↓
サン
六 五 四 三 二 一
むすび ︵以上次号︶
⇔ ﹁市民法﹂ e ﹁市民状態﹂ ﹁市民状態﹂ ﹁未開状態﹂ ⇔ 社会契約論批判 e ﹁社会状態﹂の崩壊 ﹁社会状態﹂から﹁未開状態﹂への移行 ⇔ ﹁一般社会﹂ ︵以上本号︶ e ﹁社会状態﹂︑﹁社会生活﹂︑﹁社会的人間﹂ ﹁自然状態﹂﹁社会状態﹂序論i問題の輪廓一
目 次 吉ロベスピエール派独裁の思想構造一 −ジュストの社会理論
ーサン鴨ジュストの社会理論一
田
静
五一
一
1論 文1
五二序論一問題の輪廓1
ナ ル ヨ ゆ フランス革命の一七九三年から四年にかけてと言えば︑誰しもがかの﹁恐怖政治﹂モンタニャール独裁を想い起
すにちがいない︒九三年五月三一日−六月二日のジロンダン追放を歴史的転換として︑一方では内・外の反革命を制
圧し︑他方ではフランス革命の市民革命としての課題を極限化しつつもっとも徹底したかたちで遂行したにもかかわ
らず︑その極限化のゆえにかの ﹁テルミドール反動﹂ によって終結せしめられなければならなかった一つの歴史劃
期︒1それは︑ロベスピエールのいわゆる﹁革命政府﹂の9<oヨ︒ヨ︒旨泳<oぎ菖9尽胃①の時代でもあったが︑そ ハ ロの法的表明は︑ ﹁フランス政府は︑平和が到来するまで革命的である﹂とする一〇月一〇日の法令によって︑その原 ハ り理は︑一二月二五日のロベスピエールによる演説1﹁革命政府の原理について﹂−︑ついで翌年二月五日の報告 ハ り一﹁政治道徳の原理について﹂1によって︑与えられた︒
ところで︑このモンタニャール独裁が︑人民主権論を基軸とするルソー理論の政治的表現であったということ︑言
いかえれば︑モンタニャール︑とくにロベスピエール派の理念は︑ルソー理論の系譜をひくものであったというこ
と︑このことは︑思想史におけるいわば常識である︒しかし︑それは︑語られること多くして︑分析されること余り
にも少い常識であった︒ーロベスピエール派は︑自らの政治的実践によって克服すべき現実を︑いかにとらえ︑い
かに批判していたのか︒そのさいの批判の基準ともなるべき基底的理論は︑いかなる構成をとっていたのか︒そして
その理論樽成は︑ルソー理論との継承関係からみるとき︑いかに位置づけられるのか︒こうした問題は︑フランス革
命の思想構造を明らかにするためにも分析されなければならない問題であったにもかかわらず︑今日まで放置された
まま︑思想史研究のいわばうすぐらい側面をなしていたように思われる︒もっとも︑こうした事態には︑それなりの
理由があった︒何よりも先ず︑内・外の複雑な諸条件の合成力としてのみ成立しえたロベスピエール派独裁のきわめ
てドラマティックな政治実践は︑ロベスピエール派に関する研究を︑著しく政治的︑社会的な方向にみちびき︑その
結果︑かれらの政治実践の基礎に横たわっていた理論を︑内在的に分析し︑再構成する作業が立ちおくれざるをえな
かったという事情を︑指摘することができる︒しかしながらいま一つ︑さきの事態を招いたさらに重要な要因とし
て︑われわれは︑史料的制約をあげておかなければならない︒もともと︑フランス革命を語ることが直ちに自己の思
想を語り︑時の政治にたいする態度を決定するという︑フランスの歴史家自身に自覚された政治的制約のもとにあっ
ては︑たとえば︑サンUジニストの﹃共和制度論断片﹄のように︑たとえひと度発表されたものでさえ︑デフォルメ
されなければならなかった︒そしてこうした政治的︑史料的制約は︑ ロベスピエール派の思想を再構成するという
課題を︑妨げるものであった︒
しかし︑さい近︑ソブールの手によって発表されたサンジュストの二つの草稿−一つは﹁共和制度論断片﹄ ハづり問βの目窪富霊二8冒ωユけ葺δ拐撤℃旨属8ぎ8のオリジナル・テキストによる復原︑他は﹁自然︑市民状態︑国家︑
あるいは政府の独立の諸規則について﹄U三豊旨味9琶.畢︒茎琶ら昼︒・諒謬一︒ωα︒一.一β§①昌︑
α嘗8300β<o旨︒ヨ︒旨と題された嵐榔1は︑われわれに^ロベスピエール派の思想の再構成を︑可能ならしめ
ているように思われる︒したがって︑わたくしは︑これらの草稿を基礎にしつつ︑サンジュストの社会理論の内部
毒蓼明ら犯するこたよって︑さきに棄した課題鍾ってい莞いと思う.さしあたって︑いまここでとりあ
げるのは︑ ﹃自然︑市民状態⁝⁝﹄である︒ルソーの理論構造との親近性如何を見定めるためには︑そのほうがより
ーサンジュストの社会理論一 五三
一論 文一 五四
有効であろうと考えたからである︒ただしかし︑ここでわたくしが試みたいと思っていることは︑もっぱら︑サン
ジュスト社会理論の基本構成を︑ ﹃遺稿﹄に内在しつつ抽出することにあるのであって︑その社会理論の形成がいか
なる社会的政治的諸条件のもとで可能であったか︑さらにサンにジュストの理論がフランス革命の展開過程のなかで
いかなる役割をになうことができたか︑については別個の課題として︑さしあたっていまは︑ふれないつもりである
ことを︑あらかじめ断っておきたいと思う︒
直接主題に入る前に︑なお二つのことを書きとどめておこう︒その一つは︑従来のサン髄ジュスト研究が含む問題
性についてであり︑他は︑サンジュスト思想の展開過程における﹃遺稿﹄の位置についてである︒
一︑すでにサントブーヴによって﹁血に飢えた虎﹂︑ ﹁残忍で芝居じみた青年﹂と評され︑ラマルティーヌによ
って﹁ドラコンの共和国を夢想する者﹂とされて以来︑サンロジュストは︑文学者あるいは詩人の興味をひくことは
あっても︑批判的歴史的分析の対象になることは稀であった︑と言われている︒しかも︑その稀な研究においてさ
え︑サンジュストは︑もっぱら︑ユートゥピアン︑平等主義の夢想者︑スパルタ的共和国への追慕者︑あるいはド
イツのシュレーゲル︑イギリスのシェリーにも比せられるべきロマン主義者︵﹁革命のシェリー﹂!︶として︑語ら
れていた︒もっとも︑それが全くの誤りである︑と断定することはできない︒古代国家︑古代の人民︑古代の制度へ
の追憶︑現実におけるその復活への志向︵﹃共和制度論断片﹂における諸制度は︑そのためのものである︶︑こうし
たサン目ジュストの思想内容それ自体は︑さきの批評に論拠を与えるに充分であった︒しかし︑サンジュストにた う ち ちいするそうした論断を認めるためには︑もう一つの正確な限定を必要とする︒それは︑ ﹁近代的市民的社会の政治的
︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︵6︶な頭部を古代ふうにつくろおうと欲することは︑何たる大きな錯覚であろう!﹂という表現のなかに見出だされるは
ずである・サン茎・スあ思想内葦︑歴史の必然讐の鶴のもと旨い姦あ£のみ︑さきの論断は︑正確
度をかちうるのである︒
しかし・サヤジ・ストヘのこうし窺評繕いして︑かれの思想のなかに︑何らかの現実の反映︑何らかの﹁現
実性﹂を見出だしていこう与る態度も︑当然のことながら打ち出されていた.それは︑サンnジ.ストの思馨︑
かれがおかれていた現実とは無関係にそれ自体としてとり出すことなく︑逆に現実に密着せしめつつ︑その歴嵩現
実簑とらえ・そうし窺嘉らかれの田心馨︑すぐれて歴器に評価していこう与る籠緩かなら蘇.その
ためには︑二つの要因︑すなわち︑かれの思想形成の基礎となったかれ自身の個人的経験およびかれが自らの思想を
髭するさいの基盤となった社会全体の現状という二つの要因が︑重要視されなければならないであろう.こうし
て︑一方では︑サンジュストがかれの思想形成期にすごした地方が︑ほかならぬ大農経営の地方であって︑そこで
は養の土地喪失・零落化が進行していたがゆ・歪︑土地所有農民の創出というかれの理念は︑歴史的現実性︵土地
喪失欝の願望の反映︶髪ちあふれるものであっをとが︑そして他方では︑当時のフランス社会の現状は︑資本
主義経済の昊な麗麗もかかわらず︑未だな蕃葱小経笙産と小経営主辮神と袈配壇あって︑サンジ
ュスあ思想はどうし建会層︵−サン・キ・・ット︶の反映緩か弩なかったということが︑結論づけられう
る与るのであ形勢藩ぎサンージ・ストのすがたが︑ここにえがきだされるのは︑当然であろう.しかし︑ ヤ ヤ ち セ ヨ ちそのさい念のた筐つけ加えておく馨ば︑そういうばあい看︑そのことは︑かれの思繋歴器妥当性をもって
いたということには﹂必ずしもならない︒それはまた︑別個の問題である︒
こうして︑従来の研究は︑ロマン主義者・サンHジュスト︑現実主義者・サンジュストという︑一見相交わらざ
五五 ーサン靴ジュストの社会理論1
1論 文− 五六
る二つの像をつくりあげてきた︒そこに︑いわゆる﹁ルソー問題﹂との類似性を見出だすことは︑必ずしも困難では セない︒困難なのは︑社会の激動期における小ブルジョア思想の歴史的内容︑歴史的役割を確定することである︒︐﹁ル
ソー問題﹂ともども︑サンジュストに関する従来の研究が提示してきた問題の解決は︑したがって︑同時に︑激動 ぬ期における小ブルジョア思想が︑必然的に含まざるをえない﹁歴史的逆説﹂をときほぐすことでもあるように思われ
る︒ ︑ ︑ ︑ ︵8︶ 二︑ルソー理論の直接的影響のもとに書かれたど言われる﹁共和制度論断片﹄以前に︑サンHジュストは︑﹁フラ
ンスの革命および憲法の精神﹂け.8鷺評号﹃国警︒富岳︒口︒け号﹃Oo房葺9δb号肉醤旨ρ旨旨を書いている︒
それは︑普通︑モンテスキューの影響のもとに書かれ︑強烈な現実批判の書というよりもむしろ立憲議会の肯定を内 ︵9︶容とするものと言われているが︑そうだとすれば︑サンuジュストは︑モンテスキュー理論からルソー理論へと﹁転
向﹂.したのであろうか︒実際︑サンUジュスト研究では︑この点に注目してかれの思想的﹁転向﹂がしばしば問題に
され︑かれの思想的発展の非連続性が強調されたり︑かれの思想と実践とを時流に乗じたものとしたりされている ち ちが︑しかしそのばあいには︑かれの思想の内的成熟が見失われ︑そればかりかそれにたいして革命的激動が与えた作 ︹10︶用︑あるいはそれら両者の相互作用をも見失ってしまうことになる︒こうした危険をさけるためには︑かれの思想を
革命的激動と関連させながら跡づけていくことが必要である︒そうしたばあい︑ ﹃革命の精神﹄以降のかれの思想的
発展は︑およそこうなるであろう︒ ち セ ち た ち すでに﹁革命の精神﹄においても︑政治的平等が現実のものとして確認され︑社会的平等もまた原理的には確認さ
れていた︒そして︑そこにおける君主制肯定は︑実は︑社会的平等の原理へ到達する一段階として︑そこへ到達しう
る可能性を含むものとして︑認められていたのであった︒しかし︑現実の事態は逆行した︒一七九一年における国王
の逃亡︑九一年憲法の政治的非有効性は︑君主制が自由および平等の観念と両立しえないことを明らかにしたであろ
うし︑九二年︑国民の意志を無視した対オーストリア宣戦は︑国民の利害と国王の利害との離反を確認せしめるのに エラン充分であったであろう︒サンーージュストの共和制への飛躍は︑ここに決定的となる︒それは︑現実にたいする安易な
妥協でも思想の﹁転向﹂でもなく︑自己と国民の利害とに忠実なレアリスト・サンUジュストの︑革命フランスの課
題に沿った思想的︑理論的成熟にほかならない︒しかも︑かれがこの線上をたゆみなく歩もうとするならば︑革命に
よる政治的成果はあくまでも確保されなければならないし︑ 社会制度の変革にまでつき進まなければならない︒ 政
治︑社会︑家族︑教育︑農地に関する謙緋鹿の編成︑確立をこととした﹃共和制度論断片﹂は︑そのための草稿なの
であった︒しかし︑それは︑ついに実現することなく︑ ﹁テルミドール反動﹂は︑サンジュストの身を奪ってしま
ったのであった︒
革命の只中にある人間の思想的展開を︑内在的に正しくとらえあげるためには︑革命的激動がかれの思想に加えた
イムパクトを︑たんに外在的なものとしてではなく︑内部滲透的なものとして︑ いわば思想の内的展開の発条とし
て︑組み込む必要がある︒さもなければ︑思想的展開の非連続性︑相互矛盾のみが前面に押し出され︑統一的把握を
不可能ならしめるからである︒ ﹁共和制度論断片﹂へと集約されていくサンジュストの思想的展開もまた︑まさに
そのような方向で跡づけられなければならない︒
ところで︑われわれがここで取り扱う﹁自然について⁝⁝﹄と題された草稿は︑サンジュストの思想的展開のど
こに位置するであろうか︒それが書かれた年代は︑必ずしも明確ではない︒しかし︑①一七九三年四月二四日の憲法
ーサンジュストの社会理論− 五七
一論 文− 五八
についての演説のなかで︑この草稿の章句が︑修正されて使われている事実︑ωこの草稿の一部に︑一七九三年九月
の立法議会を暗示した箇所が見出だされること︑これら二つのことを考慮して︑この草稿は︑一七九二年九月から九 ハハレ三年四月の間に書かれたと推定しうる︑とされている︒この時期は︑国民公会の最初の半年間に当る︒そして︑サン
ジュストが公安委員会に入り︑政治指導者としてたち現れるのは九三年七月であって︑それまでの間にかれは︑統
ち ロ ヤ治の一般的問題に腐心し︑国民公会における︑経済︑軍事︑憲法問題についての演説も︑政治的というより理論的で
あった︑と言われている︒さきの草稿は︑ほぼこの時期に書かれたと推定されているのである︒しかも︑それは︑
﹁共和制度論断片﹄に比して︑体系づけられた構想のもとに書かれ︑サンUジュスト思想の完成像をそこにのぞかせ
ている︒したがって︑この草稿の再樽成をこころみることによって︑サンロジュスト思想の完成像をえがき出すこと
が︑ここでのわれわれの課題となるのである︒
︵−︶男碧℃o旨︷巴け霊8目合8菖まαo器一92σ=p口篭﹃o一8﹃8ω讐糞・冒ω鱈Oh額ぎ胃露虫︒βαo一︑>暑一霞
客︒巳言口き幹×<一HどロP一〇?一9
︵2︶閑8唱︒旨ω畦一︒ω℃言書︒ωα①職︒塁︒B①昌昌ヰ曾︒一昌︒旨弩ρ忽目8身㎝暑ひω︒・R蜜︒旨︒彗・酋×もマ
㎝一ート
︵3︶u一ω8弩ωα︒幻︒ご︒畳︒駿︒の亘二︒ω℃善書︒ωα︒ヨ︒邑︒ロ︒一憲2︒ρ三α︒訂糞讐置︒﹃一︒o︒馨︒注8盆暮
一.呂巨三ω冨一一8⁝曾一︒畦︒︒σ同書昌=曾pωα目8身ミ巳薯δ︒pR蜜︒艮︒員ド区員もP8一φ
︵4︶け︒ωH昌ω葺良9段曾・σ=琶ま乙︒ω節ぎ二舅ム.昌曇日︒ω暴2ω︒葺ωα︒一節田窪︒浮9器詳一画︒邑︒︵>目巴8
三90ユ28号﹃国警〇一口臨O口囲β5鴫巴ωP這&・ロ︒ω︶﹃共和制度論断片﹄は︑一八○○年ω二9の手によって刊行され︑
それに依拠して一八一一二年にはO訂ユ9Zo&霞 によって新版が出された︒一洗O八年の全集には︑この版に従って収め
︵5︶
︵6︶︹7︶
︵8︶︵9︶
︵10︶︵n︶
﹁わたくしは︑
固なものになりうる︑と考えた︒これがこの篇の目的である︒﹂ーサンnジュストの遺稿﹃自然︑市民状態︑国家︑
あるいは政府の独立の諸規則について﹂の第一篇は︑この言葉から始まる︒それは︑ ﹁社会状態について﹂Uo一.傘鉾
ω8芭と題され︑自然︑社会︑社会的人間︑未開状態︑最初の約束︑立法の原理︑自然法︑社会生活の原理︑権利︑
主権︑等のテーマが包括されている︒そして︑ここで.かれは︑自然法論者に特有な自然状態の設定をおこない︑そ
の論理的解明とともに︑社会形成の原理︑現実批判の基準を定置している︒第二篇は︑﹁市民状態﹂一.ぴ貫け鼠色︒が
主題とされる︒ここでは︑独立︑平等︑市民法一〇ぼ9邑8︑婚姻法︑相続︑農地法︑商業︑というような︑人間欲
望の体系としての﹁市民状態﹂に含まれる市民的諸関係の諸原理︑諸規則が展開され︑第一篇における﹁社会状態﹂
との相互連関性が追求されている︒あらかじめ言っておくならば︑第一篇﹁社会状態について﹂のなかでは︑人間社
ーサンU乾ユストの社会理論i 五九 られている︒しかし︑ジャコバン派と相容れないナポレオン体制のもとにおけるその刊行は︑かなりの改竄をうけ︑その点についての史料批判は︑ソブールによって克明におこなわれている︒ d旨旨P琶ωR穽ぎ盆算盆ω巴旨ロ冒の骨︵>口器一9窪ω8二28山O冨国警﹂繋8マ忌9這㎝一︶ マルクス﹃聖家族﹄ ︵岩波文庫版︑二一一頁︶︒ Oh>︒ωoσ〇三い︒ωぎω二言菖8の目95一一臼凶器ω︑℃P800−一P この点については︑ソプールのすぐれた解説を参照︒ Oい9ピohoσ畦9¢巴旨−冒ω一︵国εαoωの畦言開警〇日暮一〇口詩曽鴫鉱ωP一〇認y℃・8・ O抽閏O霞oo一〇の一ω巴糞・冒ωωoの︷急8℃o一三20ωo叶ω09巴¢ω一一〇ωざ ℃ワHω−認・ この草稿に附されたソプールの解説を参照︒ 社会状態一.傘鉾の8巨の諸原理を認識しようと思い︑この状態は︑自然を基礎にしてはじめて強
一論 文− 六〇
セ ぬ会の歴史的展開を辿りつつ︑現実批判の基準としての政治原理が照準されているのにたいし︑第二篇﹁市民状態につ ち しいて﹂では︑その政治原理の基底としての︑経済的諸関係を設置しつつ︑しかも前者の後者にたいする拘束性︑優位
性が確言されているのである︒第三篇は︑ ﹁国家について﹂Uo一曽含叡︑第四篇は︑﹁国王について﹂Uロ3一と題さ
れ︑そこに含まれるはずの諸章が遺稿の一部に明記されているが︑しかし︑われわれの手もとに残されているのは︑
第三篇の第一章﹁国家とは何か﹂のみであって︑以下の諸章の内容については︑全く知ることができない︒おそら
く︑これらの篇において︑サンnジュストは︑かれの政治原理︑政体論を︑より明確なかたちで展開するつもりであ
ったのであろう︒しかし︑それが残されていない今は︑それらについては︑第一篇における叙述展開から︑その基本
線のみを再樽成することだけで満足しなければならない︒
サン目ジュストの﹃遺稿﹄の篇別構成は︑ほぼ以上のとおりである︒したがって︑われわれの分析も︑また︑第一
篇ならびに第二篇に限られ︑そこからかれの思想構造を再構成することにとどまらなければならない︒
二 ﹁自然状態﹂﹁社会状態﹂
近代自然法理論が︑自然状態ぴ5けβ言お一を歴史的あるいは論理的前提として設定し︑社会契約8旨轟け89的一
によってその状態を脱したとすることを基本的論理としていたことは︑もはや周知の事柄に属するであろう︒近代自
然法理論におけるこうした自然状態︑ならびにそれを規律する自然法一〇一口口言お臣の定立は︑それによって社会︑
国家の合理的構成を基礎づけるためのものであった︒しかし︑そこでの自然状態の論理構成︑および自然法の性格を
いかなるものとしてとらえるかは︑それを基礎とする社会ならびに国家形成をどのように把握するかという特有な問
題に︑直ちに結合していたのであって︑しかも︑このような問題の把握様式の差異は︑その社会構成︑国家理論︑政
治原理の相違︑対立として現れたのであった︒このことは︑ホッブズ︑ロック︑ルソー︑ディドロというような近代
自然法理論の主流をなす思想家をとりあげ︑その論理構造を比較するならば︑容易に気付くところであろう︒
ところで︑サンロジュストもまた︑基本的には︑近代自然法理論の伝統の継承のうえにたっている︑と言ってい ︵1︶い︒もっとも︑かれは︑自然状態と社会状態ひ9けω8芭とを等置しつつ︑もっぱら社会状態という用語を用い︑し
かも︐それを︑論理的設定と歴史的実在との重畳として把握している︒他方︑かれは︑現実の状態を未開状態簿ooげ
ooE毒腺とし︑それをもたらした社会契約を︑自然に反する人為的なものとして︑激しく非難する︒このことは︑
近代自然法理論のなかでの︑サンUジュスト独特の問題把握の方向を窺知せしめるものであろう︒さて︑以上のこと
を念頭におきつつ︑われわれは︑サンジュストの理論構成に立ち入っていくことにしよう︒
︵1︶ 遺稿の削除された部分には︑こう記されている︒ ﹁⁝⁝社会状態もしくは自然状態一.ぴ冨梓89﹄oβ昌9目色の諸原理
⁝⁝︒﹂サンHジュストにとって︑社会状態と自然状態とは︑同じ意味内容を含むものであったことが︑これによって理解
されうるであろう︒
6 ﹁社会状態﹂︑ ﹁社会生活﹂︑ ﹁社会的人間﹂
サンジュストにとっての自然状態︑すなわち﹁社会状態﹂は︑何よりも先ず自然一〇〇巨霊3を基礎とする︒自 ち セ ちハソロ然こそが︑ ﹁事物の諸関係における⁝:・確証と真理のかなめ﹂だからである︒したがって︑ここでの自然︑あるいは
ナチュール ナチュレール人間の本性︑人間に本来的な志向は︑サンnジュストの理論の基礎になるべきものであり︑その対極には︑たとえば
約束︑契約というような人為が置かれる︒ ﹁事物の諸関係が︑特殊的なあるいは個人的な約束8口奉旨δ諺冨三︐
ーサンUジュストの社会理論− 六一
1論 文− 六二
〇自警︒ω2窟誘9器一一霧であるとは認められないであろう︒自然は︑約束が始まるところで終るのだ︒﹂﹁物理的秩
序一.o包89邑ρ器のもとで︑もし事物が︑人為的約束8ロ<9葺9も8民話によって瞬時でも支配されることに
なれば︑すべてはやがて瓦解し去るであろう︒道徳的秩序一︑〇三おヨ9巴のもとでも︑人間が︑自然の代りに人間 ハ ロの約束をもってくるために︑すべてが混乱してしまうのだ︒﹂ したがって︑ ﹁社会状態﹂は︑約束から生れるもので セ セ セは決してない︒そこでの人間は︑自らの本性にしたがって生活し︑その限りでは︑人間は文明化されるのである︒そ
して︑逆に︑人間が自らの本性を喪失し︑支配と隷属によって結合させられるとき︑かれは︑ ﹁未開人﹂ω窪く囲Φω
ハ りに転落する︒
ところで︑ ﹁社会状態﹂にある人間は︑いかなる状態にあったのであろうか︒かれらは︑孤立して生活を営んでい
セ セ セ ヤたのであろうか︒それとも最初から何らかの集団を形成していたのであろうか︒もしそのばあいには︑集団形成の契
機は何であったのであろうか︒
サンuジュストは︑人間は生れながらにして永久的社会ω8郵ぴ窟﹃B彗9話を形成する︑と言う︒つまり︑人間
は最初から集団生活をなして生存していたのであって︑かれにおいては人間の孤立状態はいささかも想定されていな ナチュロルい︒そして︑入間のこの集団化傾向を︑サンジュストは︑動物の本性としてとらえる︒ ﹁その知性の度合︑ある
いはその感受性の度合に応じて︑動物は︑多かれ少かれ集り合う︒あるものは春に集り合い︑他のものはどの季節に
も集り合う︒かれらは︑お互いにいがみ合うこともなく︑またお互いに避け合うこともなしに︑互いに集り合うの
ムるりだ︒﹂万物のなかでもっとも知性にとみ︑感受性の豊かな人間が︑こうした集団化傾向をもっとも強固にもち︑生れ
ながらにして永久的社会を形成することは︑当然のじとなのである︒ところで︑人間のこの集団生活は︑自己保存を
基本とし︑自己防衛を任務とする︒しかし︑そのことから逆に︑人間は自己保存のために︑社会に結合したと考︑んて
はならない︒このことを︑サンジュストはこう表現する︒ ﹁最初の人間箕Φヨ帯おぎヨ目︒のが未開であり︑かれ ぞロらは︑先ず自己保存のために︑市民状態まけ緯9甚︒のもとに結合した︑と考えるのは間違いである︒﹂なぜなら︑
こうした自己保存の必要←﹁市民状態﹂の形成というシェーマが認められるためには︐第一に︑サンHジュストの言
う﹁最初の人間﹂が未開であり無知であって︑馴致する必要のある存在にほかならないということが前提されなけれ
ばならず︑第二に︑自己保存のために﹁市民状態﹂を形成したという事情は︑それを﹁戦争状態﹂として掘握させる し ハマリ結果をもたらし︑人間は︑ ﹁戦争状態﹂のために結合したという想定をゆるさざるをえないからである︒たしかに︑ ハるロ﹁人間は︑自己防衛のために結合したのであったということは︑容易に認められる︒﹂ しかし︑他人に攻撃を加える
ために︑結合したのではなかった︒ ﹁最初の人間﹂は︑そもそもの始めから集団を形成し︑ ﹁自然の法﹂ 冨一9号
轟葺話によって統治されつつ︑平隠な生活を営んでいたのであった︒ ﹁かれらは︑戦争状態に入るずっと以前から︑
ハ り結合していた﹂のである︒
こうして︑人間は︑生れながらにして﹁自然社会﹂ ω8欲叡尽日お=oを形成していた︒この自然社会の基礎は︑ ハめリサンジュストによれば︑独立ぎα98α雪8である︒それは︑﹁未開人﹂の支配隷属による結合原理と対比され
るべきものであった︒この独立を基礎原理として︑人間は︑欲求げ08ぼと愛情駄89ご房を実体とする自然的関 ロワ モラル係冨署︒旨ω尽言語﹃を取り結ぶ︒そしてこの自然的関係は︑法として結実し︑道徳を形造る︒こうしたサンジュ
ストの﹁自然社会﹂は︑しかも︑対外的には︑外からの征服に備えて﹁政治団体﹂ 8瘍℃o浮言5もしくは﹁政治
的強力﹂8容︒℃o窪55を形成しつつ︑一民族と他民族との関係としての﹁政治状態﹂一.傘鉾8鐸β5となり︑対
ーサンUジュストの社会理論− 六三
一論 文1 . 六四
内的には︑人間と人間との関係としての﹁社会状態﹂としてとらえられていた︒この二つの﹁状態﹂の相互連関性が
いかなるものであるかは︑後論でふれるが︑今ここではあらかじめ︑自然社会における﹁政治状態﹂の設定に注目し
ておきたい︒
さて︑ ﹁社会状態﹂のもとでの人間は︑自然を基礎にし︑自らの本性に従いつつ︑しかも集団的に生活を営んでい
たのであったが︑こうした人間を結合させる関係として︑サンUジュストは︑ ﹁社会生活﹂≦oω8邑という範疇を
設定する︒それは︑独立を基礎とする﹁全員のための生活﹂︑ ﹁自然に従う生活﹂として︑全員の服従による﹁自己 ︹n︶ ︹12︶のためにのみする生活﹂ ︵﹁未開生活﹂≦o雷薯囲︒︶と対比され︑ ﹁人間保存の唯一にして永遠の真理﹂とされ
ていた︒この人間保存という観念は︑近代自然法に共通した観念である︒しかし︑人間保存を意図していかなる状態
を設定するかは論者によって異り︑自然状態における人間の自然権の一部もしくは全部を譲渡︑抛棄することによっ
て︑人間保存が果されるという論理も成立しえた︒ところが︑サンジュストは︑こうした論理に反対する︒なぜな
ら︑この論理は︑たとえその最初の意図が全く正当であったにせよ︑その結果は全く別なかたちであらわれ︑人間の
集団生活の崩壊︑服従︑人間諸関係の撹乱︑人間精神の変容をもたらすからである︒実を言えば︑さきの﹁社会生
活﹂という範疇の設定は︑こうした論理に対決するためのものであった︒!﹁もし︑人間が︑本性にしたがって︑
社会生油に統一しているのであれば︑かれらは︑αo置銭器と8器︒ωω凶8とをまもるために離れ離れになる傾向はな
いし︑もし︑かれらが︑匹︒目色濡とOo器①ωω幽9とによって統一しているのであれば︑社会体8∈の8含巴から離 ︹13︶ ノれ離れになることもないのだ︒﹂ それでは︑人間保存は︑何によって保たれるのか︒サンUジュストによれば︑そカ ハはりは︑ ﹁独立︑あるいは各々の権利の総体のなかに﹂あった︒したがって︑この立言と︑ ﹁社会生活﹂は独立を基礎と
するというさきの立言とを考え合せるならば︑サンジュストは︑ ﹁社会生活﹂それ自体のなかに︑それを崩壊させ
る要因を認めていなかった︑ということが確認されるであろう︒だが︑それにもかかわらず︑なぜ︑ ﹁社会生活﹂は
﹁未開生活﹂にとって代られるのであろうか︒その移行の道筋についてはのちにくわしくふれるが︑あらかじめ言っ ハおりておくならば︑対外的自己防衛のためのものであるはずの﹁強力﹂830が︑対内的に使用され︑その結果︑人間的
諸関係の分裂︑全員の一者にたいする服従︑政府への抗争︑人間精神の堕落︑変容という事態が生じたのであった︒
それは︑一切が瓦解した状態にほかならず︑これにたいして︑﹁社会生活﹂は︑﹁服従すべき権力もなく︑狂信への ハめり幻惑もなく︑圧制的人間の法もなく︑そして国を売る主人もない﹂状態であった︒
以上のように︑サンジュストによれば︑人間は︑自然状態口社会状態のもとにおいて︑独立を基礎とし︑自然法
社会法に従って︑平隠な集団生活を営んでいたのであった︒そして︑ ﹁社会生活﹂とは︑そのもとにおける人間を
結合させる関係であり︑そのゆえに人間保存の原理を形成するものであった︒ところで︑それではこうした社会状態
のもとにおける人間︑サンジュストのいわゆる﹁社会的人間﹂ 一︑ぎ旨旨︒ωoo巨は︑いかなる存在であったろう
か︒すでに周知の事柄に属するが︑自然状態を戦争状態としてえがいたホッブズは︑自然状態のもとにある人間を︑
各人は平等な身心の力と絶対的生存権とをもつがゆえに︑生存のための手段を無限に追求し︑﹁征服し合う欲求﹂を
う ヨ セ ヨ ち ち う ね ゴもった存在として把握し︑自然状態を社会成立以前の状態としてとらえるモンテスキューは︑自然状態のもとにある
人間を︑各人は先ず﹁自己の存在の保全を考える﹂がゆえに︑自己を劣弱と感じすべてに恐怖をいだいて相互に忌み
避ける傾向をもった存在として︑と同時にこうした﹁相互的恐怖の表象﹂が遂に相接近せしめ合う傾向をもった存在
として︑把握していた︒しかし︑サンジュストは︑この両者のとらえ方の何れにも与するヒとなく︑批判を加え
ーサン随ジュストの社会理論一 六五
一論 文一 ■ 六六
む ヤ ヨる︒先ずモンテスキュー︒かれにとって︑社会設立以前の人間は︑自己を劣弱と感じ︑相互的恐怖をいだく存在であ
じ ヤ セ ち ちり︑そのゆえにこそ自然状態においては平和が第一の自然法であった︒1﹁自然状態にある人間が感じたであろう
ことと言えば︑先ず自分の弱さであったろう︒かれの臆病さは極端なものであったろう︒そしてもしこの点について
経験の手を借りる必要があるとすれば︑森の中に発見された未開人をみればいい︒かれらはすべてに震えおののき︑ ハロりすべてから逃げ去るのだ︒﹂サンHジュストは︑社会設立以前の人間についてモンテスキューが並べたてている愚か
さω葺宮家まは事実であるとひと先ず認めながら︑しかもこう反論する︒たしかに﹁未開人﹂は︑自らの感覚では自
らの同類︒の鼠8とは認め難い存在の前では震えおののき逃げ去ったにしても︑同類の前からは決して逃げ去りはし
なかった︑モンテスキューは︑ ﹁未開人﹂が相互に恐怖し相互に忌避し合ったと誤って信じているのだ︑と︒このモ
ンテスキューとサンジュストとの間の相異は一見きわめて些細なところにあるかにみえながら︑しかし実は﹁自然 モティ フ人﹂把握の根本的相異︑したがってまた人間社会形成の契機の所在の相異を含むものであった︒すなわち︑さきに
ヨ モ ヤ セ ちもふれたようにモンテスキュτが︑ ﹁自然人﹂に相互的恐怖と相互的忌避の傾向を与え︑しかも逆に今度は相互的恐
怖そのものがかれらの相互接近を可能ならしめるとしていたのにたいし︑サンジュストは︑ ﹁自然人﹂を同類にた
いする交際猛暑︒旨と喜びロ騒ωマとをもつ存在として把握し︑ ﹁自然人﹂のこの属性が社会形成の契機になると
考えていたのである︒したがって︑サンジュストにとっては︑社会的に生活する欲望O窃冒留≦<お雪ω8欲けぴ
が自然法をなし︑そのゆえに社会は政治的約束8嚢窪ユ88犀5話に先行するものにほかならなかったのであ
る︒このことは当然ホッブズ批判にも連なってくる︒ すでにモンテスキューはホッブズをこう批判していた︒f
﹁ホッブズは尋ねる︑ ﹁もし人間がもともと戦争状態にあるのでないとすれば︑かれらは何故武装するのか︑またか
れらは何故鍵をもって家を閉めるのか﹂と︒しかしかれは社会の成立以前の人間に︑成立以後に始めてかれらの経験 ︵憩︶しうるもの︑互いに攻撃し︑防禦する動機をかれらに与えるものを帰属せしめていることを忘れているのだ︒﹂ モン
テスキューのこのホッブズ批判は︑サンジュストにとっても正当性をもつ批判であった︒かれもまた︑事実ホップ
ソヴアージユ ︵19︶ズは﹁野蛮になった人間﹂を描いているにすぎないとし︑モンテスキューの批判の正しさを認めていた︒だがそれ
ヤ セ ヤ じ う む ヨにもかかわらず︑かれは︑モンテスキューが︑ ﹁社会﹂設立後の人間は野蛮になったのだという認識を少しももって
いないということで︑逆に批判を加える︒すなわち︑モンテスキューが社会設立を境界にして﹁自然人﹂日﹁未開
ち ヤ セ セ ね人﹂←﹁文明人﹂への展開を設定していたのに反し︑サン目ジュストは﹁自然人﹂旺﹁社会的人間﹂←﹁未開人﹂H ヤ も孤立的人間への転落を人間把握の基礎に置いていたのである︒こうした﹁自然人﹂把握は︑ルソーから流出するもの ︵90︶にほかならない︒
モンテスキュー︑ホッブズ批判からほぼ明らかなように︑サンジュストにとって︑ ﹁自然人﹂目﹁社会的人間﹂
は︑質朴な存在であり︑交際と喜びとによる社会的結合のうちに﹁基本的欲求﹂を充足し︑そこに自らの﹁幸福﹂を
見出だす存在であった︒これに反して文明人﹁政治的人間﹂ぎヨヨ︒℃o浮言5は︑魂を撮った不幸な人間︑ ﹁法の
力﹂8唇Φ号註巨によって変質させられた人間であ蔓︑ ﹁奴隷状態σなかに自由を︑野蛮状態のなかに礼儀を︑
情募なか旨餐探し求めて疲れ果辞自分のつくり上げた﹁警の自然昔昔ωω§幕を誇註する人間で
ある︒ このようにサンジュストは︑ ﹁社会状態﹂の喪失とともに︑人聞および人間精神は変質し︑堕落した︑と言うの
である︒しかしそうだとすれば︑人間はもはや救い難い存在と化したのであろうか︒あるいは﹁未開状態﹂のなかに
ーサン蜂ジュストの社会理論− 六七
一論 文一 六八
は﹁社会的人間﹂はもはやどこにも見出だせないのであろうか︒サンジュストは︑つぎのような謎めいたことをの
翁︶べている︒ ﹁自然は︑森にだけつくられているのではない︒﹂﹁わたくしは︑人間を森の中に追いこみはしない︒逆
露︶に︑人間を︑自然に︑社会秩序に呼び戻そうとするのだ︒﹂さらに︑ ﹁富裕な人間は︑社会生活を森のなかにひきこ
んだ︒このことは奇妙に思われるにちがいない︒しかし奇妙なのは︑恐れ合い︑羨み合い︑あるいは憎しみ合う人間
︵溺︶の生活を社会生活と呼ぶ偏見である︒﹂ これらの言葉がもつ意味についてはのちにふれることとし︑ここではただ︑
ち セ ち む セ もつぎのこと︑すなわち︑サンジュストは︑自然人﹁社会的人間﹂を﹁森のなか﹂︑あるいは過去としての﹁社会
状態﹂にのみ存在するものとして把握しているのではなく︑そうした自然人把握は︑﹁富裕な人間﹂ぎヨヨ08詳琶ひ︐
によってなされたものであるとしていることに︑注意しておきたい︒
ヤ ︵2︶紐葺・甘ω戸u︒﹃蜜ε貝︒ム︒一.国馨︒三一ム︒一mΩま〇三8額巴舘α︒一.一区曾︒民弩8身oo瑳︒彗窪窪什も■
一・以下引用箇所の指示はすべて︑サン聴ジュストの原文に附された頁数をもっておこなう︒
︵3︶Hσすも・b︒■
︵4︶ ここでサンジュストが﹁未開人﹂と呼ぶものは︑現実に存在している人間を指す︒ ﹁この地上に現在群がり集まってい
るのは未開人ばかりである︒﹂Hσ箆こマω・
︵5︶Hσ一αこP僻・
︵6︶ Hσ一皇ワO●なおここで﹁市民状態﹂というのは︑人間の自己保存を目的とする経済関係を指す︒それについては後述︒
︵7︶ サンジュストにとって︑ ﹁市民状態﹂は決して﹁戦争状態﹂ではない︒それについては後述︒また︑ホッブズとは逆に
ヤ ヤ かれは︑現実を﹁戦争状態﹂とみる︒それは具体的には︑人間の孤立分散化による︵したがって人間精神の変質による︶所
有権︹踊土地︺争奪の状態である︒したがって︑ホップズ流の自己保存の必要←﹁市民状態﹂の形成というシェーマは︑サ
ンジュストにとって﹁戦争状態﹂への移行として把握されることとなるのである︒この点は︑かれの社会契約批判にも連
繁してくる︒なお後述参照︒
︵8Y︵9︶H窪α■もヒ
︵10︶ ﹁独立﹂については︑ ﹁市民状態﹂との関連性の上で︑のちにふれるはずである︒
︵n︶ ﹁自然の状態一︑薄暮盆コρ言おにある人間は︑社会生活をみちびいた︒かれらの原理は愛一.目︒彗であった︒政治生活
においては︑人間は未開生活をみちびく︒かれらの原理は力830である︒﹂Hぴ一α層P一翫お誘9なお他の箇所でサン レユニール ジュストは︑社会生活を﹁成文の契約8旨冨9仏R謬 によって再び結合させられた人間の生活﹂とよんでいる︒このばあ
いの社会生活とは︑過去としての社会状態のもとにおけるそれではなく︑現実のなかからつくりあげられるべき社会生活を
指すものであろう︒因みにここでの社会契約とは︑ ﹁人間と人間との自然の関係﹂をさすものにほかならない︒
︵12︶ Hσ幽αP一︑
︵13︶ Hσ一αロマ辱ωρ
︵14︶ Hげ一αこりωρ 独立︑権利は︑のちにみる﹁市民状態﹂という基礎構造によって支えられる︒
︵15︶ ﹁たとえ保存8コωR轟二〇目が社会生活のなかで保たれているということは間違いのないことであるにしても︑政治生
活のあらゆる面から破壊がしのびこんでくるのだ︒強力は︑まもなくそのあらゆる手段を使い出す︒﹂Hσ一FPωO.
︵16︶ Hσ一員ワ8・ この箇所は︑サンUジュストによって削除され︑ソブールが復原した部分である︒
︵17︶さ§ω且︒・レ.国ω量目︒ω一︒亘︒︒・貫①ω︒︒暑夏8α︒ぎ幕ω且2︸一︒︒貫ρHも﹂ω9
︵18︶ Hσ一α唱マ一ωO山ooド
︵19︶ ﹁かれ︹ホップズ︺は︑まさに人間が終ったところで人間をとりあげている︒かれは︑自然人をえがいていると信じてい ソヴアージユ ろ︒︹しかし︺︑かれは野蛮になった人間をえがいているのだ︒だからかれは困惑し︑きわめて無邪気な人間を恐ろしい
ーサンnジュストの社会理論一 六九
一論 文− 七〇
肖像につくりあげているのだ︒﹂ω笹葺山口ω戸︒ワ9fPお㎝話9ρ
︵20︶ ルソーについてサンUジュストはこうのべている︒ ﹁ルソーは︑きわめて賢明にも未開状態の諸原理をうちたて︑人間を レゾン 理性に引き戻している︒人間は自然からと同様その理性からも遠ざかっていたのだ︒この偉大な哲学者はこう考えた︒すな
わち人間は未開の状態から始り︑しかもそこで終ったのだ︑と︒ひとびとが謳歌する技術︑知識︑科学は︑人為的に自らを
保持すべく宣言された不幸なものたちにとってしか価値はないのだ︒﹂Hσ置℃マお㎝3991一認く︒房9
︵21︶ Hび一α℃・Hド
︵22︶ H三山■一マ一ω・
︵%︶ H三αこマート︒・
︵別︶冒一αb﹂翫器go●
⇔﹁一般社会﹂
さきにわれわれは︑サンnジュストが﹁自然社会﹂のもとに﹁政治状態﹂と﹁社会状態﹂との二つの状態を設定し
ていたことを︑指摘しておいた︒両者にはともに﹁保存の原理﹂が働いていた︒すなわち︑すでにみた﹁社会状態﹂
におけると同様に︑ ﹁政治状態﹂における︑征服に備えての政治団体もしくは政治的強力の形成もまた︑実は﹁保存 ︵1︶の原理﹂を貫徹させることを目的としていたのである︒しかしそれでは︑この二つの﹁状態﹂はいかなる関連性をも
つものであったろうか︒ ヤ セ すでにふれたように︑人間は︑ ﹁社会状態﹂のもとにおいては︑独立を基本としていた︒と同様に︑サン目ジュス プープルトによれば︑ ﹁社会的︑集団的存在﹂Φ霞88頴9罵ωωo良器×としての民族もまた︑﹁一般社会﹂80欲鼠篶器量昌Φ
アンデパンダンスのもとにおいては︑自らの独 立をもつ︒もっともここで同じ独立といっても︑それらがそれぞれの状況にたいし
てもつ意味は各み異るのだが︑そのことはいまはしばらく措くとして︑さし当ってわれわれは︑サンHジュストが モ﹁一般社会﹂という概念を設定していることに注意しておかなければならない︒つまりかれは︑諸民族の存在の前提 サロのもとに︑それを包含する状態として﹁一般社会﹂を設定し︑そのもとにおける諸民族は相互に征服に備えて政治団
体︑政治的強力︵月﹁政治状態﹂︶を形成するとし︑その上でそれらの諸民族は﹁一般社会﹂のもとでいかなる諸関
係を取り結ぶかを︑原理的に︑しかも本来のあるべき姿に立ち戻らせて︑考察しようとしているのである︒こうした
﹁一般社会﹂の概念設定︑そのもとでの諸関係の原理的把握は︑それ自体かれの理論構成の鍵点としての地位を︑占
めることによって︑サンジュスト思想に特異性を与えることとなるのだが︑そのことはのちにみるように︑それが
﹁自然社会﹂崩壊の起動情況に関基づけられるとき︑ますます明瞭になるはずである︒
ところで︑サンHジュストの﹁一般社会﹂は︑諸民族がその内部において形成する﹁自然社会﹂のたんなる外延的
展開ではない︒かれはむしろ︑それとは質的に異ったものとして﹁一般社会﹂を設定している︒すなわち︑かれは︑
﹁人間を統一する諸関係は︑民族間には︑もはや存在せず︑諸民族は物理的諸関係屋薯︒旨ωO匡巴28をもつにす
︵3︶ ︑ ︑ぎない﹂としているのである︒たとえば︑ ﹁自然社会﹂のもとにおける人間の独立は︑人間の自然的関係としての法 い へ道徳をもつのに反し︑ ﹁一般社会﹂のもとにおける諸民族の独立は︑道徳的契機8=ωo琶︒雷同8をもつにすぎな
い︒ーサン月ジュストの社会理論の基礎にある﹁独立﹂観念のこうした内容的︑質的区別の措定︑したがってまた
﹁自然社会﹂と﹁一般社会﹂との内容的︑質的区別の措定は︑かれが︑ ﹁自然社会﹂を自然法によって嚮導される無
﹁斗争状態﹂として把握していたのに反し︑ ﹁一般社会﹂を諸民族聞の可能的な﹁斗争状態﹂として把握していたこ
とと︑密接に関連している︒つまり︑サンnジュストは︑ ﹁一般社会﹂のなかに︑諸民族が相互に征服し︑征服され
ーサン鵬ジュストの社会理論− 七一
1論 文一 七二
︑ ︑ ︑ ︵4︶る可能性を想定していたのである︒したがって︑ ﹁自然社会﹂のもとにおいては人間の自然的関係が直ちに法U道徳
として凝固しうるのに反し︑そこでは諸民族間の諸関係は法道徳として凝固されることなく︑ただたんなる﹁道徳
的契機﹂にとどまらざるをえないことになる︒そして︑ ﹁一般社会﹂は︑この﹁道徳的契機﹂によってのみ﹁可能的
な﹁斗争状態﹂が現実態として発現することを防いでいるとせざるをえないことになる︒
しかしそれでは︑ここで言う﹁道徳的契機﹂とは具体的には何をさしているのであろうか︒サンーージュストによれ
ば︑それは﹁征服することの無用性﹂ 一︑ぎ旨旨鼠88呂獄﹃冒である︒つまり︑ ﹁一般社会﹂のもとにおける各民
族の占める土地がその人口を養うに充分である限り︑各民族には征服する必要がなく.したがって征服・被征服現象
もおこりえない︑とサンnジュストは考えるのである︒.そしてかれによれば︑この﹁道徳的契機﹂が︑長い間﹁最初
の社会﹂を維持していたのであった︒ ﹁最初の社会﹂は︑ ﹁征服することの無用性﹂を充足する条件のもとにあった
からである︒しかし︑こうした充足条件にもかかわらず︑ ﹁一般社会﹂はつねに征服・被征服現象を惹起する﹁斗争
状態﹂にさらされている︒それは何故なのか︒その理由としてはしばしば︑一国社会の人口過剰←領土征服の必要←
﹁斗争状態﹂の必要という論理が使用されていた︒しかしサンHジュストは︑こうした論理には決して与しない︒そ
れは︑かれが﹁一般社会﹂を可能的な﹁斗争状態﹂として把握している限り︑当然のことであろう︒ ﹁一般社会﹂を
サンジュストのように把握するならば︑斗争の可能態から現実態への転化を時間的系列に沿って理由づけることは
できない︒それではサンジュストにとって︑ ﹁一般社会﹂のもとにおける斗争の可能態を現実態へと転換させる要
因は何であったのか︒それは︑ある民族が可能的に含む﹁武器への愛着﹂あるいは﹁征服の精神﹂一.oω℃等号8㌣
ρ器辞︒である︒かれによれば︑それこそが︑土地耕作←必需品充足を妨げ︑その民族を征服へとかりたてる要因な
ハ ロのである︒したがって︑ ﹁征服の精神は︑貧困から生れるのではなくて︑貪慾と怠惰から生れる︒﹂ ここで明らかな
ように︑サン目ジュストは︑貪慾と怠惰こそが︑征服の精神を︑そして征服・被征服現象を惹起し︑ ﹁一般社会﹂の
可能的な﹁斗争状態﹂を斗争の現実態へと転轍させるとし︑これに反して勤労こそは︑ ﹁一般社会﹂の斗争の可能性
をたんなる可能性にとどまらせる﹁道徳的契機﹂の基礎をなす︑としている︒それは︑のちにみるように︑かれの
﹁社会状態﹂の基礎論理に直結する観念である︒
さきにもふれたように︑サンーージュストによる﹁一般社会﹂のこうした想定は︑各民族が構成する﹁自然社会﹂に
﹁政治状態﹂の形成を必然ならしめてい尭︒言いかえれば︑ ﹁一般社会﹂を可能的ではあれ﹁斗争状態﹂として想定
するがゆえに︑各民族は征服に備えて政治団体もしくは政治的強力を形成し︑ ﹁政治状態﹂を構成しなければならな
かった︒i﹁生物はすべて︑政治法一9℃o拝む5をもつ︒あるいはその社会にも︑その類にも属さないものに対 ハるロする保存の法五号8拐R轟二9をもつ︒﹂また︑﹁政治主権者ω自<o醤ぎ℃o犀5まとしての人民は︑共同の力
を固め︑外からの企てや内からの陰謀に対抗するために︑自らの運動︑自らの手段︑自らの法をもたなければならな
げ︑︒﹂tしかしここであらかじめ注意しておかなければならないことは︑サンジュストが︑ここでその成立の必
ら む ヨ セ ち モ セ ち然性を指示している﹁政治的強力﹂とは︑ ﹁対外的あるいは集団的独立にのみ固有な強力﹂であり︑ ﹁征服に反抗す
存だぬ⑪武器﹂なのであって︑決して﹁社会的独立﹂を脅すために使用してはならない︑と強調していることであ
る︒つまり︑サンジュストによれば︑一民族の﹁政治的強力﹂は︑外からの強力に抵抗する必要が民族の強力を形
成させるということのゆえに0獅組織されるのであり︑ ﹁政治法﹂への服従も︑その限りでのみ必要なのである︒と ち セ モ ヤ セころが︑これに反して︑各民族の成員は︑その内部では強力を形成し抵抗する必要性をもたず︑かれらは独立によっ
ーサン判ジュストの社会理論1・ 七三
一論 文− 七四
︑ ︵8︶て統一されているがゆえに︑国家9鼠からは一切の強力が排除されなければならない︒Lサンジュストは︑ζ
の点を強調するのである︒このことがもつ意味は︑ ﹁自然社会﹂崩壊の起動情況を考え合わせるとき︑きわめて大き
な重要性をもつ︒つまり︑かれのこの論点は︑ ﹁自然社会﹂崩壊を把握するために設定された伏線としての役割を︑
になっているのである︒われわれもさらにすすんで︑そこに問題の照準を定めることにしょう︒
︵1︶︵2︶
︵3︶︵4︶
︵5︶
︵6︶
︵7︶ たとえぼ︑﹁生物はすべて⁝⁝その社会に属さず︑その類に属さないものに対する保存の法をもつ︒﹂Hσ国こP︑ サンUジュストの﹁一般社会﹂は︑ルソー理論に類比するならば︑かれの﹁国家連合﹂に当る︒しかし両者は用語の違いと同様に︑それらがそれぞれの理論全体にたいしてもつ意味も全く異る︒すなわち︑ルソーが個人と国家の論理連関の類推のもとに国家と国家連合を把握し︑前者に貫流させた個人の利益と国家の利益との一致調和という終極目的を︑国家連合論にも貫徹させようとしたのに反し︑サンHジュストは﹁一般社会﹂を理論の表面に︑しかも理論構成の鍵点として表出せしめ︑のちにみるようにそれを可能的な﹁斗争状態﹂として把握しているのである︒ Hσ置こ質S ここでサン日ジュストは︑﹁一般社会﹂における征服・被征服を可能態としてえがいているが︑かれの眼前では実はそれこそが現実態として発現していたことに注意しなければならない︒つまりかれを取り巻く現実は︑激しい国家的対立をひきおこした革命U反革命戦争であり︑理論構成にさいして想いうかべられていたその表象が理論として鋳固められるとき︑可能態として表現されたと考えなければならない︒ Hσ一αPoo︑ Hσ5マω︒
H三αこPω一●
ヤ ヤ︵8︶ サンUジュストにとって︑国家的強力は対外防衛の必要に応じてのみ付与されるのであるが︑それが国家内部に転用され オム エ タ るとき︑﹁自然社会﹂は崩壊する︒この理論の線上に身を置くとき︑﹁戦争をひきおこすのは︑人間では決してなく諸国家
なのだ﹂というかれの指摘が生れる︒Hσ一P一ワ悼
、
ーサンジュストの社会理論1七五