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第 3 章 :日本語とペルシア語の「目」を含んだ慣用句の対照

3.2.3 その他

1

.注意・関心を表す表現

日本語の「目を注ぐ」「目が離せない」「目を懸ける」「目を配る」「目が届く」「目を 引く」「目を留まる」など、ペルシア語の「ﻥﺩﺮﮐ ﺯﺎﺑ ﺍﺭ ﯽﺴﮐ یﺎﻬﻤﺸﭼ/češm-hāye kasī rā bāz kardan/

人の目をあける(意訳:事実に注意させる)」「ﻦﺘﻓﺮﮔ ﺽﺮﻗ ﻢﻫ ﺮﮕﻳﺩ یﺎﺗ ﻭﺩ ﻦﺘﺷﺍﺩ ﻢﺸﭼ ﺎﺗ ﻭﺩ/ do tā češm dāštan do tāye dīgar ham qarz kardan/二つの目を持って、別の二つ目も借りる(意訳:

非常に注意し、監督する)」「ﻦﺘﺷﺍﺪﻧ ﺮﺑ ﻢﺸﭼ/ češm bar-nadaštan/何かや誰かをじっと見つめる

(意訳:注意を引く)」「ﻥﺩﺮﮐ ﺮﭘ ﺍﺭ ﯽﺴﮐ ﻢﺸﭼ/ češm-e kasī rā por kardan/人の目をいっぱいに する(意訳:関心を引き付ける)」「ﻦﺘﻓﺮﮔ ﺍﺭ ﯽﺴﮐ ﻢﺸﭼ/ češm-e kasī rā gereftan/人の目をとる

(意訳:注意を引かれる)」などが、全体として認識主体が認識対象に「注意・関心を 向ける」という比喩的な意味を表している。14F15

日本語:

目を引く(注意を引き付ける。他人の注意を向けさせる)

商品名以上に消費者の目を引くという知財高裁の結論は、信じたデザインを使い通す企 業への敬意でもあろう。

(『朝日新聞、天声人語』2010.11.22)

目を配る(四方に注意を向ける)

そのリーダーは仲間の一人一人にきちんと目を配っている。

(『分野別・日本語の慣用表現』1992)

目を掛ける(注目する、親切に助力や世話をする)

山好きな村山少年に目をかけ、自宅へ招いてくれたそうだ。

(『朝日新聞、天声人語』2010.6.20)

目が離せない(常に注意・監督をしていなくてはならない)

最近の株価の動向は目が離せない。

(『大辞林』 2006) 上記の全体として「視線をある対象に向ける」という意味を表し、「視線」と「目」

は「部分―全体」という関係のメトニミーとして分類できる。そして「目(視覚」とい う意味から「注意・関心をある対象に向ける」意味へと転じ、さらにメタファーによっ て表現全体として抽象的な意味へと拡張したと考えられる。

その応用範囲の広さから、〈注意・関心〉という概念は、単に複合形式の中に固定さ れた意味という以上に、「目」の語義となっていると考えてよいであろう。

ペルシア語:

15 3.32の節の「視線」のところで、述べたように、あることに注目したら、視線がその対象

に引かれる。すなわち、「注目」と「視線」の間に直接な関係があると考えられる。そこで、「目」

の慣用句の中で同時に「視線」と「注意」を表している慣用句が少なくない。

ﻦﺘﻓﺮﮔ ﺽﺮﻗ ﻢﻫ ﺮﮕﻳﺩ یﺎﺗ ﻭﺩ ﻦﺘﺷﺍﺩ ﻢﺸﭼ ﺎﺗ ﻭﺩ/ do tā češm daštan do tāye dīgar ham qarz kardan/

二つの目を持って、別の二つ目も借りる(意訳:非常に注意し、監督する)

.ﯽﺷﺎﺑ ﻪﺘﺷﺍﺩ ﺍﺭ ﻥﺎﺷﺍﻮﻫ،ﯽﻨﮑﺑ ﺽﺮﻗ ﺮﮕﻳﺩ یﺎﺗ ﻭﺩ یﺭﺍﺩ ﻢﺸﭼ ﺎﺗ ﻭﺩ ﺪﻳﺎﺑ ﻮﺗ to bayad do tā češm dārī do tāye dīgar ham qarz bokonī,havāšān rā dašt-e bāšī.

君は二つの目を持ち、他の二つの目も借りて、彼ら/彼女らにじっと注意を注ぐべきだ。

(直訳)

(『Farhang-e Fārsye Amīāne』:436)

「ﻦﺘﻓﺮﮔ ﺽﺮﻗ ﻢﻫ ﺮﮕﻳﺩ یﺎﺗ ﻭﺩ ﻦﺘﺷﺍﺩ ﻢﺸﭼ ﺎﺗ ﻭﺩ/ do tā češm daštan do tāye dīgar ham qarz kardan/二つ の目を持って、別の二つ目も借りる」という表現は「非常に注意し、監督する」を意味 している。「目を借りるのは」現実では不可能なことであるが、「注意が必要である」こ とを強調するために、仮想的に使用されている。そこで、この表現は事実に基づいてい ないから「یﺯﺎﺠﻣ ﺩﺎﻨﺳﺍ/esnāde majāzī/偽りに、何かを何かに帰する」の表現であると考え られる。

2

.睡眠を表す表現

「目」という身体部位は、「睡眠」という生理的な現象とも関係している。人間の生活 経験では、一般に、体の動きと活動を休止し、外的刺激に対する反応が低下すると共に、

目が閉じられ、睡眠状態に入る。そして、体に必要な睡眠量を取ったら、意識を働かせ、

はっきりした状態になり、目を覚ますことになる。こういった生活経験に基づいて、様々 な慣用句が生じている。

「目が冴える」「目が堅い(子供などが夜更けても眼たがらない)」「目の皮がたるむ」

「ﻥﺪﺷ ﻡﺮﮔ ﯽﺴﮐ ﻢﺸﭼ/češm-e kasī garm šodan /目が温かくなる(意訳:眠りに入る瞬間)」「 ﮏﻳ ﺭﺍﺪﻴﺑ ﻢﺸﭼ ﮏﻳ ﻭ ﺏﺍﻮﺧ ﻢﺸﭼ/yek češm xābo yek češm bīdār/一つの目が眠る、一つの目が覚める

(意訳:寝ていて熟睡に入る前)」「ﻦﺘﺷﺍﺬﮔ ﻢﻫ ﻪﺑ ﻢﺸﭼ/češm be ham gozāštan/目を瞑る」など が日本語とペルシア語における睡眠に関わる慣用句の例である。

日本語:

目が堅い((子供などが)夜がふけても眠たがらない)

今夜はこの子は目が堅い。

(『日本語大辞典 第二版 第十二巻』 2001) 上記の例の「目が堅い」は本来、「夜がふけても眠たがらない」ことを表す。ここで は、「堅い目」を持つ子は「簡単に目を閉じらない」という隣接性に基づくメトニミー に成立していると考えられる。

ペルシア語:

ﻦﺘﺷﺍﺬﮔ ﻢﻫ ﻪﺑ ﻢﺸﭼ/češm be ham gozāštan/目を閉じる(意訳:眠る)

.ﻪﺘﺴﺸﻧ ﺭﺍﺪﻴﺑ ﻡﺎﺑﺎﺑ ﺮﺳ یﻻﺎﺑ ﻭ ﻪﺘﺷﺍﺬﮕﻧ ﻢﻫ ﻪﺑ ﻢﺸﭼ ﺢﺒﺻ ﺎﺗ ﺎﻨﻋﺭ ranā tā sobh češm be ham nagozašt-e va bālāye sar-e bābām bīdār nešast-e.

ラーナは朝まで目を閉じず、お父さんの世話をしている。

(『Farhang-e Fārsye Amīāne』:426)

上例では「目を閉じる(閉じらない)」は「眠る」という意味を持っている。しかし、

「目を閉じる」には「まぶたを閉じる」という文字通りの意味と、「眠る」という慣用 的意味があり、両方の意味で使用される。ここでは、その文字通りの意味を通して、「眠 る」という意味が理解されるから、「目を閉じる」は「ﻪﻳﺎﻨﮐ/kenāye/メタファー」である と考えられる。