\ ヽ︑ヽ︑
. じ
\︑ヽぃ
技芸部構麟練 050m
∞﹃
樹 武家屋敷地区第1地点調査1区と第7地点調査区の関係 Fi319 Location of BKl and BK7
B K
. 正鹸鰯螂
BXク 図19
明治初頭頃の畑耕作土が残存 しているのが確認 され、 これを2層とした。第
4地
点での経験か ら、明治初頭の畑 耕作土 には、江戸時代の遺物が多数入 り込んでいることが予想 されたため、2層上面か ら精査 を行 うこととして、周辺 は2層上面の精査 までを行 った。
この試掘 区周辺の先行調査 と併行 して、 4月19日 よ り支障物撤去や仮囲設置な どを進め、23日か ら段差西側の 調査範囲全体の重機掘削 を開始 した。重機掘削 は 5月 2日 に終了 した。
連体明けの 5月 7日 か ら、作業員 を投入 した。先行する部分的な調査 によって、
2層
上面 に畑の畝状の遺構が 存在す ることが明 らか となっていたため、2層
が露出するまで重機で除去す ると、畝状遺構 を壊 して しまうおそ れがあった。そのため、1層
としてまとめた表土や近代以降の盛土 は、若千残 して除去 した。残 った1層の除去と、攪乱内の埋上の除去か ら作業 を開始 した。
川内地区の調査 では、大規模 な攪乱が多 く存在するのが通常である。 これ らの攪乱の中には、かな り深い もの も多いが、深 さの大小 にかかわ らず、最初の段階で全て掘 り上げることを基本方針 としている。 これは、井戸 な どの深い遺構が、攪乱の底面で検 出される可能性 もあることと、攪乱内の埋土 に由来する新 しい遺物の混入 を防 ぐことが 目的である。 また、整地層 をはさむ複雑 な遺構の様相 を把握す るため、調査の最初の段 階で攪乱 を完全 に掘 り上げ、断面 を充分 に観察で きるようにす るためで もある。
今 回の調査 区で も、近代以降の攪乱が各所 に存在 し、全体 的な保存状態 は良好 とは言 えない (図20)。 2層上 面 まで達 しているものが広範囲に存在す る。調査 区西 よ りの
C列
を、調査 区を南北 に横切 っている大規模 な攪乱 は、米軍の共同溝 によるものである。米軍共同溝 内の掘 り方は、底面の凹凸が激 しく、重機で除去 しきれない埋 土が多量 に残 り、除去 に手間取 った。攪乱内の埋土 を完全 に除去 し、その中に深 い遺構がない ことを確認 した。この米軍共同溝の掘 り方 は、場所 によってかな り深 くな り危険なため、
2層
上面の精査が終了 し、全景写真 を撮 影 した後 に、一定の深 さまで埋 め戻す こととした。F・
G‑5区
か らFoG‑9区
にかけて南北 に並ぶ、3ヶ
所のほぼ方形の攪乱 は、大学造成時に重機で掘 られ た ものである。東北大学が川内北地区を利用す るようになってか らしば らくは、米軍キヤンプの建物 を使用 して いた。大学での建物 の建設が進め られるとともに、 これ らの米軍時代の建物が壊 されていったが、その時の廃材 と思われるガラスな どが大量 に捨 て られていた。B〜 D‑4区
か らB〜 D‑7区
にかけて並ぶ方形の攪乱 は、大 きな礎石が2〜 3個
重ねて入れ られているもの で、第4地
点で も同様の礎石が発見 されている (年報13)。 これ らは、陸軍第二師団の建物の基礎 と考 えられる。E〜 H‑2区
か らE〜 H‑7区
にかけて並ぶ方形の攪乱は、掘 り方の内側 いっぱいにまで コンクリー トが充填 さ れた もので、米軍時代の建物の基礎 と考え られる。H〜 J‑10。
11区の、段差の脇 にあるほぼ長方形の攪乱 には、周囲の壁 に沿って丸太 を組み上げたような施設が、一部残 っていた。おそ らく、段差か ら横 に入 る形で造 られた 防空壕 と思われる。
これ らの大規模 な攪乱以外 にも、大小 の攪乱が存在する。攪乱内の埋上の除去 にあたっては、重機 も利用 した が、周囲を破壊 しかねない場合 には、手掘 りによって掘 り上げているもの も多 い。攪乱の中には、掘 り方の内側 いっぱい まで コンクリー トが充填 されている場合 もあ り、重機で撤去すると、周囲の地層 を破壊 して しまう。そ のため、 コンクリー トの破砕のため、電動ハ ンマーを多用 した。 この ような状況のため、攪乱の掘 り上げ と清掃 に予想以上 に手間取 り、一部は 6月 下旬 までを要 した。 これが終了 した部分か ら、順次精査 に移 った。
精査 は、
2層
上面か ら開始 した。2層は畑の耕作土 として使用 された部分 もあ り、全体 に遺構 は少 な く、7月
6日 に終了 した。その後、
2層
以下 を掘 り下げつつ、順次遺構 を確認 して精査 を続 けた。段差の東側 については、排土置 き場 としていた関係 と、 この場所 に置かれていた自転車置 き場の撤去作業の 日 程か ら、
9月
29日か ら10月 5日 に、重機での掘削 を実施 した。建設予定範囲全体 にわたって表土 を除去 したが、さらに深 くまで近代以降の盛土が続いていることが明 らか となった。そのため、江戸時代の遺構面が残存 してい