第3章 2013年サリナス・ケース連邦最高裁判決
第1節 2013年サリナス・ケース連邦最高裁判決の位置づけ
本判決が登場する以前から、捜査実務では、非身柄拘束下での取調べを活 用することは、取調べの方法として広く推奨されていた114)。非身柄拘束下 での黙秘の実質証拠としての利用を認めた本判決は、学説上、警察に対して、
当該黙秘の実質証拠としての利用を促し、ミランダ告知と身柄拘束を巧みに 遅らせるように動機づけることで、警察による非身柄拘束下での取調べの活 用をより一般化してしまいかねないものと位置づけられている115)。また、
113) Salinas (n. 9). 本判決については、英米刑事法研究会「英米刑事法研究(27)」比較法学48 巻1号(2014)265頁以下、268頁(田中俊彦担当部分)、座談会「合衆国最高裁判所2012-2013 年開廷期重要判例概観」アメリカ法2013年1号(2013)198頁以下、252-255頁(笹倉宏紀担当)。
山田峻悠「アメリカ合衆国における捜査段階の黙秘と不利益推認」比較法雑誌51巻3号(2017)
157頁以下も参照。
114) FRED INBAUETAL., CRIMINAL INTERROGATIONAND CONFESSIONS 5-9, 20-21, 93 (4th ed., 2004). 宮川 恵三「米国の取調べテクニック」捜査研究733号(2012)17頁以下、23頁および脚注49、50に よると、本書は、アメリカにおいて最も普及し、影響力のある取調べテクニックであるリード
=テクニック(”Reid-Technique”)について、その開発者らが体系的に解説したものであると される。
115) Donovan, Supra note 108, at 222; Sangero and Merin, Supra note 112, at 78; Strandberg, Supra note 108, at 625. See also, Mowad, Supra note 112. また、意図的に身柄拘束やミラン ダ告知を遅らせることで、ミランダ法則の保護を回避しようとするアプローチを採用した警察 が、被疑者に対し、黙秘が後に不利に働く場合があると告げることで供述を獲得するというよ うな運用を行うようになることが、本判決によって助長されるとの予測もなされている。Neal Davis and Dick Deguerin, Silence Is No Longer Golden: How Lawyers Must Now Advise Suspects in Light of Salinas v. Texas, <http://www.lexisnexis.com/lnacui2api/results/
docview/docview.do?docLinkInd=true&risb=21_T27635434002&format=GNBFI&sort=RELEVA NCE&startDocNo=1&resultsUrlKey=29_T27635434006&cisb=22_T27635434005&treeMax=true
&treeWidth=0&csi=154153&docNo=1>. See also, Matthew Thompson Jr, Salinas v. Texas: the Fifth Amendment Self-Incrimination Burden, 43 Capital University Law Review 19, 42 (2015)
; Christopher Totten, Salinas v. Texas: Guilt by Silence and the Disappearing Fifth Amendment Privilege against Self Incrimination, 49 CriminalLawBulletin 1501, 1512-1513
そのような一般化に向けた動きは、ミランダ法則に多くの例外を設けること でその効力の弱体化を図るという、ミランダ法則に対する「切り崩し116)」
(2013). 本判決に先立ち同旨の見解を示していたものとして、Notz, Supra note 77, at 1033。
さらに、非身柄拘束下での任意取調べの特徴として、明確な規律を欠き、記録されず、それゆ えに「自白の汚染(confession contamination)」を招く危険がありがちであるという点があげ られている。Brandon Garrett, Remaining Silent after Salinas, 80 University of Chicago Law Review Dialogue 116, 118 (2013). 虚偽自白のメカニズムと「自白の汚染」の危険性、すなわち、
取調官が被疑者に対して被疑事実に関する重要な事実をリークしたうえでなされる自白の危険 性については、川崎英明「誤判と刑事司法改革」浅田和茂他『刑事法理論の探求と発見』(成 文堂、2012)227頁以下、231-235頁も参照。
116) ミランダ法則に対する「切り崩し」については、”chipaway”(BerniceDonaldandNicole Langston, Fifty Years Later and Miranda Still Leaves Us with Questions, 50 Texas Tech Law Review 1, 11, n. 84 (2017))、”undercut”(Kerr, Supra note 62, at 501)、”death-by-a-thousand-cuts”(Garrett, Supra note 115, at 116-117)といった表現が用いられている。Donald and Langston, Supra note 116, at 11, n. 84では、ミランダ法則を「切り崩し」てきた一連の司法判 断の例として、以下の合衆国連邦最高裁判決があげられている。①ミランダ法則に違反し、弁 護人依頼権の告知なしに獲得された供述について、その弾劾利用を認めた判決(Harris v. New York, 401 U.S. 222, 226 (1971))、②ミランダ法則に反し、国選弁護人選任権の告知がなされな いまま行われた取調べにおいて獲得された証拠から生じた派生証拠に対し、「毒樹の果実」の 理論の適用を否定し、その証拠利用を認めた判決(Michiganv.Tucker, 417 U.S. 433, 451-452
(1974))、③保護観察官との面会を要求した少年による有効な放棄を認定した判決(Fare v.
Michael C., 442 U.S. 707, 729 (1979))、④被疑者が弁護人依頼権を行使したことに伴い打ち切 られた取調べを再開する場合、被疑者が自ら会話を開始しない限り、弁護人の立会いに先立ち 取調べを再開することは許されないとするエドワーズ判決の法理を前提に、被疑者が、警察と の会話を再開したと認められるかどうかについて、より緩やかな基準を確立した判決(Oregon v. Bradshaw, 462 U.S. 1039, 1044-1045 (1983))、⑤公共の安全に対する脅威を理由とする例外 を認めた判決(New York v. Quarles, 467 U.S. 649, 656 (1984))、⑥ミランダ法則に反して獲得 された証拠から生じた派生証拠に対して「毒樹の果実」の理論の適用を制限した判決(Oregon v.Elstad, 470 U.S. 298, 304、317-318 (1985))、⑦警察官が、被疑者との接見を求めて弁護人 が来ている事実を被疑者に告げなかったにもかかわらず、その被疑者による放棄の任意性を肯 定した判決(Moran v. Burbine, 475 U.S. 412, 415, 433-434 (1986))、⑧深刻な精神障害を患う 被疑者であってもそのミランダの権利を任意に放棄することはできるとした判決(Colorado v.
Connelly, 479 U.S. 157, 162, 170-171 (1986))、⑨通常の容疑者逮捕手続(routine booking)に おける質問についての例外を認めた判決(Pennsylvania v. Muniz, 496 U.S. 582, 601 (1990))、
⑩潜入・身分秘匿捜査官による質問についての例外を認めた判決(Illinois v. Perkins, 496 U.S.
292, 300 (1990))、⑪ミランダ法則の下での弁護人の援助を受ける権利を行使する被疑者が、
原則として、その行使に際してその旨を明確に言葉にすることが要求されるとした判決(Davis v. United States, 512 U.S. 452, 459 (1994))、⑫弁護人による同席を求める身柄拘束中の被疑者 に対し、その権利の「明確な行使」を要求した判決(Maryland v. Shatzer, 559 U.S. 98, 130
(2010))、⑬ミランダ告知後、被疑者が長時間黙秘するだけでは黙秘権を行使したとはいえな いとした判決(Berghuis v Thompkins, 560 U. S. 370, 388-389 (2010))。
の一環としても受け止められている117)。これまでミランダ法則に例外が設 けられてきた背景には、次のような事情があった。すなわち、1960年から 1970年代にかけて、都市部の治安が急激に悪化し、1981年にはアメリカ史上 最悪の犯罪認知件数118)が記録される中、ミランダ法則が自白率の低下を招 き、証拠収集の困難を招いているとして、刑事司法の実効性が危惧されてき たとの事情である119)。もっとも、そうした事情の前提にある、ミランダ法 則により刑事司法の実効性が損なわれるとの見方に対しては、同法則による 自白率または有罪率の変動はほとんど認められず、捜査実務に対する重大な 悪影響はないとの反論が有力に示されてきた120)。そのため、ミランダ法則
117) Donald and Langston, Supra note 116, at 11, n.84; Donovan, Supra note 108, at 229. See also, Holland, Supra note 46; Andrew Odom, Speak, or Be Sentenced: the High Price of Pre-Arrest Silence, 5 Faulkner Law Review 335, 335, 350, 356 (2013); Totten, Supra note 115, at 1501, 1518, n. 62.
118) 小林武仁「最近の米国の治安情勢」警察学論集39巻9号(1986)39頁以下、41頁。ここには、
連邦捜査局が発表する統一犯罪報告書(Uniform Crime Report)をもとに作成された犯罪発生 状況に関する表が掲載されている。
119) 証拠収集の困難化の観点からミランダ・ケース連邦最高裁判決を批判する文献として、
Paul Cassell, Miranda’s Social Costs: an Empirical Reassessment, 90 Northwestern University Law Review 387, 389-391 (1995); Edwin Meese III, Promoting Truth in the Courtroom, 40 Vanderbilt Law Review 271, 272-273 (1987); Stephen Markman, The Fifth Amendment and Custodial Questioning: a Response to Reconsidering Miranda, 54.3 The University of Chicago Law Review 938, 945-48 (1987); Gerald Caplan, Questioning Miranda, 38 Vanderbilt Law Review 1419, 1417 (1985)をあげることができる。このうち、”Miranda’s Social Costs: an
Empirical Reassessment”は、小早川義則「取調べ受忍義務再論」法律時報83巻2号(2011)
10頁以下、13頁によると、強硬なミランダ法則廃止論者として知られるポール=カッセル教授 により執筆され、同法則の成立の30年後に、同判決に対する賛否を巡る論争が再燃したきっか けの1つであるとされる。英米刑事法研究会・前掲注(113)268頁(田中俊彦担当部分)、宮川・
前掲注(114)82頁も参照。また、榎本正也「アメリカ合衆国における暴力犯罪の実情」法務 総合研究所研究部紀要27号(1984)173頁以下、175頁では、1960年代半ば以降のアメリカにお ける治安悪化の要因として比較的よく言及されるものの1つに、都市化があげられている。な お、本判決の相対的多数意見も、理由づけの1つとして、犯罪捜査における捜査機関の利益へ の配慮をあげ、非身柄拘束下での被疑者の黙秘を特権の行使とみなさなければならないとすれ ば、ミランダ法則の要請と相まって捜査当局に過大な負担を課すことになると判示している。
Salinas (n. 9), at 2180-2181. See also, Strandberg, Supra note 108, at 595.
120) Yale Kamisar, Remembering the Old World of Criminal Procedure: A Reply to Professor Grano, 23 University of Michigan Journal of Law Reform 537, 585 (1989); Welsh White,
に例外を設けようとする動きの一環として登場した本判決を、「犯罪統制」
政策(“crime control” agenda)や保守主義のイデオロギーに傾倒する裁判所 の、自己負罪拒否特権の保障範囲の拡大に歯止めをかけようとする姿勢が反 映されたものと見る向きもある121)。
第2節 2013年サリナス・ケース連邦最高裁判決以前の非身柄拘束