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シャリーアにおけるナジャス(穢れ)の イスティハーラ(変質)

柏 原 良 英

まえがき

 日本へのイスラーム圏からの観光客の増加と積極的な誘致の流れの中で、俄 かに巻き起こったハラール ( シャリーアにおける合法 ) 問題により、一般の日 本人にもハラールという言葉は浸透してきた。しかし、その実態として何がハ ラールで何がその反対の概念であるハラーム(禁止)であるかについては、残 念ながら明確には認識されるところまで至っていないのが実情であろう。豚と 酒の禁止については知られているが、豚以外の鳥や牛であってもイスラーム的 な屠畜のされていないものも禁じられていることを知らないと折角のもてなし も無駄になり、お互いに不愉快な気分になることも起きる。そこで求められる のは、シャリーアに対する正しい理解であろう。ただし一方では、シャリーア が一つに統一されていて一つの考えで全ての規定が済まない場合もあることも シャリーアの多様性として認識しておく必要もある。それはシャリーアが、4 つの法学派を受け入れていることで法学間の意見の相違が現れることがあり、

どの意見を取るかは個人なり、その社会のマジョリティーの選択に係っている からである。

 ここで取り上げるイスティハーラについても穢れ(ナジャス)がこのイスティ ハーラによって清められると言う考えがある。そこには、学派による見解の相 違がみられる問題ではあるが、それらの相違を知っておくことによって相手の 立場を理解する上で有益になると信じている。

1.イスティハーラの意味

 語義としては、物の性質や本質の変化(注1)

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 定義としては、その物にあるナジャス(穢れ)の性質が無くなることで、そ の性質や概念が取り替えられること。(注2)

 ナジャスが取り替えられ他のものにイスティハーラすると、それはナジャス からターヒル(清浄)になる。例えば、塩が骨や肉を変化させて塩になったと すると、それは塩としての規定になる。同じように母親の胎内の凝血はナジャ スだが胎児になった時、それは清浄になる。ジュースは、清浄だが酒になった 時には、ナジャスとなり、更にそれが酢になると清浄になる。つまりそのもの をイスティハーラすることは、元の性質をなくすことを伴うことになる。

 ワハバ・アッズハイリー博士は、イスティハーラの意味として次のように語っ ている。「それは、ナジャスそのものがそれ自身あるいは仲介によって変化す ることで、ガザルの血液が香水のムスクになったり、酒が自然にあるいは仲介 によって酢になったり、犬の遺骸が塩になったり、汚物が焼かれて炭になった り、穢れた油が石鹸になったり、・・・これらナジャスは、イスティハーラさ れその性質が交換されたときそのナジャスは、そのものからなくなったことに なる。それはその性質を持つ名前になる。(注3)

 これらのことからイスティハーラの定義は、ナジャスを持ったものが、その 性質が変換され、無くなる事で元の名前が無くなり、新たな性質にふさわしい 名前になる変化のこととなる。またそれはナジャスの原因がなくなることで清 浄になる。この規定は、ハナフィー学派とザーヒリー派とマーリク学派とハン バル学派の一部で受け入れられている。

2.イスティハーラによってナジャス(穢れ)な物が清浄になると する学者の見解

 ハナフィー学派とマーリク学派とハンバル学派の一部の学者は、アフマド・

ブン・ハンバルの伝承を根拠に、「ナジャスな物は、イスティハーラによって 清浄になる。」とする。故に、ナジャスな物の灰は、ナジャスではなくなる。

ロバや豚などナジャスな動物でも塩になった時、それはナジャスではなくな る。それは酒が酢に自らあるいは人の手によって変わると同じで、その物が変

シャリーアにおけるナジャス(穢れ)のイスティハーラ(変質)

化することである。何故ならその規定は、その時、ナジャスの属性を次の実態 へ演繹するからであり、その不在がナジャスの否定になる。もし骨や肉が塩に なったらそれは塩の規定に従う。何故なら塩は、塩であり骨や肉ではないから である。このようにその物がイスティハーラすることは、その物に定着してい る属性を消滅させることである。これは共通の認識になるが、それぞれの学派 ごとのより詳細な見解を次に見ていく。

(1)マーリク学派

 マーリク学派は、イスティハーラしたものが健全であるとき、それは清浄と なり、もしそれが不健全であるときには、ナジャスとなる。マーリク学派のフィ クフ(法学)の原典「アッシャルフ・アルカビール」には「人間の乳はイスティ ハーラによって健全なものとなった時それはターヒル(清浄)であるが、それ が飲まれて胃の中でしばらく留まり嘔吐物として出されたときには、ナジャス になる。何故ならそれはイスティハーラによって不健全な物となったからであ る。もしそれが変わらずそのままであればターヒルとなる。」

 このようにマーリク派では、血液がイスティハーラによって変わった香水ム スクは、ターヒルと見なす。これらの例からイスティハーラの解釈として類推 によって以下の事柄がこの範疇に入ってくる。

1)人間が焼かれて灰になった時、その灰はマーリク学派では、ターヒルとな る。それを持って礼拝をしてもその礼拝は受け入れられる。また健康を害さな ければそれを食する事も出来る。その清浄性の根拠は、イスティハーラである。

何故なら火がその穢れの属性を焼くことで消してしまったからである。そこに は色も匂いも味も存在しておらず穢れの痕跡が消えているのである。しかし、

その本質は残っていて、消えたのはその属性である。つまり灰そのものの色と 物自体は、灰そのものの本質的な属性になる。穢れの属性は消えることで灰と 言う清浄なものとなったのである。これがイスティハーラの意味であり規則で ある。穢れが糞であっても遺骸であっても豚であっても区別はない。

2)酒がイスティハーラによって酢に変わった時、それは酒が禁じられている 原因である酩酊という属性が消えたことで、その穢れも名称も酒から酢へと変

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化したことになる。同時にその規則もハラーム(非合法)からハラール(合法)

に変わったのである。その根拠は、ハディース「最も良いおかずは、酢である」

3)死肉の革もイスティハーラによって清浄になる。それはなめす事による。

これを清浄とする学者は、なめしは生の位置に属するもので、生は死に対峙す るものであるからタハーラになるとする。皮は、なめす前は死でおり、なめす ことで意味的な生を与えられ清浄になる。生はタハーラの根拠であり、死はナ ジャスの原因である。何故なら死は、穢れや不浄や不潔を集める原因になり、

なめしはそれらを払拭し健全なものへ戻すことになるからである。

 しかし、豚のなめし皮については見解が学者によって異なっている。大勢と しては、豚皮は、なめしによっても清浄にはならないとする。しかしイブヌ・

アル=ハラスは、マーリクが豚の皮はなめしによってマクルーフ(嫌われるも の)となるが、ハラームではないと語ったと伝えていてそれを認めている。

 穢れを無くすやり方として水でそれを取り除くが、酒が酢になるようにイス ティハーラによるか、糞が動物に食べられてその肉になるか、なめしのように 汚れを取り除きイスティハーラによって形態を変えることがある。豚皮がなめ しによって清浄になるとする時は、それによって生が与えられるからで生は腐 敗を止め清浄の原因となるからである。

 またアル=ハフィード・イブヌ・ルシュドは、著書「ビダーヤ・アル=ムジュ タヒド」でアリーとイブヌ・アッバースとイブヌ・ウマルが穢れた油をランプ で使うために売買することを認めていると伝えた。

 またアル=カラーフィーは、著書「アッザヒーラ」の中で、全ての法規則は、

理由がなければならず清浄の理由は穢れがないことである。穢れの規則は、ハ ラームでハラームの原因がなくなればそれはハラールになる。例えば酒の禁止 の原因が酩酊であるならそれがなくなる時、酢のようにハラールになるとその 原則を語っている。

(2)ハナフィー学派

 ハナフィー学派は、マーリク学派と同じくイスティハーラによって穢れが消