第 5 章 漢語副詞の借用
5.1 漢語“也”に由来すると思われるチャハル方言における‘jəə’
5.1.3 チャハル方言における‘jəə’
5.1.3.1 チャハル方言における‘jəə’と漢語“也 ye”の音対応
チャハル方言では漢語の借用する場合、漢語の子音yはモンゴル語では jとして借用さ れる。例えば、“月饼 yuè bǐng”「月餅」はモンゴル語では‘jəəbəŋ’として、“牙膏 yá gāo”
「歯磨き粉」は‘jɑɑɡoo’として借用されるように漢語の子音yはチャハル方言では jと対応 する。また、漢語母音のe, ie, üeがチャハル方言では長母音の əə として借用される。例え ば、“河南 hé nán”「河南省」は‘xəənɑŋ’として、“姐姐 jiě jie”「姉」は‘ʤəəʤəə’として、“镢 头 jué tou”「くわ」は‘ʤəətuu’として借用される。特に、比較的はやめにモンゴル語に 定着した借用漢語ではこうした例は多く見られる。というのも、現在、漢語の借用が増え ていくにつれ、若者を中心に新しく借用されてくる漢語に関しては漢語のもとの発音を保 つ傾向があるためである。従って、漢語のyeがチャハル方言でjəə として借用されるのも 珍しいことではなく、“爷爷yé ye”「祖父」は ‘jəəjəə’と借用され、“输液shū yè”「点 滴注射」は‘ʃuujəə’と借用される例が見られる。そのため、漢語の“也ye”がチャハル
方言でjəə として借用されるのは音対応面では何ら問題がない。
5.1.3.2 ‛jəə’の機能について
チャハル方言における‛jəə’には、‛jəə’を介して、疑問代名詞と結び付き「全否定」
か「任意肯定」を表す機能、単数表現と否定辞を結びつき「否定」を表す機能、動詞と否 定辞を結び付き「否定」を表す機能、また、譲歩を表す機能、同類を表す機能、二つの動 詞を結ぶことによって該当動作がすでに起きたことを強調するなど機能がある。
1.「全否定」か「任意肯定」
‘jəə’は疑問代名詞と結び「全否定」か「任意肯定」を示すことができ、疑問代名詞と 述語表現が‘jəə’を介して結びつく。
099 bii juu jəə id‐dəɡ ɡue.(22Y1028) 私 疑問 食べる‐形動 否定
私は何も食べない。
100 xəŋ jəə xɪmtəxəŋ ɡəʤ xəl‐əx jiŋ.(05B0673) 疑問 jəə 安い と 言う‐形動 肯定
誰もが安いと言う。
86 2. 単数表現と否定辞の結びつきによる「否定」
‘jəə’は単数表現と否定辞を結ぶつけ、「否定」を表すことができる。
101 xxx nad‐tɛɛ nəɡ uɡ jəə jɛr‐səŋ ɡue.(23M1021) 人名 私‐共同格 一つ 言葉 jəə 言う‐形動・完了 否定
xxxは私に一言も言葉をかけなかった。
102 tərən‐əəs xœœš nəɡ jəə uʤ‐səŋ ɡue.(04G0751) あれ‐奪格 後 一つ jəə 見る‐形動・完了 否定
あれから一度も見てない。
3. 動詞と動詞の否定形の結び付きによる「否定」
jəə は重複する二つの動詞と否定詞を結び、その動作が行われなかったことを表す。こ
の場合jəə に前置する動詞は常に語幹の形であり、「動詞語幹+jәә+動詞(否定)」の形で
文が構成される。
103 nud ɡɵʃɵɵd dɔtәr әb ɡue œrɡ‐ɔɔd xɑr jɑɑ xɑr‐sәŋ ɡue.(11O0844) 目 疲れる 中 調子悪い する‐副動 見る jәә 見る‐形動 否定
目が疲れて調子が悪いから(長距離バスのテレビを) 見ようともしなった。
104 doɡar jɑɑ doɡər‐səŋ ɡue dəəš‐əəŋ ɡar‐aad 話す jəə 話す‐形動 否定 上‐再帰所属 上がる‐副動 jɛb‐ʧəx‐səŋ. (20G0799)
行く‐完了相‐形動
一言も言わずに上にあがりました。
4.譲歩構文の場合
‛jəə’が譲歩構文に現れる場合、‛jəə’に前置する動詞は 100 のような副動詞変化形や 形動詞変化形がある一方で、101、102のような動詞語幹形のままで現れることもある。
105 da xue‐d‐ ʧin ɔr‐ʧəx‐ɔɔd jɔɔ bɛɛbɛd, ɡar‐ʤ 大学(漢語)‐与位格‐2人称所属 入る‐完了‐副動 jəə 無駄 出る‐副動
87 ir‐əəd aʤəl ɔləx ɡuɛ.(05G0773)
来る‐副動 仕事 見つかる 否定
大学に入っても無駄ですよ、卒業した後に仕事も見つからないから。
106 ɵŋɡ‐iiɡ‐n uʤ jəə ɪlɡ‐ʧix‐ən.(10B0702) 色‐対格‐3人称所属 見る jəə 識別する‐完了相‐現在 色を見れば分かる(色を見るだけでも判断できる)。
107 ɵndəɡ‐iiɡ‐n bing xiang‐d xii jəə bɔlən.(01N0863)
卵‐対格‐3人称所属 冷蔵庫‐与位格 入れる jəə いい
卵は冷蔵庫に入れてもいいですよ。
5.同類を表す
‛jəə’は、それに前置する要素と文脈上対照されるものが存在し、その対照対象と同類 である、或いは同じであることを表す。
108 ən jəə dɔs‐ool‐əx dor ɡue.(19G0798) 3SG jəə 迎える‐使役態‐形動 好き 否定
この子も迎えに行かせたくない。
109 bii jәә dor ɡue.(10O0838) 1SG jәә 好き 否定
私も好きじゃない。
110 bi jəə wen ke sor‐səŋ ɡuɛ, li ke sor‐səŋ bəl.(23M1021) 私 jəə 文系 学ぶ‐形動 否定 理系 学ぶ‐形動 なら
私も文系じゃなく理系を選んだらよかった。
108、109、110 では、「ほかの誰か」と同様に「この子も迎えに行かせたくない」、「私
も好きじゃない」「私も理系を学べばよかった」という意味を表す。
本節でまとめた‛jəə’の機能を、モンゴル語固有の小辞‛ʧ, ʧilee, bɑs’の基本機能と前
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節でまとめた漢語の“也”の機能と比較してみると以下の表17のようになる。
表17
機能 也 jəə ʧ ʧilee bɑs 疑問詞と結び付き全否定
か任意肯定を表す
全否定 + + + - - 任意肯定 - + + + - 単数表現と結び付きによる否定 + + + - - 動詞と動詞の否定形の結び付きによる否定 + + - - -
同類を表す + + + - +
動詞語幹形に付き譲歩文を作る + - - -
表から分かるように、‛ʧilee’と‛bɑs’はそれぞれ「任意肯定を表す」機能と「同類」
を表す機能だけで‛jəə’と同じ働きをするが、‛ʧ’と漢語の“也”はより多くの点で‛jəə’
と重なる。同じ機能として働く場合、‛jəə’と‛ʧ’は構文上同じ位置に現れるため、この 二つの要素は全く同じ働きをすることが分かる。しかし注目すべき点は、まず‛jəə’にお ける【動詞語幹+jәә+動詞(否定)】構文について、モンゴル語の固有要素‛ʧ, ʧilee, bɑs’
には確認できず、漢語“也”と同じ機能をすることを確認できたこと。そして、最後の「動 詞語幹形に付き譲歩文を作る」機能でも、モンゴル語の固有要素の‛ʧ’や‛ʧilee’に同じ 機能が確認できなかったことである。なお、後者について、漢語は動詞の活用体系を持た ないため、表の“也”の欄は空けておいた。次節では、この二つの問題点をめぐって用例 をあげながら考察を行いたい。
5.1.4 ‘jəə’特有の文法的特徴
前節では‛jəə’の「動詞と動詞の否定形の結び付きによる否定」と「動詞語幹形に付き 譲歩文を作る」という二つの機能について、モンゴル語固有小辞‘ʧ, ʧilee, bɑs’に同じ機 能が確認できず、「動詞と動詞の否定形の結び付きによる否定」機能については漢語の“也”
と同じ機能が確認された。例えば、111a, 112a, 113aにおける‘jəə’を‘ʧ/ʧilee/bɑs’に 置き換えると111b, 112b, 113bに示した通り非文になり、文が成り立たない。
111a nud ɡɵʃɵɵd dɔtәr әb ɡue œrɡ‐ɔɔd xɑr jɑɑ xɑr‐sәŋ ɡue.(11O0844) 目 疲れる 中 調子悪い する‐副動 見る jәә 見る‐形動 否定
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目が疲れて調子が悪いから(長距離バスのテレビを) 見ようともしなった。
*111b nud ɡɵʃɵɵd dɔtәr әb ɡue œrɡ‐ɔɔd xɑr ʧ/ʧilee/bɑs xɑr‐sәŋ ɡue.
目 疲れる 中 調子悪い する‐副動 見る 見る‐形動 否定
112a doɡər jɑɑ doɡər‐səŋ ɡuɛ dəəš‐əəŋ ɡar‐aad 話す jəə 話す‐形動 否定 上‐再帰所属 上がる‐副動 jɛb‐ʧəx‐səŋ.(20G0799)
行く‐完了相‐形動
一言も言わずに上にあがりました。
*112b doɡər ʧ/ʧilee/bɑs doɡar‐səŋ ɡuɛ dəəš‐əəŋ ɡər‐aad jɛb‐ʧəx‐səŋ.
話す 話す‐形動 否定 上‐再帰所属 上がる‐副動 行く‐完了相‐形動
113a ɵŋɡ‐iiɡ‐n uʤ jəə ɪləɡ‐ʧəx‐ən.(10B0702)
色‐対格‐3人称所属 見る jəə 識別する‐完了相‐現在
色を見ても判断できる。
*113b ɵŋɡ‐iiɡ‐n uʤ ʧ/ʧilee/bɑs ɪləɡ‐ʧəx‐ən.
色‐対格‐3人称所属 見る 識別する‐完了相‐現在
これら二つの構文には一つ共通点がある。それは、‛jəə’に前置する動詞が語幹形で現 れることである。本来、モンゴル語では動詞は命令を表す場合にゼロ接辞の形式として見 かけ上語幹のままで現れることはあるが、小辞の前に語幹形で現れることはない。本稿で はこの二つの構造をそれぞれ【動詞語幹+jәә+動詞(否定)】と【動詞語幹+jəə】とする。
【動詞語幹+jәә+動詞(否定)】構文に関しては、漢語“也”について先行研究ですで に言及されている【V+也+不/没VP】構造を複製したのではないかと考える。【動詞語幹
+jәә+動詞(否定)】構文の場合、話者の言いたい内容は‛jəə’に後置する【動詞(否定)】 であり、‛jəə’に前置する動詞ではない。この構造と性質が漢語の“也”と同様である。
用例 109a に示したように、モンゴル語の【動詞語幹+jәә+動詞(否定)】の部分は漢語 では作例のように【V+也+不/没 VP】構造で現れ、それぞれの文で話者の言いたい内容 は‛xɑr‐sәŋ ɡue’「見なかった」と“没看”「見なかった」である。しかし、このような文
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をモンゴル語固有の小辞で示す場合は、例114bに示したように、必ず【動詞(形動・副動)
+ʧ+否定】構造をとらなければいけないのである。
114a nud ɡɵʃɵɵd dɔtәr әb ɡue œrɡ‐ɔɔd xɑr jɑɑ xɑr‐sәŋ ɡue.(11O0844) 目 疲れる 中 調子悪い する‐副動 見る jәә 見る‐形動 否定
目が疲れて調子が悪いから(長距離バスのテレビを)見ようともしなった。
【漢】看 也 没 看。(作例)
見る 也 否定 見る 見ようともしなかった。
114b nud ɡɵʃɵɵd dɔtәr әb ɡue œrɡ‐ɔɔd xɑr‐sәŋ ʧ ɡue.
目 疲れる 中 気分悪い する‐副動 見る‐形動 否定
目が疲れて気分が悪いから(長距離バスのテレビを)見ようともしなった。
【動詞語幹+jəə】構文で譲歩文を作る場合に関しては、動詞が語幹形で現れるのがポイ ントであり、用例115aは漢語で表すと作例のように【漢語動詞+也】構造になり、115a と似たような構造を持っているかのように見えるが、漢語は活用体系を持たない言語であ るため、この構造は漢語から複製であるか否かについての判断はしにくい。そして、この 構造の場合、モンゴル語の譲歩を表す副動詞接尾辞の‐bʧ を動詞の語幹に付けることによ って、譲歩文を作ることもできる。例えば、115aと全く同じ意味で115bが言えるのであ る。よって、‛jəə’はチャハル方言の中で、モンゴル語固有小辞‛ʧ’の一部役割を担って いるとともに、譲歩文を作る場合は、動詞接尾辞である‐bʧ の役割も担っていることが分 かる。
115a әŋɡәәd bɔɔ jɔɔ bɔlәn lɑdɑɑ.(10O0837) こう 縛る jәә いい 確認
こんなふうに縛ってもいいじゃない。
【漢】这样 绑 也 可以 嘛。(作例) こう 縛る 也 いい 間投詞 こんなふうに縛ってもいいじゃない。