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東歌の民謡性

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Academic year: 2021

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

東歌の民謡性

著者 中西 雅彦

雑誌名 文学研究

巻 1

ページ 3‑7

発行年 1955‑12‑01

URL http://hdl.handle.net/10105/8907

(2)

その障堕一書を形とつた作り物の複に掻い網がついてい て︑木聖?木へ張り渡しているのは元の蛇の形をとゞめ ているものであろう︒この額を持ち出す帝隼たちが︑出 払で相撲をとって︑どらこんになるのは二別に言った性 的行郡の変形だ︒葺はその士をわざと見物人にくっつけ たりしたのだそうだ︒この行詰には︑スサノヲの翁と積 出姫の結婚の神詣が結合していて︑行串の起源を語って いる︒古事記の八侯の大蛇退治と稲田姫との結格の物語 は︑おそらくこうした春の予祝行餌の神話化ではないか と 思 う が

︑ ど う だ ろ う か

︒       一 九 芸

︑ 一

〇 三 五

︵ 怒

会 顧

問 ︶

東 歌 の 民 謡 性

中     西   雅     夢 現 在 用 い ら れ て い る 些 謡 と 言 う 吉 葉 は

︑ U a O O 可 O P k s

↑ 匝 e P

︵ 国 民 詩

︶ の 訳 語 と し て 生 れ た も の ら し い

︒ 民 謡 と 蛇

﹁ 何 障 何 処 で 唯 れ が 作 り 出 し た も の か 分 ら な い が と に 角 伝 喝 さ れ た と 言 う の が 民 謡 で あ る

︑ 民 謡 は 実 に 民 衆 の 声 で

︑ 其 の 声 は 民 衆 の 共 産 と 日 す べ く L

︒ と

∵ 尚 野 庭 之 氏 時 日 太 民 謡 の 研 究 で 述 べ ら れ

︑ 又 土 橋 先 生 は

﹁ 民 衆 に よ っ て 集 団 的 な 壕 で 歌 ほ れ る 歌 謡 L と 規 定 さ れ た

︒ こ う し た 民 謡 の 概 念 か ら 民 謡 の 昆 性 と し て

︑ 鹿 討 と し て の 流 動 性

︑ 不 斉 合 性

︑ 内 容 と し て

︑ 個 性 的

∫ こ 対 す る 社 会 性

︑ 主 観 性 に 対 す る 客 観 性

︑ 感 情 の 繊 細 性 に 対 す る 素 朴 性

︑ 歌 謡 の 場 と し て の 労 動 性

︑ 地 方 性 や

︑ 作 者 の 不 詳 に

︑ 滑 稽 世 乃 至 は 諷 刺 譜 誇 性

︑ 型 語 と し て の

. 遵 俗 性 等 を あ げ る こ と が 出 来 る

︒ 抜 て 万 葉 菜 巻 十 四

﹁ 東 歌 L に 放 い て は 多 く の 学 者 に よ っ て

︑ そ の 民 謡 性 が 述 べ ら れ た が

︑ 実 証 的 な 論 文 は き

わ 3

(3)

めて少ない︒本稿においては右に述べた民謡の諸属性に

従って︑実例に当って︑東歌の民謡性と非民謡性について

私見を述べてみたい︒尚東歌全体に対する民話性に関し ては︑それぞれの論拠があるがそれについては今は述べ

な い

a 非民謡と思われるもの ︒

三四喜一︑おもしろき野をば焼きそ青草に新翠彗じり 生ひば生ふるがに︒︵滋の深い野を焼かないで下さい︑

音輩に新しい串が交って生えたら生えるだらうに︶︵套注

釈︶︒多くの学者は山野変悟の悟として民謡説をとってい

るが︑乱はとらない︑矛五句の字余りは少し気になるが 調子は東歌らしくもなく︑別に諷刺も考えられない︒野 を焼くのは︑新しい草のよく出るやうに山野を焼くと一 歳的にとるか︑火田であって草木を焼き払って餅拝して 招痙すると︑いずれにとるにしても︑焼く人の労動を詠 んだものでなく︑労仇に全然無関係のものを詠んだ歌で あり︑とうてい土と共に生活している人の歌とは考えら

れはいニ∵おもしろ重野をば焼きそしの中には現ノ卓こほ 逆のr希書野は今日詫な梗笠三七若草の妻もこもれり我れ もこもれ・りL︵古今集︶と同様畏軍聖霊撃蛇で畳流的な 感がある︒天和から赴任して予た京大の感覚であらう︑ とにかく山燐の労伐款として歌う内客で注㍍い︒

三田○由︑上つ毛野安蘇のまそむらかさいだき寝れど

飽かぬをあど.かあがせむ ︵上つ野の安蘇の悉その東を寝

ぐどとく轟いて寝るけれども︑まだ十分でない誓〃菌と

しょう︒︶︵私注︶ この歌は武田氏も歌われたのだラブ

と言って挙られ︑更らにオ警句から互句苧?けてC﹁アL

音の三つの使用が歌謡性を感ぜし.め︑一狂すると用語霊

通俗的     で民謡の典型にみえるが︑内答元壷蒜 一般感情を述べたものでなく島木赤彦の﹁清量感の生ヤ

不満足盛と言う吉葉が適切で︑求心的統一さ・聖に短歌抒

椿で︑切迫した買韓で肉感釣である︒特に﹁ あどかあが

せむし?心没の微妙さは︑とうてい悪の一般壇感清と十人

り民謡として歌われる再審で接からい︒矛五句がなかった

ならば民謡とも亭見るだふうが︑民謡には郡窟琴出挙が 多いが︑心地の故妙書をしゃも肉惑的にうたったものは

ほとんどない︒

(4)

℃ 民謡と思われるもの

三三五八︑.苧寝らくは玉の諸ばlかり悪ふらくは富士の

高嶺の鳴沢の釦.戎本歌口︑まか互しみ寝らくはしけら

ノ\さ琴らく汽伊豆黒鼠嶺の鳴沢なすよ︒一太歌白︑会へ

らく璧玉の緒しけや恋ふらく捜富士聖高嶺に降る雪なす

もひ 右 聖 歌 の 別 伝 の 多 い こ と は 民 謡 の 流 動 性

︑ 伝 播 性 に 一 致 するひ序?使い方も富士m高嶺の鳴沢等ほ地方人の体験 するところで且体的であり民謡として適切である︒恋に

﹁きもわの噂彿なやみを一般的に述べたもの.で︑地名を 詠みこんだ﹁富士Lが或太では﹁伊豆Lとなっているこ ときは︑地方によって歌い替えられたことを証するもの

で あ

る ︒

三田〇五︑上つ竜野をどこのたどりが川路にも子らは 会はな・も一入のみして︒或太m︑上野の小野のたどりが あほ路にも背なは会はなも見る人なしに︒

こ竺一つは男女の立場を準えた転化であると肯定して よいだらう︑男は一人ばっちであの子に逢いたいと言い

女は見る人なしに男に逢いたいと言う︑恋愛に於ける一 般心理をうたったもので︑個性的なものは争われず又内

面を歌ったも空で・筆隼く︑短歌料抒情には遠い民謡の典

型的なものである︒

二三八四︑葛飾竺堅固の手児姦嘉盲ことかも吾に寄す とふ兵編の手塩奈を

ここにみ・h mる感情旺若者爪革過せる感情であるU葛

飾の兵尚の事児奈は巻三の銅二二一の赤人の挽歌にもみえ

ていることく︑地方の伝説的美人で.ある︒民謡には美人

を敵った故は多い︒例えば﹁ 高い山から谷底みれば︑お

万可変や布さらすLの雷で雲︑美人が野㌣を寄

すと言うが真実かと驚ろいている美人への関心は若い男 達にとっては何時の時代に於でも革通であり誰れにでも 共通するものである︒だから美人は仲々心を仇かさない のが普通だか・kか三鱒二の如く︑又嫉妬が一般化され 美人の懸口を歌ったのが多い︒又反面美人を讃えた民謡 があることも事実であり︑美人が心を寄せると言うこと は︑それだけでも社会性のある歌になり樽︑芸者の殻も 注意をひくことであり︑更らに二句を五句で繰り返した のb民謡性を星める︒有名な鎌足の﹁吾はもや安且児輯

5

(5)

たり哲人の紺がてにすとふ安見児侍たりL と批乾した

時も打者の民謡性の濃い夢がよくわかる︒

e 問題とみなされるもの

三四五九︑轟つけばかがるあが芋も今驚かも酸の若者

が取りてなげかんじ

多くの学者は稲鵡歌としているが果してそうだらうか︑

これ聖二立県一志都の多打唄﹁やたをたたいて手竺豆七 つ晩に政紋とねて語ろL と比較してみると︑労仇粂拝 や社会の時代性を考慮に入れても差があるように思われ る︒それかと言って︑夜のつかえや道標な労仇を記刺し た民需を考えることも錆理な産である︑後者の股は糾ら かに麦打女の恋人で庶民の若者を指したもので︑感情も 庶民的なものである︒東歌の方は階級を巽にした支配者 たる損であるOとの塩合の女は特輝な個人的な関係でな

いだらうか︑麦打歌は労仇の能率をこ愚めるために或いは

労仇を心よいものにするための歌として民謡の典型だ巧 東歌の場合の内容の淋しさは古代奴隷が過酷な労肋の場

の現美の串で︑しかも投の君子が敢りて嘆かんと歌つ二に とは思われ.ないもの音 感ぜしめる ひ この矛盾李古代 社

会 の 特 殊 寧 状 に よ っ て か え り み な く て も よ い わ だ ち う

71

三四七二︑人要とあぜかそを言産む挙らばか悼む衣を

給 い

ソ て

潜 な

椋 も

一見すると民謡の笑いを誘う典型的なものと思われる

が︑これには点間がある︑二竺埠説にはこうした﹁絞る みLを歌った警護的なもゐが少ない︑それ墜見歌の民謡 仕草否定する有力璧薫讐二 つとなると思うが︑太笠の 時代解散を録祝してみるはら︑当然爆笑を誘う民謡中の 民謡と節足でき右が︑そち缶単にはいかない︒人妻を犯 してはならないことは古代社会に於いては露星に守られ ていた︒それ媛大伴安蔓の﹁禅精にも辛を触るとふもう ったへに人妻といもは寂れぬもCかもしにあらわれ︑反 面1柴草のに替えるを憎くあら.ば人参故にわれ恋ひめ やも﹂の如く人妻に悪せざるを得なか?たのも事実であ り︑万葉集十五首そのうち四首が東歌として粟せている

︒更に人妻への恋の露見は非常に危険でこのタブーユ甲−故

?たものほ死を碇悟しなければならなか ただらう︒東 歌に於いても﹁あずの上隼窮をつなぎて竃顛かど入妻子

(6)

ろを息に吾がする﹂.三五三九外竺二五四一竺詠まれてい る︑こうした入室への禁制の夢を考えると︑この歌をど うした歌と解釈するとよいか︑このタブーをうち放ろう

とする歌とするか︑▼或ひほあきらめざるを得ない不満の

桧とするか?︑しかし一方三三八六や三四六〇︑の﹁詰

れぞこ望戸を押ぶる新嘗に我が夫を遣りて斉ふこ聖戸をL

とあり又二八六六の﹁人要望己ふは謹望己さ衣のこの紐

° 0 8

°

° e

● 0

箭けと竃ふは託が言L等から︑もう当醇のタブ・1は荒縄

●   O e O 命 も ら 9 ぬ e e e O

蛤代程厳重に行ほれていなくて崩れて充ていたと軍うこ

とが出来るからこの歌を庶民の中に・あって︑二八六六と

典に笑ひを訴ふことを目的とした民需であると肯定して

よいだらうが︑しかし︑東国の地方性としても入貢との

恋は例 のどとく危険だったのである・聖b断定は で・き

ない︒宴はタブーのゆるみの程度私よる︒ ︵完︶

雲︑一〇二延  ︵文雄︶

主な参考整︒武田祐書︑万葉集套注釈︒上岱学学窓驚

土足文明︑万葉藁私法ひ高野巌ラ︑冨太の民謡の研琴▼

土橋雲︑景語の社会性民書と文学︒拘出国男︑罠壷覚宅

車    

*    

*    

*    

*    

*    

*    

*    

*    

〝古事記に於ける﹁速須佐之男命﹂

の ﹁遮﹂ について〟

高     橋     美   子

∴∵㍉言∵∴∴・

け ら 机 て い る の を 見 る こ と が 出 来 る じ た だ

︑ 須 佐 之 男 爵

〃・

だけでよさそぎなものである㌻隼︑何故二一億違濃芸

の上についている芸や完うか︒そこでこ勒超の.慧味 ついて︑色々と調べてみた︒以下不十分で蛇あるが私

の に

一7−

訳完の結果を莞烹することにナ嘉︒

先づ︑﹁訂正頁聖宗鑑Lの由か一h名村のと㌔運〟

C つ い て い る 例 を さ が し て み る と

撃 酵 違 彗 亘 ポ   ︵ 上 告 三 ︑ 吾

ハヤアキツ ヒメノカミ

速 秋 津 比 発 祥  

︵ 上 る ウ 聖 五

聖 餐 か

㌘ 勅 願 臥 和 厨

ヌ ミ ノ カ ミ

設美神︵上境ウ七︶

事がある︒又﹁嬉喜式祝.試し︵六戸海大祓︶に於いては

参照

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意はみえてこないであろう。 そこで、「子ヲ取ル」と「手ヲ取ル」 とい

真間娘子歌から の流れを汲むうたい 方、 つまり伝統的な挽歌の作

前稿 でも触 れたよう に、古 代歌謡 における対句 の代表的な形式 は二句を 一連とし て前連と後連が相対す るかたち 、 す なわち、... ︵

て大歌所に入ったと菊地威雄氏はいわれる︒ただ万葉集東歌のよう        一 そして例えば︑09は﹁東の歌﹂であったものから﹁東歌﹂へ昇格し

して﹁遠白き﹂歌に及ぶものとはしてみないのである︒

     三島由紀夫と古典歌謡

      挽歌の成立と展開

と整理されている ︵注九︶ 。そして。 日常語と形は同じであっても、和歌に詠まれるこ とによって、意味内容や用法が固定化