二
〇 一 五
年 二 月
「 今 月 の 言 葉 」 と 「 今 月 の 聖 語 」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
根 を 養 え ば 樹 は 自 ら 育 つ
東 井 義 雄
植 物の 根は 土の 中に あり、目 には 見え ませ ん。 しか しな がら
、そ の 見 えな い根 は大 きな 枠 割 り を果 たし てい ます
。土 の中 に しっ かり と根 を張 り、 幹全 体 を支 え ま す。 そし て、 根か ら 吸 収 した 水分 や栄 養分 を幹 や枝 葉に 送り
、そ の結 果
、 植物 はた くま しく 生長 し て いき ます
。 で は、 私た ちの 日常 に置 き換 え ると
、こ の言 葉か らど のよ う なこ と が 教え られ るで しょ う か
。 私が 中学 生の 頃、 野球 部の 監 督は
「走 るこ とが 基本
」と い うこ と で
、と にか く走 らさ れ ま し た。 大変 きつ く、 正直
、あ ま り楽 しく ない 練習 でし たが
、 体力 が つ いた 実感 は確 かに あ り ま した
。競 技に よっ て練 習内 容 は違 うか も知 れま せん が、 自 分自 身 の 土台 とも 言え る根 を 鍛 え るこ とは
、体 力、 技術 の向 上 に不 可欠 です
。そ の練 習は
、 一見 退 屈 な反 復練 習か も知 れ ま せ んが
、土 台が 出来 てこ そ次 の ステ ップ に上 がれ るも ので す
。日 々 の 学習 でも 同じ 事が 言 え る と思 いま す。 基礎
(土 台) が あっ ての 応用 です ね。 やは り
、何 事 に おい ても 土台 とな る 根 は 大切 なも のだ と改 めて 教え られ ます
。 最 後に
、平 安学 園に 通う みな さ んは
、「 三 つ大 切( こ とば
・じ かん
・い のち
)」 をし っか り と 心 の土 台に して
、日 々の 学園 生活 を送 って もら い た いと 思い ます
。
今 月 の 聖 語
ジ ャス ミン の花 が 萎しお
れた 花び らを 捨て 落と すよ うに
、 貪むさぼ りと 怒 りと を捨 て去 れよ
。
『 ダ ン マ パ ダ 』
ジャス ミン が萎 れた 花び らを 落 とす よう に私 たち も、 貪り と怒 りを 捨て るよ う にと 釈尊 は 述 べ られ てい ます
。仏 教の 言葉 で 心身 を悩 ませ るは たら きを 煩悩 とい いま す。 こ の煩 悩の な か
、 特に 私た ちを 悩ま すも のに
「 三毒 の煩 悩」 とい うも のが あり ます
。こ の「 貪 り」 と「 怒 り
」 はそ の「 三毒 の煩 悩」 に数 え られ ます
。自 分に 都合 の良 いも のを 貪り 求め る こと と、 自 分 の 都合 の悪 いも のに 怒る こと で す。 自分 の欲 して いる もの を貪 り過 ぎる と自 分 の身 を滅 ぼ す こ とに なる かも 知れ ませ ん
。「
~ 依存 症」 と いう 言葉 もあ りま す。 自 分の 都合 の悪 いこ とに 怒 り を覚 え、 それ がエ スカ レー ト する と争 いが 起こ りま す。 そん な心 のあ りか た を少 しで も 反 省 し、 たと え全 て捨 て去 るこ と が出 来な くて も、 自分 自身 を コン ト ロ ール して いく こと が 大 切 だと 思い ます
。日 々の 生活 の中 で教 訓に なる 言 葉 です ね
。