陽 田 稲
一 序
現代社会に於ては︑法が屡々国家権力によって破られている︒とりわけ︑法律︑命令等の妥当性の根拠である最
高の法としての憲法そのものが︑公然と国家権力によって無視されっ1ある︒この様な事態竺体何針意味するで あろうか︒
以前には︑所謂近代社会に於てほ︑法と国家権力の相互依存︑法と国家の同産が主張され︑法治国家の理念が
藤歌されたのであった︒そこに於てほ︑人民が人間的に臼資し︑封建的橙枯を打破し︑自主独立の人格の上に︑近
代市民国家を櫨立したのであった︒従って︑近代国家権力ほ︑この椋な自覚的なる近代自由人を統治してゆく為に
ほ︑どうしても法規範の型態をどらざるを得なかった︒そこでは最早中世に於ける如きカの支配は通用しないので
ぁる︒斯くして近代社会にあっては︑法ほ社会統制の最高の技術でありゃ︑近代人を支配してゆく上に︑近代国家理 性の合目的判断による黄良の政筒と考えられた︒
かくの如く法虹よる支配が︑近代国家権力の整同︑疑良の政策であったにも拘らず︑今やへ法による支配ほ国家権
力によって棄てられ︑カの支配が再び筏活しようとしている︒而も近代国家権力の髄い手たるブルジョア汐−によ 法と国家の矛盾 八三 法と国家の矛ノ盾
− 特紅現代 に於′ける﹁・・・・
って︑そのことが為されている︒ 山見この樺な現象ほ法に対するカの勝利であり︑﹁カほ正義なり﹂という言葉によって端的表現される︑実力説
の正当性を裳付けて・いる如く覧心われる︒芙力説的見解をとれば︑問題は単に支配者のカが強大となり︑被支配者
カが弱化した結果であると簡単軋割切ることが出来る︒
然し乍ら︑反対に我々はむしろこの様な現実は︑女配者のカが強い事を示すのでなくて︑その弱点を示している
ことを︑即ち支配者がもはや旧来の如き法ぬよる支配の方法でほ被支配者を抑えて置くことが出来ず︑暴力の支配
へ移行せざるを得なくなったことを証明するものでないかと考えるのである︒ ′ それほ兎もあれ︑この様な近代社会に於て︑既に鱒論的にも︑実践的にも克服された実力説を再び復活せしめ︑
自由独立なる人間的意識に覚めた我々人民を無法な暴力の支配に服従せしめようとすることは︑近代人に対する侮
辱であり︑とりわけ法学を研究するものにとっては黙視出来ぬ︒
我々ほ少くとも自覚的人間である以上︑如何に強大であろうとも法を破る如き暴力に対して︑飽くまで抵抗しな
ければならぬ︒それが法学を研究するものにとって︑良心に課せら■れた任務であると考える︒実力説はその意味で
敗北主義に通ずるものである︒
この様な不法な権力佐対しぃ法秩序を擁護して我々がレザスタンスを行わんとする時︑ラートグルフの次の如き
言葉は非常な示唆を与えるであろう?
﹁自由およびその実現に対する贋求は︑接頭するブルジョア汐−の利益と力から発した︒しかし乍ら彼等甲考えた
自由は︑彼自身の為の自由のみでなく︑すべての者の自由であった︒彼等の自由を彼等の法として要求したからで
ある︒法ほその本質上︑正義への翠求を掲げなければならぬ︒然るに正義ほ法原則の普遍性と法規の前の平等を寮 第二十七巻 罪三号 八四
求する︒一の要求を権利の形式で掲げることは︑自己の為に要求することを︑他のすべての者にも承認することで
ぁる︒プル汐ヨアジ−は︑法の形式で昏庸を要求したから︑この日由ほすべての者の為の自由となっセ︒この故に
それは闘争するプロレタリアート紅とって団結権としても︑作用することが出来︑本来その利益から出たプルジョ H アジ一に対する闘争手段となるととも出来た︒﹂
或は又﹁被抑圧階級も亦その自己法則性のために︑支配階級忙よって制定せられた法の実現に︑山つの利益を持
ち得る︒かくしてまさに被抑圧階級ほ法のための反覆的闘争に於て︑支配階級がそれを抑圧するため濫制定した法 均 秩序の防禦者となる︒﹂
現代に於てラーープルフのこの様な言葉ほ︑強く我々の胸をうつものがある︒けれども以上の言葉ほ正しい内
容を含むに拘らず︑我々が法が法なるが故に︑そのま1被支配階級の闘争手段とな㌢︑山切の権利が権利の形式を帯
びている故に︑無条件に被支配階級紅役立つものと考えるならば誤っている︒もしかゝる形式に拘泥して法の本質
内容を無視すれば︑独裁者の意思を法なりとして漫然と承認せざるを得なくなり︑終局後の整息的命令紅追随し︑
客観的紅見れば彼に協力することになる︒形式は内容なくtて存在し得ないし従って又理解し得ない︒然るに形式
主義ほ法の社会的内容︑従って階顔社会紅於ける階級関係を捨象すること紅よって︑その深刻なる矛盾を蔽い隠そ
うとするものである︒ 伺 ラー†ブルフ自身形式主義に捉われ︑法的安定性の理念を法紅於ける第仙の理念とすることによって︑権力者の
支配︑従ってカの支配を是認し︑他方近代自然法紅於ける自由︑平等を犠牲紅し︑その結果実践に於てもナ㌢スに対
する徹底的な闘争を行うことが出来なかった︒それほ結局彼が形式主義の故に︑法及び国家に対する客観的認識を
妨げられ︑それらの本質に於ける階級性を洞察出来ず︑琴論に於ても︑実戯紅於ても︑誤ちを犯したのであると忍
法と国家の矛盾 八方
第二十七巻 第三号 八六
あれる︒我々は法秩序のために関わんとしている今日︑特にこのことを反省すべきであろう︒
ともあれ︑法が国家権力によ′つて無視されている事実は︑即ち法と国家権力の矛盾という現象は被支配階級の実践
紅とって有利な条件であることほ疑いない︒けれどもか1る矛盾の法則性の認識なくして︑正しい実践は不可能で
ある・︒勿論この矛盾は﹁存在︑と当為との超え雉き滞﹂として観念論者によって問題提起をなされ︑その解決を断念
せしめられたる形而上学的矛盾でなく︑現実社会の深刻なる矛盾であり︑それほ国家及び法自体が社会に於ける階
級対立の所産であることか首して︑両者の問の矛盾は階級的矛盾の倍化されたものである.に他ならないであろう︒
従って問題解決に当って先ず我々は法と国家の本質︑特に階級性を明紀すべきであろう︒
人間は彼等の生活の社会的生産に於て二足の必然的な彼等の意志から独立した諸関係に︑即ち彼等の物質的生産 物 藷カの山定の発展段階に照応するL︐産関係に入る︒そこで生産手段を所有サる階級と生産宇段を奪われ前者に依存
し勤労する階級が生ずる︒従って生産関係は︑同時軋階腰関係である︒而し竺﹂れらの生産関係の総体ほ︑社会の
経済構造を︑即ち現実的土台を形成する︒その上に法律及び上部構造がそびえたち︑そしてそれに二疋の社会的意 閏 ゝ 識の諸型態が照応する︒これ忙よって明かなる如く︑法と国家とは︑窮極に於て︑他の社会諸現象と同様に生産関
係︑従って階級関係に規定される︒それ故に︑間敵は社会軋於ける生産構造との聯関に於て把握すべきであろう︒
更に具体的紅云えば︑我々はプルげヨア国象権力とブルジョア法との矛盾を対象としているのであるから︑当然
資本主義生産構造︑及びその発展の中に於て︑問題を解明すべきことになる勺
自然法に於ける自由︑平等
中世欧洲封建社会の中に於て都市では︑既にマニファクチェアが成立しっゝあったが︑新世界の発見⁚それに伴
う貿易︑商業︑交通︑植民の発展︑及び金銀の大嵐の流入は封建制の胎内に商品交換︑貨幣の流通を急激に増加せ
しめた︒新市場の拡大と︑それに応ずる需要の増大ほ︑中粒的ギルド式生産方法を駆逐し︑マー脚ファクチェアが︑
それに代った︒商業の発展に伴って資本を蓄積しっ1あった問屋制商業資本ほ今や時代の寵児となった︒
彼等商業資本家
ら必要としたが︑勃興しつ1ある産業資本の原始的蓄積転とっても強力な後盾が必質である︒これらの資本の要求
を充すものは中央集権国家である︒他方封建襟主は商品経済ゐ進展に伴って︑財政的原因から益々農奴への収奪を
強化したから︑領主対農奴の封建制皮に於ける基本的階級対立ほ一層激化し︑支配階級は崩壌しっゝある支配体制
を維持すべく︑強力な集中的統一権力を形成すべく余儀なくされる︒
かくて王を頂点とし︑軍隊官僚を中核とする絶対主義国家が登場する︒絶対主義国家はそのよって立つ社会的︑
経済的基礎から︑必然的に封建的身分制の維持と︑商品経済の発展という相矛盾する任務を課せられている︒従っ
法と国家の矛盾 八七 註H 知adb⊇Cぎ Rech叶spgOSOp已e︸ S・−¢●
肖 A・a 〇・㍍.−00餌・
肖 向濱 A・a・〇・−S・ヨ参照
旬 岡
持aユMarヂ Zur間門itik d鳶PO−叶琵scFen OkOnOmie﹀ S.∽.
第二十七巻 第三号 八八
て封建的反動として社会発展のブレーキとなり︑他方に於て資本主義の育成として社会の進歩の挺子となる︒か⊥
る進歩と反動の二面を有するが故に︑過渡的体制と云われる︒
絶対主義の歴史的進歩性は商業︑工業の保護育成に見られる︒所謂重商主義政策が之である︒商工業野展の為の
補助金︑高率関税の設定︑海外市場の開拓等々︒
然し乍ら本来︑封建的土地所有の上に成立し︑本質に於て地主的権力である絶対主義正︑資本主義の発展がその
支配体制を動拝せしめるにつれ︑資本主義の発展にブレーキをかける様になる︒
一方資本主義ほ漸く独り立ち出来る様になるにつれ︑国家の統制は却って邪魔に︑なり︑保護ほ無用となる︒かく
て経済的実力を備えた彼等にとって絶対主義ほ経楷となった︒
それに加えて︑封建的搾取ほ益々払大サる腐品経済ぬよって強化されたから︑農民達にとって現存の支配秩序を
耐え難いものにした︒かくて今や全被支配階級の人心昼所謂崩壌しっゝあるアンシャン・レ汐−ムより離反しつゝ
あった︒
そのとき︑プル㌢ヨアジ−は人民大衆の無意識の中に宿っているアンシャン・レジ−ムに対する不平不満を白鷺
的︑理論的イデオロギーとして一つのまとまりを与えた︒それは即ち自由︑平等を基本的内容とする近代自然法であ
るβ自由︑平等は身分的差別︑封建的特権に決定的に対立するものとして︑反封建的諸勢力の要望と合致した︒それ
故紅プル汐ヨア汐−を先頸とし︑被支配階級せ結集してなされた革命的闘争の隊印となった︒ H 近代の革命的自然法はロック︑ルッソーの社会契約によって代襲される︒彼等の社会契約説によれは︑︑自然状態に
於ける人間は自由︑平等であり︑これらの自由︑平等の個人軋より社会︑或は国家が構成される︒従ってここに人民主
権が根拠づけられる︒而して権力者ほ人民が生命︑自由︑及び財産を保全する為に人民紅よって委託された者であ
る︒従って権力者たる君主が人民の委託に反する場合︑人民ほ当然君主に反抗し︑或は雰詑を取消すことが出来
る︒されば徹底した自然法は革命を是認する︒かくて社会契約説ほ人民主権︑革命を正当化し︑来るべきブルジョ
ア革命の理論的武器となったのみでなく︑それに・よって表現される原子的個人より構成される国家は近代市民国家
の原型ともなる︒
けれども︑この様な抽象的自由︑平等を根本敷念とする自然法は︑決して自然状態蔽存在するのでない︒それは等
価交換の行われる近代商品交換社会町屋物でむり︑そのイデオロギー的上部構造をなすものである︒商品社会に於 q てほ労働生産物ほ交換軋於て︑社会的に同等な価値対象僅を受けとる︒
即ち人々は労働生産物を交換に於て︑諸価値として相互に等置することにょり︑彼等の相異なる諸労働を人間的 屠 凋 労働として相互に等置する︒そのことによって人間は自由︑平等の人格として相互に承認する︒諾労働の同等性なる 笥 ものほそれらの現実的な非同等性の捨象である︒かくして尚品︑従って労働生産物の等価性こそ近代に於ける自由︑
平等の整念の現実的基礎である︒
併し乍ら近代商品社会ほ同時に資本主義社会であり︑商品の等価交換原理に基底づけられるど共に11一流通過程
︵W−G−W︶︑それを媒介として︑生産手段を奪われたるプロレタリアトーの労働力が︑彼の生活資料獲得の為に
商品紅転化する︒
而してプロレタリアー・トの労働ほ生産紅於て支払われたる価値以上のもの︑即ち余剰価値を鴎哀出す︒ − 価値
増殖過程︵G−W−α︶︒
かくの如くにして資本主義社会ほ等価交換と︑価値増殖の相矛盾する契械の上に成り立つ︒こゝに資本主義の一
切の矛盾の根源がある︒前者に於ては︑資材家と労働者は互に自由︑平等の人格として対等な関係を結び︵同質的
八九 法と国家の矛盾
第二十七巻第三号 九〇
人間関係︶︑後者に於てほ︑労働者ほ資本優に従属する︵異質的人間関係︶︒かくて労働者ほ契約の主体となった瞬
間から︑資本の客体紅転落する︒
こ1紅於て︑自由︑平等の自然法イデオロギーほ資本主義に於ける対立︑矛盾する階級関係を︑それによって蔽
うことによって︑資本の利潤を保証し︑ブルジョアジーの利益に奉仕するものであることほ明かであろう︒
しかし乍ら︑自由︑平等はかくの如き階級的性格を有するに拘らず︑理論的イデオロギーとして︑普遍的型態をと
り︑ブルジョア汐−にょって︑万人の為に永遠不滅の真理として掲げられたから︑そのことによって︑自由︑平等
の何たるかを認識しない遅れたる大衆た人間的自覚を促すと共に︑資本主義社会に於て︑生活の為に労働力を商品
として売らざるを得ず︑その為に資本の隷属下に立ら︑そのことによって人間性を奪われたる無産階級が︑自然法
的自由︑平等を契機として︑資本主義社会がその外観の自由︑平等性に反して︑本質に於て不自由︑不平等なるを階
級的に自覚するとき︑自由︑平等は彼等の当為的要請としセ芙践の目標たりうる可能性を与えている︒彼等ほ資本
主義社会に於て︑自己の私有財産から切離された上︑他人の︑即ら資本家の私有財産紅隷属するのであるか︑ら︑劇切
の彼等の不幸の凰因はそこにあると考える︒従って経済的平等こそ︑彼等の特に要求するものであり︑それ故に自
然法に於ける平等は彼等の手によって︑更に軍展せし■められ︑具体化されるであろう︒けれどもプ臼レタリアー†
が小数であり︑且階級的に熟成熟である間は︑単に彼等の璧息識の中軋潜在する︑に止まる︒
かくの如く︑自由︑平等はそのブルジョアーイデオロ㌢−性にも拘らず︑その形式の普遍性︑その内容の抽象性
の故に異なる社会的勢力によって担われる可能性を指摘出来るのであるが︑又そ
の故に︑プルずヨアV−ほ溝だ独自の要求を自覚しえない糖余の被支配階級を︑これを濁げることにより︑反封建
という目的の為に.︑芙践的に統〟し指導することが出来たのである︒
けれどもプル汐ヨア汐−紅指導きれたブルジョア革命の勝利せ決定的にしたのは︑機械と蒸気機関の発明がもた
らした産業革命である︒とれを契機として︑マニファクチ宣アに代って︑近代大工業が現れ︑産業資本主義の段階
に入った︒産業革命が残存せる封建的生産棟式を山帰した結果︑その上部構造たる生活株式︑人間関係等ほ完全に
崩壊した︒生産力に於て卓越せる大工業にとっては︑原料の獲得︑製品の販売の為に︑経済上の自由漑争こそ最も
望ましいものである︒従って自由放任政策がその本質的要求である︒更に又︑盛衰予備軍の確保の為にも倦民の解
放を要求する︒こ1に於て︑日然法の自由は産業資本の賽求と合致する′︒産業資本ほ自由を特乾強調する︒故に自
由を拘束する絶対主義体制と決定的に対立し︑革命軋よりこれを打倒したのである︒
けれども︑二万虹於て産業革命は膨次なるプロレタリアートを産出することによって︑資本主義に於ける基本的
階級対立を盗にしたのであるァ今やブルジョア汐−とプロレタリアi卜は真正面から対立することになった︒
証H lOg LOCk﹀ ↓he secOnd treatise Of gO完rnme阜 cF γ−−・
及びルソー社会契約論︑井伊玄太郎訳二三貢以下参照︒
㈹ 蹄(圏(⇒(⇒
法と国家の矛盾 マルクス 資本重罪蒜憲二分冊定谷部文雄訳︑青木女膵山七四頁︒ 同右 仙七五頁︒ 同右仙九一貫参照︒ 同者 山七四員︒ 同者 第一部第二分冊第四貸第五聾第二節参照︒
三 ブ ル ジ ョ ア法
H 近代ブルジョア革命に於てほブルジョアジーはレエイスの﹁第三階級とほ国民の全体である﹂の言集で表現され
る如く︑全社会︑全国民の代表者を以七自任する︒若し革命をおこす階級ほある︷つの階級に対立していることから 何 もすでに︑まえもってほじめから階級としてではなくて全社会の代表者として登場する︒かくて彼等は国民の名に
於て国民主権を標模し︑憲法制定権力として憲法を制定し︑その事によって白己の権力︑及びイデオロギーを認証
する︒
かくの如くにして制定された憲法︑及びそれを淵源として立法された近代市民法が所謂自由︑平等の法秩序で
ある︒
それほ先ず︑自由︑平等の人格を前提としている︒近代人は公法に於て︑基本的人権の主体︑且又主権者上して
現われ︑私法に於ては︑﹁生レナガラ﹂にして権利能力者として現われる︒
更に︑近代法秩序ほ全く彼等の﹁自由慈恵﹂によって構成ぎれる如き筋式をとモ即ち︑法砕ほ彼等の﹁自由意
志﹂によって選挙した代表者によって立法されるから︑他律でなく︑自律であると考えられる︒又彼等相互の私的
関係を規律するのは﹁自由意志﹂紅よって締結される契約である︒されば︑この意味紅於て︑市民法こそ自然法に
於ける眉由︑平等の理念の実定法化されたものである︒就中︑近代憲法が掲げる基本的人権は天賦の権利として︑自
療法の権利そのもの.と考えられる︒
けれども︑この際ブルジョア汐−は資本主義生産関係の法的表現である私有財産制度を憲法の大原則として自然
法的表現を以て掲げ︑之を﹁神聖不可侵﹂のものとして絶対化することを決して忘れない︒それのみか自由︑平等 第二十七巻 第三号
といってみて・もVブルジョア予−の主力をなす産業資本家にとってほ︑自由兢争を奨激する為に︑自由が特に必要
であり︑それ故瞥﹂の場合虹於ても自由を具体化してより多く法に謳うが︑その反面︑平等ほそれを具体化し実質的
平等紅及ぼすことは自分の利益と容れぬ故︑出来るだけ抽象化し︑形式的なむのに止めようとする︒
マルクスは云う︑﹁支配的な思想ほ︑′支配的な物質的関係の観念慨な表現︑つまり思想としてとらえられた支配的
な物質的関係︑つまりその劇つの階級を支配階顔たらしめている関係の観念的な表現︑つまりその階級の支配とい 軍 う恩恵にはかならない︒﹂︑本来プル汐ヨア・イデオロギーたる目然癌がブルジョア汐−の宇佐より実定法に具体漉
されるとき︑更に一層資本主義秩序に都合のよい様に加エされる︒而して一度び法律となるとき︑人民は否応なし
にそれによっで強制される︒従って結局近代法秩序紅所謂白由︑・平等は人民にとっては法に於ける自由であり︑法の
前の平等であるに過ぎぬ︒併し乍ら︑封建的束縛よりの自由︑身分的無差別はそこで実現されて居り︑更に経でも
勤勉努力すれば︑資本家になれる機会ほ存する︒産英資本の勃興期はそうであったし︑人民の生活水準も前時代よ 凋 ′り向上した︒従ってアダム・スミスの説く如く︑山つの見えざる手によつセ︑必要な晶をすべてむ人に分配し︑無
計割︑蟹息識の中に︑社会の福祉︑人類の発展が実現される如く見えた︒さればこの様な自由競争︑機会均等を保
証する近代法秩序は︑全社会の支持を得ることを得た︒
然れどもこの様な時期はそう長くなかった︒・法秩序軋よ・つて維持きれた自由放任による弱肉強食の結果︑大資本
をもつものは小資本を併呑し︑大企業は中小企業を駆逐し︑小市民階級をプロレタリアー一に転落させ︑一方の極
覧畠の集積︑他方の極に大衆の費凶をつくり出した︒この様な資本主義の矛盾催その発展と共担︑増々拡大再生産
されてゆく︒かくて自由競争は次第にその対立物たる独占に転化するや山臼由競争が独占によってとって代られ始め
ると共に︑そのイデオロギーとしての自由はもほや意味を失う如くに見える︒資本家が自由を自由競争として把握
九三 法と国家の矛盾
併し乍らプロレタリアートにとっては資本主義社会に於て自分等の不自由︑不平等を切実に感ずるが故に︑やが
て実践に於て自由︑平等を要請する︒苦し既に自然法ほブルジョア汐−によって普通の真理と掲げられることによ
ぅて︑それへの可能性を提供したが︑資本主義の籠展と共に︑市民の大多数がプロレタリアー一に転化することによ
って︑︑プロレタリアート︑はその数を増す上︑エ薬の発展紅伴う労働の条件の均一化ほ彼等相互の利害の対立をなく
して彼等の由緒を促進し︑交通機関の発達ほ彼等の団結を拡大する︒かくて労働者は大きな集団に結集され︑益々
白骨のカを自覚する︑それは
者はかくの如く団結によって組織された政治的カとなり︑未だ充されざる自由︑平等を獲得する為に紺争するっ
独占資本家にとっては︑既に最早眉暦法約自由︑平等は無用のものとな・つてしまった許りでなく︑更に自由︑平
等ほ労働者によって資本主義体制を批判し︑経済的平等を要求する理論的釈拠となるが故に︑彼等の目的である最
高利潤の追求の要求にとっても︑亦支配体制維持の為にも︑最も危険なものとして考えられる︒併し乍ら︑労働豪
打階級的成長ほ彼等の支配を動揺せしめ︑資本家も彼等の要求の前に成る程医の譲歩を行わざるを得ない︒我々ほ
ワイマール憲法転於七人民大衆の諸権利が量的に拡大され︑質的軋も発展せしめられてい′るのを見るであろう︒特
に生活の保証︑及び労働権が謳われ︑平等が比較的に強調されていることは注目すべきであろう︒
勿論︑これらの諸権利の控得ほプロレタリアートの階級的カの増大を物語っ一ている︒けれどもワイマール憲法に
ょっ.て利益を得たものは︑先ず独占資本家である︒彼等ほプロレタリアーーの階級闘争をそらすことによって革命
の危機を切抜けた︒彼等の超過利潤で賄われる社会保険等の社会立法すら︑鶉少中小企業を圧倒するのを助長し︑独
首を強化することを促進するであろう︒更にプチブル?ヨアジーは本来︑彼等ほ﹁消極的な自由﹂と︑﹁生活の安 第二十七巻 第三号
した限りぬ於てそうである︒ 九四
定﹂というさゝやかな願望しかもたないから︑ワイマール憲法によって彼専の利益が保証されると考えた︒しかも
大戦後の金融独占資本の確立による所謂﹁資本主義の相対的安定﹂は︑現実に於てプチブル汐ヨアジ−のさ1やか
な夢を戎程度充すことが出来た︑Ⅵで︑彼等ほワイマール忍法を誕歌したのである︒この様な状態は単にドイツに於
てのみでほない︒資本主義の相対的安定期の全世界的風潮であり︑ワイマール患法は文明諸国民によって讃奨され
たのであった︒
けれども︑独占資本が夢みた資本主義の永久的繁栄も︑山九二九年の世界恐慌の襲来によって空しくなった︒相
対的安定が崩壊した後ほ︑回復されざる不況︑構成的失業の増大紅より︑﹁資本主義の劇般的危機﹂が到来する︒
この様な時期に於て︑支配階級が資本主義秩序を維持してゆく上に︑ラートプルフの唱える﹁法的安定性﹂の理
念ほ極めて好都合のイデオロギーである︒彼ほこの恕念を法に於ける常山の理念とすることによって︑他の理念を
その支配下紅置いた︒かくすることによ.って︑独占資本にとって一屏危険になった人民の権利就中︑自由︑平等は
厳重なわくの中にはめられてしまった︒
併し乍ら︑この様な法的安定性ほ実際に於ても︑かつて資本主義の安定期紅於て︑現実に存在していたが︑﹁一
般的危機﹂の時代に於てほ︑最早その社会経済的地盤を失っているのである︒従ってこの様な現実から遊離しノ︑形
骸のみを残すイデオロギーを︑支配階級が被支配階級に押しっける場合︑無秩序に対する恐怖観念を大衆に植えつ
けることと︑国家の強制力にたよる以外に方法ほないであろう︒しかしこうして作り出薄れる法的安定従って秩
序ほ秩序の為の秩序に過ぎず︑T強制徴序﹂と呼ほるべきであろう︒被支配階級ほ権力が法的安定性匿縛られるこ
とにのみ唯一の利益を得るのみである︒
しかも︑﹁一般的危機﹂が深刻化するにつれ︑大衆の反抗が激化し︑これを抑圧してゆくの紅狂奔⊥なければな
法と国家の矛盾 九五
四 プ ル 汐 ヨ ア 国家
ブルジョア革命によって生れた新しい近代国家の特色は議会民主制である︒近代議会制度の萌芽は︑既軋中世封
建制度紅於ける所謂等族会議に見られる︒就中︑第三院を構成する都市の市民は絶対主義の下に於て︑商品交換経
済め発展紅つれて︑﹁最大の貨幣の所有者﹂となり︑その経済的実力の故に︑当時の絶対者主に射し︑租税︑公債の 第二十七巻 東三号 九六
らなくなると︑支配階級ほ法軋従っていたのでほ間に合わなくなり︑﹁法的安定性﹂ほ彼自身によって無視される︒
以上に於てへブルジョア法ほプルジバァ汐−が被支配階級の階級闘争を抑圧し︑戎ほ階級支配の本質を隠蔽する
と共に︑・右往左往する中間階級を自己の側に惹きつけておく為の手段であり︑政策である事が明であろう︒それが
有効でなべなっ・た場合︑自ら破り棄てる︒それがファッレズムである︒そこで軋独占資本の独裁ほ赤裸々な姿を現
わす︒けれども多くの場合︑ブル汐ヨア権力は正面から公然とそうすることをしないで︑外観だけ法に従う︒出来
るなら︑それが最良の策である︒従って︑我々ほ法の背後に隠れる国家権力の階級性を理論的に明紀しなけれほな
らぬのである︒
註H レエイス︑第三階級とほ何か大岩誠訳 岩波文膵ユ十三頁︒
国 マルクス︑ドイツイデオロギー第仙冊伊藤勉︑山崎賓甫共訳 青木文庫 五五頁︒
肖 同者 峯二頁︒
拗・Ada召SmitF T訂Ory Gr MOra−Sentiments p汁 iメ ch.i.
割当てと交換に発言権1特覧法︑予算比対する発言権を増大した︒それは﹂当時の封建的橿桔に対する人民宗 車︑不満を公け覧配者振幅しうる唯忘公︑話されたる機関であノったから︑封建制覧瀞を抱く被支配階級の諸
要求を代弁すること賢って︑﹁国民の総意﹂を合法的に結集する国民代表機関と考えられ︑従って権力投得闘争
紅於て︑.ブルジョア汐−が全国民を指導する機関となった︒
かくの如くブルジョア革命に於て︑専族会議に於ける第三院ほ全国民を指導し︑結集し︑革命の推進力となった から︑その発展形態として︑▼近代国家成立に当って︑その後身たる国民議会が民主的に選挙された唯芸国民代表 機関㌢て︑悪制箸行い︑それと共に︑自らを近代国家に於ける最高嘘酪として認証する︒蘭余の国家機関ほ 最高機関としての議会監督をうけると共に︑議会の制定した法禅賢って拘束される◇近代国家はそれ故巌密 な意味に於ても﹁法治国家﹂と呼ばれる︒
近代法治国家窟ては︑・その以前の専制闇家の如く支配者め盗義正よって政治が行われるのでなく︑﹁国民の総
意﹂軋よって︑民主的に政治が行われる︒それ故に近代議会制度ほ民重義Q制度化されたものであると考えられ
る︒それのみでなく︑′近代国家に於て立法︑.行政︑司法の諸機関相互のC訂ck邑Ba︸−舅eによって︑国家権力 ﹂
以上の如き近代国家の特質ほ︑自由競争を原則とし︑それによって社会が無限に繁栄すると︑考えられた産業資 本主義の発展期にふさわしい庵のであり′︑近代国家はかム・る自由競争を可能にする社会的条件を確保する任務をも
っと考えられる▼やそれほ正に餌述の自由︑平等の法秩序と照応する︒これ夜警国家と呼ばれる所以/のものである︒
そこでは国家は必要なる患であり︑従︵・てその権力ほ最小限を要請される︒
しかし乍ら︑かくの如き優れたるイデオロギー構成にも拘らず︑近代民主制国家は本質紅於てブルジョア汐−の 法と国家の矛盾 九七
九八 第二十七巻 第三号
国数であり︑その階級支配の道具紅他ならぬ︒蓋し︑何よりも先ず国民主権のイデオロギーの具体化である参政
権︑特に選挙権紅於て︑/選挙資格そのものが財産所有高︑或は納税額により制約され︑無産階級は事案上選挙より
締め出されて居り︑更に被選挙人たるには供託の納付金︑其の他の条件紅より一層有産者に有利である︒最後に︑人
民の闘争と支配者の譲歩によって︑普通選挙が行われる場合も︑事態を根本的に変えるものでない︒レーニンほ適
切にも云う﹁とるにたらぬ少数者のための民主主義︑富者のための民主主義 − これが資本主義社会の民主主豪で
ある︒資本主義的民主主義のからくりをつぶさに点検してみると︑いたるところ︑どこにでも︑選挙法の﹃ささい
な.加−1いわゆるささいな!細目条項︵住居資格︑婦人の除外等そ︶のうちにも︑代議機関の道営扱術のうちに
も︑集会の権利の事実上の妨害︵公共の建物ほ﹃こじき﹄虹つかぁせるためのものでない︶のうちにも︑日刊新聞
の純然たる資本主義的綽織のうちにも︑其の他その他のうちにも︑民主主義の制限がつぎからつぎへと見られるで
あろう︒貧乏人紅たいするこれらの制限︑例外︑除外︑妨害ほ小さなことのように思われる︒とく鱒百分ではかつ
て園窮したことがなく︑集団生活における被抑圧階級た接触したことのない人間︵ブルジョア評論家やブルジョア
政治家の習中九十九でなくとも︑十中の九まではこの様な連中だ︶の目にはそうである︒しかしこれらの制限があ ⇔ つまると︑貧乏人を政億から民主主義への積極的な参加から排除し︑おしのけることになるのである﹂だからプロレ
タリアーーを代表する政党はブルジョア民主制の下では︑常に少数党であるに過ぎない︒
更に︑三権分立主義ほ︑絶対主制の下町成立した軍隊官僚町権力を温存した許りでなく︑プロレタリアーーの階
ー 級闘争を抑庄する為にブルジョア汐−はそれを最大限に利用する︒立憲君主制ほその役割を果す︒そこでは中央集 権制ほ∴層強化され﹂行政組織は近代的に合理化される︒最後に︑議院内閣制は︑軍隊︑曽僚等︑即ち執行権カに 対すかプル汐ヨア支配を完成した︒大統領制も同様である︒かくて軍隊︑官僚は完全にブルジョアジー虹奉仕する
様ななり︑その階級支配の道具となった︒
しかも独占資本主義時代に入牒と︑自由競争が次第に姿を消してゆくにつれ︑それを保証して釆た夜警国家ほ意
味を失い︑一方独占資本家は内に於ける益々深刻化してゆくプロレタリアートの階級闘争を抑庄してゆく為灯も︑
又外に於けか植民地の獲得及び奪略の為にも益々権力忙依存せざるを得ない︒エンゲルスほ云う﹁階級闘争と征服
角逐戦とが公的権力をおしあげて︑まさた全社会と国家そのものをさえのみつくすばかりの極点に到達させてい ⇔ る﹂勿論かゝる公的権力を特徴づけるものは常備軍と官僚制に他ならない︒
蓋し︑国家機構が複雑膨大になるにつれ︑法治主義は技術的にも困難となり︑実質に於て単なる討論︑会議の機
関に過ぎなくなった議会は︑従来の指導的地位を失い︑その上その内部に対するプロレタリアートの進出は︑支配
階級に対し七︑議会に対する危健の念を与えた︒
それに代って立法の起案者︑政舞の立案者︑及びその執行者として︑
僚制︑及び武装権力として内外の秩序防衛に当る常備軍︑警察が重要視ざれる様になる︒しかもそれらほ人民大衆
から超然としていることによって︑支配階級に仙層信任される︒特紅︑国家独占資本主義の時代に於て︑官僚制渡
ほ異常な迄に膨脹する︒そこでは官僚的統制が経済の全分野に及ぶ樺紅なる︒
かくの如く独占資本の時代に於て︑国民の代議機関たる議会を犠牲にして︑行政権カの強化が行われ︑官僚が政
治の実権を経る︒形式的面でも︑議会の立法活動ほ縮小され︑所謂法律の委任︑或は授権立法に基りて︑その立法
権限は政府に委譲される︒かゝる現象は独・伊のファツショ独裁の下に於て見られるの材なちず︑民主国たるイギ
リスに於ける内閣の指導権の確立︑アメリカに於ける大統領の権限強化としてあらわれる︒
けれどもこれらのブルジョア・≠モクランーの伝統が強い国々では︑かくの如き実質上の執行権カの立法権カへの
九九 法と国家の矛盾
第二十七巻 第三号 脚00
優位にも拘らず︑形式的には議会民主主義の原則ほ一応堅持され︑未だに典型的な国民主権的法治国家が存続して
いる如き外観を呈すをけれどもこゝでほ︑富はその権力を間接的紅︑しかもそうである 鋤 する︒
即ち︑数年に山鹿だけの国民の主権の行使︑即ち議員の選挙に際してほ︑遅れた大衆ほ投票褒収︑虚偽の公約︑
或はマス・コ︑︑︑ニケインヨンによって︑独占資本によって賄われるプル汐ヨア政党の側へ︑動員せしめられる︒
議会監於ては︑プチブルジョア政党は勿森㌫こと勤労大衆の代襲を榛梯する故党迄が独占資本の富によって手なづ
けられる︒国民の公僕たる公務員ほ大企業によって買収ぶれる︒吏軋政府里閣僚︑其の他の高級官僚にほ大企業の
代表者が任命される︒この傾向ほ国家独占資本ざ義の段階には特に著しい︒
かくて︑独占資本監貝収された官僚によって立案された法律案が︑.独占資本と凶線関係をもつ議員遥によって審
議され︑多数決を以て法律となり︑政府によって独占資本に都合のよい様に解釈され︑施行される︒これでほ最早︑法
の前に於ける平等すら︑形式的にも存在しない︒
法律がかくの如ぐである以上﹁法紅よる裁判﹂の公平も期待出来ない︒それ紅加えて︑元来︑裁判ほその比較的
階級中立的な外見にも拘らず︑訴訟ぬ於て︑有能な弁護士に委任出来るのは有産者のみであり︑訴訟費用すら払えぬ
無産者はどうしても不利である︒又刑事事件に於いて︑一起訴するかしないかは検察官僚の手心次第であり︑徐々に
して上層階級の犯罪ほ見逃され勝ちである︒.
こうして独占資本は議会︑政府︑軍隊︑官僚等殆んど全国家機構をその従属下紅置くい
五 基本的人権と公共の福祉
独占資本はかくの如く殆んど全国家橡構を︑その金線支蘭下に置くに拘らず︑その激しい内部矛盾から免れるこ
とほ出来ぬ?蓋し︑独占資本主義ほ独占資本相互及び︑独占資本と自由資本との矛盾を尖鋭化させ︑必賂的紅その
各々の利益に奉仕する国家諸機関︑諸政党は相互に指導権を争い︑更に痩物の分配を廻って相互に街発する︒
とりわけ︑議会と普通選挙権とほ︑プロレタリアが支配階級のあらゆる妨害にも拘らず︑真に労働者の利益を代表 H
サる政党をつくり出し︑その周囲配給集することを可能にしてい牒︒社会主義改訂が議席を占めることはたとえそ
れがほんの少数であっても︑支配者にとっては脅威である︒彼等は独占資本支配の正体を人民の前に曝露するし︑
或はその矛盾につけこみブルジョア反対党︑及び小市民諸政党と聯合して︑独占資本の独裁を制肘するであろう︒
勿論これらは人民大衆の団結を基礎と七てのみ可能であり︑これを怠るならば︑直にファ・ツソズムに/つけ入る隙を
与えるだろう︒
かくの如くにして多くの場合︑独占資本は議会の過単数を占めること紅よって︑立法及び行政を牛耳.るけれど
も︑その内部矛盾と人民の階級的成長の結果絶対多数を握ることほ囚難である︒従って︑彼等ほ法律それ以下の法
法と国家の矛盾 一〇 註H モソ一アスキユー 法の精神上巻︑富沢俊義訳 二二七頁以下参照︒
国 レー一−ソ 国家と革命︑堀江邑一訳︑国民文膵一二七真一二八頁︒
飼エンゲルス︑家族私有財産および国家の起河 村井康男︑村田陽﹂共訳∴国民文膵 二二三頁︒
拘 同者 二二五頁︒
山〇二 第二十七巻︑第一二号
令を︑その意志通りにすることが出来ても︑憲法を改憲する事ほ困経で一ある︒勿論クーデターを以て停止すること
は︑彼等を孤立せしめる・ことになるから︑敢てしないだろうし︑人民の団結がそれを阻止するであろう︒
けれども自己の利益の為に︑個々の憲法違反は常に行う︒特紅基本蘭人権を無視する︒それは人民を搾取するこ
とによって最大利潤を追求する独占資本主義の必然の法則である︒併し乍ら︑忍法︑行政を握る彼等は法律︑命令の
名に於て形式的に合法裡紅それを行う︒忍法の番人たる最高裁判所は彼等に従順な人のみが任命されるから︑立法
権カ︑行政権カの魔法違反を黙認する︒かくて憲法は有名撫実となる︒けれどもその明白な違反は人民の限を蔽い
切れるものでない︒
かくの如く︑法律︑命令が忍法に違反することは法秩序が存在しないことを意味する︒蓋し︑近代法秩序軋於て
は︑一切の法の淵源として忍法があ∴ソ︑あらゆる法規はそれによって効力な基礎づけられてのみ妥当する︒かくて
憲法を浸高の法としで統一的法秩序が構成される︒従って︑最高の法が破られることは法秩序が破られることであ
る︒こうすることによって︑独占資本の独裁は︑法治主義の伝統に忠実な自由主義ブルジョア汐−の翠請とも︑相
容れぬものとな嵐︒
独占資本ほかくて︑今や自由主義プル汐写アジ−を含めて全社会の利益と相容れず︑それ故に全社会と対立する
ものとなっている︒全人民の独占簡本に対するレヂ㌃タンスに於て︑独占資本が法秩序を破る故に︑牽さにその事
の故に法秩序を維持する閻争が重要なものとなっている︒
けれども︑我々はこの場合︑序論に掲げたラートプルプ一の宮菓を無条件匿受入れることは出来ぬ︒麗し︑独占資
本ほ立法権カ︑執行権カを握る故に法に於ける自由も︑法の繭ゐ平等も存在しなくな?でいる︒か1る条件の下
で︑法律︑命令をそのま1拠り所として抵抗しようとすることは独占資本を却って援助することになることほ明白で
あろう︒
従って我ノ芸文践は独占資本の直繚手の届かざる領域︑憲法仁一ネさで自由︑平等が掲げむれている1−を擁護
すること︑と︑りわけ︑近代自然法の嫡出子たる基本的人権の擁護に向けられるべきこと紅太る︒そこに於てのみ︑
有効な合法蹄争は可能である︑︒
けれども我々は現代紅於てほ︑近代に於ける如く︑自由競争の保証︑蟹本主義の発展の為に■︑基本的人権を擁護 一
するのでかい︒独占資本の搾取によって脅される人間弥生存の為紅擁護するのである︒これほ︑基本的人権の重点
が﹁所有権の不可侵﹂から﹁最低の健康な文化的生活﹂へ転換していることを意味する︒否︑それのみか前者が後
者により否定されつ1ある︒
寂々ほ基本的人権を以上の様な実践的立場で眺めるのであるから︑こゝで個々の基本的人権を羅列してみても︑
溢する所がないであろう︒むしろ︑我這こ1に於て︑生存権を中心とし︑それとの聯関に於て︑他の基本的人権
を把挺すべきである︒著し︑独占資本の支配の下に於て︑人民の大部分ほ零落せしめられ︑就中︑強固な団結を有
し︑しかも屈も生活を脅されているプロレタリアートはその事の故に︑生存の確保こそ彼等の緊急の問題であり︑
従って独占資本と決定的に対立し︑闘争の推進力となるのである︒ 国 かゝる生存権の思想は既紅ロック紅於てその萌芽があらわれ︑或ほ一七七八年のヴァー汐こ叫ヤ憲法に於ては天賦
の人権として生命権が掲げられた︒併し乍らこれらの時代は資本主義の勃興期であり︑その無限の発展とそれによ
る万人の幸福という予定調和の思想が信ぜられたから︑生存権乃至生命権ほ強く主張されるこ宣なく︑時流の底に
沈潜するに過ぎなかった︒
産業革命を契機として︑漸く資本主義の矛盾が深刻化する粧つれて︑人民の大多数を占める勤労大衆の生存が脅
山〇三 法と国家の矛盾
邪二十七巻警亨 岩四
されるに至り︑それが=切の権利の基礎であり︑それなくして人間存在のあり得ないことが強く自覚され︑とゝに 於て絶対に譲り得ない基本的人権中︑最も基本的な権利として望六に要請される︒勿論近代的人間にとって︑こゝ に生存とは農奴や奴隷の如き動物的生存でほなく︑まさに人間としての生存を意味するから︑所謂近代的自由権た る思想︑昔論︑展心の自由等は人間的生存の不可歓の内容を為すものであると考えられるであろう︒ 然るに資本主義社会にあっては︑無産者ほ労働力を切発する以外生きてゆけない︒こゝでは諺働カは商品であ り︑その価値ほ等価交換原理によって実現される︒けれども︑常に資本家は利潤追求の欲望から︑労働力をなるべ く安く買おうとする︒独立の権利主体として︑最早奴隷や靡奴の如く︑主人の恩恵賢って生きるのでない労働者
ほ︑.これ軋対抗してゆく上にも団結する以外の道ほない︒それのみでない︒彼等は雇傭契約を結んだ瞬間から︑資
本に従属することによっで人間性を疎外されゆくのであるが︑か1る失われた人間性を幾分でも回復する為にも︑ /
団結する以外の道はない︒それ改造等ほ唯品々の資本家に対してのみならず︑彼等?﹂般勒生活条件を規定す る総資本簑して階級的に団癒する︒蟹組織労望遠ほ︑彼等の意識が進めば進む程︑彼等は眉家か宣布を保
証して貰おうとな考えず︑自モのカで即ち団結力やよ?て生存な獲得する︒けれども彼等ほ自分達阻同盟者の為紅 所謂社会保障立法を要求することを怠らぬであろう︒
ここに於て労働者にとって団撃﹂そその人間的生存にとって不可映の手段であ争﹂とが明かであろう︒それ故軋︑ プル汐ヨアジーほ﹂それが本償に於て自然法的な自由を内容とするに拘らず︑労働者に﹁団絡の自由﹂を認めるこ とを拒否し︑あらゆる手段をつくして︑それを妨害して釆た︒故に労働者は団結そのものにミて︑﹁団結の自由﹂ に対する国家の干渉を排除す㌢﹂とによって権利として確立した︒この意味に於て︑団結権ほ労働者の自然権であ 句 る︒更に︑団体交渉権及び礪菜権ほその内容をなすものである︒それらを軟く団結権ほ虚名に過ぎぬであろう︒
爾余の諸権利︑就中プル㌣ヨア革命にはって獲得された襲現の自由︑集会の自由も亦︑独占資本が全社会と対立
している今日︑人民が独占資本の悪を批判し︑それに抵抗する手段としてその重要性が再認識されるであろう︒
従って︑独宙資本はその支配と搾取を維持してゆく為に︑これらの基本的人権を抑圧せざるを得ない︒しかも必
然的に︑主様なる攻撃ほ団結権に向けられる︒最初彼等は法的安定性によってなさんとしたが︑それが自らをも束
縛することになをので捨て1しまった今日で.ほ︑﹁公共の福祉﹂をよそおうことによって自己弁護する︒
勿論﹁公共の福祉﹂の理念ほ文字通り解すれは︑﹁共同の幸福﹂︑﹁共通の利益﹂を意味するのである︒従って用
語そのものは何等異存のない概念である︒けれども階摂社会にあっては︑相抗争する階級の間に共通の利益ほ殆ん
ど見出し難い︒唯あるものは何れかの階戯の利益があるだけである︒強いて︑共通のものを凍めれば︑﹁秩序﹂が
存在することである︒けれどもそれほ支配階級紅最大の利益をもたらすが︑被支配階級にとってないよりましであ
る軋過ぎぬ︒しかもその秩序すら支配階級の利益に反すれば忽ち破られる︒従って常に﹁公共の福祉﹂とは︑結局
支配階級の主観牲於て﹁公共の福祉﹂と考えられたものであり︑女配階級はそれを強制する︒例えば︑絶対君主ほ
福祉国家を自称した︒
今日も同株な事が行われている如く見えるっけれども現象の類似性にも拘らず︑以前とほ本質的に逼っている点
に注目すべぎで′あろう︒それは﹁公共の福祉﹂の幻想を生み出す現実的弧線を︑独占資本が掟供していることであ
各︒
蕎し︑金敵独占資本は︑企業の集中︑生産の集横を完成し︑全社会的生産を殆んど支配することによって︑高度の生産
の社会化︑生産の公共性をつくり出している︒今日︑公共専業と呼ばれるものほ独占資本め手中紅ある︒特に︑全社
会的蟹座構造に於て︑重要なる基本的生産手段は︑その所有の私的性格紅も拘らず︑極めて公共性を帯び▼ている︒ 法と国家の矛盾 一〇五
一〇六 第二十七巻 第三号
ここに人類が真の﹁公共の福祉﹂料夷現出来る社会主義社会の基礎は独占資本によって準備されている︒こゝに歴
史に於ける独占資本時代の意義がある︒
今日スープイキが一般大衆玖利益に反するものとして︑﹁公共の霜祉﹂の名によって制限される︒そこでは︑問
題は労働者の基本的人権と公共の福祉の対立の形態をとっている︒けれども問題の本質は深い所に︑即ち独占的私
有形態が其の﹁公共の福祉﹂と相容れずに矛盾していることにある︒唯独占資本は権力とマス・コ︑三ケインヨン
を経ることによって之を隠蔽し︑責任を労働者に転嫁しているに過ぎない︒
従?て労働者がこの事芙を直視し︑独占資本の所謂﹁公共の福祉﹂の本質を明にすると共に︑独占資本を除く全
人民の利益の為に︑人民の﹁公共の福祉﹂の為に︑献身的に実践するとき︑独占資本は完全に孤立せしめられ︑全
人民は基本的人権確立の為に︑労働者を中心に結集するであろう︒
註再 レーー; 同家について 前掲国家と草食 二百頁参照︒
閂 JOFnLO卑Thesec︒ndtreatise︒fg彗ernment・︒FN・参照︒
肖 沼田稲次郎 団結権擁護論上巻 第五聾第三節参照︒