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31 

武家屋敷地区第7地点 I期 の遺構 (4)

Fig31 Features bebnging to phase l at BK7(4)

を と ご

:,3

9号土坑 13号土坑

13号土坑

1 10YR4/3にぶい黄褐色 シル ト 粘性弱 しま り強 小礫・ 炭化物をわ ずかに含む 自色粒子 を含 む

2 10YR4/2灰黄褐色 シル ト 粘性弱 。しま り強 炭化物 をわずかに含む 自色粒子 を含む

3 10YR3/3暗褐色 シルト 粘性弱 。しまり強 炭化物をわずかに含む 黄褐色土粒をブロック状に含む

4 1CIYR3/4暗 褐色 シルト 粘性中 。しまり中 粘土プロックを多く含む 白色粒子を含む

B 30号

 B′

醜 約

Ы 呻 韓 髄 沖 粘土 粧 砕 曖 い 縮 鮒 鋭 ハ の力 舜 む 醐 わ 詢{含む

25号土坑

593m

10YR4/2FA黄褐色 粘土質シルト 粘性やや強・しまり中 鉄分を多く含む 炭化物をごくわずかに含む 褐色土を含む

5号建物柱4

D       D′

      

トー59.8m

10YR3/3 暗褐色 鉄分 を多 く含む 埋土中に本質部 や掛度のみ残存)を含む

8号柱列柱1 E   E′

   

トー60.lm

1 10YR3/2黒褐色 シル ト 粘性 中 。しまり中 炭化 物・白色粒子・黄褐色土粒・小礫 をわずかに含 む

10YR5/1 褐 灰 色 10YR4/1 褐 灰 色 ЮYR3/1 黒 褐 色

σ ト

しま り中 拳大の礫 を含む 黄褐色粘土プロックをまだ らに合 む しま り中 地山起源の粘土プロックをまだ らに含 む

しま り中 地山起源の粘土プロックをまだ らに含む

9号柱列柱2

F    F′

トー601m

1 10YRプ黒褐色 シル ト 粘性 中 しま り中 鉄分 をわずかに含む

2 10YR4/1 褐灰色 シル ト 粘性 中 しま り中 鉄分 を含む 埋土下部に本質の部分が残 る 3 10YR4/2 灰黄褐色 シル ト 粘性中 しま り中 鉄分 をわずかに含む

4 10YR4/3 にぶい黄掲色 シル ト 粘性 中 しまり中

H3警 2F(尉 麗詩 絲

]普

名鰹 q電 島伊

64

これ らの知見か ら、寛永

4年

(1627)ま では確実 に

6尺 5寸

が使われ、遅 くとも17世紀末 までに

6尺 3寸

へ変化 していた と考 え られる。 したがって、

 5号

建物がI期に所属するとして も、17世紀前葉 よ り古い時期 には遡 らな い もの と考 え られる。

南北方向の柱筋の方向は、

N‑5°

一Eと なる。柱

4が

ピッ ト170に切 られている。柱穴の形状 は、柱

3が

整形 を呈す る以外 は、直径25〜

30cm程

度の、ほぼ円形である。深 さは

20cm程

度である。柱痕跡 は確認で きてい ないが、柱

4で

は木質部の痕跡が確認 されてお り、 これが柱の痕跡であるとすると、太 さは

17cmほ

どとなる。

いずれの柱穴か らも、遺物は出土 していない。

【12号溝】(図28・ 29。 30、 図版13・ 14)

HoI列

を南北 に延 びる素掘 りの溝 で、南北 とも調査 区外へ延 びる。途中、撹乱で途切 れる部分 もあるが、

31m分

を検出 した。4層 との関係ははっきりしないが、 Ⅱ期の

2号

遺構 よ り古い29号構 に切 られてお り、 さらに 遡 ることは間違いない。出土遺物 は磁器・陶器・土師質土器・瓦 をはじめ、各種の遺物が出土 しているが、量は 多 くない。陶磁器 は、17世紀代 に遡 る。遺物量が さほ ど多 くないため、確実に時期 を限定することは難 しいが、

唐津や志野・織部のような、17世紀で も初頭や前葉の資料は含 まれていないので、中葉以降と考 えられる。ただ し

H‑12区

では、大堀相馬産碗 など18世紀代 に下 る遺物が、比較的 まとまって出土 している。 これ らは、他の区 域 と明 らかに様相が異なってお り、混入の可能性が高い。

H‑12区

では、12号溝埋土 に掘 り込む形で18世紀代の 遺構が造 られていたにもかかわ らず、検出で きずに合 わせて12号溝埋土 として調査 して しまった可能性が高い も の と考 えられる。

ほぼ一直線 に伸 びる溝で、方向はN‑26° 一

Wで

ある。上幅140〜 165cm、 下幅20〜 85cm、 深 さ60〜

70cmで

、 断面形状 は船底形 を呈す る。底面 レベルはほぼ平坦で大 きな変化は無いが、調査区北壁際 と比べ ると、南壁際で は

10cm以

上低 くなってお り、北か ら南へ流れていた もの と考 えて良いであろう。28号溝、33号溝、32号溝が合 流 していた可能性がある。いずれの溝 よ り底面 レベルは12号溝が低 く、12号溝 に流れ込んでいた と考 え られる。

12号構 とそれ と同時に存在 した可能性のある溝の埋土 は、いずれ も自然堆積 と考えられるが、 ラミナ状の堆積 は ほとん ど確認で きない。

【24号 溝】(図28・ 29、 図版14)

DoE‑5区

で検 出された素掘 りの溝である。24号溝の東側の延長上には28号溝が位置 している。いずれ も西 か ら東 に向かって流れていたことが推測 され、東西方向の向きもほぼ同じであることか ら、一連の溝であった可 能性 も考 えられることか らI期に合めた。

I期の14号土坑 を切 っている。

E‑5区

で東西方向か ら北 に分岐す る。北端 はⅢ期の18号溝 に、西端 はⅢ期の 26号溝 に、東端 は撹乱 によってそれぞれ切 られてお り、その先は確認できなかった。 さらに、 Ⅱ期の15号土坑 に よって一部切 られている箇所 もあ り、断片的な検出状況である。東西部分は長 さ3.5mを 検出 し、南北部分 は1

mを

検 出 した。溝 の上幅 は24〜 40cm、 下幅12〜 24cm、 深 さ

8cm前

後 と浅い。東西部分の方向はN‑65° 一E、

南北部分の方向はN‑28° 一

Wで

ある。底面の レベルは東で若千低 くなってお り、北側、西側か ら東側 に流れて いた可能性が考えられる。遺物は出土 していない。

〔25号 溝】(図28・ 29、 図版14)

D‑5区

で検 出された素掘 りの溝で、東西方向に延びている。Ⅲ期の

7号

溝 を切 ってお り、東西両端 は撹乱 に よって破壊 されているため、続 きは不明である。残 っていた長さは

2mで

ある。上幅48〜 64cm、 下幅20〜 32cm、

深 さ約24cm、 断面形状 は船底状 を呈する。方向は

N‑59°

Eで

ある①遺物 は陶器 と土師質土器が ご くわずか 出土 している。陶器 には呉器手碗が含 まれる。切 り合い関係か ら比較的遡る時期 と考えられることと、溝の方向 が25号溝や33号溝 などと平行 し、関連する遺構 である可能性が考えられるため、

 I期

に含めた。

【28号 溝】(図 28・ 29、 図版14)

G・

H‑5区

で検出された東西方向に延 びる素掘 りの溝である。2層の下位か ら掘 り込 まれているが、

 2層

下 部以下の基本層が存在 しない場所であるため、掘 り込み面は不明である。 Ⅱ期の遺構群 に切 られ、12号溝 に合流 する33号溝などと平行 し、同様の溝である可能性が高い と考 え、

 I期

に含めた。

東端は撹乱 によって破壊 されてお り、12号溝の ところまでは残 っていない。西端 は

G‑5区

で途切れて しまい、

その先 は検出 されなか った。検 出で きた長 さは3.8mである。 Ⅱ期の

8号

溝 。23号 溝、 Ⅲ期の1号建物 。

2号

建 物 などに切 られている。溝 の上幅44〜 68cm、 下幅16〜 28cm、 深 さ

24cm程

度で、断面形状 は逆台形 を呈す る。方 向はN‑67° 一

Eで

ある。底面の レベルは、他の遺構 に切 られている箇所があるため明確ではないが、東側で若 干低 くなってお り、東 に向かって流れていた可能性が考え られる。遺物は、瓦の破片が1点出土 しているだけで、

年代が判明する遺物 は出土 していない。28号溝の西側の延長上 には24号溝が位置 している。いずれ も西か ら東 に 向かって流れていたことが推測 され、東西方向の向 きもほぼ同 じであることか ら、一連の溝であった可能性 も考 え られる。12号溝 との関係 は、28号溝の東端が壊 されているため明 らかではない。南の6列を東西に延び、12号 溝 に合流する33号溝 とほぼ平行 していることか ら、同 じように12号溝 に直交 し合流する溝である可能性が高い と 考 えられる。12号溝の東側 に28号溝の続 きが検出されないことは、28号溝 と12号溝が合流 していた可能性が高い

ことを示す ものであろう。

【29号 溝】(図30、 図版14・ 15)

HoI‑7〜

12区で検 出 した、南北方向に延びる素掘 りの溝である。4層が分布 しない区域 にあるため、掘 り 込み面か らは、

 I期

か Ⅱ期の区分はで きない。12号溝の西端 に重 なるように造 られている。7列より北側 には廷 びないが、12号溝が埋没 した後、ほぼ同 じ場所で造 り替 えられた可能性が高いため、12号溝 と同 じI期に所属 さ せた。時期の判明す るような遺物 は出土 してお らず、 Ⅱ期に下る可能性 も残っている。その場合、 Ⅱ期の

2号

構 に切 られていることか ら、 これ よ りは古 くなる。

西側のほ とんどが、 コ期の

2号

遺構 に壊 されている。11列では、撹乱 によって大 きく破壊 されている。北側 は 7列で途切れ、南側 は調査 区外へ延びている。検出した長 さは、

Hmで

ある。ほぼ真 っ直 ぐに延びてお り、方向 は、N‑27° 一

Wで

、12号溝 とほぼ同 じである。底面 レベルは、南側がわずかに低いことと、北側が途切れるこ とか ら、北か ら南へ流れていた と推定 される。上幅110cm前後、下幅60〜 70cm、 深 さ70〜

80cmで

、壁 は急激 に 立ち上が り、断面形状 は箱形 に近い。北端の壁 も急に立ち上がる。埋土は、黒褐色土を主体 とし、下部では粘土 や砂が ラミナ状 に堆積 している。水流のある状態で、 自然に堆積 した ものと考えられる。遺物は磁器・陶器 。土 師質土器・瓦がわずかに出土 しているが、細かな特徴が判 るような資料はない。 これ ら以外には、木製品や木羽 がやや多 く出土 している。

【30号 清】(図31・ 32、 図版15)

E‑9。

10区で検 出 した、南北方向に延びる素掘 りの溝である。北側は撹乱で破壊 され、南側はⅡ期の27号溝 によって切 られてお り、長 さ1.4mを 検 出で きただけである。 Ⅱ期の27号溝 は切 り合い関係か ら、 Ⅱ期の中で も かな り古い時期 になることが考 えられている。30号滞 はそれ よ りさらに古いため、

 I期

に遡 る可能性が高い もの と考 えた。ただ し、 Ⅱ期 に下る可能性 も残 ってお り、その場合は Ⅱ期で も最 も古い時期 になるであろう。上幅45

〜65cm、 下幅10〜 25cm、 深 さ15cmで、断面形状は浅い船底状 を呈する。方向はN‑28° 一

Wで

ある。遺物 は出 土 していない。

【32号 溝】(図30、 図版15)

H‑7区

で検出された、東西方向に延 びる素掘 りの溝である。西側 は撹乱によって破壊 されている。東側は12 号溝 にぶつか り、南側 は Ⅱ期 の

2号

遺構 によって切 られている。残存範囲はご く限 られてお り、長 さ1.3m分を 検 出 しただけである。上幅64〜 88cm、 下幅36〜 44cm、 深 さ

30cm程

度で、方向はN‑62°

Eで

ある。断面形状

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報19 第1分冊 (ページ 76-85)

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