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ઃ 野 田

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 一 ︶ (ページ 51-61)

が法 文化 論の 祖と 称さ れる 所以 も宜 なる か なと 思う

。 さて

、行 動と 文字 の間 のズ レ・ 乖離 が改 めて 問題 とさ れよ う。 その 実体 や如 何、 また それ が生 ずる 理由 を生 理的 にみ た原 因の 究明

、お よび それ をど うや って 凌げ ばよ いの かが

、次 の課 題と して 浮上 する

。 法文 化の 生理 学的 研 究 とも いう べき 問題 であ る。 法意 識に 関す るQ

&A 式の 社会 調査

、固 有法 や 生け る法 の 文化 論的 考察

、﹁ 法 のタ テマ エと ホン ネ﹂ の使 い分 けな どが 研究 者の 好奇 心を くす ぐる こと にな った

。 三 法意 識の 実証 的研 究

野田 の﹁ みす ず論 文﹂ と同 じこ ろ、 日本 文化 会議 が﹁ 日本 人の 法意 識研 究会

﹂を 組織 し︵ 一九 七〇 年六 月︶

、 その 研究 成果 が三 部作 とし て公 刊さ れて いる

。﹃ 日本 人の 法意 識︵ 調査 分析

﹄︶ 一九 七三 年︶

﹃日 本人 にと って 法と は何 か︵ 共同 討議

︶﹄

︵一 九七 四年

︶﹃ 現代 日本 人の 法意 識﹄

︵一 九八 二年

︶で ある

。以 下、 法文 化研 究に 有益 と思 われ る論 点に つい て摘 記し よう

﹃法 意識 七三 年版

﹄は

、都 二三 区、 JR 東海 道・ 中央

・東 北・ 常磐

・総 武の 各沿 線ぞ いに 地区 割り した 一〇

〇ヶ 所で

、そ れぞ れ一 五標 本に つい て調 査員 によ る個 人面 接聴 取を 行っ た結 果を まと めた もの

。一 九七 一年 七月 に行 わ れ、 法知 識・ 法体 験・ 法の イメ ージ など

、法 意識 のさ まざ まな 側面 に光 をあ てて

、そ のス ケッ チを 試み よう とい う ので ある

。こ れま での 法意 識研 究は 鋭い 洞察 を含 むも のと はい え、 科学 的・ 実証 的に 検討 され たも ので はな いと い う反 省の もと に考 えら れた 方法 であ り、 林知 己夫

・飽 戸弘 が調 査結 果に つい て執 筆し てい る。

飽戸 は日 本人 の法 知識 につ いて

、日 本人 は、 法を 知ら ない こと

、法 や おか み の世 話に なら ずに 生活 でき るこ とに 価値 があ ると 考え てい る、 従っ て法 につ いて 無知 であ るこ とを 美徳 とし 法に つい て勉 強し よう とは 思わ ない

、 と報 告し てい る。 俗に 日 本人 の法 嫌い と いう 法学 者の 当時 にお ける 評説 が社 会調 査に よっ ても 証明 され たと いう わけ か。 しか しな がら

、法 嫌い とい うだ けで 法意 識の 劣等 生と 決め てい いの か。 けだ し、 新聞 でよ く目 にす る談 合・ なれ 合い

・ 泣き 寝入 り・ お上 頼り とい うこ とが 習い 性に なっ て、 法律 を知 らな くて もい いと 考え てい るの なら 確か に劣 等生 だ ろう

。他 方、 法 外の 法 とか 生 ける 法 によ る法 治主 義が 機能 して いる から

、法 律を 知ら なく とも 安心

・安 全 が保 てる 社会 だと 考え てい るの かも 知れ ない

。こ との 実相 はど うな のか

﹃日 本人 にと って 法と は何 か﹄ は、 この 調査 結果 に関 して 翌年 に行 われ た二 日間 の共 同討 議の 記録 であ る。 参加 者は 何と 二九 名。 四つ のセ ッシ ョン があ り、 それ ぞれ 報告

・コ メン トが あっ て討 論が 付せ られ てい る。 本稿 に 参考 にな る論 点を 要約 する

﹁日 本人 法意 識を めぐ る諸 問題

﹂に つい て、 前著 執筆 者二 名の 報告 から

。法 は臨 機応 変に 適用 すべ きも ので 法律 とい えど 破っ ても かま わな い、 所有 権に つい て融 通無 碍に 観念 して いる

、契 約も 実情 にそ ぐわ なく なっ たら 情 状酌 量し ても らう

、訴 訟に よる より

﹁私 的な 話し 合い

﹂で 解決 した いと 考え てい る、 と記 して いる

。 そし てコ メン トし た碧 海純 一が 最後 に指 摘し た﹁ 日本 人が 訴訟 をさ ける とい うこ とが

、果 たし て普 通言 われ てい るよ うに 非常 にマ イナ スの

、近 代化 のお くれ てい る面 とし ての み捉 えら れる かど うか とい うこ とに 対し て、 私は 若 干疑 問を 持ち ます

﹂と いう 評価 には

、筆 者も 同感 であ る。 なお

、自 由討 論に おい ては

・日 本中 世の 武家 階層 には 権利 の主 張を 当然 とす る法 意識 があ った

︵三 木新

・義 理人 情は 西欧 の自 然法 の代 用を して いた

︵関 嘉彦

・義 理人 情は 近代 的と いう 言葉 と対 立し ない

︵松 村克 己︶

・自 然法 はイ ンパ ーソ ナル なも の、 義理 人情 はパ ーソ ナル とい う違 いが ある

︵碧 海純 一︶

・法 の定 める 建前 の価 値系 列の 上に

、本 音と して の道 徳的 批判 とか 宗教 的信 念が あっ て、 その 分担 領域 がは っき り して いな いた め、 法の 融通 性の 問題 がで てく る︵ 藤田 健治

︶ など など

、各 学界 から の有 益な 諸意 見が 発表 され てい る。

﹁ 厳罰 傾向 と 政治 意識 の次 元﹂ につ いて

、京 極純 一の 報告

、芳 賀綏 のコ メン トに 続き

、自 由討 論に おい て、

・日 本人 のも のの 考え 方・ 暮し 方で は公 と私 の和 が一 定で

、公 に振 る舞 えば 私を 殺し

︵滅 私奉 公︶

、公 に潰 され た 私は 気 によ って 復権 を主 張す るか ら、 私の 気と いう 心情 主義 にな り理 も非 もな くな る︵ 京極

・﹁ 泥棒 にも 三分 の理

﹂と いう 諺に は日 本人 の法 の軽 視と いう 思想 がみ られ

、法 の適 用・ 解釈 につ いて 融通 性が 求 めら れる こと にな る︵ 三木 新︶

・大 衆は 法を 自分 達を 抑圧 する もの 束縛 する もの 拘束 する もの と考 えて いる

︵村 田克 己︶

・日 本人 の法 知識 の不 足は 学校 教育 に原 因が ある

︵尾 鍋輝 彦︶ との 発言 あり

﹁日 本人 の国 民性 と法 意識

﹂に つい て、 築島 謙三 の報 告か ら。 目上

・目 下な いし 優位

・劣 位の 関係 にあ る人 同志 の間 で用 いら れる 特殊 用語 があ るよ うに

、﹁ 人を 気に する

﹂。 それ も知 人を 気に する が知 らな い人 は気 にし な い。 よい わる いと いう 事理 によ るの では なく

、人 の心 をう かが うか 他人 によ る制 裁の 有無 を行 為の 判断 基準 にす る。

﹁み んな とい っし ょ﹂ とい う集 団の 中で 礼儀 は守 るが

、集 団外 では 守ら ない

。日 本社 会の 氏族 的性 格に 基づ く

階層 制に よっ て、 自律 的個 人の 理念 が阻 まれ てい る。 以上 のよ うな 国民 的特 性が 法意 識に 表れ ると きに は臨 機応 変 に法 を適 用す る大 岡裁 判的 傾向 をと り、 がん こに 法を 絶対 視す るの では なく

、日 本人 特有 のや さし い心 にな る、 と 結ぶ 土 。 居健 郎の コメ ント は、 キリ スト 教的 主客 分裂 の二 元論 では なく

、表 裏の 分裂 を絶 えず 意識 して いる

。日 本人 に とっ て法 律は タテ マエ の問 題で あり

、法 を適 用す る場 合は 融通 しな がら では なく タテ マエ をお 預け にし て、 裏の 世 界で 自由 に動 くと いう 態度 をと る、 と。 なお 自由 討論 にお いて は、

・﹁ 人を 気に する

﹂と いう のは 見ら れて いる 方で 気に して いる とい う受 身の 姿勢 であ り、

﹁み んな とい っし ょ﹂ とい うの は人 間同 志の 合理 的処 理と して では なく 感情 的に 胸を たた いて わか った とい う話 と似 てい る。 カン トの 心情 倫理 学は 日本 でよ く教 える が、 M・ ウェ ーバ ーの 責任 倫理 学は あま り説 かな いの で心 情主 義が 強い ので はな いか

︵藤 田健 次︶

・法 の運 用に つい て融 通性 があ ると いう 話は

、む しろ 自分 が正 しい とい う思 い込 みか らの 御都 合主 義で

、心 情的 に 論理 を無 自覚 にご まか した りす りか えた りし てい ると いう こと では ない のか

。違 憲合 憲論 の盛 んな のは

、心 情的 に渦 中に 巻き 込ま れ、 自己 欺瞞 に陥 って

、政 争の 具と して 使っ てい るか らな ので はな いか

︵芳 賀綏

・形 の上 では 法に 従う 取り きめ をし ても

、守 る段 にな ると 集団 の伝 統的

・習 俗的 な心 理が 働い て融 通し てし まう

︵築 島︶ など

、諸 意見 が交 わさ れた

﹁法 に対 する 意識 とイ メー ジ﹂ につ いて

、石 村善 助の 報告 から

。日 本人 は、 法の 厳格 な適 用を 望む 場合 と法 の寛 容さ を願 う場 合の 両面 を愛 好し 使い わけ をし てい るの では ない か。 客観 的な 存在 とし ての 法を 観念 する のは 苦

手で あり

、そ れが 自他 をこ えた 権利 主張

・権 利意 識の 稀薄 さの 原因 にな って いる ので はな いか

。従 って 権利 主張 の とき は極 端な 利己 主義 とな るか 高圧 的な 主張 とな って

、自 他共 通の 客観 法的 に観 念で きて いな い、 と論 ずる

。 鍛冶 千鶴 子の コメ ント は、 法律 を敬 して 遠ざ ける 一方

、他 方で は法 律に 過剰 な期 待を 持ち

、こ の法 律万 能的 思想 は国 民の みな らず 政治 の分 野で も同 じで

、経 済的 矛盾

・社 会的 矛盾 に対 する 法律 いじ りは 日本 人特 有の もの では な いか

、と いう

。 なお 自由 討論 にお いて は、

・法 に対 する 疎遠 感は まと もな 人は 法律 に関 係し ない 方が 偉い とい う日 本文 化と 関係 して いる

︵碧 海純 一︶

・孔 孟流 の徳 治主 義で は法 律を やか まし くい わな いと いう 心情 が日 本人 を支 配し てい る︵ 鈴木 重信

・言 葉に よっ て保 障さ れた 社会 的正 義が 神に よっ て支 えら れて いる 西欧 に対 し、 日本 人は 気心 に生 きて いる 人間 で 言葉 によ るた てま えは 守ら れな くて も社 会的 正義

・合 理的 人間 関係 は実 現さ れて いる と考 えて いる

︵木 村尚 三郎

・泥 棒に も三 分の 理と いう 諺は 動機 や原 因を 重ん ずる とい う傾 向を 示し 一種 の合 理主 義じ ゃな いか

︵村 田克 己︶

・集 団的 な権 利主 張に つい ては 意識 が高 まっ てお り、 正義 とは 結び つか ない 自分 の利 益主 張に だけ 使わ れて いる

︵関 嘉彦

・律 令・ 継受 法の 例に みる よう に法 は日 本人 にと って 文化 的に 異質 なも ので あっ た。 法・ 文化 とい う本 音・ たて ま えの 乖離 が少 なか った 時代 は江 戸時 代だ けで ある

︵小 田晋

・日 本人 はお のず から 成れ るも のを 真の 秩序 とし て重 んじ

、人 為的 秩序 を尊 重し ない のに 対し

、西 欧で は人 為的 な 制度 を重 んじ 手続 きを 重視 する

︵三 木新

・社 会調 査は 質問 の仕 方に よっ て誘 導的 にな る虞 れが ある ので はな いか

︵尾 鍋輝 彦︶ と、 意見 が錯 綜す る。

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 一 ︶ (ページ 51-61)

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