感を持たせ、彼らの政治的訓練に役立つと見られた。野党の 存在はマイナスどころかプラスになり、野党の排除はもはやシンガポールの利益にならないと考えら れた。こうして、与党 PAP の平議員とは異なる野党議員の国会審議参加は、政府のためにも、国民 のためにも良いと判断されるに至った。

リー・クアンユー首相によれば、「非選挙区議員」制導入の意義は、(ア)後継指導層の育成、(イ)新 世代選挙民の教育、および(ウ)政府への信頼強化という3点に要約される。要するに、「非選挙区議 員」制には、一方で後継指導層のいわば“スパーリング・パートナー”として、他方で政府に対して 不満を抱く選挙民の欲求不満解消策、つまり、“安全弁”として、政権安定化に資する役割が期待され たのである。

国会内に野党議員の一定数確保をねらうこの制度は、確かにユニークであった。しかしながら、野 党が任命に応じない限り、制度が機能しないことが明らかになった。すなわち、1984年の総選挙の結 果、PAPは79議席中77議席を獲得、野党は2議席(J B Jeyaretnam〔WP、労働者党〕とChiam See

Tong〔SDP、シンガポール民主党〕)を獲得し、1名の「非選挙区議員」が落選野党候補者のなか

から指名されることになった。だが、得票率第一位の候補者(M. P. D. Nair 〔WP〕)も、第二位 の候補者(Tan Chee Kien 〔SUF〕)も、ともに「非選挙区議員」への就任を拒否し、その結果「非 選挙区議員」は欠員となったのである。

このような制度上の問題点も考慮されて、政党員であることを義務づけられない「指名議員」制が 考案されることになった。

(2)「指名議員」制の導入

野党が指名に応じない限り制度が機能しないという「非選挙区議員」制の難点は、「野党に所属する」

という条件を除去すれば、一応解消されることになる。このことが検討されて、

1990年の「シンガポール共和国憲法(改正)法」によって、「1980年リプリント憲法典」39条(国会 条項)が改正され、選挙によらない議員として、新たに「指名議員」(Nominated Members, NMPs)が 追加された(同条1項c号)。政党への所属を条件としない「指名議員」の誕生である。

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1992年3月20日に憲法の「リプリント」が行われ、1992年の「シンガポール共和国憲法のリプ リント」(以下、「1992年リプリント憲法典」と略称する。)が成立したが、それによれば、大統領は、

「1992年リプリント憲法典」第4附則(Fourth Schedule)の「指名議員」資格要件規定(第4附則 3条2項)に基いて、6名以内の「指名議員」を任命することができる(「1992年リプリント憲法典」

39条1項c号)。

すなわち、大統領は、総選挙後国会が召集されてから6カ月以内に、国会の特別選任委員会が指名 する候補者を「指名議員」に任命する(第4附則1条1項)。この特別選任委員会は、国会が指名す る7名の国会議員(委員長となる国会議長を含む)によって組織される(第4附則1条3項)。「1992 年リプリント憲法典」第4附則によれば、特別選任委員会は、一般国民を介して特別委員会に提出さ れた「指名議員」候補者名簿のなかから適切な人物を6名以内、他の国会議員と協議した後「指名議 員」として指名し(第4附則3条1項)、(6名以内の)当該被指名者を、大統領が「指名議員」に任 命する(第4附則5条)。「指名議員」の任期は、任命されたときから2年間である(第4附則1条4 項)。

また、「指名議員」の権限は、「非選挙区議員」のそれと同様である。つまり、憲法改正法案、予算 案、財政法案および内閣不信任案については、表決権を持たない(「1992年リプリント憲法典」39条 2項)。

「指名議員」となる者の資格要件については、「非党派性」(non-partisan)が重視され、政党に所 属する者は資格を有しない。つまり、「指名議員」には、超党派的見地から国会審議に加わることが期 待されている。それに加えて、「指名議員」として指名を受ける者は、政府高官を経験したり、あるい は文化・科学・商業・専門職・社会事業などの分野で卓越している者でなければならない(第4附則 3条2項)。この資格要件は、マレーシア国会の上院議員のそれに酷似している。すなわち、マレーシ ア憲法 45 条の「最高元首が任命する議員は、……専門職、商業文化活動、または社会事業に……著 しく貢献し……」という要件である。「指名議員」制の導入には上院的なものへの期待があると見るこ ともできる。

また、民意との関連でいえば、「指名議員」制の導入には民意反映への配慮も認められる。PAPは 国民政党として多様な利益に奉仕することを標榜するものであるが、それを十分に達成することは必 ずしも容易ではない。これを補完する役割が期待される利益集団の圧力活動は、シンガポールでは、

1960年代末までにその勢いを失ったとされている。1970年代以降、総商会、経営者組織、全国労働 組合会議、専門家組織、住民組織などが政策面で提言や要請を行ってきたが、そうした提案や要請が 政府に受け入れられるのは、統治上必要とされる場合に限られ、それも恩恵的ニュアンスを伴うもの であったといわれている。そうであるなら、民意反映の面で、それらが政党の補完作用を果たしうる 組織になっているかどうかは疑わしい。「指名議員」制には、したがって、多様な職能的利益を国会に 反映させるという面への期待もあったといえる。

おわりに

1970 年~80 年代、PAP政権が国会の全議席を独占し、政治の実際において一党制を実現する段 階に至って、少なくとも外観上、憲法典に“政治権力の法的制限”という立憲主義の目的にかなうよ うな要素が導入されるという諸現象が現れた。各現象の中身とその意義は、以下のとおりである。

(1) 1972 年の「憲法(改正)(シンガポール共和国の主権の保護)法」によって、シンガポール共和

国の主権の保護に関する法案の改正に「国民投票」が導入された。国民投票は、国民の憲法制定権 力の思想を純粋に具体化する方式とされ、国民の制憲権の思想は、近代立憲主義憲法の成立を推進 し実現したものとされるから、この視点から見れば、分離・独立後の「1966年リプリント憲法典」

に近代立憲主義的要素が付加されたような現象が現れた。

(2) 1979年の「憲法(改正)法」によって、憲法改正には、原則として国会の総議員の三分の二以上

の賛成が必要である旨の規定が導入された。この変更によって、シンガポール憲法は「硬性憲法」

化し、「1966年リプリント憲法典」に近代立憲主義的要素が付加されたような現象が現れた。

(3) 1980年、法務長官の「リプリント」によって、分離・独立後の「憲法」が整理統合されて「1980

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年リプリント憲法典」が成立し、当該憲法典には《憲法違反の国会制定法の無効を明定する規定》

および《憲法の最高法規性を定める規定》が挿入された。

立憲主義的憲法の形式上の標識が、通常、成文・硬性であり、国の最高法規であるとすれば、「1980 年リプリント憲法典」の内容(形式)に近代立憲主義の要素が付加されたような現象が現れた。

(4)「1980 年リプリント憲法典」によって、(マレーシア憲法規定の準用という状況にあった)基本

的自由(自由・人権)規定が成文化され、当該憲法典に編入された。シンガポールの憲法典は、「1980 年リプリント憲法典」において初めて自由・人権規定を有するという現象が現れた。

近代立憲主義的憲法が“権力の法的制限”という立憲主義の目的を、個人の権利・自由の保障と そのための国家組織の基本的仕組(権力分立)の制度化によって具体化したものであるとすれば、

「1980年リプリント憲法典」における自由・人権の保障によって、権力の法的制限という立憲主義 の目的が具体化され、形式上、近代立憲主義の要素が付加されたような現象が現れた。

(5) 1980年代における野党議員の出現、議場で行う政府攻撃は、若手指導層に緊張感を持たせ、彼ら

の政治的訓練に役立つと見られ、PAP政府は、野党の排除はもはやシンガポールの利益にならな いと考えるに至った。こうして、与党 PAP の平議員とは異なる野党議員の国会審議参加は、政府 のためにも、国民のためにも良いと判断され、このような事情を背景にして、「非選挙区議員」制 が導入された。さらに、90年代に入って、「非選挙区議員」制の難点を克服し、政党への所属を条 件としない「指名議員」制が導入された。「指名議員」制が導入され、民意反映への配慮が認めら れるような現象が現れた。

1980 年~90 年代、国会内に野党的存在を容認し、憲法への複数政党制的な要素の導入を図ると いう形での憲法体制の整備が行われた。もしこの整備の方向が、「権力の民主化」によって「多数 者の権利」を追及するという方向ではなく、政府権力を如何に制約するかという問題を重要視して、

議場における政治的反対を許容するという方向を示すものであるならば、この現象は、政府権力か らの自由によって少数者の意思の反映を指向する方向、つまり、権力からの個人の自由を確保する という「立憲主義」の方向を向いていると見ることもできるであろう。

第7章 グループ代表選挙区制の成立とその展開

ドキュメント内 【論文の要約】 氏名: (ページ 92-95)