11月21日 島根県邑智郡桜江町市山 八幡宮。
大元神社(八幡宮の社殿を借りてやる)
もとは、広場に御仮屋を建てゝ神楽をやり祭をやった。大元神楽は四方堅めから始まる。舞(神職)
次清場を 神職2人 荒神まつり 神職3人
山勧請 七五三主(しめ主)祭も1人。
神殿入り、神職1人、祭主側1人 献饌。大祓、奉幣祝詞、主串奏典、撤饌 次に舞に入る。
潮祓、神職1人
太鼓口、大胴2、小鼓2、笛、土拍子各1。
これから祭主の舞となる。
その間に挟んで天蓋、御座。
御座の次に舞子による、手草、五龍王が入る。
綱貫、(3時頃)
六所舞(6時頃)
御綱祭で終る、
太鼓口の次から岩戸、弓八幡、手草、天女切目、剱舞。八岐(ヤタ)、鍾馗、等の祭主の舞が神事舞の間に入る。
大元神社の祭は霜月にやるが日は一定してない。
祭祀権は大体邑智郡一体に亘る。各地の神職13人が集って、1ヶ所で祭の舞をする。現在は10人集る。
舞は神職が伝承している、神職は専業のもののみではなく、他の業についているものもある。各部落で 7 年ごと にやることになっている。やるときは、その部落で費用を持つ。託宣を持つ村は矢戸、旭町に2、3ヶ所のみ残って いる。
蛇の来る所 小市山、後山、古市の 3 ヶ所から。大元さんの森へやって来る。神迎えである。神霊をお連れ申し て来る。御霊という蛇はその後から背負って来る。
この神霊が大元さんという、大元さんは本*に宿ってお*る、大元さんは農耕神である、新穀を以って祀る。
祭のあと、大元さんは、お送りして又山へ帰られる。神木に蛇をまきつけて置く。
このある場所へ大元様を迎えて祭をするのは異例である。この地方では原則では、その神木の下でやるのがほん とうである。神楽はやらなくても、蛇を造って巻きつけるだけの部落もある。
市山では 7年に1度附近の部落のものが集って共同で大々的に霜月に大元様の祭をする。その日は一定していな い。但し夜通しの祭で、神主牛尾さんの挨拶のうちにも月のある晩であるような節があると察せられる。
市山以外の邑智郡一帯にある大元様の祭りから察してもとは市山でも刈入を終った田などの広場に祭場を設けて そこに天蓋もつくり、勧請して祭りをしたらしい。神楽もそこでやった現在市山では八幡神社の拝殿を借りてやる。
7年に1度の式年祭は、理由は不明であるが式年祭をやるのに式舞の神楽に多勢の役が必要であるが、この式神楽 をやるものが今日では部落ごとに誰でもやるというのではなく、大てい神職が伝えているので、ある数の神職が集 らぬとできない。式年祭のときは他の部落にいる神職も呼ばねばならぬので、神職から見れば1度に2ヶ所から呼 ばれても困るので、毎年どこかへ行って、かち合わぬように自然部落単位で7年に1回同じ部落へ廻るようになっ たらしい。普通は神職が13人要るらしい今年は10人来る。
祭の次第は市山では小字の小市山、後山、古市の 3 ヶ所から、大元様を祭場へ迎えて祭をする、がその中心は後 山(こゝに八幡神社がある)らしい。
各小字では新藁で蛇綱を綯い、これを憑代として、その部落の代表の人(これを七五三主…シメヌシ…という)
が、背負板に背負うて当日午後、八幡神社へやって来る。このとき神職の1人が迎えに行き七五三主の先に立って、
御神霊を捧げ口と榊の藁を咬えてやって来る。22日、祭りが済んだあとは又この蛇綱を部落へ連れて帰って、大元 様の居られる森の大木に蛇綱を巻きつける。
この蛇綱を毎年つくって大元様の神木にまきつけることは式年祭のない年でも毎年やる。
祭は午後8時から始まる。
予め各地の来て貰う神職との連絡は後山のシメ主が八幡神社の神職(牛尾三千夫さん)と相談してやる。市山で は後山が中心らしいというのはこのことで、他の2部落は頼んで一しょにやってもらっているような関係らしい。
蛇綱を3体祭る祭壇、神楽が始まると取除き、蛇綱は八幡神殿の階段のところへ預ける。
祭典のときこの前に献饌物を供える。
祭典後はこゝも見物人の席になる。
見物人の中に埋まるように、大太鼓と笛の席もこゝに移る。
式舞のときはこの見物人の中央をかき分けて神職が舞庭へ出る。
舞庭の天井に天蓋を吊る。天蓋の枠は格子に組んだ。太い竹で、これに隅なく赤、青、白の紙重をつけてある。
これを天井に丈夫に吊る。別にこゝで「枠」といっている方1尺5寸程のホの枠を5個吊る。中央と4隅で、これ を東南西北の方位と中央で結び、戸口に神名を書いた長い色紙を巻き込み、周囲はやはり白色の幣を貼る。この 5 つの枠は格子組の天蓋枠に添うて、太い丈夫な紐で吊され、この組は湯立釜のある柱に繰ってあって、天蓋のとき、
この紐を持って神職は上下する。
依幣は本山の方は白。端山は赤。
祭の始まる定刻前、社務所(牛尾さんのお宅の座敷)で夜会がある。
舞は四方堅めから始まる。舞は神職が舞う。何れの舞にも囃子に大太鼓1、笛が入る。これも神職。
四方堅め 神職1人の舞。
湯立(被め湯立)神職2人。舞のあと1人の神職が湯立の釜に御幣を浸し、紙幣の濡れたのを榊の枝で幣串共 掬いあげて、蛇綱に*だずる
荒神祭。神職3人
山勧請 神職1人、しめ主(祭主)1人(後山のシメ主が出る)
神殿入 神職1人、祭主1人
こゝまでは一連の行事として舞が中心ではなく、神事次第として行われるようである、次に祭典。
献饌(数が非常に多い)。大祓、奉幣(見事な大幣で神職 1 人づゝに幣振をする)、祝詞、玉串奉献、撤饌、続 いて神楽となるわけであるが。
神楽に 2 通ある。神職のやる神車舞のもの(これは順序が決っている)と、その舞の間に、はさんでやる。この 地方の神楽団のやる神楽である。(後者をこゝでは舞子のお神楽という)。これはその年の、お花次第によって曲目 も違うたらしい。
撤饌後、祭壇を片付けてしまう。祭壇の上に置いてあった御神体の蛇体 3 ヶも、奥の方の八幡神殿の階の所へ預 ける。
祭壇のあった所も見物席となり子供たちが、どやどやとやって来て舞庭をとりまくようになる。その後楽屋との 間には簡単な引幕が張られ、これから後の神職の式舞はいづれも諸役のものが中央の見物人の間をかきわけて、舞 庭に降ることになる。
又舞子のお神楽は正面に向って右手の舞庭の柱から張ってある幕をかいくぐって現わける。双方出入口だけは違 っている。
まづ潮祓がある。神職の1人舞。
次太鼓口。舞庭へ大太鼓 2 個を対角線に据え、元山の柱の下に小鼓、端山の柱の下に笛と土拍子が地置する。楽 揃えである、可なり長い時間、囃しのみを奏する。太鼓口の次に「御座」があった。神職 1 人。この間に神子の手 草。初め巻いた御座を斜に捧げて4 方を拝し後拡げてこれを振り最後に御座の両端を持って、独りですそ綱飛のよ うに飛こゑる所作をする。
御座が終って、神子の御神楽が始めて登場する。終って、神子のお神楽が初めて登場する。
「岩戸」「弓八幡」の2番を続けて舞う。少し休息があって、「天蓋」神年舞。
神主が中央の枠を揺り動かし、他の2人の神職が、東方、北方と西方、南方の4つの枠を2つづゝ、神主の揺る のにあわせて上下し、揺らせる。もつれるようで仲々5つの枠はもつれない、可なり急激な所作で上下する。
「弓八幡」の次が天蓋、天蓋揺りが終って神子のお神楽、山の大王、恵美須、鍾馗。
次、綱貫、神子の天女切目、剣舞、八岐
次、六所舞、神子のお神楽(この曲目不明)寝てしまった。
次 お綱祭で終る。
神子のお神楽はいはば見物人を興奮させる余興のようなものである。大てい黒鬼が暴れ廻ってとどのつまりは神 に退治される型のもので、全員仮面を用いる。服装はこの地方独特のシシュウの縫込みや、ガウスモをはめこんだ、
ケンラン、ピカピカの衣装。
悪鬼の役は大てい猿面、狐面をつけ、見物の中を飛廻る。舞台へ登場するとき、引幕をしぼり上げるようにして、
これを神役と2人でぐるぐる廻って、逃げたり、追かけたりする型は面白い。
舞庭の飾付は前述の外に各欄間に見物席の方も楽屋の方にも述びて一面に、半紙に花を切り抜いた。(三河の花祭 のゼザチ)ものを並べて貼り吊す。これを、こゝでは四季という。四季の季節の花の型を切抜いたものが大部分で あるからの名称である。
拝殿へ上に正面の階段の左手少し後方、庭の中央に終夜 1 ヶ所焚火をする。これを、サイトウといっている、見 物の子供等がときどき暖をとっている。
山勧請。神殿入は蛇綱即ち大元さまを、このヤシロへ降臨される仕草が主となっている。故に、この 2 つは元山 の俵を掛けた柱が中心となって行われ、それ以後は式舞はこの柱が中心となっているような舞となる。
奉幣も元山の方に向って幣据をする、散米もこの柱の元に置く。お綱祭のとき蛇綱の首はこの柱に巻きつけ、胴 は、これから対角線に天蓋に所々結んで、尾は端山の俵のところとなる。最初蛇綱を運んでくるとき、首を持った 神職を先頭に1個蛇綱を支えて 1列に中央から舞庭に下りるが順々に元山の俵から、そこに挿してある小幣を引抜 いて、蛇体に刺して行く(綱貰)。
最後のお綱祭のときは蛇体の胴の天蓋に括ってある所を外して、首と尾だけが双方の柱に結んで胴は少しタルン デ下るようにし、神職はこれを左右に唱言をしながら揺ぶるのである。託宣のある村では、このとき神職が、神懸 り状態になる。
始まる前に聞いた曲目の順序と、写真に撮映した順序とか少し違っている。写真に撮映した順序に従えば 四方堅(式)湯立(式)荒神まつり(式)山勧請(式)神殿入(式)祭典、
潮祓(式)、太鼓口(式)、岩戸(舞)、弓八幡(舞)、御座(式)
天蓋(式)五龍王(舞)手草(舞)天女切目(舞)綱貫(式)
剣舞(舞)八岐(舞)六所舞(式)鍾馗(舞)
御綱祭(式)山伏(舞)