二 〇 一 七 年 十 二 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
歩 ん で い て も 、 と ど ま っ て い て も
、 ひ と の 命 は 昼 夜 に 過 ぎ 去
り 、 と ど ま り は し な い
。
―
河 の 水 流 の よ う な も の あ る 。
『 ウ ダ ー ナ ヴ ァ ル ガ 』
早いも ので 十二 月 に 入り
、 今年 も残 す とこ ろ 一ヶ 月と なり まし た。 一年 経つ のが あっ と いう 間 な気 がし ま す が、 今 月の 言葉 の よう に 私た ちの 命 には 限り が あ り、 河 の流 れの よ うに と どま るこ と を あり ま せん
。私 た ちは
、つ いつ い そ うし た現 実 を 忘れ て しま って い るの で はな いで し ょ うか
。 命 は今 日 限 りだ とい う思 い を 持て ば、 や ら なけ れ ばな らな い 目の 前 のこ とに 対 し ても
、 後 回し に せ ずに
「い ま すぐ や ろう
」 とい う 気持 ち にな り、 す ぐ行 動 でき ると 思 い ます
。命 だけ でな く、 月日 もと どま るこ とな く過 ぎ去 って いき ます
。 以前 か らや ろう と 思 って い た こと
、 い まや らな け れば な らな い こと が あれ ば
、年 が明 け てか ら では なく
、 今 年中 に 実 行し て み まし ょう
。
今 月 の 聖 語
「 愚 者 三 人 に 智 者 一 人 」 と て
、 何 事 も 談 合 す れ ば 面 白 き
こ と あ る ぞ 。
『 蓮 如 上 人 後 一 代 記 聞 書
』
よくニュ ース で「 談合
」と いう 言 葉を 耳 にし ます
。競 争 入 札を す る前 に、 業 者同 士 が事 前 に話 し合 い、 落 札者 と落 札価 格を 前 もっ て決 める とい う、 不 公正 な話 し合
いを 指 しま す。 本来
、「 談 合」 とは
「皆 で寄 り集 まっ て話 すこ と」 を意 味 しま す。 今 月 の聖 語 は蓮 如 上人 の言 葉 です が、 愚者 三 人で も智 者一 人 分 の知 恵 が出 るよ うに
、仲 間 と寄 り合 って 話 し合 うこ とに より
、良 い知 恵も 浮 かび ます
。一 般的
によ く耳 にす る「 三 人 寄れ ば 文 殊の 知 恵」 と同 じた とえ です
。自 分 ひと りで は、 なか なか 良い 知恵 が浮 かば ない こと があ りま す。 一 人で は考 え方 も狭 まっ てし まい ます が、 そん なと きに 他 の人 の意 見を 聞 き、 人と 話す こと で広 い視 野で 考え るこ とが でき ます
。 とこ ろで
「三 人
」と いう 人 数 です が、 話し 手 と聞 き 手、 そし てそ れを 客 観 的に 見 る人 とい う、 非 常 にバ ラン スの とれ た形 だそ うで す
。二 人 だと 意見 の対 立 が起 こる 場 合 があ るか もし れま せ んが
、そ んな とき に客 観的 に見 る人 がい れば
、話 がこ じれ るこ とは 少な いで しょ う。 どち らに して も、 一 人で 考 えて 良い 案 が浮 かば ない とき は、 積極 的 に談 合し てみ ては どう でし ょう か。