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経験主 

労  の心ほ  とし、 

」と い  理 げで  と密着 

議  そ 

い論 

」  ざ Ⅰ 乍 

  

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  と も 

@ は ‑ ある学問である︒そして︑近代心理学の礎をな すものとなった︒  ﹁心理学原理﹂︵弓立お巨のの ︵巾のぜ りダ opom しの 完 成 である︒これは︑ジェイムズによると生理学 と 心理学の境界線に    イムズにとって︑当時のアメリカは ︑ョ ーロッ︒ ハの 先進性を ︑ 大いに見習うべ き ものと考えられ た ︒しかし︑のち 

に ︑ジェイムズが大成したとき︑ジェイムズは ︑ ヨーロッパから吸収した多くの知識︑文化︑思 惟 方法︑思想などに  対する鋭い批判をすっかり身につげていたので ある︒ 

ジェム ズ の学問は︑化学をもってはじめられた ハーバード大学においてである︒指導にあたっ た J. ワ イ マソ の 

評にあるよ う に ‑9 ︑ ︶移り気で︑神経質のジェイ ム ズは︑ 長いこと同じ学問にとどまることがで きず ︑比較解剖学︑生理 ‑ 薦 ‑ 学 ︑生物学そしてまた生理学と転々と専門課程 を 変え︑医学部を卒業した︒しかも︑在学中から ︑心理学への興味が ︵ー l ‑ こくなり・また︑哲学を究めようという真剣な 考えも芽生えている︒当時︑自然科学の研究は ︑ 破竹の勢で発展進歩 

しつつあった︒そしてによって︑精神面からでは なく︑生理的物理的に﹁人間﹂を解明する鍵が あたえられはじめ 

ていた︒そして︑外側からの客観的な研究で人 間を解明する心理学が︑実現を期待されはじめて ぎたのである︒ 生 

理学をまなぶことによってえた学識を役立てな がら︑ジェイムズは︑客観的方法による新しい 心 理学を築きあげた︒ 

③ 2)  38 

更に深く掘りさげたものでもあった︒﹁根本的経 験論 ﹂売 り巨ざ巴 円目 づ す申 np のこという名称を ︑ シェイムズはその 哲 

‑B‑ 単 にあたえた︒ 

ジェイムズは︑このように︑人間の解明をその 問題として︑生理学︑心理学︑哲学へと学問の分 野を遍歴した︒ こ  の間にあって︑宗教は︑どうとりあつかわれ︑ 考 えられていたか︒ ジヱ イムズの思想の根幹をな す 根本的経験論の上  に ︑宗教は︑どういう位置を与えられ︑その 意 味 をもっているか︒換言すれば︑根本的経験論は ︑人間の問題として  の 宗教をど う 解明したか︒本論は︑その点につい て ふれてゆくものである︒ 

註 ︵ 1‑ 円すの づロ 二の年 90 ︵ オ 臼田 ざ 仁のいⅩせの上の臣 の︒ ㎡ ツ Ⅱ り 小い︒ り Ⅹ づ P‑ 

‑2 ︶ *H メ ︒の ヒ巳 ︑臣一 ‑0 坪 臣 @m モ伶 :︶のの〜・㌧︒ pm ヨ ︒目の目︶ oOq. ト 二日の出の︵ @CC コアの︵ Se ︒ お ︒ づ すの三の ぃコぎ ㏄ ︵ 円 ﹁ 弓 Ⅰ ア ︒ ト 00 の  の 已 ㌧Ⅰ す 下日 の ︵㌧ オ目 の 0 ㌧ ず吋 ︒ ド 0 目︶︒ * 内のののやの @ 申 オぃ日り 生田田 迂 @c@ の 日こ ︶いが︑哲学に関する著作であ る ︒ 印は ︑  論文集︒ ︵ 3 ︶ 円プ のく 目 ︵ T の 下オ 二瓦 @0 品 ⅡⅩ つ目 石づ の︒Ⅰの Ⅰ 仁 Ⅰ︒Ⅹ三目と 巾 の︵のり︵ ‑ 口 ︵参照 

︶ 日 すの 毛ま ‑0 し匹 Td の中に収められた最初の 論文︑およ ぴ ︑下品ヨの︵ @ のヨ 中の㌧ "am ヨのチヨリ乱 勾 二元 ざコ の 草 ︒  論 ︵ 5 ︶友人 ラソキソ 宛に︑﹁宗教は︑自分の生活の中で の 一大関心事である:﹂としている Ⅰの︵︵の﹁の ︵ 旧 

@  二 

‑ リヨ ㌔ レ日 ゆ り " セ こ 験 経 Ⅰ︒ っ ・ お ・その他の手紙にも︑同様の表現がみられる 的 で ︶ジェイムズの祖父は︑当時のニューイソ グラノド の風潮がそうであったよ う に︑執心な力ルヴィニズム の 信仰に生きた人で 根本 あった その千であり︑ウィリアム・ジェイムズの父に あたる へソリイ は︑この祖父の信仰が︑形式的で︑ し     想 自由を束縛するのをぎらい︑教会から遠ざかり︑当時の 著名な思想家たちと親交をかさねた︒ 思 ︵ 7 ︶﹁父の宗教的一元論の ︑ 最も大きな敵は︑哲学的 多元論者である ‑0 ﹂ づ訂 ︵ ︑ @ 汀 ﹁の に おの日のぎの ︵ 手 0H ︑ p 口目に甘 日のダ 教 と本 弓 ・トトの   ズ ︵ 8 ︶ジェイムズの父は︑形式的な学校教育をきらい︑ ジェイムズとその 弟ヘソりイ ︵小説家︶とは︑家庭教 師 につげて学問をま   なばせた︒ 又 ︑ヨーロッパ各地の旅行をおこない︑ジェ イム︒ スは ︑子供のとぎから大学卒業まで前後四回 ョ lp ッハヘ旅     し ︑そこで︑フラ ソス語 ︑ドイッ語をはじめ︑ギリシャ ︑ラテ ソ 等の古典話を修得した︒      

  

  

  

  

  

二人間の問題としての宗教 

ジェイムズは︑宗教を︑人間の根本的事実と考 

︐ え た︒そして︑宗教を︑人間の生活活動の場面で とらえ︑これを︑ 

客観的に追求しょうとしたのである︒それは︑ ゐ 示教に関して︑それまでの思想の流れの中に ︑見 出されないような︑ 

あたらしい考え方であった︒ 

キリスト教の文化を背景にした西洋の社会には︑ 宗教は ︑ 神の問題ときりはなしえな い 伝統が ︑ 根強くはびこって  いる︒人間を超越した唯一絶対の神を肯定し ︑そ こから展開する世界観︑人間観である︒このよ に ︑ 神の側に重心  をおく宗教思想は ︑ い き おい︑啓示︑教義︑教 会 ︑儀礼などの問題に ︑かュ わってくる︒宗教の 担 い手である人間 ょ  りも︑その対象が重視される︒それは︑また︑ 観 念 的︑抽象的におち入り易い傾向をもっていた    ジェイムズは ︑ かような立場に︑真正面からぶ つかって︑反対した︒彼は︑抽象的な概念より︑ ゑ体 的 事実を尊重  し ︑したがって︑人間の経験の事実から出発す る 態度を常にとっている︒この立場に宗教をおい てみると︑先ず問題  としてとりあげなければならないのは︑宗教 意 識 ︑宗教経験︑あるいは︑宗教的態度など︑個人 の 経験として把握で 

ぎる事象である︑個人的な宗教現象である︒ 教 義 ︑教会︑儀礼などの社会的宗教現象は︑第二次 的のものとなってく      ︵ ︶ ド ︵ 3@ Ⅱの 吊ま @‑ 由り ロ ハ 日の ハロ ︒の せ ハニ・ ト ︒ づ ・㏄ ト ︵ り   ︶したがって ︑ジヱ イムズは ︑づ ずけの学位をもつ ていない哲学者である︒ ㌍ 

︵Ⅱ︶心理学については︑Ⅰの︵ ‑ のぺ の ま圭ヨのヨ甘ヨ 拐ゃ ・ 寮 品㎏の数人の友人死に︑また哲学への関心 は︑ ㌧ err ぜ ︒ 円 ずの 

円ア @ ︶ こ ㏄ 圧ゅ臣 Ⅰの す ara ユ er 二ミ・︶・ Q. べト・にみえる︒ 

︵は ‑ ⅠⅡ め ︵ @ の Ⅰの ︵ キ @ 巨 @a コ甘日 ハ二 リ ぺ三・︶︒や・︶寸心 N. また ︑友人︑円・ ま ai 缶 あてに︑﹁心理学が科学になる時が ︑ 恐らくぎたのだ る 

うと思われる・・・・・・﹂とかいている 同上 p. ︶︶の 

︵ ︶ 汀 ‑‑ の Ⅱの ︵ ヨコトヨ田ョ目て ツヨ 840‑N ︒や・ い て 肝 ・ 目 いお 建 せ ㏄ オ の 缶ざ巴己逼 @ 二のずヨや・ ト ︶ 

を ︒この点在たってジェイムズは︑宗教を二つ に わ け 個人的宗教︵㌧の r の o コ日 匁 四番︒しと制度 的ゐ 示教官 コの目 ︵建ニ o,a ︶  オの トお ‑0 し とした︒ 丁 @ そして︑前者のみに︑問題 を 集中し︑後者は︑ほとんどかえりみなかった のである︒これは︑ 

﹁宗教経験の諸相﹂にみられる ジヱ イムズの態度 であるばかりでなく︑その宗教思想を一貫して いる立場である︒ 

しかし︑広く︑宗教を文化現象としてみるとき︑ 個人︑社会︑文化の三つの要素が︑からみあっ たところに︑問題  が 提出される︒個人の問題としての宗教現象も ︑ 必ず︑それに相関連したものとしたものとして ︑社会︑文化の面が  とわれねばならないであろう︒一方︑社会現象︑ 文化現象としての宗教に問題を集中するときに もその担い手である  個人は ︑ 何らかのかたちで︑問われるはずであ る ︒勿論そのとりあげ方に︑軽重はある︒ジェ ィ ムズについてこれを  みると︑それが︑まったく﹁個人的現象﹂に 限 られていて︑社会︑文化の面にはふれていない︒ 人間の問題としての  宗教を強調するあまり︑個人偏重に過ぎたので ある︒ ジヱ イムズにとっては︑神の側から︑問題 を ︑人間の側におろ  すことが︑重大であった︒したがって︑個人的み 示教現象のみに︑問題を集中したのであろう︒ し かし︑社会的︑文化  的 方面の欠如は︑その宗教思想全体を通しての︑ 欠点の一つである︒ 

さて︑人間の問題として宗教を考えた ジ エ イムズは︑まず︑宗教を ︑ 次のように規定する     経 宗教とは︑個人が︑自分自身で︑神的な性質を もった尊厳なるもの︵目のま まコの ︶と関係した︑ と 考えられるそ 

  ある︒ ‑2‑ 

鮭 ・この定義の中には︑一一つの意味が ︑ 含ま れている︒第一は ︑ジヱ イムズが︑宗教を︑個人 の 問題として考えている  姓 頃︑ 点であり︑第二は︑宗教を︑人間と神らし き 存在との関係である︑としている点である︑ この点については︑のち 古本    ものの考え方は︑具体的な経験の事実忙しかその     月 したがって︑宗教現象も︑人間経験の事実 として︑把握されるのである︒それは︑概念とし て ではなく︑日常生活と 伯 

  

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ドキュメント内 『宗教研究』163号(33巻4輯) (ページ 39-43)

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