日 米 通 商 貿 易 の 過 去 及 び 現 在
木 曾 榮 作
一︑北米合衆國通商政策の最近の傾向
本年三月十五日ワシントン獲同盟電報は次の如き報道を我々に齎らしてゐる︒﹁米國政府は求償通商政策を
確立して以來︑中南米欧洲諸國政府との間に逐攻互恵協定を締結して來たが︑今同求償條約締結に關する構限
が三ケ年延長されたのを機會に交渉する方針と傳へられる︒目下國務省に於て具腿案を考究してゐるが近來日
米爾國聞の貿易關係が屡々紛議を惹き起し且取引高も極東諸國と多いのに鑑み︑先づ日本政府との間め交渉に
乗幽すのではないかと見られる︒﹂ド
更に︑翌十六日ワシントン獲電報は︑米國政府の交渉方針について次の一=ースを寄せてゐる︒曰く﹁米國
政府は求償通商政策の擾張を企圓し日本政府との間に薪通商協定締結の交渉に乗り出すに決し目下國務省の專
門家は具膣案を考究申であるが︑既に交渉の基礎方針に關し意見の一致を見たといはれる︒右交渉の基礎方針
ほ︑一︑關税引下︑︑二︑通商條件の緩和︑三︑或種商品に關する最大通商額の設定︑等により全般的に爾國通
H来懸商貿易の麺去及び現在(木曾)=ハ七
1)三 月十七 日東京朝 日新 聞所 載記事 に擦 るo
一宍八
わ商額の増加を圖らんとするものと解されるLと︒
右電報にいふ求償條約に關する椹限とは︑一九三四年六月以降三年聞大統領が賦與せられたる五〇%以内に
於ける關税率の増減及び輸入制限の攣更をなす櫻限を意味し︑これが本年六月十二臼の満了期を前にして︑今
同更に向ふ三年間延長されたのである︒
一九三四年六月﹂米國傳統の高關税政策が塵棄せられ︑﹁互恵關税法﹂の制定となり︑こ﹂に﹁互恵通商政
策﹂への第一歩が踏み出されたのであつた︒爾來︑同年八月にはキユゥバとの聞に互恵通商協定の成立を見た
るを手初めとして︑一九三六年十一月末迄に鰍洲及び米大陸に於て十五ケ國と協定成立し︑之等諸國聞との貿
易増進に漸次効果を學げつ曳ある如くである︒今︑左に之等互恵通商協定締結國拉に︑之等諸國との貿易増進
第 一 表
米互 恵通 商協 定 締約 國表3)
㌻
國 名 調 印期 日 實施期 日
キ ユ ウ バ34.8.24
34・9・3
べ}レ ギ イ
35・2・27 3・5・5・1
ハ イ チ 35・3・25
35.6.3
ス ウ エ デ ン 35・5・25
35.8.5
ブ ラ ジ ル 35・2.2
36.1.1カ ナ ダ 35・II・15
36.1.1オ ラ ン ダ
35.12.20
36.1.1ス ウ イ ス 36.1.9 36.2.1
ホ ン ヂ ニ ラ ス
35.12.18 36.2.15
コ ロ ン ビ ア
35・9・13
36.3.2グ ア テ マ ラ 36.4.24
26.5.20
フ ラ ン ス 美
36.5.6 36.6.15
ニ カ ラ グ ア 36.3.1136.6.夏5
フ ィ ン ラ ン ド
36.5.18
36.Io.1コ ス タ リ カ 36.1L28
36.二1.2
eeモ ロヅ コ 以 外 の 植 民 地 な 含 むo
率を示して見るに夫々第一表及び第
二表の如くである︒
しかし︑既に互恵通商協定を締結
したる十五ケ國の協定内容を梢々細
部に亙つて検討するに︑これは當該
國間の貿易の全面的調整を狙ふもの
ではなく︑特定品目に於ける相互的
關税引下を行ふに過ぎないことが明
らかとなる︒のみならす︑關税引下
2)三 月十八 日東京朝 日新 聞所載 記事 に擦 ろ。
3)國 際経濟 週報 第十八巻 第十五號 より探録o
による利釜は最恵國約款の適用により第三國にも均霊せしめ︑世界貿易の障碍打破に貢献せんとするコーヂ
ルLハル國務長官の抱員も米國産業資本家の關税引下反封に遇ひその實現もなし得ざる歌態である︒從つてこ
の互恵通商協定も同國の産業資本の不況打開の一手段として考へ出されたるものであり︑自國への他國品の侵
日来通商貿易の過去及び現在(木曾)一六九
第 二 表 米 國貿 易総 額 と封締 約 國貿 易4)(軍 位百萬弗) 年
内 度
鐸
Ig35年 1936年
雪
増加牽
糠 ゑ)撫 諜
48,525 2,115,δ71
29,095 1,749,147
59,872評 2,361,895
45,438
『2 ,161,8355
。藷
11.6 5α2 23・4
1講)1纏
2,953 2,121,ヨ33
1,刎3 ,1,765,033
3,540 2,397,101
1辮71 2,182孟12
19.9 13ρ . 2L3 23.6
糠 … 墓 撚
ろ418,4332・233,45540,2374{ち943355694 2,132,416
35,761 π,835,081
1葦:z
野灘
勇}:1)1繍
40,342 2,059,404 go,218 1,860,517
44,74ρ 2,223,480
go,538 2,174,536
1§:3
罰擁
1ε:$)1繍
301,434 2,059,404
259,551 1,860,517
351,381 2,223,480 336,795 2,174,536
16.6 8.0 29.8
響樋1纏 1,883,x8瓦 62,550 里69
85,936 1,693,524
66,100 2,025,522 112,667 1,987,096
5・7 7.6 3夏.1
野擁 17・3
)1繍
5,553 1,720,182 12,336 1,541,lg3
5,466 1,843,692
15,930 1.794・320
一
(一}夏 石
。;:ζ
擁 竃6.4
)継 1,720,182 1,541,lg3 4,258 4,go3
1,843,6921,794,3203,8235,178《 一,1α2 16.4 7.2 5.6辱
勤鞠1纏 1,254,322 14,647
21,044 1,201,699
Io2813 1,205,537 24,509 1,022,8c5
35.5 40
《 一,14J
翫鞠1纏 1ゴ035,293 17524 I7・5
1,592 866,05貰
1,772 1,069,339
1,625「 ・ 1,0貰1,384
163 3ゴ
繰 、言:§
)1纏
55,927 1,035,293 28,594 866,051
64;221 1,069,339
32,666 1,011,384
14.8
、葦:勇
1α8.
4)國 際経贋週報 第十八巻 第十五號 工り探録o
一七〇
入は之を高率關税により阻止し︑他國への自國商品の進出を圖らんとする底意が明瞭にうか墨はれるのであ
る︒互恵通商協定を締結したる十五〃國申︑佛蘭西︑白耳義及び加奈陀を除く他の十ニケ國が共に米國に封す
る出超國なる事實が之を雄鼎に物語るものである︒
之よりさき︑本年一月米國よリマーチソン博士を團長とする訪日綿業使節團の派遣があり︑我國綿業者團と
の間に数次の交渉が重ねられ︑遽に二十一日夜を徹しての第五次會談の結果︑假協定を見るに至つたのであ・
る︒この協定に到達したることが我國の綿布貿易に如何なる影響を及ぼすかは︑直ちに断じ難い所ではある
が︑本協定に動らざるを得ざりし事情は一九三五年初以來の棉花相場下落と米國綿製品市場の不振に始まり︑
次に米國復興局の綿紡績二五%の操短の許可となり︑この時に當り低債格の日本綿布の米國市場への進出が途
に二月の議會に於て︑マサチェセット選出下院議員ジョセフ・マルチンをして日本綿布進出問題をとり上げし
めたるにその端を獲したのであつた︒昨年六月封米綿布輸出紳士協定についての日米交渉決裂し米國政府は同
月二十日に雫均四割二分の關税引上を断行したるにも拘らす︑十年度と十一年度との比較に於て︑晒綿布のみ
にても三千七百萬方碍(五百四十萬圓)より五千九百萬方鶴(八百七十萬圓)への激増振りを見せてゐる︒之は
日本綿布の低コスト︑米國の購買力増大及び︑日本側統制が關税引上により放棄せられた結果に基くものであ
る︒さり乍ら︑醇野米輸出品としての綿織物の地位は一九三六年度に於て一千三百七十萬圓︑即ち封米輸出貿易
額の二分三厘に過ぎざるの地位にあり乍ら︑既に之を阻止せんとする協定に立到つたことは封米輸出貿易へ一
つの薪たなる制約を與ふること玉なるものと言はねばならぬ︒この一協定にも既に明らかに反映する米國政府
の互恵協定締結の指導精神が果して紛争多き日米通商貿易の調整に大いなる役割を演じ得るであらうか︒吾入
はこれに封する回答への役立ちとなるべき意圖の下に︑ る者である︒ 以下日米通商貿易の過去及び現在の分析を試みんとす
二︑過去に於ける日米通商貿易の綜観
今より六十四年前の明治六年より實質的に開始せられた日米通商貿易關係の辿りし輕過を全面的に詳細に槍
討することは許されぬとしても︑先づ明治六年の樹米輸出額は僅かに四百二十萬圓(総輸出額の二割)︑輸入は
百萬園(総輸入額の三分五厘)に過ぎす︑昭和十一年度の封米輸出額五億九千四百萬圓(総輸出額の二割二分)︑
表闘昌
第
封米貿易入超年次 一覧
年 代 入(軍位 百萬 圓)超 額 明 治 年 間
33年 10
38年 覧0
木 正 年 間
7年 96
9年 308
10年
78
昭 和 年 間
7年 64
8年 128
9年
370
Iq年 274
11年
253
輸入額八億四千七百萬圓(総輸入額の三割)
と比するとき︑夫々百四十一倍及び八百四十
七倍といふ大躍進振りを示し︑日本貿易の進
展たるや日米通商貿易に關する限りに於ては
もとより︑日本全罷の貿易進展過程より観る
も稀に見る大焚展振りである︒
日米通商貿易關係を綜観するに︑過去六十
四年間(自明治六年至昭和十一年)に於ては殆ど輸出超過の歴史を辿つてる︒輸入超過にあることは右の十年
陶聞に過ぎない︒然し︑最近五ヶ年の入超蓮績傾向はその金額に於ても︑その蓮績性に於ても明治・大正年間に・
その類を見ざる態様を具へてゐることを感するものである︒之は後に於て鯛る玉如く主としで我國現下の諸情
H釆通商貿易の過去及び現在(水曾)一七一
1)明 治 圧9年迄 に 醤 来 輸 入 統 計 に に 加 奈 陀 よuJの 輸 入 額 な も含 め られ †こり。
細 表 時代別噸 た樹 米瀦 貿雛 柳(軍 百萬圓)位
年
明 治6(1873) 26(1893) 27(1894) 28(王895) 29(1896) 34(1901) 35(二go2) 36(]【go3) 37(Igo4) 38(Igo5) 39(Igo6) 40(1go7) 大 正2(1913)
3(lg[4) 4(!915) 5(1916) 6(1917) 7(1918) 8(lg19) 9(lg20) .14(lg2S) 昭 和4(lg29)
5(lg30) 6(lg31) 9(i934) Io(lg35) Il(Ig36)
日来通商貿易開始
瞬 役
垂轡領有
}麟 役
欧洲大戦役
ー
止禁出輸金
世界恐慌 金輸 出解禁 金輸 出再禁止
準戦時禮制時代
瀦 辮 襯 合 計易纐
4 7 3 4 1 2 0 2 2 4 ゴ5 3 ケ ・ 8 8
IOI
4 ‑ 5 ‑ ‑ ‑ 4 6 4 ‑‑ O 1 8 ‑ ‑ q ‑ 81 ﹂ 5 6 1 4 1 6 ‑ 5 8 5 4 9 2 3 8 9 0 4 7 3 2 6 0 五 〇 2 9 3 9 1 1 1 1 2 3 4 5 8 覧 5 0 9 5 4 3 5 5
・ 1 2
1
6
】 【0
961
2 8 6 8 4 ・ 9 0 4 4 4 5 0 , 6 8 1
122
96 102
204 359 626 766 873 574 654 442
342 769 809 8475 33 53 63 47 114 r28 128 i59 r98 194
211
306 292 306 544 837 Iil56 1,594 1,438 1,580 1,568 948 767 1,167 1,344 1,441
一七二
勢が非常時局︑特に最近に於ては準職時艦制の下にあること︑從つて之が貿易部面︑殊にも軍需品製造原料の
輸入に於てーこの方面に於て我國の北米合衆國への依存性は頗る大であるが1著しく増加したことに基ぐ
わものである︒か︑る態檬の﹁入超憂ふべきか﹂の議論は別として︑吾人は日米通商貿易關係を今少しくその時
覇
4功堪蛎痂︑鄭麟樋頭翫融鋤ゆ 聯 脚 螂 聯 御 岬 幡 聯 繍 糾 癖 轍 柳 蝉
一.2)桑 原讐 「入超憂 ふ可 き乎 」(白由通商 第十巻第 四號)及 び名和統一 「貿 易構 成 に現 はれ7ころH本 経溺 の特 質 と其 動 向」(同 上)峯 照。
3)明 治26年 工り昭和6年 に至 ろ輸 出入金額 に 「H本 貿易精萱 」(東 洋経 濟新報L 冠編 昭和十年刊)ぷ り集録 、昭和九年 以後 に大藏省編纂 「外國貿易月報 」工 り探 鍮 ぱり。
代を通して眺むると共に︑最近の傾向蚊にその商品構成上の攣化等についても槍討して見ること﹂しやう︒
日米通商貿易關係をその時代的推移から観て前掲の如き一表の作製を試みて見た︒先づ明治初年より二十六
年に至る時代は概観して欧米文化の輪入時代であるが︑経濟上に於ては明治十五年以來不換紙幣の整理が行は
れ︑明治十九年銀本位制度確立せらる玉に及び︑物債も漸次低落し︑從つて貿易も好韓し︑十五年以後出超を
見るに至つた︒封米貿易もこの好況に恵まれて明治十五年後の躍進は見るべきものがあつた︒日清戦役勃嚢の
前年たる二十六年は二十五年に比し輸出は激減し︑輸入は幾分の増進を見せたが一度職端開かる玉や前表の示
す如く輸入は急角度を以て上昇し︑二十六年の六百萬圓より二十七年の一千萬圓︑二十八年の九百萬圓へと増
大してゐる︒然し輸出額もまた見るべきものあり︑戦役中に於ても樹米通商貿易はむしろ二十六年に比し︑非
の常なる好況振りを示してゐる︒之は封米生縣輸出高の激増によること明らかである︒
明治二十九年より三十七年に至る時代は日清戦役の大勝利を契機としての我國経濟上に於ける大護展期であ
るの殊にも︑明治二十九年には壷灘の領有ありて︑若き日本経濟の上に薪しき生産資源地を加ふるに至り︑三
十年には金本位制の施行ありて︑愈々日本通貨制度の確立となり之に加ふるに明治二十七年より三十六年に至
る迄佃清戦役賠償金三億園︑遼東還付報償金四千萬園其他合ぜて三億六千萬園の牧入ありたるため︑輸入貿易
は大いに刺激せら@た︒他面輸出貿易もまた頗る好調を示したるも︑荷入超の連績を見たるが之には前蓮の牧
入が之を償ふ上に大いなる役立ちとなつてゐたこ乏が見られる︒
日露職役の大捷は政治的に日本の存在を世界に認識せしめ得たが︑経濟的にはむしろ逼迫した時代を迎ふる
の動因とはなつた︒.蓋し三十六年以後内外債募集額の増大はこの因をなしたこと明らかであるが︑乏と共に貿
口来樋商貿易の過去及び現在(木曾)一七三