学校におけるいじめと親責任
著者
池谷 和子
雑誌名
東洋法学
巻
59
号
2
ページ
231-248
発行年
2016-01-28
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007687/
《 国際家族法研究会報告(第 56回)》
学校におけるいじめと親責任
池谷 和子 Ⅰ はしがき 昭 和 六 一 年 (一 九 八 六 年) 二 月 一 日、 東 京 中 野 に あ る 富 士 見中学二年の鹿川裕史くんが盛岡駅ビル内のトイレで自殺を した。後に「富士見中いじめ自殺事件」と呼ばれる事件であ る が、 遺 書 が 残 さ れ て い た こ と で、 「葬 式 ご っ こ」 の 色 紙 に は教師も参加したことを始め、学校でのいじめが自殺の原因 であるとして、社会問題として認識されるようになった。そ のような学校内でのいじめが沈静化傾向になったと思われた 平 成 六 年 (一 九 九 四 年) に は 愛 知 県 西 尾 市 の 大 河 内 清 輝 く ん が長文の遺書を残していじめの結果自殺したという事件が起 こった。 文部科学省も学校におけるいじめ自殺事件を受けて、学校 でいじめ調査を行ったり、いじめの定義を明確化ようと努め たり、スクールカウンセラーの派遣を拡大したり、自殺予防 マニュアルを作ったりと様々な取り組みを行ってはきたもの の学校におけるいじめに対する画期的な対処法も見いだせな い ま ま、 平 成 二 三 年 (二 〇 一 一 年) に は 再 び 世 間 の 注 目 を 集 めるような大津いじめ自殺事件が起こり、その結果、国会議 員主導での「いじめ防止対策推進法」が成立することとなっ た (拙 稿「学 校 に お け る い じ め と 法」 現 代 社 会 研 究 第 一 二 号 八 三 頁以下) 。 この法では、いじめの定義、学校でのいじめ対策を規定し た上で、主に、国、地方公共団体、学校の設置者、学校、教 職員それぞれの責務について規定されているが、第九条にお いては、以下のように、保護者の責務についても規定してい る。 「第 九 条 一 項 保 護 者 は、 子 の 教 育 に つ い て 第 一 義 的 責 任 を 有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うこ とのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指 導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。 二項 保護者は、その保護する児童等がいじめを受けた場 合 に は、 適 切 に 当 該 児 童 等 を い じ め か ら 保 護 す る も の と す る。 三項 保護者は、国、地方公共団体、学校の設置者及びそ の設置する学校が講ずるいじめの防止等のための措置に協力 するよう努めるものとする。 四項 第一項の規定は、家庭教育の自主性が尊重されるべ きことに変更を加えるものと解してはならず、また、前三項 の規定は、いじめの防止等に関する学校の設置者及びその設 置する学校の責任を軽減するものと解してはならない。 」学校におけるいじめ事件が表沙汰になって以降、現場であ る学校やその教員に対する風当たりは非常に強くなり、いじ めに対する責任を問われる声も多くなっている。しかし、そ もそも子どもたちは生まれた時から家庭において養育され、 日常生活における善悪、社会的常識等は日々の生活の中で通 常は両親によってしつけられていくものであって、たとえ学 校に通うようになったからといっても、精神的に成熟してい ない未成年者にとっては両親の存在は非常に大きいものであ り、単に現場である学校のみ努力をしても、いじめをなくす ことは不可能であろう。 前述の富士見中学校いじめ自殺事件一審判決においても、 「父 母 た る 親 権 者 は、 子 供 の 性 格、 心 身 の 発 達 状 況、 行 動 様 式等について最もよく知り得る立場にあり、それだけその行 動を予測することも容易であるのが通常であるうえ、その生 活 関 係 全 般 に わ た っ て 行 動 を 規 制 す る こ と が で き る 立 場 に あって、子供が他人に危害を加えるおそれがある場合におい て、それを阻止するためにとることのできる方策も多いので あるから、その負うべき監督義務の範囲は、学校設置者の負 う安全保持義務に比較して、決して低かったり狭かったりす るものではないというべきである。 」 (判例タイムズ七五七号、 一一五頁) と述べ、親権者の責任を重要視している。 また、いじめの加害者のみならず被害者にとっても、自ら の両親とは無縁ではなかったはずである。被害者の成長の過 程で、性格形成や人との関わり方にも多大な影響を与えてい るであろうし、自殺という最悪の結果に至るまでの間に、子 どもの性格を最も良く知り、なおかつ最も身近な親権者とし て、いじめに気付き、適切な対処をすることで、最悪の結果 を回避することも可能であったかもしれないからである。 本 稿 に お い て は、 「い じ め の 定 義」 に つ い て 考 察 し た 上 で、加害者と被害者の親責任について検討する。 Ⅱ いじめの定義 「い じ め」 と い う 言 葉 は、 誰 も が 正 確 に 理 解 し て い る よ う でいて、実際には、その行為態様にはいろいろな物があり、 その状況についても様々であり、どのような行為のどのレベ ルにおいて「いじめ」ととらえるのかも、人によって異なっ てくる場合がある。 例えば、千葉県神崎町立中いじめ負傷事件といわれる平成 一三年一月二四日千葉地裁判決においては、いじめは「強者 が 弱 者 に 対 し て 精 神 的・ 肉 体 的 な 苦 痛 を 継 続 し て 与 え る 行 為」 で あ り、 「冷 や か し、 か ら か い、 言 葉 で の お ど し、 嘲 笑・悪口、仲間はずれ、集団による無視、物品又は金銭のた かり、持物を隠す、他人の前で羞恥・屈辱を与える、叩く・ 殴 る・ 蹴 る な ど の 暴 力 行 為 等」 が あ り、 「意 地 悪 の 域 を 出 な い よ う な も の か ら、 道 徳・ 倫 理 規 範 上 の 非 違 行 為、 さ ら に は、それ自体が犯罪行為を構成するようなもの」まで様々で あ る。 そ れ ゆ え、 「あ る 行 為 が 個 別 的 に 見 て そ れ 自 体 と し て
は些細なものと評価し得べき場合であっても、当該行為が全 体として専ら特定の生徒に向けられたものであって、単数あ る い は 複 数 の 生 徒 に よ り、 長 期 に わ た っ て 執 拗 に 繰 り 返 さ れ、被害生徒の心身に耐え難い精神的苦痛を与えているよう な 場 合 に は、 か か る 行 為 が 全 体 と し て 違 法 に な る」 (判 例 地 方自治二一六号六二頁) と指摘した。 そ し て、 そ の 後 に 成 立 し た「い じ め 防 止 対 策 推 進 法」 で は、 二 条 に お い て 次 の よ う に 定 義 し て い る。 「「い じ め」 と は、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍して いる等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う 心 理 的 又 は 物 理 的 な 影 響 を 与 え る 行 為 (イ ン タ ー ネ ッ ト を 通 じ て 行 わ れ る も の を 含 む。 ) で あ っ て、 当 該 行 為 の 対 象 と な っ た 児 童 等 が 心 身 の 苦 痛 を 感 じ て い る も の を い う。 」 す な わ ち、①一定の人的関係、②心理的物理的影響を与える行為、 ③被害児童が苦痛を感じているもの、をいじめと定義したこ とになる。 その上で、国の方針では③の要件によりいじめが限定的に 解釈されないように「いじめられていても、本人がそれを否 定する場合が多々あることを踏まえ、当該児童生徒の表情や 様 子 を き め 細 か く 観 察 す る な ど し て 確 認 す る 必 要 が あ る。 」 「本 人 が 心 身 の 苦 痛 を 感 じ る に 至 っ て い な い ケ ー ス に つ い て も、加害行為を行った児童生徒に対する指導等については法 の 趣 旨 を 踏 ま え た 適 切 な 対 応 が 必 要 で あ る。 」 と し、 ① の 要 件 に 対 し て は「 「一 定 の 人 的 関 係」 と は、 学 校 の 内 外 を 問 わ ず、同じ学校・学級や部活動の児童生徒や、塾やスポーツク ラ ブ 等 当 該 児 童 生 徒 が 関 わ っ て い る 仲 間 や 集 団 (グ ル ー プ) な ど、 当 該 児 童 生 徒 と 何 ら か の 人 的 関 係 を 指 す。 」 と 補 足 し、 ② の 要 件 に 対 し て は「 「物 理 的 影 響」 と は、 身 体 的 な 影 響のほか、金品をたかられたり、隠されたり、嫌なことを無 理やりさせられたりすることなどを意味する。けんかは除く が、外見的にはけんかのように見えることでも、いじめられ た児童生徒の感じる被害性に着目した見極めが必要である。 」 と説明した上で、具体的ないじめの態様として、a「冷やか し や か ら か い、 悪 口 や 脅 し 文 句、 嫌 な こ と を 言 わ れ る」 、 b 「仲間はずれ、集団による無視をされる」 、c「軽くぶつから れ た り、 遊 ぶ ふ り を し て 叩 か れ た り、 蹴 ら れ た り す る」 、 d 「ひどくぶつかられたり、叩かれたり、蹴られたりする」 、e 「金品をたかられる」 、f「金品を隠されたり、盗まれたり、 壊 さ れ た り、 捨 て ら れ た り す る」 、 g「嫌 な こ と や 恥 ず か し い こ と、 危 険 な こ と を さ れ た り、 さ せ ら れ た り す る」 、 h 「パ ソ コ ン や 携 帯 電 話 等 で、 誹 謗 中 傷 や 嫌 な こ と を さ れ る」 等が挙げられている。 このような国の方針を受け、各都道府県において方針が設 定されているが、一例として長崎県の方針を見てみると、c とdは程度の問題、eとfは同じ金品の問題として、六態様 とした上で、さらにそれぞれの態様に付き、以下のように各
三点ずつの例示をしている。a「身体や動作について不快な ことを言われる」 「存在を否定される」 「嫌なあだ名をつけら れ、 し つ こ く 呼 ば れ る」 、 b「対 象 の 子 が 来 る と、 そ の 場 か らみんないなくなる」 「遊びやチームに入れない」 「席を離さ れ る」 、 c・ d「身 体 を こ づ か れ た り、 触 っ て 知 ら な い ふ り をされたりする」 「殴られる、蹴られるが繰り返される」 「遊 び と 称 し て 対 象 の 子 が 技 を か け ら れ る」 、 e・ f「脅 さ れ、 お 金 を 取 ら れ る」 「靴 に 画 鋲 や ガ ム を 入 れ ら れ る」 「写 真 や 鞄、 靴 等 を 傷 つ け ら れ る」 、 g「万 引 き や か つ あ げ を 強 要 さ れる」 「大勢の前で衣服を脱がされる」 「教師や大人に対して 暴 言 を 吐 か せ ら れ る」 、 h「パ ソ コ ン や 携 帯 電 話 の 掲 示 板、 ブ ロ グ に 恥 ず か し い 情 報 を 載 せ ら れ る」 「い た ず ら や 脅 迫 の メールが送られる」 「SNS (ソーシャルネットワーキングサー ビス) のグループから故意に外される」である。 もちろん、平成二五年一月三一日の名古屋地裁において、 「児 童 が、 文 部 科 学 省 所 定 の「い じ め の 定 義」 に 当 た る 行 為 を行ったとしても、直ちに不法行為上違法とされるべきでは なく、当該児童の発言や行動の内容の悪質性と頻度、身体の 苦痛又は財産上の損失を与える行為の有無及び内容などの諸 点を勘案したうえで、一連の発言や行動を全体的に考慮し、 明 ら か に 相 手 方 の 児 童 の 心 身 に 苦 痛 を 与 え る 意 図 と 態 様 を もって行われたものであると認められる場合に、不法行為法 上違法と評価されると解することが相当である」と述べてい るように、違法とされるいじめ行為と認定されるには、文字 通りの「いじめの定義」に当たるかどうか以上のものが必要 とされる。 こ の 点、 憲 法 学 者 で あ る 中 富 公 一 は、 「い じ め」 は「い た ずらや嫌がらせ」とは概念的に区別されるべきであると主張 す る (中 富 公 一「い じ め 概 念 の 憲 法 学 的 検 討 ― 児 童・ 生 徒 の 安 全 再 構 築 の た め に ―」 法 政 論 集 二 一 三 号、 八 〇 ~ 八 一 頁) 。 学 校 生 活 に お い て 必 然 的 に 生 じ る「い た ず ら や 嫌 が ら せ」 (「適 切 な」 い じ め) と、 こ こ か ら は 絶 対 に 許 さ な い「い じ め」 と は 違うとして、河合隼雄の次の文章を引用している。 「「適切な い じ め」 が あ る か ど う か 知 り ま せ ん が、 あ る 程 度 の い じ め は、人間がいる限りあったんじゃないかと思います。‥毅然 とした態度をとることと、いじめの根絶とか、絶対なくそう ということとは違うんです。ここからは絶対に許さないとい うのが毅然とした態度だと思うんですが、それと全部なくそ うということとは違うわけです」 考 え て み れ ば、 「い た ず ら や 嫌 が ら せ」 は、 発 達 途 上 の 子 供たちにとって、自分が面白いという理由だけで、深く考え ることもなく行ってしまう行為である。子供であれば誰もが 行いうる行為であり、その結果として友達を傷つけてしまう こ と も ま た 自 然 な 流 れ で あ る。 そ れ を、 「犯 罪 行 為 だ、 根 絶 し ろ」 と い う の で は な く、 周 囲 の 大 人 が (特 に 法 的 責 任 を 有 し て い る 親 権 者 や 教 員 が) 、 そ の 行 為 が い か に 相 手 に 嫌 な 思 い
をさせ傷つけたのかを理解させ、その場の加害者、被害者、 クラスメートがいかに行動すれば良かったのかを教え諭すこ とこそ教育であり、その事が、将来子供達一人一人が一生を 通して様々な良好な人間関係を築く能力を発展させる基礎と なるものなのである。 平 成 二 二 年 六 月 二 日 の 京 都 地 裁 に お い て も、 「生 徒 間 で 嫌 がらせ等の問題行動が生じた場合に、直ちに転校等により、 嫌がらせをした生徒と嫌がらせを受けた生徒を完全に引き離 す形で問題を終わらせるのではなく、事案に応じて、嫌がら せ行為をした生徒に、相手の気持ちを考えさせ、自分のした ことの重大さを気付かせ、反省させ、嫌がらせをされた生徒 に対する真摯な謝罪をさせ、他方、嫌がらせを受けた生徒の 心情をケアするなどして、人間関係の修復を目指すことは、 精神的に未成熟な中学生の成長を促す上で、教育上取り得る 合理的な手段であることは明らかといわなければならない」 (判例タイムズ一三三〇号、二〇〇頁) と判示している。 し か し、 「い じ め」 と「い た ず ら や 嫌 が ら せ」 と を 概 念 的 に 区 別 し、 「い た ず ら や 嫌 が ら せ」 (生 徒 間 に お け る い た ず ら、 悪 ふ ざ け、 悪 口 等 の 問 題 行 動) は、 人 格 が 未 成 熟 な 時 期 で あ る ために日常的に起こりがちであり、これらの行為の反省・解 決等を通じて生徒の人格が陶冶されていく側面があるとして も、問題なのは、この二つの行為が、決して別次元の話では な い、 と い う 点 で あ る。 「い た ず ら や 嫌 が ら せ」 が 周 囲 の 大 人によって適切に対処されなければ、状況によってはエスカ レ ー ト を し て (度 を 超 え た) 「い じ め」 へ と 繋 が る こ と は あ り 得るからである。その意味で、親や教師といった周囲の大人 の責任は非常に重いと言わざるを得ないのである。 さらに、違法な「いじめ」との境界線をどう引くのかも問 題となる。このような問題行動は親及び教師等の目を逃れて 水面下で行われることも多く、かといって生徒に対する厳格 な監視を必要とすることは教育上望ましくないため、親及び 教師等の責任をどのような場合に認めるのかについても問題 と な る か ら で あ る。 「結 局、 こ れ ら の 問 題 に つ い て は、 加 害 行為の態様・経緯、加害生徒と被害生徒の普段の関係、教育 上の配慮等の諸般の事情を考慮して、事案ごとに判断するほ かないように思われる。 」 (判例タイムズ一三三〇号、一八八頁) と の 指 摘 が あ る。 以 降 で は、 よ り 具 体 的 に、 加 害 者 の 親 責 任、被害者の親責任について、主に平成以降のいじめ事例を 参考として、考えてみたい。 Ⅲ 加害者の親責任 責 任 能 力 の な い 加 害 者 の 親 責 任 に つ い て は、 「い じ め 行 為」においても、民法七一四条が規定している責任無能力者 の監督義務者等の責任にあたることは周知の通りである。そ れゆえ、実際の問題としては、責任能力のない子どもがいじ めによって他の生徒に危害を加えた場合に、その親がどのよ うな法的責任を負うのか、逆に言えば、どのような場合には
責任を負わなくてもよいのかという点についての判断が中心 となってくる。すなわち条文上の「監督義務者がその義務を 怠らなかったとき」とは、どのような場合なのかという判断 についてである。 この点につき、平成八年十月二五日の金沢地方裁判所の判 決 が、 以 下 の よ う に 詳 し く 判 示 し て い る。 「親 権 者 が 尽 く す べき右監督義務の範囲は、その子たる児童が家庭内にいると 家庭外にいるとを問わず、原則として子供の生活関係全般に 及ぶものであり、少なくとも、他人の生命・身体に対し不法 な侵害を加えないとの規範は、社会生活を営んでいく上での 最も基本的な規範の一つであるから、親権者としては、当然 にこれを身につけるべく教育を行う義務があるものというべ きである。 したがって、たとえ子供が学校内で起こした事故であって も、それが他人の生命・身体に危害を加えるというような社 会生活の基本規範に抵触する性質の事故である場合には、親 権者は、右のような内容を有する保護監督義務を怠らなかっ たものと認められる場合でない限り、学校関係者の責任の有 無とは別に、右事故によって生じた損害を賠償すべき責任を 負 わ な け れ ば な ら な い。 ‥ (中 略) ‥ 普 段 か ら、 子 に 対 し て、人に迷惑をかけないこと、人のいやがるようなことをし ないことなどを言い聞かせていた旨の供述部分があるが、か かる説諭のみをもってしては、右のような保護監督義務を尽 く し た と は 到 底 い え な い。 」 と し て、 七 一 四 条 一 項 責 任 を 認 めている。大変納得出来る判断と思える点は、判例の示す通 り、 「他 人 の 生 命・ 身 体 に 危 害 を 加 え な い こ と」 は 多 く の 人 間が共に生活している以上、誰もが守らなければならない最 低限のルールであるが、誰しもそのルールを理解し共感する 能 力 を、 「生 ま れ な が ら」 に は 身 に つ け て は い な い 以 上、 子 どもの成長を見守るべき親が教育すべきであり、家庭外でい じめが起こっているからといって、親権者の法的責任を免ら せることは適当ではないし、抽象的な説諭だけで保護監督義 務を怠らなかったとは言い難い。親である以上、学校での子 どもの行動を把握する努力は常にすべきであるし、問題を感 じ た 時 に は 、 し っ か り と 対 応 し 、 教 育 を す べ き だ か ら で あ る。 ところで、判例において一一歳一一ヶ月の者に責任能力が あるとし、一二歳七ヶ月の者に責任能力がないと判示された ことがあるように、加害生徒が中学生・高校生になってくる と、ほとんどの加害者が責任能力ありと判断されるだろう。 では、いじめを行った生徒に責任能力がある場合には、その 親の法的な責任はどうなるのであろうか。未成年者の加害行 為に対する親責任に関しては、そもそも民法の起草者は、未 成年者に責任能力がある場合には、親が七〇九条責任を負う ことまでは想定していなかった。加害者が無能力であった場 合のみ、親に七一四条の過失責任を課せば足りると解してい たのである。個人主義、過失主義の大原則からは論理的に理
解できるものの、しかし、責任能力があるかどうかは、是非 善悪を識別できる能力であり、未成年者に責任能力が認めら れれば、現実には「親が監督義務違反であっても親は免責さ れ」 、「未成年者には通常は資力がなく、被害者側は賠償して もらえない」という不合理が生じてしまっていた。 その後、責任能力のある未成年者の親権者は「全く責任を 免れるのではなく、監督上の不注意と損害の発生との間に因 果関係があるならば、一般の不法行為の原則に基づいて、損 害賠償責任を負うと解し、この場合被監督者の責任と監督者 の責任とが併存するとして、監督義務者が外部に対して加害 行為をしないよう監督すべき義務を負担しているのであり、 監 督 義 務 懈 怠 の 結 果 無 能 力 者 の 加 害 行 為 が 発 生 し た 場 合 に は、その責任を免れしめる理由はなく、無能力者に法律上の 責任がある場合でも、監督義務者に責任を負わせるべきであ り、七一四条の適用のない場合でも、一般原則に従って不法 行為の成立を認めるべきであるという考え方」が学説上の通 説 と な っ て い っ た (三 野 陽 治「民 法 上 の 監 督 義 務 者 の 地 位」 東 洋法学二〇巻一号六一頁) 。 そして、昭和四九年三月二二日の最高裁第二小法廷判決に おいても、加害生徒が責任能力を有する場合でも、その監督 義務者である父母につき、監督義務懈怠による民法七〇九条 の 不 法 行 為 が 併 存 的 に 成 立 す る (判 例 タ イ ム ズ 三 〇 八 号、 一 九 四 頁) と 解 釈 す る に 至 り、 今 日 に お い て も、 中 学・ 高 校 におけるいじめ事件においては加害者である子どもに責任能 力ありと認められる場合が大半であるが、たとえ子ども自身 に 責 任 能 力 が あ っ た と し て も、 親 に も 自 ら の 過 失 に 基 づ い て、七〇九条により不法行為責任があると解されている。 い じ め に 関 す る 具 体 的 な 事 例 に お い て も、 例 え ば、 「親 権 者は、中学生の子であっても、原則として子どもの生活関係 全般にわたってこれを保護監督すべきであり、少なくとも、 社会生活を営んでいく上での基本的規範の一として、他人の 生命、身体に対し不法な侵害を加えることのないよう、子に 対し、常日頃から社会的規範についての理解と認識を深め、 これを身につけさせる教育を行って、中学生の人格の成熟を 図 る べ き 広 汎 か つ 深 遠 な 義 務 を 負 っ て い る」 (大 阪 地 判 一 九 九 七(平 九) 四 ・ 二 三、 判 時 一 六 三 〇 号 八 四 頁) 、「少 年 ら 五 名に責任能力があったとしても、本件暴力事件及び本件いじ め行為の当時、少年ら五名はまだ中学三年生であったことか らすれば、被告らにおいて、それぞれの子が本件暴力事件及 び本件いじめ行為に及ぶことを予見し得る場合には、これを 防 ぐ べ く 指 導 監 督 す る 義 務 を 負 っ て い る」 (さ い た ま 地 判 二 〇 〇 三(平 一 五) 六 ・ 二 七) と し て、 親 権 者 に は 子 ど も の 責 任能力の有無にかかわらず、監督義務が存在すること認めて いるのである。 では、どのような時に義務懈怠となるか。富士見中学いじ め 訴 訟 一 審 判 決 に お い て、 「未 成 年 者 の 親 権 者 は、 当 該 未 成
年者の年齢、性別、性格、その他の具体的状況に照らして、 そのまま放置したのでは他人の生命若しくは身体への重要な 危険又は社会通念上許容できないような深刻な精神的・肉体 的苦痛を及ぼすことが具体的に予見されるにもかかわらず、 故意又は過失によって、それを阻止するためにとることので きた実効的な方策をとらなかったとき、監督義務を怠ったも のとして、それによって生じた損害を賠償すべき責任がある も の と い う べ き で あ る。 」 (判 例 タ イ ム ズ 七 五 七 号、 一 一 五 頁) と 指 摘 し て い る よ う に、 他 人 へ の 侵 害 行 為 を「具 体 的 に 予 見」したにもかかわらず、 「故意又は過失」によって、 「阻止 するための実効的な方策を取らなかった」時に、監督義務違 反としている。 筆者が接することが出来た平成以降の判例を見てみると、 「予見可能性あり」と判断した事例には、次の四件がある: ①「誰彼となくちょっかいを出す性癖があり、周りの生徒に 暴力をふるったことで相手に謝りに赴いたこともある両親 は、子の粗暴な性格があることに常日頃から注意をし、他 人に暴行傷害行為を行わないよう充分に指導監督すべき義 務があり、いじめをしたがる粗暴な性格およびそれが段々 とエスカレートしてきた経緯からすればいじめに対する予 見 可 能 性 も あ り、 義 務 を 怠 っ た 結 果、 加 害 行 為 が 起 こ っ た」 と し て 七 〇 九 条 責 任 を 認 め た 事 例 (名 古 屋 地 裁 判 決、 平成六年七月二二日) 。 ② 平 成 八 年 四 月 二 三 日 の 大 阪 地 裁 判 決 に お い て、 「親 権 者 は、中学生の子であっても、原則として子どもの生活関係 全 般 に わ た っ て こ れ を 保 護 監 督 す べ き で あ り、 少 な く と も、社会生活を営んでいく上での基本的規範の一として、 他人の生命、身体に対し不法な侵害を加えることのないよ う、子に対し、常日頃から社会的規範についての理解と認 識を深め、これを身につけさせる教育を行って、中学生に 人格の成熟を図るべき広汎かつ深遠な義務を負っていると こ ろ、 ‥ (中 略) ‥ 平 成 三 年 夏 休 み 以 降、 十 五 中 の い わ ゆ る「番長」であり、暴力を背景として同級生・下級生に影 響力を及ぼしている被告乙野一郎を中心とするグループを 形成し、以来、被告生徒らの怠学、喫煙、服装の乱れ等の 問 題 傾 向 が 反 復 し て い た の で あ る か ら (か か る 性 向 が や が て 暴 力 的 非 行 へ と 結 び つ い て い き や す い こ と は 疑 い を 入 れ な い と こ ろ で あ ろ う。 ) 、 被 告 生 徒 ら と 起 居 を 共 に し て い る 被 告 親権者として、被告生徒らの行状について実態を把握する ための適切な努力をしていれば、被告生徒らが被告乙野一 郎の影響のもとに早晩弱者に対する暴力行為によるいじめ に 及 ぶ 予 見 可 能 性 を 予 見 し 得 た は ず で あ る に も か か わ ら ず、 そ の よ う な 努 力 を す る こ と も な く、 被 告 生 徒 ら に 対 し、前記社会規範を身につけさせることを中心とする適切 な指導監督をすることを怠り、被告生徒らをほとんど放任 していたものであり、そのため、被告生徒らに本件事件を
惹 起 さ せ る 結 果 を 招 い た も の と い う べ き で あ る。 」 (判 例 タ イ ム ズ 九 六 八 号、 二 三 八 頁) と し て、 監 督 義 務 を 怠 っ た 過 失 があり、不法行為責任を認めた事例。 ③「被 告 乙 川 は、 ‥ (中 略) ‥ 問 題 行 動 が あ っ た の で あ り、 その行為の内容は同級生への陰湿で悪質な嫌がらせ、蹴る などの暴行、器物の損壊というものであったこと、クラス 担当の冬木教諭は、これら問題行動について被告乙川本人 に注意、指導を行い、被告乙川両親にもこれら問題行動を 逐次知らせて家庭内での指導監督を促したことが認められ る。 そ の 事 実 か ら す れ ば、 遅 く と も 平 成 一 二 年 秋 こ ろ に は、被告乙川が他者への共感性に乏しく、同級生への嫌が らせや暴行等を内容とする違法ないじめ行為に及ぶことを 予見することが可能であったといえる。したがって、被告 乙川両親は、その時から、折に触れて、被告乙川に対し、 いじめ行為がその被害者に多大な精神的苦痛を与えるもの で決してしてはならない行為であることをたびたび言い聞 かせるとともに、担任教師等と連絡を密に取って被告乙川 の学校内での生活ぶりを聴取し、問題行動とみられる行為 があればこれを制止すべく説得するなどの措置を講じる義 務 を 負 っ て い た と い う べ き で あ る。 と こ ろ が、 ‥ (中 略) ‥平成一二年五月ころから同年秋ころにかけて、冬木教諭 から上記の問題行動があったことについての連絡を受けて も、これを深刻に受け止めず、被告乙川が他者への共感性 の乏しい未熟な人格で本件各不法行為のような違法ないじ め行為に及ぶ危険性があることを理解せず、上記のような 教育・監督の措置を講じることなく漫然と過ごしていたも の と 推 認 さ れ る。 し た が っ て、 こ の 点 で 被 告 乙 川 両 親 に は、子である被告乙川に対する教育、監督義務の違反、懈 怠があったといえる。そして、被告乙川両親が、冬木教諭 からの連絡を深刻に受け止め、日頃から被告乙川の生活ぶ りに注意し上記のような措置を講じていたならば、これが 被告乙川が本件各不法行為のようないじめ行為に及ぶこと を抑止し、その結果、被告乙川が本件各不法行為に及ばな かった可能性は高いというべきである。とすれば、被告乙 川両親は、本件各不法行為によって発生した原告らの損害 に つ い て 賠 償 責 任 を 負 う と い え る。 」 と し た 事 例 (判 例 タ イムズ一二四八号、二八九~二九〇頁) 。 ④「被告らは、それぞれ少年ら五名の親権者であり、それぞ れの子を監督し、教育すべき義務を負っているものという べ き で あ る。 ‥ (中 略) ‥ 少 年 ら 五 名 に は、 い ず れ も 本 件 暴 行 事 件 よ り 以 前 か ら (A 田 少 年 ら 二 名 に つ い て は、 本 件 い じ め 行 為 の 前 か、 少 な く と も こ れ と 並 行 し て) 、 喫 煙、 ピ ア ス の着用、粗暴な行為、不良グループの結成等の問題行動が 生じていたところ、被告らはこれを認識し、又は認識すべ きであったから、少年ら五名が、早晩弱者に対するいじめ や暴力行為等に及ぶことをも十分に予見し得たものといえ
る。それにもかかわらず、被告らは、いずれもその子に対 する監督教育等に特段の努力をせずこれを放置し、少年ら 五名の上記問題行動を解消させようとはしなかった。その ため、少年ら五名の非行傾向は深刻化し、原告に対する本 件いじめ行為及び本件暴力事件を惹起させるに至ったもの と い う べ き で あ る。 」 と し て、 両 親 ら に は、 各 少 年 ら に 対 する監督義務を怠った過失があり、暴力事件との因果関係 も肯定して、親権者らに民法七〇九条、七一九条に基づく 不 法 行 為 責 任 を 負 う も の と し た 事 例 (さ い た ま 地 裁 判 決、 平成一五年六月二七日) がある。 各判決内容を見てみると、予見可能性の判断については、 「い じ め 行 為」 そ れ 自 体 を 認 識 し て い た 場 合 の み な ら ず、 さ らに二つの場合にはいじめの予見可能性有りと判断している ことが分かる。一つは、誰彼となくちょっかいを出す粗暴な 性格、同級生への陰湿で悪質な嫌がらせ、蹴るなどの暴行、 器 物 の 損 壊 等 の「問 題 行 動」 で あ り、 も う 一 つ は、 不 良 グ ループの結成、怠学、喫煙、服装の乱れ、ピアスの着用、粗 暴 な 行 為 と い っ た い わ ゆ る「非 行 傾 向」 で あ る。 「問 題 行 動」 も「非 行 傾 向」 も、 「い じ め 行 為」 そ れ 自 体 で は な い が、自分の行動によって他人が傷ついても、それを感じ取る こ と が 出 来 ず、 ル ー ル も 守 れ な い 傾 向 は、 「い じ め」 や「犯 罪」へと繋がっていく可能性が経験上高く、決して親が放任 すべき状況ではない以上、予見可能性ありとしているのであ ろう。 そ れ に 対 し て、 「予 見 可 能 性 な し」 が 下 さ れ た 事 例 に、 以 下の二件がある: ①平成一三年一月二四日の千葉地方裁判所の判決によれば、 「責 任 能 力 あ る 少 年 の 親 権 者 の 不 法 行 為 責 任 を 肯 定 す る た めには、少年らにいじめを行う具体的危険性があるにもか かわらず、親権者として教育、監督し、これを制止する等 の措置を怠り、その結果いじめが発生したことが必要であ る」とし、学校生活で多少目立つところはあったものの、 補導歴はなく、子供に適切な注意を払っていたか否かはと もかく、その子らを格段放任していたというまでの事情は 窺えず、学校から連絡がある以前に、いじめの存在を認識 し得たといえるだけの徴憑が見当たらないとして、いじめ を行うことの予見可能性があったとはいうことができず、 保護者として当然になすべき監督義務を怠っていたとまで はいえないとした。さらに、法的な注意義務の水準につい て、 「日 常 生 活 に お い て そ の 子 ら と よ り 密 接 な 交 流 を 図 り、よりきめ細かな指導を行っていたならば本件のような 継続的ないじめ行為の徴憑を自ら発見できたのではないか と考えられなくはないけれども、それはいわば親としての あ り 方 の 社 会 的 責 任 が 問 わ れ る レ ベ ル の 事 柄 に と ど ま り (B 一 の 行 っ た 原 告 の 頭 部 等 に 対 す る 足 蹴 り 等 の 危 険 な 行 為 に つ い て ま で、 現 在 に お い て も ふ ざ け の 一 環 で あ っ た と 認 識 し て
い る と い っ た 被 告 B の 本 人 尋 問 に お け る 供 述 は、 こ う し た 責 任 の 存 在 を 示 唆 す る も の と い え よ う。 ) 、 法 的 な 注 意 義 務 の 水 準 に つ い て は、 右 の よ う に 判 断 せ ざ る を 得 な い と 考 え ら れ る。 」とした。 ②平成二二年六月二日の京都地裁判決においては、①一年生 の段階では、息子がおかずをめぐって同級生を殴るという 事件を起こしたと聞いたものの、息子はその同級生や親に 謝罪をしており、それ以外に目立った問題行動はなかった こと、②二年生の段階では、夏休み後に息子が校則違反の 髪型にしたときには、やめるように何度も注意し、髪型が 直ったこと、③月に一度の家庭訪問のときに、息子の学校 での様子を聞き、昼食の量が足りずに同級生のおかずを取 るとは聞いたが、暴力や嫌がらせなどをしているとは聞い ておらず、それ以降はおかずを作って持たせるようにした こと、④息子は母親に対して反抗することはあまりなく、 暴力を振るうこともなかったことからすると、息子が同級 生に対して嫌がらせをしていると具体的に予見することは 困難であったこと、⑤昼食の量が足りないという指摘を教 諭から受け、おかずを作って持たせるようにしたり、校則 違反の髪型にした時にはやめるように何度も注意したり、 合 唱 練 習 で の 問 題 行 動 を 知 っ た 後 は、 「謝 り に 行 か な あ か んことしたから、ちゃんと謝りに行くから。 」「自分された ら 嫌 な こ と は 人 に し た ら あ か ん。 」 な ど と 諭 し た こ と な ど からすれば、母親が息子について問題が起これば適宜誠実 に対応していたのであって、息子を放任していたとは認め ら れ な い と し て、 母 親 の 注 意 義 務 違 反 を 認 め な か っ た (判 例タイムズ一三三〇号、二〇一頁) 。 ここで気になるのは、一つ目の事例において、親の「社会 的責任」と「法的責任」を分けていることである。社会的に は親としてのあり方が問われるレベルであっても、補導歴が なく、学校からの連絡前にいじめの存在を認識しなかった以 上は、法的責任まではないとして「予見可能性なし」と判断 している。 し か し、 「子 供 に 適 切 な 注 意 を 払 っ て い た か 否 か は と も か く、その子らを格段放任していたというまでの事情は窺え」 ない状況下で、 「「日常生活においてその子らとより密接な交 流を図り、よりきめ細かな指導を行っていたならば本件のよ うな継続的ないじめ行為の徴憑を自ら発見できたのではない か と 考 え ら れ な く は な い」 場 合 で あ っ て も、 「B 一 の 行 っ た 原告の頭部等に対する足蹴り等の危険な行為についてまで、 現在においてもふざけの一環であったと認識している」よう な問題がある親に「予見可能性なし」として法的責任を認め ないことは適切な判断であったのだろうか。社会的に見て問 題のない一般的な親であれば気付く可能性のあった場合に、 いくら補導歴がなかったとしても、予見可能性なしとして法 的責任を認めないことには違和感を覚えるのである。
ま た、 二 つ 目 の 事 例 に お い て も、 「子 に つ い て 問 題 が 起 こ れ ば 適 宜 誠 実 に 対 応 し て い た」 母 親 で あ っ た と し て も、 「同 級 生 を 殴 る と い う 事 件」 を 起 こ し、 「校 則 違 反 の 髪 型」 に し、 「同 級 生 の お か ず を 取 る」 よ う な 行 為 を 行 っ た 過 去 の あ る息子には、もう少し注意深く接すれば、いじめを予見する 可能性はあったのではないかとも思える。その意味で、両判 決 と も「補 導 歴 が な い」 「親 に は 暴 力 を 振 る う こ と も な か っ た」 と し て も、 「通 常 の 生 活 に お け る 親 子 の 交 流 の 状 況」 や、 「親 か ら 子 へ の 適 切 な 情 報 把 握・ 指 導 等 の あ り 方 の 状 況」にもう少し重きを置いて判断した方がよかったのではな いかと考えるのである。 さ ら に、 「被 害 者 が 自 殺 し た 場 合 に、 自 殺 に 対 す る 責 任 を 負うか」という法的論点もある。 例 え ば、 富 士 見 中 学 い じ め 訴 訟 一 審 判 決 に お い て は、 「い かに一中学生の自殺であるとはいえ、それが一個の人間の意 図的行為であることには変わりはなく、その最後の一瞬にお けるまでその者の意思に依存するものである。そして、人が いかなる要因によって自殺への準備状態を形成し、それとの 相関的な関わりにおいて何を直接的な契機として自殺を決行 す る に 至 る か の 心 理 学 的・ 精 神 医 学 的 な 機 序 (潜 在 的 な 準 備 状 態 の 如 何 に よ っ て は、 第 三 者 か ら み れ ば ご く さ さ い な こ と で、 お よ そ 自 殺 の 原 因 と な る と は 思 わ れ な い よ う な こ と を 直 接 動 機 と し て 自 殺 を 決 行 す る な ど、 両 者 の 間 に は 相 関 的 な 関 係 が あ る と さ れ て い る。 ) は、 外 部 的 に は お よ そ 不 可 視 で あ っ て、 明 白 に 自殺念慮を表白していたなど特段の事情がない限り、事前に 蓋然性のあるものとしてこれを予知することはおよそ不可能 で あ る と い わ な け れ ば な ら な い。 ‥ (中 略) ‥ こ れ を 本 件 に つ い て み て も、 ‥ (中 略) ‥ 太 郎 が 本 件 グ ル ー プ と の 関 係 に つきどのような心理的・精神的反応を示していたかを外部か ら判断することは著しく困難であり、また、他に太郎が明白 に自殺念慮を表白していたなどの特段の事情もみられない」 (判 例 タ イ ム ズ 七 五 七 号、 一 一 四 ~ 一 一 五 頁) と し て、 予 見 可 能 性ないし相当因果関係の有無を否定した。 確かに、人が何故自殺をするのか、その動機は何であった か は、 不 可 視 で あ る し、 同 様 の い じ め を 受 け て い た と し て も、一人一人違うかもしれない。しかし、判例の言うように 「明 白 に 自 殺 念 慮 を 表 白 し て い た な ど 特 段 の 事 情」 が あ る 以 外には、すべて予見可能性・相当因果関係を否定して良いも のなのであろうか。例え、外からは不可視であっても、あま りに酷いいじめであれば、誰しも自殺へと追い込まれる可能 性 が 高 い こ と は、 経 験 上 予 見 で き る の で は な い か。 「通 常 一 般人であれば、自殺に走りうるようないじめの態様・程度」 であれば、相当因果関係ありとして十分責任を取らせても良 いように思われる。 Ⅳ 被害者の親責任 学校におけるいじめ事件で被害者の親責任に関して訴訟上
現れてくるのは、不法行為に基づく損害賠償訴訟での過失相 殺としてである。いじめ事件においては加害者の親責任に比 べれば、被害者の親責任が論じられる場合は非常に少ない。 そのなかで、下記の「津久井いじめ自殺事件」と「知覧いじ め自殺事件」が著名である。 ①平成六年四月に津久井町立中学校に転校し二年三組に在籍 していた被害者がいじめを繰り返されたことにより平成六 年七月一五日に自室で首吊り自殺した「神奈川・津久井い じめ自殺事件」においては、第一審において、被害者自身 もトラブルの原因に関与していた場合があったと触れた上 で、 次 の よ う に 判 示 し た。 「義 務 教 育 と は い え、 子 供 の 教 育は本来的には親が第一義的責任を負担しているというべ き で あ る こ と、 ‥ (中 略) ‥ 中 学 か ら 帰 宅 後、 翌 朝 の 登 校 まで及び土日祝日において、家庭で亡一郎と生活を共にし ていた原告らにも亡一郎が前記のトラブルの渦中にあった ことを看過し、亡一郎の養育について注意監督を怠ったこ と に つ い て 相 当 の 責 任 が あ る と い う べ き で あ る。 」 (判 例 タ イ ム ズ 一 〇 八 四 号、 二 九 七 頁) と 述 べ、 親 が 英 語 ノ ー ト の い た ず ら 書 き、 じ ゃ ん け ん ゲ ー ム に よ り 青 あ ざ を 作 っ た こ と、机の上のいたずら書き、女子生徒との間のトラブル、 亡一郎が足を引きずって歩いていたこと、転校前の中学で も少しいじめられていたことを認識していた以上、教諭か ら心配ない、対処したと説明を受け、亡一郎自身がいじめ について明確に語らなかったとしても、亡一郎を巡って複 数のトラブルが続いて起きていることを考慮して、親の方 でも、亡一郎との対話を通じるなどして、学校生活におけ る亡一郎の状況を十分に把握すべきであり、亡一郎が本件 自殺にまで追い込まれるほど精神的・肉体的負担を感じて いたことに気付かなかったこと自体、亡一郎の両親である 原告らの亡一郎に対する監護、教育、注意が十分でなかっ たことを示すものというべきであると判断され、四割の減 額がなされた。 ② こ の 控 訴 審 判 決 で は、 一 審 以 上 に 被 害 者 自 身 の 責 任 (本 件 い じ め 行 為 に あ っ た 生 徒 で あ れ ば 必 ず 自 殺 に 至 る 訳 で は な い、 い じ め 行 為 を 受 け た 苦 悩 を 担 任 教 諭 に も 両 親 に も 打 ち 明 け な い こ と で 打 開 策 が と ら れ る 機 会 を 自 ら 閉 ざ し た 面 が あ る、 い じ め 行 為 の 個 々 の 行 為 に は 被 害 者 自 身 の 言 動 に 触 発 さ れ た り 誘 発 さ れ た も の が あ る) を 指 摘 し た 上 で、 両 親 に 対 し て は「子 供 の教育・養育は、学校におけるものと家庭における保護者 によるものとが併存して行われるものであり、保護者にお いてその責任を負担していることは明らかであるところ、 被控訴人らにおいて日頃の亡一郎との親子のふれあいが十 分でなかったことがうかがわれる (被控訴人花子は、担任教 諭 と の 間 で 連 絡 を 取 り 合 っ て い る こ と を 亡 一 郎 に 知 ら れ な い よ う に 気 遣 っ て お り、 ま た、 本 件 自 殺 日 の 約 一 週 間 前 に は 亡 一 郎 の 目 の 下 に 大 き な く ま が で き て い た と い う の に、 被 控 訴 人 ら に
おいては、このような亡一郎の状態に気付いていない。 ) こと、 ‥ (中 略) ‥ 学 校 側 に す べ て 責 任 が あ る と い え な い こ と も 明らかであり、亡一郎本人のほか、学校からの帰宅後及び 休日において、家庭で亡一郎と生活をともにし、監護養育 義務を負っていた被控訴人らにも、亡一郎がいじめ行為等 のトラブルの渦中にあったことを看過し、亡一郎の監護養 育について注意監督を怠った点があるものと認められ、こ の 点 に お い て 相 当 の 責 任 が あ る と い う べ き で あ る。 」 (判 例 タ イ ム ズ 一 〇 八 四 号、 一 一 二 頁) と し て、 七 割 の 減 額 が 言 い 渡された。 ③また、中学三年生が継続的にいじめを受けた結果、平成八 年九月十八日午後一時ころ、自宅近くの校区公民館の外壁 の非常用はしごに自らのベルトをかけて縊死した「知覧い じめ自殺事件」においては、①自殺前日、暴行を受けたこ とを息子から聞いた両親は、加害者に電話を掛けて形ばか りの仲直りをさせ、これをもって問題は解決したものと考 え、息子に学校へ行くよう説諭したこと、②息子が自殺す る一時間位前、母親が昼食を摂るべく自宅へと帰宅上、学 校へ行かなかった息子を見つけ、学校に行かなかったこと を叱責すると、息子はベルトを自分の首に巻いて首を吊る まねまでして「お母さん、僕、自殺するからね」と自殺の 意 思 を 表 白 し た に も 関 わ ら ず、 冗 談 だ ろ う と 取 り 合 わ な か っ た こ と か ら、 「こ れ ら の 事 実 は、 太 郎 の 自 殺 の 一 因 を なしていることも否定できず、同人の死亡に伴う損害の公 平な分担の観点からすれば、これらの事実を過失相殺に準 じ て 斟 酌 す る の が 相 当 で あ る。 」 (判 例 タ イ ム ズ 一 一 三 九 号、 二五〇頁) と判示し、過失相殺の割合を四割とした。 「津 久 井 い じ め 自 殺 事 件」 控 訴 審 判 決 に お い て、 被 害 者 自 身の責任を指摘し、両親に七割もの減額をしたことは、少々 厳しすぎる判断であったようにも思えるが、どの判決におい て も、 「子 供 の 教 育・ 養 育 は、 学 校 に お け る も の と 家 庭 に お ける保護者によるものとが併存して行われるもの」という指 摘 を し た 上 で、 「亡 一 郎 を 巡 っ て 複 数 の ト ラ ブ ル が 続 い て 起 きていることを考慮して、親の方でも、亡一郎との対話を通 じるなどして、学校生活における亡一郎の状況を十分に把握 す べ き」 「亡 一 郎 が 本 件 自 殺 に ま で 追 い 込 ま れ る ほ ど 精 神 的・ 肉 体 的 負 担 を 感 じ て い た こ と に 気 付 か な か っ た こ と 自 体、 亡 一 郎 の 両 親 で あ る 原 告 ら の 亡 一 郎 に 対 す る 監 護、 教 育、 注 意 が 十 分 で な か っ た」 「日 頃 の 亡 一 郎 と の 親 子 の ふ れ あ い が 十 分 で な か っ た」 「亡 一 郎 が い じ め 行 為 等 の ト ラ ブ ル の渦中にあったことを看過し、亡一郎の監護養育について注 意 監 督 を 怠 っ た 点 が あ る」 「加 害 者 に 電 話 を 掛 け て 形 ば か り の仲直りをさせ、これをもって問題は解決したものと考え、 息 子 に 学 校 へ 行 く よ う 説 諭 し た こ と ‥ (中 略) ‥ 自 殺 の 意 思 を表白したにも関わらず、冗談だろうと取り合わなかったこ と ‥ (中 略) ‥ こ れ ら の 事 実 は、 太 郎 の 自 殺 の 一 因 を な し て
い る こ と も 否 定 で き ず」 等、 親 の 役 割 や 責 任 に つ い て 考 慮 し、親の子どもに対する「監護、教育、注意」といった対応 や親子関係の状況に着目している点が評価出来る。 Ⅴ 検討 以上の通りに、いじめ事件の加害者のみならず、加害者の 親も監督上の不注意と損害の発生との間に因果関係があるな ら ば「一 般 の 不 法 行 為 の 原 則 に 基 づ い て 損 害 賠 償 責 任 を 負 う」というのが、多数説・判例である。また、被害者の親に ついても、監護養育について注意監督を怠った点があれば過 失相殺による減額がなされるとしている。 このように、加害者の親も被害者の親も監護養育を怠った 点があり、それが損害発生との間に因果関係があるならば、 自らの過失として、法的な責任を問われる。しかしながら、 もちろん、加害者の親と被害者の親とでは、責任の質は違う と思われる。被害者の親には、日々の子どもとの交流を通じ て「いじめ」を把握出来ず、又は把握しながらも最悪の結果 を避けられなかった過失があったかもしれないが、加害者の 親は、それに加えて、他人の人権を侵害する子どもに育てて しまった責任もあり、それは質的にも重大なのではなかろう か。 そ れ ゆ え、 判 例・ 多 数 説 の 考 え 方 と し て 疑 問 を 感 じ る の は、いくら民法の七一四条があるとはいえ、加害者の親の責 任 に お い て、 「責 任 能 力」 の 有 無 で 親 の 責 任 の 幅 を あ ま り に 変 え す ぎ て は い な い か と い う 点 で あ る。 な ぜ な ら、 「責 任 能 力」 と は、 「自 己 の 是 非 を 判 断 で き る だ け の 知 能」 で あ り、 「法 の 命 令 禁 止 を 理 解 し 得 な い 人 間 を、 損 害 賠 償 責 任 か ら 解 放することによって保護する」との政策的価値判断に基づき 立 て ら れ た 概 念 で あ り (潮 見 佳 男『債 権 各 論 Ⅱ 不 法 行 為 法 第 二 版』 (新 世 社、 二 〇 〇 五 年) 八 八 頁) 、 法 的 保 護 者 の 責 任 を 免 責するための概念ではない。そして、子どもが責任能力を含 め て 知 能 や 判 断 力 を 発 達 さ せ る 為 に は、 「是 非 の 判 断」 や 「物 事 の 価 値 観」 を 学 ぶ 必 要 が あ り、 そ れ に は、 日 常 生 活 に おける親自身の姿勢や振る舞い方、子どもへの注意、教育が 大きく反映し、親にもかなりの責任があると考えられるから で あ る。 よ っ て、 「責 任 能 力 あ る」 加 害 者 の 親 の 予 見 可 能 性 を判断する場合にも、子どもの性格や過去の行動をしっかり と把握しているか、日々細やかな対応をしているかというこ とを基準にした上での判断をすべきなのである。 また、いじめ対策において、いじめを根絶しろという姿勢 は、時にどんな些細な「いたずら」も「悪ふざけ」も許さな いという態度になりがちである。しかし、社会のルールをす べて知って生まれてくる訳ではない子ども達同士では、その 成長過程において、お互いに傷つけたり傷つけられたりしあ いながら成長していく面もある。子どもの成長過程に通常含 まれる「いたずら」や「悪ふざけ」には、犯罪や加害者とい うレッテル貼りをするのではなく、親や教師といった周囲の
大人たちが、教育という手段を使って、子ども達を人間的に 成長させる必要があるということは理解すべきである。しか し 同 時 に、 「い た ず ら」 や「悪 ふ ざ け」 が 深 刻 な「い じ め」 へと繋がっていく可能性があることもしっかりと認識すべき であり、他人を深く傷つけるような「いじめ」行為は決して 許さないという態度もまた重要である。まずは「いたずら」 や「悪ふざけ」をする子もされる子も、どちらにもならなく て「傍観している」子に対しても、すべての子に対して、特 に親は、日々自らの子どもの暮らしぶりや精神的な状況を知 る よ う に 配 慮 し、 子 ど も と の 交 流 を 通 し て、 「ど の よ う な 性 格 な の か」 「自 分 の い な い 時 に は、 友 人 と の 関 係 は ど う な の か」しっかりと把握し、細やかな対応をしていくことが、最 大のいじめ対策になると考えられるのである。 よって、加害者の親と被害者の親に求められる法的責任と しては、子ども自身に責任能力があるかどうかは是非善悪を 識別できる能力があるかが基準とされている以上、いじめ時 点での親の監督状況だけではなく、現実には親が過去から子 どもにいかなるしつけ・教育をなしてきたかという点も関わ りが出てくるであろうし、被害者においても親が子どもをど れだけ支え、コミュニケーションを図り、万が一の対処法に ついてもよく話し合っておくことが出来たのかという点も関 係してくるものではないだろうか。すなわち、過去から現在 までの日常における親子関係のあり方が問われるのではない かとも思えるのである。 そ の 意 味 で、 「い じ め 防 止 対 策 推 進 法」 の 九 条 は 非 常 に まっとうな内容ではあるものの、現在の社会においては核家 族が増え、政府の政策においても共働きを推進している社会 となってしまった以上、今後、親は子どものことをどの程度 把握することができるようになるのであろうか。両親が共働 きであるなら、今後ますます、子どもは生まれて出来る限り 早くから保育所に預けられ、夜や休日しか親と過ごさなくな る。親は通常、より多くの時間を子どもと過ごすことで個々 の子どもの性格を把握し、その性格に合わせてしつけをして いくものだが、一日のうち一緒にいるのが寝ている夜中心で あれば、その子は楽しい時、つまらない時、気に入らない時 にどのような行動に出るのか、友達とはどのように関わって いるのかすら把握することは難しくなる。それでも「規範意 識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努める」 ならば、その努力も上滑りなものになるかもしれない。今後 は、両親とも仕事を抱えつつ、わずかな時間で子どもの性格 や行動を把握するよう努めなければならないし、その性格に 合わせて「規範意識の指導」も「いじめからの保護」もしな ければならず、民事上でのいじめに関する親責任のハードル も上がっていくように思われる。学校に比べれば、親がいじ めに関するより多くの責任を負うべきであるが、現在の社会 においては一人一人の親が意識してよほどの努力をしなけれ
ば、 親 の 責 任 を 果 た せ な い 時 代 と な り つ つ あ る か も し れ な い。 Ⅵ むすび 最近でも、再び、岩手県の矢巾町において、中学二年生が いじめを苦に自殺をしたことが報道されていた。また、いじ め問題から、始業式に自殺が急増するという報道も多く見受 けられる。いじめの現場の多くが学校である以上、国、地方 自治体、学校が一致団結していじめ対策を推進し、いじめを 防止する体制やいじめられた子への対応を整えることは大変 重要である。 しかし、さらに加えて、親は子どもが小さい時から日々共 に 過 ご し、 善 悪 の 判 断、 社 会 の ル ー ル の 取 得 に 対 し て (例 え 親 自 身 が 深 く 考 え て い な か っ た と し て も) 多 大 な 影 響 を 与 え て いる。子どもの「責任能力」を作り上げていく親の責任もま た非常に重大と言わざるを得ないのである。 けれども、それと関連して、今後注意を向けていかなけれ ばならないのは、最近の「家族や社会のあり方」である。ス マホが普及し、子ども同士のやり取りが大人の目に触れにく くなっている状況下で、家族の形態として核家族が増え、離 婚率の上昇による片親家庭の増加や、共働き家庭の増加が見 られる。さらに、昔ながらのご近所付き合いも、親戚同士の 付き合いも然程ない社会になってきている。それらの意味す ることは、親子同士が触れ合い、話をする時間が現実に減っ てきているのみならず、親が誰の手助けもなく孤立して子育 てをし、自分のいない子どもの状況を気軽に聞ける相手もい ない社会になりつつあるということである。そうなれば、今 後、親の側で自らの責任を自覚し、よほどの努力をしなけれ ば、いじめ問題の解決へと繋がらないと思われる。 さ ら に、 友 達 親 子 と い う フ ラ ッ ト な 関 係 の 増 加 や、 「個 人 の自由」という風潮から、あまり子どもに強くは言えず、教 育がしにくくなっている現状もある。時には「親の自由」の ために「子どもも自由」にしようという考えさえ見受けられ る。しかし、子どもは親にしっかりと関わってもらってこそ 大人になれるのであって、何も口を出さない「自由」は、一 歩間違えれば、放任へと繋がりかねないことは理解しておか ねばならない。 「L I N E で 繋 が っ て い る の で、 深 夜 に 子 ど も が 外 出 し て もあまり心配しない親」 、「子どもが夜間に外出するのを強く 止められない親」もいることが報道されていたが、平成二七 年二月二〇日の深夜に多摩川の河川敷で殺害された川崎市の 中学一年生の事件や、同年八月一二日から一三日にかけて一 晩中商店街にいた後、早朝に車に連れ込まれ、その後殺害さ れた寝屋川市の中学生一年生の事件を見れば、大人の目も少 ない深夜に子ども達が外にいることで、様々な事件に巻き込 ま れ る 危 険 性 は 非 常 に 高 く な る こ と は 間 違 い な い。 で は 何 故、そもそも子ども達は家に帰ろうとしないのだろうか。そ
こには、 「家に帰りたくない」 「家にいてもつまらない」とい う声が聞こえてくる。子どもが帰りたくないような家庭をつ くらない、それが親に課された責任の第一歩なのではなかろ うか。 (いけや かずこ・長崎大学教育学部准教授)