• 検索結果がありません。

リス族の「生産/恋愛叙事」歌謡と万葉集東歌

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "リス族の「生産/恋愛叙事」歌謡と万葉集東歌"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)研. 究 通. 信. リス族 の 「生産/恋 愛叙事」歌謡 と 万葉集 東歌 遠藤. 1日. 耕太郎. は じめに一一 古橋信孝の「生産叙事 」理論をめ ぐって一一. 沖縄石垣島平得では、八重山に五穀が渡来 した神話を演 じる種取 り祭が行 われている。祭の 明け方、神女たちが多田浜に行 き、そ こで五穀を神から授けられる儀式を行 った後、五穀を捧 げて集落の中心の大阿母御嶽に帰 って くるとい う祭 りだが、その前の晩の大阿母御嶽での夜籠 りに、神謡「稲が種ア ヨー」が歌われる。その内容 は、これからの農耕 の過程の描写 とそれに よって豊かな稔 りが もたらされるとい うもので、いわば豊穣予祝 の歌謡である。予祝 とは、あ らか じめ豊穣のさまを言葉にした り演 じた りすることで、豊穣 を実現す る呪術であるが、それ は共同体に穀物が齋され、村立ての神によってその生産方法が授けらた時点を再現することで もある。 古橋信孝. (『. 古代歌謡論』『万葉歌の成立』他)は 、 こうした神謡 の様式を、小野重朗. (『. 南. 島の古歌謡』)│こ 従 って、生産叙事 と呼 び、その断片が古代歌謡や万葉和歌にも見 られること から、古代ヤマ トにも生産叙事歌謡が歌われていたことを想定 し、さらにその生産叙事の一部 が表現 の様式 として、豊穣予祝 とい う共同体的な意味. (共 同性)か. ら離れて、最高にすばらし. い ものを表す表現 として 自立することによって、序歌における比喩の位置にたつ ことにもなっ たのだと述べ ている。たとえば、 多摩川 に曝す手作 りさらさらに何そこの子のここだ愛 しき. (万 葉集. 1403372). (多 摩川に曝す手作 りの布がさらさらと音 を立てている。さらにさらに、 どうしてこの児. が こんなにも愛 しいのだろ う)(1) における上の句を生産叙事の断片 と見て、奄美の芭蕉布 の生産叙事「芭蕉ナガレ」のような、 手作 りの布の生産叙事の歌謡が、古代ヤマ トでも歌われてお り、その完成間近い布曝 しの部分 だけが、最高にすばらしい ものを表す様式 として取 り出され、それが同音反復 の序詞 としてそ の児 の何 とも言えない愛 しさと重ねられていると古橋 は解釈する。 古橋 の理論は、沖縄 の豊穣儀礼で歌われる神聖な生産叙事 の一部が、その予祝性や共同性か リス族の「生産/恋 愛叙事」歌謡 と万葉集東歌 141.

(2) ら切 り離されることによつて、なんとも言い ようのないす ばらしい ものを表現す ることばとし 固別の恋愛感情 と重ねられることによって、その言い ようもない感情が て記号化 され、それがイ 表現 されることになったとい うこと、つ まり、神聖な生産叙事 の一部が記号化 し、個別の恋愛 一字一句違 えてはならない厳格な詞章の一部分が記号化 し、 と結 びつ くとい うことだ。 しか し、 さらに個別の恋愛感情の比喩 となることが本当にあ りうるのだろ うか。 沖縄 には、儀礼 と密接 に関連する神聖な詞章である生産叙事 しか見いだされないが、長江流 域に暮 らす雲南省 リス族には、歌掛けで歌い続け られる生産叙事があ り、それは、男女の恋愛 の進行 と重ねられている。本稿では、 この リス族の歌掛けを分析 しつつ、古橋理論を再検討す る足がか りとしてみたい。. 2.歌 掛 けの論理 と「生産 /恋 愛叙事」歌謡 筆者 は 1997年 から中国少数民族の人 々が暮 らす雲南省西北部に入 り、歌掛けの調査 を行 っ てきた。彼 らの、い くつ もの歌掛けを見ていてわかってきたのは、歌掛けは一定の流れをもっ て うたわれてい くとい うことだ。例えば父系一夫一婦制のペー族の歌掛けは、お互いが誠実に 愛情 をもって結婚 し、ともに働 き、親の面倒 を見るとい う、男女合一 に進むとい う流れを持 っ ている。一方、母系妻問い を行 うモソ人のそれは、相手の愛情を疑 うところから出発 し、相手 を貶 し、男女二人はたまたま一緒 にいたが、本来別 々の道を行 くものであ り、それぞれが母系 ② 家庭 の一員であることが確認 される とい う、男女分立に進む流れを持 っている 。 むろん恋愛は個別的な感情であるか ら、その共同体に とつての理想の恋愛のあ り方か ら外れ る場合 もあるし、理想の恋愛の流れに添いつつ も、その流れに抗す ることによる駆け引 きが繰 り返 しなされる。 こうした掛け合 いの大 きな流れ を、辰巳正明は「歌路」 とよび、この「歌路」に忠実になさ ③ れる歌掛けが理想的な歌掛けであるとこの流れを実体化 した が、工藤隆は、それは、研究 ゛ 者が整理 したうえでのいわば理念の歌掛けであるとこれを批判 し 、岡部隆志 も、歌掛けのす べ てが歌路に即す とい うことではな く、その都度、協調 と対立、つ まり駆け引 きを繰 り返す と ⑤ ころに、個別の恋愛感情の確認があると述べ ている 。 本稿 では、 こうした歌掛けの大 きな流れを「恋愛叙事」 と呼 んでみる。恋愛叙事 のみの歌掛 けはあ りえないが、その流れはそれに抗する歌を内包 しつつ、共同体にとつての理想の恋愛に ⑤ 収敏す る。なお、 ここで述べ ている「恋愛」 とは、むろん近代的恋愛を指す用語ではない 。 「瓜植 え調」 (木 瓜調)と 呼 ばれる、若い男女 による掛け合 い歌があ る。 さて、 リス族には、 1997年 1月 26日 (春 節)に 筆者が雲南省怒江州濾水県六庫で調査 した「瓜植 え調」 は全 173. 首か らなる。その内容 は、瓜を植えるための畑 を探 し、鋤 き、保管 されていた種 を取 り出 し、 種 を撒 く日取 りを決め、瓜を世話す る中で様 々な危機を乗 り越え、瓜が実を結 んだ後、収穫 し、 貯蔵 し、再 び種 を保管する とい う瓜の成長 とそれに伴 う農耕の過程が歌 われるが、瓜の成長 と 142.

(3) 農耕 の過程 のほとんどが、恋の困難、愛情 の試 し、不安 と、それが解消 され、愛情が深 まり、 結婚の決意がなさ、出産に至るとい う男女の恋愛の深 まりと重ねられている°。 畑 を鋤 く場面で、男 は「祖父が父に教え、父が私に教えました。父は瓜の種 の扱 い を教えま した。………私に南瓜 と胡瓜の栽培 を教えました」 と、その生産方法が祖先から伝えられたもの であることを示す。その後、 「妹のあなたはラ ド (種 まきの際に、土に穴を穿つ棒)を 持 って きてお くれ。私のあとから、あなたは種 を撒いてお くれ」 と女に依頼するが、 これはそのまま 恋愛の初期段階の誘い と重ねられている。これに対 して女は「ただ、私が選んだ土地は本当に よい土地で しょうか。私 は瓜を植えた以上必ず豊作 にしたいのです」 と歌 う。相手が誠実かど うか、立派な家庭を作 る気があるかの試間が重ねられているわけだ。 蔓が伸 び始めたころ、男が「蔓が伸 びてい くころ、た くさんの鼠がや って きました。妹は苦 労 を厭わない人なので、鼠 は妹から離れ ようとしません」 と、別の男があなたに言い寄 った ら どうす るのかを問い糸 Lし 、女は「瓜を植えるからには、私 は絶対間違いは犯 しません」 と応 じ、 「 この瓜をどう世話 しますか。どのようにきちんと世話 しますか。苦労するかどうか言 っ さらに て ください。そうでない と、瓜が実ってからでは間に合 い ません」 と再 び不安を感 じ、男の愛 情を試 してい く。 収穫 の場面では、女が「植えた種 はみんな大 きな実を結びました。……瓜を収穫するのには よい 日取 りがあ ります。 どうや ってよい 日取 りを決めましょうか ?」 と縁談の 日取 りを相談す る誘い歌を歌い、男は「妹 のあなたはもう物が分かる年頃になりました。瓜を収穫 した後、家 は瓜でいっぱいにな りました。……瓜の収穫が終わった ら、妹 よ、私 たちは鳩にように一緒に なって生活 しましょう」 と応 じる。 以上のように、瓜植え調は、生産叙事 と恋愛叙事が重ねられた叙事の流れをもち、それに抗 す る歌を内包 しつつ進行する歌掛けである。 これを「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌掛け と呼 んで みる。歌掛けにおける生産叙事は、神聖な儀礼 で一字一句間違えてはいけない生産叙事 とは異 なる。つ まり、神事 としての田遊びなどで演 じられる生産過程 と、男女の模擬性行が重ねられ るとい うレベルにあるのではな く、 したがって土橋寛. (『. 古代歌謡 と儀礼 の研究』他)の よう. に歌垣 を豊穣予祝行事 として実体化することはで きない とい うことである。 「生産/恋 愛叙事」は、鼠. (別 の男)が 離れ ようとしなければどうしますか、などとい う駆. け引 きが相手へ の問いかけとな り、そ こに不安や相手の恋愛を試す個別的な恋愛感情が働 きつ つ、それが作物の豊饒や子孫繁栄に収敏するとい う大 きな流れを持つ。その基底には、農作物 の豊穣 と共同体にとって理想の恋愛は一続 きの ものであ り、双方が神. (祖 先)の 意志によって い い 動かされて ると う祭式的な世界観があるだろう。 しか し、その叙事の流れのなかに協調 と. 対立が作 り出され、個別の恋愛の駆け引 きや確認が行われているのである。. リス族の「生産/恋 愛叙事」歌謡 と万葉集東歌 143.

(4) 3.「 生産 /愛 情叙事」 と東歌 古代 日本にも、 リス族の「瓜植え調」のようなさまざまな作物 の生産過程 を歌 い継 ぐ生産叙 「生産/恋 愛叙事」歌謡があったと考えて 事 と、共同体 にとつて理想的な恋愛感情 を重ねる、 みる。むろん、それは歌掛け として歌い継がれる、かなり長編 の口承歌謡であ り、それがその 「手作 り布」 まま現存するわけではない。 しか し、古橋 は前掲 の「多摩川 に」歌、すなわち、 の生産叙事 の断片 と共同体 にとつて理想的な恋愛感情の断片を重ねた和歌のほかにも、い くつ もの生産叙事 と恋愛感情の断片を重ねた歌を、記紀歌謡や万葉和歌 のなかに見出している。例 え│ゴ 「大根 の生産叙事」 をベースとした、 つ ぎねふ 山代女の 本鍬持ち 打ちし 大根 根自の 白腕 枕 かずけばこそ 知 らず とも言 はめ (つ. (記. 520紀. 58). ぎねふ 山城女が木鍬 で耕 した大根 は根が真 っ白。真 っ白な腕 を枕にしなか ったのなら. 知 らないと言 ってもいいけれ ど) には、大根 の白さと女の腕の白さとが重ねられているが、その際に大根の生産過程 の一部が取 り込まれている。 こうした序歌形式の歌 々のベースに「生産/恋 愛叙事」歌謡があったとい う ことは認められるだろう。 ただし、 ここで注意 してお きたいのは、古代歌謡や万葉和歌 と「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌 掛けが共通するのは、こうした序歌形式の歌のベースにある世界観に とどまるとい うことであ る。歌掛けなどで歌われる「生産/恋 愛叙事」歌謡 は相当に長 く、その大 きな流れ として、作 物の豊饒や恋愛の成就 とい う共同性 を含み こみつつ歌 い継がれるものであった。 しか し、記紀 歌謡や万葉和歌 は、その一部分 を歌掛けの場から切 り取 って、宴な どの空間で、その一部分が ト1青 を表す ものとしてテキス ト化 されたものと見 るべ きだろう。 完結 したノ ペー族やナシ族には、歌掛けの高い技術 を備えつつ、文字 を扱えるような知識人が多 くいる。 彼 らは、歌掛けに行 くと、 自分の歌 った歌 の一部や、他人の歌でいいと思 った歌を、主 に漢字 の音仮名 を用いてメモす るといい、実際に歌のメモ帳 を持 っていた りす る。また彼 らは、 こう した歌を自らの歌に生か した り、知識人同士の集まりで披露 した り、さらに同人誌 のような冊 ③ 子を作 った りしている 。岡部隆志の調査 では、こうした知識人が文字を用いて作 る歌には比 ° 喩表現が非常に高 くなるのだとい う 。真下厚の調査 によれば、 こうした知識人は、苗族で も (° 確認 される ところである 。 リス族に「生産/恋 愛叙事」歌謡 の歌掛けの一部 を文字を用 い てメモ し、歌掛けの場 とは異なる場で披露す る知識人がいるかどうか、今 のところ、わからな いが、その可能性 は十分 にあるだろう。 前述 したように、古橋理論は、神聖な生産叙事 の詞章の一部が記号化 した ことによつて、新 たに個別的恋愛を比喩す ることになったとす るが、その過程をもう少 し丁寧に押 さえてい く必 要があるのだろう。 ここにリス族の「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌掛けモデルを挿入す ると、次 のような筋道が見えて くる。すなわち、儀礼 と密接 に結びついた神聖な生産叙事があ り、その 144.

(5) 外側 に、「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌掛けがあった。その「生産/恋 愛叙事」歌謡 の一部が、 生産 と恋愛を重ねたまま切 り取 られ、宴な どの場にテキス ト化 されたとい うように。 古代 日本 に、長編の歌掛けである「生産/恋 愛叙事」歌謡があった想定 したが、 「多摩川 に」 「手作 り布」の「生産/恋 愛叙事」歌謡か ら、その完成に近い布曝 しの部分 と、それに 歌 は、 重ねられた「よ くわからないが さらにさらに愛お しい」 とい う恋愛感情 だけが取 り出され、完 結 した一首 となることによって、多摩川で布曝 しをする女性の健康的な美 しさと、その女性に どんどんなかれていって しまう男の感情が、 「さらさら」 とい う川 の流れの音 とともに、新鮮 な恋のイメージを結 んでいる。信濃の国庁 とか、都で信濃の歌を披露するような宴で歌われた のだろ う。 足柄 の箱根 の山に栗撒 きて実 とはなれるを逢 はな くもあや し. (万 葉集. 1403364). (足 柄 の箱根の山に栗を蒔いて栗が実 ったのに、あなたと逢 わないのはおか しい). この歌のベースにも、栗の生産過程 と男女の恋愛の深化が、長編の歌掛けによって重ねられ る歌謡、つ まり栗の「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌掛けがあったのだろ う。そ して、そ うした叙 事 を歌い継いでい くなかで、リス族の「瓜植え調」で、 鼠. (ほ. かの男)が あなたから離れなか っ. たらどうす るのか、といったように、相手の愛情を試す歌 も歌われたのだろ う。栗の収穫場面 で、栗は実 ったのになぜあなたは私 と逢わないのか、だれか別の男がいるのではないか、といっ た、相手の愛情 を試す歌が歌われてお り、その一部分 を、「栗」 と「逢 は」を重ねる言葉遊び のお もしろさ、ダジャレ感覚 といった、共同性 とは異なる視点で切 り取 り、宴の場での笑わせ 歌 としたのではないだろ うか。. 4.お わ りに 以上、リス族の「瓜植え調」をモデルに、古代 日本 にも作物の生産過程 と共同体的恋愛感情 「生産/恋 愛叙事」歌謡の歌掛けがあったことを想定 した。 この歌掛けはかな り長 を重ねる、 い もので、その根底に共同性. (共 同体にとって大切な作物 の豊穣や共同体にとって理想的な恋. 愛の成就や子孫繁栄)を もちつつ、その部分部分で恋の駆け引 きが行われるような自由なもの であったと考えた。 さらに、 こうした長 く続 く「生産/恋 愛叙事」歌謡 の歌掛けのなかから、例えば、どうしよ ヾ うもなく異性に惹かれて しまう若い男性 の′ 亡 1青 をイメージさせる部分、あるいは、言葉遊 びが 面白い部分を、共同性 とは異なる視点で切 り取 り、東国経営の一端である宴などで、一首完結 した歌 として披露 した歌が、東歌に残 されていると考えてみた次第である。 注 (1)以. 下の万葉和歌や古代歌謡 の訳 は、私につけた。. ② この 点、遠藤 『古代 の歌. アジアの歌文化 と日本古代文学』 (瑞 本書房. 02009)、. 及び本誌所. リス族の「生産/恋 愛叙事」歌謡 と万葉集東歌 145.

(6) 音〉 」を参照願いたい。 喩〉と 〈 収論文「中国西南少数民族歌謡における 〈 °『万葉集と比較詩学』(お うふう 01997)、 『詩の起原 東アジア文化圏の恋愛詩』(笠 間書院・ 2000). 0工 藤 隆 「 歌垣 と身体 」 (「 大 航 海」 53号 02005年 ⑤. 1月. ). 岡部 隆志 『古代 文学 の 表象 と論理』 (武 蔵 野書 院 ・2013). 0「. 恋愛」 とい うと、共同性 か ら外れるような恋愛がイメージされる場合 もある。そうい う恋. 愛 はリス族やナシ族の歌掛けのなかにも心中物語 としてあ り、リス族の場合 には、逃げた後、 心中せず に子を産んで戻 って くるとい う叙事 になる場合 もある。 こうした叙事 は、古代 日本 では軽太子物語、女鳥王物語などにも見 られるところである。その一方 に、共同体 自体が豊 かになってい く、つ まり二人が結婚 して子を産んで、一家を盛 んにす るのが理想だとい う恋 工藤隆「現地調査報告 ・中国剣川白族の歌垣 (1)」 (「 大 愛 もある。 こうした「恋愛」について、 東文化大学紀要」35号 01997年 3月 )は 、「歌垣 は、多 くの人に認められる、公認の男女関 「結 「 「公 開の」「制度 としての」愛情表現の場 とい うべ き」であるとし、 であ り、 係 を作る場」‐ 婚 して子 どもを作 り、安定 した家庭を築 き上 げ、ムラ共同体 の維持 に貢献するとい う「健全 な」男女関係 を、(公 の様式〉 のなかで表現 しあう」 ものである と述べ てい る。本稿 で「恋 公の様式〉 としての「恋愛」である。 愛叙事」 と名付けているのは、 こうした 〈 歌掛けは、このどちらの恋愛叙事 をも、歌掛けの大 きな流れ とす ることがある。そして、そ の大 きな流れのなかで、協調 と対立を繰 り返 し、駆け引 きをし、個人的恋愛 を確 かめ合 うの である。 °歌 い手 三[男 役]恒 曼山. (男. ・79歳 ・農業 ・濾水県古登郷干本村在住)。. 72歳 ・濾水県登臓字務工村在住)。 現地通訳 :克 秀南 民族学院教授)、 張正軍. (雲 南大学教授)。. [女 役]恒 干益 (男. (怒 江州図書館)。. (年 齢等 は 1997年. ・. 翻訳 :段 伶 (大 理. 当時。 )な お、この資料 の一部 を、. 音〉 」 に掲載 した。 本誌所収論文「中国西南少数民族歌謡における (喩 〉 と 〈 ③遠藤編 「中国少数民族歌謡 における、音 ・意味 ・文字」 (「 共立女子大学 ・共立女子短期大学 総合文化研究所紀要」23号 02017年 3月 ) ⑨ 岡部隆志「アニ ミズム的修辞論一一 白族掛け合 い歌の比喩表現一一」 (注 (8)所 収) (101真 下厚「 中国湖南省鳳凰県苗族 の歌師一一歌 に生 きる人 々一―」 (「 アジア民族文化研究」 16号 ・2017年 3月 ).

(7)

参照

関連したドキュメント

られてきている力:,その距離としての性質につ

現在のところ,大体 10~40

わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから

我が国においては、まだ食べることができる食品が、生産、製造、販売、消費 等の各段階において日常的に廃棄され、大量の食品ロス 1 が発生している。食品

つの表が報告されているが︑その表題を示すと次のとおりである︒ 森秀雄 ︵北海道大学 ・当時︶によって発表されている ︒そこでは ︑五

「カキが一番おいしいのは 2 月。 『海のミルク』と言われるくらい、ミネラルが豊富だか らおいしい。今年は気候の影響で 40~50kg

あれば、その逸脱に対しては N400 が惹起され、 ELAN や P600 は惹起しないと 考えられる。もし、シカの認可処理に統語的処理と意味的処理の両方が関わっ

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ