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付録 B 認知意味論での “ 概念 ” という説明概念の性質

付録B 認知意味論での概念という説明概念の性質 75 いうものであろう.だが,事態はそれほど単純ではなく,Lakoffの定式化ではプロトタ イプ性の起源を過度の単純化し,事実誤認に導く可能性がある.

プロトタイプ効果は,意味型のレベルでも,意味役割のレベルでも別々の原理によって 生じる.そのため,意味型がカテゴリーに,意味役割を概念に同一視するならば,プロト タイプ効果はカテゴリーのレベルでも概念のレベルでも生じるということである.

意味型は主に形,色(大きさ, 重さ,におい, etc)のような感覚的特徴によって決まり,こ れ自体に—(おそらく知覚上の)類似性(similarity)に基盤をもつ—プロトタイプ効果が ある.これに対し,意味役割はこの種の感覚的特徴によって完全に決まることはない.そ れはどんな状況に置かれているか—より抽象的には「どんな役割,機能をもつ“部品”と して機能しているか」—によって定まり,これ自体に—おそらく隣接性(contiguity)に 基づく—プロトタイプ効果がある.明らかに,これら二つのプロトタイプ効果は,発生 の原理が異なる81)

B.1.1 hh寿司屋iiで出るhhiiのプロトタイプ性

この点を[[寿司]]に関する具体例を取り上げて明確にしよう.誰も寿司屋に入ってラー メンは注文しない(し,反対に誰もラーメン屋に入って握りは注文しない).だが,寿司屋 がラーメンを出してはいけないという道理はどこにもない.なのにが,そうはなっていな い.これは奇妙なことではないか?

その理由は,比較的明白である: 第一にそうすることが慣習的でなく,それが慣習的で ないのは,それは寿司屋の専門性にとって効率的でないためである(職業の専門化は大抵 の場合不可逆的に起こる)

仮に寿司屋でラーメンを品書きに載せていたとする.この場合,ラーメンは.他の寿司 に属する品目より,明らかに非典型的,非プロトタイプ的な品である.これは意味役割 (の値)の逸脱である82)

これは意味役割のレベルでの逸脱であるが,意味型レベルでの値の逸脱もありうる.こ のことは次のことを考えれば,明らかである.カリフォルニア巻きは,他の寿司より非典 型的である.トロの握りとカリフォルニア巻きを較べたら,明らかに前者は後者に較べて 典型的である.

だが,話はこれで終わりではない.同じく典型的なトロであっても,寿司職人の握った

「いかにも寿司らしい」トロと,素人の握ったひしゃげたトロも同様にトロでありうる.

この場合,寿司職人の握ったトロは,素人の握ったトロよりも典型的である.寿司職人の 握ったトロは,素人の握ったトロにはない,独特の質感(qualia)を与える.この質感は,

81) この点は確かにLakoffでも正しく認識されているようにも思えるが,彼の言明は全体として首尾一貫し ておらず,あまりハッキリしない.

82) この種の逸脱の効果は,フランスのシュールレアリズムの画家Ren´e Magritteの絵画に顕著である.彼 の絵が面白いのは,非常にリアルに描かれ,意味型のレベルでは完全に典型的,プロトタイプ的な見えを もつものが,まったく予想もつかない場所に,予想もつかない仕方で置かれていることで,意味役割のレ ベルで完全に逸脱を生じていることによる.

付録B 認知意味論での概念という説明概念の性質 76 意味型レベル,カテゴリーレベルで決まり,状況とは独立している.

B.1.2 メトニミー,メタファーは効果であって,仕組みではない

このように,私たちの提唱する意味役割,意味型,指示対象の三つを区別するモデル では,プロトタイプ効果は,メタファーやメトニミーと特別に名づけうる処理によって 記述される必要がない.それはメタファーやメトニミーの産物だと言う場合より明確に,

しかも簡潔に記述できるからである.つまり,私たちのモデルではメタファー,メトニ ミーは説明項としては不要なのであり,むしろ被説明項なのである.この点は(黒田・野 澤2004b;黒田・野澤2004a;黒田,et al. 2004b)に詳しく論じられている.

B.1.3 Lakoff の定義の経験的妥当性には難あり

もう一点の問題は,過度に強力な定義の問題である.「概念は ICMの一部で(カテゴ リーは自然類で)ある」と定義するのは自由だが,それが現実にあっているという保証は ない.まず初歩的な問題として,モノ概念とコト概念の区別をどうするのかという問題が あるだろう.[[火事]][[地震]][[津波]]のようなコト概念は,[[給仕]][[二塁手]][[

買い手]]のようなモノ概念と同じようにふるまうわけではない.Lakoff流の分析が妥当 なのはモノ概念に関してのみであり,それによってコト概念に関して何か重要な洞察が与 えられるわけではない.

話をモノ概念に限ったとしても,問題はLakoff が述べているほど簡単ではない.一部 の認知対象はカテゴリーと概念の区別が難しく,両方の側面が分離できない.例えば[[枕 ]][[布団]][[]]は概念でもあり,なおかつカテゴリーでもある.人工物の大半はこ のような性質をもつが,Lakoff の説明でこの種の次元の融合を説明できるのか,私たち は怪しく思う.§5.1での[[本]]の分析から明らかであるように,少なくとも三つの次元の 区別が必要である: (i)対象の自然類としての性質,(ii)対象の状況に拠らない意味型,(iii) 対象の状況内部での意味役割.これに加えて,異なる状況での意味役割同士の結びつきの 記述も必要である.

すでに本論で見ておいた通り,意味役割と意味型の区別は困難である.これが正しいな らば,その一つの帰結として,概念とカテゴリーの区別は本質的ではなく,最悪の場合,

単に理論上のものでしかない可能性がある.少なくとも,意味型と意味役割の区別,従っ て,カテゴリーと概念の区別は,モノやコトの心内表示の主要な二つの“次元”でしかな い可能性がある.(109)で見たLakoffの定義は,カテゴリーと概念をカテゴリカルに区別 し,このような非分離性,次元性をうまく扱うことができない.

このような問題の他にも,概念がICMに対して相対的に規定されるのがなぜであるか の説明はない.その理由は明示されずに「概念はICMの構成要素である」と定義されて いるだけである.だが,そうでなければならない理由は,はたしてあるのか?

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B.2 大雑把な説明ではなく,十分に詳細な記述の必要性

これはLakoffの言っていることが誤りだということではない.そうではなくて,(109)

のように断定するだけでは,問題の解決にはなっていないということである.単に正しい ことを言えばよいというものではない.

「概念とは何か」という問題は,実は本質的に厄介な問題なのである.先に引用した

Lakoffの規定は,その厄介さを隠蔽している.この点を明らかにするために,少し部外

者の意見に耳を傾けてみよう.概念研究の重鎮(Murphy 2002: 4)は次のように言う: (110) Most books and review articles that I know of on concepts have used an organization

based on theories. The best example is the classic text by (Smith & Medin 1981). After some preliminaries, it had chapters on the classical view of concepts, each of three probabilistic views, and then the exemplar view. Each chapter described the theory, presented evidence relevant to it, and then evaluated it. In 1981, this was an excellent organization. In 2001, however, this organization would have a number of problems.

The first is thatthe field shows very little agreement on which theory of concepts is correct. One might have hoped that twenty years after Smith and Medin’s review, the field would have sorted out many of the issues their book raised. However, there is much, and perhaps more, dissension now as there was then. Focusing on theories, therefore, is not the best way to document the important progress that has been made in the psychology of concepts. Many interesting principles and generalizations have been discovered about concepts, andeven if the field does not agree on the overarching theory that encompasses all of them, that does not deny that those discoveries have

been a real advance. (著者による太字での強調)

ここで明確に述べられているように,概念研究は今だに—というか,ますます—錯綜 として来ている.この事実を無視していられるのは,90年代以降の心理学の概念研究の 進展(例えば「プロトタイプ」理論と「実例」理論とのあいだの論争)を知らないか,「対 岸の火事」だと決めこんでいる言語学者だけである.プロトタイプ理論は,もはや「金科 玉条」ではない—少なくとも心理学では,そうである.

Lakoff の認知意味論流の概念の定義に関する根本的な疑問としては次のことが問題に

なる: 概念が先に存在して,それらがICMを構成するのか? あるいは反対に,ICMがま ず存在し,その部品として概念が存在するのか? あるいは,部分と全体が同時に成立する のか?

最後の可能性を採って,これをゲシュタルト構造だと言うのは,簡単である.だが,そ う言うことは,実際には何の説明でもない.というのは,ゲシュタルトという説明概念自 体がじれったいほど説明の待たれる現象だからである.従って,ICMがゲシュタルト構 造だと言う定義は,本質的問題の先送り,あるいは「タライ回し」にすぎない.それは誤 りではないかも知れないが,空虚である.

先ほどと同じ点を繰り返すが,「正しい」ことは説明の必要条件であって,十分条件で