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77 中国失業保障の法的構造とその限界に関する研究 御手洗大輔 * Study on the legal structure of China Unemployment Security and its legal limit Mitarai Daisuke 要旨 キーワード : 社会

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著者

御手洗 大輔

雑誌名

東北アジア研究

17

ページ

77-108

発行年

2013-02-15

URL

http://hdl.handle.net/10097/55417

(2)

要旨 中華人民共和国社会保険法は、その 1 条で、「公民」を権利主体として規定した。しかし、失業保険に ついては、その 44 条で、「職工(職員労働者)」を権利主体として規定している。1 つの法の中で、なぜ、 同一の権利主体概念を規定できなかったのか。この問いの背景には、そもそも中国法が規定する失業者 とは誰なのか。ひいては、失業者と相対する労働者とは誰なのかという、これまで自明のこととされて きた共通認識に対する疑問がある。本稿は、この問いに対して中国失業保障の法的構造およびその限界 の分析を通して答える。まず、失業者とは誰かという疑問について、現代中国の失業保障の歴史および 先行研究を整理し、失業保障法制の分析を通して、失業者概念の変遷を明らかにする。次に、労働者と は誰かという疑問について、現代中国の労働契約の歴史を整理し、労働契約法制の分析を通して、「労働 契約法」を再評価し、労働者概念の変遷を明らかにする。以上の分析を通して、権利主体論から、同一 の権利主体概念を規定できなかった理由は、失業者概念と労働者概念の間に矛盾が生じたからである、 との回答を提示する。

中国失業保障の法的構造とその限界に関する研究

御手洗 大輔 *

Study on the legal structure of China Unemployment Security and its legal limit

Mitarai Daisuke

キーワード:社会保障、失業者、労働者、権利主体、労働契約、中国法 Keywords:socialsecurity,unemployedperson,laborer,subjectofright,employmentcontract, PRClaw 目次 1. はじめに  1.1. 理論研究の対象としての「社会保険法」  1.2. 「社会保険法」の意義と仮説の整合性  1.3. 「社会保険法」の内容と本稿の提題についての補足  1.4. 現代中国法研究上の意義、本稿の課題と構成 2. 現代中国の失業保障の歴史  2.1. 社会保障法制を把握するポイント  2.2. 「労働保険条例」の位置づけ  2.3. 「2 つの社会保障制度」論と先行研究の整理  2.4. 小括と今日的課題 *早稲田大学法学学術院比較法研究所

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3. 失業保障の法的構造について  3.1. 現代中国法における失業保障法制の変遷  3.2. 労働保険から待業保険への変遷  3.3. 失業保険から社会保険への変遷  3.4. 小括とその歴史的整合性 4. 現代中国の失業保障の限界性  4.1. 労働者像の基盤――労働契約制度  4.2. 労働契約制度がもつ効果  4.3. 「労働契約制度」に対する再評価 5. おわりに

1.はじめに

1.1. 理論研究の対象としての「社会保険法」 中華人民共和国社会保険法(以下、「社会保険法」と略記する)は、2010 年 10 月に、第 11 期 全国人大常務会が採択し、同日に公布した法律である。たとえば、外国企業にとって、「社会保 険法」の公布は、中国各地で不統一な料率や保険料の納付方法等についての再確認を迫られ、間 接的には、今後の経営戦略の再検討が求められた。また、中国において就業する外国人すなわち 外国人就業者に対する保険加入が強制された(注 1)。このように、「社会保険法」は、今後、更 なる負担を要求する法律であるにもかかわらず、その関心は低い。それは、なぜか。この問いに 答えるとすれば、中国の「物権法」、「労働契約法」、あるいは、労働争議調停仲裁法(以下、「労 働争議法」と略記する)が公布された時と比べるとよい。 表1 各法律の制定機関、公布日時、および対象 法令名 公布機関 公布日時 規定する対象 「物権法」 全国人大 2007 年 3 月 所有制度 「労働契約法」 全国人大常務会 2007 年 6 月 就労制度 「労働争議法」 全国人大常務会 2007 年 12 月 紛争処理制度 「社会保険法」 全国人大常務会 2010 年 10 月 社会保障制度 まず「物権法」は、市場原理を導入することにともない、これまでの所有制度が整合し難く なったことを受けて、今後の中国社会の在り方を見越して、その所有制度を見直したものである。 「物権法」1 条は、「国家の基本的な経済制度を維持し、社会主義市場経済秩序を維持し、物の帰 属を明確にし、物の効用を発揮して、権利者の物権を保護するために、憲法に基づき、本法を制 定する。」と規定した。「物権法」は、社会・経済を支える基盤である所有構造を、公にしたので

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ある。一方、外国側の関心からすれば、「物権法」の分析を通して、純粋にビジネスの問題のほか、 今後の中国経済のゆくえを見極められるのではないか、という推測あるいは期待から、関心が高 かった。 次に、「労働契約法」や「労働争議法」は、市場原理の導入にともない、これまでの労働者優 位の労使関係が修正され、労使のパワーバランスが崩れたことを受けて、中央政府が強制的に介 入したものであった。「労働契約法」1 条は、「労働契約制度を徹底し、労働契約の双方の当事者 の権利および義務を明確にし、労働者の合法な権利利益を保護し、調和がとれて安定的な労使関 係を構築し、発展するために、本法を制定する。」と規定した。また、「労働争議法」1 条は、「労 働争議を公正かつ迅速に解決し、当事者の合法な権利利益を保護し、労使関係の調和と安定を促 進するために、本法を制定する。」と規定した。「労働契約法」は、労使関係を支える基盤である 労働契約制度および労働者の権利を、いってみれば、就労制度を、公にした。そして、「労働争 議法」は、労働争議の解決手段を、関連して言いかえれば、紛争処理制度を公にしたのである。 これらの立法については、これまでの労務管理、キャリア形成および経営戦略に、直接的かつ大 きな影響を及ぼすという警戒から、高い関心を持った、と言える。 それでは、なぜ、「社会保険法」に対して、その関心は低かったのであろうか。立法目的から その理由を考えてみることにしよう。 第一条 为了规范社会保险关系,维护公民参加社会保险和亨受社会保险待遇的合法权益,使公 民共亨发展成果,促进社会和谐稳定,根据宪法,制定本法。 第一条  社会保険関係を規律し、社会保険への参加および社会保険待遇の享受にかかわる公民 の合法な権利利益を維持し、公民に発展の成果を共有させ、社会の調和および安定を促 進するために、憲法に基づき、本法を制定する。 ここで明らかなように、「社会保険法」は、中国の社会保障制度を、公にしたものである。社 会保険関係とは、養老保険、医療保険、労災保険、失業保険、生育保険等を客体とする制度をい う。これらの社会保険関係は、公民が、老後、疾病、労災、失業、生育等の状況で、国家および 社会から物的支援を獲得する権利を保障する、とされる(同 2 条)。ちなみに、「社会保険法」の 付則において、都市へ出稼ぎに来る農村住民(「農民工」に代表される)、土地の収用により住み 慣れた土地を追い出された農村住民、および、外国人就業者は、社会保険に加入しなければなら ない、と規定した(同 95、96、97 条)。つまり、「社会保険法」は、中国の国内外を問わず、個々 人のキャリア設計(ひいては人生設計)に、大きな影響を及ぼす法律であり、すべての権利主体 (あるいは法主体)に影響する、と言える。この意味で、「社会保険法」は、個人の人たるに値す る生活の確保すなわち、社会・経済を支える生活構造を、公にしたものであった。 立法目的の基本は、その主体を「公民」としている。出稼ぎ農民、農村住民、外国人就業者は、 基本の主体に含まれず、例外的な扱いとしている。ここにいう「公民」は、市民ではなく、都市

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の住民に限定される、と言える。ゆえに、関心が高かった前述の諸法の場合と比べると、「社会 保険法」の影響は、限定的であるかにみえるから、我われの警戒心を煽るものとは分からない。 関心が低かった原因として、この点を指摘できよう。 しかしながら、少なくとも、理論研究の対象として「社会保険法」を考えてみると、この問題 は、非常に大きな意味をもつ。前述の諸法の場合と同等か、それ以上の警戒心を、我われは持つ 必要がある。第 1 に、それが、今後の中国社会のゆくえ(中国「公民」の生存構造)を見越した ものだからである。中国社会が、都市と農村という二元社会によって構成されていることは、広 く知られているところである。一見すると、「社会保険法」も、この文脈に沿っているように見 える。しかし、例外的な扱いとしてであれ農村の住民も客体として取り込んでいることから、 「社会保険法」が、都市と農村という二元社会の解消を意図している、と見ることもできる。こ れは、同時に、第 2 の点として、都市住民や農村住民として実質的に差別され、「公民」として、 形式的に平等とされてきた矛盾の解消を促すものになる、と期待できる。前述したように、ここ にいう「公民」は、市民でない。しかし、「社会保険法」の実施が呼び水となり、実質的な平等 が実現されることになれば、「公民」を市民と言えるようになろう(注 2)。そして、これが、第 3 の点として、中華人民共和国法(以下、現代中国法とする)の理論的基礎、とくに権利主体に ついての筆者の仮説にとって、大きな意味をもつことになる。筆者は、現代中国法の理論的基礎 は、人一般を前提とせず、労働者の権利を基礎にして構築されている、と考えている。この仮説 は、労働者という人一般にはない「身分制」的な特性に、その基礎を求めるものである。そのた めに、上記の第 1 および第 2 の点から敷衍して、「社会保険法」の規定する内容において、現代 中国法の理論的基礎の転換可能性を検証する必要がある。 1.2. 「社会保険法」の意義と仮説との整合性 ところで、中国国内における「社会保険法」の理論研究について触れておくと、それは、最近 のブームである社会主義法律体系なる概念との関係で、分析される。たとえば、「社会保険法」 は社会保障法制建設の一里塚であり、中国的特色をもつ社会主義法律体系の支柱作用を発揮する 重要な法律である[林・張 2011 : 1]、というようにである。この含意を説明しておくと、それは、 絵描きが絵を描くように、国家のあり方を素描するときは、まず、その憲法が、一国の構図を決 める。次に、民法や刑法、民訴や刑訴等が、一国の形をとる。そして、その後に、社会保障法が 色付けをして完成させることになる、という見立てがある。社会保障法は、国家のあり方を色付 けするものであり、公布された「社会保険法」は、国家のあり方を色付けするための基本を決定 する部分と位置づけられる。ゆえに、中国的特色をもつ社会主義法律体系の支柱作用を発揮する 重要な法律である、と評されるのである。 このように、「社会保険法」を、社会主義法律体系という枠組みの中で、国家のあり方を色付 けする法律として位置づけるのが、中国国内における理論研究の主流である。そのため、そこで は、日本の社会保障法学が、日本国憲法を頂点とする法体系の枠組みの中で、その位置づけを探

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求し、生存権を中心に分析するのと同じ傾向をもつ。中国の場合は、「社会保険法」の現行憲法 上の根拠規定についてみると、それを、現行「憲法」45 条 1 項に求めるのが、一般的である [林・張 2011 : 8]。ただし、日本と中国の法学において、同じ傾向をもつとはいえ、中国の場合、 その理論的基礎である身分制的な特性を等閑視できない、と筆者は考える。「憲法」45 条は、3 つの項から構成し、第 2 項で退役軍人やその遺族等の社会保障を、第 3 項で聾唖者を含む障害者 の労働、生活および教育に対する保障を規定する一方で、その第 1 項は公民を規定する。わざわ ざ第 2 項および第 3 項を設けていることから、第 1 項の公民を、働かない者を含むすべての人々 を指す、と解釈するには無理がある。たとえば、働く者を前提とする公民である、と解釈する方 が、整合的であろう。 第四十五条① 中华人民共和国公民在年老、疾病或者丧失劳动能力的情况下,有从国家和社会 获得物质帮助的权利。国家发展为公民享受这些权利所需要的社会保险、社会救济 和医疗卫生事业。 第四十五条①  公民は、老齢、疾病もしくは労働能力を喪失するとき、国家および社会から物 的支援を得る権利を有する。国家は、公民が、これらの権利を享受するために必 要な社会保険、社会救済および医療衛生事業を発展させる。 ところで、中国国内の理論研究においても、日本の議論と同様に、「法の下の平等」(日本国憲 法 14 条 1 項)の要請や「人間の尊厳」(同 13 条)といった別の規定に求める動きが現れてきた。 たとえば、04 年の憲法の一部改正によって、国家が経済発展水準に適応する完備した社会保障 制度を建設する(中国憲法 14 条 4 項)、と追記されたことから、当該条文を、「社会保険法」の 根拠規定として追加する見解[楊 2011 : 8]がある。 第十四条④ 国家建立健全同经济发展水平相适应的社会保障制度。 第 十四条④ 国家は、経済発展の水準に適応した健全な社会保障制度を確立する。 日本の議論と対照させて整理するならば、憲法 45 条に求める見解は、労働権を前提とするも のであるのに対して、憲法 14 条に求める見解は国家に対する当然の義務として位置づけており、 必ずしも労働権を前提とするものではない、と言える。しかしながら、前者(労働者を前提とす る議論)について見ると、日本の場合は、生存権の要請(憲法 25 条)、または、「法の下の平等」 の要請(憲法 14 条)を加味するか、あるいは、生存権の基盤を「人間の尊厳」(同 13 条)に求 める等して、保護すべき権利を、より抽象化させている。一方、中国の場合は、必ずしも抽象化 させてはいない。あくまで「国家および社会から(の)物的支援」にとどまる。 また、後者(国家の義務を前提とする議論)について見ると、日本の場合は、プログラム規定 説といった思考は存在するものの、それを政治的・道徳的義務を超えた国家の義務として明示す

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るものではない。一方、中国の場合は、それを、国家の義務として要求する。したがって、出現 する社会問題や現象が、日本と中国で同じであったとしても、「社会保険法」の内実をより慎重 な理論研究を経て、正確に認識する必要がある、と考える。 1.3. 「社会保険法」の内容と本稿の提題についての補足 各国の社会保障法制を比較しても、その構造は、多岐にわたる部門から構成されている。「社 会保険法」も、複数の部門から構成されているので、これを概括した後に、「社会保険法」研究 における本稿の位置づけを、明らかにしておく。 「社会保険法」がさだめる社会保険の種類は、5 つある。養老保険(同 10-22 条)、医療保険(同 23-32 条)、労災保険(同 33-43 条)、失業保険(同 44-52 条)および生育保険(同 53-56 条)であ る。また、「社会保険法」は、各種の保険費用の納付制度(同 57-63 条)、基金制度(64-71 条)、 保険機関(72-75 条)、監督制度(76-83 条)および法的責任(84-94 条)といった各種の保険を 支える関連規定も、規定している。日本の社会保障法制との比較で言えば、最低生活保障(また は生活保護)や社会福祉の制度を含めていない。これらの制度に該当する制度は、中国にも存在 する。「社会保険法」は、社会保障法制の全般を網羅しているわけではない。 表 2 中国社会保障法制(現行法)の概要 主な部門 主な根拠法令(条文) 公布日時 日本法の場合 養老保険 「社会保険法」(10-22 条) 2010 年 10 月 国民年金法 等 医療保険 「社会保険法」(23-32 条) 国民健康保険法 等 労災保険 「社会保険法」(33-43 条) 労働者災害補償保険法 失業保険 「社会保険法」(44-52 条) 雇用保険法 等 生育保険 「社会保険法」(53-56 条) − 最低生活保障 「最低生活保障条例」 1999 年 9 月 生活保護法 農村保護 「農村五保供養工作条例」 2006 年 1 月 − 都市保護 「流浪・物乞い救助管理弁法」 2003 年 6 月 − 救済寄贈等 「公益事業寄贈法」 「自然災害救助条例」 等 1999 年 6 月2010 年 7 月 恩給法 災害救助法 等 「社会保険法」の規定内容をみると、その内容は不明瞭で、判然としておらず、運用に携わる 側からみれば、どうすればよいのか理解できない部分が少なくない、と言われている。この点に ついては、第 1 ステップとして、「社会保険法」に関連する行政法規、部門規則を補充、修正す ることによって、社会保険業務において依るべき法が存在する状態を実現する。次に、第 2 ス テップとして、いくつかの個別具体的な単行法を、たとえば、養老保険法、医療保険法、労災保 険法等を立法する。そして、第 3 ステップとして、その内容が全面的で、理路整然とした社会保 険法典を制定する、という戦略が提案されている[林・張 2011 : 11-12]。この戦略については、

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タイムスケジュールが示されているわけではないので、現実の問題として、どこまで依拠できる かについては、未知数である。しかし、少なくとも、「社会保険法」が、これからの中国社会で 生活する個人の生存構造に関して、その青写真となるものである、とは言えよう。 ところで、「社会保険法」の内容が不明瞭であるとしても、それが青写真であるので、理論研 究の対象としては、5 つの部門すべてを分析するのが適当である。しかしながら、全面的に分析 することは、筆者の力量では現状、困難である。そのため、部門を限定して検討するほかない。 前述したように、筆者は、現代中国法が人一般の権利を前提とせず、労働者の権利を基礎に構築 してきた、との仮説をもつ。この仮説との関連で、分析対象を限定したい。 まず、筆者の仮説の根本を示しておくことにする。この仮説の根本は、歴代の中国憲法 1 条の 規定にある。これらを読み直してみると、「中華人民共和国は、労働者階級が指導」するという 文脈について、数度の憲法改正を経たにもかかわらず、普遍であることがわかる。ここにいう「労 働者階級」が、現代中国法の基盤となっている、と筆者は考える。先行研究によれば、この概念 について、現代中国法は定義してこなかった、とされる。たとえば、労働者階級を代表すると思 われる労働者概念は、94 年 7 月に制定した「労働法」が使用している。しかし、「労働法」も、 労働者の定義をしていなかった。そして、この点について、労働者の原型を、言語環境から分析 すると、90 年代初期の国有企業における職員労働者になる[周 2011 : 63]、という。「労働者階級」 であれ、「労働者」であれ、これらの概念は、歴代憲法の文脈において普遍であったのだから、 何らかの共通認識があったはずである。なお、これらの概念間の関係について、労働者階級に労 働者を組み込まない見解は、管見の限り存在しないし、字義上ありえない、と思われる。これが、 現代中国のあり方を素描する前提となる人間像として労働者を位置づけ、労働者の権利を基礎に 現代中国法は構築している、という仮説の根本である(注 3)。 次に、この仮説に基づけば、労働者の権利、すなわち「労働権を『社会保険法』がどのように 保護するか」という視点から、本稿の分析対象を限定し、そこから保護理論を探究できる。比較 の観点から、日本法における労働権の保護理論についてみておくと、それは、論者によって叙述 上の違いこそあれ、基本的には、生存権的基本権としての把握を前提にして、労働権を、就業機 会の提供、失業手当、および失業補てんに限る限定的労働権理念の実現に向けた国家の政策目標 であるとし、憲法 27 条 1 項をプログラム規定と解釈することで一致している[野村 1996 : 604-605]。確かに、70 年代半ばに、「人間の尊厳」論や「適職選択」権論の提唱等によって、理論的 に補強されてきた。しかし、基本的な理論枠組みは、揺れ動いていない[野村 1996 : 613-614]。 日本法の文脈における労働権は労働者が生存するために必要な諸権利である、と理解できるし、 その保護理論の根拠を憲法条文に求めている、と言える。 現代中国法における労働権について、歴代の「憲法」を改めて見てみると、「公民は、労働す る権利および義務を有」し(現行「憲法」42 条 1 項)、「労働者は、休息する権利を有する」、と 規定する(現行「憲法」43 条 1 項)。また、「労働法」3 条は、「労働者は、平等な就業と職業選 択の権利、労働報酬を取得する権利、休息休暇の権利、労働保護を獲得する権利、技能訓練を受

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ける権利、社会保険および福利を享受する権利、紛争処理を提起する権利、ならびに、法律が規 定するその他の労働にかかわる権利を享有する。」と規定している。そこで、前者(憲法条文に 基づく労働権)を狭義の労働権、後者(「労働法」に基づく労働権)を広義の労働権と位置づけ たうえで、狭義の労働権を就業権と同義であるとする見解[沈・楊 1999 : 1]がある。これは、 就業権を中心に据えて、労働者が、生存するために必要な諸権利を配置してゆく、という思考で ある。労働権の内容を、労働者の就業を中心に構成するかどうかは、分析する視点の問題にすぎ ないだろうが、日本法の文脈と現代中国法の文脈を比較して、労働者が生存するために必要な諸 権利を「労働権」として把握している、と言えるし、その保護理論の根拠を、憲法条文に求めて いる、と言える。 しかし、中国社会が、日本社会と現時点までに決定的に異なる点に注意すべきである。労働者 の生存に注目すると、次のことが分かる。第 1 に、労働者は、貨幣経済が浸透した社会で生存す るために、金銭を必要とする。中国社会に当てはめてみると、第 2 に、都市の住民、とくに労働 者は、金銭を生み出す生産手段を所有していない。なお、農村の住民、とくに農民については、 生産手段として、土地の請負経営権を享受している、とされる。労働者にとって必要な金銭は、 相続や寄付、詐欺、窃盗、横領、借金等によっても獲得できるが、通常、労働する見返り、すな わち、労働の対価として、金銭を獲得する。労働の対価について、さらに分析すると、第 3 に、 労働の対価としては、就労することによっても金銭を獲得できるが、持続的な獲得のためには、 就業(継続的な就労を指す)しなければならない。就労を基本とするか、または、就業を基本と するかは、その社会の環境要因によって、左右される(注 4)。所有観と対価観が特に重要である。 就業とは、被用者として、雇用者に雇われること、すなわち、雇用関係の締結を意味するので、 就業を基本とする場合、その労働権の保護は、雇用関係が前提となる(労使関係は雇用関係を前 提とする、といえる)。ゆえに、雇用関係から一時的に離脱することによる労働の対価(中国の 場合は、「労働報酬」が該当し、このほかに、各種の手当て項目がある)の喪失が、生活危険と なる。この生活危険は、人の生存にとって脅威である。また、雇用関係からの離脱は、失業を意 味する。ゆえに、人が失業して、生活危険に直面するときに、その労働権を保護するために、そ の賃金の補償、すなわち、失業給付が用意されなければならない。この失業給付を、雇用関係か らの賃金に代わるべき所得として与えることによって、労働者の生存を維持し、再雇用に不可欠 な労働能力を維持せざるを得ないものとして把握できる[清正 1986 : 327]。したがって、労働権 保護を実現するためには、失業に対する補償が不可欠である、と言える。改革開放政策を採用し、 国有企業改革が始まって、失業政策が事実として発生した中国社会では、就業から就労を基本と する社会への転換が求められ、この失業に対する全面的な補償が、必要とされるようになったと 評されている。しかし、この対価観の転換は未だ法的に論証できていない。 以上の検討から、本稿で分析する部門を、限定できる。本稿は、筆者の仮説との関連で、「社 会保険法」が規定する養老保険、医療保険、労災保険、失業保険、生育保険のうち、失業保険・ 失業給付の法的構造を分析する。しかしながら、「失業」を禁忌とした歴史を現代中国法はもつ。

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労働者概念と同様に、失業保険という字義上から、その内実を解明することができない。そこで、 雇用関係から離脱した労働者の生活危険に対する保護態様である失業保険だけでなく、労働者の 生活危険に対する保護態様まで拡げ、それらを補足するために、「失業保障」という枠組みの中 で分析することにしたい。なお、農村住民の生活危険に対する保護については筆者の仮説との関 係で、本稿においては、取り扱わないことにする。本稿の提題において、「中国失業保障」とい う耳慣れない表現を用いたのは、以上の理由による。 1.4. 現代中国法研究上の意義、本稿の課題と構成 現代中国法における労働者とは誰なのか。我われは、現代中国を社会主義国家であると認識し、 形式的にであれ、実質的にであれ、労働者が主人公の国家であることを前提にして、分析してき た。確かに、労働者とは、その字義上、働く人一般を、自明のものとして想定できよう。しかし、 日本の現代中国法研究における先行研究では、この基本的な問いに対して、今日まで十分に答え ていない。中国本土の先行研究においても、この問いに対して、十分に答えていると言い難いこ とは、すでに見たとおりである。 また、この問題が、さらに大きな問題に関連してゆくことを、我われは、期待できる。現代中 国法は、近代法の水準を超えているのかどうか、である。筆者の仮説に関連させて言えば、権利 主体論の問題となる。すなわち、法学一般の知見では、権利義務の主体として、自然人および法 人を前提とし、すべての自然人は、その出生から死亡に至るまで、完全な権利能力が、認められ る(例外的に、外国人の権利能力が制限されることはある)。少なくとも、すべての個人が、同 等の権利能力を基本的に持っている、という前提から条文を解釈できることが、近代法の水準を 超えたことになる。こうした議論の文脈において、「社会保険法」についての主流の見立ては、 例外的な取扱いであるとはいえ、農村住民や外国人就業者を、「社会保険法」の客体として取り 込むこととなった点を重視し、ゆくゆくは、農民や労働者といった「身分制」が瓦解して自然人 に、ひいては「市民」となるであろう、というものである。 こうした将来的な展望を分析の視野に入れつつ、これと密接にかかわるいま 1 つの大きな問題 として、同音異義的な現代中国法の理論を、正確に認識し、現代中国法の理論的転換と、その国 際的な統合可能性の問題を指摘できよう。この問題は、現代中国の(経済社会や政治社会のそれ と対照するところの)法社会のゆくえを見極めることになる。 この大きな 2 つの問題を考えるうえで、「社会保険法」とくに「中国失業保障」に、なぜ注目 するのか。この問いに答えるならば、それが労働者概念を反射的に解明することにつながるから、 である。失業というのは、いわば社会の落伍者になる契機である。これまでの中国社会は、この 落伍者グループを「単位(職場)」制度の中で保護してきた。しかし、市場経済の導入によって、 「単位」制度が瓦解し、保護しきれなくなり、等閑視することによる社会不安の高まりから、社 会の落伍者を、労働者のグループへと次第に組み込んでゆかざるをえなくなった。それゆえに、 中国失業保障に注目することによって、現代中国法における労働者像と失業者像を明らかにでき

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る、と言える。これが、現代中国法の研究上重要な意義をもつことについては、繰り返さない。 以上要するに、本稿の課題は、中国失業保障の法的構造とくにその権利主体論に当たる部分を 明らかにし、この文脈から「社会保険法」を分析し、その限界を探究することである。この課題 を解決するために、本稿を、次のように構成する。まず、2. において、中国失業保障の歴史を整 理して、「社会保険法」の歴史的整合性を分析する。そこでは、失業保障法制の変遷を整理した のちに、日本における先行研究および日本法の理論研究を参照しつつ、一部で批判されている「2 つの社会保障制度」論についても、あわせて検討する。この検討は、現代中国の社会保障法制に 関する研究ひいては現代中国法研究の今日的課題を明らかにすることになろう(注 5)。そして、 3. において、この歴史的整合性の分析を基にして、失業保障の法的構造について、失業者像の変 遷から明らかにする。 次に、4. において、その変容の限界を分析する。限界の分析は、一般に、その論理的整合性を 分析することで可能となる。失業者は、労働者と表裏一体のものであると関係づけられるので、 失業者像の変遷と労働者像の変遷とを対照することによって、その論理的整合性を分析できる。 そこで、労働権の主体である労働者像の変遷を整理したうえで、社会主義中国における労働者像 の通底にある論理を、身分制的な要素に注目して、明らかにする。この結果、我われは、「労働 契約法」の公布が、現代中国法の通底にある論理に、大きな衝撃を与えていることを、新しく知 ることになると同時に、両者の整合性が失われ始めた契機を確かめることとなる。 最後に、5. において、中国失業保障法制の歴史的・論理的整合性の論証結果から、筆者の仮説 の整合性を検証し、本稿で扱った論考の広がりを示しておくことにする。

2. 現代中国の失業保障の歴史

2.1. 社会保障法制を把握するポイント 社会保障法制の変遷を見ると、多くの見解が、80 年代後半すなわち国営企業改革の時期から 整理を始める。なぜ、建国の時期から整理しないのであろうか。この問いに答えるとすれば、「社 会主義イデオロギー」によって失業概念そのものが禁忌であったから、であろう。つまり、この イデオロギーの影響によって、建国初期に存在した失業保障法制を、旧社会の遺産である失業問 題を解決するための再就業支援の政策・制度にすぎないとして、例外的なものと位置づけたから である。そこでは、現実の社会問題としての失業を、失業給付による法的な救済として理解しな かった。失業は、資本主義制度特有の産物であり、社会主義国家に失業問題は存在しないと理論 的に認めたために失業保険の項目が設定されなかった[王 2008 : 106]、というわけである。 この「失業は資本主義社会に特有の産物である」という論理は、確かに、社会保障法制の周辺 に位置づけられる法令との整合性を確保する。たとえば、69 年 2 月に、財務部が公布した「国 営企業財務業務における若干の制度に関する改革意見(草案)」を見てみよう。同意見は、保険 費を国営企業に負担させて、職員労働者に負担させず、社会保険から企業保険へと労働保険の位

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置づけを実質的に転換させたものである。社会主義社会に、失業は存在しないので、失業保険は 不要である。また、社会保険というのも、社会の基盤を担う企業による保険であることが望まし い、とされたわけである。 しかし、いったん企業保険へと位置づけられた労働保険が、80 年代後半以降に、国営企業改 革(後の国有企業改革)のための社会保険立法として復活した。それは、事実として存在する失 業を、企業が救済するものと考えられたからである。そして、その後、これを企業保険から社会 保険として再評価することとなった。憲法改正によって追記された 14 条 4 項によって、労働保 険を企業保険として位置づける論理は、完全に放棄された。ゆえに、社会保険立法は、04 年以 降に国家の基本的な社会政策へと変遷してきた[林・張 2011 : 2-4]、と理解されるのである。 なお、上原のように、「社会主義国家に失業問題は存在しない」という論理を、懐疑的に使用 して、「失業のない社会」の現実は、雇用過剰状態が現れると、真っ先に切り捨てられた都市に 流入する農民および都市の知識青年の犠牲の上に構築された虚構だった、とする先行研究がある [上原 2009 : 115]。そうすると、そこでは失業保障法制が表舞台からは姿を消したかもしれないが、 脈々と存在していたことになる。 ところで、「社会主義イデオロギー」から整理しない見解も、若干、存在する。たとえば、現 代の社会保障制度が、工業化ないし都市化の産物であり、労働運動の中で生まれた労働者保護の 制度が前提である、とする見解がある。この見解によれば、建国以前の革命根拠地の労働保障制 度を、広い意味での革命根拠地の労農保障制度と定義し、中国の社会保障法制を、その後の計画 経済期の社会保障制度、および、市場経済移行期の社会保障制度という 3 つに分けて整理する[張 2001 : 8-9]。しかし、労働運動そのものが、生きた人間集団の欲求群が結びつくものだから、そ こでは、実現不可能な要求も当然に生じよう。さらに、欲求群同士が対立し、多数派による支持 がすべてを決定する場合があっただろうことも、容易に想定できる。そのため、労働運動よりも さらに具体化した要素を基にしてその整合性を分析すべきである、と筆者は考える。 以上から、「社会主義イデオロギー」に影響されるか否かが、社会保障法制を把握し、その変 遷を整理するうえでポイントになっている、と言える。これを、法学的視点から見ると、51 年 に公布された「労働保険条例」を、社会保障法制の変遷に取り込んで整理するか否かをポイント としている、と言える。「社会主義イデオロギー」を重視する先行研究は、「労働保険条例」を取 り込まない。一方、他の分析視点ないし論理を前提とする先行研究は、これを取り込んでいるの である。 2.2. 「労働保険条例」の位置づけ この「労働保険条例」は、国務院の前身である政務院が、51 年 2 月に、公布した法令である。 同条例を公布する前年に、人力資源社会保障部の前身である労働部が、失業労働者救済暫定弁法 (以下「暫定弁法」とする)を公布したので、あわせて検討しておきたい。「暫定弁法」1 条は、「失 業工人(労働者)の生活上の困難を軽減し、その就業、または、転職を支援する観点から見て、

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本弁法を、とくに制定する。」と規定した。その一方で、「労働保険条例」1 条は、「雇用労働者 の健康を保護し、その生活中の特殊な困難を軽減するために、とくに現在の経済条件に基づき、 本条例を制定する。」と規定した。 両者の立法目的を比べると、社会主義イデオロギーの影響があったとしても、わずか 1 年足ら ずの間に失業問題が解決し、失業の救済が不要となったために、労働保険から失業保険の項目が 削除されたと解釈するのは現実的でない、と考える。そのため、筆者は、この間に、雇用関係の 有無という、さらに基本的な論理によって、その適用対象および審査の基準を修正した、という 解釈を加味したい。 具体的に言えば、「暫定弁法」は、その適用対象として、国営および私営の商工業企業、なら びに、港湾運送事業に就労する労働者職員、文化、技術、教育事業に従事する就労者で、解放後 に失業し、現時点で無職か、または、その他の収入がない者(同 3 条)と規定した。その一方で、 「労働保険条例」は、雇用労働者および職員(同 5 条)と規定するだけである。この修正は、先 行研究が指摘するように、確かに、社会主義に失業は存在しないという論理に基づく一面が認め られる(注 6)。とはいえ、雇用関係の有無によって適用対象を区分する、という論理に基づく 一面もないとは言えないからである。 そもそも、社会保障とは Social security に対応する邦訳である。しかし、社会保障に、何を含 めて考えるかについては、各国共通の理解が必ずしもあるわけではない。国際的には、社会的保 護すなわち Social protection という概念が用いられることもある[加藤・他(編)2009 : 4]。周知 のように、「貧困」の克服が、重要な課題として社会保障の中に普遍的に存在してきたし、生活 の保障がその中心となる。そのために、社会保障の法主体や法理念を論じるときに、想定される べき人間像は、現実具体的な個人であると捉えられる[加藤・他(編)2009 : 65]。現実具体的な 個人で捉えると、「労働保険条例」は、雇用関係から離脱した労働者の生活危険を想定したもの である、と言える。したがって、「労働保険条例」を、社会保障法制の変遷に取り込まないわけ にはゆかないし、失業保障法制の変遷を整理するプロセスにおいても、当然に、「労働保険条例」 を取り込んで分析すべきである。 2.3. 「2 つの社会保障制度」論と先行研究の整理 失業保障法制という括りで見るとき、そこでは、改革開放政策を導入する以前の計画経済期の それと、導入後のそれとを同一視して分析することになる。そして計画経済期の「社会保障」を、 社会保障と呼んで整理する先行研究も少なからず存在する。そうすると、計画経済期の「社会保 障」を社会保障と呼ぶべきでないとする理解から、質的に異なる 2 つの制度を同一視することを 問題視する見解が注目されることになる。このような見解からは、質的に異なる制度の同一視に よって、現在の中国社会保障・保険の議論が混乱している[櫻井 2011・33]、と批判せざるを得 ないから、である。 改革開放政策を導入した後の社会保障制度のみを対象とする先行研究は、この批判を受けない。

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そして、対中投資の判断基準あるいは制度問題の原因探究を目的として、有益な知見を示しても きた。ここにいう対中投資とは、日本企業の中国大陸への進出準備(人材収集、労務管理、人件 費の把握等を含む)を意識したものから、中国社会に適合的な社会保障制度の模索を通して、日 中間の協力に資することを意識したものまでを含む広い意味で把握しておくことにする。 たとえば、来たる 21 世紀の社会保障の構築を念頭に置いて、日中の社会保障制度を比較した 中江の研究は、日本企業の中国進出を支えるものである、と言える。中江は、86 年規定(国営 企業職員労働者待業保険暫定規定)や 93 年規定(国有企業職員労働者待業保険規定)を、失業 対策の再建に政府が迫られたからである[中江 1998 : 104]、と指摘する。そのうえで、社会保障 制度における基本ソフトが、日本と同じタイプを採用する国が増えれば、日本企業がその国へ進 出し、駐在員を置いた場合に納める年金保険料を、相互の国が自国の年金制度の保険料として振 り替えられるという通算制度が極めて容易になるというメリットをもつ[中江 1998 : 356]、と主 張した。 また、日本労働研究機構の研究は、改革開放後の現代中国に適合的な社会保障制度を模索した。 そこでは、社会的経済的格差や生活格差への対応、国有企業から外資企業にいたる所得配分の多 様化への対応、急速な高齢化への対応が必要になるとの前提に立ち、制度の適合化は、単位制度 の改革にほかならないため、社会保障制度の改革が、単位による保障、固定した賃金、終身雇用 等の既得権益の剥奪として理解されても不思議でない[日労研(編)1999 : 63]、と主張する。なお、 その当時に、国有企業改革のための社会保障改革という偏った理念が働いていたことを、社会保 障研究の第一人者である鄭功成氏が述懐している[広井・沈(編)2007 : 55]。 これらの先行研究とやや趣きを異にして、制度問題の原因探究を目的とした先行研究も存在す る。まず、中国研究所編の成果がある。そこでは、国有企業改革によって、一時帰休を余儀なく された労働者に対する基本的な生活補償金を、制度としての社会保障でなく、改革にともなう過 渡的な措置としての財政措置で補っている[中研(編)2001 : 27]、と評価する。また、失業・失 業者といわず、待業・待業者というのは、社会主義制度の優越性を強調するための政治工作にす ぎない[王 2001 : 118]、との批判もあった。 田多は、社会保障制度の構築の必要性には、失業の増大による社会的不安の回避のほかに、国 営企業改革を安定的に推進するうえで、国営企業から分離される従業員の、新たな受け皿とし て、必要最小限の失業保険制度として国営待業保険制度が必要だった、とする。国営企業改革を 推進しなければならないが、失業者は出せないという相対立する 2 つの事柄に折り合いをつける ために、失業保険制度の保険適用が、国営企業の従業員に限定された[田多(編)2004 : 195]、と 主張する。そして、その後の待業保険制度の財政難および増加する失業者への給付を両立させる ために、保険適用を、国有企業(前身は国営企業)だけでなく、非国有企業の従業員へと拡大し、 同時に、保険料率を引き上げざるをえなくなったために、「失業保険条例」を制定した[田多(編) 2004 : 234]、と主張する。 以上要するに、これらの先行研究は、現実の中国社会における現象の原因を探究したものであ

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り、質的に異なる制度の同一視という問題、ひいては歴史的な文脈から読み解くものではない。 とはいえ、制度研究としては、貴重な指摘を少なからず確認できる。補足しておくと、93 年規 定が、国有企業で就労する農民契約労働者、非国有企業および外資企業で就労する労働者を保険 適用の対象外とする一方で、94 年に公布した外商投資企業管理規定 17 条によって、外資企業に 対して各種の社会保険への加入義務をさだめたこととの整合性を分析し、国有企業の既得権益を、 非国有セクターにも同様の制度枠組みの中に組み込んで、市場競争における平等な環境の整備を 意図したものである[日労研(編)1999 : 74]、とする指摘があった。また、改革の方向性が、企 業保障から社会保障へと向かうコンセンサスを形成してゆく中で、社会保障制度改革によって、 企業活動からの社会保障業務の分離、企業財政の負担減、企業間の社会保障格差の解消、保障水 準の社会的統一化、労働力移動の自由および労働市場の形成が促進される[日労研(編)2001 : 205]、 との指摘もあった。 一方、歴史的な文脈から、現代中国の社会保障制度の整合性を解明する先行研究も少なからず 存在した。そこでは、質的に異なる制度であることを首肯して、2 つの社会保障制度として提示 するものと、1 つの社会保障制度として、その変化を、その基礎的な構成要素から統合し、その 歴史的整合性を分析するものと分けられる。 たとえば、袖井=陳は、現代中国が、高度経済成長によって、そのパイを拡大する段階から、 そのパイを公平に切り分ける所得再分配の段階へと移行する中における社会保障制度を模索して いる、と考える。そして、計画経済期のそれを、限定的な社会保障制度とし、市場経済移行期の それを、企業保険から社会保険への転換とし、社会保障制度を構築する段階になって、社会保険 制度が導入された[袖井=陳(編) 2008 : 346-348]、と評価する。ただし、そこでは、別の 2 つの 社会保障制度をも意識している。すなわち、現行制度の特徴として、都市と農村において、それ ぞれ異なる制度を実施している[袖井=陳(編) 2008 : 353-355]、とする。 沈は、都市と農村という二元統治体制に注目し、社会主義市場経済の実態を理解する手掛かり として、計画経済期の生活保障と市場経済期の社会保障を対比し、前者(生活保障)が、都市の 住民に対する福祉政策であり、膨大な数にのぼる農民の福祉の切り捨ての上に築かれた、相対的 な意味での社会福祉であった[沈 2003 : 67-68]、と主張する。また、後者(社会保障)は、市場 経済化によって増加する失業者等の生活を守れなければ社会が混乱するために、失業保険制度を はじめとする適切な社会保険制度の構築が意味をもつ[沈 2003 : 130]、と主張する。これらは、 現代中国の社会保障制度を、2 つの社会保障制度として提示し、その歴史的整合性を分析するも のである、と整理できる。 では、1 つの社会保障制度として、その歴史的整合性を分析する先行研究には、どのようなも のがあるのか。本稿では、精度の高い 2 つの先行研究を紹介しておくことにする。第 1 に、所有 という最も基本的な社会の構成要素に注目し、分析する先行研究がある。張は、労働力所有制に 注目し、その公的所有と私的所有の概念区分を用いて、その歴史的整合性を分析した。そこでは、 中国における社会保障制度の沿革史を、旧中国における労農保障体制の萌芽期、計画経済期の社

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会保障制度、市場経済移行期の社会保障制度という、3 つの時期に区分する[張 2001 : 8]。計画 経済期の社会保障制度は、生産手段の公有制と労働力の公有制とを有機的に結び付ける制度とし て機能し、全人民所有制企業(国有企業)の労働者とその家族が対象となった、とする。それが、 市場経済移行期の社会保障制度において、生産手段の公的所有をベースにした多様な所有制企業 とともに発展するという経済制度の下で、労働力の公有制と私有制が結び付き、さらに、社会主 義的要素と資本主義的要素が有機的に結び付くことを前提にするものとなった[張 2001 : 124]、 と主張する。そして、この整理に従って、50 年代に確立した社会保障制度が、本来の社会保障 のもつ社会的責任を曖昧にし、個人が果たすべき自己保護の責任を、国や企業へ押し付けたこと に問題がある[張 2001 : 159]、と指摘する。 第 2 に、生活保障の担い手という、人という最も基本的な家計の構成要素に注目し、歴史的整 合性を分析する先行研究がある。この先行研究によれば、次のように整理される。すなわち、ま ず、清朝時代に家族と地域がそのリスクを担い、異民族の支配する国は副次的な役割にとどまり、 小さな政府として存在した。ところが、中華民国となり、近代国家の形成が進むと、そのリスク を、国が担うようになる。計画経済期に、単位が生活保障の担い手となり、このシステム自体を 保障したのは、国だった。そのため、生活保障に与える国の影響が、かつてなく高まった。それ が 78 年 12 月の第 11 期三中全会を起点とする経済改革と対外開放によって転換した。そして、 「単位」に代わる生活保障の受け皿を求めて、社会保障制度の構築に向けた実験を開始した。以 上を踏まえて、現代中国は、斬新主義を採り、現実的な方法として、旧制度を継承することにし、 旧国営企業の労働保険制度を原型とする「勤労者ベースの社会保険」が新たな社会保障制度の支 柱となった[飯島=澤田 2010 : 155-157]、と主張する。 以上要するに、これらの先行研究は、同音異義的な「社会保障制度」について、それを同一視 して把握し、その通底に流れる原理(の探究)を意識している。それは、理論研究としては、当 然に、重要な意義を持つし、制度研究としても、多面的な分析を可能にする土壌を生み出すもの であろう。確かに、同音異義的であるがゆえに、議論に一定の混乱を招いているかもしれないが、 相互理解を深めることによって、建設的なものへと改善してゆく、と思われる。ただし、1 つの 社会保障制度としてその歴史的整合性を分析する先行研究は、所有や人という経済学的視点、法 学的視点、社会学的視点など複数の視点を複合する概念を用いており、理論研究としてその通底 に流れる原理を十分に探究できていない点を克服する必要がある。 2.4. 小括と今日的課題 先行研究を整理したうえで見えてくる今日的課題は、より少数の視点を複合する概念か、また は、単一の視点に立つ概念を用いて、歴史的整合性の分析を通して、その原理を探究することで ある。この点について日本の社会保障法における議論は、参考に値する。その議論を、失業保障 法制という括りで限定して概括すれば、失業保険法から雇用保険法への転換が、その給付体系の 本質的転換として論証されている、と言える。

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失業した労働者に対する所得補償に関する現代日本で最初の立法は、47 年の失業保険法であ る。同法は、労働の意思と能力があるにもかかわらず、雇用関係から離脱して、離職状態にある ことを保険事故とし、離職から再就職までの一定期間について、その所得保障を目的に、制度設 計された。当初から、社会保障制度に、所得補償制度の役割と一定の雇用政策としての意図があっ た、と言える。その後、経済成長期を迎えて、労働力の流動化のための積極的雇用政策が推進さ れるようになると、その中で失業給付を適切に位置づけるために、73 年の「失業保険制度研究 会報告」を基にして、雇用保険法が制定される。同法は、94 年の改正において、雇用継続給付を 導入し、離職状態にない被保険者である労働者への給付を初めて認めることとなった。これは、 失業予防という雇用政策目的を実現するために、雇用継続が有力な手段であることを示すもので あり、従来の給付体系の本質的転換となった[清正 2001 : 228]。 そして、この本質的転換を支える歴史的整合性も、分析されている。たとえば、当時の失業保 険法が社会変化に対応していない、との認識に立ち、その整合性を確保する論理を分析した論考 が、それに当たる。そこでは、「社会的保護必要性(要保障性)」という点において、自営業者と 労働者を区別する根拠が乏しくなった[高藤 1978 : 8]、と主張された。なお、要保障性の点だけ でなく、失業手当を受給するための資格要件の 1 つである既就労性についても、資本の独占化を 中心に経済成長をとげた後の日本において、その独占的大企業が寡占する中での零細自営業者は、 労働者とほぼ違いのない地位にあると断じ、それは、自営業者層を生活の危機に追いこんだこと になるので、労働者を主な対象とする社会保険から、広く国民全体を対象とする社会保障へと移 行すべきである、とされた。 このように、日本の失業保障法制における議論は、失業保険法から雇用保険法への本質的転換 およびその歴史的整合性を分析するプロセスについて、立法目的の変化を明らかにする一方で、 単一の視点に立つ概念として、要保障性や既就労性等を用いて分析し、その給付体系の本質的転 換を論証した。中国失業保障に関する研究の今日的課題に対して参酌したい。

3. 失業保障の法的構造について

3.1. 現代中国法における失業保障法制の変遷 本稿は、「労働保険条例」を取り込んで分析する。ただし、現代中国法が、国民党の六法全書 を廃棄するという法理論における革命、すなわち論理の断絶を明言していることを踏まえて、中 華人民共和国が成立する前の法制については分析の対象から除く(注 7)。時間軸で整理すると、 現代中国法における失業保障法制は、労働保険 → 待業保険 → 失業保険 → 社会保険と変遷して いる。本章 3 では、各法令がその適用対象をどのように規定してきたか、すなわち、その傾向の 分析を中心に、以下、その歴史的整合性について検討する。

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表 3 中国失業保障法制の変遷と傾向性の変化 法令名 公布日時 変遷 規定の傾向 「労働保険条例」 1951 年 2 月 労働保険 拡大細分化 「改正労働保険条例」 1953 年 1 月 → → 「国営企業職員労働者待業保険暫定規定」 1986 年 7 月 待業保険 整理統合 「国有企業職員労働者待業保険規定」 1993 年 4 月 → → 「失業保険法」 1999 年 1 月 失業保険 → 「社会保険法」 2010 年 10 月 社会保険 二元化 3.2. 労働保険から待業保険への変遷 「労働保険条例」は、「雇用労働者」をその権利主体として規定する(1 条)。これが、適用対 象ということになる。その適用する範囲は、雇用労働者および職員の人数が 100 人以上の国営、 公私合営、私営および合作社経営の工場、採石場およびその付属組織ならびに業務管理機構、鉄 道、水運、郵便と電信の各企業ならびにその付属組織である、と規定した(2 条)。「臨時労働者」、 「季節労働者」および「試用人員」の労働保険については、その実施細則で規定するとしたほか (5 条)、適用範囲外の企業は、労働保険について、労働組合の委員会が、労使協議を通して労働 協約で規定できる、とした(3 条)。なお、労働保険を実施する企業の「労働者」および職員は、 政治的権利をはく奪されない限り、民族、年齢、性別、国籍で差別されない(4 条)。以上の規 定に基づけば、労働保険に加入できる個人が無限に広がる可能性を否定できない。そのため、 「労働保険条例」の適用対象の枠組みは厳格でなかった、と言える。 なぜ、厳格にさだめなかったかを考えてみると、その 1 つの要因として、労働保険にかかる各 費用をすべて使用者に負担させる、と規定した点(7 条)を指摘できる。使用者を労働者と同等 に扱っていなかった、と言い換えることもできる。使用者には、労働能力を喪失して離職状態に なった「労働者」に対して、一定の割合で死ぬまで支給を続けさせ、また、労働能力が一時喪失 した「労働者」に対しては、その入院治療費や病院の食費、通院費にいたるまで、そのすべての 負担を求めたうえ、賃金も従来どおり支給するよう、規定していた(12 条)。なお、「改正労働 保険条例」は、適用する範囲を工場、採石場および交通事業の基本建設組織、国営建築公司まで 拡大したほか、各待遇水準を引き上げた。その一方で、加入できる労働者の拡大を制限する規定 は見当たらない。したがって、基本的には「労働保険条例」が規定する緩やかな適用対象の枠組 みを維持した、と言える。 「国営企業職員労働者待業保険暫定規定」は、適用する範囲を、国営企業に限り(1 条)、破産 宣告された企業の「職員労働者」、破産に瀕した企業の法定整理の期間中に減員された「職員労 働者」、企業が労働契約を中止または解除した「労働者」および企業が解雇した「労働者」をそ の権利主体として規定した(2 条)。待業保険にかかる各費用は、企業、基金の利子収入および 地方財政からの補てんによるとされ(3 条)、労働者側に負担させないという方針は、変わって

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いない。その待遇については、失業救済金、失業期間中の医療費、死亡葬祭費補助金、直系親族 扶養補助金、離職・退職金、失業救済金、転職訓練費、生産自給費を規定した(6 条)。給付期 限が設けられ、就業年数が 5 年以上の労働者については、最長 24 か月分の給付、5 年未満の労 働者については、最長 12 か月分の給付を行う、とした(7 条)。なお、給付を不法に獲得した場 合は、その不法領得したすべての救済金を返還させることを、初めて明記した(10 条)。適用対 象となる労働者側の不正行為についての言及は、労働保険の時期にはなかったことである。労使 関係における労働者優位の認識が揺らいでいることを見て取れる。 「国有企業職員労働者待業保険規定」は、適用する範囲を国営企業の後身である国有企業に 限った(1 条)。破産宣告されたか、または、破産に瀕した企業で減員された「職員労働者」、労 働契約を中止または解除された「職員労働者」、および、辞退または除名もしくは解雇された 「職員労働者」のほか、国の規定によって廃業・解散を命じられた企業の「職員労働者」、国の規 定によって生産停止または業務整理を命じられた企業の「職員労働者」、待業保険を享受すると されたその他の「職員労働者」を、その適用対象として規定した(2 条)。追加されたのは、法 定整理の期間内でなくて通常の営業期間中の人員削減によって失業する個人である。この当時の 人員削減は、政府・党(公権力)による承認がなければ、事実上不可能であった。そして、論理 上、労働者に依拠するはずの公権力が、労働者の生存権を脅かすことになる矛盾の解消が求めら れた、と言える。それゆえに、公権力により離職させられる職員労働者および法が規定するその 他の職員労働者をその適用対象として追加した、と考えられる。 「国有企業職員労働者待業保険規定」は、保険にかかる各種の費用を、企業、基金の利子収入 および財政補てんによる、と規定し(4 条)、使用者側のみに負担させるという方針は、変わっ ていない。その待遇については、待業救済金、待業保険受給中の医療費、死亡葬祭費補助金、直 系親族扶養補助金および救済費、転業訓練費、生産自給費のほか、省、自治区、直轄市の人民政 府が認める生活難の解決と再就業に必要なその他の費用を規定した(10 条)。また、給付期限に ついては同じであるものの、その水準については、民政部がさだめる社会救済金の 120-150%に 相当することとした(13 条)。さらに、不正受給の場合で、それが犯罪となる場合は、刑事責任 を追及することを明記した(19 条)。待業保険の時期において、適用対象となる労働者側の不正 行為についての制裁が、不法領得したすべての救済金の返還から、刑事責任の追及へと、さらに 強まっていることが分かる。一方で、賃金に代わる所得としての給付(対価観)を確認できない。 以上要するに、労働保険時期の当初は、100 人以上の規模の国営、公私合営、私営および合作 社経営の工場、採石場およびその付属組織、業務管理機構、ならびに鉄道、水運、郵便および電 信の各企業とその付属組織に限定した。それを、工場、採石場および交通事業の基本建設組織な らびに国営建築公司へ拡大した。しかし、この拡大傾向は、待業保険の時期に至ると適正な規模 への整理統合へと転換する。すなわち、その適用範囲を国営企業に限定し、集団所有制企業を排 除した。また、破産した企業の職員労働者に限り、破産する前の人員削減による失業者を適用対 象としない等の規定が、それである。その後、社会的不安の増大はもとより、労働者階級に依拠

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するはずの公権力が与える労働者に対する生活危険という、クリティカルな問題を解決するため に、平時の人員削減による失業者に対しても適用対象を拡大することになった。なお、その一方 で、労働者による不正受給に対する規制を厳罰化したが、その対価観は維持された。 3.3. 失業保険から社会保険への変遷 失業保険法は、「失業者」をその適用対象として規定する(1 条)。また、その適用範囲を、都 市部の企業すなわち国有企業、集団所有制企業、外資系企業、私営企業およびその他の企業、な らびに、事業組織と規定した(2 条)。この規定から、適用対象として、基本的には都市部の「労 働者」全般をカバーした、と言える。そして、例外的に、招聘した「農民の契約労働者」で、か つ、満 1 年就業して雇止めになる者で、失業保険費を納付する場合は、その就業期間の長短に基 づき一時的な生活補助金を支給する、とした(21 条)。このほか、資格要件および停止要件を規 定した。すなわち、失業保険に加入して、「納付義務」を満 1 年履行した者で、本人の意思によ らずに就業が中断し、失業登録をし、求職意欲をもつときは、失業保険金を受領できる(14 条)。 その一方で、再就職、入隊、国外転居、養老保険の受給、収監または労働教養といった場合のほ か、紹介を受けた仕事を正当な理由なく拒否する場合には失業保険金の受領を停止する(15 条)、 と規定した。ポイントは、失業保険費用を納付しなければならない点にある、と言える。各種の 費用を労働者側に負担させないという方針からの転換だからである。 失業保険にかかる各費用は、労使双方の負担、基金の利息、財政の補てんおよびその他の資金 とされる(5 条)。待遇については、失業保険金、失業保険受給中の医療補助金、受給中に死亡 した失業者の葬祭補助金、ならびに、その扶養する配偶者および直系親族の扶養補助金、受給中 に受ける職業訓練および職業紹介の手当てのほか、国務院が規定するかまたは承認する失業保険 に関連するその他の費用、とした(10 条)。また、給付期限の基準を、就業年数から納付期間へ と変更した。すなわち、納付期間が、1 年以上 5 年未満のときに、最長 12 か月分の給付を、5 年 以上 10 年未満のときに、最長で 18 か月分の給付を、10 年以上のときに、最長 24 か月分の給付 を受けられる(17 条)、と規定した。その水準については、最低賃金基準より低く、都市の最低 生活保障基準より高くなければならない(18 条)、と規定した。不正受給の場合で、情状が重い ものは、労働保障行政部門が不正取得額の最大 3 倍までの過料を課す、とさだめた(28 条)。刑 事罰が科されたとしても、実質的に手元に十分な金銭が残るのであれば、それは合理的な選択の 1 つであると考えられるからである。失業保険の時期内において、適用対象となる労働者側の不 正行為についての制裁がいっそう強まったと言えるし、ここで対価観に変化が見られる。 「社会保険法」は、「公民」をその適用対象として規定する(1 条)。また、その適用範囲を、 国内の使用組織および個人とする(3 条)。これが、基本となるはずであるが、失業保険につい て見ると、失業保険に「職員労働者」が加入し、使用組織とともに失業保険費を共同で納付する ものと規定している(44 条)。資格要件については、収監または労働教養の場合を削除したり(45 条)、失業保険金の水準について、最低賃金基準にかかる基準を削除したほか(47 条)、その待

表 3 中国失業保障法制の変遷と傾向性の変化 法令名 公布日時 変遷 規定の傾向 「労働保険条例」 1951 年   2 月 労働保険 拡大細分化 「改正労働保険条例」 1953 年   1 月 → → 「国営企業職員労働者待業保険暫定規定」 1986 年   7 月 待業保険 整理統合 「国有企業職員労働者待業保険規定」 1993 年   4 月 → → 「失業保険法」 1999 年   1 月 失業保険 → 「社会保険法」 2010 年 10 月 社会保険 二元化 3.2. 労働保険から待業保険への変遷

参照

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