436 説 苑 〔東女医大誌 第63巻 臨時増刊号頁 436∼439 平成5年10月〕
こどもの姿勢とからだの動き
東京都臨床医学総合研究所 スズ キ ヨシ ユキ鈴 木 義 之
(受付 平成5年6月30日) 乳幼児の運動機能の獲得 誤解を避けるために最初におことわりしておく が,このタイトルでこれから述べようとするのは, 小学生の側轡や姿勢の悪さ,あるいは肥満にから む運動量の問題など,社会的あるいは整形外科的 問題ではなく,小児を中心とした臨床生理学的な 側面である. いうまでもなく,ヒトの個体は,生下時には極 めて限られた運動機能を持つにすぎない.いわゆ る随意運動(あるいは意志による運動)と考えら れる動きは極めて少なく,一見無目的な動ぎが多 い.それが次第に一定の方向性を持った運動発達 の結果として,生後数年以内には成熟した運動機 能を獲得することになる.その詳細は,どの小児 科教科書を見ても記載されていることであるし, 小児科医にとって最も重要な常識である.いまさ らここで述べるまでもない. 私は,しぼらく前にこの動きのもとになる臨床 生理学的現象,特に原始反射あるいは姿勢反射と 呼ばれる現象に興味を持ち,系統的な分析を行っ たことがある.その成果は幾つかの論文としてま とめており,ここで繰り返すことはしない.それ 以後いろいろな運動障害をもつ小児,あるいは一 応機能的には正常を考えてよい我々成人のとる日 常的な行動・姿勢の中に,乳児期に見られる幾つ かの反応が残っていることを観察してぎた. 姿勢の制御機構の解析 新生児や幼若乳児のように,一般的な意味での 随意運動が少ない時期でも,その動きをよく見て いると,そこに一定の規則が存在することが分る. 今世紀はじめ,イギリスのSherringtonは,イヌ の脳幹部を実験的に切断すると,四肢の筋トーヌ スが上昇し(除脳硬直),その分布に著しい異常が おこること,しかもそれが重力の方向と体軸の関 係や,頭部と脊柱の関係(屈伸,回転)などによ り規則的に変化することを観察した.この研究は 後に「神経細胞の機能に関する研究」としてノー ベル医学生理学賞として報いられることになった (1932年). このデータは,ヒトの個体発生の途中,中枢神 経系が未熟な段階でも似た現象が見られるという ことから,いち早くドイツのMagnusにより乳幼 児の神経学的検査に応用され,結局,発達診断学 の基礎をなす,極めて重要な研究として発表され た.それは,乳幼児の姿勢反射という概念を作り 出し,それぞれの反射が,上述のイヌの除脳硬直 による特殊な反応に対応するものとして整理され た. この系統的分析の他に,ヒトの乳児の観察から, 特定の時;期に珍しい運動・姿勢の反応が見られる という報告が相次いだ.その中で最も有名なのが, Moro(1918)の上肢内転屈曲反応(いわゆるMoro 反射)め記載である.これは発達初期における乳 児行動の一般的な記載の中の1つとしてあげられ たものである.この論文の中で,ヒト乳児のこの 動きは,サル新生児が,母親のからだに抱きつく Yoshiyuki SUZUK:1〔Tokyo Metropolitan Institute of Medical Science〕:Posture and Infantile Move・ ments in Children 一E436一437 姿勢と同じであるとして,両者の線画がならべて 書いてある.私はこのオリジナルの絵を,小児科 講義の際に,スライドとしてよく使うが,子猿が 隠し絵のように描かれているため,その類似点を 正確に指摘する学生は極めて少ない. 原始反射と姿勢反射 原始反射というのは,個体発生の初期,つまり まだ中枢神経系の高次機能が発現していない時期 に,一過性に出現する反射・反応をまとめて呼ぶ 言葉であり,姿勢反射とは姿勢の制御にかかわる と考えられる反射群のことである.従って,この 両者の概念は,本来,まったく異なるが,実際に はその内容にかなりの重複がある.また反射と反 応という2つの言葉の意味もあいまいであり,厳 密に使い分けているわけではない.刺激とその結 果生じた特定の運動効果との関係が比較的単純な 場合に,反射という言葉を使い,多くのシナプス を介した多少複雑な経路の刺激伝達の結果として の運動効果を反応と呼ぶ傾向がある.しかし実際 にはどちらの用語をも使う場合がある.たとえぽ パラシュート反射・パラシュート反応など. なお,最近,わが国では,Vojtaによる検査法が 一般の発達スクリーニングの目的に広く用いられ ているが,本質的には今世紀はじめに確立された 臨床生理学的反応を,よりわかりやすい形で修飾 した方法にすぎない. 乳児の姿勢・運動発達と原始・姿勢反射 詳細は省略するが,筆者の検査バッテリーの項 目のみに限って考えてみると,頸反射の消失とと もに頸がすわり,頸の立ち直り反射が出現し,寝 返りに移行し,周囲のものに片手をさし出して握 るようになる.一段上の,迷路性起立反射の確立 は,おすわり・起立など,体幹部を重力に平行に 支えるための前提条件となる.反射機能の消長と, 姿勢・運動発達の間には,明らかに時間的関係が あるが,その因果関係を論ずることはここではさ し控えたい. 運動障害と原始・姿勢反射 運動障害といっても,いろいろなレベルの病態 がある.中枢神経系については脳性まひが代表的 な小児期の運動障害症候群であるが,錐体路系の 運動障害(痙直)と錐体外路系の運動障害(強剛・ アテトーゼ)との間には明らかに反応性の違いが ある.一般に錐体外路病変が,より強い運動障害 をおこす.これは第1に起立反射の欠如,つまり 重力に抗して体幹部を垂直に支える機能が失われ ていること,第2に頸反射の異常充進・持続,つ まり頭部と体幹部のねじれや屈伸が四肢のトーヌ スの変化を強く誘発すること,という事実により 説明可能である.実際,機能訓練は,この本質的 な異常を人工的に修飾するための努力であると筆 者は理解している. 以前,3歳ぐらいの女児の脊髄性麻痺例を経験 したことがある.病変は先天性の脊髄血管腫であ り,両下肢は完全に麻痺し,まったく動かすこと ができず,知覚も失われていた.ところが一側足 底を針で軽く刺激してみたところ,勢いよく下肢 を股関節と膝関節で屈曲したのを見て,非常に強 い印象を受けた.下肢の逃避反射がまさに脊髄反 射であることを知ることができた. 正常小児・成人に見る原始反射の名残り 我々の行動というのは,それぞれの部分の,一 ,見ばらばらな動きと,それを全体として統合する 機能とのかねあいからなっている.これを対称性, あるいは右と左という観点から眺めた場合,最も 重要なのが,頭部と体幹部との軸の関係である. 乳児早期,特に生後2ヵ月頃までは,かなりの個 人差はあるものの,頭部の前屈・背屈により,そ れぞれ両側上肢の対称性屈曲・伸展ならびに両足 下肢の伸展・屈曲をおこす(対称性頸反射). これは一般にあまり注目されていな:いが,案外 身近なところで観察することができるものであ る.我々が深呼吸するとき,両手を伸ばし外転す るのが普通である.腕を曲げたままでは深呼吸に ならない.また,講義中,学生が机につっぷして 昼寝をしていることがある.必ず腕は曲げて顔の 下か,自分の頭の前方においている.決して上肢 を伸展したまま眠らない.原始反射の講義中にこ のような姿勢を見ると,他の学生に,これが典型 的な対称性頸反射の姿勢であると説明することに している.ただし,たいていの場合,本人が気が ついて起き上がるか,姿勢を崩してしまう.いっ 一E437一
438 もこのような場合,学生の注意を十分に引ぎつけ ておくことができなかったという意味で,教師で ある自分に責任があると反省するのであるが. これに対し,よく知られているのは非対称性の 頸反射である.古来,日本では弓術で矢を射ると きの姿勢,西洋ではフェンシング競技の試合の際 の姿勢と表現されている.注意してみると,スポー ツは何でも,特に一流の選手の動きは,きれいに 理にかなった(いいかえれば臨床生理学的に無理 のない)姿勢の連続である.やはり,大脳皮質が 十分にはたらいているときよりも,多くの練習・ 訓練の結果として,理屈ぬきに身体が動いてしま う状態になっているとき,あるいは少し眠気のあ るときなどに,遠い昔,生まれたぽかりの時期の 身体の記憶がよみがえってくるのであろう. やはり講義中,飽きてきた学生が,頬杖をつい ていることがある.右手で支えるのは野僧(右下 額)であり,左側ではない.右手で顔面左を支え て頬杖をつくことはない.いけない理由はないと 思うが,少なくとも私が自分でやってみようとす ると,何か不自然である.それが原始反射の名残 であると私は解釈している. もう1つの例をあげる.20年ほど前,「おそ松く ん」という漫画キャラクターが流行したが,彼の 驚きの表現「シェー」の姿勢は,まさに対称性ま たは非対称搾出反射である.やはり講義の中で, ヒトの未熟児の姿勢のスライド供覧の間に,この 漫画絵をいれておくと,学生は突然笑い出すが, 理解はしてくれるようである.もっとも後になっ て,その漫画がでてきたということしか記憶に残 らないのかもしれないが.時には我が家に同居し ていた体重7kgの白ネコのさまざまな姿勢が登場 することもある. ここでは頸反射の例をとって,身近な出来事, 観察を述べてみた.こういう姿勢や動きはこの反 射に限ったことではない.ヒトを含め,動物の動 きというのは,おもしろいものである.長時間の 退屈な会議の際,あるいは電車の中でのひまつぶ. しなどには,格好の興味ある生態学的研究テーマ となるであろう. おわりに 私が運動学を志したのは大分以前のことであ り,最近は生化学,さらに分子遺伝学が実際の研 究テーマ・手段となってきた.しかし,東大小児 科外来で,文字通り毎日,脳性まひ患者を観察し, 他方乳児検診では,こどもの身体を引っぱったり 伸ばしたり曲げたりすることに明け暮れていた時 代がなつかしい.その時代以後,上に触れたよう に,いろいろな発達検査法が工夫され,検査精度 はあがったのであろうが,私自身は,ある時期か ら,このような特殊な発達診断法や反射検査法が なくても,こどもの自然の状態をだまって眺めて いるだけで,大部分の情報は得られるのではない かと思うようになってきた. それは近年の,他の領域も含めた臨床検査の著 しい発達とともに,病気をもって病院を訪れ,入 ・干するこども達に対し,病歴をとり,きちんとし た理学的身体所見をとるという臨床医学の基本を とぼして,いきなり高度な検査からはじめるとい う傾向に対する憂いというような気持ちと通じる のかも知れない. それはともかく,特定のテーマを与えられずに, 医学雑誌の特集号に寄稿するという機会は滅多に ないので,このように,思いつくままに書いてみ た.くり返すが,現在では,私の関心は個体から 細胞を通りこして,もう一段下のレベルの,分子 (特に遺伝子・蛋白質)の機能と病態まですすんで きた.遺伝子あるいは蛋白質情報が,いかに運動 という現象に反映されるかという,いわばmiss− ing linkを求めることを分析のターゲットとする ことを念頭において,仕事を続けているところで ある. この分野,すなわち一般臨床小児神経学,運動 発達学,反射学などに対する私の関心を引き出し ていただいたのは,当時東大小児科外来医長であ られた福山幸夫教授である.入局以来,神経班に いれていただき,週2回の神経外来,週1回の抄 読会(勉強会)・脳波検討会,そして神経班回診な ど,あらゆる場面で実際に手をとって教えていた だいた.さらに,症例や臨床分析データの学会報 告,論文作成にあたっては,徹底的に文章をなお 一E438一
439 していただいたことが忘れられない.そしてまた, 短期問ではあったが,東京女子医大でさらに親し く教えを受けることができた.そのすべてが,現 在までの私の考え方や物事の処理の基本となって おり,その結果,何とか仕事をし,多少の研究成 果をあげることもできたと思.っている. ここに簡単に述べた臨床生理学的分析の内容 は,私の学位論文としてまとめることができた. それが,以後の私の臨床小児神経学を考える際の 基本的発想のもととなった.本当に文字通りの恩 師である福山幸夫先生に改めてお礼を申しあげる とともに,御退職後もこれまでどおり,世界の小 児神経学をリードし,指導していただくことを期 待し希望してやまない. 参考文献 1)鈴木義之:小児期における姿勢反射の研究1.正常 乳幼児の姿勢反射について.日小児会誌 70: 244−250, 1966 2)鈴木義之:小児期における姿勢反射の研究2.脳性 小児麻痺患児の姿勢反射について.日小児会誌 70:251−261, 1966 3)鈴木義之:脳性小児麻痺の原因と診断.小児科 8:331−338, 1967 4)鈴木義之:新生児の体姿と原始反射.小児診療 30:1611−1620, 1967 5)鈴木義之:正常運動発達から見た脳性麻痺の運動 障害.理学療法と作業療法 6:375−386,1972 一E439一