176
2.22 0.7559 310
3.920.2 16
その 慧
5.5 12.63
436 1000
出典 内海町総考課 1998,p1 より
3−3 内 。 塾の 美旨
託 糸・
工中央開発
㈱陸地コンサルタン
㈱長大
㈱福山コンサルタン
㈱アジア航測
㈱ヒロコン
日本海事検定協会
㈱復建調査設計
㈱新東コンサルタン
㈱中電技術コンサル
㈱計測リサーチコン
㈱高田設計
㈱前田屋外美術
㈲真映社
広島県土木協会
㈱玉野総合コンサル
県衛連㈱広建コンサルタン
107163
2407.2 16799.3 1226.6 1189.5 5644.7 200.0
3410.6 157.0 181.9 1121.5 398.7 160。0 1366.5 1600.4 320,0 375、9 110.0
(契約額100万円以上)
部建設工業 540041
㈱冨士建設 67927.6
㈱オリエンタルコン 10989.1
㈱アマノ企業 10761.4層
㈱沼隈土建工業 19982.0
㈲柿木建設 2969.8
大林・住友共同企業 353321.4㈱佐々木建設 7944.7・
㈱大林組 26222.8
㈱三菱重工 111052.8
㈱森近建設 3846.5
㈲村上建設工業所 10255.0
㈱長崎塗装店 600。0
㈱新興土建 694.4
㈲壇上土建 4592。2
㈱日本鋼管 84540.0
㈱東洋建設 11143.0
㈱サンキョウ 4495.7
㈱駒井鉄工所 18520.0
㈱神戸製鋼所 13800.0
㈱宇部興産 16260.0
㈱平和建設 1698.6
㈱三井造船 34400.0
㈲柏迫建設 1279.3
㈲第一電気工事 617.9
㈱エイト交設 1203.6
㈱金森電気工事 2030.0
㈱大和電気工事 2110.9
㈱佐藤造園 404.7
㈱梶岡園芸林 1743.7
㈱名古屋電機工業 5728.5
㈱五洋建設 412.0
㈱帝国電業 340.4 糸・250 £上
出 内海大橋工事誌編集委員(1991,pp358−366)より
一126一
第2節 産業と生活の地域調査
(1)農業 〉
田島・横島は半農半漁を基本スタイルとする農業を展開する地域であるが、その主力作 物は時代により大きく移り変わってきた。第二次世界大戦前の田島・横島の農業は、主食
となるイモ・麦に、換金作物としての除虫菊栽培の組み合わせで行われてきた。除虫菊は ヨメ
3年で2回の収穫ができ、花の雌蘂の付け根の部分に除虫効果をもつ成分を含んだ作物であ り、蚊取り線香などの原料となる。田島・横島では大手製薬会社の誘いを受け栽培に着手 し、出荷は仲買人を経る形で行われていた。その後、化学的手法により除虫効果をもつ物 質の製造が可能になるとともに除虫菊栽培は衰退し、1950(昭和25) N前後から換金作物 として葉煙草の生産が開始されるようになった。葉煙草は除虫菊に比して収益性が高い作 物であるが、その一方で栽培の手間が非常に大きく、また連作が不可能であるために、広 い農地をもち家族労働力が豊富な農家しか栽培ができない作物であった。そのため、葉煙 草生産が盛んであった当時、田島・横島にある2,000軒のうち200軒程度しか栽培していな かったが、1975(昭和50)年まで地域の主力作物としての地位を保ってきた。
田島・横島の農業にとって、大きな転機となるのが昭和50年代である。それまでの主力 であった葉煙草が、日本専売公社からの栽培割り当て量の減少と買い取り価格の低下によ って衰退した。また、葉煙草栽培に着手できなかった農家が栽培し、特産品化していたキ ヌサヤエンドウ・イッスンソラマメの種子が大手商社の手に渡り、大手商社による両作物 の地中海沿岸での大規模栽培開始とその目本への逆輸入により、田島・横島のキヌサヤエ ンドウ・イッスンソラマメは衰退した。さらに食糧事情の改善により主食であるイモ・麦 栽培も衰退していった。また、対岸の常石造船の好況による労働力需要により、田島・横 島の離農化が促進されるようになった。
温州みかんに関しては、1960(昭和35)年初植樹、1964(昭和39)年初出荷の有名ブラ ンド「まるぬま」みかんは、おもに田島の箱崎・日向地区で栽培され、その品質の良さか ら広く西日本やカナダなどへ出荷されていた。しかし、全国的な供給過剰と田島・横島の 地形からくる狭小な農業経営面積規模という農業事情から衰退の一途を辿ることになった
(図3−10、図3−11、図3−12)。
このような農業衰退の状況の中、1982(昭和57)年、地元篤農家の加藤正逸氏によりグ リーンアスパラガス栽培が開始されるようになった。グリーンアスパラガスは、永年性を もち、栽培の手問がかからない高栄養価の作物で、この時期全国的に拡がった健康ブーム の中、需要の高い作物であった。香川県女木(めぎ)島をモデルに栽培が開始されたグリ ーンアスパラガスは、導入後2〜3年は非常に好成績を収めたが、残念ながら6年後に衰退
した。三二(くきかれ)病の蔓延と品種改良(メリーワシントン種)による病弱化がその 原因である。そのため最盛期90軒以上が栽培していたグリーンアスパラガスも、現在は自 給用に3軒程度が栽培するのみとなっている。なお、広島県東部の内陸部に位置する新市 町・世羅町は田島・横島をモデルにグリーンアスパラガス栽培を行っているが、両町は完 全な病気対策を行っていたため、現在もその主力作物としての地位を保っている。
現在の田島・横島の農業は、クリアジナンキン・チンゲンサイ・キャベツを中心とした 野菜栽培と、地元篤農家の村上光晴氏が中心となり展開している花卉栽培がその柱となっ ている。とくに野菜栽培は沼隈郡全域における広域リレー出荷体制を敷き成果をあげてい .■
る。しかし、福山市の青果市場の扱いに存在する「量こそ力」のシステムが強いため、狭 小な栽培面積故に出荷量の少ない田島・横島の農産物は、弱い立場に置かれる。このこと が農家の労働意欲低下につながり、ひいては離農の促進にもつながりかねない状況となっ
ている。
(2)水産業2)
,田島・横島の位置する海域は、瀬戸内海の東西の関門である紀伊水道と豊後水道から流 入する潮流がぶつかる地点に当たるため、魚類が集まりやすく産卵地となってきた。その ため形は小さいものの成長期の魚が数多く水揚げされる地域で、それ故に「魚島(うおし ま)」と呼ばれてきた。しかし、瀬戸内沿岸部の臨海工業地域化や臨海部の人口増加によ る家庭排水流入の増加による赤潮の多発化と、関西国際空港工事や岡山県・香川県の架橋 建設に必要な海砂採集による海流流路変更が引き起こした海底ヘドロ化などは田島・横島
の水産業に甚大な影を落とした。
とくに、田島・横島では、他魚類の餌となるイカナゴが減少したことで年々、漁獲量の 減少が起こっている。1995(平成7)年には20万トンの水揚げがあったイカナゴは、1996
(平成7)年には1万トンに、そして1997(平成9)年にはゼロとなっていることからも、
漁獲量が加速度的に減少していることがわかる。田島・横島では、昭和30年代に福山市を 流れる芦田(あしだ)川河口堰が造成され、そのため河川水が海へ流入することが妨げら れたため海域の閉塞状態が生まれ、現在大不漁状態になっているという見方を漁業協同組 合はしているが真偽のほどは不明である。このように現在、瀬戸内海全域で水産業は漁獲 量減少という状況におかれている。
田島・横島の水産業は、定置網漁業と底引き綱漁業を基本としている。定置網漁業とは、
魚の進路に長さ120mの垣根状の網を張り、魚を追い込むもので、広島県東部の備後地区 に古くから伝わる漁法であったが、現在は田島に50数網が残るのみとなっている。1965(昭 和40)年までは水産業も好況であり、とくに名産「田島いりこ」はその主力であった。し かし、それ以降、水質悪化によるイリコの水揚げ減少となり、それに代わって冬季の「の
一128一
り養殖」や鯛の養殖など水産養殖業への転換が進められている。
その中で1984(昭和59)年、広島県の企画する県全域観光キャンペーン「SuNSuN
ひろしま」に際し、広島県からのイベント要請を受け、内海町役場から観光定置網の勧め もあり田島漁業協同組合では観光定置網を、一方、横島漁業協同組合では観光底引き網を 開始した。田島漁業協同組合では、定置網を実施している漁業者の内から希望者を募って 10名でスタートし、翌1985(昭和60)年、漁業共同組合内に観光部を置き26名体制となっ た。実施に際して、各漁業者が実費で漁船にテントとトイレを設置し、陸上の昼食施設は 漁業協同組合が約500万円をかけて整備するなどのカの入れようであった。図3−26は田島 ,ノ漁業協同組合実施の観光定置網の実績である。年々順調な参加者増加をみているが、1989
(平成元)年の田島と沼隈半島を結ぶ内海大橋開通翌年以降の参加者数は大幅に上昇して いる。ただし、1988(昭和63)年は、本州四国連絡橋児島・坂出ルート瀬戸大橋開通によ る観光客減少であり、1995(平成6)年は参加者の土日集中による受 け入れ困難を原因と
した減少である。
両漁業協同組合では、手作りの広告を新聞折り込み広告として尾道市を中心とした臨海 部に配布するとともに、中国新聞・読売新聞・朝日新聞・山陽新聞・日本経済新聞の各新 聞社、中国放送・広島テレビ・広島ホームテレビ・NHKの放送局を通じて取材を要請す るなど積極的なPR活動を行っている。また福山市に本社をおくトモテツ観光の広島支店
・呉支店とタイアップすることで、より広域からの集客を獲得し、業績をあげている。参 加者は広島県下を中心に中国地方からが主となっているが、東京・大阪などの遠隔地から
の問い合わせも多い。このことに関して、山陽自動車道の全線開通が大きなインパクトに なったと漁業協同組合関係者はいう。この観光定置網実施に関して、初期の段階では漁師 サイドの接客術不足から発生する参加者の不満3》もみられたが、漁業協同組合全体をあげ た接客に関する講習会やマニュアルを作成するなどの努力で現在は克腺されている。
(3)水産加工業4)
田島・横島は、古く大正時代初期(1910年頃)から水産加工業が行われてきた地域であ る。近隣島嗅や田島・横島内の漁業従事者から原料となる水産資源を買い付けを行ってい る。生ものと乾物の両方を扱っているが、生ものはタイ・チヌ・スズキ・ヒラメ・カワハ ギ・イカ・タコなどであり、加工されずにそのまま形で市場へ出荷されている。一方、乾 物としては、現地で「ねぶとじゃこ」と呼ばれるテンジクダイなどの加工品が中心であり、
京阪神・広島地方に出荷されてきた。とくに、昭和40年代までは「田島いりこ」が田島・
横島地域における水産加工物の特産であったが、その衰退以降は、田島・横島地域の特産 品的存在がなく苦しい状況にある。
このような状況の中、田島・横島に在住する主婦がグループを作り、独自に田島・横島