。 (
O
尊O
名尊長 之 者
L坐
不 竺 ‑ E
捨Zー
慈L
1
悲三一
L
入三
道 む場全 一
‑ 82
新たに斯様な節付けをした︒以下十六句迄M長脆合掌唱
畢礼下倣之μの註に従うものの︑最後にw長脆合掌唱畢
稽首除
u一 一 ‑礼拝とも云ているから︑ここでは先の註のっ
如く︑長脆の後は中礼│で統
一することとし︑尊名が
祖山安置のものと﹃
聖典
﹄記載のものと若干相違がある
との指摘から﹃聖典﹄に準ずると申し合わされた︒
( 但
しゅぱかし︑第九の戎博迦尊者の﹁戎﹂
の字
は
ジュウと読み︑明
治の﹃法要集﹄ではジュツと読む﹁成﹂の字が使用され
ているが︑ここでは﹁成﹂の字ではなかろうかと私考し
ている︒)
﹂の後︑祭文・総礼伺・表白と次第して愈々式文に入
るが︑時間的制約もあり祭文を略して表白のみとし︑こ
れに就ては知恩院として︑落慶の祝意を表したものが作
製されると思うが︑研究所としては一応﹃聖典﹄所収の
ものを安易な表現に改めてみた︒
世 以 沙 夫
│
依間 後、 羅、 祇れ樹 保巨
他な 人天 葉変を に
し0 落覆 ぜ 蔭を
面を更 し 息 失 よ め 文
ひ り
なし 護覆を 給 中 夫い に れ 新 て 於 釈 失 よ い 迦 い り て 如
、 己品浬 来 生
衆 釆、主祭に 沙'm
表師 人天 入り 植林 訂
但し︑表白の文末が講式の次第列挙に終わり︑直ぐ第
の式文に入っている為︑﹁願わくは六通を以て我等の志
願を照撃し︑哀慰納受し給わんことを﹂と付加して結ぶ
﹂と
にし
た︒
更に﹃
聖典
﹄
﹃宝庫
﹄共︑第二式文後の
伽陀を
欠いて
いた
︒
このことで当初︑総礼伽陀(我此道場如帝珠の
備)を第一段に充当し︑報身多在十六処云云の伽陀のみ︑
一段下げてという考えもあ
った︒ところが明治版﹃法
要集﹄には︑我所説諸法
云云
の侮文の記載があり︑故に
これを補足して伽陀の組替えは不必要となった︒この為
式文と伽陀の文意に矛盾も生ずることなく︑ただ総礼偲
との見解で省くことになった︒
︹9
︾ ニ ハ ゲ ノ ヲ
この講式では式文は五段に分かれ︑一挙ニ羅漢住処
‑
ニ ハ ケ ノ ヲ ニ ハ ゲ
ノ
ヲ ニ ハ
メ
ノ ヲ
二 挙 如 来 付 属
一三挙ニ福田利益
一四讃こ現在神徳‑
五 讃
=遺身舎利二﹂とになっている︒問題は第五の
‑ 83 ‑
は先の三宝礼に通ずる︑
遺
身舎利uの存在である︒これが無ければ舎利に関する全
項目(奉請・第五段の式文・伽陀・礼拝等)が無意味と
なる︒式文の中に
同
) ニ ク ヲ
y
ニ テ ニ
セ
ハ ノ
浴像功徳経云舎利安ニ置塔中‑随レ力供養恭敬得二十五種
レ タ ル ヲ
勝功徳二玄云(﹃宝庫﹄上)
と指示される以上︑古式に則って本尊前へ舎利塔を奉安
すべきである︒併し今回祖山ではその荘厳を敢えてしな
いという︒斯かる豪壮な三門ゆえ︑地鎮の鎮壇具(俗に
鎮め物と云う)の中に舎利も含まれている筈!という仮
定の基に修されるのであろう︒以下関経偶・謂経・念仏
‑総別回向
・四
弘誓・
三帰
礼とする常の差定を︑舎利礼
文割勿・宝号三副(南無釈迦牟尼仏に宗定の一唱一礼の
責打
節を借用したもの)・付回向・無言一拝して退堂する形
に改めた︒
草稿の段階で︑謂経は羅漢の尊名が多く並ぶ﹃無量寿
経﹄の序分が最適であるとの意見もあったが︑引続き結
縁回向をする関係上︑なるべく短い伺頒をということで︑
前述の理由からも舎利礼を用いることに決着した︒
然し
︑
この文は正式には経文の部類に属さない︒本宗では浬繋
会や収骨式等に読む慣例であるが︑謂経の代用としては
震朝や後夜の礼讃備と閉じ扱いをしている︒ただ︑これ
に閉経偶が必要かどうかは︑双方の文意の上から検討す
る余
地は
ある
︒
今一つ︑式文の意訳・簡略化と共に︑全体を通じて
ぷ芯
仏抜
き
uというのが今回の最大の特色とき守える︒
﹁宗義と儀礼﹂の噛合いという点からは問題が残るが︑
仏祖(知識)対面伝や仏仏相念の旨趣は一先ず嫡いての
新企画である︒本講式が祖山法要だけに留まらず︑平成
新訂の末寺用として使用できるよう︑文章・次第ともに
もっと洗練すべきものであろう︒
註(l)﹃天台声明大成﹄下
P M
︿2)臼本音楽叢書三﹃声明﹄一P旧1国
(3)
宗 規 第 二 十 九 号 法 式 に 関 す る 規 程 第 五 条
(4)
宗規第八十七号浄土宗総合研究所規程第四条三のイ
(5)望月信道編︑明治四十四年七月初版︑以降大正六年迄に
十五版を発行している︒
(6)
土ハ
十華
厳経
﹄六
( ﹃
大正蔵経﹄九P価上
) ﹃
四分律行
事紗﹄巻上回(大正鈎p
お下
)等で見られ︑また﹃諸
経要集﹄巻三(大正
M P M 下)には文字が若干違って
いる
︒
(7)﹃浄土法事讃抄本法則﹄(S
日・
6
pn
‑ 84 ‑ 法式研究諸撰述)
(8)明治四十三年十月刊﹃浄土宗法要集弁声明﹄千葉満定編
(9)建保三年
( 一 一 二 五
)明恵の講式の踏襲である
︒ (﹃
声明
辞典﹄等参照)岡山千手院に室町期の重文写本有り︒
(叩)﹃大正蔵﹄十六P湖上(宝恩惟訳)
・同
書
P棚上(義
浄訳﹃浴仏功徳経﹄)
(日)柳枝軒版のH
得度軌則
H (
仏教大学蔵書二七四二九八)
による荘厳図のようなもの
(ロ)蓋し︑名称については
﹃ 聖
典﹄浬繋会p閣の如く﹁称念
{ 玉 号
﹂と言うべきか︒
(日)﹃大正蔵﹄十二P加下
(凶)伝不空三歳作︒近年金岡秀友・田上太秀氏
らの
解説があ
る︒
﹁入
我我入﹂等の語に関しては︑宗義上問題が残る︒
(時)﹃仏教諭叢﹄第二十二号
所収第二十三回教学大会シン ポジウム
pm
ip
拙
﹃浄業信法訣﹄巻四(伝灯絹要p附)
﹃無
量寿 経﹄
上(大正十二
p m m
下
2
6) (凶)
(げ) (付記)本研究は古式法要復元の一つとして︑かつ近代化をも考慮して︑平成三年四月︑宍戸栄雄法儀司の草稿にかかる本講式を︑同年五月筆者が校合したものを法式研究部の研究成果の一端として発表したも
ので ある
︒
従って平成四年四月に厳修される総本山知恩院三門修復
落慶式における﹃羅漢講式﹄とは大同小異があることを予
めお断りしておく︒
85
閉経偽について
閉経偲は必ず経典読請の前に読まれる伺文である︒こ
れは各宗派においても同様であり︑普通一般に﹁無上甚
深微妙法百千万劫難遭遇
百只
E
ず 円u ‑ w k 回開 苫月 ム Hm .2 A
我今見聞得受持
真実義﹂の伺が古来用いられている︒この他に浄土宗で
は﹃法事讃﹄の﹁念念思聞浄土教文文句句誓当勤
想長時流浪苦専心聴法人真門﹂の伺が代用として用い
られる︒
今回はこの開教伺について考察してみたい︒
先ず︑浄土宗で今までどのように考えられてきたかを
見てみると︑多くの場合﹁古徳所作出拠不詳﹂として記
されることが多い(﹃浄土宗方式精要﹄︑﹃続浄土宗法儀
大
‑L....
Eコ
フ己
我 津
解説下
﹄︑﹃新浄土宗辞典﹄︑﹃浄土宗大辞典﹄など)︒僅
かに恵谷隆戒﹃新浄土宗辞典﹄に﹁おそらくは無量義経
より出たものであろう﹂という見解を述べておられる︒
‑ 86 憶
また︑望月信事﹃仏教大辞典﹄にはその出典として﹃浄
土芯萄宝庫
﹄
巻下を挙げている
︒これら﹃新浄土宗辞
典﹄︑﹃仏教大辞典﹄ぐらいが閉経伺の出典について言及
している程度である︒
また
各{
一不
の辞
書に
おい
ても
経読
謂
の前に読む伺文として挙げられているだけのようである︒
このことから﹃仏教大辞典﹄に出典として挙げられてい
る﹃浄土芯努宝庫﹄を頼りに見ることとしたい︒周知の
ように﹃浄土芯費宝庫﹄は金井秀道氏により明治二十七
年(上巻)︑二十八年(下巻)に編集された書籍である︒
﹃浄土芯曹宝庫﹄巻下には開経偶として︑﹁古徳ノ結フ
所末タ其資始ヲ詳ニセス﹂と述べていて︑やはりその典
拠は記していない︒しかし︑﹃浄土芯欝宝庫﹄巻下はそ
の凡
例に
﹃日用念謂﹄︑
﹃浄
業課
謂﹄
︑﹃
無縁
慈悲
集
﹄ ︑
﹃ 諸
回向宝鑑﹄︑
﹃啓
蒙随
録﹄
︑﹃
真俗
仏事
編
﹄其他諸書より対
照取捨して収録した旨が述べられている事から︑それら
の典籍より収録されたものであることが解る︒
そこ
でそ
れらを調べてみると︑閉経伺を収録しているのは﹃日用
念調﹄と﹃浄業課諦付録﹄だけである
︒ ﹃
日用念講﹄は
享保十一年
( 一
七
二六 )
に編纂されている︒そこでは単
に開経伺として挙げられているにすぎず︑﹁農昏礼調﹂
や﹁斎供儀
﹂ ﹁ 斎食儀﹂の次第の中にも閉経伺は組み込
まれていない︒また享保十九年(一七三四)の﹃浄業課
謂付録﹄でも﹁古徳ノ結フ所未タ其資始ヲ詳ニセス﹂と
しているのみである︒
この
二書
に
﹃浄土芯費宝庫﹄が基
づいたものであることは解るがそれ以前の浄土宗文献に
は所見のかぎり閉経偶は見られない︒先の凡例のなか忍
激
の﹃浄業課謂﹄はともかくも︑元禄十一年(一六九 ﹂とは注目されよう﹃諸回向宝鑑﹄は︑やはり出典の︒ 八)必夢の編になる﹃諸国向宝鑑﹄に記載されていない
不明
な
こ切精霊回向文﹂すら記載しているのに︑開経
備は収録していない︒これは当時の浄土宗の方式におい
て閉経伺が重要な伺文と見倣されていなかったことを裏
付けている︒このことは天和三年(
一六
八三
)の
松村
十
兵衛開版声明本に附される諸文集にも掲載されていない
事からも首肯されるものである︒また︑元禄年間の東大
寺開眼法要に浄土宗四箇本山の法要も行なわれているが︑
87
そこでも関経伺は用いられていない︒これらのことから
浄土宗として閉経備が最初に記載されたのは﹃日用念
調﹄であると考えられよう︒しかし︑このことが浄土宗
においてそれ以前︑開経伺が用いられていなかったとい
う意味ではない︒通常用いる偶文として浄土宗において
一般的では無かったということである︒ともあれ﹃日用
念講﹄以前の浄土宗典籍のなかに開経備は見られない様
であ
る
︒ま
た
﹃日
用念
講
﹄が何処に依拠したかは不明で
ある
︒ ﹃
日用念謂﹄以降の典籍となると︑先の﹃浄業課