新潟工科大学大学院工学研究科博士学位論文
大腿骨の近位部骨折および治療インプラントを対象とした 生体力学的解析による研究
平成30年8月
氏 名 櫻井 航太
NO.1
学 位 論 文 要 旨
(専攻名) 生産開発工学専攻 氏 名
櫻 井 航 太1.論文題名(外国語の場合は、その和訳を併記すること。)
大腿骨の近位部骨折および治療インプラントを対象とした 生体力学的解析による研究
2.要 旨
第1章 緒 論
超高齢社会を迎えた現在,高齢者の機能低下で最も深刻なものは運動機能の障害,特に荷重関 節といわれている股・膝・足の各関節の障害である.運動機能の障害は歩行が困難になるに従っ て,下肢筋力の低下が進行して,最終的には寝たきりとなる確率が高くなる.寝たきりでは身体 全体の生理機能を損なうことにより,高齢者の生活の質(QOL)を大きく損なう要因となるため,
万全な対策が講じられなければならない.寝たきりにならないためには関節疾患や骨折を予防す ることが重要であるが, 高齢者が多い現代では症例数が増加していくのが実情である. そのため,
症例に対して効果的な治療方法や早期回復を目指し,元の日常生活に復帰するための治療環境の 整備が求められる.このような状況のもと,臨床応用研究に生体力学的手法を適用した研究が多 く実施されてきている.
加齢と共に筋肉や骨の脆弱化が進行する高齢者は,関節の炎症や転倒の発生頻度および転倒に よる骨折のリスクが高く,そこを起点に歩行困難や寝たきりに陥ることで,余生の QOL の低下を 招き易い.股関節における骨折や疾患の治療法として,骨折した骨片を整復後にプレートや髄内 釘などの治療インプラントを用いて固定を行う方法や,骨頭部を切除し,人工股関節ステムに置 換する方法などが挙げられる.骨折による骨折線の形態は患者によって多種多様であるため,
個々の骨折患者に応じた治療が必要となるが,多種多様な骨折パターンごとに対応した治療方法
のマニュアルが無く,手術医の経験に基づいた治療が患者に対して施術されているのが現状であ
NO.2
(専攻名) 生産開発工学 専攻 氏 名 櫻 井 航 太
第2章 生体・解析に関する基礎知識バイオメカニクス(Biomechanics)は生体の機能と構造・構成を力学的に解析し,その結果を 応用する分野である.近年の医学分野では,臨床患者への的確な術前計画や治療予測,治療器具 のカスタムメイド化等のニーズが高まっており,生体の力学的環境の解明のために,機械工学で 広く使われている有限要素法(FEM)を使用したシミュレーション解析の臨床応用が求められて いる.本章では,解析や解析手法を理解する上で深く関わりのある,生体学と生体力学などの基 礎知識を説明した.
本章では,医療分野への有限要素解析(FEA)応用にみられる医工連携研究の発展を目指し,
解析や解析手法を理解する上で深く関わりのある股関節を構成する骨盤や大腿骨の形態や機能,
骨折治療における生体学と生体力学などの現状を述べる.また,解析モデルでの臨床状態の再現 や解析結果を理解する上で必要な,生体組織,特に骨格について明示している.
第3章
腸骨大腿靱帯を考慮した大腿骨近位部の骨折リスク評価
大腿骨近位部における骨折は,骨折線や骨片の数などによって分類されており,その数も多種 多様である.また,骨折時の状況によっては骨折線の複雑化,骨組織の圧潰などにより骨折前の 位置に骨片を整復させるだけでは適切な整復位置とならず,骨癒合不全の症例が報告されてい る.第 3 章「腸骨大腿靱帯を考慮した大腿骨近位部の骨折リスク評価」では,被験者の大腿骨を 再現した有限要素モデルを構築し,転倒時を想定した荷重条件を設定した FEM によるシミュレー ション解析を行い,骨折発生メカニズムの調査を行った.ここでは,転倒時に靱帯や大腿骨のね じれが骨折にどの様な影響を及ぼすのかを,解析結果と実際の症例を用いて比較・評価した.
第4章 人工股関節ステムの形状変化における初期固定性評価
近年,人工股関節置換術(THA)に使われるステムの長さは,荷重に起因するステムの振れ回 りによるルースニングの防止と,ステムの再置換を考慮した骨温存の点から短縮化傾向にある.
しかしながら,ステム長の短縮化が及ぼす初期固定性ならびに体重支持性への影響について,力 学的観点から十分に検討されているとはいえない.第 4 章「人工股関節ステムの形状変化におけ る初期固定性評価」では,人工股関節全置換術を行った変形性股関節症患者から構築した大腿骨 モデルを対象として,ステム長を短縮化したステムモデルを作成し,FEM によるシミュレーショ ン解析を適用して,ステムと骨間の微小なズレであるマイクロモーションを算出し,ステム長の 変化における初期固定性の影響の調査を行った. さらに, ステム長のみならずステムの幅や厚み,
骨との癒合を目的としたポーラスコーティング領域とした各寸法パラメータを対象として,タグ
チメソッドにおける直交表に当てはめ,複数種類のステムを作成,解析を行うことで,治療によ
り有効とされるステム形状を模索した.
NO.3
(専攻名) 生産開発工学 専攻 氏 名 櫻 井 航 太
第5章 結 論本論文では,社会的に見て整形外科分野での高齢患者の増加が推測される中,寝たきりによっ
て余生の QOL に重大な影響を及ぼしやすい股関節に着目し,転倒等により生じやすい大腿骨近位
部の骨折発生メカニズムや,股関節治療のひとつである人工股関節ステムを対象として,FEM に
よるシミュレーション解析を行った.今後さらに,骨折発生時の状況と骨折パターンやステム形
状における固定性への因果関係を明らかに出来れば,臨床における適切な骨折の治療や新たに開
発される人工股関節ステムの指標のひとつにつながることが期待される.
目次
第 1 章 緒 論
p.1
第2章 生体・解析に関する基礎知識
第
2.1
節 緒 言p.12
第
2.2
節 解剖学的方位p.13
第
2.3
節 骨の構造p.14
第
2.4
節 股関節の解剖学p.18
2.4.1 骨盤と大腿骨 p.18
2.4.2 股関節周辺の筋肉 p.20
2.4.3 股関節周辺の靱帯 p.27
第
2.5
節 大腿骨骨折p.29
2.5.1 骨折分類 p.29
2.5.2 大腿骨近位部の骨折分類 p.30
2.5.3 骨折の治癒過程 p.36
2.5.4 骨折治療法の種類 p.38
第
2.6
節 股関節疾患p.40
2.6.1 股関節疾患の種類 p.40
2.6.2 股関節疾患の治療法の種類 p.42
2.6.3 人工股関節ステムの種類 p.45
第
2.7
節 実験計画法p.48
2.7.1 タグチメソッドの概要 p.48
2.7.2 タグチメソッドにおける直交表 p.51
第
2.8
節 線形・非線形解析p.55
第
2.9
節 骨特性の設定p.56
第
2.10
節 結 言p.58
第3章 腸骨大腿靱帯を考慮した大腿骨近位部の骨折リスク評価
第
3.1
節 緒 言p.60
第3.2
節 研究方法p.62
3.2.1 有限要素モデルの構築 p.62
3.2.2 側方転倒を想定した解析条件 p.63
3.2.3 骨折リスクの評価 p.64
3.2.4 骨折進行を模擬した繰り返し解析 p.65
第
3.3
節 結 果p.66
3.3.1 大腿骨近位部の骨折リスク解析 p.66
3.3.2 繰り返し解析 p.72
第
3.4
節 考 察p.74
3.4.1 大腿骨近位部の骨折リスク解析 p.74
3.4.2 繰り返し解析 p.78
第
3.5
節 結 言p.78
第4章 人工股関節ステムの形状変化における初期固定性評価
第
4.1
節 緒 言p.80
第
4.2
節 研究方法p.81
4.2.1 術前・術後の表面形状モデルの構築 p.81
4.2.2 剛体レジストレーション p.83
4.2.3 歩行時・階段上昇時を想定した解析条件 p.84
4.2.4 初期固定性の評価 p.89
第
4.3
節 ステム長の短縮化による初期固定性の影響p.90
4.3.1 解析対象 p.90
4.3.2 短縮化ステムモデルの作成 p.91
4.3.3 結
果p.92
4.3.4 考
察p.102
第
4.4
節 実験計画法を用いたステム形状の選定および評価p.105
4.4.1 解析対象 p.106
4.4.2 予備解析ステムモデル p.106
4.4.3 選択形状ステムモデル p.113
第
4.5
節 結 言p.121
謝辞
p.126
付録
付録
1 大腿骨近位部骨折[主応力分布]
付録
2 大腿骨近位部骨折[骨折リスク分布]
付録
3 短縮化ステムモデル[Micro-motion
分布]付録
4 短縮化ステムモデル[Mises
応力分布]付録
5 予備解析ステムモデル[Micro-motion
分布]付録
6 予備解析ステムモデル[Mises
応力分布]付録
7 論文目録および別刷
第 1 章 緒論
国際連合や世界保健機構(WHO)では,国内の高齢化率(総人口に占める
65
歳以 上の高齢者の割合)が7%を超えた社会を「高齢化社会」と,14%を超えると「高齢
社会」,さらに
21%を超えると「超高齢社会」とそれぞれ定義している.我が国では,
1970
年に高齢化率7%を超えた高齢化社会が到来し,
その後1994
年には14%を超え,
2010
年ではついに21%を越えて超高齢社会を迎えることになった.直近の 2016
年(平成
28
年)の報告では,高齢化率は27.3%であり,過去最高を更新し続けている
(図
1-1)
[1:1].我が国の高齢化は,欧米諸国と比較して進行速度が非常に速く,「世界でも類を見ない」スピードで高齢化が進行している.そのため,我が国は世界のど の国よりも急ぎ,超高齢社会がもたらす社会的問題に対処する必要性に迫られている.
超高齢社会がもたらす影響として,「①生産年齢人口の減少」,「②社会保障費の増 大」,「③介護負担の増大」の
3
点[1:2]が,特に大きな課題として挙げられている.生 産年齢人口は,年齢別人口のうち労働力の中核をなす15
歳以上64
歳未満の人口層を 示し,日本では1995
年(平成7
年)に8716
万人でピークを迎えた後,減少に転じ て2016
年(平成28
年)では7656
万人となり,総人口の60.3%を占めている(図 1-2)
.なお,今後も減少傾向が続くことが推定されているため,労働人口の減少によ る経済への影響や,社会保障制度の維持・継続への影響などへの対策が必要となって いる.図
1-2 生産年齢人口の推移([1:1]から作成)
一方,社会保障費は社会保障給付費のことを指し,年金・医療・福祉・介護などの 公的サービスの費用のことを示す.2014年(平成
26
年)における国の社会保障給付 費は,112兆1,020
億円で過去最高の水準となり,そのうち高齢者に関係する給付金 は,76兆1,383
億円で全体の67.9%を占めている
[1:1].なお,これら給付金は,高齢 者人口の増加に伴ってさらに増加することが予想されている.例えば,歩行機能の障 害は,いわゆる寝たきり生活に始まり,最終的には身体全体の生理機能を損なうこと から,高齢者の生活の質(QOL)を大きく損なう要因となるため,万全な対策が講じ られなければならない.寝たきりにならないためには,歩行機能障害につながる関節 疾患や骨折を予防することが重要であるが,高齢者が多い現代では,症例数が増加し ていくのが実情である.そのため,個々の症例に対して最適な効果が得られる治療方法の確立は当然のことながら,早期回復を可能とし,元の日常生活に復帰するための 治療およびリハビリテーション環境の整備が求められる.
超高齢社会がもたらす課題の
3
つ目である介護負担について,介護保険制度におけ る「要介護」または「要支援」の認定を受けた人数は,2014年度(平成26
年度)末 で591.8
万人であり,2003年(平成15
年)の370.4
万人から約1.6
倍(221.4万人 増加)に増加している.65~74
歳と75
歳以上の被保険者について要介護の認定を受 けたそれぞれの割合は,65~74
歳では3.0%であるのに対して, 75
歳以上では23.5%
となっており,高齢になるほど要介護の認定を受ける人の割合が大きく上昇すること が報告されている(図
1-3)
[1:1].図
1-3 要介護度別認定者数の推移([1:1]から作成)
骨密度が低下して骨が脆くなり,骨折の危険性が増大する疾患として骨粗鬆症が知 られており,40 歳以上の
10%が罹患しているといわれている.なお,その患者数は 1280
万人(男性300
万人,女性980
万人)と推定されている[1:3].また,骨粗鬆症性 骨折として代表的な骨折である大腿骨近位部骨折の発生数は,2012 年に175,700
人 に達したと推定されており[1:4],そのうち男性の発生数は37,600
人,女性の発生数は138,100
人であり,女性は男性に比べて約3.7
倍多い.年齢別人口10
万人当たりの発生者数は
60~69
歳では男性5.03
人,女性が8.66
人に比べ,70~79
歳では,それぞれ
16.88
人および36.71
人に増加する.さらに,80~89 歳では,それぞれ60.81
人および
151.03
人に,また90
歳以上では,それぞれ159.46
人および323.25
人のよ うに,年齢の増加に従い発生率が顕著に増加すると共に,男性よりも女性の発生率が 高い.1992 年から2012
年までの発生率の推移は,男性と女性ともに60
歳台と70
歳台はほぼ一定またはわずかな減少である一方で,80 歳台ではわずかに増加してお り,90歳以上では顕著に増加している(図1-4)
.(a)
男性の罹患者数このような骨粗鬆症性骨折は,治療後の生命予後に,極めて悪影響を及ぼすとの指 摘がある.Tsuboiら(2007)[1:5]は,受傷後
2
年での生存率が著しく低下し,受傷後10
年においても,生存率は低いことを報告している.またCauley
ら(2000)[1:6]は,骨粗 鬆症性大腿骨近位部骨折や脊椎骨折では,女性において死亡の相対リスクが高いこと を報告している.特に,脊椎や大腿骨近位部は,日常生活に重要な荷重関節を構成し ていることから,骨折受傷によって日常動作を行うことが困難となり,治療のための 安静を必要とする.その安静期間が長期になると,全身の筋力低下を招き,離床が困 難になるなどQOL
の低下が著しい.このため,このようなQOL
低下を起こさない ことは当然のこととして,生存率を高めるためには,骨折をしないことが重要であり,転倒予防の対策などが求められる.また,骨折受傷した場合であっても,患者に対す る適切な治療方法を確立することで,早期離床を可能とすることが極めて重要である.
大腿骨近位部骨折は,「大腿骨頚部内側骨折(関節包内骨折)」と「大腿骨頚部外側 骨折(関節包外骨折)」に大別される.なお,前者は「大腿骨頚部骨折」,後者は「大 腿骨転子部骨折」とも呼ばれている.後者の転子部骨折は骨頭頚部の転位方向や骨折 線の方向などの様式が極めて多いことが知られている.この要因として,転倒時の衝 撃力の方向や大きさのみならず,靱帯による引張力やねじりなどの要因が挙げられる ものの,多様な骨折線の様式とこれを決定する力学的環境の相関については未だに不 明な点が多い.
Bessho
ら(2007)[1:7]やSchileo
ら(2008)[1:8]は,大腿骨を対象とした荷重試験の結 果,ならびにそれと同様の解析条件を与えた有限要素(FE)解析結果に基づいて,骨強度の比較検討を行った.その結果,両者の骨折発生個所が一致することを示し,
FE
解析は骨折予測に有益であることを報告した.さらに,Bessho
ら(2009)は,実生 活で起こりうる転倒状態を想定した大腿骨近位部の応力解析を行い,実際の症例と同 様の骨折パターンを再現可能であることを報告している[1:9].しかしながら,臨床例 の中には,同報告におけるFE
解析結果だけでは説明が困難なパターンを有する骨折 症例も見られ,解析時の荷重条件や境界条件の更なる検討が求められている.一方,腸骨大腿靱帯は,大腿骨近位部周辺の靭帯の中で最も強固な靱帯である.こ の靭帯は図
1-5
に示すように股関節前面で腸骨と大腿骨を結んでおり,大腿骨側の付 着部位は外側と内側に分かれ,Y字靱帯とも呼ばれている.高齢者に多い外傷である 脊椎圧迫骨折は脊柱の後弯変形を招き,代償的に骨盤は後傾になるため,立位時にお ける股関節は伸展位になる.このような状況で,転倒によって股関節に伸展する外力 が作用する場合は,腸骨大腿靭帯に通常の歩行時よりも極めて強い張力が加わる.し たがって,このような転倒状況では大腿骨近位部骨折に対して腸骨大腿靭帯の影響を 考慮することが必要であると考えられる.しかしながら,前述のFE
解析例において は大腿骨に作用する負荷のうち,転倒による衝撃荷重のみを考慮しており,靱帯やね じりの影響を含めた解析条件を付与しておらず,これらを考慮した解析に基づく骨折 リスクの検討はなされていない.図
1-5 大腿骨近位部の解剖
一方,大腿骨頚部骨折において,整復に基づく骨折治療が困難な場合や変形性股関 節症の治療として,人工股関節置換術(THA)が疼痛の軽減や関節機能の回復を目的 として選択される.人工股関節の臨床成績は,その工学的な設計の配慮が性能に及ぼ す効果は極めて大きく,特にセメントレス人工股関節において,初期固定性が短期的 のみならず長期的な臨床成績において,重要な影響を及ぼす因子と考えられている
[1:10].埋植された人工股関節インプラントの初期固定性が低く,骨とインプラント間
の境界面にすべりを生ずる場合,境界面における骨の生成は抑制され,ルースニング などのトラブルが発生するリスクが高くなる[1:11].骨-インプラント境界面でのすべ り量は,「マイクロモーション」で定義されており,人工股関節の初期固定性の評価 に,しばしば利用されている[1:12-1:19].特に,Pilliar ら(1986)は,骨-インプラント 境界面での骨生成は,マイクロモーション量
40μm
から抑制され,150μmでは完全 に阻害されると報告している[1-17].荷重に起因するステムの振れ回りによるルースニング発生の防止と,ステムの再置 換を考慮した際,骨温存に有利であることから,近年,THA に使用される人工股関 節ステムのステム長は短縮化傾向にある.しかしながら,ステム長の短縮化が及ぼす 初期固定性,ならびに体重支持性への影響について,力学的観点から十分に検討され ているとはいえないようである.
Reimeringer
ら(2012)は,セメントレスステムにれるポーラスコーティング領域の範囲も含んだステム形状デザインを,力学的・臨床 的の双方から総合的に評価・検討を行うことは,ルースニングによる再置換症例数を 低減する上で重要と考えられるものの,このような研究例は極めて少ないようである.
この様なことから本研究では,大腿骨近位部を対象として,早期離床を可能とする 骨折治療の観点から有益な知見を提案し,医工連携研究の発展を目指すべく生体力学 的な検討を行った.
<本論文の構成>
本論文は
5
章からなり,その構成を以下に示す.第
1
章「緒論」では,本研究の背景および目的,論文構成について述べた.第
2
章「生体・解析に関する基礎知識」では,本研究に関する一般的な知識を理解 する事を目的として,骨構造や股関節周辺の解剖学,骨折・疾患の分類や治療法につ いて述べる.また,シミュレーション解析や実験計画法に関する基礎的な原理につい て述べている.第
3
章「腸骨大腿靱帯を考慮した大腿骨近位部の骨折リスク評価」では,転倒によ る大腿骨近位部骨折において,腸骨大腿靱帯の張力が骨折線の形成パターンに影響を 及ぼすとの仮定に基づき,大腿骨近位部骨折患者の臨床データに基づいた大腿骨FE
モデルを用い,腸骨大腿靱帯の張力を含めた力学的状態を考慮して,転倒時における 骨折リスクに及ぼす影響の調査・検討を行った.第
4
章「人工股関節ステムの形状変化における初期固定性評価」では,大腿骨頚部 骨折や変形性股関節症に対して適用されるTHA
において,ステム形状が骨に及ぼす 力学的影響を調べ,工学的観点からステム形状の設計検討を行うことを目的とした.このために,THA 適用患者の臨床データに基づき,ステム横幅,ステム厚さ,ステ ム長さならびにポーラスコーティング範囲からなるステム形状デザインの寸法パラ メータ
4
種類について検討対象とし,それぞれのパラメータに対して相似形状のステ ムモデルを用いて有限要素応力解析を行い,ステムに生じる応力分布や,大腿骨-ス テム間の境界面におけるすべり量について調べ,初期固定性に与えるステムの寸法パ ラメータの影響を比較した.第
5
章「結言」では,本論文の結言であり,本研究の総括と今後の展望について述 べている.<第
1
章 参考文献>[1:1] 厚生労働省, “平成 29 年度 高齢社会白書,” 東京, 2017.
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第 2 章 生体・解析に関する基礎知識
第
2.1
節 緒言バイオメカニクス(Biomechanics)は,生体の機能と構造・構成を力学的に解析し,
その結果を応用する学術分野である.生体は,身体全体または生体構成要素のあら ゆる部分が力学的環境下にあり,その機能は力学的法則の支配を受けている.従っ て,身体全体の様々な器官の機能は,力学的バランスによって維持がなされており,
その崩壊によって各種疾患や機能不全を生ずる.したがって,それらの治療や回復 にも力学的配慮が常に必要とされている.しかし,生体の持つ力学的環境に適応す る能力は十分に解明されて居らず,細胞レベルから身体全体にいたる広い領域での 研究が待たれている.
言い換えればバイオメカニクスは,生体機械工学の基礎として非常に重要である だけでなく,医学,生物学,機械工学の分野を機能的に統合し,それぞれの境界領 域を超えた広い分野での知識や技術集約を必要不可欠とする実用的学問と言える.
近年の医学分野では,臨床患者への的確な術前計画や治療予測,治療器具のカスタ ムメイド化等のニーズが高まっており,生体の力学的環境の解明のために,機械工 学で広く使われている有限要素法(Finite element method,FEM)を使用したシミュ レーション解析の臨床応用が求められている.例えば最近の傾向では,コンピュー タと
AI(人工知能:Artificial Intelligence)の利用により,ガン患者への Precision
Medicine
の適用が可能になる等シミュレーション解析手法が高く評価されている.この様な社会的,技術的環境の推移を睨みながら,高齢者も若年者も共にハツラツ とした生活を継続するために大切な生きる能力を維持する事が重要であることから,
医師が直面する難題解決に資する研究を医工連携で取り組み,我々のような工学的 立場に基づいて,有益な治療方法や問題解決の手法の提案と基本的考え方を提示す ることが望まれている.
本章では,医療分野への有限要素解析(Finite element analysis,FEA)応用にみら れる医工連携研究の発展を目指し,解析や解析手法を理解する上で深く関わりのあ る股関節を構成する骨盤や大腿骨の形態や機能,骨折治療における生体学と生体力 学などの現状を述べる.また,解析モデルでの臨床状態の再現や解析結果を理解す る上で必要な,生体組織,特に骨格について明示している.
第
2.2
節 解剖学的方位骨の名称や部位,構造を理解するに当たっては,解剖学で用いられる方位用語の知 識が必要である.最も基本となる肢位(position)が,図
2-1
に示す「解剖学的正位」(anatomical position)であり,ヒトが両足をそろえて,顔,眼,手のひらを前方に向 けて直立する状態をいう.解剖学的正位にある人体を通過する互いに直交する
3
つの 面,すなわち横断面(水平面:transverse plane)
,前額面(coronal plane),矢状面(sagittalplane)が定義され,横断面は人体を上下に,前額面は人体を前後に,矢状面は人体を
左右に分け,特に人体の中央を通過する矢状面を正中矢状面(median sagittal plane)と呼ぶ.
内側(medial),外側(lateral)という語は,正中矢状面に近いか遠いかを示す.ま た,人体の正面側を前方(anterior),背面側を後方(posterior)とそれぞれ呼ぶ.頭尾 方向の相対的位置関係は,上方(superior),下方(inferior)で表され,特に上肢・下 肢の場合には,心臓を中心とした距離に応じて近位(proximal),遠位(distal)という 表現が用いられる.
第
2.3
節 骨の構造骨は主に骨膜,軟骨質,骨質,骨髄から構成されている(図
2-2)
.骨の主体となる ものは骨質であり,肉眼的および顕微鏡的特徴から,皮質骨(cortical bone)と海綿骨(cancellous bone)に分類される.図
2-3
には皮質骨および海綿骨の形状を示す.皮質 骨と海綿骨の間には,明瞭な境界を持たず,その組織は推移している.また,骨と骨 の連結部端面は,無血管系の特殊な結合組織である軟骨に覆われている.骨の形状に より,四肢を構成する長い棒状の長管骨(例:大腿骨,上腕骨)や小さく立方状の短 骨(例:足根骨,手根骨),薄い板状の扁平骨(例:頭蓋骨,肩甲骨),不規則な形の 不整骨(例:椎骨,下顎骨)などに分けられる.
(b) 大腿骨骨幹部横断面
図2-2 長管骨(脛骨)の構造
図2-3 皮質骨と海綿骨
(1)
骨質骨質は骨を構成する物質・構造を表し,規則性を持って分布するコラーゲン線 維を土台として,リン酸カルシウムや炭酸カルシウム,リン酸マグネシウムなど の骨塩が沈着してできている.この構造的特徴から骨は強固かつ弾力性を持ち,
外部からの力が加わった場合でも,折れることなく耐えることができる.骨の表 層には骨質が緻密に詰まっている緻密質(皮質骨)があり,内部には骨質がスポ ンジ状の構造をしている海面質(海綿骨)が存在する.長骨では骨幹は強固な緻 密質から形成され,内部に髄腔が存在するが,骨端では薄い表層のみが緻密質で,
ほかは海綿質で構成されている.骨質の外側は,造骨機能を有する繊維性の皮膜 である骨膜で覆われている.骨膜には血管および神経が豊富に分布し,それらは 骨質内部に伸びている.骨質の内側は造血作用を営む骨髄で埋められている.こ
(a) 大腿骨近位部前額断面
こで,細い血管の出入り口となる栄養孔の位置は,骨によりほぼ一定している.
扁平骨では,内板,外板とよばれる緻密質の間に板間層とよばれる海綿質からな る.短骨・不規則骨は,薄い緻密質でおおわれた海綿質となっている.
① 皮質骨
皮質骨は常に骨の外側に位置し,密に詰まった硬い組織である.図
2-4
に示す 様に骨中にはハバース管と呼ばれる血管,神経が通っている管が存在する.ハバ ース管は,横断するフォルクマン管によって結ばれている.骨膜中の血管および 神経は,フォルクマン管を通り骨質内に入る.ハバース管を中心に同心円状の層 を形成する組織が見られ,これを骨単位オステオン(osteon)と呼ぶ.このオス テオンが密集して皮質骨を形成し,オステオンの隙間は介在層板と呼ばれる複雑 な層板構造を有する組織で満たされている.オステオンと介在層板との境界には 接合線が存在し,この付近に骨小腔と呼ばれる骨細胞を内包する穴が多く見られ る.② 海綿骨
海綿骨は柱状構造の骨で周囲に骨髄組織がある.柱状の部分を骨梁(trabecula)
という.長管骨の骨端や骨幹端,寛骨,椎体などで見られる.立体的に観察する と海綿骨には柱状の骨梁だけでなく,板状の構造も見られる(図
2-5)
.これを海 綿骨プレートと呼ぶ.海綿骨に見られる骨梁は,外力の加わる方向に並んでいる ことが明らかにされている.図
2-5 海綿骨の構造
(2)
骨膜(periosteum)骨の表面は関節軟骨および筋の付着部を除き,知覚神経および血管に富む結合 組織性の骨膜でおおわれ,骨端では関節包に移行する.骨膜と骨は
,
シャーピー 線維により結合されている.骨膜は骨を保護し,骨の成長または再生にあずかる.すなわち,骨膜から骨細胞が新生されて骨の太さの成長が行われ,また,損傷時 にも骨膜で骨細胞の新生が行われる.
(3)
軟骨質骨端の他の骨との関節面は,硝子軟骨でできた関節軟骨(articular cartilage)で 覆われている.成長している骨の骨端と骨幹の境界には,硝子軟骨でできた骨端 軟骨(epiphyseal cartilage)と呼ばれる軟骨層が存在する.骨端軟骨は骨の長さの 成長にあずかり,これが骨化すれば成長は止まる.骨端軟骨が骨化すると骨端線
(epiphyseal line)と呼ばれ,肉眼的あるいは
X
線写真で確認できる.(4)
骨髄(bone marrow)骨髄は長管骨における髄腔や,各骨における海綿質の骨小柱の間隙を満たして いる造血機能をもつ軟組織である.成人では,造血機能を営む赤色骨髄の存在部 位は,胸骨・椎骨・寛骨あるいは頭蓋骨で,椎骨を除きほとんどが扁平骨である.
また,成人の長管骨は,大部分が造血機能を停止し脂肪化した黄色骨髄をもつ骨 で,わずかに骨端など限定された部位に赤色骨髄が見られるにすぎない.
第
2.4
節 股関節の解剖学2.4.1 骨盤と大腿骨
股関節は球状の関節面を持つ臼状関節である.股関節は大きく分けて骨盤と大腿骨 によって構成されているが,図
2-6
に示すように骨盤は一対の寛骨,仙骨及び尾骨を 組み合わせた複合体の総称である.図2-7
に示される寛骨は腸骨,恥骨,坐骨から構 成され,それらの骨の骨端部により半球状の寛骨臼が形成されている[2:3].図
2-6 骨盤
図
2-7 寛骨
腸骨稜腸骨翼
寛骨臼 月状面 下前腸骨棘 上前腸骨棘
腸骨
恥骨 坐骨
仙腸関節 寛骨 寛骨
仙骨
寛骨臼 寛骨臼
恥骨結合 尾骨
次に,大腿骨の概略を図
2-8
に示す.大腿骨は,人体を構成する骨の中で最も長く また最硬の長管骨であり,身長の約1/4
を占めるといわれている[2:3].大腿骨の上端に は2/3
球形の大きな関節面をもつ大腿骨頭と呼ばれる球状の部分があり,関節軟骨で 包まれ寛骨臼と関節を形成している.大腿骨頭の頂点は内側上方に向くが,同時にや や前方に傾いており,やや後方には大腿骨頭窩という大腿骨頭靱帯が付着している小 さなくぼみがある.この後下部の大腿骨頭靱帯付着部である骨頭窩には軟骨がない.
図
2-8 大腿骨
健常者の場合,大腿骨頭はこの寛骨臼内に収められ,寛骨と大腿骨頭との結合性は 完璧なものではないが,荷重により安定する.ただし,大腿骨頭と寛骨臼は直に接触 しておらず,両者の間には摩擦係数の小さい関節軟骨が存在しており,関節軟骨同士 が接触している.
生体関節の構成要素のなかで最も重要な組織は関節軟骨といわれている.関節軟骨 転子窩
骨頭窩
転子間稜 大腿骨頚部
内側顆 外側顆
顆間窩 大体骨体
外側上顆 内側上顆
大転子 大腿骨頭
転子間線 小転子
2.4.2 股関節周辺の筋肉
生体の歩行や着座などの様々な運動は,その動作に必要な筋肉を作動させて骨格を 動かすことである.そのため,股関節の運動を理解するためには,股関節周辺の筋肉 について知る必要がある.したがって,以下で股関節周辺の筋肉について説明する.
(1)
内骨盤筋群[2:3]股関節の内骨盤筋群を図
2-9
に示す.大腰筋は腰椎,腸骨筋は腸骨稜の内側部 に結節しており,共に大腿骨の小転子につながっている.大腰筋と腸骨筋を総称 して腸腰筋と呼ぶ.腸腰筋は,大腿直筋や縫工筋,大腿筋膜張筋と共に股関節の 屈筋に分類され,直立姿勢,歩行,走行において重要な筋である.図
2-9 内骨盤筋群
Psoas major 大腰筋
腸骨筋 Iliacus
Iliopsoas 腸腰筋 仙結節靱帯
腸恥筋膜弓 坐骨棘
恥骨結合
恥骨結節 小転子
転子間線 大転子 仙棘靱帯 鼠径靱帯
上前腸骨棘 腸骨稜 小腰筋
(2)
外骨盤筋群[2:3]図
2-10
に外骨盤筋群の深層部と浅層部をそれぞれ示す.図に示す浅層部には① 大殿筋(Gluteus maximus),②中殿筋(Gluteus medius),③大腿筋膜張筋(Tensorfasciae latae)があり,深層部には④小殿筋(Gluteus minimus),⑤梨状筋
(Piriformis),⑥双子筋(Gluteus muscle),⑦内閉鎖筋(Obturator internus),
⑧大腿方形筋(Quadratus femoris)がある.
① 大殿筋(Gluteus maximus)
仙骨後面の側方,腸骨の殿筋面の後方,胸腰筋膜,線結節靱帯から,腸脛靭帯 と大腿骨殿筋粗面を繋ぎ,外骨盤筋群の深層部を覆う.冠状面における骨盤の安 定と股関節を伸展,内外転させる働きがある.
② 中殿筋(Gluteus medius)
腸骨の殿筋面から大腿骨大転子外側面を繋ぎ,小殿筋を覆う.冠状面における 骨盤の安定と股関節を屈曲,伸展,内外旋,外転させる働きがある.
③ 大腿筋膜張筋(Tensor fasciae latae)
上前腸骨棘から腸脛靭帯を繋ぐ.大腿筋膜の緊張と股関節を屈曲,内旋,外転 させる働きがある.
④ 小殿筋(Gluteus minimus)
腸骨の殿筋面から大腿骨大転子前面を繋ぐ.冠状面における骨盤の安定と股関 節を屈曲,伸展,内外旋,外転させる働きがある.
⑤ 梨状筋(Piriformis)
仙骨前面外側および坐骨の大坐骨切痕の縁から,大坐骨孔を通って大腿骨大転 子先端の内側面を繋ぐ.股関節の安定と股関節を伸展,外旋,外転させる働きが ある.
⑥ 双子筋(Gluteus muscle)
坐骨棘から大腿骨転子窩を繋ぐ上双子筋と,坐骨結節から大腿骨転子窩を繋ぐ 下双子筋に分けられる.股関節を伸展,外旋,内転させる働きがある.
⑧ 大腿方形筋(Quadratus femoris)
坐骨結節の外側縁から大腿骨転子間稜を繋ぐ.股関節を外旋,内転させる働き がある.
図
2-10 外骨盤筋群
[2:3]腸骨,殿筋面
大腿方形筋 Quadratus femoris
転子間稜 小転子
坐骨棘 Gluteus 大殿筋
maximus 胸腰筋膜
腸骨稜
外転軸/内転軸
中殿筋 Gluteus medius 大腿筋膜張筋 Tensor fasciae latae
腸脛靭帯
内閉鎖筋 Obturator internus 下双子筋 Gemellus superior 仙結節靱帯
内閉鎖筋 Obturator internus
下双子筋 Gemellus superior 仙骨 後殿筋線
上前腸骨棘
中殿筋
Gluteus medius 梨状筋
Piriformis 上双子筋
Gemellus superior 大腿方形筋 Quadratus femoris
転子間稜 殿筋粗面 小転子
坐骨結節
大転子
小殿筋
Gluteus minimus 梨状筋
Piriformis 上双子筋
Gemellus superior
大転子
浅層部 深層部
(3)
内転筋群[2:3]図
2-11
に股関節の 内転筋群を示す .内転筋群は①外閉鎖筋(Obturator externus),②恥骨筋(Pectineus),③長内転筋(Adductor longus),④短内転
筋(Adductor brevis),⑤大内転筋(Adductor magnus),⑥小内転筋(Adductorminimus)
,⑦薄筋(Gracilis)がある.① 外閉鎖筋(Obturator externus)
閉鎖膜と閉鎖孔外周の外側面から大腿骨転子窩を繋ぐ.矢状面内における骨盤 の安定と股関節を外旋,内転させる働きがある.
② 恥骨筋(Pectineus)
恥骨櫛から大腿骨の恥骨筋線と大腿骨粗線近位部を繋ぐ.前頭面と矢状面にお ける骨盤の安定と股関節を屈曲,外旋,内転させる働きがある.
③ 長内転筋(Adductor longus)
恥骨上枝と恥骨結合の前面から大腿骨粗線中央の内側唇
1/3
を繋ぐ.前頭面と 矢状面における骨盤の安定と股関節を屈曲,伸展,内転させる働きがある.④ 短内転筋(Adductor brevis)
恥骨下枝から大腿骨粗線上部の内側唇
1/3
を繋ぐ.前頭面と矢状面における骨 盤の安定と股関節を屈曲,伸展,内転させる働きがある.⑤ 大内転筋(Adductor magnus)
恥骨下枝,坐骨枝,坐骨結節から大腿骨粗線内側唇と大腿骨内側上顆を繋ぐ.
前頭面と矢状面における骨盤の安定と,股関節を伸展,内転,外旋させる働きが ある.
⑥ 小内転筋(Adductor minimus)
恥骨下枝から大腿骨粗線内側唇を繋ぐ.股関節を屈曲,外旋,内転させる働き がある.
⑦ 薄筋(Gracilis)
恥骨結合下方の恥骨下枝から脛骨粗面内側を繋ぐ.股関節の屈曲,内転,膝関
図
2-11 股関節の内転筋群
[2:3]恥骨上枝 外閉鎖筋
Obturator externus 小内転筋
Adductor minimus 恥骨筋
Pectineus
大内転筋の腱
薄筋の停止腱 内側上顆 [内転筋]腱裂孔
大内転筋 Adductor magnus 薄筋 Gracilis 長内転筋 Adductor longus 短内転筋 Adductor brevis
恥骨筋 Pectineus
(4)
伸筋群[2:3]図
2-12
に股関節の伸筋群を示す.伸筋群は①縫工筋(Sartorius),②大腿四頭 筋(Quadriceps femoris)がある.大腿四頭筋は大腿直筋(Rectus femoris),内 側広筋(Vastus medialis),外側広筋(Vastus lateralis),中間広筋(Vastusintermedius)を総称した筋である.
① 縫工筋(Sartorius)
上前腸骨棘から脛骨粗面内側を繋ぐ.股関節の屈曲,外旋,外転,膝関節を屈曲,
内旋させる働きがある.
② 大腿四頭筋(Quadriceps femoris)
大腿四頭筋は以下の
4
つの筋から構成される.・大腿直筋:下前腸骨棘,寛骨臼上縁から脛骨粗面を繋ぐ.
・内側広筋:粗線内側唇,転子間線遠位から脛骨粗面の内外側顆を繋ぐ.
・外側広筋:粗線外側唇,大転子外側面から脛骨粗面の内外側顆を繋ぐ.
・中間広筋:大腿骨骨幹前面から脛骨粗面を繋ぐ.
股関節の屈曲(大腿直筋)と膝関節を伸展させる働きがある.
大腿直筋 Rectus femoris
中間広筋
Vastus intermedius 外側広筋
Vastus lateralis 内側広筋 Vastus medialis
大腿直筋 Rectus femoris
縫工筋 Sartorius 大転子
転子間線 小転子 縫工筋 Sartorius 上前腸骨棘
下前腸骨棘 寛骨臼蓋
縫工筋 Sartorius 大腿直筋 Rectus femoris
内側広筋 Vastus medialis
膝蓋骨 大腿四頭筋の停止腱
外側広筋 Vastus lateralis
(5)
屈筋群[2:3]図
2-13
に股関節の屈筋群を示す.屈筋群は①大腿二頭筋(Biceps femoris),②半膜様筋(Semimembranosus),③半腱様筋(Semitendinosus)があり, こ れらを総称してハムストリングと呼ばれる[2:3].
① 大腿二頭筋(Biceps femoris)
大腿二頭筋は長頭と短頭に分かれている.長頭は坐骨結節,仙結節靱帯から腓 骨頭を繋ぎ,短頭は大腿骨中央部
1/3
における粗線の外側唇から腓骨頭を繋ぐ.矢状面内での骨盤の安定,股関節の伸展,内転,膝関節を屈曲,外旋させる働き がある.
② 半膜様筋(Semimembranosus)
坐骨結節から脛骨内側顆,斜膝窩靱帯,膝窩筋の筋膜を繋ぐ.矢状面内での骨 盤の安定,股関節の伸展,内転,膝関節を屈曲,内旋させる働きがある.
③ 半腱様筋(Semitendinosus)
坐骨結節,仙結節靱帯から脛骨粗面内側を繋ぐ.矢状面内での骨盤の安定,股 関節の伸展,内転,膝関節を屈曲,内旋させる働きがある.
図
2-13 股関節の屈筋群
[2:3]坐骨棘
大腿二頭筋,短頭 Bicep femoris 大腿二頭筋,長頭 Bicep femoris
鵞足 半膜様筋の停止(鵞足)
半膜様筋 Semi-membranosus 半腱様筋 Semi-tendinosus
坐骨結節 仙結節靱帯
腓骨頭 上後腸骨棘 下後腸骨棘
膝窩筋
2.4.3 股関節周辺の靱帯
[2:3]靱帯とはコラーゲンなどが主成分となる結合組織であり,骨と骨の位置関係を保っ て関節の形成と関節の可動域を制限する働きがある.股関節の靱帯は主に①腸骨大腿 靱帯(Iliofemoral ligament),②坐骨大腿靱帯(Ischiofemoral ligament),③恥骨大腿靱 帯(Pubofemoral ligament),④大腿骨頭靱帯(Ligament of head of femur),⑤寛骨臼横 靱帯(Transverse ligament of acetabulum),⑥輪帯(Zona orbicularis)からなり,骨盤と 大腿骨を繋いでいる(図
2-14)
.① 腸骨大腿靱帯(Iliofemoral ligament)
大腿骨近位部周辺の靭帯の中で最も強固な靱帯である.股関節前面で腸骨と大 腿骨を結び,別名 Y字靱帯とも呼ばれるように,外側に付着する上方線維と内側 に付着する下方線維に分かれている.上方線維は伸展,内外旋を制限し,下方線 維は伸展,内外転,外旋を制限している.股関節を固定する構造として重要であ り,直立姿勢時には筋の作用を必要とせずに骨盤の後方傾斜を防ぐ働きがある.
② 坐骨大腿靱帯(Ischiofemoral ligament)
らせん状に巻き付く形で坐骨の寛骨臼縁後下部と大腿骨を結ぶ靱帯であり,股 関節の伸展と外転を制限する働きがある.
③ 恥骨大腿靱帯(Pubofemoral ligament)
恥骨部と大腿骨を結ぶ靱帯であり,股関節の伸展,外旋,外転を制限し,特に 外転に強固な制限力を持つ.
④ 大腿骨頭靱帯(Ligament of head of femur)
寛骨臼と大腿骨頭窩を結ぶ靱帯であり,股関節の力学的な制限力はほとんどな いが,靱帯内部に血管が通っており,大腿骨頭に栄養を送る働きがある.
⑤ 寛骨臼横靱帯(Transverse ligament of acetabulum)
寛骨臼切痕の上方を覆うように付着し関節臼を補う働きがある.
⑥ 輪帯(Zona orbicularis)
大腿骨頚部の最も狭い部分を巻き,関節包の過度の伸展を抑制し大腿骨頭が抜 けないように安定させる働きがある.
坐骨結節
坐骨大腿靱帯 Ischiofemoral ligament
転子間稜 腸骨大腿靱帯 Iliofemoral ligament 上後腸骨棘
腸骨稜 腸腰靱帯
腸骨大腿靱帯 Iliofemoral ligament
腸骨稜 上前腸骨棘
鼠径靱帯 下前腸骨棘
転子間線
腸腰靱帯
恥骨大腿靱帯 Pubofemoral ligament
前縦靱帯
前仙腸靱帯
仙結節靱帯 仙棘靱帯
坐骨棘 恥骨結合
後仙腸靱帯
図
2-14 股関節の靱帯群
[2:4]腸骨稜
恥骨大腿靱帯
Pubofemoral ligament 恥骨結節
腸骨大腿靱帯 Iliofemoral ligament
鼠径靱帯 上前腸骨棘 上後腸骨棘
後仙腸靱帯
仙棘靱帯 坐骨棘 仙結節靱帯
坐骨大腿靱帯 Ischiofemoral ligament
側方部
前方部 後方部
第
2.5
節 大腿骨骨折2.5.1 骨折分類
骨折とは,骨の連続性が断たれることをいう.骨折が生じると,骨皮質と骨髄の連 続性が途絶し,同時に骨膜も切断される.その際,骨の外側に存在する筋肉や,その 他の軟部組織も損傷を受ける[2:4].図
2-15
に,長管骨骨折に関するAO Müller
が示し た損傷の重症度による骨折分類を示す[2:5].単純(simple)骨折は,骨幹や骨幹端の全 周にわたる単純な破断,あるいは関節面の単純な破断を意味する.楔状(wedge)骨 折は,1つ以上の中間骨片を伴う骨折で,整復後には主骨片間の部分的接触が得られ る骨折である.粉砕(複雑:complex)骨折は,1つ以上の中間骨片を伴い,整復後 も近位主骨片と遠位主骨片の接触がない骨折である.楔状骨折や粉砕骨折のような,1つ以上の完全に遊離した中間骨片を伴う骨折を多骨片(multifragmentary)骨折とい う.また,骨折が複数ヶ所に存在するものを多発骨折という.骨折の発生原因として は,外力による骨折,病的骨折,疲労骨折の
3
つに分けられる.図
2-15 AO
重症度分類(例:長管骨)[2:6]発生機転による分類
(1)
外傷骨折ある程度の強さによる外力によって,骨の連続性が断たれる場合である.通常,
これを骨折と称している.
(2)
病的骨折通常では,骨折を起こすとは思われないような軽微な外力で生じる骨折をいう.
単純骨折 楔状骨折 粉砕骨折
2.5.2 大腿骨近位部の骨折分類
大腿骨頚部内側および転子部の骨折は,骨粗鬆症を有する高齢者に多発する骨折の ひとつである.骨粗鬆化により骨の強度が低下することにより,つまずきや転倒など の軽微な外力で骨折が生じる場合もある.若年層では,交通事故や転落などの強大な 外力によって転子部骨折,転子下骨折を受傷することが多い.
ここでは,大腿骨近位部における骨折分類について述べる.
(1)
大腿骨頚部内側骨折[2:4]大腿骨頚部内側骨折は,関節部を包む関節包内側(図
2-16)にある大腿骨頚部
に生じる骨折である.関節包内では骨膜性仮骨が形成されず,骨折による阻血が 生じやすい部位であるなど,解剖学的特徴から骨癒合が得られにくい骨折である.大腿骨頚部内側骨折の分類には,骨折線のなす角度を基準とした①Pauwels 分
類(図
2-17a)
と,骨折部における転移の程度を基準とした②Garden分類(図2-17b)
が多く用いられている.
① Pauwels分類(図
2-17a)
・第
1
度:30°以下の骨折線(圧迫力が生じ易く骨癒合有利).・第
2
度:31~69°の骨折線(剪断力が生じ難く骨癒合不利).・第
3
度:70°以上の骨折線(剪断力が生じ難く骨癒合不利).② Garden分類(図
2-17b)
・Stage Ⅰ:不完全骨折.
・Stage Ⅱ:転位を伴わない完全骨折.
・Stage Ⅲ:部分的転位を伴う完全骨折.
・Stage Ⅳ:完全体転位を伴う完全骨折.
図
2-16 大腿骨近位部の概略図
第
1
度:30°以下 第2
度:30~70° 第3
度:70°以上(a) Pauwels
分類StageⅠ StageⅡ StageⅢ StageⅣ
(2)
大腿骨転子部骨折(大腿骨頚部外側骨折)[2:4]大腿骨転子部骨折は,関節包外側の大腿骨近位部で生じる骨折である.大腿骨 頚部内側骨折と比較すると,海綿骨の豊富な関節外骨折であり,骨膜の存在や血 管分布の関係から阻血が生じにくいなどの理由から,骨癒合は比較的良いとされ る.しかし,骨折線が複雑になりやすく,外転筋や腸腰筋などの強大な筋の付着 部付近の骨折であるため,骨片が転位しやすく,必ずしも容易に安定した整復位 が得られるとは限らない.
大腿骨転子部骨折の分類には,関節包外での骨折を転子部骨折と転子下骨折を 含めた①Boyd と
Griffin
の分類(図2-18a)と,現在で最も広く用いられている,
骨折線の走行と整復時の安定性を基準とした②Evans分類(図
2-18b)が用いられ
る.①
Boyd
とGriffin
の分類(図2-18a)
・Type Ⅰ:転子貫通骨折.
・Type Ⅱ:転子部粉砕骨折.
・Type Ⅲ:骨折線が小転子の下に限局する転子下骨折.
・Type Ⅳ:転子下骨折と骨幹部上端で,少なくとも
2
面を伴う骨折.②
Evans
分類(図2-18b)
・Type Ⅰ:骨折線が近位外側から遠位内側に走る.
group 1:転位を伴わなく内側皮質残存.
⇒ 安定型
group 2:転位を伴うが整復可能.
⇒ 安定型
group 3:転位を伴わない整復困難.
⇒ 不安定型
group 4:粉砕骨折.
⇒ 不安定型・Type Ⅱ:骨折線が近位外側から遠位内側に走る.⇒ 不安定型
Type
ⅠType
ⅡType
ⅢType
Ⅳ(a) Boyd
とGriffin
の分類安定型 不安定型
(b) Evans
分類図
2-18 大腿骨転子部骨折の分類
受 傷 時
整 復 時
Type Ⅰ Type Ⅱ
group 1 group 2 group 3 group 4
(3)
大腿骨転子下骨折[2:4]大腿骨転子下骨折は,小転子部から遠位部に向かって
5cm
以内での領域で生じ る骨折である.転子下は血流が悪い部分であることや,日常生活において力がか かる部分であることなどから,骨の癒合が悪く,治りにくい骨折であるといえる.また,大腿骨転子下骨折では,付着する強大な筋によって特有の転位を生じ易い ことから,骨癒合のための整復位を保持することが難しく,偽関節を形成するこ とや,変形が残ることもあり,治療が難しくなっている.後遺障害としては,股 関節の可動域制限が見られる場合もあり,注意が必要である.
大腿骨転子下骨折の分類には,骨片の数によって大きく
5
タイプに分けられ,骨折部位および骨折線の走行によって更に細分化する①Seinsheimer分類(図
2-19)
が用いられる.
①Seinsheimer分類(図
2-19)
・Type Ⅰ:2mm以上の転位のない転子下骨折.
・Type Ⅱ:
Type
ⅡA:横骨折.
Type
ⅡB:小転子が近位骨片にある斜・螺旋骨折.
Type
ⅡC:小転子が遠位骨片にある斜・螺旋骨折.・Type Ⅲ:
Type
ⅢA:小転子が第3
骨片となって遊離した螺旋骨折.
Type
ⅢB:小転子以外の部位が第3
骨片となって遊離した螺旋骨折.・Type Ⅳ:4つあるいはそれ以上に粉砕された転子下骨折.
・Type Ⅴ:転子下骨折の型は問わず,転子部に骨折がおよぶ転子下骨折.
TypeⅡA TypeⅡB TypeⅡC
TypeⅢA TypeⅢB TypeⅣ TypeⅤ
図
2-19 転子下骨折の Seinsheimer
分類図2.5.3 骨折の治癒過程
[2:4]骨折の治癒過程は骨の再生によるものである.典型的な治癒過程は以下の
3
期に分 けられる(図2-20)
.(1)
炎症期(inflammatory phase
)(2)
修復期(reparative phase
)(a)
軟仮骨期(soft callus stage
)(b)
硬仮骨期(hard callus stage
)(3)
再造形期(remodeling phase
)これは,仮骨を形成して癒合する,二次性骨折治癒(secondary fracture healing)と いう治癒形式である.粉砕骨折のような多骨片骨折では,開放骨折でない限り,組織 の修復反応は旺盛で多量の仮骨を形成する.また,骨折部の微動(micromovement)
は,仮骨の形成を促進する因子の一つである.
図
2-20 骨折の治癒過程
[2:7](1)
炎症期(inflammatory phase)骨折によって,骨皮質,骨髄,骨膜や血管などの骨周辺の組織は損傷される.
それと共に,血液のほか,骨髄組織,骨膜組織,骨組織の断片などが混在した血 腫が骨折間に形成される.また同時に,骨折による破壊産物や壊死物質が炎症反 応を誘発し,炎症細胞が出現する.そのため,骨折部は腫脹,発熱や熱感などの 臨床症状を呈する.
(2)
修復期(reparative phase)修復期は,軟仮骨期と硬仮骨期に分けることができる.前者は,炎症の消退と 共に,骨折間隙やその周囲の血腫を中心にして,組織修復反応として線維芽細胞,
軟骨芽細胞,軟骨細胞などの骨形成細胞が出現する内軟骨性骨化が生じる.内軟 骨性骨化を構成する軟骨細胞は次第に消退し,その後,間葉系幼若組織からなる 骨形成細胞が侵入する.その骨形成細胞,とくに骨芽細胞から産生される基質に 石灰が沈着して仮骨となる.また,これと並行して,骨折端の外側には,骨膜に 存在する骨形成細胞によって新生骨が形成される線維性骨化が生じている.これ らの過程で形成された骨を軟性仮骨(soft callus)という.この段階で,X 線像 上に仮骨形成を確認できる.
一方,後者の硬仮骨期は,臨床的に,患部疼痛の軽減,腫脹消退の時期に当た る.内軟骨性骨化や骨膜性骨化が進行し,両方の骨化が結合すると共に,石灰沈 着も広範囲にみられ,骨片間が堅く癒合する.X 線像では,骨折間の骨性連絡が 明らかに見られ,臨床的には,この時点で骨癒合が完成したと判断し,荷重ある いは四肢の運動に耐え得るようになる.
しかし,修復期では,まだ本来の層状を示す緻密な骨構造(lamellar bone)で はなく,線維状の形態をもつ線維骨(woven bone)であり,骨折治癒過程はこの ような癒合状態の後も進行する.
(3)
再造形期(remodeling phase)骨の修復機転によって形成された新生骨は脆弱な骨構造である.その後,力学 的あるいは機能的要求により,変形の凸側すなわち引張応力が生ずる側での骨吸 収と,圧縮応力が生ずる凹側での骨添加・骨形成が繰り返され,変形が矯正され ると共に,骨欠損部も補強される(Wolffの応変則).この機転は,骨癒合後も長 期間にわたって持続し,次第に皮質骨と海綿骨の構造を有する本来の機能に即し た骨形状に戻っていく.