知識・産業社会論とサン・シモン 一11年前の覚書一
守 屋 孝 彦
の中心的役割化 4.自立的な技術成長の可能性・
P 5.新たな知的技術の創出)を指標に証明する。
「サン・シモンという思想家は,われわれにとっ けれども,より重要なことは,今日のアメリカに て非常に大切な位置に立っており,かれは一面に おいては高度に発達した科学技術をもちいて,社 おいてコントの師として社会学の建設者の重要な 会全体・国家全体を管理する可能性が一層増大し
_人であるとともに,また他面において社会主義 たこと,またそれなくしてアメリカ社会の長期的 の先駆者として,後のマルクスやエンゲルスにつ 安定もはかりえないであろう・と主張する点にあ ながっている」といわれる。従来,サン・シモン ると思われる。科学技術の発達が新しい社会管理 の思想が,19世紀初頭にコントによって体系化さ の可能性を切りひらいた事情を次のように彼はい れた「綜合社会学」の理論の影響源であったこと う。「脱工業化社会において何が決定的であるか は,社会学史の常識になっているし,それがマル といえば,単に新しい力の基礎が財産とか政治的 クス学説の形成にとっての,いわゆる三つの思想 な基準から知識に移ること自体ではなく,知識そ 的源泉の一つである空想的社会主義の理論とみな のものの性格が変化することである。理論的知識 されてきたことも事実である。 の新たな集中,経験主義に対する理論の優位・知 ところで,このサン・シモンが今日では「知識 識を整理して抽象的なシンボルの体系に納め事情 社会論」や「産業社会論」が展開される時に,そ に応じてどのようにも適用できる状態にしておく
の理論の思想的先駆者として,しばしば引きあい こと・これが今や社会にとって決定的なものにな にだされる。ダニエル・ペルや富永健一氏の場合 っている。今日ではどの社会の存続も技術革新と がそうであるが,とりわけベルは,脱工業化社会 成長によって支えられている。そして技術革新の 論知識社会論の先駆者として,富永氏の場合は・ 母胎となっているものは理論的知識である。シュ 産業主義の思想の先駆者としてとらえている。 ミレーションの方法が,ますます精巧となり・経済 それはどのような角度からであろうか。 制度・社会的行動・意志決定問題にシュミレーシ ベルは,今日のアメリカ社会を脱工業化社会 ヨン,コンピューターが使用されるにつれ,社会
(Post Industrial Society)とよび,それを工業化 科学における大規模な「管理実験」が初めて可能 社会と区別する。その場合工業化社会とは「財貨 となった」。軍事的計画・経済的計画・社会的計画 の生産のための機械の組織体」であり,脱工業化 を最終的に決定するのは,他の権力者であるとし 社会とは「知識の周辺に組織化された」社会であ ても,その材料なくして決定はおこなうことがで る。かれはこの事実をアメリカ社会におけるいく きない。その結果当然技術および専門的知識階級 つかの社会的条件の変化(1.サーヴィス経済の の果す役割は,権力構造のなかでも強まることに 創出,2.専門的技術的階層の優越,3.社会に なる。この傾向をベルは次のようにいう。「過去 おける革新と政策形成の源泉としての理論的知識 100年の支配的人物は,企業家,事業家および工業
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経営者であったが・今や科学者,数学者,経済学者 ・シモンの主張がく産業社会〉の実現につきてい 新しいコンピューター技術の専従者が新しい人々 たかどうかということは,〈産業社会〉概念でい として出現している。そして新しい社会の支配的 みすることの全てが,サン・シモン思想の全てに 機構とは,もっとも創造的な課題を提供し・もっ なっていることが証明されなければならないが,
とも有能な人々を集めるという意味では知的機構 この点はおくとしても,サン・シモン思想の主要 であるだろう。この新しい社会の指導権は・今日 な側面が,フランスの産業革命の推進にあったと みる事業家または大会社ではなく・調査研究機関・ 思われるから,氏の解釈も当然妥当している面が 工業研究所・実験機関および大学の手に渡るであ あることもいうまでもない。以上が知識社会論や ろう」。すなわち社会の目的の設定,その実現の 産業社会論の立場からの限定されたシャープなサ 計画化,合理性の判定等の作業に従事する階層と ン・シモン評価の例であるが,サン・シモンの思 しての知的エリートの存在と役割が決定的である 想はそれにつきていたのであろうか。この点につ というのであるが,このような考え方の古典的モ いて次にみてみたいが,その前に当時のフランス デルとして,サン・シモンが引きあいにだされる の国内事情を若干かい間みてみよう。
のである。サン・シモンは,いうまでもなく,社
@ 皿会の目的は生産であると見倣し,その生産活動を
おこなう社会的組織を計画的合理的に管理するこ 18世紀末から19世紀初頭にかけてのフランスと と,および生産技術の開発者としての役割を高く いえば,先行したイギリス産業革命の成果が徐々 評価し,産業者の役割とならんで科学者の役割を に波及してきた時代である。しかしこの波及の仕 高く評価した。従ってベルが,「これら種々雑多 方は,きわめて緩慢であった。ワットの発明した な活動のすぺてに看取される根本テーマは,合理 蒸気機関が紡績工場に原動力として初めて輸入さ 性,計画性および予測であり,要するに技術社会 れたのは,1803年であると記録されているし,多 の標識に外ならない。ここにサン・シモンのヴィ 軸紡績機や水紡績機が導入されたのは,1770〜80 ジョンは実現の途に上ったといえよう」といって 年代で,それが綿紡績業を完全に機械化したのは いる点は,一面の理をついているのである。 1815年の7月王制期であったという。毛織物工業
それでは富永健一氏の場合はどうであろうか。 の機械化は,綿工業のそれに20年おくれたとい 脱工業化社会の概念を採用して「産業社会」後を う。ジョルジュ・デュプーは,この時代のフラン 展望することをためらう氏は,サン・シモンを産 ス産業革命の推移を次のように要約している。
業主義の思想としてとらえている。彼は「サン・ 「それゆえ,18世紀中期以後のイギリスが経験し シモンの中心思想は,イギリスにくらべて産業の た過程とくらべれば,技術の進歩は,緩慢であっ 後進国であったフランスに対して工業化を社会進 、た。1780〜92年は『全経済組織にいちじるしい影 歩の至上命令として説くことにあった」といい, 響をもたらしはしなかったが,生産の諸条件を変 エンゲルスその他が,サン・シモンの思想を,い えようとした苦難と綜合的な計画をもたない分散 わゆる「空想的社会主義」の理論とみなすことに 的な模索の時代』であった。大革命と第一帝政期 疑義をとなえたのち,「サン。シモンが,いかに の停滞ののち『1815〜1848年の時期は,フランス 天才的な見通しの持ち主であったにしても,イン は産業革命の第一段階の端緒を示しており,その ダストリアリズムの本格的な成立以前に,資本主 完全な開花期ではなかった。開花期は1860年以後 義とか社会主義とかいう認識がありえたと考える に,やっと到来するのである。」
こと自体が無理であろう。かれが熱心に説いたの それではこのように産業化の波及が遅れた当時 は,〈産業社会〉の実現ということであり,また のフランスの状況はどうであったか。当時のフラ それにつきていたのである」とのぺている。サン ンスは,聖職者,貴族,第3身分の3大階級から
成り立っていた。それぞれの人口構成比は,聖職 いたという。この2つの支配階級に対して・他の 者0.5%,貴族1.1〜1.5%,第3身分98%という 98%がいわゆる第3身分とよばれた階層である。
もので,土地所有率はそれぞれ10%,20%,65〜 この階級は,当然内部的には多様な社会的カテゴ 75%というものである。いうまでもなく第1階級 リーから形成されており,その内部で富裕なもの は,聖職者であった。僧院長,司教,司教参事会 と貧困なものの対立があったが,同時に・聖職者・
員約4000人を第1級とする聖職者は,その指揮下 貴族に対して「平民層」であるという点で共同感 に教区付聖職者約7万,修道聖職者約6万といわ 情をもっていたことも事実である。しかし,この れたが,この少数の階級が広範な特権を有してい 時期の「第3身分」は主にブルジョアジーと・そ た。特徴の第1は,他の身分に対する名誉的特権 の他の階級にわけられることは周知のことであ で,全ゆる宗教的儀式や裁判所,政治的集会にお る。デュプーによれば,18世紀に入ってからブル いて上位席次権をもっていたことである。国王に ジョアジーという言葉は「農業以外の職業で財産 対する上奏代表のなかの第一発言者であった・ま をきついた第3身分のもっとも富裕な部分をさし た聖職者は固有の法廷を教区裁判所としてもつ法 ている」もので「自分の重要な職業の十分有利な 的特徴を有し,直接税を免除されうる税制上の権 性質のために土地から離脱したもの(G・ルフェ 利,固有の行政機関(Agence generale)を自らの 一ブル)」であるという。当時のこの階級は,裁 内部に所有していた。彼らの特権は・当然経済 然と区分できないにしろ,主に上層と中層からな 的にも確立しており,十分の一税,農村や都市に り,上層にはマニフェクチャーに対する出資者・
散在する直轄地からの取益の他,宗教的勤めに対 あるいはその経営者からなる「商人=製造業者」
する謝礼などの臨時収入が保障されていた。戸籍 や金融ブルジョアジー,金利生活者がおり,中層 の管理や教育の監督などの公的機関の役割も果し は官吏,法律家,自由職業家などの王制の行政グ ており,カトリックが国家公認の唯一宗教であっ ループからなりたっていたという。これらのブル た限り,国王ですらも聖職者の保護と援助に協力 ジョアジーは,都市的職業従事者であったが,当 せざるをえず,異教を排除することを司教に黙認 然農村の土地を購入しており,その割合は全体の していたのである。従ってこの時代において聖職 30〜50%だったという。第3身分の圧倒的多数は 者は,宗教,政治,経済教育上のフランス最高の 何であったか。いうまでもなく農民と農村や都市
¶ 支配階級であったといってよいであろう。これに に居住する手工業者及びその職人=賃労働者であ 対して貴族はどうであったか。その数は30〜40万 った。デュプーの整理によると,当時の農業人口
といわれているが,当然聖職者につぐ固有の権限 は,全体の約3分の2,1800万人以上をこえてい 魅
を所持していた。剣の侃用,狩猟権,教区教会に たという。しかしこれだけの農民で所有していた おける領主権いくつかの免税特権と兵士宿舎の 土地は,全体の40〜45%にすぎなかった。従っ 免除などがそれである。しかしもっとも重要なこ て,当然過小農が多く,その具体的比率は地域に とは,貴族が領主であり,領主としての権利を所 よってことなっても,独立自営で働く農民の割合 持していたことと,国家の高職につきうる機会が は相対的に少く,その反面無地農民がしめる割合 貴族に保留されていたことである。前者によっ が多かったといわれる。その上農民の土地に対し て,貴族は農民から貨幣,または現物で貢租を徴 て,しばしば領主が土地所有権を行使した・貢租 収し,財産譲渡税を課した。彼らはこの経済的基 や納税の義務が,かかったこともいうまでもな 盤の上に立って,大規模な営利事業をいとなむこ い。従って当然農村には,大量の零細手工業者や とができた。ただ貴族階級は,聖職者とくらべた 農業賃労働者,日雇,等が存在したのである。こ 場合には,経済的基礎が相対的に弱く,それがか れらの人々の生活が不安定であり,貧しいもので えって貴族の反動的姿勢をつよめる理由になって あったことはいうまでもない。他方都市には,手
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工業者とその雇用労働者が存在した。その大半が, 族も特殊利益に反対し,多数の利益につねに軍配 いわゆる手工業親方,商人親方とよばれる存在 をあげ,公共の福利にもっとも直接に役立つ制度 と,そこで働く職人,賃労働者であった。親方と を建てるため,ただ間接にしか役立たぬ制度は除 職人の間には,しばしば対立があったが,おおむ くことに努めている」。
ね職人は,雇主に観念的に従属していたという。 ここでいう支配的,封建的,軍事的制度という 当時のフランスは,ほぼ以上のようなものであっ のが,前節でみた第3身分の上に君臨し,その生 た。これらの階級は,相互に入りくんで関係して 活と自由を疎外している封建社会であることはい いたが,時の流れは聖職者に対する貴族の反抗を うまでもない。彼は,人類の管理的産業的平和的 よびおこし,聖職者や貴族に対するブルジョアジ 社会への移行は,ヨーロッパにおいて最も進歩し 一の自己主張を生みだしたが,第3身分はその内 ており,とりわけイギリスにくらぺて貴族階級の 部の矛盾を全体的,根本的に顕在化することはな 力が弱っているフランスにおいて最も早く完成す かったのである。 るという。そのフランスに対して次のようにい う。「フランスの繁栄は,科学,芸術および工芸 M の進歩によってしか実現しない」。が,「諸公,
サン・シモンが,著作活動をおこなったのは, 君側の高官,司教,元帥,知事および無為有閑の 1803年から1825年の間であった。1760年に生れた 所有者たちは,科学,芸術,工芸のためにはたら サン・シモンは若くしてアメリカに渡り,その後 かず」「進歩を妨げることしかできない」。その オランダ,イギリスを遍歴するなど数寄な前半生 結果「社会組織は不完全であり,人々はまだ暴力 の後,晩学をはじめたが,その後展開された思想 と策略によって,むざむざと搾取されており,人 はどのようなものであったか。ここでは以下の諸 類は政治的にいえぱなお不道徳の水準にとどまっ 点に注目する。すなわち,その第1は,社会の組 ている」。
織化を実証科学的に考えようとしたことであり, すなわち,「労働はあらゆる徳行の源泉である」
第2は,封建的諸階級が第3身分に与えている矛 とするサン・シモンが,時の支配階級の存在と行 盾を激しく論難したことであり,第3は産業者中 為を,無為有閑のみならず,生産と労働の進歩を 心の未来社会の原理を提起し,その実現のために 阻害するものと批判し,民主主義の一層の徹底化 様々のプランを提起したことであり,第4は封建 とアンチミリタリズムの立場を鮮明にしていたこ 的勢力の批判のみならず第3身分階級中のブルジ とは,銘記しておいてよいことであろう。
ヨアジーの一部が所有者に転化し,特権階級化す 第3。それでは封建社会にかえて,彼はいかな ることに対して批判したこと,そして最後は,未 る社会を欲したか。いうまでもなく,産業者が社 来社会の原理が,必ずしも「産業社会」の原理の 会の支配階級になる社会である。産業者とは何 枠内に納まらない内容をもっていたことである。 か。 「社会の種々の物質的需要あるいは好みを満 第1の点は百科全書派のダランベー一ルから受け継 足させる一つあるいはいくつかの物的手段を生産
ぎ,コントに継承されているので,第2の点から し,あるいはこれを彼らのもとにとどけるために 簡単にふれよう。サン・シモンは『産業者による 働く人々である」。さらに具体的にはどのような 政治的教理諸問答』のなかで,時代を「過渡期で 人々か。「産業者は,国民の25分の24からなりた ある」と述ぺているが,その内容を次のようにい って」おり,「農業者,製造業者,商業者とよば う。「地上のあらゆる民族は,同じ一つの目標に れる三大階級を構成する」ものである。サン・シ 向かっている。その向う目標というのは,支配的 モンは,産業者の具体的例として,次のような人 封建的軍事的制度から,管理的産業的平和的制度 々をあげている。麦をまき,家禽や家畜を飼う農 に移るという目標である。すなわち,いつれの民 業者,車大工,蹄鉄工,錠前屋,指物師,短靴,
帽子,リンネル・ラシャ・カシミア織の製造業者, あると指摘している。この点を詳しく検討するこ 商人,馬車ひき,商船に雇われている水夫。それ とはできないが,注目してよいことは,産業者と ではなぜ,産業者は社会の支配階級にならなけれ りわけ銀行家の貴族との結びつきの問題を指摘し ばならないか。それは「なぜなら他のすべての階 ていることと,イギリスにおける産業者(国民)
級がなくてもすまされるのに,それ(産業者)な の行為の病態として「過度の経済主義」を指摘し しにはすませぬからであり,「その他の階級は, ていることであろう。後者の点については次のよ 産業者の被造者であり,後者が前者の生存を扶養 うにいう。イギリスの国民的病気の一つは「一国 するのであ」り,「一言にしていえばすぺては産 民が貨幣の欲情に支配されるのを誇るときに,そ 業によってつくられ,すべては産業のためにつく してそれゆえに手段を目的と考えるときに,大き られねばならない」からである。彼によると「産 な誤りを犯すときにあらわれる」。すなわち「イ 業者は本質的に平和であり」,「金銭的利益をよ ギリス人が・ある人の値打は,これこれだという く管理する最大の能力者であり」,「彼らの企画 ときには,それはこの人がそれだけの金高を持っ こそ,公共の繁栄にもっとも直接的に寄与してい ていることを意味し,それ以外のことを意味しな ること」によって「知性の上でも優越している存 い。イギリス人が人々について下す一般的判断に 在」なのであった。サン・シモンの「産業者」の おいても,彼らは人の所有する財産しか考慮にい 概念は,以上の様なものであった。もちろん,こ れない。彼らはその他の才能,あるいは能力のす の概念は,今日いうブルジョアジーと,労働者, べてを顧みない」。この点を産業者階級とりわけ 農民,商工業者等を包括していたといえよう。彼 その上層の活動と,その結果あらわれる社会的問 は,また当時のフランスの階級を,所有者たち, 題について,サン・シモンが自らの理念とかけは 知識階級(学者たち,芸術家たちジおよび自由主 なれたものと感じ,疑惑の念をもちはじめていた 義的観念をもった人々),国民(平等ということ と解しては,あやまりであろうか。いずれにせよ で結集する残余の人類)グループの3つにわけ, この鋭い疑惑の目は,マルクスが資本主義社会の 第1グループに対し,第2,第3のグループが協 病理的精神にむけた批判の目にきわめて近似して 同して働きかけ,産業者中心の社会を実現する途 いるように思われる。
を説いた。精神的権威は,科学者の手に世俗的権 第5。それでは産業社会はどのような原理によ 威は産業者にという。彼の提唱は,しばしば銀行 って運営され・どのような目的のもとに管理され 家や経営者と知識階級の連合と指導性を意味する なければならないか。この産業社会の道徳的基礎 場合があるが,同時に産業者概念の具体的内容か について,彼は,最後の著書『新キリスト教』に らして,その目標は,人類全体の解放であったと おいてのぺている。そこで彼はカトリックの聖職 いってもよいのである。 者が現実に果している役割を批判したのち,き
第4の点は,次第に社会的力を獲得し,支配階 たるべき社会の原理は,キリスト教の倫理のエッ 級に近づいている産業者の一部の行動に対して, センスである「人は兄弟として振舞うべし」とい サン・シモンが疑惑の目を向けていることであ うことでなければならぬという・彼は続けていう。
る。この点はサン・シモンの思想を,全くブルジ 「人間は最大多数にとって・最も有益でありうる ヨア革命の枠内でとらえるか,それを越える内容 ような工合に,その社会を組織しなければならな をもっているかを識別する際に問題になることで V㌔人間は・そのすべての仕事・すぺての行動に ある。たとえば,坂本慶一氏の前者的傾向に対し おいて,社会の最大多数をしめる階級の精神的物 て,内田義彦氏は,サン・シモン思想が反封建主 質的生活をできるだけ完全に改善することを目標 義の視点から,封建主義を支えている媒介的契機 にしなければならない」。「宗教は最も貧しい階級 の検討にうつってくる過程こそ問題にする必要が の境遇のできるだけ速やかな改善という大目的の
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方へ社会を向かわせなければならない」。これが 類生活の究極目標について考察していることに注 、
サン・シモンにおける産業社会の道徳的原理であ 目する必要があるように思われる。特定時代にお り・かつ目的であった。 ける進歩の思想は状況の変化によって,後退の思 今日より約150年前に展開された以上の思想か 想にもなる。それが進歩の思想になるか,後退の ら,われわれは何を学ぶべきか。ペルのように知 思想になるかは,その思想を時代的連関のなかで 識人による社会の科学的管理の理論として評価す とらえ,その精神を後世において,いかに再構築 べきであろうか。また富永氏のように,産業主義, するかにかかわっているといえよう。
テクノロジーの思想とみるぺきであろうか。マル
クス・エンゲルスが,カール,グリューンのサン 付1)小稿は,筆者が11年前,つまり「大学紛争」の
・シモン解釈における過度の社会主義的歪曲を批 身辺での顕在化以前に,単行本用の下書きとして書 判しているごとく,サン・シモンの思想の中心 いたものである。この10年の研究状況の進展をみて,
は,反封建主義であり,全産業資本家や科学者を 当時のものを一字一句訂正しないこの文章を公表す 含めた産業者全体に働きかけているところからみ るのは・正統な手続きを全く逸脱するが・事情によ て,以上のような視点も十分正当性をもっている りいたしかたがない・研究ノートとは名ばかりで一
種のエッセイ程度ということで,怠けついでに,注ことはいうまでもない。しかし,注目すべきは,
も一切省略した。括弧の部分は全て他者の文章(訳彼においてブルジョア革命後に更にプロレタリア
齢があって,それから人類の解放がなされると 文を給む)であり,∬はと価ジョルジュ゜
@ デュプーのフランス史の概説書(翻訳)によって
いうのではなく,ブルジョア革命自体が,全人類 いる。
の解放を意味したことである。ここには2つの問 付2)本号は,古田仁教授の退官記念号である。筆 題がある。その1つはサン・シモンの思想が・時 者は,昭和42年6月に発足した教養部の社会学担当 の支配階級,権力に対する反ミリタリズム,産業 者として,佐藤守弘教授(人文学部)につぐ3人目 者の解放という視点から出されていること,その として赴任した。以来古田先生には,着任当時下宿 ことの目標が,全人類の解放であったという事実 を紹介していただいたことをはじめ,専任教官の担 である。サン。シモンの活動以来150年たった今 当能力の乏しい一般教養社会学の授業を毎年2本担 日,いわゆる第3身分が,どのような社会的存在 当していただくなど公私ともお世話をいただいた。
であったかは,歴然としている事実である。この 着任当時,筆者は比較的強く「宮仕え」の意識を 事実をふまえて,サン・シモンを再評価する場合 もっていたが・その後それを余り意識せず・わがま に,われわれは一層それが時の支配階級の存在と まに行動ができたのは・ひとえに先生の自由で温容 行為に対する批判であったこと,それとともに人 な態度によるものである・記して感謝したい。