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ジ ノ ヴ ィ エ フ 演 説(1)

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(1)

ジ ノ ヴ ィ エ フ 演 説(1)

目 次

は じ め に

ハ レ臨 時大 会 まで ジ ノヴ ィエ フ の 演 説

小 括

は じ め に

倉 田 稔

本 稿 は,ド イ ッ 独 立 社 会 民 主 党1)ハ レ臨 時 大 会(1920年)で な さ れ た ゲ オ ル ギ ー ・ ジ ノ ヴ ィ エ フ の 演 説 を,紹 介 ・検 討 す る。 た だ し,紙 数 の 関 係 上,そ の

3分 の1に と ど ま る 。 さ て,ジ ノ ヴ ィ エ フ に つ い て 簡 単 に 紹 介 し て お く。

ジ ノ ヴ ィ エ フ(rpHropH負EBceeBHq31田oBbeB,1883〜1936)・ は,本 名 ラ ド ム ィ ル ス キ ー,ユ ダ ヤ 系 ロ シ ア 人,ユ8歳 で ロ シ ァ 社 会 民 主 労 働 党 に 入 党 し, 1902年 ス イ ス に 亡 命,1903年 ス イ ス で レLニ ン と 知 り 合 い,同 年 第2回 ロ ン ド

ン党 大 会 で,ボ ル シ ェ ヴ ィ キ 派 が で き て か ら,同 派 に 属 す 。 ベ ル ン大 学 に 学 び, 1907年 第5回 党 大 会 で 中 央 委 員,1908年 か ら レ ー ニ ン に 直 接 助 力 し,rプ ロ レ

Dド イ ツ 独 立 社 会 民 主 党 に 関 す る 文 献 ・ 1)ε ε 舟 θε んὲε.OrganderUSPD.1918‑1922.

Diθ1九̀emὰ̀o陀 αiaZentralorganderUSPDundOrganderVKPD.

1920.

EugbnPrager,Gescん εcん̀θ(∫erα 評j[λBerlin19222teAufl.

RobertF.Wheeler,し 召PD脇d伽 εrηὰ̀oπαZθ.FrankfurtBerlin Wien1975.'

DavidW。Morgan,既 θ8002α 旛 オZ⑳ αηd̀んeGermα πRθ ひo伽̀oπ.

L◎ndon1975,

Berlau,跣 θGermα πSocε αεDemocrα ホ εcPゆrεy,19ヱ4‑192ヱ 。N.Y.

1970.

ProtokollderUSPD.

森 戸 辰 男 『最 近 ド イ ツ 社 会 党 史 の 一 的 』 同 人 社,1925.噛

〔19〕

(2)

タ リー 』,rソ ツ ィ ア ル=デ モ ク ラ ー ト』 の 編 集 に 参 加 し た 。 第1次 大 戦 勃 発 後, レ ー ニ ン の 「副 官 」 と し て 活 躍 し,論 文 集 『流 れ に 抗 し て 』(Gegeη 鹿 π Sεrom,Hamburg1921)と 小 冊 子r社 会 主 義 と 戦 争 』(&)2ε αZ̀8㎜ωs㏄ πd κ 吻g,1915)を レ ー ニ ン と 共 作 で 出 す 。 ツ ィ ン メ ル ヴ ァ ル ト(1915)と キ エ ン タ ー ル(1916)の 会 議 に,ロ シ ア 社 会 民 主 労 働 党 ボ ル シ ェ ヴ ィ キ の 代 表 と し 冒

て,レ ー ニ ン と 共 に 参 加 し た 。1917年2月 革 命 後,レ ー ニ ン ら と 共 に,ド イ ツ 経 由 で 「封 印 列 車 」 に よ り 帰 国,新 聞rプ ラ ゥ ダ』 の 編 集,ペ トロ グ ラ ー ド 。 ソ ヴ ィ エ トで 活 動 す る 。10月 に レ ー ニ ン の 武 装 蜂 起 戦 術 に 反 対,そ れ を 新 聞 に 出 し た た め,除 名 さ れ か か る。10月 革 命 後,12月 に ペ ト ロ グ ラ ー ド ・ソ ヴ ィ エ ト議 長(1926年 ま で),1919年 に 共 産 主 義 イ ン タ ナ シ ョ ナ ル(コ ミ ン テ ル ン) 執 行 委 員 会 議 長(1926年 ま で)に な り,第1回 か ら 第5回 ま で 主 宰 し た 。1926 年7月 ま で,ロ シ ア 共 産 党 の 中 央 委 員 会 政 治 局 員 で あ っ た 。 そ の 後,ス タ ー リ

ン に 権 力 を 奪 わ れ,無 実 で あ っ た が1936年 銃 殺 さ れ た 。 著 作 集 全9巻 あ り 。 疏s加 耽yo∫ 統eBθZs舵oε ゐPαr砂,NewYork1973(ロ シ ア 語 初 版 は モ ス ク ワ,ペ テ ロ グ ラ ー ド1923年),『 レ ー ニ ン 主 義 研 究 』 三 一 書 房1975年, NLθ η加,Berlin1920な ど の 著 作 が あ る 。

ハ レ 臨 時 大 会 ま で

ドイ ッ 社 会 民 主 党 は,第 一 次 大 戦 に 協 力 した た め,そ の う ち の 左 派 つ ま り反 戦 ・平 和 主 義 勢 力 が,1917年 に 分 裂 し,ド イ ッ 独 立 社 会 民 主 党 を 結 成 し た 。 新 党 は,お お よ そ,同 党 主 流 派,革 命 的 オ ッ プ ロ イ テ,ス パ ル タ ク ス 団,か ら な っ て い た 。 独 立 社 会 民 主 党 は,1918年 の ド イ ツ 革 命 の 主 力 と な っ た 。 ドイ ッ 革 命 後,ス パ ル タ ク ス 団 は,1918〜19年 に,ド イ ッ 共 産 党(ス パ ル タ ク ス 団)を 創 立 し た 。 次 図 で,ド イ ツ 社 会 主 義 政 党 の 系 図 を 示 し て お こ う 。

ドイ ッ 独 立 社 会 民 主 党 に 属 し た 有 名 な 人 物 を 挙 げ る。 ま ず,党 首 フ ー ゴ ー ・ ハ ー ゼ(HugoHaas6,1863‑1919)で あ る 。 か れ は,1919年11月 に 暗 殺 さ れ

た 。 エ ー ド ゥ ア ル ト ・ ベ ル ン シ ュ タ イ ン は,1919年1月 蜂 起 の 直 後,USPD

を 離 党 して,社 会 民 主 党 へ 復 帰 し た 。 し た が っ て 両 名 は,ハ レ大 会 に は 居 な い 。

(3)

ド イ ツ社 会 民 主 党

ジ ノ ヴ ィエ フ 演 説(1)(倉 田)

ツ 独立社会民主党 ⑳

q9

イ ツ 共 産党

ノぐ ノ レ タ ク 乙 (1918)

〔 ハ レ 大 会 〕 (1920)

合 同 共 産 党 ,

(1920) 21

合 同社 会 民 主 党 (1922)

そ の 他 政 治 家 や 理 論 家 と し て 有 名 な 者 は,デ ィ ッ トマ ン(WilhelmDitt。

mann,1874‑1954),カ ー ル ・カ ウ ツ キ ー(KarlKautsky,1854‑1938),ル ー ドル フ ・ ヒ ル フ ァ デ ィ ン グ(RudolfHilferding,ユ877‑1941),ク リ ス ピ エ ン(ArthurCrispien,1875‑1946)ら で あ る 。

USPDは,勢 力 を 伸 ば し て い た 。1920年6月 の 国 会 選 挙 で,同 党 は 第2 党 に な っ た 。 全 国 会 議 員459名 中 に84名 を 占 め た。 しか し,こ の 大 政 党 は,ま もな く崩 壊 す る の で あ る 。 原 因 は 内 部 分 裂 で あ っ た 。 党 内 は 右 派 と 左 派 か ら成 っ て い た が,両 派 が 決 裂 し た の で あ る。 こ れ に 手 を か し た の は,コ ミ ン テ ル ンで

あ っ た 。

1919年3月2日 に,国 際 共 産 主 義 者 会 議 が,モ ス ク ワ で 開 か れ た 。 会 議 に は, 21ケ 国,35の 組 織 を 代 表 す る 代 議 員52名 が 出 席 し た 。 ドィ ッ 共 産 党 も加 わ っ た 。 そ の 代 表 は フ ー ゴ ー ・エ ー バ ー ラ イ ン(HugoEberlein,1887‑1940)で あ る 。 た だ し,前 日 の 予 備 会 議 で,か れ は,共 産 主 義 イ ン タ ナ シ ョナ ル の 即 時 創 立 に 反 対 し て い る2㌔

2)『 コ ミンテ ル ンの 歴 史 』上 巻,大 月書 店,1973年,43ペ ー ジ。

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こ こ に代 表 参 加 した各 国 共 産 党 は,ロ シ ァ共 産 党 を 除 け ば,ほ とん ど創 立 さ れ た ば か りで あ っ た。 だ か ら この 会 議 は,各 国 の 左 派 社 会 民 主 党 や 共 産党 が, 思 想 的 ・組 織 的 に強 化 され,レ ーニ ン主 義 の 理 論 に 立 つ の を 助 力 す る こ とが, 任 務 で あ っ た 。

共 産 主 義 イ ンタ ナ シ ョナル(コ ミン テル ン)は この と き まで 正 式 に 創立 され て い な か った。 会 議 の綱 領 的 文書 が採 択 され,3月4日 に新 しい代 議 員 た ちが お くれ て 到 着 して か ら,第 三 イ ンタ ナ シ ョナル=コ ミン テル ンの 正 式 結 成 が議 題 とな った 。 ドイ ツ共産 党 工 一 バ ー ライ ンは,戦 術 的 に 時期 尚早 で あ る と,再 び 反 対 して い る。 しか し,か れ以 外 の代 議 員 が 賛成 し,コ ミ ンテ ル ンが 正 式 に 発 足 した。 執 行 委 員 会 議 長 に ジノ ヴ ィエ フ が 選 ば れ た。 代 表 た ち は帰 国 して か

ら,コ ミンテ ル ンに 加 入 申 請 す る こ とに な っ た 。

国 際 共 産 主 義 者 会 議 は,こ う して コ ミンテ ル ン とい う存在 に な っ た が,実 は 余 り念 入 りにつ くられ たの で は な か った。 た とえ ば,各 国組 織が コ ミ ンテ ル ン へ 加 入 す る条 件(つ ま り規 約)な ど は,こ の後にっ くられ る。

こ の大 会 と同 じ頃,2月3日 〜8日 に,ベ ル ンで,右 派 社会 民 主 主 義 の 諸党 が,第 ニ イ ンタ ナ シ ョナル 再 建 会 議 を ひ らい た。 い くつ か の 左 派 社 会 民主 党 と 並 ん で,ド イ ツ独 立 社 会 民 主 掌 は,こ れ に絶 縁 声 明 を 出 した 。

コ ミン テ ル ン第1回 大 会 に派 遣 した各 国 共 産 党 ・左 派 社 会 主 義 党以 外 に,新 し く諸国 に共 産 党 が 結 成 され は じめ,諸 国 の 左 派 社 会 党 な どは,コ ミンテ ル ン 加 盟 を声 明 しは じめ た 。

コ ミンテル ンは,各 国 共 産 党 に物 心 両 面 の 「援 助」 を お こな った。 諸 党 は歴 史が 若 く,ま た,コ ミ ンテ ル ン側 の心 配 は,改 良 主 義 的 な イデ オ ロギ ー と運動 か ら十 分 手 を切 って い な い組 織 が,コ ミ ンテ ル ンに加 盟 す る こ とで あ った 。 こ の問題 は,第2回 大 会 で,加 盟 条件 の 決 定 に よ って 解 決 しよ う とす る ので あ る。

一 方 ,重 大 な 問 題 が,戦 後 の 混乱 の 中 か ら共 産 主 義 者 の 中 に発 生 して 来 た 。 そ れ は,セ ク ト主 義,教 条 主 義 で あ る。 これ が払 し ょ くされ な いか ぎ り,大 衆 的 な 共産 主 義 運動 は 望 め な い と考 え,レ ー ニ ンは,r共 産 主 義 内 の 「左 翼 主 義」

小 児 病』3)を書 い た。 これ は,ド イ ッ 共 産 覚 か ら分 裂 した 「左 派 」41への 批 判

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ジ ノ ヴ ィ エ フ演 説(1)(倉 田) 23

で も あ る 。 レー ニ ン は 主 張 す る。 共 産 主 義 者 は,反 動 的 な 労 働 組 合 で あ っ て も そ れ に 参 加 す べ き で あ る 。 ブ ル ジ ョ議 会 に 参 加 す べ き で あ る。 ど ん な 妥 協 も し な い と い う の は ば か げ て い る,と 。

コ ミ ン テ ル ン第2回 大 会 に は,37ケ 国 の67の 組 織 を 代 表 す る217名 の 代 議 員 が 出 席 し,7月19日 〜8月7日,開 か れ た 。 ドイ ツ 独 立 社 会 民 主 党 の 代 議 員 も 参 加 し た 。 デ ィ ッ トマ ン,ク リ ス ピ エ ン,ド イ ミ ヒ(ErnstDaumig),シ ュ テ ッ カ ー(WalterStoecker,1891‑1939)の4名 で あ っ た 。 同 党 左 派 は,ド イ ッ 共 産 党 と立 場 が 近 か っ た 。 つ ま り ド イ ミ ヒ,シ ュ テ ッ カ ー が そ う で あ る 。

大 会 の 最 大 の 課 題 は,各 国 に 新 し い 型 の,っ ま り レ ー ニ ン 主 義 的 な プ ロ レ タ リ ア 党 を つ く り 強 化 す る こ と で あ っ た 。 こ こ で は,と く に一 っ の 点,コ ミ ン テ ル ン加 入 問 題 だ け を と り上 げ よ う 。 これ は,21ケ 条 か ら な っ て い る。 要 約 し て お く と,コ ミ ン テ ル ン加 盟 党 の 義 務 と して,

1)共 産 主 義 の 宣 伝 を す る。

2)労 働 運 動 の 責 任 あ る 地 位 か ら 改 良 主 義 ・中 間 派 を 排 除 す る 。 3)合 法 ・非 合 法 活 動 を 結 び つ け る 。

4)軍 隊 へ の 宣 伝 を す る 。

5)農 村 地 方 で 煽 動 す る 。 ・ 6)社 会 ・平 和 主 義 な ど を ば く ろ す る 。

7)〔 後 掲 〕

8)植 民 地 解 放 闘 争 運 動 を 支 持 す る 。 9)労 働 者 組 織 内 で 活 動 す る 。

10)ア ム ス テ ル ダ ム ・ イ ン タ ナ シ ョナ ル に 反 対 す る 。 11)党 議 員 団 を 点 検 し,党 幹 部 会 に 従 わ せ る 。

12)民 主 集 中 制 に 基 づ く。

13)時 ど き 党 員 の 再 登 録 を す る 。

3)『 レー ニ ン全 集 』 第31巻,大 月 書 店,1965年,所 収 。 編 者 に よ れ ば,レ ー ニ ン は こ れ を,1920年4月 一5月 に 執筆,6月 に単 行 本 と して 発 行,と あ る。

4)ド イツ 共 産 党 左 派。

(6)

14)す べ て の ソ ヴ ィエ ト共 和 国 を 無 条 件 に 支持 。 15)新 しい共 産 党 綱 領 をつ くる。

16)コ ミンテル ン執 行 委 員 会 の決 定 に従 う。

17)名 称 変更 つ ま り コ ミンテ ル ン支 部 を名 乗 る。

18)コ ミンテ ル ン執行 委 員 会 の重 要 公 式 文 書 を公 表 す る。

19)以 下 略

第7項 は,問 題 な の で あ げ て お こ う 。

「コ ミ ン テ ル ン に 加 豊 を 望 む 諸 党 は,改 良 主 義 とr中 間 派 』 の 政 策 と 完 全 か つ 絶 対 的 に 手 を 切 る必 要 を 認 め,こ の よ う な 絶 縁 を で き る か ぎ り 広 く そ の 党 員

に 弁 護 す る 義 務 が あ る 。 … …

コ ミ ン テ ル ン は,こ う し た 絶 縁 が で き る だ け 速 や か に 実 現 す る こ と を 無 条 件 か つ 絶 対 的 に要 求 す る 。 コ ミ ンテ ル ン は,あ の 悪 名 高 い 日和 見 主 義 者,ト ゥ ラ ー テ ィ,モ デ ィ リ ア ニ,カ ウ ツ キ ー,ヒ ル フ ァ デ ィ ン グ,ヒ ル キ ッ ト,ロ ンゲ, マ ク ドナ ル ド等 が コ ミ ン テ ル ン の メ ンバ ー の よ う に 見 え る 権 利 を も つ,と い う こ と に 同 意 で き な い 。 そ れ は コ ミ ン テ ル ンが,多 くの 点 で,す で に 分 解 して し ま っ た 第2イ ン タ ナ シ ョ ナ ル に な る こ と で しか な い。5}」

こ の 「21ケ 条 」 は,大 半 が レ ー ニ ン の 起 草 に な る 。 コ ミ ンテ ル ン 大 会 で は 数 日前 の 会 議 で,規 約 が 採 択 され て い た 。 規 約 は,普 通,加 入 条 件 そ の もの と い っ て よ い 。 こ れ に つ け 加 え て ま た,21ヶ 条 の 「加 入 条 件 」 を き め た こ と は,奇 妙 に 見 え る。 しか し,レ ー ニ ン ら が 左 派 社 会 主 義 政 党 に 対 して 厳 格 に か つ 用 心 ぶ か く対 処 した こ とを あ ら わ す も の で あ る。 第7)項 に 見 ら れ る よ う に,と り わ け, 名 指 し を し て ま で,中 間 派 の 排 除 を ね ら って い る 。 ド イ ツ 独 立 社 会 民 主 党 に 対 し て は,同 党 が そ の 右 派 を 排 除 し て,コ ミ ン テ ル ンへ 加 入 せ よ と,呼 び か け て い る の で あ る 。

こ の 加 入 条 件 は,審 議 の 後,2票 の 反 対 で 採 択 さ れ た 。

1920年10月12日 か ら17日 ま で,ド イ ッ 独 立 社 会 民 主 党 の 〔臨 時 〕 大 会 が ハ レ

で 行 な わ れ た 。 こ れ はUSPDの 命 運 を 決 す る 大 会 と な っ た 。395名 の 代 議

5)デ グ ラス 編 『コ ミン テル ン ・ ドキ ュ メ ン ト』1,現 代 思 潮 社,1969,148ペ ー ジ。

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ジ ノ ヴ ィエ フ 演 説(1)(倉 田) 25

員 に9名 の 外 国 代 表 が 加 わ っ た 。 こ の 当 時USPD党 員 は89万3923名 で あ っ た 。

大 会 の 議 事 は 次 の と お りで あ る:

中 央 指 導 報 告(ル イ ー ゼ ・ツ ィ ー ツ) 統 制 委 員 会 報 告(W.ボ ッ ク)

コ ミ ン テ ル ン と加 盟 条 項(A.ク リ ス ピ エ ン,E.ド イ ミ ヒ,W.デ ィ ッ トマ ン,W.シ ュ テ ッ カ ー 〔つ ま り,コ ミ ン テ ル ン第2回 大 会 参 加 者 全 員 〕) こ こ で,コ ミ ン テ ル ン加 盟 の 是 非 に つ い て は げ しい 討 論 が 起 き,2っ の 決 議 が 出 さ れ た。 シ ュ テ ッ カ ー と ドイ ミ ヒ の 決 議 が そ の1っ で,加 盟 賛 成 案,レ ー デ ブ ー ル と ロ ー ゼ ン フ ェ ル トの 決 議 が も う一 っ で,加 盟 拒 否 案 で あ っ た 。 コ ミ ン テ ル ン 第2回 大 会 に 参 加 し た4名 の 独 立 社 会 民 主 党 員 が 報 告 し,そ の 後,外 国 来 賓 と して 招 か れ た ジ ノ ヴ ィ エ フ が 登 壇 し た 。

ジ ノヴ ィエ フの 演 説

コ ミン テル ン執 行 委 員会 議 長 ゲ オ ル ギ ー ・ジノ ヴ ィ エ フ は,割 れ るよ うな 拍 手 を う け,ド イ ッ語 で 演 説 を は じめ た。1920年10月14日 で あ る。 か れ は,コ ミ ンテ ル ン執行 委 員会代 表 と して の 資格 であ っ た。 か れ は大 略 次 の よ う に語 っ た。

※ ※ ※

メ ン シェ ヴ ィ ズ ム は,ボ ル シ ェ ヴ ィズ ム と同 じ く,国 際 的現 象 で あ る。 諸 君 は,メ ンシ ェ ヴ ィ ズ ム に賛 成 か,ボ ル シ ェ ヴ ィズ ム に 賛 成 か,は っ き り決 め な けれ ば な らな い。 諸 君 の党 に は,統 一 で きな い2っ の傾 向 が あ る。 諸君 は,2 つの傾 向 の間 で,っ ま り,改 良 主 義 か共 産 主 義 か を,決 断 しな けれ ば な らな い 。

も し我 わ れ が共 産 主 義 の下 に固 く団 結 して いれ ば,労 働 者 階 級 は,も う明 日 に

もブ ル ジ ョァ ジー を倒 せ る ほ ど強 くな って い る,とい う状 況 で あ る。 労働 者 階 級

自身 が 思 想 的 に方 向づ け られ る こ とが,肝 じんで あ る。 誰 が ブ ル ジ ョア ジー を

救 って い る のか?い わ ゆ る 社 会 民 主主 義者 で あ る。 決 定 的 問題 で,つ ま り世

界 革 命 の問 題 で,原 則 的 な 意 見 の 相 違 が あ る。 革 命 運 動 が 一 時 的 に過 ぎ去 って

い る と い う,USPDの 右 派 議 員 団 の 指 導 者 の 意 見 は,偶 然 で は な い 。 ロ シ

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アで 体 験 したの も同 じ争点 で あ っ た。 … …1905年 〔の ロ シァ〕 革 命 が 敗 北 した とき,わ が 党 の右 派,メ ン シ ェ ヴ ィキ が こ う言 った。 革命 は 敗 北 し,そ れ を承 認 す べ きで あ り,合 法 的 社 会 民 主 党 を作 り,改 良 活動 を しな け れ ば な らな い,

と。 ボ ル シェ ヴ ィキ は,革 命 は死 ん で い な い,革 命 は も う一 度 や って くる,と い う意 見 を主 張 した。 我 わ れ は こ の理 念 に忠 実 で あ りつ づ け た。 ク リス ピエ ン は 言 った,「 … … ドイ ツだ け で な く,あ らゆ る国 で,〔18〕48年 ブ ル ジ ョ ア革 命 後 に似 た状況 が あ る」 と。1848年 の 後,革 命 が不 可 能 な大 変 長 い期 間 が きた 。

今 も そ の時 期 だ と,彼 は 考 え る。 そ れ は,U.S.P.の 右 派 の 全 政 策 を 特 徴 づ け る傾 向 で あ る。 い った い今,労 働 者 階級 の全 政 策 を,世 界 革 命 が 近 い と期 待 して は な らない こ と に,本 当 に あ わせ るべ きな のか?そ う考 え る根 拠 は全 く な い と,思 う。 明 日か 明 後 日に 完 全 な 勝 利 が保 て る と言 うっ も りは な い。 ただ 諸 君 に要 請 した いの は,世 界 革 命 を 組 織 的 に宣 伝 し準 備 す る こ とで あ る。 この 党 大 会 で も,ど こで も,我 わ れ は 社会 主 義 革命 に賛 成 だ が,そ の前 提 条 件 を欠 い て い る と,人 は言 う。 プ ロ レタ リア革 命 の経 済 的 条件 は,全 ドイツ に あ るの か?経 済 的条 件 つ ま り主 要 事 項 はあ る と言 う。 だ が,ヒ ル フ ァデ ィ ング とカ ウ ツキ ー は,主 要 事 項 は,い か な る状 況 で も生 産 が 乱 され ず にい る こ とだ と, い つ も説 明 して い る6}。 これ は ま さに革 命 へ の お それ で あ る。 主 要 な 事 は,〔革 命 の 〕 経 済 的 前 提 条件 が あ る とい う こ とで あ る。 カ ウ ツ キ ー は,〔 か っ て 〕 共 産 主 義 を 組 織 して革 命 を待 つ べ き だ と書 い た。 諸 君 の 代 表 者 は,生 産 社会 主 義 を 説 い た。 だ が どん な生 産 か?社 会 主 義 的 にか,資 本 主 義 的 にか?諸 君 が

6)こ の 発 言 に 対 し,ヒ ル フ ァデ ィ ン グ は こ の 会 議 で 「私 は そ う 言 っ た こ と が な い 。」

と 叫 ぶ 。 ジ ノ ヴ ィ エ フ は 「た しか に,経 営 協 議 会 の 会 議 で 言 っ た 。」 と 答 え,ヒ ル フ ァ デ ィ ン グ は 「違 う,違 う 」 と 言 っ た 。 こ の 点 を 確 か め て お こ う,ヒ ル フ ァ デ ィ ン グ は,第1回 全 国 経 営 協 議 会 大 会,1920年10月5日 の 報 告,DieSoziali‑

sierungunddieMachtverhaltnissederKlassenで 演 説 して い る 。

ヘ ヘ へ

「ドイ ツ と ヨー ロ ッパ 全 体 に と って,ま っ た く疑 い な い こ とは,社 会 化 が 生 産 の 継 続 を 確 保 す る とい う条 件 を 満 た さね ば な らな い こ とで あ る。」(『R.ヒ ル フ ァデ ィ

へ も もヘ

ン グ,現 代 資 本 主 義 論 』新 評 論,45ペ ー ジ)「我 わ れ の 社 会 化 の 方 法 は,生 産 の 上

昇 を もた らす もの で な け れ ば な らな い 。」(同,46ペ ー ジ)文 字 どお り,ジ ノ ヴ ィエ

フの 言 った よ うに は,ヒ ル フ ァデ ィ ング は 語 って いな い 。 しか し,ジ ノヴ ィエ フの

言 った 事 は,的 は ず れ で は な い と言 え よ う。

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ジ ノ ヴ ィエ フ演 説(1)(倉 田) 27

まず 資本 主 義 を 助 けて そ れか ら倒 す とす る な ら,そ れ は 国 際 的 改 良主 義 の根 本 的 誤 りで あ る。 ヒル フ ァデ ィ ン グ は,戦 前 で は,十 大 銀 行 を 強 制 す れ ば十 分 で あ り,そ うす れ ば社 会 主 義 だ と,r金 融 資本 論』 で書 い た し,べ 一 ベ ル も同 じ こと を発 言 した。社会 主義 が ご く容 易 に来 る だ ろ うと考 え た。 だ が 戦 争 が,そ の 目論 見 を っぶ した。 戦 争 は,社 会 主 義 を20年 早 め た か も しれ な い,し か し労 働 者 が飢 え 欠乏 し,長 い 内乱 を耐 え る と い う形 態 を 与 え た。 それ は好 ま し くは

な い,し か し,他 に道 は な い の だ と理 解 す べ きで あ る。

カ ウツ キ ー は,戦 前 ま だ革 命 家 の と き,プ ロ レ タ リア 革 命 が 今 は も う早 す ぎ る こ とは な い と書 い た。 今 や 同 じカ ウ ツ キ ーが,諸 君 は プ ロ レ タ リア 革 命 を早 期 に や ろ う と しす ぎ て い る と言 う。 プ ロ レタ リア革 命 は,真 にマ ル ク ス主 義 的

共産 党 以外 の もの に よ っ て は行 な わ れ な い 。

経 済 的 条 件 は あ る。 しか し何 が 欠 け て い る の か?我 われ 独 自 の階 級 の 精神

的方 向 づ けが な い の で あ る。 な ぜ か?資 本 主 義 的 発 展 の た めで あ る。 つ ま り ブル ジ ョア ジー か ら受 け た教 育 に よ って い る。 だ か ら全 世 界 の労 働 者 階 級 を, 精 神 的 に ブル ジ ョア の 影 響 に 服 させず,精 神 的 に 自 らの足 で 立 つ よ う,方 向 づ け る こ とが,我 わ れ の 任 務 で あ る。

さて,労 働 組 合 イ ン タナ シ ョナ ル は 何 か?こ れ は,崩 壊 した第2イ ン タナ シ ョナル の破 片 で ある。今,ブ ル ジ ョア ジー の 唯一 の 要塞 で あ る。 国 際 ブル ジ ョ ァ ジ ー は,革 命 に気 を つ け ろ,信 頼 を 寄 せ るな,と は,単 純 に言 え な い。 だが 労 働 組 合 イ ンタ ナ シ ョナル は,そ れ が や れ る。 ブ ル ジ ョア 国 防軍,自 衛 軍 は, 労 働 組 合 イ ンタ ナ シ ョナル の 指 導 者 よ り,危 険 で は な い。 レギ ー ンや ジュ オ ー の支 配 して い るア ム ス テル ダ ム ・イ ンタナ シ ョナ ル を 支 持 す るな らば,プ ロ レ タ リア階 級 を精 神 的 に結 集 させ る こ と はで き な い。

この党 大 会 は,ま た他 国 の状 態 を 注 目せ ね ば な らな い。 イ タ リア で 数週 間 以 来 プ ロ レタ リア革 命 の は じま りが あ る。 と くに イギ リス の 事 態 の 発展 を見 よ。

行 動 協 議会Councilofactionの 創 設 が1っ の 始 ま りで あ る 。 これ は ソ ヴ ィ

エ ト,第2政 府 の は じま りだ っ た。 世 界 史 的 意 義 を もつ 転 換 が イ,ギリス労 働 者

階級 に お きて い る。 この運動 の頂 点 に,有 名 な イギ リスの 改 良 主 義 者 た ち が立 っ

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て い る。 だ か らそ の運 動 は再 び衰 え た。 しか し客 観 的 に,そ の 運 動 は 意義 を損 わ な か っ た。 あ らゆ る国で そ れ は一 定 期 間 同様 に進 む 。 人 び とが メ ン シ ェヴ ィ キ 的 で あ って も,ボ ル シェ ヴ ィズ ム を支 持 す る に ちが いな い。 我 わ れ の 戦 術 と 見 解 の方 に,道 徳 的 正 し さが あ るか らで あ る。 我 われ は,最 大 の希 望 を,メ ン

シ ェ ヴ ィキ が一 般 的 に 頂点 で勝 利 して い る労 働 者 階 級 に も置 いて い る。

イ タ リアや イギ リス で は,新 しい 時代 の震 動,つ ま りプ ロ レタ リァ革 命 の 開 始 が 明 らか に見 え る。 オ ー ス ト リア で も明 日,ソ ヴ ィ エ ト政 府 が つ くられ る。

ブル ガ リアで,我 わ れ は,合 法 的方 法 で,ほ とん ど多 数 派 を ボル シ ェ ヴ ィズ ム の方 に獲 得 し,ユ ー ゴス ラヴ ィア で 同様 で あ る。 だ か らバ ル カ ンは プ ロ レタ リ ア革 命 の成 熟 した果 実 で あ る。 ハ ンガ リー で反 動 は ま た永 久 に支 配 しな いで あ ろ う。 ま た ドイ ツで も革 命 は 死 ん で い な い。 それ ゆ え我 わ れ は イ ンタ ナ シ ョナ ル を持 つ べ きで あ り,国 際 世 界 革 命 を 目標 と した 戦術 を と るべ き で あ る 。

第2の きわ め て 重 要 な 問 題 は,民 主主 義 の 問題 で あ る。 デ ィ ッ トマ ン は,我 わ れ は 「独 立 社 会 民 主 党 」 と い う名 前 を 守 りた い,な ぜ な ら民 主 主 義 は独 裁 の 後 で も存 続 す るで あ ろ うか ら,と 言 った。 た しか に独 裁 は一 時 的 過 渡 的 現 象 で あ る。 だが これ まで 全 イ ン タ ナ シ ョナ ル は,USP,少 な く と も 右 派 指 導 者 た ちが 民 主 主 義 の基 盤 に立 って い る こ とを 知 って い た。 そ れ は今 まで の こ とだ っ た 。

プ ロ レタ リア ー トの独 裁 の問 題 を い くっ か 述べ た い。 今 問 題 な の は,肉 体 の か るプ ロ レタ リア ー ト独 裁 で あ り,我 わ れ の っ く った形 態 で あ り,国 際 労 働 者 階 級 の創 った プ ロ レタ リア ー ト独 裁 の歴 史 的 な形 態,つ ま り ソ ヴ ィエ ト制 度 で あ る。 そ れ は ロ シァ とす べ て 同 じで あ る必 要 は な い し,他 国 の労 働 者 階 級 は, お そ ら く我 わ れ よ り良 く作 るで あ ろ う と,常 に 我 わ れ は言 って き た。 それ で も ソヴ ィエ ト政 府 は,プ ロレ タ リアー ト独 裁 の 歴 史 的 に与 え られ た形 態 で あ る 。 今 問 題 な の は,エ ル フ ル ト綱 領 で す で に これ を予 見 して い た こ とで は な く,ド

イツ 労働 者階 級 がす で に1月 の 日 々7)に,ま たハ ンガ リー 労 働 者 階 級が そ の道 に導 いた 意 味 で8)の プ ロ レタ リァ ー ト独 裁 に賛 成 すべ きか ど うか を 言 う こ とで

7)1919年 の1月 闘争。

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ジ ノヴ ィエ フ演 説(1)(倉 田) 29

あ る。

以 上 の三 っ の主 要 問 題,と くに世 界 革 命 か ど うか,全 戦 術 が そ れ に合 うよ う に作 られ るべ きか,民 主 主 義 の 問題 そ して 最 後 に独 裁 の 問 題 に いか に して 関 わ るか,に つ い て 我 わ れ は諸 君 と と もに お互 い に進 も う。

〔コ ミンテル ン加 入〕 条件 が,は じめ モ ス ク ワで は ゆ るか っ たが,厳 し くな っ て 鋭 くな った と,言 わ れ た。 そ の 唯一 の理 由 は こ うで あ る。 プ ロ レ タ リア革 命 とい う ま さ に運 命 的 問 題 で,我 わ れ と右 派USPの 代 表 者 と の 間 に 統一 は な い とい う印 象 を,話 せ ば話 す ほ ど持 っ た か らで あ る。 問 題 は,純 粋 に 原 則 的 問 題 で あ る。 我 わ れ はお 互 い に動 揺 して い た し,余 りに簡 単 に考 えて いた 。 同 時 に第2の 発 展 過 程 が 平 行 に 走 って い たよ うだ,っ ま りク リス ピエ ン と デ ィ ッ ト マ ン は,我 わ れ が 革 命 的 ロマ ンテ ィカ ー だ とい う見 解 に達 して い た。

今 まで 〔コ ミン テル ン加 入 〕 条件 の組 織面 だ け が語 られ て い た。 それ はま た 大 変 重 要 であ るが,ず っ と重 要 な もの は,テ ー ゼ っ ま り基 礎 問 題 で あ る。 諸 君 が 〔加 入 条 件 を〕21ケ 条 で な く,18ケ 条 に した い とい う こ とは,我 わ れ を分 裂 させ る もので は な い。 も し分 裂 が や って くる とす れ ば,諸 君 が世 界 革 命,民 主 主 義,プ ロ レタ リアー ト独 裁 の 問 題 で,別 の考 え で あ る か ら,起 き る。 それ は 討 議 さ れ ね ば な らな い。 その 後 で の み す べ て が理 解 され る。

社 会 民 主 党 の新 聞 は,ブ ハ ー リ ンと私,つ ま り ロ シア 労 働 者 階 級 の抑 圧 者 が ドイ ッへ 行 っ た,と 書 いて い る。 だが,我 わ れ が 本 当 にプ ロ レ タ リア ー トに対 し独 裁を行 い,専 制者 で あ る と,諸 君 が考 えて い る な ら,諸 君 が 我 わ れ を招 き, 我 わ れ との 統一 に 努 め る とい う良 心 に責 任 が もて な くな る。 ど こか ら この 混 乱

した 状 態 が 来 るの か?諸 君 が これ ら決 定 的問 題 につ いて まだ は っ き り して い な いか らで あ る。 指 導 部 と指 導 的人 び とに,無 数 のニ ュ ア ン スが あ る。 数人 の 指 導 者 は改 良 主 義 に 賛成 し,プ ロ レタ リア ー トの独 裁 を信 じな い, .そ して3つ の 決 定 的 点 で 我 わ れ と反 対 で あ る。 そ れ ゆ え,我 われ は党 大 会 で,全 世 界 の 労 働 者 階 級 に話 して い る。 諸 君 の 第3イ ン タナ シ ョナ ルへ の合 併 の問 題 は,諸 君 の党大会 に属 して い る。 この問 題 は モ ス ク ワの 「命 令」 に よ って 決 定 されず に,

8)ハ ンガ リー ・ソヴィエ ト共和国革命のこと。

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ハ レで,ド イ ッの労 働 者 階 級 の一 部 の代 表 者 に よ って 決 定 され る。 今 日諸 君 の 傍 に い る一 部 の労 働 者 は,〔 第3〕 イ ン タナ シ ョナ ル の方 へ 来 るで あ ろ う。 全 世 界 の 労 働 者 階 級 が,民 主 主 義,独 裁,第3イ ンタ ナ シ ョナル の問 題 で,す で

に確 信 して い る と思 う。 も う障 害 は な い ので,決 定 に至 る にち が い な い 。 こ こで,ク リス ピエ ンの ふ れ た原 則 的 本 性 の問 題 に入 る。 報 告 で か れ は,組 織 問 題 だ けを 語 った の で は な い。 か れ は3つ の原 則 的 問 題 を,だ が 余 り重 要 で

な い問 題 を と り扱 った。 第1の 問題 は農 業 問 題,つ いで 多 民 族 問 題,第3に テ ル ロの 悶題で あ る。 そ して レー テ体 制 で あ る。 そ れ は4つ の 原 則 的 問題 で あ る 。

まず 農 業 問 題。 ク リス ピエ ンは,モ ス ク ワの第3イ ンタ ー の提 起 した農 業 綱 領 が,ド イ ツで は反 革 命 を 強 め,プ ロ レ タ リァ革 命 を お し進 め な い こと に適 す る だ け だ と,説 明 した。 そ の農 業 綱領 が ドイ ツ だ けで な く,全 イ ンタナ シ ョナ ル の ため に考 え られ て い る こ とに 注 目すべ き で あ る。 これ は大 変 重 要 な要 素 で

あ る。'

ハ ンガ リー を例 に と る。 ハ ン ガ リー の 同志 は ,社 会化 し大規模生産 を行 な う べ く大 土 地 所 有 を温 存 しよ う と し,中 農 に何 も与 え よ う と しな か っ た。 それ は 誤 りで あ っ た。 ベ ラ ・ク ン,ヴ ァル ガ,ハ ンガ リー共 産 党 のす べ て の指 導 者 が 今,公 式 に確 認 した。 ハ ン ガ リーで は 労 働 者 階 級 は層 が うす く,圧 倒 的 に農 民 階 級 で あ る。 革 命 が来 たが,ハ ンガ リー 農 民 階 級 は,何 か 変 った とは感 じて い な い。 農 村 で は全 て が 古 い ま まだ った。 頂 上 に は,ベ ラ ・ク ン,プ ロ レタ リア 政 府 が立 って い る。 しか し,農 民 は土 地 を 得 な か った。 これ は ひ どい誤 りだ っ た し,だ か ら この農 民 の中 間 層 は,プ ロ レタ リア 革 命 に 対 し,無 関心 で 耳 を傾 け な い 。

イ タ リア を と りあ げ よ う。 中 小 農 民 は 土 地 を 没 収 しは じめ た。 そ れ は革 命 の 部 分 現 象 で あ る。 ドイ ッで もそ うな るで あ ろ う。

ドイ ツ の独 裁 は,農 民 レー テ 〔 協 議 会 〕 な しに勝 利 で き るか?か れ らは, 労働 者一 兵士 レー テ だ けで な く,農 民 ヒー テを 形 成 せ ざ るを え な い で あ ろ う。

無 論,我 わ れ は まず,農 村 労 働 者 に近 づ き,そ こで し っか り した 地 歩 を 占 め ね

ば な らな い。 農 民 層 に対 して も同 じで あ る。 ロ シ アの よ う に大 変 若 い 国 に 当 て

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ジ ノ ヴ ィ エ フ 演 説(1)(倉 田) 31

は ま る な ら,ド ィ ッで はな お さ らで あ る。 小 農 民 の組 織 な しに は,い つ の場 合 で も,プ ロ レタ リア革 命 は 長 く勝 利 して い られ ま い。 なぜ な ら,農 民 層 を含 ま な けれ ば,運 命 的 な誤 りを 冒 す こ とに な り,つ ま りそ こで 反 革 命 を 準 備 す る こ と に な る。

メ ンシェヴ ィキ との闘 いで も,同 じ問題 が あ っ た。 同 じ政 治 的 方 向 を,ち が っ た事 情 の 下 で,右 派USPに 見 出 す 。

ク リス ピエ ンの 誤 り は ど こか ら来 るか?か れ が,プ ロ レタ リア革 命 の 展 望 を全 く真面 目 に と らな い か らで あ る。 だ か らか れ は,農 民 が 我 わ れ に 属 さ な い, なぜ な ら農 民 は社 会 主 義 者 で は な いか ら,と 考 え る。 主 敵 は農 民 で は な い,ブ ル ジ ョア ジー だ。

農 民 問題 に関 す る我わ れ の テー ゼで,次 の結 論 を 出 した 。 必 要 な と ころ で は, ラテ ィ フ ンデ ィ ウム と大 土 地 所 有 の一 部 を小 農 民 に配 分 す る ことが で き る,と 。 それ は絶 対 正 しい し,絶 対 に 可 能 で あ る9)。 今,ロ シア以 外 の 全て の国 に と っ て最 重 要 問題 は,ブ ル ジ ョア ジー を 支 持 しな い こ とで あ る。 なぜ な ら,か れ ら は敵 で あ るか ら,そ れ に,我 わ れ は ま さ に小 農 民 を 持 た ね ば な らな い。 革 命 直 前,メ ンシ ェ ヴ ィ キ は,純 粋 に プ ロ レ タ リア 党 の 役 を 演 じた,つ ま りプ ロ レ タ リア ー トの利 益 を代 表 す る と主 張 し,農 民 層 に譲 歩 しな か った。 本 当 の プ ロ レ タ リア 独 裁 が あ り,労 働者 階 級 にパ ンを提 供 す る よ う富 農 に強 制 で き,ま た し な ければ な らな い今 は,事 は すべ て が ち が って しま っ た。 それ で 我 わ れ は ま た, 農 民 を 抑 圧 して い る と言 わ れ た。 我 われ は しか し,つ ね に,プ ロ レ タ リァ革 命 の 担 い手 は,都 市 と農 村 の プ ロ レ タ リア ー トで あ る,と 主 張す るだ ろ う。 革 命 の1段 階 で 達 成 すべ き こ とは,ま さに受 入 れ ね ば な らな い。 農 民 層 の一 部 を 中 立 化 し,諸 君 は ソ ヴ ィエ ト共 和 国 の も とで よ り良 くな る と確 信 させ るべ きで あ

る。

来 米 来

9)こ の と き,ク リス ピエ ンは 叫 ん だ 。 「そ れ は,生 産 の 後 退だ,申 世 へ 戻 る1」

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小 括

紙 数 の 都 合 上,こ こ で 稿 を 打 ち 切 る。 ジ ノ ヴ ィ エ フ 演 説 は,ま だ 続 く。 か れ の 演 説 を こ こで,概 括 して お き た い 。

コ ミ ン テ ル ン の 中 心 党 と な っ た ロ シ ア 共 産 党 は,こ の 当 時,世 界 革 命 を 望 ん で い た 。 そ れ が,コ ミ ン テ ル ン の 方 向 を 規 定 し た し,ジ ノ ヴ ィ エ フ 演 説 に も 出 て い る。 共 産 主 義 の 下 に 固 く団 結 して い れ ば,労 働 者 階 級 は,ブ ル ジ ョ ア ジ ー を 倒 せ る ほ ど 強 く な っ て い る と い う発 言 は,極 め て 甘 い 認 識 で あ る。 世 界 革 命 が 近 い と 見 る考 え も,歴 史 の あ と 知 恵 と して 言 え ば,誤 り で あ る。 ド イ ッ に お い て1919年1月 闘 争 の チ ャ ン ス を 逃 して か ら は,ド イ ツ に は 革 命 の 可 能 性 は, ほ と ん ど な か っ た 。 労 働 組 合 イ ン タ ナ シ ョ ナ ル の 指 導 者 よ り,ブ ル ジ ョア 国 防 軍,自 衛 軍 は 危 険 で は な い と い う 説 は,無 茶 苦 茶 で あ る 。 イ タ リ ア や イ ギ リス に 革 命 の 芽 を 見 よ う と い う姿 勢 も,全 く,眼 が く も り切 っ て い て,ユ ー ト ピア 的 で あ る 。

農 業 問 題 に 関 す る ジ ノ ヴ ィ エ フ は,概 し て 正 し い 。 ま た ド イ ッ へ の 言 及 も正 し い。 つ ま り,ド イ ツ で,農 民 レ ー テ を 形 成 しな け れ ば な ら な い と い う主 張 は, も し ドイ ツ で 革 命 を お こ す つ も り で あ れ ば 方 針 と し て は 正 し い 。 な お,残 念 な こ と は,ボ ル シ ェ ヴ ィ キ 政 権 は,戦 時 共 産 主 義 の 時 代 に,農 民 を 抑 圧 せ ざ る を え な か っ た 。

コ ミ ン テ ル ン を 結 成 す る こ と 自 体 は,決 して 誤 り で は な い。 し か し,コ ミ ン テ ル ン は,戦 略 ・戦 術 の 上 で 誤 り を 冒 し た 。 つ ま り,コ ミ ン テ ル ン が 活 動 を 開 始 し は じ め た 時,世 界 革 命 の 可 能 性,よ り正 確 に 言 え ば,世 界 の 数 ケ 国 に お け る可 能 性 が,失 わ れ は じ め た 。 こ う して,ロ シ ア に お け る 現 実 を 基 礎 と し た 展 望 は,ロ マ ン テ ィ ッ ク な 戦 術 と な っ た 。 こ の 方 針 は,短 期 的 に で は な く,長 期 的 に 考 え る べ き も の で あ っ た 。 後 に ス タ ー リ ン は こ れ を 逆 の 方 向 へ と ね じ ま げ

る 。

ジ ノ ヴ ィ エ フ は,つ づ い て,民 族 問 題 に 論 を 移 す 。

参照