S.T.コールリッジ論
その詩学と政治学一
薬師川
虹一
1 コールリッジを詩人として論じることがはたして正しいことかどうかと疑わ せるのが,現在刊行されつつある,膨大なコールリッジ全集の,一つの効果と いえよう。この膨大な散文の量に対して,彼の詩の分量は極めて僅かであるこ とが歴然とすると,彼の詩のみを取り出して「詩人コールリッジ」を云々した り,詩の独立性を錦のみ旗として,作品分析を行なったりすることがいかにも 脆弱な作業のように思えてくる。 さらに,しばしば言われることだが,コールリッジは一貫した思想,或いは 主張を着実に構築することが苦手であったとされているし,色々の人々が,そ れぞれの時代にそのことを指摘している。たとえば,1812年1月20日にコール リッジの講演をきいて,その要旨を「ライフルマン」誌にレポートした文章に は,その最後に「しかし,コールリッジ氏の思想を細かく,正確に跡付けよう とすることは,聴衆がその講演からどのような全体像を得たかを示そうとする 1) ことと同じく,虚しい作業である」と記されていることからも明らかである。 その他彼の主要な作品がどれも未完成であること,彼が意欲をもって取り組ん だ『フレンド』誌の発行が,彼の一貫しない性格や,病気とそれによる薬物へ の依存癖,更に発作的にやってくる憂欝性などのためにしばしば不定期刊行に 2> なったことなどが理由となって,彼の世界の断片性が指i摘されている。 1)Lectures,1808−1819. The Collected Works of S.:T. CoJ6ガ㎏召,以下CW,と略記する。 VoL 5, p. 402 2) “Editor’s lntroduction” to The Friend (CW. Vol.4), p. Iiv20 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) だが,彼の全集を読みながら強く受ける印象は,彼のそのような断片性より も,執拗なまでに繰り返される,基本的な考えである。「彼の考えは変わりはす るが,彼の知的関心の分野は変わることはなかった。」とNigel Leaskが言って 3) いるのは正しい。その中心となっているのは,産業革命の背後にある,科学的 4) 合理精神に対する限りない反発であり,「物質」と「精神」とを峻別する近代的 態度への批判である。プリーストリーへの傾斜もそこから当然生まれてくるも のなのである。言い換えれば,コールリッジが求め続けたもの,或いは,常に 関心を向けていたもの,は分析された部分ではなく,様々に異なる部分が構築 する「全体」或いは「一つの生命体」なのであった。 O the one life within us and abroad (“Eolian Harp” 26, 1795) この「一つの生命体」あるいは「全体」のなかへ彼の全ては収徹して行く。パ ンティソクラシーの運動で彼が求めたものも,政治,宗教,哲学,文学などの 講演や定期刊行物などで主張していることも,全ては「全体」のなかへ収敏す るのである。そして雑多なものを一つに収敏させる媒体となるのが「想像力」 5) なのであって,それは決して文学創作の為のみのEsemplastic powerに留まる ものではない。 本稿ではこういった視点から彼の神話体系のカノンあるいはパラダイムを明 確にしてみたいと思う。 II 「彼の生涯にわたる神話体系は彼がパンティソクラシー運動に関わったとき 6) から始まる」Richard Gravilは書いているし,そのことの正さは言うまでもな 3) Leask, Nigel : The Politics of lmagination in Colen’dge’s Cntical Thought, (Macmil− lan, 1988) p. 22 4) cf. Joseph Priestley: Theological and Miscellaneous Works, vol. III, “Matter and Spirit” 1777. 5)BiograPhia Literan’a,以下Bしと略記する。(CW, vol.7)p.168 6) Gravil, Richard : “lntroduction and Orientation” to The Colen’dge Connection ed. by /
いが,更にそれに加えて,「そして,『教会と国家の構造』で完成される」と私 は言いたい。つまり,この二つの出来事の間に,彼の神話体系は構築されてい ったし,彼の詩もまた例外ではないのである。しかし時代の傾向として,芸術 作品を他の事柄の手段としたり,思想表明の手段とすることを極力避けてきた 7︶ し,また詩人自身が「隠遁」的生活のなかに入って詩作することの流行もあっ て,詩を他の事柄と分けて考える傾向にあったことも否めない。更に,戦後の 所謂「新批評」の流れのなかで,純粋に詩のみを追求することが正当視された ことも今だに尾を引いているようである。詩にせよ政治思想にせよ,それだけ を抽出する事無く,コンテキストのなかでコールリッジの詩学と政治学とを考 えていきたい。 その第一歩は当然パンティソクラシー運動の理解から始まる。ここでもまた コールリッジの無計画性が云々されるのであるが,確かにその運動に対する取 り組み方のみを抽出してみれば,彼の突発的性格が見られるかもしれない。だ が,その中心理念を彼の生涯のスパンの中に置いてみれば,パンティソクラシ ーがいかに大きな意味をもっているかが判るだろう。それは決して一時の気紛 や,発作的運動ではなかった。かりに当初はそうであったとしても,彼がパン ティソクラシーの理念を常に念頭に置き,それを推敲し,改良して最後のゴー ルに到達したことは間違いない。 コールリッジが最初攻撃の焦点にしていたのは時代精神としての商業主義で 8) あり,その中心としての私有財産制度であった。“aspheterism”という言葉を 造ってサウジーに得意がっていたのもそんな訳であった。当時の人々が目指し た理想社会の姿には決定的な二つの対立する要素があったようである。一つは 個人的な繋がりを重視して,それを博愛精神にまで高め,それによって自由と 平等の平和社会を招来しようとする考えであり,一つは,私有財産が諸悪の根 X R. Gravil and M. Lefebure (Macmillan, 1990) p. 3 7) see N.Leask: oP. cit. p. 10 8)コールリッジの造語。Letter(July,6th.,1794)to R. Southey以下書簡からの引用は Griggs編の書簡集の整理番号を(L.50)のように,本文中に記入する。ηo%ρ吻磁3の意 味のギリシャ語から造ったと言っている。
22 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 源であるとして,それを完全に否定し,原始共産社会を理想とする考えであっ た。勿論コールリッジは後者を強く主張していたのである。「博愛主義(それに 他の全ての美徳もそうなのだが)は身動きの取れない代物だ,お手盛りの感情 がその大舞踏会の中心にあって,人生を輪舞しながら同質の愛着心だけを集め て同化しているのだ。」(L.51)そういうお手盛りの集団による平和社会ではな く,コールリッジの求めたのはもっと厳しい基礎に立つ社会なのである。私的 所有の否定のために彼が必要と考えたのは解放された精神であった。パンティ ソクラシーの時代,彼には「無所有」即ち「アスフェタリズム」のことがいち ばん大きい問題となっていたのであるが,実はそれを可能にするための前提と しての「解放された精神」の創造が根本問題であることにまだ気付いていなか ったことは確かである。 だが,パンティソクラシーの計画の中に既にその問題に対する取り組みがは っきりと出てはいた。即ち可能なかぎりの知識を吸収することによって,偏見 から解放されることを求めていたのである。このことが後のThe Watchman K 行の精神に繋がって行くのである。パンティソクラシー運動の挫折と共に,コ ールリッジが取り組んだのはアスフェタリズムの直接的な実現ではなく,理想 的な「共和社会」(commonwealth)の前提となる,教育という問題なのであっ た。「共和社会」という言葉は当時の進歩的知識人たちにとっては一つの共通し た合い言葉となっていたのである。確かに,パンティソクラシーという概念は 「二つの伝統的な人間の憧れ,理想的共和社会への憧れと,教養ある人々を素 9) 朴で単純な原始生活へ駆り立てる郷愁,とを結び合わせたものであった」前者 は革新的姿勢を,後者は歴史の源に戻る保守的姿勢を生み出すことになるのは 当然であろう。パンティソクラシーという過激な革新の姿勢が挫折した後,コ ールリッジが次第に保守的方向に傾いて行くのは決して背信行為ではなく,当 然の帰結なのであった。いや,パンティソクラシーそのものが1794年頃の私生 活における混乱から逃れようとする気持ちがパンティソクラシーという静かな 9) MacGillivray, J. R. : “The Pantisocracy Scheme and lts lmmediate Background” in Studies in English (Kennikat Press, 1969) p. 134
夢幻郷を造らせることになったのかもしれない。そうだとすれば革新と保守と いう二つの対立はもともとなかったとも言えよう。何れにせよ,此れを;境にコ ールリッジが保守的傾向を強めていくことは確かである。 パンティソクラシーの頃,コールリッジの心は二つの極の間で揺れていた。 即ち原始共産社会とキリスト教の対立である。彼のなかではこの二つは決して 対立するものではなかったのだが,やはりそこには拘りが存在したのは明らか である。パンティソクラシーには教会がない,どのような教義を信じようと信 教の自由は保証されていた。しかしこのことは逆に,プロテスタントの信条を 守ることを否定することにもなる。図書館中心の,この原始共産社会は,心情 的にコールリッジ自身の堅い宗教心と相容れない要素をもっていることを直観 的に見抜いていたのであろう。この頃,彼はしきりに敬愛する兄のジョージに 手紙を書き「僕は人間の感情がぴりぴりするほど判り,真理の魅力が実感でき るものだから,神聖な神の言葉の美しさを讃えずにはいられないし,救い主を 愛さずにはいられないのですが,僕の理性は僕が救い主を崇めることを許さな いのです」(L.44)と言っているが,此れは当時の彼の心情を明らかに表現して いるといえる。彼の目指したユートピアは決して機械的に管理された理想社会 ではなく,そこに生きる人々個人が理想的人間になっている社会なのであった。 それは宗教と現実社会の諸制度との融合した社会なのである。「パンティソクラ シーには問題はない一だがその実現は悠か彼方である一恐らく奇蹟の起こ る至福千年のことだろう」(L.87)ということに気付いた彼の活動は,それ以 後,息の長い活動となっていく。 94年8月29日モンマス市長に宛てた手紙で彼はこう書いている。「小人数では ありますが,なにものにも束縛されない(liberalized)心をもった一行が,私有 財産の廃止という原則に立って移住する計画を建てました」(L.54)私有財産云 々が破綻したことはサウジーとの対立が明瞭に示しているが,ここでは詳述し ない。注目すべきは前半の記述である。「なにものにも束縛されない心」を持つ ことが理想郷建設の基本であることをこの手紙は示している。そしてこれ以後 のコールリッジの活動はそのような心を持つための方策に向けられることにな
24 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) る。「何も持たないこと」は「何にも捉われないこと」に繋がって行く。社会的 「アスフェタリズム」は何の矛盾もなく,人間的「自由の境地」(freedom)の 概念へと変わって行く。ともあれパンティソクラシーは天地も定かにならない 状態の世界であり,コールリッジの全てが増塙のなかで不分明に混在している, 現実よりも,詩の世界なのであった。 III 1794年はパンティソクラシーの年であった。それは星雲状態であったとして もコールリッジに進むべき方向を与えてくれたものとして大きな意味をもって いた。だがこの頃,彼の詩には激しいパンティソクラシー運動とは裏腹とも思 える世界が描かれている。 With wearied thought 1 seek the Amaranth Shade Where peaceful Virtue weaves her myrtle Braid. (in a letter to Southey, Oct., 21, 1794) ここには気弱な詩人の姿がある。サウジーとの間に隙間風が吹き始め,コール リッジはサウジーにたいすると同時に,自分自身に対しても,言い聞かせるよ うに,「人間というものは悪くなり得るところでは,悪くなり得るものなのだ。 パンティソクラシーの中心的思想はあらゆる悪への動機,一あらゆる誘惑を 取り除くことによって人々を必然的に善なる者にすることです。」と積極果敢な 姿勢を力説している手紙のなかにこの詩を見るとき,「沈んだ胸を抱き 私はア マランスの木陰を求める」という言葉は,手紙の人物とは別の,覇気を失った 詩人の姿を想像させる。 1 seek the cottage’d dell Where Virtue calm with careless step may stray, And dancing to the moonlight roundlay, The wizard Passions weave an holy spell. (in a letter to Southey, Sept. 18, ’94) 此れは更に上の詩より以前の作である。「ああ神様,僕の心臓はなんと弾んでい
ることだろう。僕がこのジーザス・コレッジの部屋を出てから何という素晴ら しい出来事に巻き込まれてきたんだろう’」とサウジーに叫び掛けている手紙 のなかにこの詩を見付けると,そこにも違和感を感じない訳にはいかないだろ う。それはある意味で,現実と理想との破綻のなかで,彼が逃げ込もうとした 世界であったかもしれない。しかし,「墓地派」の詩人たちの影響とは言い切れ ないにしても,詩というものが当時「隠遁」を一つの状況としていたことは理 解できる。それは必ずしも文字どおりの「隠遁」ではなく,詩のセッティング として必要なものだった。そのように考えて,いわばクリシェとしての部分を 取り去ってみれば,ここに描かれている世界はパンティソクラシーが目指した ユートピアそのものであることが判るだろう。それは「地上の楽園」であり “hortms concluszss”としてのパンティソクラシーそのものなのである。 It was a spot which you might aptly call The Valley of Seclusion ! (“Reflections on Having Left a Place of Retirement” 8−9, 1795) そこは確かに「隠遁の谷間」あるいは「閉ざされた庭園」と呼べる場所であっ たろう。しかし,パンティソクラシー挫折と共に,コールリッジは「隠遁の谷 間」に理想郷を創ることから脱却して,現実社会にその夢を託そうとするよう になる。1795・6年はサスケハナへの脱出から,現実社会への切り込みへ方向を 変える年となった。「隠遁」の意味の変化が起こったのである。 コールリッジ全集第一巻『1795年の講演』を編纂したL.PattonとP. Mann とは「1795年の積極的な公的生活の背後には素朴な満足と敬慶な家族生活を求 10) める,家庭への隠遁指向が深く潜んでいた。」と序文で書いている。だがそれは 彼の公的活動の影の部分として相殺されるようなものではなく,むしろ理念の 世界を情念の形で示しているものと理解すべきであろう。 95年3月,彼は手紙のなかで「人間は大都会のなかで生きるようには創られ ていなかった!世の中の殆どあらゆる物理的な悪は,精神的な悪の存在に起因 10) L. Patton & P. Mann : “Editor’s lntroduction” to Lectures 1975, (CVV. vol. 1) p. xliii
26 北JII弘教授退官記念論文集(第294号) している。 そして精神的な悪をどんなに長く考えてみても,人間の心を良 くすることにはならないのだ。美しい田園の風景から我々が受け取る喜びも, その喜びの持っている精神的な影響力に比べれば取るに足りないものである。 ………c園にあっては,我々を取り巻く全てのものが,善にして美なるものと して微笑み掛けてくれるのである………」(L.83)と書いているがこの文章は注 意して読まねばならない。彼は,都会では人間は善にして美なるものに触れる ことができない言っているのか,田園は環境としては都会より優れているが, 大切なものは精神的な影響力だと言っているのか,些か曖昧である。ルソーが 「自然に帰れ」と言ったことに対する反発に答えて,「自然入を作り上げようと するからといって,その人間を野蛮人に仕立てて,森の奥に追い遣ろうという のではない。・・…・…彼が自分の目で見,自分の心で感じ,彼自身の理性以外の 11) いかなる権威にも支配されなければそれで良いのである。」と言ったことが思い 出されるようである。コールリッジの場合も,田園指向の時代の流れのなかで, 田園と都会とを対立させてはいるが,肝心なことは善にして美なるものに影響 12) されることなのである。95年の連続講演で彼が強調したことは,この事であっ たと言える。血で血を洗う結末となったフランス革命を「イギリスに対する警 告」と受け止め,「知識ある少数者は無知な大衆の代わりにはなれない」(8頁) と言い,「時代の悲惨と恐怖とは,全体的な知識の欠乏に起因する」(17頁)と 言う彼は決して田園に逃げることを主張したのではない。人々が十分な知識を 持つことによって,初めて社会の安定が得られると,彼は考えた。此れはまさ にパンティソクラシーの理念そのものである。当然の帰結として彼は教育の重 要性をうったえる。「悪を排除するために,我々は自分自身と共に他の人々を絶 えず教育しなければならない」(18頁)「デモクラットや無神論者は全ての悪は システムの中に在り,従ってそのようなシステムを排除しようとするが,教育 の持つ面心術的浄化力のみが無知な人々の狂暴さを美徳のあるエネルギーに変 11)J.J.ルソー:『エミール』(世界の名著,30巻『ルソー』,中央公論社)p.483 12)以下,同講演からの引用はLectures,1795,0n Politics and Religionを原本にしてい る。本文中に同書からの引用頁を記入する。
えることが出来るのだ」(39頁)と訴える。 このような考えのなかで,コールリッジは古代ユダヤ社会の仕組みに一つの 典型を見いだしていく。そして,その憧れが彼のカノンとなって最後まで続い て行くことになる。 第二講ではユダヤの国家組織を詳述する。「ユダヤの政府は一つの根源的契約 のうえに成り立っている。その基本の法(憲法)はモーゼによって全ての国民 に提示され,各個人は恭しくその法に合意した。その法によってユダヤ民族は 十二の部族からなる共和国となったのである。」(124∼5頁)「全国民に自由が宣 言された 即ち神の権i威によって,全ての国民に権威を人間に認めることは 法に背くことであると知らされ。かくして全てのユダヤの人々は神のみに従う こととなった。」(126頁)ここにコールりッジが最も傾倒したユダヤ民族国家の 基本形態があり,それが彼の理想国家論の基本となってくるのである。「共和国」 や「共和主義」は当時の一つの流行とも言える言葉であったが,コールリッジ のばあい,それはユダヤ的「共和国」であり,その違いは全ての基本に絶対者 としての神が存在していることであった。 だがその国が無知蒙昧な群衆のみによって成り立っているならば,この共和 国はきわめて脆弱なものになり,迷信的な国家とならざるをえないだろう。そ こでこのユダヤ共和国にとって最も必要なものは群衆を教育する人々の存在で ある。即ち,彼が最:も注目したのはレビと呼ばれる種族の存在であった。「かな りの数の人々が選びだされ,その人たちの仕事は,教師になるための知識を身 につけることであった。そして考えも定まらず,偏見に充ち,きわめて無知蒙 昧なユダヤの人々にとって,彼らが偶像崇拝に陥らないようにするためには, そのような教師が絶対に必要なのであった。」(137頁)旧約聖書に見られるレビ 族と呼ばれる人々がそれである。「従ってレビたちはユダヤの人々を偶像崇拝か ら守るための教師であり,彼らはモーゼによって直接任命されたのである。」 (137頁)此れは必ずしも旧約聖書の「レビ記」に完全に則ったものではないか もしれない。だがこのような解釈をもととしてコールリッジの“clerisy”とい う概念が創られたことは疑いえない。この事はしかしコールリッジが全ての国
28 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 13) 民を「教育の持つ回金術的浄化力」によって浄化することを諦めたことになる のではなかろうか。全ての人々を精神的に解放するのではなく,「限られた数の 解放された人々」によって理想社会は運営されるということを,彼はパンティ ソクラシーの時代から気付いていたとも言える。 コールリッジが「現代のレビ」を造るために最も必要と考えたことは「真の 美徳に到達すること」(235頁)であり,そのために主は我々に「想像力」を与 えられたのだと説く。「想像力」はコールリッジにとって決して詩学の専門用語 だけではなく,政治学に関わる用語としても考えられていることを知らねばな らない。95年6月の「奴隷売買についての講演」で彼は「想像力」を「我々の なかで消えかかっている活力を再活性化し,アルプスの峰のように次々と果て しなく高まる頂上の輝きに我々の目をしっかりと向けさせ,常に存在の高処へ と我々を駆り立て,しかも,絶えず広がって行く展望の美しさと壮大さを見せ てくれる荒々しい道を楽しませてくれる可能性の素晴らしさを瞑想することに よって,真の偉大さに到達させてくれる力」(235頁)だと定義する。ここには, 自己完結した頂上はない。それは「次々と果てしなく高まる頂き」なのであり, この事は「想像力」による人間の魂の高揚が無限に続けられねばならないこと を示している。彼の「想像力」は不断の革命力なのであった。 この「想像力」が活動するためにはそれに相応しい「場」が必要である。96 年1月にノッティンガムの教会で行なったとされる「説教」でも彼は都会と田 園とを対比して説明する。「牧歌的状態にあっては,人間の想像力は強力で生き 生きとし,悪への動機は殆ど存在しない………田園風景のなかでは,愛と力が あらゆるところに充ち溢れ,我々が常に心に描いているものと一体になる。美 にして善なる創造の営みが我々の心のなかに凝縮されてくるのである」(350 頁)。だが田園は決して文字どおりの「田園」ではなく,それは「状況」であ り,「風景」であって,「創造力」が働くために必要な場の象徴であり,そして 14) この場がやがて「自由な境地」として『文学的自伝』に再登場することになる 13)39頁でも使っているが,既に10頁でも使っている。愛用句と言える。 14)B. L,1,(CW, vol.7)Ch.12, Pp.242−280参照
のである。
IV
コールリッジの詩学の中心にあるのは「想像力」論だと言われる。その「想 像力」は前章で述べたように,同時に彼の政治学の中心を成すものなのでもあ った。彼によれば「想像力」は二つの段階に分けられる。第一の想像力は人間 が正しく生きるための力であり,前章でその説明を既に見た。それは永久革命 をもたらす力であった。人聞はそれによって常に自らを高処へと引き上げて行 く。そこには終着点はないのである。『文学的自伝』の中で彼は言う,「想像力 15) の原理はそれ自体,成長と生産の力なのである」と。第二の想像力はそのよう にして常に自己改革を行なっている人のみに許される力である。コールリッジ が想定するレビやクレリシーはこの二つの想像力を身につけた人々であるとい えよう。そして,それは同時に「詩人」の定義でもあることに注意しなければ ならない。 彼は1808年の文学講義で,「美とは,様々なものがお互いに呼応することによ って統合された状態になる快感であり,全ての部分が一つの中心点に繋がる喜 16) びである」と言っているが,これは『文学的自伝』のなかで想像力は雑多を一 に統合する力,とか主観と客観とを一つにする力だといっているのに通じて行 く。確かにコールリッジは常に統合を求めていたといえよう。この連続講演で 彼は想像力を様々に定義するが,基本的にそれは「様々な状況を,想念の一つ 17) の瞬間に凝集し,情念と想念との究極の目標を生み出す力」と言っている。こ の言葉はやがて『文学的自伝』のなかで「忠実に自然から模倣し,正確に言葉 を以てそれを表現したどんな素晴らしい形象でも,ただそれだけでは詩人たる 18) の特質を示すものではない」と言い,natura natzarata(“natured nature”)と 15) B. L. II, (CW, vol. 7) Ch. 18 p. 84 16)Lectures,エ808−18エ9 (CH!. vo1.5)p.35 17) Lectures, 1808−1819 (CW, vol. 5) p. 68 18) B. L. II. Ch. 15, p. 2330 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 19)natura nαtumns(“naturing nature”)という哲学概念を使って詩人は「想像 力」によって「構成的自然」を模倣するものであることを説く。前章で見た田 園と都会との対立も,この概念を使えば判りやすくなる。田園にあれば誰でも 善い影響を受けるとは限らない。「もし自然の様々な変化や形象,そして様々な 営みが十分な刺激となるには教育やもって生まれた感受性,或いはその両方が 20) 前提条件となる」と言われるように,教育,即ち,想像力を酒養された人でな ければならないのであり,その時自然は単にあるがままの自然ではなく,それ 自体「成長し生産する原理を内にもった」自然,即ちnatura naturansとなる のであり,言い換えれば,教育を受け,想像力を身につけた人にとっては「肉 21) 眼の専制」から解放されているがゆえに,本質的に環境は都会であっても,田 園であっても同じことなのであると言える。コールリッジが都会と田園とを対 立させ,田園を都会より優れたものとしているように見えるのは,natura naturansの“vehicle”として画一化された人工の都会よりも,変化に富み生き 生きとした田園を選んだと理解するべきである。 コールリッジが75年の連続講演以来,The uratchmanからLyrical Ballads を通じ,The FriendやThe Statesman ’s Manualにかけて宗教と政治と文学 とを総合しながら彼が説いてきたのはこのことであったといえる。そして教育 はこのような力としての「想像力」を培うことであった。彼の描く理想社会も, 創作としての詩も,また根本原理としての神の言葉も,この「想像力」を通し てのみ理解できるものなのである。彼にとって宗教は詩であり,両者とも人間 の心を解放し,所謂「自由の境地」を得させてくれるものである。しかしいっ たん獲得された「自由の境地」は決してそれで固定するものではない。彼は「聖 書」についてこう言っている。「聖書の効用を妨げている主要なものは貴方がた がその内容を既に熟知していると思っているところにあります。何か新しいこ 19)B. L.1.Ch、12, p.240の註釈および“On Poesy or Art”in B. L.(J. Shawcross版)p. 257参照 20) B. L.II. Ch,17, Pp.44−5 21) B. L.1. Ch,6, p. 107
と,完全に新しく,かつ完全に貴方自身と異なることが提示されねばならない のです。なぜなら,我々のなかに既にあるものは,人間の理性の最初の曙と同 22) じくらい古びているに違いないからです。」「自由の境地」も此れと同じであっ て,常にそれは新しいものにされねばならないのである。この事は忽ち「老水 夫の物語り」を我々に思い出させてくれるであろう。罪と,償いと,許しの円 環は完結しているようで決して完結していないのである。その許しは常に鮮烈 なものにされねばならない。かくして老水夫の物語は終わる事無く続けられね ばならないのであった。 Forthwith this frame of mine was wrenched With a woful agony, Which forced me to begin my tale ; And then it left me free. Since then, at an uncertain hour, That agony returns: And till my ghastly tale is told, This heart within me burns. 1 pass, like night, from land to land; (“The Rime of the Ancient Mariner” 578−586) 鮮烈にされない許しは「夜」の世界であり,「理性の最初の曙と同じく古びてい る」のである。老水夫は常にその許しを鮮烈にするため,古い物語を新しく語 らねばならない。ここにはコールリッジの繰り返しのべている教育の在り方が 象徴として描かれているのであって,この事は彼の詩のみを抽出して読むこと では理解できないことであろう。コールリッジの世界は常に完結を拒否する世 界である。“Kubla Khan”,“Christabel”など彼の代表作は何れも完結しない世 界であり,断片と称されるものであるが,それは或いはコーリッジの一貫性の 22) “Statesman’s Mannual” (CVV. vol .6, Lay Sermons) p, 25
32 北川 弘教授退官記念論文集(第294号〉 無さを証明するものであるとしても,他方では,コールリッジの求める世界が 完結を拒否するものであるかぎり,彼にはその詩の世界を完結することは出来 なかったからだとも言えるだろう。この小論のコンテキストとは異なるもので はあるが,M. Levinsonはいみじくも次のように言っている。「“ロマンティック ・フラグメント”は悲劇的な完結性という隠されたコンテキストの中に位置付 23) けられているのである」と。レビンソンの断片論はコールリッジの思想的非完 結性を説明するものではないが,確かにコールリッジの世界は悲劇的とも言え る完結した世界,即ちユートピアとしてのみ存在し得る理想国家,への道程に あるといえる。 古代ユダヤの共和国を理想とするコールリッジの理想社会はユートピアと言 うには余りに現実的な状況に対応するものであるかもしれない。カトリック解 放令に反対するコールリッジにとっては,理想国家もその線上に在らねばなら ないのは当然であろう。「コールリッジはその『教会と国家』を1825年のカトリ 24)ック救済法提出の年に始め,29年の解放令通過後にそれを完成した」とJ.Mar− rowが指摘しているのは的確な指摘である。コールリッジは「キリスト延羽は 封建社会を土台として出来た当初から,完全に組織されていたとは言えないが, 一つの大きな有機体であって,一つの一様な精神がその構成員各自のうえに働 25) いていた」と言っているように,彼の頭のなかでは,歴史的にはキリスト教文 化圏が古代ユダヤ社会という有機的共和制社会を基本とし,イギリスの場合は 特に宗教改革によるイギリス國教会の樹立以後,1673年のテスト法と88年の名 誉革命によって完全にイギリス國教会による社会的統一が完成した後の安定を 前提としていることは彼自身の数々の言葉で明らかである。彼はその体制のな かに,古代ユダヤの国家を見ていたのであった。カトリック教徒がその体制の なかに入ってくることは全ての秩序を崩壊させることになると彼は信じていた。 23) Levinson, Marjorie: The Romantic Frngment Poem (University of N. Carolina Press, 1986) p.95 24) Marrow, John : Colen’dge’s Political Thought (Macmillan, 1990) p. 127 25) B. L. II. Ch. 16, p. 29
『教会と国家論』の第一章はあからさまな反ロマン・カトリシズを打ち出して いることから見ても,「激しいカトリック解放の議論を念頭においてコールリッ 26) ジがこの論:文を書き始めたとしても驚くには当たらないだろう」とJ.Colmer は書いている。「不可欠の条件,即ちcausa causarum et causatorumは全体の 27) 平穏である」と『教会と国家』に付けた第二部「カトリック法の正しい理解の 為に」の中で述べているのはこのことである。このようにして彼の理想国家の アイデアが『教会と国家』となって完成されて行く。 それは言わば彼の詩学と政治学との総合であり,「老水夫の物語り」や,その 他の彼の詩と同じくnatura naturansの世界なのである。それは決して完結し た世界ではなく,常に生成発展する原理を内に秘めている世界なのである。最 後にこの世界を見て結びとしよう。 コールリッジ全集第十巻『教会と国家論』の編纂i15 John Colmerはこの論文 について「生涯にわたる政治的,宗教的考察の簡潔にしてしかも輝かしい纏め 28) である」と言っている。確かに彼の政治的,宗教的そして文学的考察の纏めと してのBiogrmphia五舵π漉αに比べれば分量的にも三分の一程度でしかないが, 彼の最後を飾る傑作であることに間違いはない。 この論文の目的は一体何であったのか。今も述べたように,まず第一にはカ トリック解放に対する危機感と,現体制の建直しを目指したものと言わねばな らない。それは極めて現実的な社会的目的であり,社会的な問題提起である。 と同時に,Kelvin Everestが言うように,「ドイツ体験で感じた(疎外感の反動 としての)帰属意識憧憬,特にイングランドへの帰属意識憧1景となって現われ, イングランド社会によって与えられる様々な制限を改めて喜んで受け入れよう 29) とすることになった」という,個人的潜在意識の裏返しと見ることも出来る。 第二には,時代主調としての科学的合理主義,功利主義に根ざしたCivilization 26) Colrner, John:“Editor’s lntroduction” to On the Constitution of the Church and state以下C&Sと略記する(Cw. vol. 10)p. li 27) Second Part, C & S., p. 154 28) Colrner, J. : “Editor’s lntroduction” to C & S. p. xxxiii 29) Everest, Kelvin : Colen’dge’s Secret Minist2y (Harvester Press, 1979) p. 103
34 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) への反発と,Cultivationの復活を求めることである。 The Mechanics’Institu− tion(1824),Society for the Diffusion of Useful Knowledge(1825)の設立な どはその時代の特徴を反映するものであり,コールリッジの反発を招いていた。 「時代は趣味において不自然的,生活においては過自然的,哲学においては反 自然的要素に完全に取りつかれているから超自然的なものの余地は殆ど残され ていない………私の大いなる目的は超自然的なものに対する信仰を,ますます 30) 広めるために超自然的なものを主張することである」と書いているが言い換え れば「文明そのものはまさに混乱した代物であり,………国民は洗練されたと いうより粉飾された人々と呼ばれるのが相応しい。この国では文明は文化(cul− 31) tivation)に基づいていないのだ」ということを主張することである。しかしコ ールリッジは決して一元論者ではない。文明と文化との調和を求めねばならな いし,そのためには文明を正しい姿に戻すことが必要と考えた。第三には,混 乱した社会を統一し,調和を回復するために神学の重要性を訴えることであっ た。コールリッジにとって神学は決して聖書解釈や,神性の説明に留まるもの ではなかった。その言葉の中には「様々な言葉の解釈,過去の出来事の保存と 継承,民族や国家の重大な時期や革命,様々な記録の継続,等々,そして最後 に基本知識(the prima scientia)即ち哲学が含まれるのである………それによ ってのみ様々な知識や事柄が生きた知識の樹として包括的に,かつ生成するも 32) のとして理解されるのである」とコールリッジは言う。この事はパンティソク ラシーの時代から既に彼のなかに芽生えていたものであり,それは彼が常に見 33) ていた父の生きざまに凝集していたものでもあった。 第一の社会的,現実的姿勢は,勿論それが少年時代より,父がヘブライ語で 説教をしたりするのを見ていた詩人がユダヤの社会に関心を持ち,一人の神を 中心に建設されていた安定した共和社会を夢見ていたことと繋がり,パンティ 30) Blackwoods XI Jan. 1822, p.6 (see C & S. p.44 note 2) 31) C & S. Ch. V, p,42 32) C& S. Ch. V, p. 47 33)“Editor’s Introduction”to C&S. p. xli,及びLay sermons Introduction, p. xxxii−iii 参照
ソクラシーの夢を経て,ここに至ったという点で,太い絆となっている。レビ はやがてパンティソクラシーでは限られたメンバーに姿を変え,The Watch− manでは真理を知り得る全ての人となり,次第に再び限られた人々に全てを託
34) 35)
すと変遷はするが,帝国のなかの帝国(翻ρ副襯in imPerio)を排除する姿 勢を導くもとになったことは無視できない。その閉ざされた庭園としての世界 は,“Kubla Khan”や“Ancient Mriner”の世界と決して無縁ではない。 第二の主調は極めて多岐にわたって彼の詩学と関連する。ここで求められた のは想像力の復活であった。勿論コールリッジの場合,「調停役としての想像力 は(歳を取ると共に)後退し,真理へ直接繋がる力としての理性が大きく注目 36) を浴びてくる」と考えるJ.Shawcrossの後を受けて, Ben Knightも同様の主 37) 張をするが,私は必ずしもそれに同調するものではない。むしろ厳密には同じ ものではないとしても,基本的には想像力として理解して間違いではないと考 える。例えば,クレリシーはパンティソクラシーの「少数の解放された人々」 であり,「解放された」ということは,「肉眼の専制」から解放されたことであ って,natura naturansを認識し得ることであり,それは即ち想像力を身につけ たことを意味するのであった。それは全てを統一し,調和させ,自らのなかに 成長の原理を秘めた自然を見詰める力なのである。「私のシステムは全ての知識 38) を調和の状態に纏めようとすることだ」と彼が言うとき,それは想像力の働き を原理とすると考えて何ら差し支えばない。そして「全ての調和は安定との関 39) わり,即ち,相対的安定の上に成り立つ」と言い,続けて「国家の場合,クレ 40) リシーがいなければ調和は存在し得ない」と言うとき,クレリシーは単に全て 34)Lectures.1795, p.218「けれども深く原理を植え付けられた少数者が,やがては全体と なってゆく」 35) C& S. Part II p. 149 36) J.Shawcross:Introduction to B. L. ed. by J. Shawcross (Oxford U. P. 1907) p. lxxxiii 37) Knight, Ben: The ldea of the Clen’sy in the AJineteenth Centui3, (Cambridge U. P. 1978) p.54 38) Table Talle II, (CW. vol. 14) p. 147 39) Table Talle 1, (CW. vol. 14) p. 284 40) Table Ta lle 1, (CW. vol. 14) p. 28536 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) の知識を身につけた人であるばかりでなく,それによって想像力を働かすこと を得る人であることが判るだろう。詩心が認識するnatura naturansは,例え ば,“Kubla Khan”の世界であり,老水夫の物語であるが,クレリシーの描く natura・naturansは『教会と国家』に描かれる世界なのである。このように考え てくると,コールリッジが「私は現在,国家教会(National Chuch)がどのよ うなものであるかを説明しようとしているのでなければ,それがどのようなも のでなければならないかを決定しようとしているのでもない。私の発言はその 根本的な目的と,究極の目標から引き出されてくるアイデアのみに関わってい 41) るのである」と言う言葉も容易に理解されるだろう。彼はここで彼の理想郷の 42) 具体的な青写真を描いているのではない,彼が描いているのはアイデアであり, 現実の形象を示す概念ではないのである。彼は理想国家の原理,それは解放さ れた人間の姿でもあるのだが,を想像力を使って描こうとしている。言い換え れば,彼の描く理想国家は上にも述べたように,natura naturansなのであり, 固定した状態なのではなく,それ自体生成,発展する状況なのである。コール リッジの使うアイデアという言葉は「意味論的生命体」(aliving semantic 43) embodiment)だとS. Prickettは言うが,誠に当を得た表現だと思う。 コールリッジが『教会と国家』の冒頭で記している言葉,「アイデアという言 葉で私は,何時かひょっとすれば実在するかもしれない,なにか特定の状態, 形態,あるいは,様態から抽象されるような,あるいは,幾つかの,あるいは 連続した,そのような形態や様態から一般化されるような,ものの概念を意味 しているのではなく,その究極の目標を知ることによって与えられるようなも 44) の,そのようなものの内容を意味しているのである。」は,実に明確に,コール 41) C&S. Ch. X p. 83 cf Ch. VI p. 57 42)John Morrow:op. cit. p.131「アイデアの本質は,そのアイデアによって自分の行動に 影響を受けるような人々に与える,その効果に依存しているのであって,そのアイデアが 客観世界の形を取って表すものによるのではない」と言う彼の説明は有効である 43) Prickett, Stephen : “Coleridge and the ldea of the Clerisy” in Reading Colen’dge ed. W, B. Crawford (Cornell U. P. 1979) p. 267 44) C&S. Ch. 1, p. 12
S. T.コールリッジ論 リッジが営々と積み重ねてきた巨大な政治体系に似たものが,実は彼の詩と同 じ次元の物であったことを示してくれているのである。 彼の築きあげてきた世界,それはアイデアの世界,言い換えれば,象徴の世 界,でもあったのだ。彼は言葉を独特の機能で使っている。彼の言語論は別の 機会に譲として,この小論は彼の詩学と政治学とが一つの物であることを,『教 会と国家』に至までの彼の足跡を辿ることによって考察した。 以上