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ドキュメント内 教化研究 No.03 (ページ 111-115)

注⑤1895浄 土 芯 萄 宝 庫 注 ⑤1910浄土宗法要集 声明下巻 ふ 日 奄 呂 ツ 晴 律 ーし 暗

一 縛 ノ縛 、、、 縛 一 日 ノ日 、、、 日

、、、羅 薩J

注⑦1924浄土宗法要集上巻 注⑧1927厚誉本 注⑨現在

ー尚 一:ノ ン う

'‑0奄 様甲黄鐘 日奄 乙賞鐘 、、、‑暗 甲黄鐘 、、ぜ、‑ 0奄 目 黄宮出 出目調ー 様出日調 日 調様出 謁

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次に紹介するのは各声明の博士の変化についてである︒

①は宗定法要衆の末に明記されている恵隆の示した声

明譜である︒恵隆は大原向坊の人で元和三年(一六

)1

同九年(一六二三)大原で宮中の御機法講に出

仕していた人である︒其後大原での記録なく︑万治

年(一六五九)大原で没している︒

即ち

一六

二四

1一六五九年の間三十六年間が不明と

記してある0

:

( )

しかし︑上記の資料は大原向坊にあるが恵隆でなくて

隆富

山と

っている︒名前からすると別人である︒だがこ

の恵隆と隆恵が実は同一人物とすれば縁山は大原から声

明師を招いた事の実証が出来る︒今ではかなり困難な事

となったが︑その当時の大原で三千院門跡の名で﹃他宗

へ許可なく行くな﹄と言う事があった︒天台宗は学問宗

なのだと言う事だろう︒更に文縁山の中の言い伝えによ

ると大原から招いた声明師は︑大変に優遇された様子で

あった︒従って当時のおきてを破ってでも彼等魚山の声

明師達は他宗へ行こうとしたのである︒それほど貧しい と言う事である︒天台の考えの中に論湿寒貧と言う言葉

があるくらいである︒この様な経緯で恵隆は承応二年

(一六五三)浄土宗に対し縁山に於て声明譜等を表した

のである︒①1⑧迄の声明譜を四智讃の第二息迄にそろ

えて比較したのが次に示した縁山博士の時代による変化

である︒

以上の如く時代によって少しずつではあろうがおよそ

二百年以上と経過すると随分と異なるものである︒特に

徳川家の庇護受けた頃から︑大きく本流から脱し縁山独

‑ 104‑

自の旋律を創作した様である︒加えて前述の如く幕末の

動乱期には更に変化に跳んだ旋律が出︑これはもう新曲

に近い感す︑りするのである︒資料で示すなら大正十三年

版1昭和二年版辺りが著しい︒そして現在に至って博士

もきれいに整えられている︒資料というのは一

つに

結果

であ

って問題となる事は︑その様な旋律的結果になる迄

の過程があったと言う事である︒その様な動き始めた時

期︑即ち旋律的に変化し始めた時がおよそ数十年あって

ようやく資料として残るものである︒理由は様々な事が

言えるが一つはっきりと考えられる事は聞く方の側であ

る︒聞く方としてはやはり好まれない旋律があればこれ

は自然淘汰されようと︑その意味を踏まえた芸術性を考

える時︑より旋律が細かくなっており表現が豊かになる︒

従って唱える声明師もそれなりの努力が必要とされる

のである︒更に考えられる事は︑資料の中

: ・

: (

⑨)

山声明音譜では各調子︑出音︑呂律等が全んどの声明に

明記されている︒

古い縁山声明譜は十分な明記がなされていない︒

しか

し最近の唱法ではその全体の傾向として呂旋より律旋を

用いる事が多いのである︒なぜそうなるかとの問題は詳

しくはいずれの時に述べる事にするが︑呂より律が日本

人の感覚に合うと言う事だろうもっとわかりやすく言え

ばマイナーの旋律と言える︒従って律旋に於ける芸術性

と言うのは律の世界で論ずる必要がある︒例えて言えば

散撃の出である︒ガンガlとあるガlの延ばした箇所に

古い唱法と最近のそれとの相違が感じられる︒

その

Aの

音を延ばしどこまで上げ延ばすかによって呂・律がはっ きりする︒古譜時代呂旋法とするなら商が(ガ

l)

のナ

ヤスの音高とすると盤渉

( H )

となろう︒

しかし︑序々にそれは変化していた︒即ち感覚的に聞

くほうもマイナーを望んでいた訳である︒従って盤渉

(H)迄行かず一律下の変閤・即ち驚鐘(

#A)

近く迄

表現する様である︒こうなると壱越・平調・竪調・黄鐘

盤渉の五調子では表現出来ず十二調子を全て使わない

と表現出来なくなっている︒それ程現代人の耳が鋭く

なっている証拠である︒浄土宗縁山声明の芸術的特異な

‑ 105‑

点は実唱分野で既に十二調子となってしまっている事で

あると言える︒この事はより現代的な調子と言え︑聞く

方にも理解を深めよう︒現在の縁山声明の実唱的大きな

芸術性を感じられるのである︒

次に声明発声についてである︒古く記した書として天

明二年(

一七

八二

)に五音相通説︑五音連古

田説

::

:(

②)

と言うのがある︒此れを見ると自然の状態での発音が良

いと考えられる︒従ってその状態を保って発声すると言

う事であり西洋学に於ける発声の基本ではないかと考え

られる︒

様は澄んだ声を

出す為の物理的最良状態をこの

五音相通説・五音連声説は言っている

現在の縁山に於

ける声明指導でただ一つ欠けている所としてこの発声に

関して全く指導が無いと言う事である

︒又 他宗の現状も

ほぼ閉じ事が言える︒従って縁山での法儀師即ち声明伝

承者の声のまねをするしかないのが現状である︒しかし

声はまねられない側面があり閉じ四智讃でも乱々しく唱

える人あればどちらかと言うとそうではなく少しソフト

に唱える人もいるこの辺りは声明師の技量によると考

えられる特に縁山の声明で特異な諸々のフレー

ズ(鷲

の谷渡り

・暁

・柳

E n )

等の聞の取り方は個人の持味

が出る前述した様に大変に細かな旋律が出来ているの

でその個人個人の声明師の表現が微妙に異なるのであり︑

これは他宗のその事とは意味が異なる声明のフレーズに

特異なものがあり︑他宗には全くあり得ない表現であり

又豊かである為︑各声明師のずれが出てくるこの事は

他宗で同じ声明師が同じを声明を唱えてのいずれとは根

本的に異なる面であるあまりに繊細な為︑言い換えて

言えばその辺りも大いに芸術性の脈打つ箇所と号一号える︒

但し発声に関して

言えば今すす

4﹂し発声事態の指導があ

れば更に有難い事であろう

(声明発声の根源)

天明二年壬寅十一月に阿闇梨法印恵日寂明の記した五

音秘伝というものがある

五音秘伝

( 声 明発声に関して

)天

明二年壬寅十

一月吉

‑ 106‑

日 阿闇梨法印恵日寂明

‑五

音栢

通説

::

:(

注⑪

)

アイウエヲ

喉ノ奥カ喉土ニ属ス土用宮.此ノ一行ハ同ク喉音

ナル故五音相通ト云云

‑五音連声説

アカサタナハマヤラワ

全開也.

此横行ノ十声

ハ唇モ歯モ開ク故ニ全開

開 陽

" v  

ア カ タ ナ

注① l 注② i声明・施飢餓

et

c

注③

注④ l

注⑤

注⑥ l浄土宗法要集井声明譜附下巻明治四十三年版

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