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日 米 貿 易 摩 擦 問 題

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(1)

れて

いる

月から会合を重ね︑最終報告手げが一九九

0

年六月に提出された︒

両国は報告書で指摘された各課題を実行に移しつつあるが︑そ

の状況を把握するためのフォローアップ会合が引き続き開催さ の構造問題を指摘し改善を求めるというもので︑ 日米構造協議は︑

日米間の貿易不均衡は両国の経済構造上の 問題が一因となっているとの判断から︑日米それぞれが相手国

一九八九年九

は じ め に

日 米 貿 易 摩 擦 問 題

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9   9 ,  

ノ ー ト 一

E

研究

9 9 9 9 .   9 9 9 ,  

るとの自覚を持つ必要がある︒

一 六 九

その動向は世界経済に大きな影響を与えるものである︒したが

って︑我が国としては︑この問題に適正に対処することは︑

米両国経済にとってのみならず︑世界経済に貞献するものであ 本稿では︑日米貿易摩擦問題を考えるために︑摩擦の原因と

なっている両国の近年における国際収支の推移︑対象とされた 問題についての具体的内容︑摩擦解泊のためにとられた︑ある いはとられつつある対策について述べたのちに︑今後我が国が この問題に対処すべき視点について若干の意見を述べたいと思

日米貿易摩擦問題は︑

H

米両国の経済にとってのみならず︑

12 ‑ ‑2  ‑ ‑ 2 9 1  

(香法

' 9 2 )

(2)

幅に増加させてきており︑九

0

年の資産額は三︑ニ八

0

億ドル

てい

る︒

これに対し日本は︑

一九八四年ごろから毎年資産を大

債額は毎年急激に増加し︑八九年には六︑

六三七億ドルに達し

対外純資産は︑表

2

のと

おり

字国であったが︑八四年からは赤字国に転落し︑

しかもその負 アメリカは一九八竺年までは黒

だし

︑ 八八年からは両収支とも減少に転じている︒

一 方

日本の貿易収支は︑

一九八一年から大幅な黒字を計じ

していることには変わりはない︒ やや改善の方向に向いているが︑依然として膨大な赤字を叶卜

し︑八六年には遂に九

00

億ドルを超える額にまで達している︒

経常収支も貿易収支の増加に比例して大幅な増加をぷした︒た

この

結果

︑ それぞれの国の長期資本収支の累積合叶額である

六二三億ドルのピークに達している︒

八八年以降は両収支とも

ため経常収支は︑ カの貿易収支の赤字幅は一九八二年ごろから急速に拡大し︑の額は八七年には最大の一︑五九五億ドルにまで達した︒

一九八二年から赤字に転じ︑八七年には一︑

近年における日米両国の国際収支は︑表ーのとおり︑

ぷ ノ

︒ 近年における日米の国際収支

この

アメリ

表 1 日米の国際収支 (単位:億ドル)

1980  81  82  8:¥  84  85  86  87  88  89  90  日経常収支 /¥107  48  69  l03  150  492  858  870  796  572  358  本貿易収支 21  200  181  315  44:l  :i60  928  964  950  769  635 

メ 経常収支 ll  69  △ 59  △ 401  !¥990  /¥1,23:l  △ 1,454  叫,62:l△ 1,289  △ 1,100 

リ 貿易収支 △ 255  △ 280  △ 364  △ 671  /¥ I. 125  △ 1,221  Al,451  △ 1,595  Al,2711  △ I,  149 

出所 日本は国際収支統計月報 (Il アメリカは外国経済統計年報(日銀)

2

日米の対外純資産額 (単位:億ドル)

1980  81  82  8:l  84  85  86  87  88  89  90 

!IS  102  247  9J  LI  

74'.l  1,298  1,804  2,407  2,917  2,932  3,281 

一 七

アメリカ l ,lf6:l  1,409  1,367  890  △ 22 

Al.172 

I

△ 2. 737  3,781/¥5,311  △ 6,637 

出所 !I本は国際収支統計月報 (ll アメリカは外国経済統計年報 (ll

12  2~292 (香法'92)

(3)

日米貿易摩擦問題(波光)

ドル

(︱

ニ・

三%

が突出してお

Jレ メ リ カ の 地 域 別 輸 出 を み る

かにしておきたい︒ きな原因となっていることを明ら ランスが他方のインバランスの大 ンバランス︶︑両国の一方のインバ でもないが

( H

米では全く逆のイ ランスに原因があることはいうま ような現象がいずれも貿易インバ 国際収支における両国の以上の で

ある

︶︒

一九八九年において総輸出額

三︑六三八億ドル中輸出額が多い

国と

して

は︑

︵一

九・

九%

︶︑ カナダの七二三億ド

日本の四四六億 い起こせば想像できなかったこと 戦により壊滅状態であったのを想 三・五%と過半を占め︑日本は敗 の鉱工業生産に占める割合が五 態

は︑

一九四八年アメリカは世界 にまで達している︵このような事

3

日本の対米貿易額 (単位:億ドル)

1980  81  82  8:l  84  85  86  87  88  89  90  輸 出(A) 314  386  36:¥  428  599  653  805  836  896  932  90:l  輸 人(B) 244  253  24~ 246  269  258  291  315  420  482  524  A B  70  133  121  182  '.BO  395  514  521  476  450  379  出所 国際収支統計月報(日銀)

二国間の貿易摩擦は︑両国間に輸出人のインバランスがあっ

たり︑自国で生産している製品の競合品が大量に輸入されるこ

とによって自国産業が大きな影響をうけるような場合である︒

従来日米間の貿易摩擦は︑原則的に市場が開放されているアメ

リカ市場に日本から工業品が大量に輸出され︑

二 ︑

本にとって最大の輸出市場であるが︑輸入額は︑同年における総輸入額二︑三四八億ドル中五二四億ドル︵ニニ・三%︶で︑三七九億ドルの出超となっている︒日本の対米貿易額の推移は表

3

のとおりである︒

日米貿易摩擦の具体的問題

八六九億ドル中九

0

三億ドル•五%)

一 七

これによってア で︑アメリカは日

一方︑日本の対米輸出額は︑

一九

0

九年において輸出総額二︑ 統 出額を大幅に上回っている

計年

報﹂

︵日

銀︶

によ

る︶

︵アメリカの輸出人額は﹁外国経済 くなっている︒しかし︑るがそれほど顕著ではない︒それに対し︑ ナダの八九六億ドル り︑輸入を見ても︑同年における総輸人額四︑九三三億ドル中輸入額が多い国として︑

︵一

八・

ニ%

︵一

九・

七%

︶︑

日本の九七一億ドル

が他の国と比較して特に多

カナダについては︑若

r

の人超ではあ

日本は︑輸入額が輸 カ

12‑2  ‑293 

(香法

' 9 2 )

(4)

が発

生し

た︒

その代表的なものが繊維製品である︒ 日米間の貿易摩擦は︑

︹ 繊 維 ︺

の取り決めを認めていたので︑この枠内で存続した︒ を取り上げたいと思う︒てとってかわられたものではなく︑

LTA

はその枠内で各国間 かをみていきたい︒ただし︑

そのすべてではなく︑主要なもの

済摩

擦"

に発

展し

てき

た︒

うに

発生

し︑

よ ︑

,1 

ット そ

の後

︑ アメリカとしては輸出国のすべてを対象としなけれ

‑f 

)

等電子部品︑鉄鋼などが大きなウェイトを占めている︒ み

に︑

物などの輸出が困難であることを理由とするものであった︒因 本が市場閉鎖的であるために︑ メリカの競合産業が打撃をうけることを理由とするものや︑日

アメリカが比較優位とする農産 アメリカの輸出は︑穀物などの農産物︑化学製品︑鉱物

性燃料︑非鉄︑紙類などが大きなウェイトを占めており︑日本 の輸出は︑自動車︑事務用機器︑化学製品︑精密機器︑半導体 日米間の摩擦は︑当初は個別品目の貿易インバランスを問題

とする貿易摩擦であった︒しかし︑個別品目の対応策によ っても貿易不均衡が解消されないことから︑やがて貿易不均衡 の原因はその経済構造にあるとされ︑その調整が問題とされる

そこで︑両国間の摩擦がどのよ またこれに対しどのような対策が講じられてきた

一九

0

年代以降日本の輸出が本格化 し先進国の仲間入りをするにしたがって引き起こされている

が︑まず一九五

0

年代から六

0

年代を通じては軽工業製品摩擦

日本の綿製品の対米輸出が急増しアメリカで対日輸入制限運 動が高まるのを象徴したのがワン・ダラー・ブラウス事件であ

った︒日本の輸出急増を脅威とする綿業界および関係議員によ

って︑単価一ドルという安価な日本製ブラウスがアメリカ市場

で売られているとの宣伝がなされた︒日本の繊維業界は一九五

が顕著な効果はなく︑ 五年九月に四品目の輸出自主規制を行って事態の回避を図った

五七年一月日米綿製品協定が締結される ば輸出増を抑えることができなくなったことから︑繊維の主要

輸出入国による国際会議の開催を働きかけた︒これをうけてガ

一九六二年六月に﹁綿製品の国際貿易に関する長期取

 

決め

( L

T A

)

を採択した︒これは当初は五年間の期限であっ

こゞ

t

その後延長されている︒日米綿製品協定は

LTA

によ

LTA

の目的は︑市場の攪乱の防止と発展途上国の輸出増を図るということであり︑世界貿易の構造変化に対応した調整を行うための過渡的措置として︑ガットの例外として必要であるというものであった︒しかし︑ガットの規定︵一九条︶と比較して︑セーフガード条項が発動し易いなど保護主義的な点が問題とされ

一 七

1 2 ‑ ‑2  ‑ ‑ 2 9 4  

(香法

' 9 2 )

(5)

日米貿易摩擦問題(波光)

アメ

リカ

は︑

その後日本に対し︑綿製品以外の化合繊・毛製 品についても輸出規制をするための政府間協定を締結するよう

交渉を求め︑

日米間の交渉は一九六九年ごろから行われた︒当

初は日本側が自主規制によって対処するとの方針であったが︑

が交渉に応じない場合には輸入制限を実施するとの強い態度に

出た︒結局︑

出数量を制限することを内容とする日米繊維協定が締結された︒

︹カ

ラー

テレ

ピ︺

て国際市場の三

0

%を占める勢いをみせ︑

出は一一九六万台となり︑このため︑

六年九月国際貿易委員会

( I T C )

アメリカ市場にも急 アメリカのテレビメーカー

に対

し︑

七四年通商法二

0

一条に基づき日本製カラーテレビについて提訴した︒

ITC

米国カラーテレビ産業保護委員会

(C

OM

PA

CT

)は ︑

一九

況になった︒ は

︱一社にまで減少する状六

0

年代には二八社あったものが︑ 速に進出した︒

一九七六年のアメリカ向けのカラーテレビの輸

日本のカラーテレビ輸出は︑一九七五年にはアメリカを抜い

一九

七一

年一

0

月化合繊・毛製品について対米輸

日本メーカーが独占する形になっている︒

その後日本の家電メーカー七社がアメリカに現地進出し︑現

アメリカ側はあくまで政府間協定を求めてこれを拒否し︑日本

︹ 鉄

鋼 ︺

こ ︒

てい

る︒

提訴について調査した結果︑

これをうけて︑

七七年三月﹁アメリカ産業に被害

を与えている﹂とのクロ裁定をした︒

日本からの輸出数量を制限することを内容と する日米協定を締結することについての交渉が行われ︑七七年 五月﹁三年間︑年間一七五万台制限﹂を内容とする市場秩序維

 

持 協 定

(OMA

O r

d e

r l

y  

M a

r k

e t

i n

g   A

g r

e e

m e

n t

) が

締 結 さ れ 地生産が輸出を上回ることとなって八

0

年六月に

O M

Aは終了

した︒なお︑現在アメリカのメーカー︱一社はさらに一社にま

で減

少し

︑ アメリカのカラーテレビ市場はアメリカに進出した

OMA

はこ国間の合意に基づく貿易規制であり︑自由多角無差別貿易を原則とする

GATT

の精神に反するものである︒しか

し ︑ OMA

は輸人国による一方的な輸入制限でなく︑輸出国側の合意のドに行われることから︑ガットルールのグレイゾーンに属

する

もの

とさ

れて

いる

︒ 日本の鉄鋼産業は︑積極的な技術導人︑設備投資の拡大︑新

技術の開発などで一九六九年には世界第一位の鉄鋼輸出国にな

一 七 三

1 2 ‑ ‑2  ‑295 

(香法

' 9 2 )

(6)

VER.VRAもGATT卜問類がある︒しかし︑これらは輸 出国の自

I

的な貿易の抑制であって輸入国による一方的な輸人

制限

とは

異な

り︑

GATTルールのグレイゾーンに属する︒VER.VRAは︑輸出数贔を規制することによって相手国産

業の産業調整に協力するという面を持っている︒しかし︑これら

の持つ問題点としては︑①本来臨時的なものである筈であるが︑

果たして輸出数楢が規制されている間に相手国において生産性

の向卜や品質の改善が図られているか︑②製品二個渭たりの付加価値の引卜げによって高品質分野が拡大される︑③現地生産が多

九年からは五

・ O

%\五・三%とされた︒

ード

も提

訴︶

ITC

は八

0

年一月︑﹁日本車の輸入は︑アメ に提訴した

︵ 八

0

年八月フォ ドも八

0

年に赤字となった︒ で日本車は七九・五%を占めた︒3アメリカ国内では︑ビッグ

・三

%に

達し

0

年におけるアメリカ総輸入車のなか

アメリカでのシェア一六・六%︑八

0

年一九一万台︑

Ag

re

em

en

t)

は一

九八

四年

に締

結さ

れ︑

市場における日本シェアの規制枠は︑八四年から五・八%︑

Jれに基づくアメリカ

 

日 米 鉄 鋼 輸 出 自 E 規 制 協 定

(VRA

V o

l a

n t

a r

y  

Re

st

ra

アメリカにおいては︑ 鉄鋼輸出価格︵人着ベース︶

をダンピングとならない一定水準

4

0

日本からの低価格輸出も問題とされ︑七八年一月アメリカヘの

アメリカに対する輸出は六

0

年代末ごろから急増した︒

V o

l a

n t

a r

y  

アメリカ鉄鋼業界に輸入制限立法

化の動きもあったことから︑輸出を自主的に制限することとし︑

 

一九六七年から鉄鋼輸出自主規制

(V

ER

Ex

po

rt

 

Re

st

ri

ct

io

n)

が実

施さ

れる

こと

にな

った

︒そ

の後

数憤

以外

にも

L

の高さに維持する仕組みである﹁トリガー価格制度﹂が導

人さ

れた

日本の鉄鋼業界としては︑ り

︹ 自 動 車

日本車の輸人の怠増とアメリカ自動車

い場合︑これを含めた総量規制でないと意味がない︑などの点が

指摘

され

てい

る︒

ールとして多国間鉄鋼協定

( M

S A

)

交渉が行われているが︑

MSA

はまだ成立していないので︑現在は規制は行われていな メーカーの経営悪化・失業増という中で︑対日批判は一九八〇

年から八一年にかけて強くなった︒日本車の輸人は︑

七七

万台

のう

ち︑

クライスラーが七九年に赤字に転落し︑

このような情勢の中で︑全米自動車労連

( U

A W

)

は八

0

六月︑七四年通商法二

0

一条に基づき日本車の対米輸出規制を 求めて国際貿易委員会

( I

T C

)

G

M

とフォー

>

R

これに代わるルAは一九九二年二月で期限切れとなり︑

七 四

七九

年一

12‑2  ‑296 

(香法

' 9 2 )

(7)

日米貿易摩擦問題(波光)

ことを内容とする日本車規制法案が議会に提出されるなどの動

きが

あり

︑ 日本政府は八一年五月﹁今後三年間対米自動車輸出

を自セ規制する﹂との発表を行った︒その内容は︑

から八四年こ月までの三年間︑年間輸出台数を一六八ガ台とす る︑規制方法は外国為替及び外国貿易管理令に基づき各社から

輸出台数の報告をとり監視するというものである︒

自主規制は︑その後一年延長されて︵規制枠一八五Jj台︶八

 

五年三月で一旦撤廃されたが︑日本は八五年四月から規制枠を

‑ ]   : o

万台とすることを独自に決定して規制を継続した︒二三

0

万台枠は九一年まで続き︑九二年は一六五万台に縮小された︒

※アメリカが自主規制の延長を望まなかった理由は︑

ITC

報告

によって明らかにされた﹁消費者不利益﹂を無視できなくなった

こと

にあ

る︒

なお︑九

0

年の輸出台数は一九↓︱‑Jj台であり︑現地生産が約

1 0

万台であるから合計で約:一

00

万台となり︑これは︑ア

メリカ市場約一︑

000

Jj

台の

0

%となる︒また︑九

0

年に

しか

し︑

した

こよ

八一年し

t

﹁三

年間

リカ自動車産業に被害を与えていない﹂とのシロ裁定を下

八一年四月 年間一六

0

万台に制限する﹂

S T R )  

始さ

れ︑

一 七 五

に︑

七四

年通

商法

↓︱

1 0

一条に基づき調在を開始するよ

う提訴した︒調在が開始されたのをうけて日米半導体交渉が開

八六年九月に第一回政府間協定︵期間五年間︶が成立

本は半導体をダンピング輸出しているとして︑通商代表部

( U

アメリカの半導体工業会

( S

I A

)

よ ︑

, 9,  

一九

八五

年六

月︑

日 われる

︵古

川栄

﹁ 米

H

貿易白書﹂日刊工業新聞社︶︒

撤退

し︑

また

EPROM

メーカーは大きな損失を蒙ったとい

( D R A M )

生産から

優位に立ち︑ 車輸出入のインバランスによっている︒ と大幅な不均衡を示しており︑日米貿易赤字の三分の二は自動

半導体は︑現在急成長をとげているエレクトロニクスおよび 情報産業全般に用いられ︑産業のコメといわれるほどのもので ある︒半導体の開発国であるアメリカは世界の半導体取引にお

RAM

︑ いて圧倒的な地位を占めていたが︑によってその地位が逆転した︒とくに日本は︑二五六キロビッ

一メガビット

RAM

などの最先端分野でアメリカに

︹ 半 導 体

一九

0

年代日本の急成長

一九八五年には日本メーカーによる二五六キロビ

ット

RAM

の大幅な値下げが行われたために︑アメリカの半導

体外販メーカー八社のうち六社がメモリ おけるアメリカの対日輸出台数は約四万台で︑日本の対米輸出

1 2 ‑ ‑2  ‑ ‑ ‑ 2 9 7  

(香法

' 9 2 )

(8)

あたり日米双方が共通の計算式を用いる︑りダンピング防止措 た︒その内容は︑

日本市場における外国系半専体のシェアが

九二年末までに︱

1 0

%になることを期待する︑いシェア算定に

一九九一年六月︑第一一回政府間協定︵期間五年︶が締結され シェア上昇が条件﹂として拒否している︒ に

相当

︶ 報復措置は八七年六月に一部解除された︒日本はアメリカに全

面解除するよう再一二要請しているが︑﹁日本での外国系半導体の

に対

し︑

1 0 0  

%の高率関税をかけることになった︒ した︒合意内容は︑

日本市場における外国系半導体の市場参 人機会を拡大する︑いダンピングを未然に防止するため︑日本

政府は︑アメリカおよび第一︳一国向けに輸出される半導体の輸出

価格をモニタリングする︑りアメリカ政府は︑アンチ・ダンピ

一九

八七

年四

月︑

アメリカは日本が半潤体協定に違反があっ

たとして︑七四年通商法一

・ : o

一条に基づき報復措置を発表した︒

その理由は︑外国系半導体の日本市場への参人が不十分である

こと

︑ および日本企業による第三国向け輸出にダンピングが続 いているというものである︒報復の対象とされたのは半群体そ

のものではなく︑

めに

パソ

コン

︑ 輸入総額は︑

アメリカ産業が失った販売機会を相殺するた カラーテレビおよび電動じ具︵これらの対日

アメリカ半導体業界が失った期待販売額三億ドル ング調査を中止するというものである︒

憤として政府に代わり企業が価格データを収集・保存する︑ロ 電動工具・パソコンに課された対日制裁措憤を解除するという

もの

であ

り︑

なお

て協議を中し立てた︒ガットの紛争処理委員会︵パネル︶

八八

年三

月︑

の監

視は

︑ アメリカは従来日本の農産物一二品目の輸入制限はガット違

反である旨主張し︑

九八四年四月︑

こよ

り︑

︐ で

合意

した

しか

し︑

い︑アメリカの要請に基づき︑

ネル

は︑ ︹

農産

物︱

二品

目︺

害するとして︑ガット違反の裁定をドした︒

措置であるが︑これに対し

E

C

は ︑

一九八六年ガット違反とし で引き上げられることを迫っている︒ アメリカは︑外国系半尊体のシェアが︱

1 0

%にま

日米半導体協定はガットの立場からはグレイゾーンの

ょ ︑

,1 

日米協定による日本の第三国向け半導体輸出価格 日本から半導体の供給をうけている第三国の利益を

ガットに基づく協議が行われてきたが︑

日本が部分自由化・輸人枠拡大などを行うこと

アメリカがガット協議の手続きを一一年間停止すること

八六年四月に停止措憤が期限切れとなったことに伴

ガットにパネルが設置され︑

八八年二月︑雑豆と落花生を除

v ‑ ] 0

品目の輸入制限

はガット︱一条︵輸出入の数量制限の原則禁止︶

に違反すると

一 七 六

12~2 -~298

(香法

' 9 2 )

(9)

H

米貿易摩擦問題(波光)

アメリカは︑従来日本の牛肉・オレンジの輸人制限について 自由化要請を行ってきたが︑日本側は輸人枠の拡大等を行うこ とにより対応(‑九八

0

年度

\八

1年度および八四年度\八七

年度の一一回にわたり輸入枠拡大等につき合意︶

:九八八年三月で四年間の協定切れとなるのをうけて輸人自 由化問題について閣僚レベルでの日米交渉が行われた︒日本政

府の態度は︑当初は牛肉の自由化は困難とするものであったが︑ ︹牛肉・オレンジ︺

ていない︑保存のきかない農産品ではない︑国家貿易といえど

も︱一条の適用をうける等である︒

これに対し日本は︑け乳製品・でんぷん以外の品目は裁定案 をふまえて適切な措憤をとるよう努力する︑い乳製品・でんぷ

メリカと協議し︑

合意に達した︒ 保

する

八八年七月︑ ︵これについては態

度を留保する︶︑向パネルの国家貿易の関連条項はガットの制定

経緯を無視したもので同意できない

八品

H

について九

0

年四月まで

に順次自由化し︑残る一一品目についても参人改善を図ることで

して

きた

次第に自由化した場合の国境措置対策に菫点がおかれ︑課徴金 の設定を求めた︒アメリカは︑関税の引き上げは認めるものの 課徴金設定には反対し︑他方では八八年四月ガットに提訴し︑

この間日米事務レベル交渉が何回ももたれる一方︑八八年六 月には日米首脳会談により二国間による早期決着を図ることが

確認された︒これをうけて同月閣僚による会議が行われ︑牛肉・

オレンジ問題はようやく決着し︑同年七月両国間で正式調印さ オレンジジュースは九二年四月から自由化するというものであ

全米精米業者協会

( R

M A

)

よ ︑

,1 

メの輸入を実質的に禁止しているのは不公正な貿易慣行である として︑七四年通商法三

0

一条に基づき

USTR

に提訴した︒

場で協議することとして提訴を却下した︒

USTR

に提

訴し

RMA

は一九八八年九月︑再度日本のコメ輸人の禁止はガッ

トに違反しているとして、八八年包括通商法一―•O一条に基づき

日本のコメ市場開放を強く求めた︒これに

しか

し︑

︹ コ

USTR

は同

年一

0

月 ︑

一 七 七

ガットの新多角的貿易交渉の

一九八六年九月︑日本がコ

メ ︺

り︑日本農業にとって極めて厳しいものとなった︒

との意見を述べた︒こうした考えに基づき提訴国のアれた︒決着した内容は︑牛肉・オレンジは一九九一年四月から︑

︵これについても態度を留

んについてはパネルの解釈に同意できない

ガット理事会は同年五月にパネル設置を決定した︒

の裁定を出した︒違反とされた理由は︑国内で生産制限がされ

12‑2  ‑299 

(香法

' 9 2 )

(10)

現状維持ないし数量制限の強化を主張するものであった︒ ついても

USTR

は︑同年一

0

月 ︑ ウルグアイラウンドの中間 見直し会議で日本がコメ市場開放により積極的な対応をぷすこ

ととして提訴を却下した︒

ウルグアイラウンドにおける農業交渉では︑第一次農業提案

で︑農産物輸出国が農産物の完全自由化を目標とするのに対し︑

輸入国は一定の国内保護を前捉としたうえで秩序ある輸出を目 標とするというように完全に対立した︒輸出国を代表するアメ

リカ案は︑今後一

0

年間にすべての輸入調整措置・補助金を廃 止するというものであったが︑輸人国を代表する

E

C

案は︑協

調的・漸次的に農業保護を削減するというものであり︑日本案 は︑食糧自給率の極端に低い国については輸入数埴制限を認め

るべきだとする保設的性格の怖いものであった︒

第二次農業提案で︑アメリカ案は︑非関税障壁を関税という 計測可能でかつ交渉の容易なものに置き換えるとともに︑それ

を 一

0

年間で段階的に縮小しようというものであるのに対し︑

E

C

案は︑総合的保護計量手段

( A

M S

)

によって各国の﹁農 業保護の総体﹂を数量的に計測するとともに︑それを五年間で

各国が協調して段階的に引き下げていくというものであった︒

日本案は︑基礎的食料については国内自給を図るとする﹁食

糧安全保障﹂を基本とするものであって︑輸入制度については

難航を菫ねた農業交渉を終息させるため︑一九九一年︱二月︑

ドンケル・ガット事務局長は包括協議案を提示した︒その骨子 は︑け現存の輸入数量制限など非関税輸人障壁をすべて関税に

置き換え︵日本のコメは約七

00

%と推定されている︶︑それを

一九九三年から九九年までに当初関税率を平均して三六%︑単 品は最低で一五%削減する︑いこれとは別にミニマム・アクセ

︵最低輸入枠︶を設け︑初年度で国内消費鼠の三%︵日本の

コメは約三

0

万トン︶をゼロまたはそれに近い関税で輸入し︑

この枠を最終年度には五%︵同約五

0

万ト

ン︶

うものである︒包括協定案の提示をうけて各国は関税率や国内

保護削減に具体的数量を記入した市場開放計画︵国別リスト︶

を提示することを求められており︑ガットではこれをもとに具

体的数字の議論に入ることになっている︒

その他の問題としては︑建設市場の開放問題などがある︒建

設市場開放問題は︑

そ の 他

一九

八五

年︑

に拡大するとい

アメリカが関西新空港プロジ

ェクトの入札など手続きの透明性の確保︑下請・物資調達・コ

ンサルティングヘのアメリカ企業の参加を要請するとともに︑

これをモデルとして他の大型公共事業にも参加できるようにす ることを要請したのが発端である︒日本側は︑特定の大型公共

一 七 八

12~2~-300

(香法

' 9 2 )

(11)

日米貿易摩擦問題(波光)

日米貨易摩擦の対象とされた個別品目についての対策は︑前

ヽ~ 月から二国間交渉を開始し︑問題の解決を図る必要があるとい 理

であ

り︑

アメリカ企業に負担あるいは制限を仔えている︑い

ただし︑現時点で一

・ 1 0

一条に基づく報復措置をとることは適切

でない︑仇アメリカは日本の市場開放努力を監視し︑九

0

年 一

うものである︒

その後︑建設市場開放に関する日米交渉が行われているが︑

アメリカは︑日本に対し︑談合防止措置の確立︑指名基準の明

確化などを要求する一方︑九

0

年に行われた関西新空港の旅客 移動システムの人札で︑有力視されていたアメリカ企業でなく

日本企業が落札したことは日米建設合意に違反すると

E

張して

三︑貿易摩擦改善のための総合対策

日本政府の行為>政策︑慣行は不合まとめた︒その内容は︑

であ

った

が︑

く︑大幅減税は所期の効果を生まず︑政府の財政の悪化をもた 総合対策について述べる前に︑めの国際協力についてまず触れておかなければならない︒

︹ブ

ラザ

合意

︺ 字が増加したことは前に見たとおりであり︑そのころから中央

政府財政の赤字も増大した︵この二つの赤字は双子の赤字と呼

ばれる︶︒八一年一月に大統領に就任したレーガンの経済政策

︵レーガノミックス︶は︑①政府支出を削減し︑財政赤字を減

らす︑②大幅減税により供給力を増やす︑③インフレ抑制のた

め高金利を維持してマネーサプライを抑えるというものであっ

た︒この政策によってインフレ率の引下げには成功したが︑歳

出削減計画は議会の反対などのために実行できないばかりでな

らす結果となった︒財政赤字はカーター時代は三

00

億ドル台

アメ

リカ

は︑

0

一条に基づく調脊を開始し︑八九年 "一"︱"ir'

ト '

調在報告書を

八四年には史じ空前の二︑

一 七 九

︱一九億ドルにまで急 レーガン政権下の一九八二年から貿易収支の赤 アメリカの国際収支改善のた

とす

る︒

しか

し︑

USTR

は ︑

一九八八年

1

‑F! 八八年包括通商法]︑ 摩擦改善のための総合的対策が講じられており︑その重要なも

事業プロジェクトに外国企業が参加しうる方策について検討す

ることを約束するとともに︑八八年三月︑羽田空港沖合展開事

業など七つのプロジェクトを対象として参人措置をとった︒のは以下のとおりである︒この中には必ずしも総合対策とはい

い難いものも含まれているが︑便宜

t

ここで併せて述べること 述のとおりそれぞれの問題に対応して講じられているが︑貿易

1 2 ‑ ‑2  ‑301 

(香法

' 9 2 )

(12)

H

本の市場開放のための日米協議として︑

ら三月にかけて市場重視型個別協議

( M o s s )

が行

われ

た︒

これは︑り日本の市場は︑輸入数讃制限の撤廃や関税の引下げ

によって外国製品が容易に参入できないのは︑輸入手続き︑基 一九八五年一月か 対し日本が市場を開放することが求められた︒

案が相次いだことからである︒ 五年のアメリカの貿易赤字全体の三分の一が対日貿易赤字で占 的な市場開放策をとらざるをえなかったのは︑一九八四年と八 を抑制することが求められたほかに︑アメリカの俊秀な製品に 日米貿易摩擦問題は︑日本からアメリカに対する輸出の怠増

MOSS

協議

ションプログラム︶を発表した︒その内容は︑鉱工業品︑農水 開放対策について検討し︑同年七月︑市場開放行動計両︵アク

安は

進行

し︑

八六年七月には一ドル一五

0

円台にまで達した︒A

0

なし一九八五年四月に対外経済対策推進本部を設置して市場

した 1国の中央銀行の市場介人により︑急速な円高・ドル安が実現

︵八

五年

一一

月一

ドル

: o o

円前後︶︒その後も円裔・ドル 書が作成された︒

ょ ︑

ィ ッ

i

アメリカに内需拡大を約束した︒以降︑日・米・西独 蔵大臣・中央銀行総裁会議︶は︑﹁五か国が協調してドル高を是

正する﹂ことに合意︵プラザ合意︶ 了几八五年九月に開かれた

G 5

(日・米・西独・英•仏の大

するとともに︑日本と西ド 赤字増大を招いた︒

気通

信︑

エレクトロニクス︑医薬品・医療機器︑木材製品の四 外国製品の流入︑泊費増大︑貯蓄率低下とともに︑貿易収支の 膨張した︒また︑高金利政策は︑高金利で運用できるアメリカへの領金︑国債購人のためのドル需要を邸め︑ドル裔を招き︵八五年二月には一時一ドルニ六三円を記録した︶︑ドル翡は︑安い 準・認証その他の規制︑流通構造︑商慣習に問題があるからであり︑これらの諸問題の総合的な解決を図らなければならない︑に

つい

て行

う︑

いこれらの問題の解決をアメリカの輸出拡大が期待できる品日

というものである︒協議対象とされたのは︑電

分野

で︑

要求

した

MOSS

協議は︑八六年一月に共同報告内を作成し︑

これをもって四分野協議は終結した︒

分野に指定された輸送機器についても︑

日本としても市場開放に積極的に取り組まなかったわけでは

産物の計一︑八五

0

品目の関税引ドげ︵一部撤廃︶を八六年の

早い時期に実施するというものである︒日本がこのように積極

とし

て︑

アメリカはこれらの分野で日本が市場を解放するよう

八六年五月に

M o s s

八六年八月に最終報告

めることになり︑この原因が日本の輸入規制や保護主義にある

アメリカ議会で対日報復を求める保護︑E義法案や決議

一 八

12‑2  ‑302 

(香法

' 9 2 )

(13)

H

米貿易摩擦問題(波光)

に)(:ー:)(一‑)

(イ)け

USTR

は ︑

一九

八二

年︑

した︒その中で︑

H

本からアメリカに対する輸出が

急増する一方で︑アメリカの日本に対する輸出が伸びないのは︑

日本国内に輸入障競があるからだとする報告書﹁日本の貿易障 墜と日本政府の最近の市場開放策﹂をとりまとめて議会に提出

日本政府の貿易障壁は︑輸人政策︵関税︑輸

入割当︑通関手続︶︑規制政策︵規格︑許認可︶︑産業政策︵産

業誘導︑行政指導︶などにあり︑民間の貿易障壁は︑流通系列︑

国産品愛用などであることを指摘した︒アメリカ政府は︑報告 書の内容を踏まえて︑

H

米貿易収支の不均衡是正のため︑内需

拡大︑規制緩和︑産業構造の転換などを求めてきた︒

このような情勢の中で︑日本政府から内需主導型経済成長を 図るための政策課題について検討を依頼されていた国際協調の

ための経済構造調整研究会は︑一九八六年四月︑︑報告書︵前川

リポート︶を提出した︒その内容は次のとおりである︒

輸出指向型経済構造を国際協調型経済構造に変更する︒

内需拡大策として︑住宅政策︑消費生活の充実を図る︒

産業構造を国際的に調和のとれたものに転換する︒

市場アクセスを改善して輸人促進を図る︒

金融自由化︑国際通貨価値の安定化を図る︒ ︹前川リポートの発表︺

USTR

は ︑

一条

は︑

れた

一九八八年八月︑

一 八

八九年と九

0

年に限り強化改正さ

対日貿易赤字は逆に増加して八六年には五一四億ドルに達し︑ 当時の中曽根首相は︑八六年五月の東京サミットで報告書の

内容を発表し︑誠実にその内容を実行することによって︑

円高・ドル安などの効果も徐々に出て︑ 日本

アメリカの貿易赤字

は︑全体としては一九八八年以降減少傾向を示した︒しかし︑

八七年には史上最高の五ニ︱億ドルを記録した︒このような状 況からアメリカの対日批判はさらに高まり︑七四年通商法三〇

※新通商法︵八八年包括通商法︶1

: o

一条

︵ス

ーパ

ー三

0

一 条 ︶

は︑①不公正貿易慣行の定義を拡げて︑個別製品・サービスだけでなく︑国全体として市場閉鎖性をも問題としうる︑②報復措置の発動権限を大統領から

U S T R

に移

した

こと

を特

徴と

し︑

旧︱

0

一条に比し保護主義的な色彩の強い条項となっている︒

一九

八九

年五

月︑

スーパー三

0

一条の発動によ

り︑不公正貿易国として日本を特定し︑不公正貿易行為として スーパーコンピューター︑衛星︑木材製品の三品目を調査交渉

︹ス

ーパ

ー=

o

一条

の適

用︺

が輸入大国をめざすことを約束した︒

12‑2  ‑303 

(香法

' 9 2 )

(14)

一九八九年七月アルシュ・

る﹂と表明されるなどの圧力の下で行われ︑九

0

年六月に日米 国企業が参入できないためであるとの批判がアメリカでますま

造問題でスーパー三

0

一条の適用を求める法案提出を検討す

していくことを提案し︑協議を重ねた︒ 国としての日本の特定は行われなかった︒ の対象とした四年から八九年まで︑九件調在開始︑半導体については協定違反として報復措置がとられている︶︒ただし︑制裁発動までに︑交渉と協定締結・実施を見極めるために︑三年間の期間がある︒の場で協議すべきことを主張したが︑れぞれ日米交渉が行われ︑

︹日

米構

造協

議︺

にもかかわらず︑

ドル水準に近いことの背景には︑

す強くなってきた︒こうした中で︑ その後三品目についてそ

日本側が内外無差別調達を実施する

導入手続きを簡略化する︑

JAS

等の規格を簡素化する︑関税 引ドげを図る等の提案を行い︑アメリカ側がこれに同意したた め︑報復措置はとられなかった︒また︑九

0

年には不公正貿易

一九八五年九月プラザ合意による急激な為替調整︑ 日本としては︑アメリカの指摘するような問題は︑

八六年四

月前川レポートに沿った日本の内需主導型経済成長の促進など

日米間の貿易不均衡幅が依然として五

00

日本市場が閉鎖的であり︑外 サミット時の日米首脳会談において︑国際収支不均衡の縮小に

貢献するために︑貿易および国際収支調整の障墜となっている

GATT 

日米構造協議は︑ 催することに合意した︒ ︵なお︑七四年通商法三

0

一条

の発

動は

一九

両国の構造問題を明らかにし︑解決することを目的として︑

米構造協議

( S

‑ .  

‑ .  

S t

r u

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  I

mp

ed

im

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ts

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t i a t

i v e )

を開

一九八九年九月から開始され︑アメリカ側

は︑日本に対し︑日本の流通制度や取引慣行が外国企業にとっ

て市場障壁となっており︑国内投資不足とあわせて構造的な黒

字体質になっているとの観点から、①貯蓄過剰など貯蓄•投資

バランス︑②土地政策︑③流通制度︑④排他的取引慣行︑⑤系 列取引︑⑥価格メカニズム︵内外価格差︶について検討してい

くことを提案し︑

カの財政赤字の背景として民間貯蓄の低さや過剰消費体質があ り︑企業の短期業績主義が競争力の低下を招いているとの観点

から、①過剰消費など貯蓄•投資バランス、②企業投資、③政

府規制︑④研究開発︑⑤輸出振典︑⑥労働力向上について検討

協議

では

一方

︑日

本側

は︑

アメリカに対して︑

アメリカ側から次々と難題が提案され︑日本側の

対応に強い不満を持つアメリカ側から﹁協議結果によっては構 両国の改善点を詳細に述べた最終報告書がまとめられた︒双方

の改善点の主要な内容は次のとおりであり︑日本側の改善点は

一 八

アメリ

12‑2  ‑304 

(香法

' 9 2 )

(15)

日米貿易摩擦問題(波光)

アメリカ側改善点 る 日本側改蕃点貯蓄•投資バランス・・・・・一九九一\二0

00

年度

‑ 0

年間の

公共投資を四三

0

兆円とし︑その配分に当たっては︑住宅︑

道路︑空港など生活関連の社会行本整備にできる限り配慮

して

いく

土地政策:

. . .  

低未利用地の利用促進策の策定

・保有税︑相続税など土地税制の適正化

・大都市圏の市街化区域内農地の宅地並み課税

流通制度:・・・輸入拡大のための輸入協議機関を設置

・大店法を改正し︑出店調整期間を最長一年に短縮

・独禁法の運用を明確化したガイドラインを作成

排他的取引慣行:

. . .  

違法カルテルに対する課徴金の引上げ

・独禁法二五条に基づく損害賠償請求訴訟で公正取引委員会

が原告を支援する

•特許審査期間を五年以内に平均二四か月に短縮

系列取引:•••株式の一0%以tを保有する系列関係の取引状

況の情報開示を義務付け

価格メカニズム・・・・・五二項目の内外価格差を定期的に点検す 六課題二四

0

数項目にのぽる︒

一 八

輸出振興:・・・九一年度連邦予算で一億五︑九

00

万ドルの輸

要求

貯蓄•投資バランス:

. . .  

財政赤字削減策として増税など増収

策を検討・九一年度予算教書はグラム・ラドマン法強化を提案

・家計貯蓄口座など貯蓄優遇策の創設を提案

企業投資:

. . .  

反トラスト法の一部緩和

・外国企業課税強化法案に反対

政府規制:・・・対共産圏輸出調整委員会の規制を緩和

研究開発:・・・九一年度連邦予算で研究開発費四丘億ドル増を

出振興費を提案

労働

力向

上:

・・

・ニ

000

年までに高卒率を九

0

%以上とする

など六つの国家教育目標を設定

・職業訓練プログラムのため九一年度連邦予算で四

0

億ドル

を要求

日米構造協議のフォローアップ会合は︑一九九

0

年度

は三

回︑

九一年度以降は二回のペースで開催されており︑九三年度には

会合そのものの見直しが行われることになっている︒

12‑2  ‑305 

(香法

' 9 2 )

(16)

惧されるという点が特に問題となる︒ 世界経済は︑現在(‑九八九年︶約︱

1 0

兆ドル強︵名目

G N

P )

の規模に達しているが︑その中で︑アメリカは五兆ドル強︑

E C

は五兆ドル弱とそれぞれ世界の約四分の一を占め︑日本は 三兆ドル弱と世界の約一四%を占めている︵市場経済への移行

を進めつつある旧ソ連・東欧は合わせて三兆ドル強︶︒日本の大

幅な貿易黒字が問題とされるのは︑日米欧の三極構造の但界経

済の

中で

あるということである︒ 四 ︑

日本のみが黒字を計

L

し ︑

かつ︑これが常に大幅で

とくにこれまで常に世界をリードして

きたアメリカの債務の累積は︑今後の進展の方向によっては︑

世界の金融システム︑世界貿易に大きな影欝を与えることが危 アメリカの貿易赤字は年間一︑

000

億ドルを超えている︒

これを改善し︑均衡させることは並大抵ではない︒しかし︑貿 易収支が均衡しない限り対外債務の累積は増大をつづけること になる︒アメリカの対外債務は一九八九年現在六︑六

00

億ド

ル強であり︑これに対する利払いだけでも債務に対する金利を 五%としても︵五%という想定は楽観すぎる可能性すらあると される⁝中谷厳﹁責任国家・日本への選択﹂季刊アスティオン

日米貿易摩擦に対する視点

とはできないのであり︑対策の緊急化が果たして十分理解され 第二次世界大戦終結時において︑アメリカは世界

GNP

の圧

倒的な部分を占めていた︒その強力な経済力︑政治力を背娯と して︑戦災国の復興に貢献するとともに︑戦後の西側の国際経 済体制の中心をなす

IMF.GATT

体制を確立した︒西側諸 国はその体制下において為替取引の自由化と貿易制限の撤廃に 協力したため︑世界貿易は急速に発展し︑世界経済は高い成長 を示した︒戦後の日本経済も重化学工業を中心として生産力の

拡大とその輸出によって急速な進展をみせ︑"東洋の奇跡を実

貿易収支の赤字による構造的危機に悩んでいる中にあって︑① 現した︒石油危機後においても︑欧米経済がインフレ︑不況︑ ているのだろうかとの疑問すら持たざるをえないのである︒ 効な対策が講じられない限り危機的状況への進行を阻止するこ 億ドルとなる︒経常収支が均衡する六一九八七号︶︑年間三三

0

ためには︑貿易収支が均衡しさらに一︳一三

0

億ドルの黒字を計上 する必要があるという計算になる︒そういう奇跡的な改善が実 現してはじめて対外債務累積がストップするのである︒ところ が現状は︑大幅な貿易赤字によって累積債務は年々増加してい る︒このような状況は︑財政における巨額な赤字︑アメリカ同 民の過剰消費体質︑産業の国際競争力などからみて︑短期的に 大きく改善されるとの見通しは立て難い︒しかし︑何らかの有

一 八 四

1 2 ‑ ‑2  ‑306 

(香法

' 9 2 )

(17)

日米貿易摩擦問題(波光)

高い生産性︑②技術革新︑③高い貯蓄率と投資などの要因から

比較的早く立ち直り︑以降着実な経済成長を果たした︒日本経 済研究センターの予測では(‑九九ニ・ニ・ニ五日本経済新

聞︶

︑二

0

1 0

年まで日本は平均四・ニ%の経済成長をする

去二0年間の平均は四•四%)とみられており、この場合、ニ

0‑0

年における実竹

GDP

は ︑

E C ( ]

二か

国︶

0

兆ド

ル︑

アメリカ八・九兆ドル︑日本六・六兆ドルに達するとみられて

この

よう

に︑

日本が終戦から今日まで飛躍的な経済成長を果

たし︑今後とも着実な成長をみせると予測されるのも︑世界市

場において自由通貨制度と自由貿易秩序が確立されているから

である︒このような国際経済体制の最大の受益者である日本が︑

そうした体制の維持︑発展のために貢献しなかったとしたら日

日本としては︑ガットの指向する基本原則でもある自由な国

際経済体制の維持︑発展に貞献するとの強い決意を持つ必要が

ある︒そして前川リポートや日米構造協議でポされた︑日本内

部の制度改革や市場開放を着実に実行する必要がある︵さらに︑

これまでアメリカが中心に果たしてきた途じ国に対する開発援

助や産業・技術協力などの強化も求められる︶︒

日本が内部の制度改革を実行し︑オープンな輸人マーケット 本はフリーライダーとの批判を免れないことになる︒ い

る︒

︵ 過

一 八 五

への変革をめざす﹂とする新経済五か年計画の基本的考え方と になる︒この方向は︑一九九二年六月に発表された﹁生活大国 多くの国民は望んでいるのである︒ を世界に提供していくことは︑世界経済に貢献することとなるばかりでなく︑日本国民全体にとって大きなプラスとなる側面があることを見逃してはならない︒従来の経済政策運営は︑産業競争カ・輸出拡大重視型であったが︑これを生活重視刑に変更することはこれまで様々な政治的圧力で実現できなかった︒多くの国民は社会貿本の充実︑規制緩和などを求めているが︑これらの要求は︑これまでの

f

算配分や政府規制によって利益

を受けている小数者の権益を守るためにことごとく退けられて

いた︒改革を求めるサイレント・マジョリティの利益が︑ノイ

ジイ・マイノリティの利益によって犠牲にされていたといって

も良い︒これをアメリカの外圧という形で改革することを

日米構造協議の報告書に盛られているるように︑公共投資を

一九九一年から10年間に過去―0年間の投資額の1•六倍強

に当たる四三

0

兆円を社会資本幣備に充てていくこと︑大都市

地域における住宅・宅地の供給を促進すること︑大店法を改正

すること︑競争条件を幣備すること︑内外価格差の縮小に努め

ることなどはまさに生活重視型に経済政策運営を変吏すること

一致

する

1 2 ‑ ‑ ‑2  ‑ ‑ 3 0 7  

(香法

' 9 2 )

(18)

く望んでいる︒ 新聞︶︵経済企画庁が八八年に実施した生活関連品目の価格調脊グの1•四七倍となっている)。

そし

て︑

その最大の原因は︑政

府規制であり︑牛肉・乳製品に対する価格支持︑酒税法や大店

法による参人規制などを指摘されている︒

多くの国民は︑経済大国の国民として真の豊かさを実感でき

るようになるために残された問題が早急に解決されることを強 でも︑東京の物価水準はニューヨークの一・三九倍︑

ハンブル

‑.三八倍であると述べている︵一九九ニ・四・ニ八日本経済 国民一人当たりの

GNP

二︑六

00

ドル

に次

いで

世界

第一

.一

位で

あり

︑ 七八

0

ドルを上回っている︒ アメリカの一九︑

しかし︑我々が生活の豊かさを実

感しないのは︑日本は社会資本幣備が遅れていること︑住宅・

土地価格が高いこと︑物価が高いことなどによるものである︒

ダイエーの中内会長は︑九一一年二月時点で調育した生活必需品

四八品目の日本とアメリカとの価格差は︑

日本がアメリカの

0

ドルで︑スイスの二七︑二六

0

ドル

ルクセンブルグの

︵一

九八

八年

は︑

日本

は︱

︱一

0

一 八 六

1 2 ‑ ‑2  ‑308 

(香法

' 9 2 )

参照

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