同一の語が使われているからと言って,言及されている状況が同一だとは限らない.
(70)とは違って,すでに見た(47)の例では,(61)は部分的にしか満足されないし,(71) に至っては,ずいぶん違いが目立つ.
4 状況をフレーム構造として記述する 45
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図3 (70)のMSFA
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図4 (71)のMSFA
4 状況をフレーム構造として記述する 46 (70) 空腹のライオンがインパラの群れを襲った.
(71) 大型の台風が九州を襲った.
台風は,そのh到来iをh邪魔するiことも,h被害iをh防ぐiこともできないし,それ からh逃げるiことも通常はほとんどできない.「台風とh戦うi」のは比喩ではありえる が,その場合でも,実際にh戦闘i状態に入ることはありえない.台風に対してヒトを含 めた生命体にできることは,せいぜい到来をh予知iし,h被害の規模iをh予測iし,そ のh見積もりiに従ってh自分の身を守るi ことぐらいである.z = yの条件の下で,R1 とR4.2が成立するのみである.この場合でも,R1の実質はh攻撃iではなく,単なるh加 害iである.
4.7.1 (71)のMSFA
このような違いは図3と図4を見るとよくわかる.図3, 4にある表は,(70), (71)の理解 内容を意味フレームを用いて解析した結果で,複層/多層意味フレーム分析(Multilayered Semantic Frame Analysis: MSFA)と呼ばれる.詳細は(中本,et al. 2004b)や(黒田・井
佐原2004a)を参照されたい.
図4にある表の列には意味フレームF1, . . . , F13が,行には(71)の形態素M={大型, の,台風,が,九州, (の人々),を,襲っ,た}を配置している.フレームFと形態素mの交点 にあるセルには,mが実現するFの意味役割名が指定されている.セルに指定がない場 合,意味役割が実現されないということである.
MSFAの最大の利点は,それが語の意味の多次元性をうまく捉えるという点にある.実 際,MSFAは単一の名詞(句)が異なる意味フレームごとに異なる意味役割をもつことを 明示する手法である.これは従来の研究にありがちな,単一の記述枠に,強引に複雑性を 押しこめる弊害をうまく回避する.
例えば,(71)の[台風]は,
(72) a. F1: h発生iフレームの意味役割の一つであるh発生体i,
b. F2: h経路移動iフレームの意味役割の一つであるh経路移動体i, c. F3: h(経路不定)移動iフレームの意味役割の一つであるh移動体i, d. F5: h加害iフレームの意味役割の一つであるh加害体i,
e. F6: h被災iフレームの意味役割の一つであるh原因i, f. F7: h経験iフレームの意味役割の一つであるh内容i,
g. F8: h働きかけi(=使役)フレームの意味役割の一つであるh影響源i という複数の意味役割を同時に実現している.
このような実現関係のうちの一部はクラス/インスタンス階層の具現化である.例え ば,F2: h経路移動iはF3: h(経路不定)移動iの特殊な場合であり,h移動体iとしての性
質はF3から継承(inherit)されている.図では関係が明示されていないが,これは,§4.6
で示したフレーム間の関係から派生する副作用である.
5 意味役割の理論の展開 47
4.7.2 MSFA はブレンドの効果を記述する
フレーム間の関係を考慮すると,複層意味フレーム分析はブレンド (blend(ing))の効 果と概念統合網(Conceptual Integration Networks) (Coulson 2001; Fauconnier 1997;
Fauconnier & Turner 1994; Fauconnier & Turner 1996; Fauconnier & Turner 1998)の 構造を記述する51).本稿では詳細には議論しないが,この点には,もう一度§5.11で立ち 戻る.
D0: <存在>領域
D2: <消費>領域 D1: <生産>領域
内容 執筆意図 作者 F2:執筆
出版社
F3:出版 F7:書籍販売
表紙 ページ数
重量
主張 結論
所在地
書店
経営者 所在地 小売り値
卸値
電話番号 電話番号
経営者 F1a:仕事
の依頼
雇用者 従業者 契約内容
F5:デザイン
デザイナー 装丁
対価
F1b:仕事 の依頼
雇用者 従業者 契約内容 対価
意図 好み
読者 F8:読書
内容 感想
評価 F6:購入
販売者 購入物 購入者
動機 出費
形状 本
動機
作品 出版物 商品 本*
図5 “本”の多面的多義性の意味フレーム基盤分析
5 意味役割の理論の展開
この節では,意味役割の一般理論が語彙の体系分類に及ぼす影響について考えるが,ま ず簡単に具体例の分析から始めよう.
なお,この節の内容は基本的に(黒田・井佐原2004a)からの再掲である.
5.1 “ 本 ” の多義構造の意味フレーム基盤の分析
“枕”という語の意味—あるいは概念—を定義しようと思えば,hヒトの睡眠iという 状況概念に訴えざるを得ないことは§3.2.4見た通りであるが,同じことは“本”の意味に ついても言える.
51) この際,ブレンドスペースは形態素列に相当すると見なす.ただし,このブレンドとMSFAとの対応関 係は不十分で,意味フレーム分析がブレンド分析と完全な対応関係にあることを示すには,MSFAの代わ りに階層的フレーム網分析(Hierarchical Frame Network Analysis: HFNA)を考えることが必要であ る.HFNAについては,(黒田・井佐原2004a;黒田・井佐原2005b)を参照されたい.
5 意味役割の理論の展開 48 仮に意味フレームの全体集合F ={F1, F2, . . .}が与えられているとする.F は,Fiご とに“本”の{hF1: 内容i, hF2: 執筆物i,hF3: 出版物i,hF4: 販売物i,hF5: 印刷物i}を定 義する.ほとんどのフレーム(e.g.,h渡米i,h結婚i)で“本”と呼ばれる物体は何の意味役 割も実現しない.
本がフレームに実現値をもつ場合,それが多義構造の発生源となる.このことは例え ば,(73)に示す形容詞{つまらない,暗い,遅かった,高い,汚い}の選択制限に反映されて いる.以下のa, bの対でa例の解釈は多面的意味52)の一つを特定したbと同一でありう るが,cと同一ではありえないことの説明となる:
(73) a. この[本]はつまらない
b. この[本のhF8: 内容i]はつまらない c. *この[本のhF3: 出版年i]はつまらない (74) a. この[本]は暗い
b. この[本のhF2: 主題i]は暗い
c. *この[本のhF7: 小売販売店i]は暗い (75) a. その[本]は遅かった
b. その[本のhF3: 刊行i]は遅かった c. ?*その[本のhF8: 読者i]は遅かった (76) a. この[本]は高い
b. この[本のhF7: 小売値=値段i]は高い c. *この[本のhF8: 内容i]は高い
(77) a. この[本]は汚い
b. この[本のhF5: 装丁i]は汚い c. *?この[本のhF3: 出版社i]は汚い
以上のことを考えると,図5に示すような本の(部分的)意味構造を考えることが可能 であり,また妥当であろう53).“本”は{hF2: 執筆i,hF3: 出版i, hF4: デザインi,hF5: 販 売i,hF6: 読書i }フレームで,おのおの異なる意味役割{ hF2: 執筆.作品i, hF3: 出版. 出 版物i,hF4: デザイン.装丁i,hF5: 書籍販売.商品i,hF6: 読書.本*i}を実現している.
このような意味フレームを用いた [[本]]の多義分析が示唆しているのは,具体物の多 面的意味の局所化(localization),意味フレーム単位の情報のパッケージ化(information
packaging)が可能であり,それが知識の表現効率の点からも好ましいという点である.
意味フレーム群はhD1:生産i,hD2: 消費iのような上位レベルで活動(activities)に,更
52) このような語義の多面性は(側)面(facets)と呼ばれているもの(Cruse 1995; Cruse 1999),活性(領) 域(active zone)現象として扱われているもの(Langacker 1987; Langacker 1991)と同一である.同 じクラスの現象が生成辞書理論(Pustejovsky 1991; Pustejovsky 1995; Pustejovsky & Boguraev 1994;
Pustejovsky & Bouillon 1996)の枠組みでは,選択束縛(selective binding)と呼ばれて,興味深い分析 が提案されている.
53) [[本]]のフレーム網分析は,古牧(古牧2004)に啓発されて得られたものである.
5 意味役割の理論の展開 49 に上のレベルで領域(domains)という形に組織化,階層化されている54).
また,この図では明示していないが,“本”と呼ばれる物体xがh枕iになるかどうかは 物体としてのxの特性であり,存在領域D0に帰属すると考えられる.基本オントロジー が捉えるのは,この種の情報である.
このような上位レベルへの組織化の結果,ある領域に結びつけられることは波及効果を 生む.この波及効果の範囲をうまく予測できず,記述量が爆発することが,これまで人工 知能の分野で「フレーム問題」(McCarthy & Hayes 1969)と呼ばれてきたものである.
意味フレームのまとまりを特定することで,この問題は少なくとも部分的には解消可能だ と見こまれる.