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4. 総合考察

4.3. ニホンザルの遺伝的多様性把握としての本研究の重要性

本研究は、TAS2R38 の機能差の発見だけでなく、ニホンザルの各集団および ニホンザル全体での遺伝的多様性の把握という点でも大変重要な役割を持つ。

ニホンザルを対象にした集団遺伝学的な解析には、電気泳動法による血液タン パク質を解析した研究があげられる(野澤 1991)。この研究では日本全国、38 地域集団、3409個体のニホンザルを対象に、血液タンパク質32座位の解析が行 われた。塩基配列解読技術が進歩した後、特定の地域集団に着目した研究や

(Hayaishi and Kawamoto 2006; Kawamoto et al. 2008)、様々な集団で一個体のみ 解析して比較した研究はあるが(Kawamoto et al. 2007)、集団内、集団間での比 較はほとんど行われてこなかった。そのため、塩基配列レベルでのニホンザル 集団の遺伝的多様性は明らかになっていなかった。本研究では、苦味受容体遺

伝子TAS2R38 座位について、17 地域集団、597 個体の配列を決定し、また非コ

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ード領域9座位について、8地域集団64 個体の配列を決定した。ニホンザルの 遺伝的多様性を把握することは、日本の固有種であるニホンザルの個体数管理 の上でも大変重要である。以下に、本研究で明らかになったニホンザルの遺伝 的特性を先行研究(野澤 1991)と比較しながら示す。

血液タンパク質の解析で示されたニホンザルの遺伝的特性の一つ目として、

ニホンザルは他の種に比べて低変異性であることがあげられた。TAS2R38 にお ける塩基多様度πはヒトでは0.15 %(Kim et al. 2005)、チンパンジーではニシチ ンパンジーでは0.055 %、ヒガシチンパンジーでは0.071 %であった(Hayakawa et

al. 2012)。本研究のアカゲザル54個体では0.236 %で、ニホンザルでは、各集団

では0-0.247 %と様々な値を示し、ニホンザル全体の平均値としては0.142%であ

った(表 5)。TAS2R38 では、ニホンザルが、ヒトやチンパンジー、アカゲザル に比べて極端に低変異性であるという傾向は認められなかった。これは、

TAS2R38 に対してそれぞれの種で異なる選択圧が働いており、こういった選択

圧の影響が関係している可能性がある。一方で、非コード領域では 8 集団 9 座 位のみの値ではあるが、平均値は0.085 %であった。本研究で解析した9座位を 含む 27 座位の非コード領域の解析を行った先行研究では、カニクイザルで

0.352%、アカゲザルで0.277 %であり、非コード領域では他のマカクザルに比べ

て低い変異性を示した(Osada et al. 2010)。

先行研究で示された二つ目の遺伝的特性としては、変異型は種全体に均等に 分布せず、特定の地域に集中してあらわれる傾向があげられた。しかし、この 変異型は一つの群れに特異的にみられる場合は少なく、変異型は隣接した複数 の群れで共有されていることが示されている。本研究でも同様の傾向が見られ、

変異型アリルは複数の地域で共有されている場合が多く、地域特異的に存在し ている場合、頻度はとても低かった。PTC苦味非感受性アリルMf-Kが見つかっ

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た紀伊集団は、紀伊半島の西部に位置しており、同じ紀伊半島の東部に位置す る三重集団と比較することで、Mf-Kの存在意義を明確にする助けになると考え られる。そのため三重集団においても TAS2R38 および非コード領域の解析を行 った。非コード領域 9座位の FST値は 0.02 ととても低く、両者の集団間で頻繁 に遺伝的交流が起きていることを示唆した。また、TAS2R38 においても紀伊集 団で観察された6種類のアリルのうち、Mf-Kアリル以外の5つのアリルを共有 しており、うち、2つのアリルは紀伊、三重集団のみで観察されたアリルである。

このように、TAS2R38 でも先行研究と同様に、変異型が近隣集団で共有されて いる傾向が見られた。しかしながら、Mf-Kアリルのみ、先行研究の傾向から大 きく逸脱しており、このアリルの特殊性が示された。

また、本研究では、紀伊集団40個体について、TAS2R38の遺伝子領域を含む

約10 kbp配列長の塩基配列を決定した。TAS2R38上流領域では遺伝子組換えが

起きていることが示唆されたため、ネットワーク解析には用いなかったが、こ の領域中(3820 bp)の塩基多様度πは0.50 %となっており、下流領域(0.055 %)

や非コード領域(0.076 %)よりも10倍ほど高い値で、極めて高い多様性を示し た(図9)。この3820 bpの領域のハプロタイプは、(1)A-1、(2)A-2、B-1、J-1、

Q-1、(3)A-3~A-7、B-2、F-1、K-1の3つのグループに分けられた。紀伊集団40 個体80 染色体中、それぞれのグループでのハプロタイプ数は(1)が 15、(2)

が28、(3)が37となっており、どのグループでも同程度の数を示した。それぞ れのグループ間での分岐年代を推定すると、比較のためのどの組み合わせセッ トでも約 300 万年前という分岐年代を示した。これはニホンザルとアカゲザル の分岐年代の31-88万年前という値を大きく上回る。つまりニホンザル種内で種 間レベル以上の多様性をもつ領域を発見した。これらの多様性はマカクの共通 祖先からマカク全体で共有している可能性が示唆される。本研究では、TAS2R38

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の遺伝子領域のみを扱ってきたが、このTAS2R38上流領域ではTAS2R38の発現 制御やその他の機能を持ち、マカク全体でこの領域での多様性を維持してきた のかもしれない。

他にも、Mf-Kアリルの前駆ハプロタイプであるpreK-1は紀伊集団や近隣集団 には存在しておらず、地獄谷、波勝集団で見つかった。このことから、紀伊集 団は地獄谷、波勝集団と地理的には離れているが、過去には遺伝的交流があっ たことが示唆された。ミトコンドリアDNAの解析でも、紀伊半島のニホンザル は 近 畿 地 方 の 近 隣 集 団 と は 遺 伝 的 分 化 傾 向 が あ る こ と が 示 さ れ て い る

(Kawamoto et al. 2007)。preK-1ハプロタイプ自体はTAS2R38コーディング領域 ではMf-Bと同じアリルであり機能をもつが、紀伊地方に入ったあとに、開始コ ドンに変異を獲得したK-1(Mf-K)アリルのみ紀伊集団で拡散し、preK-1は遺伝 的浮動により紀伊地方では消失した可能性が考えられる。