二
〇 一 八 年 一 月
「 今 月 の 言 葉
」 と 「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
戦 い で 百 万 の 敵 に 勝 つ よ り も
ひ と り の 自 己 に 克 つ ひ と が ま こ と の 最 上 の 勝 利 者 よ
。
『 ダ ン マ パ ダ 』
日常 生活 にお いて
、勉 強 やク ラブ 活動 など で 自分 との 戦 いを 試さ れる 場面 は たく さん ある と 思 いま す。 その なか で、 つい 人 と比 べて 優越 感や 劣等 感を 感 じて
、 喜 んだ り悩 んだ りす る こ と があ るよ うに 思い ます
。 し かし
、本 当に 大切 なこ とは
、「 自分 自身 に克 つ」 こと なの だと 釈尊 は教 えま す。 メ ジャ ー リ ー ガー のイ チロ ー選 手も
「人 に 勝つ とい う価 値観 では 野球 をや って い ない
」と 述べ られ て い ま す。 もち ろん
、時 とし て互 い に高 め合 うこ との 出来 る仲 間 の存 在 も 必要 だと 思い ます
。 で す が、 最後 は自 分と の戦 いに 尽 きる と思 いま す。 つい 誰か と 比較 し が ちで すが
、ま ず自 分 自 身 の目 標や すべ きこ とに どれ だ け一 生懸 命に 取り 組め たか を 問う べ き でし ょう
。最 大の ラ イ バ ルは 自分 の外 にあ るの で は なく
、自 分 自身 なの だと 改め て教 えら れる 言葉 だと 思い ます
。
今 月 の 聖 語
善 き 人 々 は
遠 く に い て も 輝 く
‐ 雪 を 頂 く 高 山 の よ う に
『 ダ ン マ パ ダ
』
釈尊が 述べ られ るよ うに
、善 き 人は 遠く にい ても 輝い てい るよ うに 思い ます
。 ここ でい う
「 善 き人
」と は仏 教的 な意 味 で
、「 真 理に 達し た人
」を 指し ます
。 こ の言 葉を 広く 日常 生活 に置 き 換え て考 えて みる と、 例え ば「 何事 も一 生懸 命 に取 り組 む 人
」、
「友 達、 クラ スの 仲間 を大 切 にす る 人
」、
「 部活 動の 競技
、種 目に おい て凄 い 技術 を持 っ て い る人
」な どが
「善 き人
」に 当 ては まる ので はな いで しょ うか
。そ し て、 それ らの
「善 き 人
」 は自 分自 身に とっ て、 仮に 学 校や クラ ス、 部活 は違 った と して も
、 キラ キラ と輝 いて 見 え る ので はな いで しょ うか
。 人 から 良い 刺激 を受 けて
、一 歩 でも 自分 自身 が思 う「 善き 人」 に近 づ いて い く ため に、 こ の 言 葉を 日常 の教 訓に し、 今年 も精 進し てい きま し ょ う。
合 掌