経営社会政策論前史
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(2) 160. る︒経営的杜会政策論の究明は︑その生成遇程を根拠としなげれぽならたいからである︒だが︑かかる研究課題は遠. 大で︑すこぶる困難なものであり︑大がかりた論攻を必要とする筈である︒けれどもこ・﹂では︑いろいろの制約条件 到 からして︑ゲヅクのふるい論稿を手がかりに︑前史を概観することだけにとどめた︒ただ︑関係文献はできうるかぎ り列挙したつもりである︒. 山石間厳稿・経営杜会政策論・彦根高商論叢・実業教育五十周年記念論文集・藤林敬三稿・経営杜会学.経営杜会政策.労. 嵐−雷︵HO窪︶ω18. Ω8河r甲>二冒ω峯oag庄異ぎ葦o;9彗ωoき一〇〇=薫芸峯一留雪彗霊︷二己︶窒碁彗彗pωgヨo昌①轟宣旨ぎ〇一﹈. 注 1〕 (. 働者心理学・三田学会雑誌・三〇巻三号︑藻利重隆著・労務管理の経営学.千倉書房.昭和三三年︒. ( 2〕. り︑むしろ経営の杜会間題ではないか︒まことにブリーフスが認識し︑指摘しているように︑﹁労働者の生活は︑雇. と︑経営外的な不平等・貧困・ストライキ・政治的革命運動のごとき間題ば︑じつぱすくなからず経営に根源があ. を認識することでなげればならない︒経営内部でおこる誤解・斗争・無規律・労働不快といった間題はむろんのこ. 識すること︑ゲヅクのいう﹁経営に固有の杜会問題性と︑労働老問題︵苧げ筆異申晶①︶に対する経営の影響︵>津①e﹂. 生活を対象とするものである︒そこで︑このような経営的社会政策論の前提は︑なによりもまず経営の社会問題を認. ベルリソエ科大学の経営杜会学研究所に拠るひとびとの経営的杜会政策論は︑﹁杜会的不安のるつぼ﹂とLての経営. 二. o8〆U轟ミo邑彗創睾ぎ↓ユgぎぎ目ω畠邑君旨片豪些岨峯家彗竃ぎ津ぎ∪害誌o巨彗p. ( 3). 336.
(3) 161. 用か失業かを条件づけ︑賛金価格の形成を規定づげる労働市場関係からのみ決定されるものではなくて︑経営からも. 決定されるのであって︑経営こそは︑労働者運命の第二の旋回点として︑杜会関係の交点でもあれぱ︑一般杜会生活 1︶ の作用点でもある﹂︒. げれども︑このような個々の間題そのものは︑経営−﹂固有の間題性とは認識されたいにしても︑すでに十九世紀の. 後半︑とくに九〇年代において︑﹁労働者間題﹂︵ξτま事品⑦︶のなかでとり上げられていたと考えるのが至当であ. る︒それは︑丁度︑ビスマルクが失脚して杜会主義鎮圧法が撤廃され︑それにともなってドイツ杜会主義労働党がド. イツ社会民主党として再発足をとげ︑労働者階級の政治的経済的勢力のいちじるしい増大と階級対立の激化をみる. 到. にいたったときである︒ゲヅクも︑﹁経営杜会的事実と個々の閲題そのものが︑ほとんど十九世紀に杜会的考察をみて いる﹂︑とのべている︒. 割 このようた経営杜会的間題にふれることの多かった経済学者としては︑フォソ・モール︑シェフレ︑べーメルト︑ 勾 経営学老とLては︑エミソグハウスがあげられる︒一八九〇年頃︑とくにシュモラiは一歩すすんだ考察をおこない︑ 到 ﹁経営的社会政策論の入口に到達した﹂といわれる︒げれども.かれの場合にも︑当時のほかの論者と同様に︑依然 として労働関係︵>︸筆睾實霊一言色が視野の中心にあったことは否めない︒. これらのひとびとに比べると︑工ーレソベルクは労働関係から経営に着目した態度をはるかに示している︒かれは. 一九〇四年につぎのように書いているのである︒﹁われわれが労働関係にこれまで以上に通暁するまでは︑この関係の. 治療を中止すべきである︒そして︑このようた通暁は︑それを企業経営からきり離さないで︑しかもその主要た構成 6︺ 部分と﹂て考察するときにのみ可能である﹂︒工ーレソベルクは︑またつぎのようにものべている︒労働関係の核心. は︑企業家ならびに賃金労働者は企業の機関であるという点にある︒−−⁝わ九わ九がなんとかして労働関係を変え. 337.
(4) ようとするなら︑まっさきに経営内部におげる賃金労働者の実際的状況︑かれの給付と賃金の椙互関係︑かれの給付. と企業成長のあいだの相互関係をくわしく研究しなけれぱならない︑と︒しかも︑ゲヅクによると︑ユーレソベルク. は杜会政策的態度において︑この説明をおこなっている︒さらに︑工−レソベルクはつぎのような︑注目に価する社. og打彗甲ρω. 蜆oo. ωo霊雷9>・一霊〜寿葦窒昌冒邑霊〜寿彗σ筆實ぎ一U彗誌g窃望竃け署α具讐げ昌F印塁.︵畠蟹︶一冒季一U轟ぎ昌昼o. ト〇一︸p︵一〇〇鶴︶1. ③ 峯o員ξζσ92oZ與争置Ho創窃︷きH寿昌簑耐彗雰↓﹃庁茅ま﹃H己易巨〇二三>;まくP君一.Q斥.︵一旨牽く昌勾彗y. ②. 注ω雲勢一Ω・一ぎ毫Oき彗一勺;寿⁝箒;邑則一彗オO芽召昌薫一H.宗昌.竃O冒9彗⁝庄墨冨︒・︵嚢O︶ψ〒く昌. れる︸﹂ととなる︒. る﹂︒経営的杜会政策論生成のための主な活動は︑やはり第一次世界大戦後の経済的・杜会的状況のなかですすめら. の根本的な刺戟は︑ほかのひとに興味をもたれることなく︑また追究されることなく︑忘却されてしまったのであ. ヅブの研究を通じて︑経営的杜会政策論の発展の礎石を残した︒げれども︑ゲックによると︑﹁残念なことに︑かれ. て労働共同体︵>ま堅品o昌①一鶉o訂申︶の間題をとり上げており︑また個々の企業の研究1とくにシーメソスとクル. なお︑工ーレソベルクはみずから主宰する﹁精密経済研究誌﹂︵>冨雪く雰H異崇箒峯ま碗O臣︷昆O易Oぎ轟︶におい. い︒. る﹂︑と︒ただ︑かれはこの重要な区別にそれ以上に言及していない︒また︑経営的杜会政策の体系にもふれていな. のである︒そこで︑杜会政策は企業経営の内部へ食い込んでいる措置︵く簑H晶gと︑そうでない措置に分げられ. 会政策の区別にもふれている︒すなわち︑﹁賃金労働者の生活は︑企業の内部と︑その外部においておこなわれるも. 162. 338.
(5) ユ協. >葦彗毒ω彗ぎぎ窒旨⁝昌訂轟目津匡彗毒毒﹃雪塁け幸薫一⁝団q庄彗くo豪ま募oぎ芦一目二︺彗雪ぎ≦o葦言ケ嚢o巨芦 盲〜胴.Hoo窒.. ωαケ目宰Fくj>﹃斥①弐宰く雲チ讐3涼竃昌目匝句剋げ﹃寿oぎ﹃ざチg自σqo冒α睾ωo﹃ミ五ドN巾甘目庄9N饒ユoブHo0Nも〇一∪o﹃蜆二Uぎo耐峯デ. 昌ま置冨冒oq一5号じ閑Loo富−. ︵HO︒曽︶. ω9冒O箒50. 9①鷺碧巨ざ;一〇ま雲薯ざ巨⁝胸庄彗C鼻O;9彗⁝喫ぎ二印︸まい鶉置轟昏⁝帽畠8−畠8一U雪8. Ω8ぎ與・印︑O︷ω・蜆O〇一この間題領域に関するシュモラーの論文には︑つぎのよう泣ものがあるO. 冨彗阜㊤1盲巨Oq. ω向曽邑轟す彗9ぎ≧衙O昌〇一篶Ω署實置O〜9雰H一ぎ富雷一冒易jΩ;竃彗印寿Oa二目〜巨斥9二三U彗>ま筆害い. ⑤. 言竃ミ鶉彗旨o<艮婁彗血・庄實匝・昌お彗;けo;2昌⁝σ・①員きmo巨岸け三N膏ωoき;まΩ薯0Hσ名o=薫宗﹃. Ω①o・彗姜員5嘗賞轟o〇二︺⑦轟.一d冨Hま要けまo巨彗胴o鶉o;撃等雲Φω昌己蟹①眈§巨①ら麸器冒σ旨⁝血・二三 串g困.−導︸.Hoo竃.. ⑥塁H彗冨曇界oo富邑Hム實旨彗昌︷o算o昌島旨蜆Hこo冨−8介ω﹂㌣賢. ㈹雲﹃彗訂曇一︶轟ξ置↓ωき︸姜募芸>まo津閉︒・彗筆竃訂員三苧争一く凄・婁芽箒≦募oざ津碗︷婁g⁝o・︵掌旨睾. >篶巨く︶睾N︵−§︶一冒・ω二ωgミ箒ぎ暮庄ω琴ぎ冒閑冨冨①彗g睾芽童け血匝・彗筆邑曇雪二三雲・ω︵曇H︶一戸. 望;Pω麦ぎき①二彗一冒き葦①豪目苧童奪ミ筆邑︵邑;嚢;筆目宗目雰墓美⁝︒・彗き・申向薫ま①邑二三. エーレンベルクの労働共同体論については︑つぎ. 震し︵曇〜︶一塁冨目ま擾一∪守冒奪暮ぎ⁝鷺目奪籟・竃彗ω一彗彗9亡d庄.ガ史ω・⁝−註;§o二彗蝉曇①一 目ぎ薯ま擾貝■︷甲肉きぎO・肉;竃8ぎ>ま9け宰貯目一目彗・旨冨H旨ド. のよ.うな論攻があるo大橋昭一稿・R・工ーレンベルヒの労働共同体論についてO・商学論集第七巻第六号︒. 三. 339.
(6) ドイツにおいて︑経営の特定の杜会間題が認識されるのは︑二〇世紀にはいってからである︒ゲヅクはつぎのよう. にのべている︒﹁ほぼ一九〇〇年以降に次第に︑ 一九一四−一八年の大戦以降はつよく︑経営に固有の杜会間題性︑ ○ および労働老間題と杜会間題に対する経営の影響が︑一般に認識されるようになった﹂と︒とくに︑敗戦後の杜会革. 命的な波は︑経営生活の人的側面を認識させ︑経営実践上顧慮させずにはおかなかった︒多くの経営において︑これ. を契機として︑経営杜会政策的な一達の措置がとられるにいたったゆえんである︒たとえぱカール・デュイスベルク. は︑敗戦ののち︑二人の経験ある杜会政策家を杜会重役︵ωoま曇冨軍oH︶として1・Gの染色工場に送り込み︑営業. 担当重役および技術担当重役と同じラソキングをあたえた︒また︑その連繋諸工場間の﹁大利益共同体﹂でも︑﹁杜. おいてとり上げる文献は︑一般的にいって︑いずれも︑そのような現実的背景をもっている︒. 人格化の意義が︑むしろ合理化との関連において︑ますます判然と認識されるにいたったということである︒次節に. とする努力が重ねられた︒注意したけれぼならない点は︑生産過程の人的・社会的側面の重要性︑ないし経営生活の. して︑こうした側面からも︑経営生活の人的・杜会的側面にかんするすすんだ見解が打ち出され︑事態を改善しよう. 杜会政策部門︵ωoき仔o;竃訂>軍巴自轟︶が設置されて︑経営的福利や国家的杜会政策の用務が取り扱われた︒そ. は︑人的間題が人事部門︵雰易旨巴争匡一旨oq︶で集中的に取り扱われるようにたり︑あるいはシーメンスのように︑. 成︑専門労働者教育などの課題︑さらに人間関係の育成といった間題があらわれるにいたった︒大規模経営において. ところが一方において︑当時の経営はまた合理化の間題にも直面していた︒作業組織の合理化︑従業員の合理的編. せしめなかったo. 会委員会﹂︵ωo蚤茅o冒芝色昌︶が設けられて︑各工場の社会問題担当老が集まった︒ダイムラー杜のパウル・リー 到 ベンザームは︑従業員の意見と生活に深い注意をはらい︑一九一八年から二〇年まで︑この経営にストライキを発生. 1弘. 340.
(7) 165. ところでさらに︑一九二〇年から三〇年にかけて︑経営の人的・社会的側面にかんする認識をさらに助長した︑ま. た逆にかかる認識を契機とした︑一達の運動が見出される︒それらは︑経営的杜会政策論の成立にとって︑やはり重 要な役割を演じたと考えなけれぱならない︒. まず第一に︑産業界から生じた︑専門労働者教育︵>易げ竃昌oqく昌票o臣Hげ筆實︶のための強力た努力が︑あげられ. よう︒この動きから︑産業にいろいろの新しい制度が生れたが︑たかでも︑﹁技術学校制のための委員会﹂U>↓ωO= 訓 の活動は︑労働組合側からも積極的な肯認をえた︒U>↓ωO匡は当時フランツ・シェールホルツの影響下にあ㍗産業. 教育の道標によって産業の人問化にいちじるしい貢献をした︒U>↓ωO饒は技術的・経済的範曉の教育訓練をこえる. ものをふくみ︑人間性を顧慮し︑また杜会政策的・文化政策的・国民政策的課題を打ち立てた︒その点で︑一U>↓ωO曽. は︑あとでのべるローゼソシュトヅクと通ずるものがある︒. 第二に重要な︑産業内部からする動きとしては︑職場共同体︵オ實証oq①冒乱冨o訂ε運動があげられる︒この運動. は︑二〇年代から三〇年代にかけて大きな国民的運動にまでたかめられた︒個々の経営においては︑それを通じて︑. 労使の対立を克服する努力がおこ次われた︒実現された共同体のうち︑もっとも有名なもののひとつが︑クルップの. ﹁黄色い実験﹂である︒クルヅプの共同体は︑かかるものが客観的に可能であり︑実現可能な理念であることを示し. たが︑同時にそれは︑経営的杜会政策として︑経営的福利をこえるほどの︑進歩を意味するものではない点も︑あき. らかにした︒職場共同体は真の共働のためというより企業家側の立場を強化する︑アソチ組合的組織として運営され た︑と多くの論者はのべているようであるが︑すべてがそうであったわけではない︒. ドイツ産業の伝統である︑経営的福利の多くも︑戦後すぐに復活され︑かつ拡張された︒げれども︑第二次世界大. 戦後の状況と同じく︑国家的社会政策が次第に整傭されてくるにつれて︑かかる自律的な経営的杜会政策は光芒を失. 341.
(8) った︒ゲヅクによると︑その場合︑経営における杜会的努力の新しい形態は︑いわゆる﹁杜会的経営活動﹂︵8N邑① ︸gま①一︺㎜胃一︺①ま︶である︒. つぎに︑経済性国家監査局ヵ内オも︑この領域に多くの刺戟をあたえた︒同局は労働の間題にかんして一連の. 刊行物を出版し︑とくに﹁人聞と合理化﹂︵O胃く昌竃︸昌︷内筆O墨−邑實⁝口q︶というテーマのもとに︑注目すべ. き発言をおこなった︒また︑ジュネーヴにある国際連盟の労働局も︑﹁合理化の杜会的効果﹂︵90ω富邑竃>豪乏穿・. り︑のちには経営的人間指導論︵■亭冨く昌宗H峯彗ω争弩︷肇昌轟ぎ霊匡島︶の建設につとめた︒のちに︑それ. はじめ作業分析的・糖神技術的に﹁人問と労働﹂︵旨竃ω庄昌︷>事①6の問題を追究し︑やがて同所の指導者とな. に多くのものをもたらした︒とりわげ︑そーリヅツ・フリードリッヒはザールブリュケンの労働科学研究所>まで. 産業界からもっともはやく支援をうげて︑発展をとげていた生産遇程の労働科学的研究も︑経営的杜会政策の領域. であった︒結局やはり︑ドイツの研究が︑それから多くの刺戟をうけたことは否めない︒. 5︶. イムをして﹁ドイツの経済文献は︑近年ある種のアメリカ・インフレーショソにさらされている﹂といわしめるほど. 勾 ︵ なおまた︑当時︑この領域におげるアメリカの経験やこころみが数多く紹介され︑翻訳もおこなわれて︑タールハ. に収められている︒. く目の活動も︑見落してはたらないであろう︒その主張や成果は︑その機関誌﹁職場技術﹂二幸雲雰S言98巨寿︑.. やや後になるが︑一九三〇年頃︑労働生活・経営生活の人間的側面に独自の領域をきりひらいたドイツ技師協会. 杜会的平和に奉仕したと賞讃されている︒. 会射①雪が果Lた役割も︑あげておこう︒同委員会は︑とくに請負時間の計算担当老の教育を通じて︑経営におげる. 昌胴彗宗H射きo量一邑①H⁝①目︶というテーマで︑刺戟のある研究をすすめていた︒なお︑ドイツの労働時間調査委員. 166. 342.
(9) ユ67. は経営的杜会政策の範囲において重要性を有するにいたる︒. そのほか︑ドイツ技術作業教育協会冒目$の活動などもあげることができよう︒これらの様々な実践的活動や研. ︵︸①O斤−. 與.. 国. O二. ω.. 蜆べ■. 究が︑経営的社会政策論の生成にはたらきかげ︑その成立をうながしたのである︒. い江⁝W. ② リーベンザームは一九一九年六月六目の﹁ダイムラー工場新聞﹂の論説でつぎのようにのべている︒二Hと①幸O冒皆﹃. 冒鶉①5冒目彗ミo巨9昌. ξぎま冒墓ま&睾彗厨oσ彗け葦邑彗LU麸昌島ωo胴oωoぎ=彗L簑匝麸く彗邑o匝彗乏昼考麸彗目旨窒目旨彗げ;争. 匝q艮葦ユぎ↓1冒昌匝q彗爵け邑o享凹=①ぎ①ぎo竃毒肉①oq一〇;お段實昌冒匝峯ま岨oぎ豪oま⁝轟. ①目血q實窃N目ω顯昌冒o昌胃げ9吋①箏①冨奏ぎ匝q①p巴︺彗片9目ま目荷實窃ブ睾げo山旨︸冨胃.Uポ巨目昌o目く睾す甘;己窒①ぎ匹實峯⑭斥匹雲. >ま①岸8豪ω昌ま窒睾鷺︷昼け養ま雪1>まOま9昌OH⁝︷ξ冨蔚昏實昌箒器目ω一9皇&撃ま竃巨げ置目冨Pα簑. まω幸o巨冒oミωぎぎ己竃︷目畠①↓8;ぎぎ⁝庄まHけωoぎ肇ざぎ零oぎ冒o頁①一轟窒ggξo邑旨目畠−冒o奉警. 庄轟巨零邑g屋一邑窪肉剋艮冒誉富一昌目鶉色g冒岸庄竃旦窃>昌色冨轟旨Hoケ岸一目鷺昌一ま宗H零冒色目留冒昌>H黒岸. 昌旨m窒多ω一争鷺鷺富〇一爵き葦争彗.z昌監ま﹃9ぎ⁝彗芽ま斎秦津①く昌皇H彗9彗<o昌彗旨昌胸⁝oU彗彗 匝o鶉9筆彗ミoa彗 ︑︑. ③ωo巨事o亘勾−一?⁝g凹甘司彗9富﹃オま㎝oぎ津岩叫ま弩性汗ぎ曽︽凹實冨昌目峯一H冨ざ︷霞葦;轟冒邑ω0N邑o邑⁝長−. ↓ゴ芭プ9彗︑丙一〇.︑ωoユ9汗ユ泣斤仁o軋ωo辻巴﹃①︷oコ8d9>げσ9内理けげ⑭筥坦昼自箏包句o﹃畠一困oユ川目H㊤N0・ω一べーoo・. 塞〜⁝①o召;雪①昌ωぎ宗﹃−邑豪まo.雰H=冒H竃⑩一ω邑員戸雰着ぎ−o性①︷箒くo轟霧o薫ρωg詩凹﹃二竃9. −竃ト零昌目−竃蜆一呂彗0H≠一ω畠邑①⁝まgぎ一㎝oま幸ま8ぎ蒙塞〜⁝o目ぎ>昌①ユζ.雰﹃葦H竃①一■窒ぎp>j髪亮. ④ たとえば︑これにはつぎのような文献があるO室&彗竃チ員勺︒∪9N冒甘目目竃ブGOO>︒O&彗ぎ冒9篶﹃>昌睾寿胃9窒. 固H︷己−﹃け −㊤N0o.. ⑤. ニヨ43.
(10) 168. 前節におげる叙述から︑直ちに︑経営社会学研究所に拠るひとびとの経営的杜会政策論に言及することは︑かたら. ずしも公平ではたい︒そのまえに︑とり上げるべき一連の著作があることに︑注意しなけれぱならない︒むしろ︑小 論の範囲においては︑この段階が間題である︒. 功 ︵. ヴィンシューの著﹁実践的工場政策﹂には︑﹁近代的工場経営における計画的労働政策の叙述﹂という副題がつい. ている︒工場政策ということぼが︑すでに注目されるのであるが︑内容をみると︑まず工場政策のにたい手が論じら. れている︒工場指導者︑組長︑職長︑労働老︑専門委員会︵〜o寿o冒邑置昌︶が︑そのにない手とされる︒ついで︑. 工場政策の個別間題が取り扱われている︒工場政策の組織︑工場政策に対する使用老同盟と労働組合の関係︑賃金政. 策とくに請負賃金政策︑掲示︑労働不安の取り扱い方︑作業規律︑労働考の配置︑工場の団体︑福利施設︑経営協議 会政策︵雰匡争竃警︷o豪庁︶が︑とり上げられている︒. ヴィンシューは︑近代的製造工場の存立条件として︑﹁労働力の商事的・測定可能な計算のほかに︑生きた労働者. 一方では︑人間. ︵>き筆ω冒①冨亭彗︶の微妙で重要な評価︵峯彗巨轟︶も加わらなけれぱならない﹂点を認識している︒そこで︑﹁か. れの工場政策は労働政策にひとしく﹂︑しかもそれが二つの方向おいて考えられている︒すなわち︑. を間題とするとしながらも︑労働力が考えられており︑他方においては︑純粋に経済的−物質的なものを超越する︑. 工場指導者と従業員のあいだの関係が︑とり上げられているのである︒ここにすでに︑のちの経営的杜会政策論にお いて見られる︑重要な区分の原型が見出される︒. とくに後者の方向においては︑衛生・住宅制度・身分の育成と社交の奨励︵ωg己睾冒匹Ω塞Φ冒σ目斤o茅忌①鷺︶︑精. 344.
(11) 神的および物質的專受の準傭といった︑杜会政策の手段をもちいて︑労働場所に望ましい雰囲気を醸成することが間. 題とされる︒そしてここにいう望ましい雰囲気とは︑できうるかぎり摩擦なくはたらき︑指導をおこない︑生産を遂. 行することである︒ヴィンシューは︑﹁かき乱されない︑生産的労働が︑最良の社会政策だ﹂という確信をいだいて. 到. いたようである︒ゲヅクによると︑﹁ヴィンシューは経営的杜会政策の敷居をこえて︑その領域の真中にはいった最 初のひと﹂である︒. ︵. ︶. 3. ︵. 4. ︶. ヴィンシューによる︑ささやかながら最初の経営的杜会政策論が打ち出されたのち︑二年ほどして︑ヘルバヅハら. の﹁集団生産論﹂とローゼンシュトヅクの﹁工場移住論﹂が︑注視をあびはじめた︒ところが︑ゲヅクによると︑こ. れらの二著作は︑科学としての経営的杜会政策論の生成という見地からすれぱ︑前進もまた後退も意味するのである︒. それらが前進を意味する側面は︑﹁今後︑専門科学老が工業経営の杜会問題性をとらえる場合﹂であって︑たとえぱ. マインツは︑ヘルパッハが内的結合︵彗︷o君暮<①寿g昌σ目︶と外的結合︵①岩o亮く①岸馨⁝口q︶を区別しているこ. 旬 とをたかく評価している︒けれども︑他方それらは後退を意味する側面もふくむ︒すなわち︑﹁ただこの特定の杜会. 閥題性がそれ自体たがめられ︑全体間題の部分領域での因果的説明がおこたわれるにすぎない⁝⁝それゆえ︑熟慮の. おわりには︑作業組織的・経営組織的な面での経営的杜会改革があるだげであって︑経営的社会政策はその固有の全. 体性において︑または杜会政策一般とのむすびつきにおいては︑存在していないのである﹂︒. ローゼソシニトックは︑その著において︑経営の分散︵雰己o訂彗床寝ぎ轟︶を主張する︒かれのいう経営の分散. には︑外部的ディセントラリゼイシヨン︑つまり大規模経営の個別的経営への場所的た移住分散︵峯邑嚢馨彗邑乱r. れる︒かれの試論の第一の内容は︑工場の地方移住によって労働者を自然に近づかせ︑工場生活によって不可能とな. 345. 冒oq︶から︑作業組織上・人間体制上の変革による大規模経営内部の分散︵峯宰訂§寿o昌冒彗串⑫︶までもがふくま. 169.
(12) の分離を出発点とし︑それに対処する. った自然的・文化的な生活環境を導入しようとするものである︒また︑このローマン主義的憧慣のなかで︑かれが意 図するのは︑労働者の生活場所︵ピ臣g質婁冒︶と作業場所︵>ま艮貿彗昌︶. ヒュアシュテソベルクは口ーゼンシュトヅクをたかく評価して︑かれがすでにここで複線のコ︑︑︑ユニ. ため︑経営組織を変革し︑労働者の新しい人問的態度の形成によって︑作業場所をふたたび生活場所へくみいれるこ とである︒. 6︶ ︵. ケーショソ経路︵署①包①邑oq鶉内o昌冒⁝寿筆昌薯品︶︑集団本位の経営組織︑労働者重役︵ローゼソシュトヅクは. ヘルパヅハの提案は︑大量生. を代表とする労働法学老の一団であるが︑ドイツの労働法が一九二〇年の経営協議会法︵思ま①茅轟8驚︑9︑︶の発布. ところで︑これらのひとびととは別の︑経営的杜会政策論の開拓者たる一派がいる︒それはハインツ.ポットホフ. 攻がある︒. つ. 間化しようというのが︑ヘルパヅハの集団生産論にほかならたい︒ヘルパヅハについては︑市原博士による優れた論. 遇程との精神的関連を可能にする生産のコスモスを形成することである︒ザハリヅヒな技術的労働過程を精神化し人. 産のアトミスティークのかわりに︑全体過程が労働考にも見通しのきく︑かれが意味深く追求のできる︑つまり生産. いがゆえに︑かれらにとって︑工場は労働共同体でなく︑﹁作業の集積﹂にすぎたい︒. 業の結果として︑集められた人間はアトム化している︒かれらは相互のむすびつきも︑全体に対する見通しももたな. だからであるL︒そのうえ︑近代的大工場の内部においては︑量的に多数の人間が密集しており︑質的には技術的分. な圧縮形態のひとつである︒なぜたら︑多くのひとびとは工場で﹃生活﹄するのではなく︑そ︸﹂で﹃生産﹄するだげ. 集団生産によってえようとする︒ヘルバヅハによれぱ︑﹁工場は人的環境の︑しかも人的作業環境のもっとも集中的. ヘルパッハもローゼソシュトヅクとほぼ同じ出発点と同じ意図をもつ︒ヘルパッハは工場の杜会的健全性をとくに. 目屋軍μo寡昌冨豪︷とよんでいる︶の要請をおこたっていたことを指橋している︒. 170. 346.
(13) このかた経営間題とのむすびつきをつよめて以来︑かれらも杜会政策的た間題をとり上げざるをえなかった︒ゲツク. はここでとくにヴェーレをあげている︒ヴエーレは集団生産論︑工場移住論たどの様々た提案を検討し︑それらの提. 案の共通分母は︑従属的労働︵印亭彗σ目ポ①>まo6の間題を経済政策的・杜会政策峻欄議から解放し︑従属的労働が 修 生産目的のために費消される唯一の場所︑経営とむすびつけることにあるのだとする︒そ︐﹂で︑杜会経済的観点から. する杜会政策的要求は︑経営の固有の法則と︑経営経済学ときわめて密接なかかわりをもつことにたる︒さらに︑こ. れまでの杜会政策の形態と組織には︑広汎な変化が生ずることとたる︒とりわけ︑﹁公的杜会政策の前段階として︑. 経営にむすびついた杜会政策﹂︵げ腎ポ尿口q争⁝宗冨ω富一﹄君軍岸︶が︑経営による負担と自己管理の間題を解決する. ことになる︒ただ︑ヴェーレの間題提起は︑原則論におわっている感がある︒ ︶ ⑫ ゲヅクによると・レヒターぺも﹁経営的杜会政策の敷居をこえた﹂ひとである︒レヒターぺの薯書のたかでは︑一. 九二六年から二九年までのま①巨冒彗歓go二自巨昏ω旨きぎ創易匡巴屋−きo豪一り︒︑伽︒冒自︒−旨印冒印σq︑旨︒目けの文献が. とり上げられ︑これらが杜会学的研究を通じて基礎づけられている︒けれども︑こうした名称は経営的社会政策のア. メリカ的観念の表現であるからして︑結局において︑経営的杜会政策の間題性がとり上げられたこととたる︒レヒタ. ーべの結論はつぎのようなものである︒すたわち︑分業的経済にあっては︑すべての人間労働は経営においておこな. われるので・経営は科学的杜会政策論にとって重要な︑しかしこれまであまりに看過されてきた裏実︵H︒一げ︒︑↓陣目︷︶. をあたえるということである︒かれにとって︑経営間題がとり上げられなげればならないのは︑経営における社会事. 族・国家・杜会でのかれの地位が︑その労働によってきまるためでもある︒結局︑経営的杜会政策論生成のうえでの. レヒターぺの功績は︑﹁人問労働と経営﹂︵昌昌竃雲O序>H冨津昌創霊己2︶なる固有の間題領域を開拓恋いし導入. 347. 象から一破壊的経過が生ずるということのためであり︑また経営におげる労働を中心にLて労働者の生活が循環し︑家. 171.
(14) したことであり︑また一蓮の重要な個別間題を呈示した点にある︒. ⑩ ゲックはタールハイムの薯書﹁アヅベニフテナウ.フォードの杜会批判と社会改革﹂を経営的杜会政策論の前史的 ω 段階にいれている︒この薯書は︑アッベ︑ラテナウ︑それにフォードの﹁三人の思想と活動に捧げられたもの﹂であ. り︑タールハイムは当書の後半でこれら三人の思想および諸方策の詳細な分析にあたるのであるが︑前半においては. ﹁国家的社会政策のほかに︑個々の経営または企業家より発し︑前者を補完している杜会政策﹂の存在をうきぼりに. し︑その墓本的諸間題を究明しようとしている︒かれによれぱ︑﹁杜会政策間題に対する科学的活動は︑ほとんど国. 家的社会政策︑つまり従属的な労働関係の標準的規制を第一にえようとつとめる国家の方策だげにかぎられていた︒. 実際上︑すべての社会政策が︑大部分︑この国家的杜会政策に帰することは︑疑いたい︒けれども︑そのほかに︑科. 学がこれまでに十分みとめてはいないが︑個々の経営または企業家から発し︑国家的杜会政策を補完し︑童たはそれ. に先行しているような杜会政策が存在している﹂︒タールハイムが経営的杜会政策︑または自律的杜会政策︵彗一?. 任意的短縮・工場住宅・福利施設・利益分配制などに具現化されるという︒このような方策の全体性は︑タールハイ. からおこなわれる︒そして︑かかる経営的社会政策は︑とりわけ︑労働老委員会︵>︸竺害彗窒争畠︶・労働蒔聞の. まζ昌名o軍ぎま竃〇一一く︶・社会倫理的動機︵ωg邑g巨ωo訂ζoま︶・宗教的慈恵的動機︵邑迂募−パ弩茅矛¢峯o事︶. 制の限界外でおこなわれてきたものであり︑支配政策的動機︵訂箒竃訂茅君茅oτくo茅︶・生産政策的動機︵窄o・. このような杜会政策は︑じつは一〇〇年以上このかた多数の企業家により任意的に︑国家的た社会政策的立法の強. れたことになる︒. ;彗⑦ωoN邑竃巨寿︶とよんでいるものが︑これにほかならない︒すでにこの段階で︑経営的杜会政策の標識は示さ. 172. 348.
(15) ムがのちにのべているように︑ω本質的に国家的杜会政策とならんで同権的︵αq匡o事︒︑︒︒︸一一αqけ︶であり︑②国家的杜. 会政策では達成さ註い吉奮的を達成でき︑亀家窪会政策と並行しうるほどに︑杜会構造一閉︒籟一酉一︒︒︒一饒︒︒︒一. に対するその影蒙重要であるため︑そ註真の杜会政策たる性婁有する︑と︒タエ一イムによれぱ︑経営の自. 律的珪会政策は・芝吉茎ず︑警そのものの内部において︑撹乱されを会的均婁ふたたび晋琴こと. ができ・かっ労働妻して警に内面的にむすびっげ−る︒そこで︑資本主義に淳る杜会麗の発奈︑経営の特. 定の杜会的構造と密接にむすびっいているからして︑経営的杜会政策こそは︑婁竃竈杜会政策の強化を意穿. るのである︒タールハイムの説明は︑すでにはっきりと経営的杜会政策論の成立を告げている︒. ︸彗冒戸岩轟.本書の骨子は︑二年前のつぎの論文のなかですでにのべられている︒. 竃峯嚢ぎ二墨饒一婁蕃冨姜﹄婁・きξ葦冨⁝甘籟︑−・︒目・︑げ︒︑︑血︒︒︑一け︑汗︑⁝︒︒︑︑目︑目句国︑︑︑︑︑げ︒一︑一︒σ︒︐. U婁ち邑鳶呈暮︒姜窪雪麦喜姜一︷三曇奮二胃匝・毒汀胡・・︒津畠箏匝・く︒暮二頸目冒頸二§.. 曽曇暮婁雲奪︒寅㊦①秦奮き婁・馨豊二邑亀墓二︑一︑一︒げ︑︑誉冊峯︒︑︒目︑﹄︑︑︒目§︑. なお・ヴィンシューには︑つぎのような薯作や論稿がある︒. U毒−冒︷喜募︒ブ竃彗書§奪ξ雰一ま奪豪一萎菱︑二目;︒匝︒︑一螂一︒目巾︑︒巨耐自一︑︑一︒︑籟︒一︑一︒σ血吻.. U婁.−麦彗雪§ぎげ一彗①ぎ;g彗妻苔妻二目一胃︒重︒昌︒庄︒︑︑︒︑一顯一︒︒︒一︑一巾σ閉七︒︒叶︒︑し一︒︑剋旦蜆胴他堕. ぎ轟毒血・曇く昌霞らO葦鼻零書二㊤N蜆・. ω1睾. 墨﹃奮匂︒奏汀旨享童邑忌奪一一目;①二︑げ︒鳶︒σ︒︑一︸と団︑︑一竃.. さ目Ω.胃至9雰﹃冒岩ω01. U婁. ②o8打與.睾◎. ③−彗寧肉 ;二①ξ鼻峯・一ぎ§目婁︑岸凹饒︒箏﹄︒︑目冒−§・.
(16) 174. OO§邑O. 勾o器墓8o打肉.一オ睾ぎ一算−彗窪−&巨目閑.g岸胃竃o=q胃帽饒び睾宗胃−争窒弩顯目嘗皆ω穿︷轟匡①費冨津o易一吋①肇目岩豊.. 冒與︸gぎ甲一Uざ彗良邑o◎蟹凹己轟ユo目旦窃旨庄冨一H宥げgユoげ鶉.津鼻厨彗叶−8o〇一ω一〇〇.. 句箒9彗ざ長句二H目き段H一霧§邑O胴貝Z雲至&一竃㊤.ω1おト. 市原季一稿・ヴィリー・ヘルバッハ・ドイツ経営杜会学の生成1・国民経済雑誌一〇五巻四号︒. オ︸二9向j吋gユg弩o︷實昌①ぎミ娼N毫勾良暮昌宗四>﹃幕註き多娑巨汐器ω〜ズ旨冒訂お岩ミ一. −8幕葛9甲し︺庁昌9血O蔓Oぎ>︸睾邑ω○互芽け旦實皇霧彗窒3肇ざぎ冒ω竃邑ε葦昇言量H㊤〜3U9血. ω.3.. 五. の卓越した活動がおこなわれるようになる︒かれらの実践的ないし理論的意図はかたらずしも一様でないが︑それは. もに前史が終了し︑建設がはじまるのである﹂︑とゲヅクはのべている︒爾後︑この領域において︑ブリーフス一派. 来事がおこっていた︒それは︑すでにふれたベルリソエ科大学における経営杜会学研究所の設立である︒﹁これとと. タールハイムがその学説の展開につとめていた頃︑経営的社会政策論の発展にとって︑エポック.メーキソグな出. og〆国.與.o. 森山蕃店・昭和三二年o. 的杜会攻策の本質と経営共同体・藻利重隆編・労務管理︵厳松堂出版・昭和三一年︶所載︑市原季一著・ドイツ経営攻策.. つぎのようなものがある︒藤津清治稿・経営的杜会政策・吉川栄一編・経営学︵青林書院・昭和三〇年︶収載︑同稿.経営. ↓罫旨9目一ωsざ豪Hま界自冒創oo§邑冨︷實菖げ具>げ一︺9肉顯ま彗竃昌昌匝句o乙ータールハィムの学説をとり上げた論稿には. ○目胴註ω丙碧津筈ω昌寡♂U彗誌o巨彗戸Ω;邑淳晶o目宗﹃事まωo訂津霧畠一〇−o阻9宕竃岩震・. 軍§窃器ぎぎま匝童g一彗bdgユoFぎ一穴αぎ雲く甘睾邑盲巨争−声ω§巨o匝胃ぎ富〜堕oo︵−竃廻ωo︶一U①易.一冒o老與目苧. (9〕(8)(7〕(6〕(5〕(4〕. ⑩ ⑪. 350.
(17) 主とLて経営の内部に杜会間題や社会運動の発生する原因をみとめ︑経営そのものの心理的・杜会的側面の研究を通. じて望ましい状況の実現に志向し︑杜会間題の解決にいくらかでも貢献しようとするものである︒シェルスキーがの. べているように︑一九二〇年代に︑企業家−労働者の戦線が絶望的な停滞状態におちいり︑政治にその満足な解決が. 期待できなかったとき︑経営からする社会的関係の公正な形成によってその解決を計ろうとしたところに︑経営的杜. 会政策論のうまれる契機が見出される︒この一派の経営的杜会政策論については︑従来からすでに十分な評価がおこ. たわれており︑さいきんの産業社会学ないし経営社会学に対する関心のたかまりから︑とくに再評価がおこなわれて いるといえるであろう︒. けれども︑その聞題意識や業績はやはり多くの先駆的研究に負うているというべきであって︑小論のそれぞれの個. といえども︑前史的段階の研究において原型を見出すことができる︒たとえ前者が理論的に形式杜会学的に武装さ. れ︑後者が労働老問題のたかであるいはローマン主義的た憧慣のたかで素朴に規定されるというちがいはあるにして. も︒こうした点で︑これらの先駆的研究も︑また正当に評価されなけれぼならない︒. 351. 所ですでに指橘した通りである︒たとえぱ︑ブリーフス一派の標識である︑経営的杜会政策と杜会的経営政策の識別. 175.
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