第 3 章 先行研究における論点の検証
3.3. まとめ
本節では、3.1 節で挙げている項目順に従って、3 種類のデータに基づいて先行研究 の諸論点を検証した結果をまとめる。
①言語外的要因について
①-1 話者の年齢
クチコミデータのデータAとデータ Bに基づいて調査した結果、ラ抜き形の使用率 が若い世代から高年層へ徐々に減っていく傾向が見られた。さらにデータ B に基づい た調査結果から10代~30代ぐらいの人ではラ抜き形とラレル形の使用傾向がほぼ同様 であるが、40 代以上の世代から徐々にラ抜き形の使用率が減っていくという傾向も見 られた。30代の人も10代と同様にラ抜き形を使用するということからは、ラ抜き形の 使用者の年齢層も時間の経過とともに拡大しつつある傾向が窺える。漫画の実例データ に基づいて調査した結果、ラ抜き形は同世代同士間特に高年層同世代同士より若年層同 世代同士間の会話に多く用いられている傾向が見られた。
① -2 話者の性別
ラ抜き形が男性と女性のどちらにおいて用いられやすいかについて、クチコミデータ のデータA・データB、漫画データに基づいて調査した結果と一致している。ラレル形 とラ抜き形の使用をめぐる性別差は見られないという結果である。本論文のこれらの調 査結果は先行研究のうちの中本(1985)、木下(1997b, 1998)の結果を支持しているこ とになる。
116
① -3場面・聞き手との対人関係
ラレル形とラ抜き形それぞれの文末には同じように丁寧体または普通体で現れてい るかについて、「Yahoo!知恵袋」に基づいて調査した結果、佐野(2009)を支持する結 果を得た。即ち、ラ抜き形はラレル形より普通体で多く用いられる傾向がある。
漫画の実例データに基づいて、ラ抜き形を用いた話者の年齢、及び話者と聞き手との 対人関係も考察したうえでラ抜き形の使用場面を調査した。その結果、ラ抜き形は同世 代同士、特に若年層の同世代同士間の会話に多く用いられる傾向が見られた。それに対 して、高年層の同世代同士間の会話に用いられるラ抜き形は少ない。異世代間の会話に もラ抜き形が見られたが、その多くは話し手と聞き手が身内あるいは親しい間柄の場合 である。本論文のこれらの結果は先行研究の木下(1997b, 2000)の調査結果を支持して いることになる。
ただし、ラ抜き形は配慮のいらない聞き手への発話であれば世代にまったく関係なく 観察された。その種の聞き手の多くは敵扱いされる相手、けんかの相手などである。こ れはある意味では、ラ抜き形が親しい間柄において多く用いられやすいという従来の認 識ではとらえ切れない結果である。敵対関係におけるラ抜き形の使用について従来の研 究ではまったく言及されていない。
本論文の調査結果に基づいて、インフォーマルな会話の場面を前提として、ラ抜き形 の使用の場面を以下の図解で示すことができる。
117
図3-6 ラ抜き形の使用場面に関する図解
図3-6について、以下のように説明できる。
[1] ラ抜き形は主に同世代同士間の会話に多く現れる。
[2] ラ抜き形が異世代間の会話に使用される場合は、ほとんど話者と聞き手が身内か 親しい間柄の関係に限る。
[3] 初対面の人や年上や目上の人(敬意が高い)に対しては、ラ抜き形はあまり現れ ない。
[4] ラ抜き形は配慮の必要のない人との会話に現れる場合がある。
②動詞の種類
②-1 動詞の語尾を除いた語幹音節数はいくつか
「Yahoo!知恵袋」に基づいた調査と、漫画の実例データに基づいた調査のいずれも、
語幹1音節~語幹3音節の順でラ抜き形の出現率が減っている傾向が見られ、先行研究 の知見を検証することができた。一方、「Yahoo!知恵袋」調査では、語幹 3 音節の動詞 が30例、4音節の動詞が18例、5音節の動詞が2例観察された。漫画の実例データに 基づいた調査でも、語幹3、4音節の動詞が合わせて3例観察された。語幹3、4音節の
疎 親
対年上・目上
(1)同世代間
(3)対年上・目上
(2)対年下・目下
敬意度が0
ラ抜き形の使用区域 敬意度が高
118
動詞が観察されたということは、ラ抜き形は語幹の短い動詞にとどまらず、語幹の長い 動詞へ使用が拡大している状況が観察されたと言える。
②-2 元になる動詞は上一段動詞か、下一段動詞か、カ変動詞か
ラ抜き形は上一段、下一段、カ変動詞のいずれにおいて多く用いられやすいかについ て、それぞれ3種類のデータに基づいて考察した。
3種類のデータに基づいた調査結果のいずれも先行研究のMatsuda(1993)、佐野(2009) と一致している。すなわち、ラ抜き形は下一段動詞より上一段動詞において用いられや すい。ただし、結論はこれだけでなく、本論文では、ラ抜き形とラレル形と対照した結 果、ラ抜き形はラレル形との比較においても下一段より上一段において多く用いられる 傾向が見られた。
さらに、クチコミデータに基づいた調査と「Yahoo!知恵袋」に基づいた調査からいず れも、ラ抜き形とラレル形と対照した結果、ラレル形は上一段より下一段に多く用いら れやすい傾向が見られ、漫画の実例データに基づいた調査からは、ラレル形とラ抜き形 のいずれも下一段より上一段に多く用いられやすい傾向が見られた。
クチコミデータのうちのデータ B、「Yahoo!知恵袋」データ、及び漫画の実例データ でそれぞれ現れている動詞の中で、ラ抜き形がラレル形より多く現れた動詞のリストを 表3-54にまとめて示す。
表3-54 ラ抜き形がラレル形より多く用いられた動詞のリスト データ
動詞
クチコミデータB 「Yahoo!知恵袋」 漫画の実例データ ラレル ラ抜き ラレル ラ抜き ラレル ラ抜き 見る 307 807 229 554 22 65
寝る 112 256 15 42 1 8
着る 14 42 1 3
起きる 28 29 2 5
来る 3 7 11 38 18 84
表3-54に見られるように、3種類のデータに出現されている「見る」「寝る」「来る」
のラレル形とラ抜き形の用例数をそれぞれ比較すると、どのデータにおいてもラ抜き形 はラレル形より多く使用されることが分かる。このことから、「見る」「寝る」「来る」
という3つの動詞のラ抜き形がかなり定着していると言える。
②-3 複合動詞、補助動詞のラ抜き形が使用されているか否か
ラ抜き形が補助動詞、複合動詞に現れるかどうかに関して「Yahoo!知恵袋」に基づい た調査結果では、ラ抜き形は複合動詞(9例)、補助動詞(31例)に現れるだけでなく、
119
使役表現(3例)でも観察された。漫画データに基づいた調査結果でも、ラ抜き形は複 合動詞(1例)や補助動詞(39例)の例が観察された。1990年代の研究Matsuda(1993) の調査や2000 年代の松田(2008)の調査と比べて、本論文ではラ抜き形が本動詞のラ 抜き形として使用されるだけでなく、複合動詞、補助動詞のラ抜き形でも使用用例数の 増加が見られることが確認された。Matsuda(1993)などとの調査結果の差は、時間の経 過に基づくラ抜き形の使用範囲の拡大によるものだと言える。
② 肯定形か、否定形か
ラレル形とラ抜き形が肯定形と否定形のどちらで現れやすいかについて、本論文では 3種類のデータを用いて調査した。その結果、3種類のデータからはいずれもラ抜き形 は否定形より肯定形で現れやすいとの結果を得ている。船木(2002)では、会話性の強 い資料に基づいた調査の結果として、ラ抜き形が否定形より肯定形でリードしていると 指摘している(p.125)。本論文の調査結果は Matsuda(1993)と船木(2002)などの先 行研究の研究結果を検証できた。さらに、ラ抜き形とラレル形の肯定/否定形の使用率 を対照した結果、クチコミデータのうちのデータBからはラレル形とラ抜き形の肯定/
否定形の使用傾向が同様であるが、クチコミデータのうちのデータA、「Yahoo!知恵袋」、 及び漫画の実例データからはいずれもラレル形よりラ抜き形のほうが否定形より肯定 形で多く用いられやすいとの結果を得ている。
③ 主節か、従属節か
ラレル形とラ抜き形は、主節と従属節のどちらにおいて多く用いられやすいかに関す る3種類のデータに基づいた調査結果は、いずれもラ抜き形が主節より従属節において 多く用いられやすいとの結果を得ている。さらにラ抜き形とラレル形の主節/従属節の 使用率を対照した結果、クチコミデータのうちのデータAと「Yahoo!知恵袋」データか らはラレル形とラ抜き形の主節/従属節の使用傾向が同様であるが、クチコミデータの うちのデータB、及び漫画の実例データからはいずれもラレル形よりラ抜き形のほうが 主節より従属節で多く用いられやすいとの結果を得ている。
120