人工的栄養補給の停止と患者の意思 : ドイツにお
ける判例を素材として
著者名(日)
武藤 眞朗
雑誌名
東洋法学
巻
49
号
1
ページ
1-55
発行年
2005-09-25
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000579/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja︻論 説︼
人工的栄養補給の停止と患者の意思
ドイツにおける判例を素材として
武
藤
眞
朗
東洋法学
︵一︶ ケンプテン事件判決 ︵二︶ リューベック事件決定 ︵一︶ 人工的栄養補給およびその停止の法的性質 ︵二︶ 人工的栄養補給停止が許容される客観的前提 ︵一︶ 人工的栄養補給停止の可罰性 ︵二︶ 今後の課題︵日本において参考にすべき論点︶ 四 結びに代えて 三 人工的栄養補給の停止が許容される客観的要件 ニ ドイツにおける刑事判例︵一九九四年︶と民事判例 一 問題の所在 ︵二〇〇三年︶1
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人工的栄養補給の停止と患者の意思 問題の所在 重い疾病に冒されている患者に対して、心肺機能などを外部的に補助することにより、一定期間生命を維持す ることができるのは周知のことである。この身体的機能補助を行いつつ、基本疾病の治療をすることで基本疾病 が治癒する場合、あるいは少なくとも健康状態が維持される場合は、この措置は患者にとっても十分な意味があ るといえる。 しかし、基本となる疾病が治癒する見込みもなく、むしろ確実に死へと向かって進行していく場合に、生命維 持のための措置を継続していくべきかについては、簡単に答えを出すことができない。ところが、この生命維持 措置を停止すれば、生命維持措置を施していた場合に比較して、確実に死を早めることになるとすれば、この﹁行 為﹂を生命侵害と評価しなければならないことにもなりかねない。 生命侵害については、日本では二〇二条の嘱託・承諾殺人によって、ドイツでは二一六条の嘱託殺人罪によっ て、患者の承諾ないし嘱託がある場合でさえ、原則として処罰の対象とされている。さらに、患者が意識不明に 陥り、自らの生命侵害についての承諾を明示的に表明できない場合には、生命維持措置を行わないことが殺人罪 として扱われる可能性すらある。 ︵← 他方、生命維持措置が身体的侵襲を伴う場合には、それ自体が傷害罪の構成要件に該当し、そうでないとして も強要罪の構成要件にあたることがありうる。東洋法学
生命維持のためには、心肺機能を維持することのほかに、栄養を供給することも大きな要素となる。通常の食 事による栄養補給が困難になった場合には、流動食による補給となり、咀囑能力、嚥下能力が失われた場合には、 栄養剤投与、胃ゾンデによる栄養補給をしなければならなくなる。これらによる栄養補給を行わないことによつ て、患者の栄養状態は悪化し、衰弱して、死を早めることにつながることになる。もっとも、人工的栄養補給の 停止は、いわゆる生命維持装置の取り外しの間題と同一線上の間題とすべきであるのか、これとは別の基本看護 の間題とすべきかどうかという点については争いがある。 患者の苦痛を緩和するための措置であるとすれば、いわゆる安楽死の間題として、また、意識を喪失し、苦痛 も感じないような状況下では、いわゆる尊厳死の間題として位置づけることが可能であり、生命維持措置を施さ ︵2︶ ︵3V ないことによって死を早めるという観点からは、消極的臨死介助の間題として扱うことができるだろう。 ︵4︶ 臨死介助︵安楽死︶は、通常、積極的臨死介助、間接的臨死介助、消極的臨死介助に分類して論じられている が、日本において刑事事件として実務上間題とされているのは、ほぼ積極的臨死介助に限定されており、しかも ︵5V 下級審判例が存在するにとどまる。その他の類型のものについては、少なくとも刑事判例は存在せず、学説上も、 結論的には不処罰ということでほぼ争いがないといえるだろう。しかし、現実には、医療実務では、いつまで治 療を継続するのかは常に間題とされるが、医師の裁量に任せたままにするのではなく、明確な基準とその理論的 根拠を示しておくことは重要であると思われる。 ︵6︶ ドイツでは、さまざまな類型の臨死介助が判例上扱われ、また、民法家族法編におけるいわゆる世話法3
人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵一W9お壼凝ω鴨器旦の規定の適用範囲をめぐって、活発な議論がなされている。本稿は、ドイツにおける連邦通 常裁判所の刑事判例と民事判例を素材として、人工的栄養補給が許容される要件と、これに違反した場合の刑事 責任について検討するものである。 ニ ドイツにおける刑事判例︵[九九四年︶と民事判例︵二〇〇三年︶ ドイツにおいて、人工的栄養補給停止に関する連邦通常裁判所判例として、一九九四年の刑事判例︵いわゆるケ ンプテン事件判決︶および二〇〇三年の民事判例︵いわゆるリューベック事件決定︶がある。両事例について、や や詳細に紹介したうえで、これに関する争点を整理、分析していくことにする。
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︵7︶ ︵一︶ ケンプテン事件判決︵一九九四年︶︵連邦通常裁判所刑事第一部︶ ω 事案の概要 本判決で扱われた事案は以下のとおりである。 当時七〇歳であった患者Pは一九九〇年三月以来介護施設に滞在していたが、アルツハイマー病の疑いがある 脳組織における顕著な心理的シンドロームを患っており、九月には心停止に至り、蘇生装置に接続されて、大脳 に重度の損傷を受けた。医師である被告人丁は一九九〇年一〇月に、Pの医療措置を引き受け、大脳損傷によつ て嚥下能力を失ったPに初めは鼻から、そして、合併症を併発したために、一九九二年末からは胃からゾンデに東洋法学
よる人工栄養補給を施した。Pは一九九〇年末以来話すことも、歩くことも、立つこともできなくなり、視覚的、 聴覚的刺激や、押すことによる刺激に対して、顔を痙攣させたりうなり声をあげたりすることで反応するしかで きなくなった。 一九九三年初めに被告人丁は、Pの息子であり、﹁施設への入所決定、医療処置の提供、財産管理﹂を活動領域 ︵8︶ とした看護者︵瞑一畠R︶に選任されたS︵被告人︶に対し、改善の期待ができない患者の状態を、ゾンデによる栄 養補給を停止し、その代わりに茶を与えることによって終了させることを提案した。これによって、二週間から 三週問の間に患者は死亡するが苦しむことはないと説明した。SはTからこのような措置は法的に間題がない旨 を聞き、友人、親族に相談したうえで、それ以上の法的助言を求めることもなく、この提案に同意したため、T は、施設の看護スタッフに話すことなく、看護師室に置かれていた指示書に、﹁丁医師と合意のうえ、現在ある点 滴が終了し次第、または三月一五日以降、母には茶だけを与えてほしい﹂という書き込みをし、T、S両者がこ れに署名をした。Pが、八年から一〇年前に、手足が硬直し、床ずれになった場合の介護事例をSとともにテレ ビ番組で見て、こうはなりたくないとSに対して言ったことも、この決定には一定の役割を果たしていた。 両被告人は、看護スタッフがこれに従い、栄養補給方法が指示通り変更されるだろうと予想していたが、予期 に反して、法的に疑間をもった看護スタッフが後見裁判所に通知し、現在のゾンデによる栄養補給は三月一七日 までであることを伝えた。後見裁判所はこの措置に対する承認を仮命令の形で拒絶したため、両被告人は、区裁 判所に栄養補給方法の変更を求めたが、この申立ては、専門家、関係者による聴聞の後、五月二一日に退けられ5
人工的栄養補給の停止と患者の意思 た。被告人丁はこの患者の処置を中止し、別の医師がこれを引き継いだが、Pは同年一二月二九日に肺炎のため 死亡した。 ケンプテン・ラント裁判所は、両被告人が、ゾンデによる栄養補給の停止によって患者の死を引き起こそうと した時点では、患者Pの死の過程は始まっていないこと、人工的栄養補給は生命延長措置ではなく、生命維持措 置であること、Pの死は、この時点では客観的にも主観的にも近い時期に予期されるものではなかったことなど ︵9︶ から、両被告人を故殺罪の未遂で有罪とし、罰金刑を言い渡した。原判決では、死の過程が始まっていなければ、 臨死介助の間題でも、死の看取り︵ω富吾魯畠巨ε⇒ひQ︶の問題でもなく、その場合には、患者の推定的意思は関係 ないとしている。これに対して、両被告人から上告が申し立てられた。 の 判 旨 連邦通常裁判所は、次のような根拠を挙げて、原判決を破棄し、事案をラント裁判所に差し戻した。 ︵i︶ 治癒不可能で、もはや決断能力のない患者については、医師の治療あるいは措置の中断は、死の過程が ︵−o︶ まだ始まっていないという理由で連邦医師会の指針に反する場合でも、例外的に許容される。決定的であるのは 病者の推定的意思である。 ︵H︶ 推定的合意を認めるための要件には、厳格な要求がされなければならない。特に、患者の以前の口頭お よび文書による発言、宗教的確信、その他の個人的価値観、余命、苦痛の程度が問題とされる。 ︵⋮m︶ 要請される注意深い検討をしても病者の個人的な推定的意思を確定するための事情が見つからない場合
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は、一般的価値観念に合致する基準に頼らなければならない。ただし、この場合には謙抑性が求められる。疑わ しい場合には、人間の生命が、医師、親族、その他の関係者の個人的考慮よりも優先される。 ⑥ 争点に対する判断 本判決の判旨を以下の論点ごとに整理しておくことにする。なお、本判決では、両被告人の行為が看護スタッ フを利用した間接正犯なのか、あるいは、教唆にとどまるのかといった間題、および、看護スタッフに対して働 きかけることは、すでに未遂段階に達しているのか予備にとどまるのかといった問題にも言及されているが、本 稿では割愛する。 ①死の過程開始前における栄養補給停止 本件においては、患者にまだ死の過程は始まっておらず、実際、栄養補給方法の変更を企てた時点から九ヶ月 間生存しており、本来の意昧における臨死介助は存在していない。本件で間題となっているのは、本来の臨死介 助としての﹁死に際しての介助︵田浮ぼ言ω8ぴ9︶﹂ではなく、学説上、広義の臨死介助には属する﹁死への ︵11︶ 介助︵顕法①豊ヨω93窪︶﹂であり、このような処置の中止が、一般的な決定の自由および身体的完全性を求め る権利の表現としての患者の意思に対応している場合には、原則として承認できるとしても、その場合には、本 来の臨死介助と比較して、推定的意思を認めるためにはより高い要求をしなければならない。 本件における患者は一九九〇年九月以来不可逆的な脳損傷により、自ら決定できない状態にあり、推定的承諾 を考慮する以外にはないが、八年から一〇年以前のテレビを見ていたときの発言は、推定的承諾を認めるために7
人工的栄養補給の停止と患者の意思 は不十分である。推定的承諾は間題となる処置の時点におけるものでなければならず、患者がこのような発言を した時点では、一九九三年における自分の状況を予測して評価することができなかったからである。 ︵12︶ ②栄養補給停止に対する監護人︵世話人︶の承諾と後見裁判所の承認 一九九〇年改正︵一九九二年施行︶による民法一九〇四条によれば、世話人が医療措置に対する承諾を有効に するためには、後見裁判所の承認︵09魯巨讐樋︶が必要であるとしている。しかし、この規定は、死に至る処 置中止には直接的には適用されない。というのは、この規定は、文言上は、検査、治療あるいは医的侵襲などの 積極的な医療措置のみを包括しているからである。しかし、いずれにしても、その医療措置がそれまで行われて いた生命維持のための処置を終了させるものである場合には、なおさら︵ミ無ミらミ︶準用されるべきである。す なわち、一定の治療措置についてその危険性のために世話人単独の決定権限が認められないのであれば、医療処 置を終了させ、確実に近い時期に死へと至る措置に対しては、よりいっそう、このことは妥当するのである。し たがって、世話人︵患者の息子︶である被告人は後見裁判所の承認を得ていないので、医師である被告人に対し て表明した人工的栄養補給停止についての承諾は無効である。 ︵13︶ ③推定的承諾の判断基準 人間の生命の保護という利益において、決定能力のない患者のこのような推定的意思を認めるための要件とし ては厳格な要求がされなければならず、決定力をもつのは、すべての事情を衡量した行為時点︵医療措置実施時 点︶の患者の意思であり、その際に考慮しなければならないのは、以前の口頭または書面による患者の表明、宗
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教的確信、個人的価値観、年齢によって条件づけられた余命、および、苦痛の程度である。この場合、措置が﹁客 観的﹂﹁合理的﹂であるとか、合理的な患者の利益に普通合致しているといった客観的基準は独立した意義をもた ない。 注意深い検討をしても患者の個別的な推定的意思を認定するための具体的な手がかりが見つからない場合は、 一般的価値観念に対応する基準に頼ることができるし、頼らなければならない。この場合には、控えめに行うこ とが必要であり、疑わしい場合は、医師、親族、他の関係者の個人的熟慮よりも人間の生命の保護が優越される。 個別的には、医師の予測によれば、見込みがなく、患者の死が切迫しているかどうかにかかわり、人間の尊厳に ふさわしいと一般人が観念する生命の回復する可能性が少なければ少ないほど、死が切迫していればいるほど、 処置中止を是認する方向に働く。 ④後見裁判所の承認の要否に関する錯誤 ラント裁判所は、禁止の錯誤が回避可能であるとしているが、それは、死なせることが許容されることはなく、 承諾能力ない者の推定的承諾は初めから間題にならないという見解を前提にしている。これに対して、連邦通常 裁判所刑事第一部は、限界事例においては、患者がその中止に推定的に承諾していれば医療措置あるいは処置を 中止することによって死なせることが許容されることもあることを前提にしている。というのは、このような場 合においても患者の自己決定権は尊重されなければならず、その意思に反して医療処置を開始することも、継続 することも許容されないからである。9
人工的栄養補給の停止と患者の意思 患者の息子であり監護人である被告人Sは、被告人である医師丁に当該措置が法的には問題にならないことを 聞き、それ以上の間い合わせをしなかったが、監護人︵腿世話人︶としての地位に基づいて、承諾をする前に後 見裁判所の承認を得る義務があったので、ラント裁判所は、患者の息子である被告人がなぜ後見裁判所に間い合 わせをしなかったのか、世話法施行後に新しく適用されるルールについて知らなかったのかどうかについて、認 定をしなければならなかったはずである。 医師には処置の終了・継続に関する決定について裁量が認められるが、心肺機能のような本質的な生命機能が 維持されている場合に処置の中止が許容されるのは、それが決定能力のない患者の推定的意思に合致する場合に 限られる。ラント裁判所は、医師である被告人丁がどのような根拠に基づいて処置の中止を提案したのか、患者 の推定的意思に合致して行動していたと確信していたのか、自分の行為が法的に間題ないという考えは何が根拠 なのかという間いを追求しなければならなかったはずである。
⑤作為か不作為か
両被告人は、共同して看護スタッフに、ゾンデによる栄養補給をやめ、茶を与えるだけにするように指示した ことが本件で間題とされているが、ここでは、命じられた行為を行わないことが刑法上重要な事象である。Sは 親族としてそして監護人として、また、Tは医療契約に基づいて、看護スタッフの助力により患者Pの基本的な 世話を確保する義務をもち、そこから保証人的地位が生じる。この義務に違反することが両被告人の行為の本来 の無価値であり、書面で指示したという作為でも、必要なゾンデによる栄養補給に代えて茶を与えることでもな 10東洋法学
く、命じられた人工的栄養補給を行わないことが目的のための手段である。 ㈲ ケンプテン事件連邦通常裁判所判決のまとめ 連邦通常裁判所の判決では、﹁臨死介助﹂としての許容を死が切迫している場合に限定した原判決に対して、﹁死 への介助﹂についても許容の可能性を認めている。そして、世話人の承諾に後見裁判所の承認が必要であるとす る世話法︵民法一九〇四条︶の規定が、人工的栄養補給の停止にも適用︵準用︶されること、世話人による有効 な承諾が存在しない場合でも、これとは独立して患者本人の推定的承諾によって栄養補給停止が正当化される余 地があることが判示された。 ︵14V ㈲ 差戻し審判決 差戻し審において、ケンプテン・ラント裁判所は、本事案がいわゆる消極的臨死介助の事案ではないこと、民法 一九〇四条の規定は死が切迫していない患者に対する人工的栄養補給の事案にも適用され、世話人の承諾は後見 裁判所の承認がなければ有効でないこと、患者本人の推定的承諾が世話人の承諾とは独立した正当化事由となる ことを前提とし、多くの証人の証言を評価して、それらを個別に観察するのでは患者の推定的意思を認定する決 定的根拠とはならないが、全体として考察することによって、被告人らの行為︵栄養補給方法の変更を指示した こと︶が患者の推定的意思に合致するものであり、両者の行為は正当化されるとして無罪を言い渡した。 11人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵15︶ ︵二︶ リューベック事件決定︵二〇〇三年︶︵連邦通常裁判所民事第=一部︶ ︵16︶ 患者が自分の死に際しての指示書︵勺簿一①耳窪<R盆胆鑛︶を残していた場合に、この効力と民法一九〇四条の規 制に関連して、二〇〇三年に連邦通常裁判所の決定が下されている。民事ではあるが、その規制に反して栄養補 給を停止した場合などには刑事責任とも関連するので、ここで紹介しておくことにする。 ω 事案の概要 本事案で間題となっている患者は、二〇〇〇年一一月二九日に失外套症候群︵︾冒田ω畠霧ω旨90ヨ︶に陥り、 それ以来、ゾンデを通しての栄養補給を受けており、患者とのコミュニケーションを取ることができなくなった。 区裁判所は、二〇〇一年一月一八日に患者の息子を世話人に任命し、﹁患者の健康の世話をし、官庁、施設などに 対して患者の代理をする﹂任務を課し、この任務は二〇〇一年一二月一八日の決定によって延長された。 世話人︵原告︶は、患者の改善が見込まれないために、一九九八年に作成された患者の指示書を指摘して、﹁ゾ ンデ挿管による栄養補給﹂の中止を求めた。指示書では、不可逆的意識喪失、脳に重度の継続的損傷などの事態 が生じた際には、生命維持治療をせず、栄養補給を停止することなどを求めており、タイプで書かれたものに、 手書きで場所、日付が記入され、自署されているものであった。原告の申請に患者の妻および娘は同意し、全面 的に支持したが、区裁判所は、法的基礎が欠けることを理由としてこの申請を拒絶した。 これに対する抗告をラント裁判所が却下し、原告によるこれに対する再抗告についてシュレスヴィヒ上級ラン ︵17︶ ト裁判所は、他の上級ラント裁判所の決定と異なった見解を取るために、連邦通常裁判所の決定に委ねられた︵非 12
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訟事件手続法二八条二項︶。 ω 判 旨 連邦通常裁判所は、次のような根拠から、区裁判所、ラント裁判所の決定を破棄し、事案を区裁判所に差し戻 した。 ︵i︶ 患者に承諾能力がなく、基本疾病が死への不可逆的な経過をたどり始めた場合には、患者が以前に、た とえば、いわゆる﹁患者の指示書﹂の形態で表示していた意思と合致する場合には、生命維持または生命延長措 置を止めなければならない。これは、人間の尊厳からの帰結であり、承諾可能な状態において行使された自己決 定権が、もはや自己答責的な決定ができない場合でもなお尊重しなければならないものである。患者のこのよう な明示的な意思が確認できない場合に限って、このような措置の許容性は、︵人生における決定、価値観念および 確信から︶個別的に探知される患者の推定的意思に従って判断される。 ︵・11︶ 患者に世話人が選任されている場合には、世話人は、この患者の意思を医師や看護スタッフに対して、 自らの法的責任および民法一九〇一条の基準に従って表現し、認めさせなければならない。医師から提供された 生命維持・延長処置に対する承諾を世話人が有効に拒絶することができるのは、後見裁判所の同意があった場合 に限られる。医師の側からこのような治療およびその継統の提供︵提案︶がなければ、それが、もともと適応が ない場合であっても、それがもはや無意味になったというものであっても、あるいはその他の根拠によっても、 世話人の承諾および後見裁判所の同意の余地はない。後見裁判所が決定について管轄するのは、民法一九〇四条 13人工的栄養補給の停止と患者の意思 の類推からではなく、世話法の避けられない必要性からである。 ⑥ 争点に対する判断 ①世話人による措置継続不承諾と後見裁判所の承認権限 世話人が、患者に対する医療措置を継続することについて承諾しないことが民法一九〇四条に基づく後見裁判 所の審査に服すかどうかが検討されている。すなわち、治療継続を世話人が承諾しないということが不作為であ るとすれば、このような不作為も後見裁判所の承認の対象になるかどうかが論点とされた。 これについては、もし世話人が一度与えた承諾を撤回する場合にのみ後見裁判所のコントロールに服させると ︵18︶ すれば、これを避けるために生命維持措置の開始自体が慎重になってしまう危険があり、生命保護のために後見 裁判所のコントロールに服させるはずなのに逆効果になってしまうこと、後見裁判所のコントロールの必要性が、 世話人が医療措置に対してそもそも承諾を行わないのか、拒絶するのかによって区別するのは意味がないとして、 措置継続について世話人が承諾をしないという不作為も、後見裁判所の審査の対象となるとしている。 ②個人的内容に関する決定に対しても後見裁判所は承認権限をもつか 次に、人工栄養補給の継続に反対するという患者の決定が高度に個人的なものであるために、後見裁判所の権 限が及ばないかどうかが検討されている。 患者の生命延長または生命維持処置に反対する決定は、高度に個人的であるために、世話人の権限は及ばず、 ︵19︶ したがって、世話人をコントロールする後見裁判所の審査を免れるとするものもあるが、世話人の要求は、患者 14
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が表明し、効力をもち続けている意思に基づくものであり、その限りにおいて、世話人独自の決定を下している のではないので、患者の意思を正しく実現すること、したがって、処置の継続に対する承諾を行わないことは、 後見裁判所の審査対象となるとしている。さらに、一般的にも、決定が高度に個人的なものであるからといって、 必然的に世話人の決定権限およびその決定に対する後見裁判所の審査権限を否定する根拠にならないことを、断 種についても世話人に決定権限が法律上認められている︵民法一九〇五条︶という例を用いて示している。 ︵20︶ ③人工的栄養補給停止のための客観的基準と世話人の承諾、後見裁判所の承認 ケンプテン事件判決において、刑事事件について提示された臨死介助の許容されるための客観的基準は、民事 法に対しても拘束的であり、したがって、患者の基本疾病が不可逆的な死の過程をたどっておらず、医学的措置 によって生命延長・維持する可能性がある場合には、医学的処置の中止を求める世話人の要求を認める余地はな いとしている。世話人の決定権限は、承諾能力ある患者の自己決定権から発生する患者の決定権限とは重ならず、 法定代理人として、法的基準に拘束され、この要件が存在しない場合には、臨死介助は違法であり、それは法定 代理人が承諾し、後見裁判所が承認したとしても適法とはならない。世話人の要求にそもそも法的枠組みが開か れているかどうかを、ケンプテン事件判決における客観的基準に従って審査する権限を後見裁判所がもっている としている。 ④患者の意思、推定的意思と患者の﹁幸福﹂1処分書の意義 客観的要件が充足された場合に、医療措置を行わないこと、または中止することが患者の推定的意思に合致し 15人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵2 1︶ ていなければならないことが確認されている。被世話人が以前表明していた希望も、それが撤回されず、被世話 人の﹁幸福︵≦oε﹂に反しない限り基準とされることを規定した民法一九〇一条三項、生命を自分独自の観念お よび希望に従って形成していく可能性も被世話人の幸福に属することを規定した一九〇一条二項二文からこれを 導いている。 患者の希望が確認できない場合には、世話人は﹁被世話人の幸福﹂によって方向づけられた推定的意思を基準 とすることができるが︵民法一九〇一条二項一文︶、このような︵個人的︶推定的意思は、承諾能力がある状態で 患者が行った﹁将来のことを予期した﹂意思表示を探知することができない場合に、補助的に考慮されるだけで あって、﹁患者の指示書﹂のような意思表明が存在する場合には、患者の持続的な自己決定権および自己責任の表 現として世話人を拘束するとして、﹁患者の指示書﹂が﹁推定的意思﹂に優越すること明示している。その際、後 見裁判所は、患者の指示書を世話人が提示することで患者の意思を余すところなく探知したのか、世話人が希望 している処置中止が指示書の中に表現されている患者の意思と合致しているのかを拘束力をもって認定する可能 性が開かれるとして、患者の指示書が存在する場合にも、これに関連した審査が後見裁判所によって行われると している。 また、死に際しての介助もしくは死への介助が許容される医学的要件は存在するが、患者の希望は表明されて おらず、または明臼ではなく、慎重な検討をしても個別的意思を認定するための具体的事情が発見できない場合 は、ケンプテン事件判決に従って、一般的価値観念に合致した基準を用いるべきであるとしている。 16
⑤世話人による治療中止の承諾と一九〇四条の適用 もっとも、患者の人工的栄養補給停止を求める世話人の要求に対して後見裁判所が審査する権限については、 民法一九〇四条が対象者の生命・健康を維持しようとするものであるのに対して、処置中止を求めることは、そ の生命を終了させようとするものであり、両者は比較できないものであるから、類推適用には親しまないとして、 ︵22︶ ケンプテン事件判決とは距離を置いている。 ⑥医師による医療の提供 他方、世話人がこのような措置に承諾を与えないこと、またこれを拒否することが後見裁判所の審査対象とな るのは、医学的適応︵ヨ8鼠巨ω魯①H巳爵魯一9︶が存在する医療処置を医師が提供していることが前提となり、 ︵23︶ その場合に限って法定代理人としての世話人の承諾が必要となり、後見裁判所の審査に服するとしている。生命 延長・維持処置が医学的適応をもち、または、いずれにしても医師から提供されているにもかかわらず、提供さ れた処置を世話人が承諾しない場合に後見裁判所の審査を限定することによって、生命の終末における医師の行 為を一般的にコントロールするために後見裁判所が引き合いに出される事態が回避されるというのである。
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三 人工的栄養補給の停止が許容される客観的要件 以上の刑事、民事両判例を踏まえて、人工的栄養補給停止が許容される要件を検討していくことにする。 人工的栄養補給を中止することが法的、刑法的に許容されるかどうかを検討するにあたっては、患者が客観的 17人工的栄養補給の停止と患者の意思 にどのような状態にある場合に、どのような措置が許されるのかという観点と、その行為について、患者または 世話人がどのような態度を取ることが前提となるのか︵患者自身の承諾の要否、世話人の承諾、後見裁判所の承 認の意義など︶という観点に分けて考察していくことが有意義である。本稿では、前者の問題に重点をおいて検 討していくことにする。 ︵一︶ 人工的栄養補給およびその停止の法的性質 ω 人工的栄養補給の法的性質︵生命維持処置か基本看護か︶ 人工的栄養補給を停止することの許容性およびその要件を考察する前提として、人工的栄養補給行為自体が法 的にどのような性質をもっているのかを検討する必要がある。病人であっても生命機能、生活機能を維持してい くためには、常に体内に栄養分および水分が摂取されなければならず、患者にとって可能であれば食事を通して 栄養を摂取することになる。もっとも、治療の対象となっている疾病の種類・重篤度、咀囎能力、消化能力など を考慮のうえ、当該患者にとって適切な食事が指示され、提供されることもある。食事療法として医療行為の一 環とされることもあり、不適切な指示、食事提供が患者の病状に変化を与えた場合には、法的関心の対象となる こともありえようが、通常は、これ自体、法的には中立な行為といえるだろう︵嫌いなものを食べさせることが 理論的には強要罪の構成要件に該当しうるが︶。しかし、患者の病状が悪化し、通常の食事による栄養供給が困難 になった場合には、点滴やゾンデ挿入によって、体内に患者本人の意思とは離れて栄養を補給しなければならな 18
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い事態が生じる。これは、身体に対してより侵害的であり、これ自体が傷害︵または、日本においては暴行︶の 構成要件に該当する可能性がある。このように一定の態様における人工的栄養補給が傷害罪などの構成要件に該 当する可能性があるということは、それを適法に実施していくために正当化事由が必要となるという点において、 重要な意味をもつ。 次に、このような人工的栄養補給が生命維持処置に属するのか、または、基本看護︵国霧一筈Φ霞Φ臣轟︶に属す るのかが検討されなければならない。すなわち消極的臨死介助の許容が生命維持措置の中止または不継続の許容 を意味するとすれば、生命維持措置中止・不継続がただちにあらゆる措置の停止を許容することにはならないか ︵24V らである。人工的栄養補給が基本看護に属するものであれば、その停止は消極的臨死介助の間題ではなく、かり に、患者の身体状態などの客観的要件および承諾などの要件が充足され、生命維持治療中止が正当化される場合 でも、人工的栄養補給は継続しなければならないということも理論的にはありうる。もっとも、ケンプテン事件 判決では、医師である被告人が基本的な世話︵9§身oお自鴨︶を行う義務をもつという表現を用いているが、こ れが生命維持治療中止と区別されるかどうかについては明確に言及することなく、人工的栄養補給停止の可否に ︵25︶ ついて検討している。他方、人工的栄養補給が身体に対する侵襲であればそれ自体傷害の構成要件に該当し、栄 養補給の実施および継続は患者の意思に合致していることが求められることになる。これに反した場合には自己 決定権侵害とされる。これに対し、これが基本看護であれば、それ自体が傷害にあたらないことから、必ずしも 患者の意思との合致は求められない。 19人工的栄養補給の停止と患者の意思 治療行為は、基本疾病の治癒に向けられたもの、鎮痛など患者の苦痛を除去・緩和するもの、さらに、患者の 生命を維持・延命に向けられたものなどを含む。これらは相互に結びつ、いており、これらの複数の性質をもつ措 置も少なくない。生命維持・延命に向けられた典型的な措置は、心肺機能の維持であり、人工心肺装置によって 呼吸・血液循環を確保するものである。呼吸が停止し、体内に酸素が供給されなくなり、または、血液が循環し なくなった場合には、患者は短時間に死に至る。人工心肺装置︵生命維持装置︶の取り外しは消極的臨死介助の 典型事例である。 連邦医師会による﹁医師が看取るための諸原則﹂︵○養包路言Φα段国⋮8ω普呉Φ雨目ヨRN自胃N岳oげ窪幹R− げΦびβ蚕9鑛︶によれば、基本看護には、人間の尊厳に適った宿泊、体位交換、身体の手入れ、呼吸困難・吐き気 の緩和、空腹やのどの渇きを癒すことなどが含まれる。栄養補給が特定の疾病に向けられておらず、人間の基本 的欲求を満たすものであること、空腹やのどの渇きを癒すことが基本看護に含まれるとすれば、人工的栄養補給 ︵26︶ もこれに含まれ、生命維持措置の中止・不継続の許容とは別に評価される可能性もある。これに対して、人工的 栄養補給は身体的に必要とされるカロリー供給に向けられるものであり、個人的な感覚としての空腹やのどの渇 きを抑えるものと異なること、前記の基本看護が本来の意味における医学的処置ではなく、また、身体に対して 侵襲的ではないために、それを実施するにあたって患者の承諾または推定的承諾を必要としないのに対して、人 工的栄養補給は侵襲的であり、承諾および推定的承諾によってはじめて正当化されるという点において、これと ︵27︶ は異なるとする見解が主張されている。さらに、人工的栄養補給の中でも、食道を通すものと腹壁を通すもので 20
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︵28︶ 区別し、身体に対する侵襲の観点から、前者は基本看護に含めるべきだという見解も主張されるが、連邦通常裁 判所は、ケンプテン事件判決においても、リューベック事件決定においても、これを区別することなく、生命維 持措置中止が許容された以降も継続されるべき基本看護とはしていない。 たしかに、人工心肺装置の停止と異なり、人工的栄養補給を中止することによってただちに患者が死にいたる わけではないという観点からすれば、前者のような生命維持処置とは一線を画すべきであるとも考えられようが、 他方、その行為自体の身体への侵襲性、生命の末期においては栄養︵カロリー︶補給が身体的機能に決定的役割 を果たしうること、また、たとえば、自ら食事が可能な患者に対して食事を与えず飢えさせるということとは異 なって、栄養補給停止自体が人間の尊厳に反するとまではいえない。生命維持措置中止が許容されたとしてもな お基本看護が要請される根拠が、それを実施・継続することが患者の身体にとって侵襲的ではなく、反対に、そ れを中止することが人問の尊厳に反することにあるとすれば、胃ゾンデからの人工的栄養補給が身体に対する侵 襲にあたるのか︵傷害の構成要件にあたるのか︶、そして、栄養補給を変更することが人間の尊厳に反するのかを ︵29︶ 基準として評価すべきことになるだろう。なお、二〇〇四年に改正された連邦医師会原則では、栄養補給および 水分補給は、それが死に瀕した者に対して大きな負担になることもあるために、必ずしも基本看護には含まれな ︵30︶ いが、主観的感覚としての空腹およびのどの渇きは癒されなければならないとされている。 ② 人工的栄養補給停止の法的性質 人工的栄養補給の停止を作為と評価すべきか不作為と評価すべきかは、民法一九〇四条が後見裁判所の承認を 21人工的栄養補給の停止と患者の意思 必要とする医療行為に含まれるのかという問題に関わるとともに、刑法的には、作為と評価し、構成要件該当性 を前提としたうえで、違法段階においてその可罰性を間題とするのか、不作為と評価したうえで保証人的地位︵ま たは作為義務︶の存否の間題として解決するのかという点にも関わる。また、間題の時点において、人工的栄養 補給を継続することを新たな作為として、この作為に対して改めて法的評価が必要なのか︵具体的には、人工的 栄養補給という侵襲行為について承諾を必要とするのかどうか︶、あるいは、人工的栄養補給の開始が法的評価の 対象となり、それを変更・中止する場合にのみ、改めて法的評価をすべきなのかが間題となる。 この点につき、ケンプテン事件判決は、栄養補給方法を胃ゾンデに代えて茶を与えることでも、医師が看護ス タッフに指示書を渡すことでもなく、患者に対して生存に必要な栄養を補給しないという不作為が間題になるこ とを明示している。また、リューベック事件決定では、人工的栄養補給停止を、胃ゾンデによる人工的栄養補給 を実施しない、継続しないという不作為として捉えるとともに、世話人が栄養補給停止を求める行為について人 工的栄養補給︵の継続︶を承認しないという不作為として捉えている。両判例とも、栄養補給の実施・継続を作 為と評価することを前提としており、その開始時とともに、患者の客観的状況の変化に応じてこれを継続すべき かどうかが間題となった時点以降について継続することが作為、中止することが不作為としている。 前述のように、人工的栄養補給を基本看護とは区別される生命維持治療の一部だと位置づけると、生命維持治 ︵3 1︶ 療の中止が作為なのか不作為なのかという問題一般に還元されることになる。外部から認識可能な活動のみを基 準として評価した場合、たとえば、生命維持装置のスイッチを切ることが当該活動の本質であれば、維持されて 22
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︵32︶ いた法益の状態を後退させることであるので、作為として評価されることになる。たとえば、救助せずに立ち去 った場合のように、救助されるべき法益以外の方向に向けられた行為をすることによって救助行為をしないよう な場合と異なり、生命維持装置のスイッチを切ることによって死に至る因果経過が発動されることになるので、 ︵33︶ このような積極的作為を取り去って根拠づけることはできないことが理由とされるのである。 これに対し、特定の処置をはじめからまったく始めなかったか、開始したが後になって中止したかにかかわら ︵34︶ ず、医師の非難されるべき行為の重点が、そして、死の発生の原因が、呼吸器のボタンを押すといった外部に現 れた活動ではなく、担当している医師が処置を行わず、または継続しないことにあることを理由として、これが ︵35︶ 不作為にあたるとする見解も有力に主張されている。また、生命維持装置のスイッチを切る行為を現象的には作 為としつつも、救助すべき法的義務がないことを根拠とし、﹁作為による不作為﹂の理論を用いて、実質的に不作 為犯の問題として、作為義務の不存在︵または消滅︶を根拠に構成要件該当性の段階で解決しようとする見解も ︵36︶ 主張されている。 生命維持措置の中止または人工的栄養補給の停止を不作為とみる見解は、当該行為を規範的な観点から考察し ており、生命維持治療をそもそも開始しなかった場合と、開始したが中止した場合を価値的に区別しないことを ︵37︶ 前提としている。この見解によれば、生命侵害を伴う場合であっても嘱託殺人罪規定に直面することなく、より 容易に不可罰性を導くことができる。他方、作為説は、生命維持治療・人工的栄養補給をそもそも開始しないこ とと、いったん開始した後に中止することを区別しており、後者についても中止行為自体が作為にあたるとして 23人工的栄養補給の停止と患者の意思 いるのであり、中止するように﹁指示すること﹂が作為にあたるとしているわけではない。なお、前述のように、 ケンプテン事件判決は、生命維持措置に必要な人工的栄養補給を継続しないことが本質的であるとして、これを 不作為と評価し、生命・身体に危険を与える作為が本来の対象とされている民法一九〇四条は直接的には適用さ れないとする一方で、栄養補給停止︵補給方法変更︶が短期間のうちに確実に死へと導く行為であるとして、こ の規定の準用を肯定しており、死に対する因果性は、同条項で想定されている作為である医療侵襲よりも強いも ︵3 8︶ のであることを示唆している。 患者本人の要求に応じて近親者が生命維持装置のスイッチを切り、患者を死亡させたラーヴェンスブルク事件 判決において、ラーヴェンスブルク・ラント裁判所は、この行為が作為であるのか不作為であるのか、︵嘱託︶殺 人の構成要件に該当するのかという判断は留保しているが、苦痛を延長するだけの生命延長を中止してほしいと ︵39︶ いう患者本人の希望が嘱託殺人の違法性を阻却する正当化事由にあたることは明示している。この事例において、 生命維持装置のスイッチを切ったのは治療している医師でも看護スタッフでもないが、治療に関係していた近親 者によるものであり、第三者の行為も医師の行為と区別することなく、一般的に不可罰であるとしたものではな い。しかし、生命維持装置のスイッチを切る行為、あるいは、人工的栄養補給を停止する行為は、それがその措 置を施した医師によるものであろうと第三者によるものであろうと、患者に死をもたらす因果力という点では区 別されないはずである。両者とも不作為と評価し、治療担当の医師の作為義務を否定することによってその不可 罰性を導くのであれば、そもそも作為義務のない第三者がこれらの行為を行ったとしても、可罰性を肯定するこ 24
とはできないはずである。 することができる。 行為主体にかかわらず作為とみた場合には、正当化事由の存否によって可罰性を区別
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︵二︶ 人工的栄養補給停止が許容される客観的前提 どのような客観的要件が存在すれば、人工的栄養補給を停止することが許容されるのか、判例、学説、および 連邦医師会の指針︵原則︶を参考に検討していく。この客観的事情は、理論的には患者の意思とは区別して論じ ることができるはずであるが、患者の現実的な意思表明がある場合と、現実的な意思表明がない場合とで区別し て論じられることが多い。すなわち、患者の生命に関する客観的事情︵基本疾病が回復可能かどうか、死への不 可逆的過程の進行が開始しているか、死の過程が開始しているかどうか、死が時間的に切迫しているかどうか︶、 患者の承諾能力・承諾可能性と現実的意思表明の存否が相関的に考慮され、その許容性が判断されることになる。 もっとも、措置の実施および中止の時点における患者の意思が決定的であるとすれば、その時点において承諾能 力が欠けていれば、当然、現実の承諾が不存在の事例に分類されることになる。 ω 患者の現実的意思表明がある場合に人工的栄養補給停止の許容される前提 医師による人工的栄養補給の停止を作為とみた場合には、それによって患者の生命が短縮されれば、殺人︵謀 殺、故殺︶罪または嘱託殺人罪の構成要件に該当することになる。これに対し、これを不作為とみた場合には、 まず、保証人的地位の存否が間われることになる。すなわち、人工的栄養補給停止が許容される要件は、体系的 25人工的栄養補給の停止と患者の意思 には、作為とすれば違法性の問題、不作為とすればとりあえず構成要件該当性の間題とされることになる︵もち ろん、理論的には、不作為ではあるが構成要件該当性を肯定したうえで違法性の間題とする余地はある︶。 違法性の間題であるとした場合、侵害法益が生命であるために、患者︵被害者︶の要求に基づいて生命維持措 置・人工的栄養補給を中止したとしても、ただちに違法性が阻却されることはなく、嘱託殺人罪の構成要件に該 当することになる。したがって、違法性が阻却されるためには、患者の嘱託・承諾のほかに、客観的要件が備わ っていなければならないことになる。人工的栄養補給が許容される客観的前提とは、この要件を指すはずである。 これに対し、生命維持措置・人工的栄養補給の停止を不作為とみた場合には、行為者の可罰性は第一次的には 保証人的地位の存否にかかわるのであり、人工的栄養補給停止が許容される客観的前提とは、保証人的地位が解 除される要件として位置づけることができるだろう。保証人的地位の存否については、保証人が保護すべき法益 が生命であるからといって、その地位の解除される要件が他の法益保護の場合よりも厳格になっているというこ とは、少なくとも明文の規定からは導かれない。すなわち、患者︵被害者︶が法益保護を放棄しているというこ とだけで、保証人的地位が解除されるという解釈も可能である。
①連邦医師会指針︵原則︶および判例
一九七九年の連邦医師会指針以来、指針︵原則︶が対象としているのは、死に瀕した者︵ω8吾①且R︶である。 一九七九年指針に付属した注釈によると、﹁死に瀕している者﹂とは、コ連の臨床的徴候からすれば、疾病が不 ︵40︶ 可逆的に、または、外傷的な損傷が回復の見込みなく進行し、近い時期に死が発生すると予想される者﹂を指す 26東洋法学
とされている。一九九三年の指針では、コつまたは複数の生命機能が不可逆的に不全となり、死の発生が近い時 期に予想される病者または負傷者﹂と、指針本文で定義されている。さらに、一九九八年連邦医師会原則および 二〇〇四年の連邦医師会原則も、この定義を継承している。したがって、一貫して、基本疾病の回復見込みがな いこと、不可逆的な経過をたどり始めていることのほかに、死が時間的に近接していることが、医師が生命維持 義務を負わない客観的前提とされていた。もっとも、後述のように、患者が判断能力・承諾能力がある場合とこ れを失った場合で要件を区別し、さらに、医師の処置指針について細分化して規定しているので、この定義規定 との関係、整合性も間題となる。 患者の判断・承諾能力がある場合には、﹁適切な説明の後には、たとえそれが医師からすれば必要であると思わ れる治療と一致しない場合でも、患者の意思は尊重されなければならない﹂︵一九七九年指針目ω魯き色§閃辞 一九九三年指針目ω魯目亀⋮ひqごとされ、一九九八年原則および二〇〇四年原則では、﹁承諾能力ある患者につ いては、医師は、適切な説明を受けた患者が現実に表明した意思︵二〇〇四年原則では﹁意思﹂の部分が﹁治療 拒否﹂に変更されている︶が、医師の視点からすれば必要な診断・治療措置と一致しない場合でも尊重しなけれ ばならない。これはすでに開始された生命維持措置の終了についても妥当する﹂︵いずれも、一く■卑菖注彗鵬8ω 頃象げ旨窪ゑ旨窪ω︶とされており、承諾能力ある患者が明示的に意思を表明している場合には、それが不合理であ っても、さらに、生命を終了させることになったとしても、これに従うべきであるとしている。 リューベック事件における﹁患者の指示書﹂が患者の現実的意思表明にあたるかどうかは検討の余地があるが、 27人工的栄養補給の停止と患者の意思 ケンプテン事件もリューベック事件も、人工的栄養補給を停止する措置の時点では、両患者とも意思表明は不可 能であり、少なくとも、連邦医師会指針・原則に規定される﹁患者の明示的な意思表示がある﹂典型事例とはい えない。末期にある患者の嘱託に基づいて、医師でない第三者︵親族︶が生命維持装置のスイッチを切り、死亡 させたラーヴェンスブルク事件において、ラーヴェンスブルク・ラント裁判所は、ある医療処置を希望するのか しないのかについて、判断能力のある患者自身が決定することができるのは疑間の余地がなく、この原則は、患 者の決定が客観的には合理的でない場合でも妥当し、まして、医療処置が治癒や少なくとも苦痛緩和に向けられ ているのではなく、たんに、死との苦闘を延長させるためだけのものである場合には、なおいっそう妥当すると ︵41︶ 判示している。そして、この判決が引用しているように、判例は、一般的治療拒否事例において、侵襲的治療が 傷害罪の構成要件に該当し、これが患者の承諾がある場合に正当化される余地があるが、これがない場合には傷 害罪として違法であるとしている。しかも、︵治療を受けないという︶自己決定の客観的合理性を間わないために、 その治療侵襲によって生命を救うことができる場合でさえ、患者の明示的意思に反した治療は専断的治療として、 ︵42︶ 違法としている。患者が明示した意思が医療処置の開始に際して拘束力をもつだけはなく、いったん開始された 医療措置を中止する場合にも拘束力をもち、したがって、判断能力ある患者の明示の意思表示に基づいて処置を 中止し、それによって生命が短縮されることになっても、違法ではないことになる。どのような客観的要件が整 えば、患者の明示の意思表示に基づく処置の中止が許容されるのかについては明確ではないが、前記の専断的治 療処罰の基準に従えば、とくに客観的基準は必要ではないことになるはずである。リューベック事件決定におい 28
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ても、医師は承諾能力ある患者の自己決定権を尊重しなければならず、患者の意思に反して生命延長措置を行っ ︵43︶ てはならないとしており、この場合には、患者の死期が切迫しているかどうかという客観的制限を考慮すること ︵44V なく、患者の意思が妥当すると理解されている。②学説 治療侵襲自体の傷害構成要件該当性、不開始と中止の相違−
学説においては、嘱託殺人処罰規定︵二一六条︶との関連において、患者本人の承諾・嘱託がある場合にもた ︵45︶ だちにその違法性が阻却されるわけではないことを前提とした議論がなされている。積極的臨死介助を全面的に ︵46︶ 禁止する一方で、生命維持措置・人工的栄養補給の停止を一定限度において許容するためには、嘱託殺人罪規定 の適用を制限的に理解する必要が生じる。 第一に、人工的栄養補給の停止を含め、生命維持措置の中止を不作為と評価し、作為義務・保証人的地位が不 存在であることを根拠に、これらの不可罰性を導こうとする見解が主張される。たとえば、嘱託殺人処罰規定の 適用︵したがって、患者︵被害者︶の承諾による正当化効の排除︶を、積極的作為による殺害に限定し、患者が 生命延長を放棄している場合には医師の保証人的義務は解除され、嘱託殺人罪が適用されないとする見解が主張 ︵47︶ される。被保護者が自由意思によって自殺しようとするのを阻止しないことが不可罰であることから、自らの病 ︵48V 気の運命に身を委ねようとする患者に対して、救命義務がなくなることを根拠としている。一方で嘱託殺人を禁 止することで患者の生命を優先させ、他方で専断的救命治療を禁止することによって患者の意思を優先させるこ とは、矛盾しているのではないかという疑間が生じるが、これについては、積極的に生命を短縮することは︵本 29人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵49V 人の意思に基づいたとしても︶禁止されるが、生命の延長は命じられてないと説明されている。この説明も、︵生 命を延長しないという︶不作為には嘱託殺人罪の規定は適用されないことを前提とするものである。 これに対して、生命維持措置の中止を作為と評価し、謀殺罪または故殺罪の構成要件該当性を肯定しつつ、違 ︵50︶ 法性の間題として処理しようとする見解も主張されている。もっとも、これを作為とみる見解の論者も、生命維 持装置のスイッチを切る場合と、はじめからスイッチを入れない場合では、本質的には同一の基準によって違法 性を評価すべきであるとしている。そして、患者の有効な承諾なしにその処置の実施または継続をすることが身 体に関連した自己決定権の侵害となる場合には、たとえそれによって死が発生してしまう場合であっても措置の ︵5 1︶ 中止が許容され、さらに命じられるとしている。 ω 死期が切迫しておらず、患者の現実的意思表明がない場合に人工的栄養補給停止の許容される前提 ①連邦医師会指針︵原則︶および判例 生命維持措置・人工的栄養補給を継続するかどうか、患者自身によって表明されていない場合に、どのような 要件の下にこれを中止することが許容されるのかが、実際には重要な間題となる。 ケンプテン事件判決当時の臨死介助に関するドイツ連邦医師会指針によれば、﹁死の近い病者または負傷者に改 善の見込みがある場合には、医師は治癒および苦痛緩和に役立つ処置を行う﹂︵Hc︶︶、﹁死に瀕している者︵ω8撃 げ①包R︶、死の近い病者または負傷者について、回復可能性のない基本疾病が不可逆的な経過をたどり始めてお り、自ら人格を形成しつつ意識的かつ周囲と関連性をもった生活ができないであろう場合には、医師は苦痛を緩 30
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︵52﹀ 和する。しかし、生命延長に役立つ治療方法をすべて投入する義務は負わない。﹂︵Hd︶︶とされていた。 これに対して、ケンプテン事件判決は、前述のように、基本疾病が不可逆的で、死の過程が始まっている場合 が本来の意昧における臨死介助であるとする一方で、死の過程が始まっていなくても、患者の︵推定的︶意思に 合致する場合には医療措置の中断が許容されることがあるとした。いわゆる﹁死に際しての介助︵匹一け冨ぎ ωけRσ窪︶﹂に加えて、﹁死への介助︵田一8豊ヨ幹Rび窪︶﹂を許容する可能性を認めたことにおいて重要な意義を もつ。 ケンプテン事件判決をふまえて改正された一九九八年の﹁医師が看取るための連邦医師会原則﹂は、治療を、 @死に瀕する者に対する措置︵H,諺醤島畠Φ勺臣o拝①ロげ蝕誓R富&窪︶、㈲回復見込みはないがまだ死に瀕して いない者に対する措置︵戸<①昌巴け窪び虫勺象冨旨9日搾一葭雲ω什Rギo讐08︶、⑥予後は良好ではないが必ず しも死が発生する時期が予測可能でない者︵重度の脳損傷および意識喪失を伴う患者などもこれに含まれる︶に 対する措置︵目。ω①匿巳ピ凝げaω05ω什蒔R一3窪菩①魯9窪qRω魯毬蒔⋮閃︶に区別して規定している。@につ いては、当該措置が死の発生を遅れさせるだけで疾病の進行を抑えることができない場合には、患者の意思に合 致すれば生命延長措置を行わないことまたは継続しないことが許され、㈲については、疾病が進行し、生命維持 処置が苦痛を延長する意味しかもたない場合に限り、患者の意思に対応させて、生命延長・維持措置に代わって、 苦痛緩和のための医療措置、介護措置に変更され、⑥については、生命維持治療、体位交換、︵人工的︶栄養補給 などが求められるが、疾病が進行した場合には、治療目標を変更し、生命維持措置を行わないことも考慮される 31人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵53︶ と規定されている。 これに対して、リューベック事件決定では、基本疾病が死に至る不可逆的過程をたどり始めていることが前提 とされ、このような過程をたどっていない場合には、世話人は治療中止を求めることはできないとしている。こ れは、ケンプテン事件判決において、死の過程が開始している場合における狭義の臨死介助に加えて、死が切迫 していない場合でも基本疾病が不可逆的なものである場合には処置の中止︵広義の臨死介助︶が許容される余地 ︵54︶ があるとしたのに対して、許容される処置中止の範囲が限定されたという指摘もある。一九九八年の連邦医師会 原則および二〇〇四年の原則では、死が時期的に切迫していない場合でも、処置の中止を一定限度で認められる ︵55︶ ことが明記されており、ケンプテン事件判決に対応したものになっている。リューベック事件決定が、処置中止 の許容範囲を限定しているかどうかについては後述する。
②学 説
生命維持措置の中止は、それによって死の時期を早めるものであり、判例も明示的に用いているように、臨死 介助としての性質をもつ。人工的栄養補給も生命維持措置の一つであるとすれば、この停止も臨死介助の間題と して位置づけられることになる。 この場合、患者の客観的状況として、基本疾病が死に至る不可逆的過程をたどり始めているのか、死が時間的 に切迫しているか、意識状態がどうか︵意識があるか、意識回復の可能性があるかは、患者自体の承諾の間題と 大きくかかわり、その際には、承諾能力との関係で論じられることになる︶を変数として挙げることができる。 32東洋法学
このうち、前二者は相互に結びついた変数と考えられる。ケンプテン事件判決は、死への不可逆的過程をたどり 始めていて、死期が切迫している場合を狭義の臨死介助、不可逆的過程はたどり始めてはいるが、必ずしも死期 が切迫しているとはいえない場合を広義の臨死介助として区別し、後者の要件をより厳密にしたうえで、その正 当化の余地を認め、一九九八年および二〇〇四年の﹁医師が看取るための連邦医師会原則﹂は、これを基礎にし つつも、重度の脳損傷を受けているが死の発生時期が必ずしも予測可能ではない場合︵覚醒昏睡など︶を付け加 えている。医療実務上および学説上争いがあるのは、死の時期が切迫していない場合、および、重大な脳損傷を 受けている場合である。 ︵i︶ リューベック事件決定の評価 前述のように、リューベック事件決定において、世話人が処置の中止を要求することの前提として、﹁基本疾病 が不可逆的な死に至る過程をたどり始めること︵国冒鼠暮 α80ε民一①こ①冨冒①ぎ98島魯9くΦ門冨鼠ω︶﹂を 挙げているが、ここでは、ケンプテン事件判決において狭義の臨死介助の要件として挙げられた﹁死の発生が時 間的に切迫していること︵↓08器冒旺簿冒ざ旨RNΦ5﹂と同じ意味だとすると、生命維持措置中止の許容範囲 が再び限定されることになってしまう。しかも、リューベック事件決定では、不可逆的な死への過程が始まって いることが確実であることを要件としており、医療実務上、医師がこのようなことを、確実性をもって断言する ︵5 6︶ ことは稀であり、処置中止が許容される範囲が極めて限定されてしまうことになる。 患者が自分の意に反して処置を受けない権利は、人間の尊厳の不可侵性を規定した基本法一条一項だけではな 33人工的栄養補給の停止と患者の意思 ︵57︶ く、生命および身体的完全性の権利を保障した基本法二条二項の内容をなすと理解されている。そして、自分の 意に反して身体的侵襲を受けないという自己決定権は、死の過程が発生した場合にはじめて保障されるわけでは ないので、不可逆的な死の過程発生を、生命維持処置中止の客観的要件とすることは不合理であるとする見解が ︵58︶ 主張されることになる。 これに対して、リューベック事件決定において連邦通常裁判所民事第一二部は、﹁死の発生が時間的に切迫して いること﹂という表現を避けていることから、﹁基本疾病が死に至る過程をたどり始め﹂ても、必ずしも﹁死の過 程︵ω什R幕<9窟轟︶﹂が開始していることにはならないと解釈し、リューベック事件決定は、死の発生の時問的 近接性を前提とした狭義の臨死介助に限定したものではなく、本決定のいう﹁基本疾病が死に至る不可逆的な過 ︵59V 程をたどり始めた﹂状態には覚醒昏睡︵失外套症候群︶も含まれるとする理解もある。いずれにしても、リュー ベック事件決定における﹁基本疾病が死に至る過程をたどり始める﹂という基準は不明確であり、誤解を招くも のであると考えられている。 そこで、まず明確にしなければならないのは、患者の推定的意思に合致して生命維持処置を中止することが許 されるのは、死の時期が切迫している場合に限られるのか、あるいは、基本疾病が回復する見込みはないものの、 必ずしも死の時期が切迫していない場合も含まれるのかということである。もちろん、ケンプテン事件判決が明 確に示したように、いずれの場合にも処置中止が許容されうることを前提としたうえで、患者の意思推定のため の認定基準に差異を設けるということも可能である。二〇〇四年三月二六日のカールスルーエ上級ラント裁判所 34