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茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)165−180

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茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)165−180

A.クランプのナチズム期補助学校教育論

荒川  智*

(1997年10月13日受理)

1)er GedankeんKrampfs血ber die Hi且f』schu且p蕊dagogik in der NS−Zeit

Satoshi ARAKAwA

(Received October 13,1997)

1.はじめに

前稿ではナチズム期障害児教育界の指導者の一人,トルノー(Tornow, Karl l 900−1965)を取り 上げ,彼が新教育運動の諸原理に依拠した自らの教育論をナチス・イデオロギーで粉飾しながら,

実際の政策に反映させようとしたことを明らかにした(1)。その要求は大戦によって屯挫するものの,

現実主義的な路線として,当時最も影響力を持つものであった。

このトルノーと並んで,ナチズム期障害児教育,とくに補助学校界を代表する人物にクランプ

(Kramp£Alfred 1891−?)が挙げられる。彼はハノーファーに生まれ,数年間地方の教師となり,

第一次大戦の兵役後再び国民学校教師に復職,1924年に補助学校教員試験に合格し,ハノーファー 第三補助学校,補助職業学校に勤務している。1930年初頭にナチスに入党し,ナチス政権成立後 は,34年にハノーファー市の視学に任用され,同時にナチス教員同盟特殊学校部の補助学校専門グ ループ代表に就任した。37年からは人種政策局の協力研究員(Mitarbeiter)にもなっている。その 間,著書r新国家における補助学校』(1936)で,優生政策のための「貯水層機能」,国民学校の

「負担軽減」,民族的・経済的「有用化」といった,後に政策的にも打ち出される補助学校の基本 課題に関する論を展開し,またr国家社会主義と補助学校』などの文部大臣宛書簡やrドイツ特殊 学校』誌(Die Deutsche Sonderschule:ナチス教員同盟特殊学校部機関誌,以下DDSと略)の数々の 論文を通して,エネルギッシュに自らの主張の普及に務めた。ハノーファーでは1935年から自ら考 案した教育課程の試行を指導している(2)。

これだけを見ると,いかにもクランプが当時の補助学校教育界のリーダーとして華々しく活躍し ていたかのように連想させる。今日でも,彼の理論がナチス障害児教育論の代表的なものとする論 述も少なくない。しかし実像は本当にそうだったのであろうか。フライブルグによるハノーファー

*茨城大学教育学部障害児教育講座(〒310−8512水戸市文京2−1−1)

Laboratory of Education fo了the Children wiIh Disabilities, Faculty of Education, Ibamki Unlveτsity, Mito,310−8512

Japan

(2)

166       茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)

市補助学校史に関する研究では,クランプの理論は,確かに注目はされたものの,結局は急進的す ぎて共感を得られなかったとされている(3)。筆者もそう思う。しかしフライブルグは,クランプの主 張のどこが,例えばだれと比べてどの様に急進的なのか,具体的には述べてはいない。筆者は前述 のトルノーとの対比でクランプを検討することが有効であると考える。別稿で筆者は,現実主義者 トルノーと比較して,クランプを「熱狂的」人物と仮説した④。ナチズム期の思想・出版統制下にあ って,二人は著作上ではお互いに引用し合い,あたかも意見が一致しているかのような論述も見受 けられるが,実際はどうだったか,本稿で迫って見たい。なお,「熱狂的」という表現は初めから クランプにマイナスのイメージをあたえかねないが,それは彼が決して常軌を逸していたというこ とではなく,ナチ・イデオロギーに非常に忠実な形で「真面目に」補助学校教育に取り組もうとし たということである。ナチズム期にあっては「熱狂的」という言葉はむしろプラスの意味合いをも っていたので,クランプ自身もそれを歓迎するのではないだろうか。

2.ナチズム体制下の人間観と教育観

(1) 〈人間観〉

クランプの人間観はナチストらしく遺伝決定論とフェルキッシュ(民族至上主義的)な反主知主 義的人格定義に特徴付けられる。すなわち彼によれば,「人格の価値は遺伝に条件づけられ,心身 の状態に依存する(5)」。人間の価値ないし「有用性」は民族と結び付けられる。民族とは彼によれば

「血縁関係(Blutenverwandtschaft)によって結び付き,歴史的運命によって形成される共同体」で あり,成員に向けられる要求,責務を含む概念である(6)。より具体的には,民族共同体の事業,とく に文化の担い手となり,文化創造へ関与することである。したがって,「有用性」の指標には労働 の身体的・精神的能力とならんで労働への意思,義務感も含まれる。自由主義的文化観は,民族を 教養層と非教養層に分裂させ知的な精神労働をもっぱら尊重してきたが,「民族のためになされる ものなら,あらゆる労働は有益である。こうした考え方は真の社会主義の概念を導く」というので ある。ナチスに迎合した多くの障害児教育関係者は「社会主義」という言葉をあまり使っていない が,クランプは「国家社会主義者」として,「要求とか権利を想定するのではなく,労働すなわ ち民族共同体の中でまたはそれに向けられた労働の正しい評価の下で」用いられるべき「社会主義」

をここで強調しているの。

民族共同体にとっての人格の価値を考えた場合,障害者はどの様に位置付けられるのだろうか。

彼の「精神薄弱」論もまた典型的な反主知主義に彩られている。彼によれば従来の「精神薄弱」の 判定は知能のみが基準になっており,精神的な(geistig−seehsch)ものを見逃してきた,言い換えれ ば「フェルキッシュな遺伝形質」が無視されてきた。これからはいわゆる「医学的精神薄弱」を上 位概念にし,下位概念に知能欠陥を位置付けるべきである。すなわち「感情・意思の変種」も把握 し「精神病質的体質」や「反・非社会的行動」をもつ者をも「道徳的精神薄弱」に含めて考えるべ きである(8)。これらの症状や性質は皆,「民族生物学」的にみた「人格像を変える妨害的状態」であ

り,自分自身と共同体にとっての意義を低下させる要素なのである(9),としている。

ではこうした人たちは民族にとって「有用でない」として一律に否定されるべき存在なのだろう

(3)

荒川:んクランプのナチズム期補助学校教育論       167

か。クランプは「有用」「非有用」の間に「条件付き有用」の諸段階を設けて,条件によっては文 化の担い手にも,逆に文化を阻む者にもなるとしている。要は「有用」になれる場所に彼等を投入 することである。「有用性はこの形式においては遺伝形質により密接に関係」しており,治療教育 は学校卒業までに彼等の「有用性」の程度を判断する役割を持つことになる。これについては後で 触れるとして,クランプのいう「『有用性』とはしたがって,共同体にとっての心的身体的存在全 体における人格価値の評価である」(10)ということを確認しておこう。

(2) 〈教育目的論〉

クランプのイメージするナチズム体制下の教育,これも一言でいえば遺伝決定論に基づく「フェ ルキッシュな人間への教育」ω)ということになる。彼にいわせれば,これまでは「目的意識的な教 育」が欠如し,とくに「システム時代」(ワイマール期)のリベラリズムに基づく形式陶冶論一 般陶冶論は民族とまったく結び付かない「破壊的作用」を及ぼした。そのため教育目的は多義的に 専門分化し,「教師の仕事と課題を単なる教授に落としめた」のである(12)。しかし「突然一夜のう ちに・…それは転換し」「教育の議論の完全な逆転」がなされた。そして「党と党員それ自身が偉 大な教育学校」になった。何が逆転したのか,それは,子どもが後の生活のためにどのような専門       一

m識を身に付けたか,ではなく,民族共同体が彼に後に役立つために何を要求するのか,と言うこ とであり,「こうした現実的有用的側面からの目的設定」こそ「社会主義の教育」である,という のである。

さらに続けて彼は言う。そもそも「人間への教育」というのは有り得ない。人間形成は遺伝され た能力の範囲でしかなされない。また民族共同体には人種に典型的な,ないし類似した素質のある 者だけが属す。 「したがって教育行為も一定の民族・人種的に条件付けられた人間の範囲に制限さ れる。」d3)。また,教育の影響力は「深さと時間」に制限される。「深さ」とは,遺伝的に決定さ れた能力・素質の程度であり,教育は遺伝的素質のある部分を民族共同体に役立つように前面に出 すことはできても,新しいものを付け加えることはできないということである。「時間」とは,教 育によって得られた外的特徴はその世代に限定される,ということである(14)。「すべての教育はフ エルキッシュに条件付けられ,整備されなければならない。したがって,民族共同体に向けて個々 の人間の教育をこうした見地から企画するためには,何が民族共同体に固有のものか,何がそれに 役立ち有用なものかを,まず第一に認識しなければならない。」σ5)

「フェルキッシュな人間への教育」とはこのようなことである。そこではもはや教育

(Efziehung)と教授(Unterricht)は基本的に区別されない。というよりは,政治化された「教育」

に教授が従属することになる。

3.ナチズム体制と補助学校の課題

冒頭で述べたようにクランプは「貯水層機能」 「負担軽減」 「有用化」という補助学校の三つの

課題について論じていた。ここでは,そのうち二つの課題を中心に見てみよう。

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(1)民族生物学的課題一「貯水層機能」一

クランプによれば,補助学校の創設者は「負担軽減」という観点に徹していたのに対し,第一次 大戦後になると「ヒューマニズム,哀れみの思想」が蔓延するようになり,「重度精神薄弱児」の ための「予備級」が各地で設置されるようになってしまった。この時代はどの政党も得票稼ぎのた めに貧者・弱者向けの政策を訴えるような社会的風潮があったので,やむをえないことでもあり,

関係者を責めることはできないかもしれない。しかし援助(Helfen)のイデアルな信用を失わせた ことは確かである(16)。こうした「過度のヒューマニズム」のため補助学校は「白痴学校」と見なさ れてしまうようになる。したがってナチス政権が確立し,rSA(突撃隊),SS(親衛隊)の力強 い行進」が日常の光景となった今 rr白痴学校』の完全廃止を叫ぷ声が益々大きくなるのも不思 議ではない」,と(の。

廃止論者を明確に補助学校の敵と呼んだトルノーに比べると,クランプの目には廃止論者とナチ ストが重なって見えたのか,彼らに対して一定の理解を示すかのような言い回しである㈹。しかし クランプもそうした主張を「民族全体にとっては利益とならない」と退ける。補助学校にかかるコ スト問題(クランプの計算では通常学校の約2倍で,一般にいわれているほどの差ではないとい う(19))や生徒への「烙印」を避けるという論理は説得力がなく,たとえ補助学校を無くしても,「劣 等児」は国民学校の課題達成の妨害となるだけで彼等への憎悪はなくならないというのである。

廃止論者に対してとは反対に,個々の子供の評価に対しては厳格な態度をクランプは求める。そ の子が「他の助けなしに義務を果たすのに十分な能力と意志があるかどうか」の判断は重要なこと であり,補助学校の責任もまさにそこにある。「限られた生活・経済領域での一つの面での積極的 な達成能力(Leistung)がその子にあったとしても,それをもってr完全に価値ある公民』などと安 直に述べてはならない」(20)。障害者は,「生殖の放棄」が「民族への愛の真の証明になる」ことを 理解すべきである。また,「彼等がかろうじて生きていけるのは,民族の中の心身ともに完全に健 康な人々の勤勉と労働意志によるものであることを,不幸な人達とその親戚に教え込み,時間をか

けて理解させることが補助学校とその教師の困難かつ重要な課題である。(21)」

「民族生物学的課題」とは具体的にはまず,生徒の障害の遺伝性についての調査と,その遺伝形 質を持って民族共同体の有用な一員になれるのかどうかの観察である。「我々は教育行為によって 遺伝的に条件付けられた範囲内でのみ影響力を行使できる。(22)」「晩熟児」の場合でさえ遺伝的状 態が決定的だとしている。トルノーが「晩熟児」の成長とその能力をかなり好意的に評価している のに比べると,冷ややかである(23)。

「遺伝病子孫防止法」 (断種法)に対する立場しては次のように述べている。遺伝形質は改善さ れないという立場に立てぱ,「とりわけ我々補助学校教師はこの法律を歓迎しなければならない。」

「もし治療教育家がナチズムの精神に本気であるなら,もし我々の理念の将来を担うもの,国家の 担い手が,その中心部分において健全であり,それ以上に,生きる価値のない者のための福祉の負 担によって重荷を負わされることのないように欲するのならば,民族の遺伝形質からのすべての遺 伝病を削り取ることを断固として肯定しなければならない。」断種の徹底的な実施は「職業倫理」

に基づくもので,決して「無慈悲という非難は当たらない」(24)。

ここでいう「生きる価値のない者」がどのような人を指しているのかは明確ではない。クランプ

は次のようにも断言している。「知的薄弱」は確かに「淘汰の対象」であるが,「しかしそれは学

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荒川:A.クランプのナチズム期補助学校教育論       169

校の世話を決して余計なものにはしない。」「真のナチストはだれも,少なくとも総統自身は,彼 等が安楽死の方法で除去されるべきだとは思っていない。(25)」これはクランプの本心だったと思う。

少なくとも目の前の補助学校生徒を「安楽死」の対象とは考えていなかったのではないだろうか。

しかし他方で, 「最終的に我々が福祉国家から脱しようと思うなら,もはや労働不能な同胞の維持 に対する責任はだれも引き受けられない」(26)とも述べており,あるいは補助学校からも排除される

「労働不能な者の安楽死」は容認しようとしていたともとれなくはない。後に実行される政策,「生 きる価値のない者の安楽死」それ自体を彼が反対していたのかどうかは微妙なところである。

ところで「調査・観察」の仕事について話を戻すと,断種法では,対象者のうち「精神薄弱」に ついては「遺伝的でなく先天的」な者とされているが,これは断種法実施の徹底のために遺伝性の 厳密な証明を必要としないようにするというひとつの方策であった。クランプはこうした原則を基 本的に支持しつつ,遺伝性の診断は医師に任せるとして,生得的,すなわちどれだけ世代に渡って 受け継がれているのかを調べるのは治療教育家の任務であり,その遂行のためにも,優生委員会の メンバーに治療教育家が加わることを強く要求している(27)。とくに境界線児の判断は簡単にできる ものではないし,「加えてr精神薄弱』の概念はまだ一義的になっていない」中で,我々の協力は 不可欠であるとしている(28)。

法律そのものについては次のような問題点を指摘している。法律に添付されているテスト用紙で もってしては「精神薄弱」の一部しか把握できない。知能テストは8項目(導入,学校知,一般的生 活知,職業についての特別な問題歴史と用語の説明,倫理的観念,記憶・注意力,テスト中の態 度)かな成り立っているが,それらはもっぱら知能に偏っている。そのため「意志薄弱」について の項目は完全に欠落している。しかし「道徳的精神薄弱(精神病質)」は国家の大きな負担となっ ているのは明らかであり,この法律でも「精神薄弱」概念をもっと総合的なものにすべき(前述の

「医学的精神薄弱」)で(29),検査内容についても,学校知より生活知を重視し,手の技巧と意志の 強さに関しても評価すべきである,というのである(30)。

これらに関わって,補助学校への申請票(Aufnahmenbogen)や個票についても彼は新たなものを 提案し,補助学校生徒に限らず,すべての子どもに対し活用することを求めている(31)。それについ ての検討はここでは行わないが,彼の補助学校改革論は国民学校全体をも巻き込もうとする内容を

もっていたのであり,その事は後に取り上げる制度論にも顕著に現れてくる。

(2)教育的課題一「有用化」一

これについてのクランプの主張も簡潔である。「彼等の教育は今日的価値を持っている。」「小 人閑居して不善を為す」という格言は「影響を受けやすい補助学校生徒にとくに当てはまる言葉で ある。」補助学校で適切な教育を受けないと犯罪にいたり経済的負担になるのであり,心的に問題 はあっても「身体的有用化は緊急」である。

生徒の「有用化」にとって補助学校は必要である,これはある意味では従来からいわれ続けてき

たことでもある。クランプの新しさはここにないともいえるかもしれない(32)。しかし彼が,社会体

制が根底から覆った今,「補助学校もこれまでの教授活動にもはやとどまれないのは明らか」であ

り,もはや「昔ながらの伝統にへばりつく者に居場所はない」(33)と豪語するとき,単に従来からの

主張と同じとして済まされないものを感じさせる。1934年2月10日付文部大臣当て書簡「国家社会

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主義と補助学校」でも,「補助学校は国民教育制度の一部及び一機関として,ナチス国家において も不可欠なもの」として「貯水層」「負担軽減」「有用化」の課題をもつが,「ナチズムの生活・

世界観が補助学校の経営に特徴を与える。依然として存在している個人主義的,自由主義的労働傾 向を,永久に余すところなく消しさり,フェルキッシュな性格形成に一致するように障害児に対す る仕事を作り変えなければならない」と強調している(34)。教育課程に関しては後述するが,彼は学 校の役割,課題自体を性格形成の点から徹底的に捕らえ直そうとしていたように思われる。その一 例が,次に見るヒトラー・ユーゲントとの関係である。

(3) 〈ヒトラー・ユーゲントとの関係〉

ナチスの世界観に立てば,当然ながら学校以外での教育も重視することになる。クランプは教育 の三つのモーメントとして家庭,学校とならんで少年組織を上げている。

ヒトラー・ユーゲントに対しては,当時少なからず教師の間に反発があり,子どもに対する権限・

指導系列の錯綜によって学校との間のトラブル,軋礫があったことをクランプも認めている。しか し彼に言わせれば,不満を持つ教師の多くは,少年の権利を認めず,「自由主義的な意味での上司」

になろうとしており,また古いものに固執する「臆病な者」である(35)。そもそも「少年は平穏な世 代より熱狂的である。少年は熱狂の中で行き過ぎることもある。しかし少年はその態度において無 条件に誠実である。」「若い教師が,いたるところで少年の統一のために指導者として心構えを持 っておくという提案が受け入れられれば,もっと学校と少年部隊(Formation)の協力が可能にな

る」,と(36)。

ではこうした少年組織と補助学校はどう関わることになるのか。ナチス初期には,一般的には補 助学校生徒のそうした組織への加入が認められないことが多かったようである。トルノーも補助学 校生徒が機械的にヒトラー・ユーゲントから排除されるべきではないことを主張している(37)。

クランプも同様に主張する。たとえ補助学校生徒ないし卒業生でも労働の心構えがある者なら,

「優秀な精神病質者より百倍,千倍も民族共同体にとって有用」である。例えば第一次大戦の時の 卒業生の「活躍」(ベルリンの卒業生の場合,13%が前線で倒れ,4%が鉄十字勲章を得ている。ま た80%が生計可能である)によっても,そのことが説明できるので,少なくとも性格的問題のある 子どもとは対応を区別せよ,と。また,補助学校のない地域では(南ドイツでは人口20,000人以 下の都市には設置されていないという)境界線の子どもが当然のようにこうした組織に入っている。

「有用な」子であるにもかかわらず,ヒトラー・ユーゲントから排除されると,労働奉仕からも免 除され,仕事を失うこともあり,共同体にとっても損失となるというのである(38)。クランプにとっ てヒトラー・ユーゲントの教育(訓育)的価値は何よりも魅力であり,一部の補助学校生徒にも有 効であると確信していた。

クランプは論文で,この問題について社会局と協議し,ヒトラー・ユーゲントが補助学校生徒を 一定条件で受入れること,少なくとも在籍の学校の種類では決めないことに合意したとしている。

彼はさらにそれに止まらず,教員全体のより積極的関与を求めている。通常の学校なら担当の教師

と校長だけがヒトラー・ユーゲントと関わるのに対し,補助学校では対象者の選抜を学校の責任で

行う以上,全教員が関心を持つべきであるという。すなわち,少年団での活動内容,子どもの様子

を把握しておく必要があり,「これらは我々補助学校の教授と教育の領域の外にあるものでは決し

(7)

荒川:A.クランプのナチズム期補助学校教育論      171

てない。」それ以上に,若い教師自ら少年団の指導者として活動できるようにしておくことがベス トなのである。「ある町で一人の補助学校教師が部隊の指導者としていれば,あらゆる困難は取り

除かれる」,と(39)。

トルノーの場合はまだ,生徒の加盟問題が中心で,学校と少年組織との具体的連携にまで論及し ていない。それに対しクランプは,あくまで補助学校教師の主導による連携を意図していたもので はあるが,補助学校教師の職務を無限定に拡大(拡散)させ,ある意味では学校教育と社会教育の 区別まで危うくするものでもあったといえよう。

図 教育の道筋

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Ei ・i一  理i

学習学校騨     実岐学佼躍        情操学校冨

学藁の柱 撲術の柱 情拠の柱

部分目的

紹分目的

能力像 人絡像

表基準週時程表      曜 日

栫@間

8:00〜8:40

ドイツ語 ドイツ語 ドイツ語 ドイツ語 ドイツ語

8:55〜9:35 算  術 算  術 算  術 算  術 算  術

軍事

9:55〜10:35   6

H

10:35〜11:15

(手の活動

宗教

工 作

民族性・

ッ族芸術

11:30〜12:10

血と土 ないし手

倫理 ・慣習

i

作業) ツ

12:25〜13:05

Krampf. A..Hilfsschule im neuen Staat. S.107より作成。

(8)

172       茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)

4.教育方法論の展開

これまで述べてきたことは,クランプらしい徹底したナチストぶりを示しているとはいえ,他の 補助学校関係者との違いをそれほど際立たせているというわけでもない。細部に渡って見れば違い は分かるものの,ナチス・イデオロギーに依拠しているという点では他者も同じだからである。し かし次に述べる具体的な教育方法や,その後で扱う生徒論になると,クランプの独自な立場がより 鮮明になってくる。前ページにあるのは,彼自身が作成した教育課程の図・表である。

(1) 〈教育課程論〉

クランプは教育課程を「学業」(Leistung)「技術」「情操」という三つの柱でもって編成しよう と試み,それぞれの柱に対応して「学習学校」(Lernschule)「実技学校」(Tatschule)「情操学 校」(Gesinnungsschule)としての課題を設定している。三つの柱は,民族共同体にとっての人間評 価の三つの観点,すなわち学力,実際的知能(手の技巧と労働の心構え),性格に対応するとして いる㈹。

「学習学校」としての課題とは,ドイツ後,算数といった「文化技術」を習得させることであり,

しかも実際生活での必要性ある教材だけが消化されるとしている。例えば書き方では手紙や簡単な 書類の記入ができるようにすることが重視される。算数についてもこれまで内容が多すぎたとして,

内容の精選が求められている。また,この学習は従来のような学級を基本とするのではなく,学力 に応じた能力別グループ(leistungsgruppe)に分かれて行われる,としている(41)。

「情操学校」としての課題については,第一としては「対概念r血と土』によって導かれた民族 全体と将来の民族成員の関係を認知し,強調すること」が肝要であるとしている。言い換えれば「ナ ショナルで社会的な必要の公分母」を形成することである。具体的な科目としては郷土科,地理,

文芸,歴史,自然科などが挙げられるが,「個々の科目の積極的な成果を放棄することなく,しか し専門化は排する」として,将来の生活圏に基づいて分類すべきだとしている(42)。

第二の分野としては「ドイツの民族性,民族芸術,慣習」が扱われ,ドイツ(アーリア)人の人 種固有の性質を学ぶ。例えば音楽については,特定の訓練方法の議論は無益であり,何よりも子供 の精神を鼓舞し,感動させることが重要である。 「宗教・倫理」に関しても, 「成長過程の人間に 生活の内実と指針を与えることを目的とする。」したがって従来の宗教教授を拡張し「援助とは何 か,どのようなものか」を事例と体験で示す。その際に,聖書は抽象的な内容が多いので理解しや すいものに限定し,世俗的な分かりやすいものを取り上げる。宗教的概念を多く扱うことは補助学 校の課題ではない。郷土や住民についての知識は「祖国愛と民族の誇りを呼び覚ます」「そこから 国を守る意志が作られる」のであり,宗教・倫理はそのための土台なのである(43)。なお,ここでは 学級集団は維持され,生徒全員が学年の目標に沿った内容に参加する。内容自体が重要ではなく,

そこから作用される民族的な感情の促進が重要である,としている。

「実技学校」の内容は主に工作・手作業と軍事スポーツである。作業教育については,特定の手 工職のための技術ではなく,一般的な(手の)活動の技巧を高め,家や職場でなされる「単純労働 のために手を適切な状態にする」ことが課題である。可能ならば測量単位と工具材料の使い方,

さらには清潔感や美的センスといったことも配慮される。重要なのは仕事をする能力そのものより

(9)

荒川:んクランプのナチズム期補助学校教育論       173

も仕事の意義,価値を理解し,義務感をもつことである。ここでも能力別グループに分けられる(44)。

「軍事スポーツは補助学校においては新しい科目である。」「体育という狭い概念を,身体訓練 として我々が理解しているものに拡張」しなければならない。そもそもこれまでの時間数では不十 分である。「軍事スポーツに求められる政治的課題は,兵役の準備として有効となり得るものを知 らしめ,若い体に忍耐力をつけ欠乏に慣れさせるという点で,多かれ少なかれ軍人らしさが強調さ れた少年の訓練を要求する(45)。」ここでは無条件に能力別グループが作られなければならない。下 級のグループでは俊敏さど勇気が養われ。上級グループは軍事行進ができる者が参加する。そこで の指令の仕方や部隊編成は突撃隊を模範にする。ここでは単なる身体訓練だけではなく,なぜそれ をするのかを子供に問い,「自分のためではなく,民族共同体のため」「ドイツ人はどれほど祖国 のために常に犠牲的かつ勇敢に努力してきたか」を知らしめなければならないのである(46)。

以上がクランプの教育課程に関する基本的な考え方である。

(2)教育内容・方法の改革

クランプは補助学校の組織・経営のみならず,教育内容や指導法も意欲的に変革しようとした。

「その際既存のプランについて,たとえそれが方法的に良く構成されていたとしても,あれこれ の内容を削除したり新しいものを挿入したりする目的で修正するのでは,決して十分ではない。」

なぜなら,そもそも「古い教育課程は『個人主義的傾向』に一致していたからである」,という(47)。

ところで,1936年の著作では,「文化技術のプラン」すなわちドイツ語や算数の内容については 示されてはいなかった。それは組み立てが比較的容易であるし,世界観による修正は必要ないとい

うのが理由である。部分的にはこれまでの教育内容を踏襲するようにも見えるし,あるいは変えよ うのない領域を明示し,逆にその他すべてを徹底的に変えていこうという意図も感じられないわけ ではない。

だがそもそも教育と教授を同一化する,ないし後者を前者従属させるという彼の,ナチストとし ての立場とそれは矛盾しているように思われる。後に彼は,ドイツ語の学習内容について改めて論 述しているが,そこでは内容については確かに読む技術と理解,話し言葉の思考表現,正書,書き 言葉での表現といった分野に分けられるものの,「こうした区別の提示は,自由主義時代の解剖作 業への後退を決して意味しない」と念を押している(48)。教育内容の細部に渡っては紙幅の関係でこ こでは紹介できないが,ドイツ語の学習も民族共同体からその目的が導かれること,「我々の世界 観は,新しい概念とことばの刻印によって一層の明確な表現を提供する」ことを強調している。

教育内容としてこれまで全くなかった新しいものが軍事スポーッと「国家社会主義的思考材」で ある。それはずばり,ナチ世界観を知識ではなく感情・意志に呼び掛け,「ナチスの真実と要求の 刻印付け」るものである(49)。

ナチス・イデオロギーで粉飾しつつ内実は新教育運動の理論を背景に教育方法を組み立てようと

したトルノーに対し,クランプは新教育の基本理念にもかなりメスを入れようとした。例えば,工

作,手作業は1938年の「プロイセン補助学校に関する一般規程」でも取り上げられているが,今だ

に作業教育による治療的作用や「精神構造の均整化」を信じる人がいるとして,こうした議論は「今

日もはや通用しない。まさに彼等には,人道主義的思想は認められ得ないということが明言される

べきである。」と断じている。作業教育に関してかつてなされたような原理か教科かという議論に

(10)

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ついても意味を認めていない。

「原理としての手の活動と特別な工作教授における手の計画的訓練は,補助学校の課題に含まれ る。その根拠は新しい教育目的から導かれる。工作には優先権が与えられる。なぜならそれは,人 間の重要な本質を促進でき,フェルキッシュな有用化に関する人格判断がそこから意図され得るか

らである。(5°)」

要するに,作業教育の教科,領域双方としての側面も重要ではあるが,そもそもそれはナチス的 性格形成に従属すべきものなのである。またケルシェンシュタイナーがかつて『作業学校の概念』

で補助学校の作業を「お遊び」と評したことを取り上げ,「しかし我々の学校での手の技巧の育成 は,何時の時代でも決してお遊びではなかった。それは常に真剣な関心事であった。また依然とし てそうである事を考慮しよう。そうすれば単に行政的要求を満たすだけでなく,さらには党綱領第 10条に向け我々の生徒に公民に定められた義務を果たす能力をつけさせることになろう」(51)と述べ

ている。

郷土科についても,純粋な郷土科が持っている利点を認めつつ,それは主たる要件ではないと断

じている。

「郷土とは単に目で見える形で把握されるものではない。郷土は,もっとそれ以上に,遺伝素質 に基づき先天的に与えられた能九すべてがそこから生ずるごく当然の起源ないし根源へと傾いて いく能力によって把握されるものなのであり,それなしにはフェルキッシュな生活は形成されない

し,祖国というものを概念的にも感情的にももたらさないものなのである。(52)」

フライブルクは,クランプの教育課程論の新しいものは,「貯水槽」機能に関わる情操教科と軍 事スポーツにすぎないとしているが(53),それは一面では正しいとしても,クランプの改革の対象は 決してそれに限定されるものではなかった。彼はこうした新しい「理論」を肉付けるため,具体的 な指導法や補助教材・教具の提案を意欲的に行っている。しかしそれが教育学的にどこまで妥当で あり,実際にこの時期にどれだけ活用し得るものであったのか,その評価は容易ではない。意気込 みだけはは伝わってくるのだが。後の1942年に,トルノーらの主導で「補助学校の教育と教授に関 する要綱」が作られるが,結局そこでもクランプの具体的な提案は採用されることはなかったので

ある。

5.補助学校組織改革論

(1) 〈補助学校生徒論〉

これからの補助学校はどの様な子どもを受け入れるのか,それはクランプの補助学校教育論と伝 統的な考え方との違いを最も際立たせている点であった。彼によれば,一般的には補助学校には「知 的に劣った者」 (厳密に「精神薄弱児」であるかは別にして)が就学し,それ以外は対象外となる

と考えられてきたし,教師も補助学校連盟もそうした考えに満足していた。意志や感情に問題のあ る子どもは,とくに不都合を生じる場合は感化院に送られるが,それ以外は通常学級に止まってい た。そしてビネ・シモン知能検査をもとに,理論的には補助学校生徒の知能水準が定義されてきた。

しかし実際には検査実施上の偶然の要素が(質問の仕方など)かなり結果に影響を与えている。ま

(11)

荒川:A.クランプのナチズム期補助学校教育論       175

た,地域差,学校間隔差も影響し,同じ子どもが,ある場合には補助学校の対象児になっても別の 検査ではそうした結果にならないということがしばしばある,と(54)。

ある意味でクランプは知能テストの問題性を正しく指摘しているといってよい。しかし彼の徹底 した反主知主義の立場は,補助学校連盟の従来からの考え方とは異なるものになっていく。

彼は続けて言う。昔ならそうしたことはさしたる問題にはならなかったかもしれないが,今は重 大なことである。なぜなら,補助学校の「貯水層機能」が果たされないことになるからである。将 来的には統一的な試験方法の実施が必要となってくるのはいうまでもないが,優生政策の観点から すると,「知能障害」だけを対象にするということについても「今日ではこうした態度はもはや十 分ではない。」 「補助学校が国民学校の教育の過程を常に妨害し,学級共同体を傷付け,ないし危 険にさらすようなすべての子どもに,その門戸を開かなければならないことを意味している。(55)」

補助学校は「特別な援助を要するすべての子ども」に対象を拡大すべきである,と。

すべてといっても感覚障害と肢体不自由の子供については独自の学校がすでにあり,また「教育 不可能」な子は初めから問題外とされているので,将来の補助学校は三つの部門で構成されること となる㈹。

A部門の対象は現在の生徒,すなわち「すべて,ないしほとんどの教科で国民学校での成長が見込 めないと思えるような明白に劣った能力(精神薄弱)を示すすべての子ども」である。B部門は学 業不振だが知能は正常なもの,いいかえれば「不十分な教育環境(頻繁な転校や教師の交替),病 気の多発,不十分な環境(等閑視,経済的・住居的な問題)で遅れた者,国民学校では十分に成長 せず常に負担となり続ける者」を対象とする。そしてC部門は精神病質的体質の生徒,「知的能力 は十分でありながら,学校の要求に対して完全に意欲,興味をなくした行動を取るため,学業に著

しい逸脱をしめす子ども」を受け入れるというのである。ただしCの部門は他の部門から場所を離 すとしている(57)。これらのことによって,よくいわれるような「補助学校タイプ」 (精神薄弱)と いう表現は,今後不適切なものとなる,と。

クランプは補助学校生徒について,トルノーのいう「概念転換」が必要であるとしている(58)。し かしトルノーは,補助学校の優生政策上の意義と教育・経済上の意義を整合させるために,「生物 学的劣等」と「文化的劣等」を区別するというレトリックを使っただけで,クランプのような主張 をしているわけではない。しかもクランプ自身の教育論のほとんどもこれまで見てきたように精神 病質児や学業不振児が考慮されたものではなく,もっぱら従来からの「知的に劣った」生徒を念頭 に置いたものである。明らかに言いっ放しという印象は拭い切れず,広い支持を得られるものでは なかった。

ただし,この点についてはやや補足する必要があろう。補助学校対象児に関する議論は歴史的に

もやや込み入った経緯がある。補助学校はもともと「軽度精神薄弱」学校と理解されながらも,実       ρ

ロには多くの学業不振児がそこには就学していた。第一次大戦後になると,補助学校生徒は厳密な

「精神薄弱児」というよりもむしろ様々な「知的に劣った子ども」である,と説明される傾向が強 まり,そうした実態が半ば正当化されるようになっていくが,建前上は依然として知的に正常な子 どもとは区別され,いわば曖昧に処理されてきた。しかしナチス優生政策の下で補助学校は再び「精 神薄弱児」学校と位置づけられ,建て前と実態の曖昧な関係は一層顕著になっていく。関係者の多

くはトルノーのようなレトリックを使うこともあったが,たいていはこの矛盾を正面から批判的に

(12)

176       茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)

取り上げようとはしなかった。こうした中でクランプは上述のような主張をするわけであるが,あ る意味では補助学校の意義と実態を彼なりにふまえた非常に原則的な立場であったともいえなくは ないのである。

(2)補助学校設置の在り方をめぐって

彼はまた,かねてより関係者を悩ませてきた地方での補助学校就学を徹底させる問題にも言及し ている。民族共同体にとって今日,この問題を放置することは許されないというのである。解決に は三つの可能性があるという。第一は,小都市や近隣の村から越境入学させるというものであるが,

費用負担をどうするのかという問題が残る。第二は緊急的なものであるが,女子教員が作業や体育 ですでにしているように,巡回教員を配置することである。しかし最善と思われるのは,つぎの方 法である。それは4つの村が共同して,比較的大規模な国民学校,男子職業学校,女子職業学校,補 助学校を作り,4つの村の子供がどれかの学校に行くようにするというものである。子供の通学距離 は長くなるが,村の負担は平等になり,地方での施設確保の問題が解決するというのである(59)。最 終的な解決ではないが,「空理空論」ではないはずだと彼は力説するが,補助学校に止まらず,地 方行政全体に及ぶような議論は直ちに現実性を伴うはずもなく,いわば片思い的な呼び掛けにすぎ なかった。

(3) 〈補助学校法の要求〉

クランプによれば,補助学校に関する統一的な法律がこれまで制定されてこなかったのは「議会 主義の本質を指摘することによって説明できる。」しかしそのことはある意味では幸運であった。

今日の体制の下では,ナチ的な単純明瞭な決定によって将来の課題を設定すれば,議会主義的な解 釈,意味転用が防げるという。ところで従来から補助学校法制定の要求と結び付いて,国民学校か らの完全な解放を求める主張が強かった。しかしこれは現在,一般的にいっても都合の良いもので はない。ナチスの世界観に基づく教育理念からすれば,すべての学校の基礎に国民学校が位置づけ られるので,補助学校もそれとの結び付きはむしろより強固になることが求められる,というので

ある。

「こうした状況下で,新しく作られた教育組織の領域から補助学校を取り出してしまおうとする なら,愚かであろう。補助学校はそこに属し,国民学校との関係を失ってはならない。当然それは その独立性を放棄することを意味しない。(60)」

今日的にみればこれはある意味で卓見ともいえなくはないが,要するに職業集団としての利害よ りも民族・国家の利益を優先するというナチストとしての立場がここでも貫かれているといえる。

その上で,対象児,課題,教員の養成と資格(とくに大学での養成を),教育の課題学級定員な どの組織基準,施設設備,これらを統一的に確立するための法律を求めている(6り。しかし,これま でみてきた彼の主張をみれば,従来の補助学校法制定要求の立場とはかなり異なっていることは明

らかである。

1938年の「一般規程」について,彼は「これによって,30年以上に及ぶ治療教育家の努力と,学

校教育上の必要から増大してきた要求が満たされたのである」と絶賛している(62)。「精神薄弱」と

言う表現は使われず,「要補助学校児」が用いられ,これによって補助学校はrr精神薄弱学校』

(13)

荒川:Aクランプのナチズム期補助学校教育論      177

とはもはや定義されず」「我々の下に来る子供達の範囲がより包括的になる。」同時に下限(教育 不可能)も明確にされた。その他にも転入の規定,国民学校との連携と独立,民族生物学的課題の 優先などほとんどに渡り我々の要求が満たされており, 「数年後には,公的補助学校の課題達成水 準は,全体的に高まっていくことが予想される」(63)と,これからへの期待を表明している。しかし

「一般規程」の内容は,先に見たような補助学校の対象児や地方での就学問題についてのクランプ 独自の要求を採用したものとは到底いい難いものであった。

おわりに一クランプの憂い一

トルノーと同様にクランプは,「劣等者」の選別という優生政策上の意義と「有用化」という教 育上の意義をもって,ナチズム体制下における補助学校制度を確立しようとした。しかし皮肉にも 優生政策上の意義という一方のアピールは成功しすぎたともいえ,彼は二つの意義の板挟みに苦し むこととなる。

「新しい時代に入り,我々の学校を断種学校と呼ぶべきだと信じられている。」貯水槽という観 点から「私自身もこの表現を用いた本人である。」確かに,断種自体は恥でも罪の報いでもなく,

共同体への貢献であるし,「問題となるすべての民族成員を区別なく把握する」という課題は補助 学校だけでなく,国民学校や上級学校の就学者にも該当するものである。しかし「もし,より困難 をもたらし,とりわけ真実と合致しないような,公然と蔑視された名称が学校に与えられると,そ の学校はそこに課せられた役割を果たせなくなってしまう(64)」。すべての補助学校生徒が断種され るべきだと言うわけではないののである,と。

クランプは後に,人種政策局の協力委員として,多産奨励政策との関わりで補助学校卒業生の結 婚やその後生まれた子供に関する調査を奨励するなど,私的領域も含め,あらゆる優生政策に関わ ろうとした。しかしその一方で補助学校生徒の断種にはむしろ慎重な表現も多く見られる(65)。「精 神薄弱概念」を「道徳性」の者まで含め広く定義し,自らの守備範囲を広げることで補助学校のナ チス体制における地歩を固めようとしたが,他方では「断種学校」という烙印を避け,補助学校生 徒の有用性を示すためには,補助学校生徒のかなりの部分と「精神薄弱」や断種対象者とは区別し なければならなくなり,こうして補助学校の意義役割はクランプの中で分裂していくことになる のである。

ナチス政権確立とともに雪崩れ込み入党した多くの教員と違い,クランプ心底からの「戦士」で あった。他の多くの関係者が,ナチスに積極的に協力するにせよ,妥協的に迎合したにせよ,ナチ スの権威に寄り掛かることによって自らの従来の要求を実現させようとしたのとは異なり,クラン プは,信念をもって従来の(彼に言わせれば)「自由主義的」要素をナチズムの原理によって徹頭 徹尾払拭しようと奮闘したのである。にもかかわらず,彼は補助学校教育の代表的立場以上の地位 に就くことはできず,いわゆる「三等幹部」に止まる。ハノーファーでは補助学校行政のトップに はヴェールハーン(Wehrhahn, A)やグローテ(Grote, J)という別の人間が占めていた(66)。

1935年からの新教育課程の試みも約2年半で終わる(67)。1939年彼は突然兵役につき,40年に騎兵

隊中隊長として戦場にいるという報告を最後に消息不明となる(68)。自分の主張が思い通りにはまま

(14)

178       茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)

ならず,嫌気がさしたのか,それともナチストとしての熱狂的使命感からなのか,動機は不明であ

る。

しかしいずれにせよ,クランプの熱意と急進的な改革案は,空回りに終わる。ハノーファー市の 公文書には,クランプが去った後にある都市からクランプの指導した教育課程について照会してき たことを記録したものがある。しかしハノーファー市の回答は,クランプの著書を見てほしいとい う素っ気ないものであった。後に同市では補助学校の教育課程や転入手続きなども,彼の提唱した ものとは別の方法にとって代わられる(69)。狂気と冷徹な合理化が渦巻いたこの時代,ナチズム体制 は自らの思想に忠実にあろうとする者をも排斥していったのである。

(1)荒川智rK.トルノーのナチズム期障害児教育論」 『茨城大学教育学部紀要教育科学』第46号1997

(a)PP.217−231。

(2) クランプの略歴については,Freiburg, Gerda 100」αぬrθ伍躰∫c加」εεηHα朋oレε^Universit註t Hannover 1994

S.137,S.142を参照。ナチスの障害児教育政策の概要は,荒川智「ナチズム期官報・文部省報にみる障害 児教育」 『茨城大学教育学部紀要教育科学』第45号1996(a)pp.255−268。

(3) Bbenda, S.143.

(4)荒川智「障害児教育史研究とナチズム」,特別なニーズ教育とインテグレーション学会編『SNEジ アーナル』第2巻1997(b)pp.103−117。

(5) Krampf, A., HI塗5c加 εカηπ8麗8η∫如αぬ1936, S.13.

(6) Ebenda, S.15−16.

(7)Ebenda, S.17.

(8) Ebenda, S.7.

(9) Ebenda, S.13,

(10)Ebenda, S.19.

(ll)Ebenda, S.25.

(12)Ebenda, S.21.

(13)Ebenda, S.35.

(14) Krampf, A, Sterilisierung und Hilfsschuiejn;DDS 2Jg l935 (a) S.130.

(15)Ebenda, S.137.

(16) Kτampf,1936, a.a,0., S.28−29.

(17)Ebenda, S.30.

(18)荒川,1997(a)

(19) KTampf,1936, S.27.

(20)Ebenda, S.35.この部分はまさにヒトラーのrわが闘争』の叙述を想起させる表現である。

(21)Ebenda, S.37。

(22)Ebenda, S.39。

(15)

荒川:A.クランプのナチズム期補助学校教育論       179

(23)荒川,1997(a)

(24)Krampf,1936, S.43.同様iのことはKrampf,1935 S.13L

(25) Ebenda, S.83.

(26) Ebenda, S.83.

(27) Krampf,1935, a.a.0., S.136.

(28) Ebenda, S.142.

(29) Krampf,1936, S.46.

(30) Ebenda, S.50−51.

(31) Ebenda, S.74.

(32) Freiburg, a.a.0., S.

(33) Ebenda, S.84.

(34) Ebenda, S.86.

(35) Krampf, A。, NS−Jugendb茸nde und Hilfsschulejn:DDS 2.Jg.1935 (b), S.148.

(36) Ebenda, S.149.

(37)荒川,1997(a)

(38) Krampf,1935 (b), a. a.0, S.153.

(39) Ebenda, S.156.

(40) Krampf,1935 (a), S.137.

(41) Krampf,1936, S.91.

(42) Ebenda, S.93,

(43) Ebenda, S.95−96.

(44) Ebenda, S.98−99.

(45) Ebenda, S.100.

(46) Ebenda, S.102.

(47) Ebenda, S.109。

(48) Krampf, A., Brauchberkeit des Erziehungserfblg in den Kulturtechnischen F註chernjn;DDSなJg 1937 (a)

S.479.

(49) Krampf,1936, S.149.

(50)Krampf, A., Der Werkunterricht in der Hilfsschule.in;DDS 5.Jg.1938(a)S.602−603.

(51)Ebenda, S.607.ナチス党綱領は,1920年2月のミュンヘン・ホーフプロイハウスにおける有名なヒト ラーの演説を基に,ヒトラーとA.ドレクスラーによって25条にまとめられたもので,第10条では次の

ように記されている。 「すべての国家公民の第一の義務は,精神的的あるいは身体的に働くことであ      ■

      

驕B個人の活動は一般的に利害に抵触してはならず,全体の範囲内ですべての利益のためになされなけ

ればならない。」:Peter, L., Hrsg.,レb疏51α κoηD7」∫∫63 Rε∫cん. Grabert l 994 S.624.

(52) Krampf, A., Zur Aufgabe der Gesinnungsfachen in der Hilfsschule. in;DDS 6Jg,1939 S.350.

(53) Freiburg, a.a。0., S.140,       .

(54) Kτampf,1936, S.178.

(55) Ebenda, S.180.

(16)

180       茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)

一   (56)   Ebenda, S.182.

(57)  Ebenda, S.184−185.(Krampf,1937 (a), S.477)

(58) クランプは他のところでもしきりにトルノーを引き合いに出している。例えば教員養成について

は,Krampf, A., Zur MeIhodik des Hilfsschulunterrichts. in;DDS 4Jg.1937(b)S.269.       げ

       o

i59)  Krampf,1936, S.188.

(60)   Ebenda, S.192.

(61) Krampf, A,, Was darf die deutsche Hi1飴schullehrerschafI von geplanten ministeriellen Anordnung fhr des

Hilfsschulwesen in P祀uBen erwarten?in;DDS 4Jg.1937 (c).

(62)  Krampf, A, Zur AIIgemeinen Anordnung nber die Hilfsschule in PreuBen . in;DDS 5Jg.1938S.484

(63) Ebenda, S.486.「一般規程」については荒川(1996)pp。255−258を参照。

(64)  Krampf,1937 (c), S.772.

(65)  Krampf, A., Ein Beispiel der Zusammenarbeit der Fachschaft V und dem Rassenpolitischen AmL in;DDS

5.Jg.1938 (b) S.698704.

(66)   Freiburg, a.a。0., S.137−138.

(67)  Ebenda, S,142.

(68)  Ebenda, S.138.

(69) これについては荒川智「ナチズム体制と障害児教育・序説2」 r西洋教育史研究』第22号,1993,

pp.109−118で触れておいた。

参照

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