3.3 実験結果と考察
3.3.1 ラマンスペクトルの温度変化
図3.3にラマンスペクトルの温度依存性の結果を示す。以下では図中のX、Yの表記は偏光を 表しており、それぞれ試料のa軸、b軸方向の偏光を示している。並べて表記してある2つの偏 光において左側が入射光、右側が散乱光の偏光を示している。それぞれの偏光において、250Kで はブロードなピークが見られることがわかった。250Kから温度を下げていくと、XX、XY偏光 ではほとんどスペクトルの変化は見られないが、YY偏光において250cm!1付近のピークが温度 が下がるのに従って徐々につぶれていくような振る舞いを示し、構造相転移を起こすTC(123K において急激に変化して鋭いピークが多数観測されることがわかった。TC におけるスペクトル の結果は、軌道整列によって三量体を形成する構造相転移がラマンスペクトルに影響を与えてい ることを示している。また、後に議論するフォノンモード計算によると、350cm!1以下のピーク は主にVイオンが動くモードであり、350cm!1以上のピークは主にOイオンが動くモードであ ることが明らかになった。さらに、このフォノンモードの計算から、高温相における302cm!1の モードと低温相における324cm!1のモードは同一のモードであることがわかっている。そこで、
このモードに対して、得られたラマンスペクトルをLorentizian (I3[(/!/0)2])によるフィッ ティングを行い、ピーク幅とピークの積分強度を求めた。得られたピーク幅と積分強度を温度に
図3.3 BaV10O15のラマンスペクトルの温度依存性(a)XX偏光、(b)YY偏光、(c)XY偏光(T.
Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
対してプロットしたものを図3.4に示す。温度を下げていくとTC (123Kにおいて、ピーク幅は
図3.4 324cm!1 のモードのピーク幅と積分強度の温度依存性(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
急激に減少し、ピークの積分強度は急激に増加することがわかる。この急激な変化は、この相転 移が一次転移であることと関係している。
BaV10O15に対して因子群解析を行い、この物質のラマン活性なフォノンのモード数を求める と、高温相(Cmce)において、
18A1g&18B1g&17B2g&19B3g (3.1)
であり、低温相(Pbca)においては
36A1g&36B1g&36B2g&36B3g (3.2)
である。すなわちラマン活性なフォノンモードの数はTC以下の低温相において2倍になること がわかる。これは、構造相転移により単位格子が2倍になるからである。ラマン散乱においては A1gモードはXX、YY偏光において観測できる一方で、B1gモードはXY偏光で観測できる。以 下では、A1gモードについて議論を行うためXX、YY偏光についてのみ述べる。高温相では、18 個のA1gモードのうち8個がVのモードであり、10個がOのモードである。また低温相では、
36個のA1gモードのうち15個がVのモードであり、21個がOのモードである。
図3.5に、XX偏光とYY偏光における各モードの振動数を温度に対してプロットした図を示 す。温度を下げていくと、ピーク数の急激な変化がTC(123Kにおいて生じることが分かる。ま た、YY偏光の350cm!1以下のピークにおいて顕著に見られるが、反強磁性転移温度TN(43K以 下において低振動数側へとシフトするピークが存在することが明らかになった。
反強磁性転移温度TN 以下におけるフォノン振動数の変化を明確に見るために、図3.6にYY 偏光におけるラマンスペクトルを拡大したものとラマンシフトの温度依存性を示す。図3.6(a)に は、低温における主にVイオンが動くモードのピークを示している。大きいほうから3つのピー クには破線を付けている。温度を下げていくと、はじめ高振動側へシフトしていたのがTN 以下 において低振動側へとシフトしていることが分かる。図3.6(b)には、破線を付けた3つのピーク のラマンシフトを温度に対してプロットしたものを示している。TN を境にして振る舞いが変化
図3.5 BaV10O15 のラマンシフトの温度依存性(a)XX偏光、(b)YY偏光(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
図3.6 (a)YY偏光の低温における350cm!1以下のラマンスペクトル、(b)フォノン振動数の 温度変化(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
していることが分かる。通常、低温において温度の低下にしたがってフォノン振動数は増加する のに対して、ここでは振動数が減少するソフト化が起きており通常とは異なる振る舞いを示して いる。反強磁性転移温度を境として振る舞いが変化していることから、フォノン振動数の減少は 磁性転移と関係があると考えられる。このTN以下におけるフォノンのソフト化の要因として、
Vのスピンが反強磁性的に整列するときV-V結合を弱めるスピン-格子結合が考えられる。
YY偏光のラマンスペクトルにおいて、TCよりも高温で、250cm!1にあるピークが温度を下げ ていくと徐々につぶれていくことを述べた。フォノン振動数の計算から、ここには1つのピーク しかなく、このピークが分裂することによりつぶれていくように見えていると考えられる。構造 相転移より高温側において、NMRでは240K以下でピークに分裂が見られることが報告されて
図3.7 BaV10O15の(a)ラマンスペクトルの高温相における温度依存性(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)、(b)V核NMRの温度変化、(c)ピークの温度に対するプロット(Y.
Shimizuet al., PRB 84, 064421 (2011).[10]より)
図3.8 SrV10O15のラマンスペクトルの温度依存性(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
おり[10]、ラマンスペクトルのピーク幅の広がりとNMRピークの分裂に関係があると考えられ る。NMRのピークに分裂は、対称性が低下していることを示しており、これは局所的な三量体 の形成という主張がなされている。そのため、ラマンスペクトルにおける250cm!1のピーク幅の 増加も、結晶内のランダムな場所で局所的にV三量体が形成されていることを示していると考え られる。
最後に、BaV10O15 のような相転移が存在しないSrV10O15のラマンスペクトルの温度依存性 の結果を図3.8に示す。200Kではいくつかのブロードなピークが存在しており、TC 以上での BaV10O15のスペクトルに似ている。しかし温度を下げていっても最低温までブロードなピーク
のままであり、BaV10O15において見られた、構造相転移によるピークの急激な変化や、フォノ ンのソフト化、温度低下にしたがってピークの拡がりは観測されなかった。