3.3 実験結果と考察
3.3.2 モデルによる定量解析
のままであり、BaV10O15において見られた、構造相転移によるピークの急激な変化や、フォノ ンのソフト化、温度低下にしたがってピークの拡がりは観測されなかった。
フトに関する電子分極テンソルの変化の仕方に影響を受けることを意味している。
ラマン強度の解析には結合分極モデル[12]を導入して行う。このモデルでは、物質の電子分極 は各原子ペアに対して定義される個々の結合分極の和で与えられる。つまり、
P!" ($
&
"!"& (3.4)
となり、"!"& は&番目の原子結合の分極率である。各原子の結合は円筒対称性を有しているの
で、テンソルの主軸を結合方向にとるとすれば、結合分極率テンソルは結合方向に平行な成分.4 と垂直な成分.0の対角項のみになる。ここでさらなる近似として、.4のみを考慮して、.0を無 視することにする。以下の議論では、V三量体形成に着目するためV-V結合が分極率に寄与する ラマン強度について議論する。V-V結合は2つのt2g軌道による,結合によって作られている。
そして、,結合に沿った分極率はそれに垂直なものよりずっと大きいと期待される。この近似の もと、"!"は
"!"(.4R!R"
3R5 32 (3.5)
と表せる。ここで、R5((Rx2Ry2Rz)はボンドで結ばれた2原子のベクトルである。
上で述べた仮定に加えて、.4はボンドの距離3R53のみに依存すると仮定する。この仮定は、実 際の物質に対して結合分極モデルを適用する際に用いられている[14]。実験的に、.4の距離依存 性は.4(.03R53nで与えれており、フラーレン(C60)や他の有機物質の研究から、結合距離に対す る依存性はn~2が得られることが知られている[14]。そこで、本研究でもn (2として計算を 実行した。
以上の仮定と共に、式3.3のPˆ を式3.4と式3.5で置き換える。ここで、基準モード座標)kに 関する結合分極率"!"の微分は、結合距離3R53の変化に依存する.4に対してだけでなく、結合方 向の変化に依存するR!R"33R532に対しても実行される。
室温におけるBaV10O15のラマンスペクトルを結合分極率モデルを基にして計算を行った。こ の計算では、光学伝導度を計算する際に使用したものと同じバネ定数を使用した。ラマンスペク トルは、各フォノンモードのLorentzianの和として与えられ、
I(/) ($
k
Ik
(/!/k)2 (3.6)
である。ここで、/kはk番目の基準モードの振動数の計算値、#はピーク幅で、Ikは式3.3で与 えられる。室温におけるスペクトルに対して、#(15cm!1を仮定する。まず、最近接V-V結合の みの結合分極率を考慮する。図3.10(a)に、XX、YY偏光の計算による高温相のスペクトルを実 験データとともに示す。図から分かるように、計算により求めたスペクトルは実験結果の全体的 な特徴をよく再現している。
構造相転移点TC以下のBaV10O15 のラマンスペクトルに対しても同様の計算を行った。まず は各結合におけるバネ定数を室温における値を用いて実行した。V-V結合分極率に関しても室温 スペクトルで使用した値を用いた。ところが、これらの値では実験結果を再現しないことが明ら かになった。そこで、新たに低温相に対して各結合のバネ定数の値をそれぞれBa-Oが60 N'm、
図3.10 高温相と低温相におけるBaV10O15のラマンスペクトルの実験結果と計算結果(T.
Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
V-Vが35 N'm、V-Oが95 N'm、O-Oが37 N'mと仮定した。Ba-O、V-O、O-Oのバネ定数の値 はほとんど変化していないが、V-V結合の値は20 N'mから35 N'mへと大きくする。また、低 温相におけるピーク幅を# (7cm!1と仮定する。図3.10(b)の実線は、低温相における計算によ るスペクトルと実験結果を示す。220'370cm!1 の間でYY偏光の計算スペクトルが実験結果を よく再現していることがわかる。370cm!1以上のピークを計算により再現しようとすると、Oイ オンとの結合分極率が必要になる。
表3.1 高温相と低温相の各イオン間結合のバネ定数の値
Ba-O V-V V-O O-O
HT 60 N'm 20 N'm 105 N'm 37 N'm LT 60 N'm 35 N'm 95 N'm 37 N'm
図3.10(b)から分かるように、低温相のスペクトルに対してXX偏光の実験結果と計算結果(実
線)はあまり一致していない。特に302cm!1のピーク強度が無視できる程度まで弱い。この計算 結果の改善を考えるとき、V-V結合のみに注目しても、変化させられるパラメーターは各結合 のバネ定数と結合分極率など数多い。その為、解析を行う際にいくらかの簡単化が必要になる。
図3.10に示している計算結果はV-V結合のバネ定数と分極率を全て一定にした結果であるが、
ここでは、V-V結合のバネ定数は全て一定であるが、分極率について1つの結合のみ変化させ る。具体的には、V2a-V2B結合の分極率を他のV-V結合に比べて30%減少させると、302cm!1 のピークの強度が実験結果を再現することが明らかになった。この結果は図3.10(b)に点線で示 してある。以上の結果含めて、実験結果と計算結果を改めて図3.11に示す。
以上のように220'370cm!1までのスペクトルの異方性は、計算によって準定量的に再現す ることができた。上で行った解析において、パラメーターとして扱ったものは4つのバネ定数 (Ba-O、V-V、V-O、O-O間の結合)と低温相におけるV2-V2Bの結合分極率の他のV-V結合分
図3.11 BaV10O15における主にVが動くモードのラマンスペクトルの実験結果と計算結果 (T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
極率との比である。これらの中で、3つのバネ定数(Ba-O、V-O、O-O間の結合)はSrV10O15の 光学伝導度スペクトルのみでほとんど決定できる。それ故BaV10O15のラマンスペクトルの解析 において、高温相に対してはただ1つのパラメーター(V-V結合のバネ定数)のみであり、低温相 に対してはさらにもう1つのパラメーター(V2-V2B結合の分極率)のみとなる。すなわち、実験 結果のラマンスペクトルは少ないパラメーターによって再現できる。
Vイオンが主に動くラマン活性なA1gフォノンモードの振動数の実験結果と計算結果を表3.2 に示す。低温相と高温相において同じ固有モードのものは同じ列に示している。高温相のモード と対応しない低温相のモードは、高温相におけるゾーン境界モードの折り返しにより生み出さ れる。
これらの結果をもとに、低温相と高温相のスペクトルで、同一の固有モードを点線で結んだも のを図3.12に示す。このような低温相における高振動数側へのピークのシフトはV-V結合のバ ネ定数の増加に由来する。
さらに他のイオン間の結合Ba-O、V-O、O-Oの結合分極率を考慮して計算を行った結果を
図3.13に示す。370cm!1以上のピーク強度を再現するには、これらの結合を考慮しなければな
らないことが分かる。しかしながら、これら3つの結合の分極率の値をユニークに実験的に決定 することは非常に難しい。
本実験におけるラマン散乱スペクトルの解析からは2つの重要な結果を得ることができた。1 つは、V-V結合のバネ定数の値のみが構造相転移により20 N'm(35 N'mへと75%も増加する ことである。そしてもう1つは、主にVイオンが動くフォノンモードのピーク幅が軌道整列の起
きるTC(123Kで急激に減少することである。
このような結果を説明するモデルとして、まずフォノンモードと遍歴キャリアの結合するモデ ルが考えられる。このモデルでは、Vのt2g軌道がつくるV-V結合のバネ定数が遍歴キャリアと 結びつくことで変化する。遍歴キャリアは、BaV10O15が伝導性を有するTC以上でのみ存在する
表3.2 計算と実験による低温相と高温相のラマン活性なVのA1gモードの振動数
LT(calc.) LT(expt.) HT(calc.) HT(expt.) 130
147 157
175 175 174
185 199
221 215 212
222
233 236 222 207
249
251 256 240
258
273 284 266 247
297 302 273
315 287
336
341 324 315
ことから、高温相においてV-V結合のバネ定数は低温相よりも小さくなる。その結果、高温相 では低温相よりもフォノン散乱が増加し、フォノンモードの寿命が減少する。しかし、BaV10O15 の高温相と同じであるSrV10O15 では低温に下げてもフォノンピークはほとんど変化しない。こ のことは、SrV10O15における10KのスペクトルとBaV10O15におけるTC以上のスペクトルが似 ていることを意味している。低温におけるSrV10O15は絶縁体であることから、遍歴キャリアは 存在せず、フォノンモードと遍歴キャリアの結合モデルとは矛盾することになる。
上で述べたモデルよりも可能性の高いものとして、Vの軌道自由度から生じる軌道の非秩序 状態が存在するモデルがある。この非秩序状態は、BaV10O15 では構造相転移温度より高温で、
SrV10O15は室温から最低温の温度領域で存在する。V3& イオンには三重に縮退したt2g軌道に2 つの電子が存在しており、軌道の自由度が存在している。d電子が局在している場合、各Vイオ ンにおいて3つのt2g軌道のうち2つが選択的に電子に占有されるの対して、電子が遍歴する場 合は3つの軌道は2つの電子により部分的に占有される。TC以上において結晶内には長距離秩 序が存在しないので、各Vイオンにおいて占有される2つの軌道はランダムに選ばれ、時間と 共にゆらいでいると考えられる。この軌道のゆらぎが、結晶において非秩序状態を引き起こし、
V-V結合の平均バネ定数の減少を起こす。TC以下においては、三量体の形成によりV3&の長距 離秩序が存在する。このとき、各Vイオンにおいて特定のt2g 軌道が電子によって占有される。
従って、軌道のゆらぎは大幅に抑制されることになる。これにより、TC 以下においてV-V結合 のバネ定数を増加させ、ピーク幅を減少させる。
軌道の自由度を有する物質における軌道ゆらぎは理論的に議論が行われてきた[15]。ところ
図3.12 BaV10O15の220~370cm!1におけるラマンスペクトル実験と計算結果(T. Kanzakiet al., PRB 85, 184107 (2012).より)
が、実験的に軌道のゆらぎや軌道の非秩序を観測することは困難であった。本研究の結果は、ラ マン散乱測定によるフォノンスペクトルの観測は軌道の非秩序状態を見つける有力な実験である ことを示唆している。