弘前大学教育学部紀要 第71 号 :
83‑100 (1994年
3月)
Bull.Fac.Educ.HirosakiUniv.71:83〜100 (Mar.1994)大学教 育 における 「 学びの疎外」の克服 一 教員養成学部学生の教 育問題 関心調査 か ら‑
ACaseStudyoftheConcernsforEducationalPloblemsin NationalTeacherTrainingFacultyStudents
大 坪 正 一 *
ShoichiOTSUBO83
要 旨
弘前大学教育学部学生 を対象 として教育問題 関心調査 を実施 し,高校教育 までの 「 学 びの疎 外」状況 の分析 とその克服 を大学教育 の課題 として探 るための調査研究 である
。特 に,現代 日 本 の教育 に関 して問題 を感 じて はいるのだが, 「やむを得 ない 」 「どうしようもない」 とい う意 識 の克服 を,教員養成学部 の大学教育 にお ける学 び方の問題 として提起 した ものである
。数量 化1 1 1 類 を用 いた分析結果 として,教育 問題 の関心パ ター ンは現実的 ‑理論 的の軸 によって最 も 強 く分類 された。理論的関心 に引 きつ けるための条件 を数量化 Ⅰ類 の方法で求 めてみ る と
,(1)社会科学的知識 の学 び方 ,( 2) 競争観 の構造 ,( 3) 自分が受 けて きた教育 についての意識 ,( 4) 教育 に対 す る意識 ,( 5) 属性, によって分化 して くる要因が認 め られ た。 そ こか ら,高校 までの知識 を転倒す るような学 び方,教育体験 を深 く見 つめ させ る作業,専門教養 を通 じて一般教養 を学 ぶ ことな どを指摘 した。
1
.問題 の所在
(1)
大学教育改革 と教員養成学部
少 なか らぬ大学関係者が, 「 臨教審路線 の大学 にお ける現実化」である として反対声明 を掲 げ る中で発足 した大学審議会 は
,91年
7月の答 申で 「 大学設置基準 の大綱化」 を打 ち出 した。 こ の結果全 国の大学 で,戦後教育改革 に匹敵す るような改革 の動 きが加速化 され, い くつかの国 立大学 において学部改組 を含 む改革が実現 されて きてい る。臨教審 の教育改革 にお ける大学 の
+I
位置づ けについて は,本稿 の課題 で はないので別稿 を参照 して もらいたいが,「国立大学 の民営 化路線」 とか 「 産業構造調整 のための大学 の再編」 とか批判 されなが らも, この 「 大綱化」 は それ まで大学 を拘束 し続 けた文部省 の規制 の緩和 である として,多 くの大学 で圧倒 的 に支持 さ れていった。
しか し注意 しなけれ ばな らない ことは,文部省 のい う 「 大綱化」 の 目的 は, 自由化 にあるの で はな くて 自由競争 の論理 にあ ることである
。遠 くない将来 において,1
8歳人 口の激減が予測 され ることか ら,供給過剰 の可能性 を前 に生 き残 り競争が組織 されたのである。 その不可欠 の 条件 が 自己点検 ・自己評価 システムの導入 であ る。 それ は,犠牲者がでた場合 には自分 の責任
*
弘前大学教育学部教育学科教室
DepartmentofPedagogy,FacultyofEducation,HirosakiUniversity
で納得 して もらうとい う目論見である といえよう。つ まり,文部省が規制 をゆるめたので はな くて,大学 を社会の厳 しい目にさらす ことによって間接的 に監視 ・管理す る とい う路線 に転換 した ことである。 これ は一般企業社会の論理か らす る と当然 なことであるが,各大学 の責任, 自分達の作業 によって点検 ・評価 を可能 とす るシステムを創 り出す ことは,学校間競争の論理
*1 ) を大字 に推 し進 める機能 を持 っている といえる
。論理 か ら言 えば,大学改革 の 「 三点セ ッ ト」 は, まず 自己評価 を十分 に行 い, それ に基づい て教育 カ リキュラムを見直 し, そのカ リキュラムを実現す るための学部改組 とい う流れになる はずであるが,改革が実現 された とす る国立大学の例 を見て も, その脈絡が徹底 されていると は思われない。特 に教養部 を廃止 した大学で は, その後 の一般教育 を中心 とす る学生教育 の体 制づ くりは等閑 に されているケースが少な くない。 こうした急激 な変化 の状況であるか らこそ, 時代 に対応 した学部や学科構想 を生み出す ことよ りも,「どのような学生 を送 り出すか
」(「国民 のための大学づ くり」の根幹 はここにある。)の検討 を中核 とした大学づ くりが問われねばな ら ない し,改革 の柱 になる必要があるので はないか。
その中で は,全国的にみて も,教員養成学部 は独特のスタンスで しか対応で きて こなかった。
従来 の路線か ら余 り変わ ることな く,改革の うね りか ら置 き去 りにされている といった感が強 い。教員養成学部が 「 教員免許法 によって拘束 された学部」であることが最大 の理 由である。
1964
年 の学科 目省令化 に始 まる教員養成学部 の学科 目の画一化,教員養成 の目的化 の整備 によ って,学部 の構成原理が字間研究の論理 を基礎 にす るので はな く,職業教育的な目的養成 の構
*. ' i
成原理 になっていることがあげ られ よう。 まさに,「 大綱化」が改革の自由や 自治 を意味せず, む しろ,社会人の活用や様々な形態 の教職への社会人登用な ど,臨教審が打ち出 した教員養成 政策 にそって教員養成学部 の再編成が進 め られ る可能性が高 くなっている。「 時代 に対応 した学 部」 を中心 に考 えれば考 えるほ ど,特 に教員養成学部 においては,学生教育 の視点が遠 ざか り, その こと自体が教員養成 自体 の質的改編 ( 一万で履修単位負担 の軽減や教育実習の軽減 な ど大 学での教員養成 の役割 を相対的 に低 め,一方で現職教員の活用,県教育委員会 との緊密化,初 任者研修制度 な どで社会的要請 を重視す る といった,大学教育 の地位 の低下) を進 めてい くと い う皮肉な結果 を もた らしているのである。
( 2) 教員養成学部学生の 「 消極性」
学生教育 の側面か ら大学改革 を進 めようとす る場合,検討課題 となるのは現在 の学生の実態 である。本稿で は,上記 の問題意識か ら,教員養成学部学生の学 びの実態 に焦点 を当てて,戟 育改革 を考 える際の参考 に しようとす る ものである。
自分 自身の研究関心 もあってか,大学生の教育 を考察する場合,筆者 は従来か ら 「 大学教育 は社会教育 である」 とい う立場 を取 って きた。国民の自己教育 を中核 とす る主体的な学習が社 会教育の立場であって,行政や専門職員 はその ( 公的な)援助者 とい うことである。大学教育 の進学者が
1割程度であった時代 ( 大学 をエ リー ト養成機関 として位置づ けることが可能であ った高度経済成長期以前) において,義務教育 を終了 した多 くの国民の学 びは,地域 の諸集団 を中心 とした 「 夜学」や 自主的 グループ ・サー クルでの学習であった。学校教育で基礎的な学 力 (‑国民的教養) を獲得 した諸個人 は, その後いろいろな教育施設等 を利用 して自由な学習 活動 ( 自己教育) を展開す る。 それが本来の教育 の姿であって,社会教育関係者 は 「 教育 とは
*4
学校 とい う形でや るもの」 とい う観念 は始 めか ら持 って こなかった。生涯学習の時代が叫ばれ
大字教育 にお け る 「学 びの疎外 」 の克服 85
る今 日,以上 の ことはかな り意識的 に提起 され るようにな り,学校教育 までが 「自己教育力 の 育成」 を第一義 に掲 げるようになったの は周知 の ことである。
学校 を出た人がそれか ら先 に まとまった勉強 をや りたい とい うときに大学 とい う高等教育機 関が要求 され るのであ り,大学 の能力 を社会 に役立 てる とはこの ような意味 を含 んでい ると思 える。 ところが,1
975年 ごろか らの低成長期以降,大学進学率が3
0%台後半 で頭打 ちにな り,学力 ・ 学歴獲得競争が激化す るに も関わ らず 目標間 口が拡大 を止 めて くるようになる と ( 「 閉 じ
+ユ
られた競争」), 競争 に勝 ち残 って大学 に入学 した学生 自体が大 きく変わ って きた ことが言われ て きている。大学の教員が 「 最近 の学生 は」 という前置 きで もって語 る学生 の姿 は, 自分達 の 大学時代何 をどう学 んで きたのか とい うことが基準 となって判 断 され るため,「 本 を読 まない」
「 勉強 しない ( その くせ授業 には出 る) 」 「自治的活動が不活発」 といったステ レオタイプ的 な 反応が返 って くる。特 に, 自分で課題 を発見 して自分か ら学ぶ とい う自己教育的な学 び方 は, 自主 ゼ ミ ・サー クル活動 の状態 を見 るまで もな く, その基礎 自体 がで きあが っていない とい う 批判 は多 い。
以 上の ことは高校時代 までの学 びの結果 として大学生時代 に発現 して きた ものであ り,受験 勉強 の激化 の中での 「 学 びの疎外」 として指摘 されている もので ある。 汐見稔幸 はこれ を,( ∋ なぜ それ を学ぶか を考 える ことな く学 ば され る,②生活上 の知識 とは関わ らない (という自覚 で しか ない‑筆者)知識 を詰 め込 まれ る,( 卦時代 の変化 に教 えられ る内容がついていけない, とい う
3点で整理 しているが,社会教育や生涯学習 の場で は,以上 を前提 としなが ら 「 学校 で
*6
十分で きなか った " 本来の学 び" を …取 り戻 す"」 ことが必要であると述べている。 「 大学教育 は社会教育」 とい う立場 か ら考 える と,受験競争の 「 優等生」 として入学 して きた国立大学教 員養成学部学生 に対 して も同様 の課題が提起 されているように思 える0
+7 汐見 の第 3 の点 については 「 地域 の教育」 とい うことで別論文で示 しておいたので,今回 は 第
1,第
2の点 を中心 に検討す ることにす る。形式的 にみれば,教貞養成学部学生 とい うもの は,教育 について学ぶ ことが専門の勉強 である。 そこで, これか ら教育 を学 ぼ うとす る学生 が 現代 日本 の教育 に対 して どの ような意識 を持 っているか を調査 してみる と図 1の ような結果が 示 され る。 ( 専門課程 に入 ったばか りの
2年次学生 を対 象 としたアンケー ト :
2章参照)
図
1現代日本の教育について
考 えない(2.6%) 深 刻で ない (7.1% )
や む をえ ない(22.0%)
ど う しよ うもない(29.8%)
選択肢 をかな り意図的 に選 んだ ことも理 由になる とは思 えるが, 「 深刻でな
い」とい う現状肯
定派が
7%程度であるのに対 し,「何 とか したい」は
4分 の 1程度 しかない。半数以上が 「 やむ
をえな
い」 「どうしようもない」とい う消極的 なグループであ り, 中には 「 考 えない」とす る も
の も3%程度 いる。 ある意味 では予想通 りとい うことになる とはいえるが, 自分の体験 や 目や
耳 にはいる報道 によって問題 を感 じてはいるのだが, その本質 を学ぶ ことによって現状 を良い
方向に変革 して行 こうとする積極的姿勢で はな くて,あ きらめに似 た状況か らの学びの姿勢で あることに驚か され る。教育実践 を動かす力 につなげることを最初か らあ きらめている学び と いうものは,結果 として多 くの知識 を得た として も,教育 を学 んだことになるのだろうか。
消極的反応 をす るグループにその理 由を訊ねた ものが図
2である ( オープンアンサー ・複数 回答)0「 勉強不足でわか らないか ら」 ( 約
2割)とした ものについて は, これか ら勉強 して もら えばいいわけで,今後の課題 として見守 るだけであるが, それ以外 の理由 は変わ らない もので はな く,学 んで行 くなかで変 えられ る可能性 を持 っているものである。特 に 「 社会 を変 えるの が先」「自分一人で はどうに もならない」 ( 両者で約半数) に関 しては, そのために自分 は何 を すべ きなのかを考 えることこそが,教育の学び方の特殊性 として認 め られているものだか らで ある。 ( 詳 しくは
2章参照)ただ,少な くとも言 えることは,教員養成学部学生の半分以上が,
+8
「 行動知」 を求めて入学 しているわけではないこと, 自己教育の発揮 という大学での学習スタ イルにはなっていないことが指摘で きる。 これ らは,主 として高校 までの 「 学びの疎外」の結 果 として提示 される状況であって,「レベル」が低 くなっているわけではない ( 入試制度 をいじ っただけで解消するとは思 えない)o しか し, この状況 は「 言われた ものは何王立やるが,言わ れたことと 史 しない」 という第
2次デモシカ先生予備軍 としては十分である.教員養成学部が
「 良い教師づ くりをめざす」 ものであるとす るならば ( 筆者 は必ず しもそれだけだ とは思わな いが) ,この点に無関心で はいられないはずである。大学教育 を担当す るものは以上のような実 態 を前提 とした専門教育のあ り方 を検討する必要がある。
図2 消極的になる理由
その他(2.9%)
2.
教員養成学部学生の教育間愚関心
( 1) 教育問題 の認識か ら 「 教育 の本質 と目標」の理解へ
弘前大学教育学部 は,いわゆるゼロ免課程が存在 しないこともあって,全ての学生の卒業要 件 として教員免許の取得が義務づけられている。その意味では,「 教員免許法によって教育課程 が拘束 され る」 という典型的な教員養成学部 であ り,学生教育 において も過密カ リキュラムや 教育実習の負担加重 な ど, 自主的な教育体制 をつ くってい く上で は多 くの問題点が示 されてい
る。
89
年の教員免許法改正 に ともなって,い くつかのカ リキュラム改革がなされたが,全学生 に
対 しての必修科 目として大 きな位置 を占めているのが教職専門科 目である。その内,「 教育 の本
質 と目標 に関する科 目」として は,「 教育原理
1」が当て られ,教育学科教室の
3名の教官によ
って講義が開講 されている(
2年次前期
2単位)。 これ は,同 じ時間内に課程別 に割 り振 って行
われ ( 小学校教員養成課程,中学校教員養成課程 ・ 看護教員養成課程,養護学校教員養成課程 ・
大学教育 にお ける 「 学 びの疎外」 の克服
87幼稚 園教員養成課程 ・ 養護教諭養成課程 の
3区分),担当の教官 は
1年 ごとのローテー シ ョンで 回 り,学生 は教官 を選べないシステムである。( 単位 を落 とせば次 の年 は必ず違 う教官 に当たる ことになる。) さらに,「 教育 の社会的,制度的,経営的事項 に関す る科 目」 としては 「 教育原 理
ⅠⅠ」が当て られているが, これ は,教育学科
5名 の教官のそれぞれの専門学科 目の 「 概論」
に相 当す る講義 を当て (
8コマ開講),選択必修 となっている。
さて,問題 はこの 「 教育原理
Ⅰ」である。 これ は以前 「 教育原理」 として本学部 で も開講 さ れ (
4単位),今で も多 くの大学 において,教職専門科 目として必須の もの として存在 している とはいえ,学問体系 として は唆味な ものである といわ ざるを得 ない。年度始 めにおける学生の レポー トで も,「F 原理』な どとい う科 目があるとは思わなかった」とか,「これ を学べばあ らゆ る教育 の事態 に対処で きるマニ ュアルの勉強」 と言 うようなイメージが語 られている。一般的 には教育学基礎論 ( ないしは概論) として通用 しているようであるが,教育学 自体が教育諸科 学 として存在 し, 自らを科学化す るためには 「 新 しい教育原理」 として教育社会学 を生み出 さ
ざるを得 なか ったように, そ もそ も「 教育原理学」とい う学問 はないのであ り,「 教育 とは何か」
を追求す る単独 の学問 としては位置づ けきれない ものがある。 いわば,「 本質 と目標」というの は 「 教育 とは何 か」の最終 目的に近 い ところに位置す るのであって,マニ ュアル的な理解 とは 相容れない ものだか らである。特 にこれか ら教育 について学 んでい こうとす る学生 に対 しては,
「 原理」を学んで事足れ りで はな くて,「 原理」を学ぶ ことによって教育への科学的接近 を育て るための特別 の方法が検討 され るべ きである。
1950
年代 の教育科学論争が提起 した視点 は,社会科学 としての教育学 と実践 としての教育学
*9
を統一 した新 しい教育科学の創出 とい うことであった。 このような教育科学 に接近 す るための
「 基礎」的な勉強 とは,社会科学的認識や知識以外 に, まず学ぶ側 の意識 の変革が重要である
。学ぶ立場 にある自分 をも対象 として教育 を見 ることや,実践 を志向す ることによって真理 を検 証す る とい うことを,学 び方 として どう獲得 して行 くのか ということである。「 本質 と目標」を 知識 として理解す ることで はな くて,「 本質 と目標」の理解 に接近 して行 くための学び方が重要 だ とい うことである。 その意味で は多様 なアプローチが試み られて良い。教育諸科学 として教 育学 を捉 えるな らば, それぞれの特異の方法で もって教育 の科学 に接近で きる方策があるとい
えるか らである。
本学部 の場合,
3名の 「 教育原理
Ⅰ」担当者 は, それぞれ教育制度,社会教育,教育社会学 を専門 としている
。筆者 は,教育社会学 を担当 していることか ら,教育社会学的アプローチ と して考 えるな らば, それ は 「 教育 の事実」 を捉 える中での 「 本質 と目標」への迫 り方 とい うこ とにな らざるをえない。すなわち,「 教育 とは何か」 とい う問いは抽象的・ 一般的であるのに対 して,「日本の教育 をどう考 えるか」とい う問いは具体的であ り,学ぶ意欲 をよ り導 き易 い と考 えられ るか らである
。しか も, そ こで現 され る日本教育 の現実 とい うものは,多分 に矛盾に満 ちた困難 な もの,すなわち教育問題 として語 られ ることは必至である。 そ もそ も,教育 の科学 が求 め られ る とい うことは,現実の教育 に問題 があるか らその解明がめざされて きたのであ り, 現状 の教育 のあ り方が本来 あるべ き姿 と異 なっているか らこそ,「 教育 とは何か」が問われてい
た。「 本質 と目標」とい う対象 に対 して,人間 についての理解や人間発達 のあ り方, それ と制度
としての教育 のあ り方の関連 な どが理解すべ き事項 であるのな らば,問題 として 自覚 されつつ
ある教育現実 は, それ らの 「あるべ きあ り方」 を模索 している姿 ( エネルギー) を示 している
と捉 えることが可能である。疎外 されている形態の中で こそ, その本質 を鋭 く指摘す る現実や
その ヒン トが見 えて くるものである。教育 を科学的 に学ぶ とい うことは,あるべ き姿 を理念的 に論 じ合 うことだけで はない し,現状 に対 して外側か ら不満や批判 を展開す ることだけで もな い。 いわば,教育 の目的的規定 (どう教育すべ きか) と社会的規定 ( 社会科学 の適用) を統一 させて理解す ることが必要であ り, それが実践への意志へ とつなが っていったのである。
例 えばい じめや非行 の問題 は,教育的価値 としてみて 「 悪 い」 ことであ り, それ らを取 り締 まって如何 に 「 健全育成」す るか とい うような方法が語 られ るだけで は何等問題 を解決 して こ なかった。 ラベ リング理論の方法論が提示 しているように,逸脱現象 を相対化 し日常の社会生
ヰl o
活 との関連で認識すべ きことや,「い じめ」とい う行為の中に存在 している子 ども集団の「自治」
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的側面 を評価す ることな ど,問題 をさらに深 めて見つめる中で,問題 を批判す るだけでな く具 体的な現実の中か ら現実 を変革 してい く力 を発見す ることが必要なので はないか。 また,教科 書裁判 な ど対立的 に論争 されている問題 を通 じて, 自己の立場選択 を考 え実践 について も見通 しをつ けてい くことや,対立 の激 しさ自体が,教育 と社会 に関す る切 り口 ( 本質 と目標) につ
*1 2 なが って把握 され ることを可能 にしている と考 える。
「困難 によって切 り開 く」言い替 えれば 「問題 によって切 り開 く」とい うこと,教育の事実か ら対象 に迫 ろうとしている教育社会学の方法 は,単 なる社会学 の枠 を越 えて理念的側面や価値 的側面 ( 実践的側面) に関与 してい く方法である と考 えられ るし,教育学 を学 んでい く基礎的 学習方法 として は有効 であると考 えられ るのである。よって,「日本 の教育 を考 えること」と「 教 育 とは何 か」 を問 うことが どう結 びつ くかを考 えさせ ることが,教育学 の基礎的勉強の主たる
テーマ とな り,本質 と目標 を 「 覚 える」ことで はな くて,「 問題意識 を持 つ こと」が第一義的課 題 として提示 され る
。となる と,教育課題 として は,
1年間 を教養部で生活 し本格的 には教育 の専門教育 を受 けて はいない
2年次初頭 の学生が, どれだけ現実の教育 に問題 を感 じているか とい うことになろう。問題関心調査 は以上 の ような問題意識 によって取 り組 まれた ものである
。(2)
教育問題関心の実態
93
年
4月期 に,他 の
2名 の教官の協力 を得て,「 教育原理
Ⅰ」受講者
444名 (
2年生
361名,
3年以上83 名) に対 して教育問題関心 のアンケー ト調査 を講義時間内に実施 した。 その後
6月に 補充調査 をし
309名の有効 回答 を得 た。 ( 有効 回答率
69.6%, なお有効 になったのは
2回の調査 両方 に回答 した者 であ り,調査 自体 の参加者 は
417名
93.9%である。)
調査項 目 として は 23の教育問題 を設定 し,関心 あるものを選ぶ とい う方式である。2 3の項 目 は前記の基準 によって選 ばれた もので,それぞれ,①人間の理解,②人間発達 と教育 に関す る 理解,③教育 と社会 に関わ る理解 を通 じて,教育 の本質 と目標 の理解 を深 めるために筆者 の「 教 育原理
Ⅰ」の講義で取 り上 げ られて きた ものである。ただ し,障害児教育,幼児教育,健康教 育 な どは重要な問題 を含 む ものであるが,専攻課程 との関連が強す ぎるために ここで は取 り上 げなかった。 また, トピック的な項 目として「 科学 と宗教」 ( 新興宗教, オカル ト,超能力 ブー ム),「 学校給食」 ( 埼玉県庄和町での廃止問題が話題 となった) な ども入 っている。
回答結果 を割合の多い順 に並べてみたのが図
3である。参考 として,筆者が非常勤で教育学
を講義 している看護学校学生 (
3年生
46名) との比較 を示 しておいた。全体的 にみて同 じよう
な傾 向が示 されている と見て良い。「い じめ」か ら 「 性教育」までの上位
5項 目は,マスコ ミ的
にも話題 となっていることか ら同 じような割合であるが ( 看学生 は 「 性教育」のみが
2ポイン
ト高い),それ以外 は教育学部学生が
20ポイン ト程度圧倒 している。しか し,半数以上が関心 を
大字教育 にお ける 「 学 びの疎外」の克服
89もつ項 目は 「 家庭教育」 までの
7項 目で全体 の
30%で あ るこ とか らして, 同世代 の他 の学生 よ りは関心 を多 く持 ってい る ことはわか った として も,教員養成学部学生 が教育 問題 についての 関心が高 い とはいい きれ ない。 そ こで, どの よ うな種類 の項 目に関心 を持 ちあるい は持 たない で いるのか とい う,選択 され た関心項 目の分類 が必要 となって くる。
図 3 教育問題 への関心
医 詔 教 育 学部 学 生
⊂ :コ看護 学校 学 生
学
力 管 理
主義教育生涯教育生活科学校給食 家 庭 教 育
学校
5日制性 教
育遊
び受験競争登 校 拒 否
いじめ・非行(3)
関心パ ター ンの分類
項 目間の関連 を分類 す るの に適 してい る分析 法 として,数量化 Ⅰ Ⅰ Ⅰ 類 の方法があげ られ る。 ここで は,
この方法 を用 いて,教育学部学生 に とって
23の項 目が どの ようなパ ター ン として分類 され ているのか を示 してみ る。
固有値 の高 い もの
2つ を とり, 順 に第 1軸 をⅩ軸,第 2軸 をY軸 として各項 目の位 置 を示 したのが 図
4であ る。分布 を見 る と, まず 第 1軸 ( Ⅹ軸) で は, マイナスの 多 い ものか ら順 に
「5日制」, 「給 現 実的 食」, 「 受験 」, 「い じめ」 , 「 登校拒
否」 と, 回答実数か らして も
50%を越 す ものが集 ま り, プラスの方 は「 基本法」 , 「国家」, 「 指導要領」
とい った項 目が集 まってい る
。す なわ ち, Ⅹ軸 は誰 で もが関心 を持
関 心
理 論 的 関 心
戦前の教育教育基本法科学と宗教国家と教育PTA子ども
の 権 利 条 約
地域の
教育 学
習指
導要領
教科 書
裁判教 師 論 日 の 丸
・君が代学校外的 関
‑1.5
学校的
関 心
2.5っているような現実的関心一言い替 えればマスコ ミ的関心‑ と,教育の理論的側面 に関わ る関 心 によって振 り分 けられた軸であることが推察 され る。 Y軸 は固有値が低 いため相関がやや弱 いが,マイナスには 「 生活科」をはじめ 「 指導要領」,「 管理主義 」 「 登校拒否」とい う項 目が集 中す るのに対 し, プラスには 「 宗教」が飛 び抜 けてお り,ついで 「 遊 び」,「日の丸」 ,「 給食」
と続 くことか ら学校か ら離れた関心 を示 しているとみてよい。つ まり,学校的関心 と学校外的 関心 によって分 けられた軸 と判断す ることがで きる。
こうして23の項 目は,現実的一理論的,学校的一学校外的 とい う軸 によって 4つの象限 に分 けられ, それぞれ Ⅰ‑現実的学校的関心,
ⅠⅠ‑現実的学校外的関心,
ⅠⅠ Ⅰ ‑理論的学校的関心,
ⅠⅤ
‑理論的学校外的関心 に分類 された。内容的には,例 えば 「日の丸 ・君が代」 は理論的 に言 えば 「国家 と教育」な どと親和性 をもつ項 目であるが,学生の意識上 の分類 として は,質問紙 の中にオープンアンサーで理 由を書かせた ものに示 されているような,「なぜ多 くの人があれだ け騒 ぐのかわか らない」 と言 ったようなマスコ ミ的関心の もたれ方であることがわか る。同様 に 「 学校給食」 も,子 どもの健康 や発達 と学校環境 をめ ぐる学校 の問題 と言 うよ りは,マスコ
ミで報道 された地域の大騒 ぎに対す る関心 と見 られ るのである。
ここで,関心 を深 めることによって教育の理解 を
B]5進めてい くとい う教育 目標 を設定す る とす るな らば,
12Ⅹ軸 のマイナスか らプラスへの移行が課題 となる。
個人 のスコアの分布が図
5である。全体 の平均値 は
(‑0.4022,0.1628)であ り, 中心 に近 い といえど
Ⅰ
Ⅰの象限である。 ( 図 4参照)また各課程 ごとの平均 値 を とってみて も,小学校課程 (
‑0.0748,‑0.1166), 中学校課程 ( ‑
0.5953,0.7532),養護学校課程 ( ‑
0.5695,‑
0.1783),幼稚 園課程
(‑0.1720,‑0.0022), 看護教員課程 (
‑1.4051,0.0636),養護教諭課程 ( ‑
0.9346,0.1143)と全てが Ⅰ,
ⅠⅠの象限にあること が特徴である。 これ は共通
1次 テス ト実施以降各大 学で問題 となっているように,偏差値輪切 り型の学 生が集 ま り,似 か よった傾 向の学生が団子状態 にな っている と言 う指摘 を証明 した ものであ ろうか。 し か し,図
5で示 されているように,
ⅠⅠ Ⅰ
,ⅠⅤの象限に 属す る学生 も存在 しているの は事実である。 た とえ
‑ 4それが相対的な ものであってあま り差がない もので
‑ 4あった として も, この種 の調査研究 によ くみ られ るような,実態 を調べてマイナス要因の指摘 だけで終わ ることのないようにするためには, プラスの要因 は何 によって可能かを抽 出する分 析が必要である。
( 4) 理論的関心項 目
第
1軸 のカテゴ リーウエイ ト値 を高い順か ら
23項 目を並べてみたのが表 1であ り,看護学校
学生 との比較 も示 しておいた。 ( 看護学校学生 の分類 においては 「 戦前」と 「国家」が学校外的
関心 として強 く,「 権利条約」が学校 的関心 に強 くなっていることが異 なっているが, それぞれ
大学教育 にお ける 「 学 びの疎外」 の克服 表 1
設 問 ( アイテム) 回答実数 教 育 カテ ゴ リー ウエ イ ト 学 部 学 生 値 回答実数 看 護 カテ ゴ リー ウエ イ ト 学 校 学 生 値
戦前の教育
73(23.6) 1.3727 ‑0.0167 3(6.5) ‑0.7206 4.3921子 どもの権利条約
102(33.0) 1.0751 0.1432 3(6.5) ‑0.5691‑
1.4883教科書裁判
114(36.9) 0.8329 ‑0.1256 5(10.9) 0.0870 ‑0.5998家庭教育
176(57.0) 0.3287 ‑0.4211 12(26.1) 1.2023 ‑0.2305.学力
130(42.1 )
0.2863 ‑0.4921 15(32.6) 0.8348 ‑0.497891
回答実数 が少 ない ことか ら, 回答者 の項 目内容 の理解 についての要因がか な り影響 してい る と 判 断 され る。)
上位 の もの に関心 を多 くもつ ものが個人 ス コア として
ⅠⅠ Ⅰ
,ⅠⅤの象限 に近 づ く条件 とな る。全 体平均が
‑0.4022で あ るか ら, ここか らプラス
1以上 はなれ ている項 目は,理論 的関心 を導 く 項 目であ る といえる
。そ こで表 で示 され てい るように, 「 基本法」か ら
「PTA」までの
10項 目 を理論的関心項 目 とし, これ らの項 目を どの程度選 んでい るかが,理論的関心 の高 い層 をつ く りだ してい る と考 える ことがで きる。
23
項 目の関心選択数 の分布 を図
6に, また
,10項 目の理論 的関心 の選択数 を図
7に示 してお
いた。理論 的関心 はゼロが最高値 であ り多 くな るほ ど選択者数が減少 している。 この傾 向 は,
関心項 目全体 の傾 向 よ りも強 い ことがわか る。
70 60 50
人
40数
30 20 10 01 2 3 4 5 6 7 8 9 10ll1213日 151617181920212223
図
7理論的関心項 目数
0
1
2 3 4 5 6 7 8 9 10さらに, 関心項 目選択 数 に従 って,低 (1か ら8) , 中 (
9か ら
16),高
(17以上) の
3群 に 分 け, 同様 に理論 的関心項 目選択 数 も,低 ( 0か ら 2), 中 (3か ら 6) ,高 ( 7以上)の 3群 に分 けて クロス してみたのが表
2である。 当然 の こ となが ら,関心 の高 い群 は圧倒 的 に理論 的 関心 も高 い傾 向 を示 してい るが,中群 は理論的関心が高 くはな って はいない ことがわ かる。理 論 的関心 だけ高 い とい う層 は存在 しない とい うことであ るが,現実 の教育 が さまざ まな関連 に
表
2全 体 理論的関心低群 理論的関心中群 理論的関心高群
関 心 低 群
140 132 6 2l
(100.0) (94.3) (4.3)(
1.4)i関 心 中 群
(11010̲20) (29.335) (66.741 )
(4ー55)関 心 高 群
i ;
(10570.0) (0.00) (212.38)(
77.442)大学教育 における 「 学 びの疎外」の克服
93よって成 り立 っていることを考慮すれば,以上 の傾 向 は首肯 で きるものである。
そ こで,理論的関心 の高 さ と
, 1章 で示 した現代 日本 の教育 に対す る態度 をクロス してみ る と,理論 的関心高群 のみが 「なん とか したい」 とい う回答 の平均 を上回ってい ることがわか る。
( 図
8)教育問題 に関す るさまざまな分野の関心 に目を開 いてい くこと ( つなが りを理解 して い くこと) と,関心 を現実的関心か ら理論的関心へ と転化 させてい くこと,以上 の取 り組 みに よって,教育学の特殊性 である実践的学 びへの方向が展開 されてい くことを示唆 してい る とい える。
図
8理論的関心 と教育認識
深 刻
でな いやむをえない ど う しよ う なん とか わ か らない 考 えな い もない した い
□ 全 体 E j 関心低 匿 関心中 日 関心高
3.
理論的関心 を進める条件
そ こで問題 とな るのが, いかに して理論的関心 を導 き出すのか, それ らを推進す る要因に関 す る分析 であ り,本調査の主 たる課題 もそ こにある。
前章 で示 された理論的関心項 目の選択数 を外的基準 として,数量化 Ⅰ類 の方法で分析 を行 っ た結果が表 3であ る。要因 として取 り上 げた1 2アイテム ( 要因) ,62カテゴ リー ( 項 目)は補売 調査 で実施 した。理論的関心項 目の選択数の多少 に影響 を及 ぼす要因の影響力 ない し規定力の 強 さを示す数値が, カテゴ リー ウェイ トと呼 ばれ る数値 である。 この値 の絶対値 が大 きいほ ど 影響力が強 く, また,符号が プラスであれば関心 を高 める要因 といえ, マイナスであれば阻害 す る要因 と考 えて よい ことを意味 している。分析 の対象 に した要因 は十分であるとはいえない が,重相関係数
R‑0.5878であるので, あ る程度 の意味付 けは示 されていると思 える。以下,
この結果か ら読 み取 れ る結論 をそれぞれの要因項 日ごとに述べてみ る0
( 1 ) 社会科学的知識 の学 び方
教育学 を学 んでい く上 での基礎的教養 と思われ る社会科学的知識 を
10項 目選 び, それぞれ①
高校 まで にあ る程度学 んだ,②大学 に きてか ら学 んだ,( 勤まだ学 んでいない, という選択 をし
て もらい, その意識調査 の結果か ら
4つの要因項 目を導いた。 ( 図
9)これ はどれだけ学 んでい
るか とい う中身 を問 うている もので はな く, あ くまで本人が どう自覚 しているのかについての
表
3社 A E 料
学 1. 今 まで に学 んでない
18(5.8) ‑3.069 2.大学で はゼ ロ
59(19.1 )
‑0.454 3.大学 で はほ とん ど学 んでいない
166(53.7) ‑0.998 4.大学 であ る程度学 んでいる
40(12.9) 4.434 5, 大学 で高校 よ りも学 んでい る
26(8. 4)
2.7041. 高校 までで学 んでい るもの少
32(10.4) 1.858 「2.
学 んでい るもの中
134(43.4) 0.003知 的
識
3.学 んでい る もの多
143(46.3) ‑0.4191
. 大学にきてから学んでいるもの少
242(78.3) 0.269 」の
2.学 んでいる もの中
61(19.7)
‑0.915学 方 び
3.1.まだ学んでないもの少( 学 んでい るもの多 大学で無)
76(1.6(24,96))‑
1.1.5045072. 〟
( 大学で有)
34(ll.0)‑
1.685‑≡ ≡ ≡ :
‑3. 〃
中( 大学で無)
129(41.7) ‑0.597 4. 〟( 大学で有)
29(9.3) ‑3.842 5. 〃多( 大学で無)
38(12.3) 0.409競 争
観 1.
2.3.2.肯定 競争 に参加 不参加 不明
234394(0(9.5(7(3174.6.1.7241)))) ‑0.‑0.0.0.440068334205I
ヽ■
1. 高校 までの勉強が得意
18(5.8) ‑0.973れ
」 2.やや得意
107(34.6) 0.094ま
3.ふつ う
131(42.4) ‑0.033で
4.やや不得意
45(14.6) 0.302受 け て
5.1. 不得意 高校 までの教育 に大 いに満足
38(2.8(12.63)) ‑0.0.222852き
2.どち らか といえば満足
129(41.7) ‑0.113た
敬
A
4.3.大 いに不満 どち らか といえば不満
1015(9(6.34.01
))
0.0.060143日
5.わか らない
18(5.8) ‑0.457敬 1. 教 師 にな りたい
140(45.3) 0.192 2.で きれ ばな りたい
68(22.0) ‑0.160 3.で きれ ばな りた くない
31(10.0) 0.442 4, な りた くない
19(6.1) ‑0.254育 つ に
5.1.( わか らない 現在 の 日本 の教育)深刻でない
521(2(7.16.51)) ‑0.‑0.468395しゝ 2.
やむをえない
68(22.0) ‑0.166 4.なん とか したい
84(27.2) 0.2445. わか らない
35(l
l.3) ‑0.299属 1
.2年次学生
257(83.2) ‑0.091 L2.3
年次以上 の学生
52(16.8) 0.4481. 小学校課程
145(46.9) 1.423 2.中学校課程
86(27.8)‑
1.138性
3.養護学校課程
13(4.2) ‑1.644 4.幼稚 園課程
17(5.5) ‑0.399 5.看護教員課程
15(4.9)‑
1.919 6.養護教諭課程
33(10.7)‑
1.562大学教育 における 「 学 びの疎外」の克服
意識調査であることに注意 して もらいたい。
図
9社会科学的知鼓
350300 250 200 150 100 50
0
・71
・、24≦ 良2
7
‑5
6も祭 : 湘l 4 ・ 0 . S ゝ s ∴ ; 箕2 6 6 2ミ 9 4 1 88 8 ヾ 3 ゝ 7 7
0. , A p f ∫ ′
I,:ググ ・彩′‑′.♂:夢二:
/ ‑ , ' ' y ' j ‑ 4 , J , / 3 1 4 タ . i . . 畠 ぎ ヾ ・さ ㌧ ヾ 、ヾ、 ヽ 07 札 ■ 翼 5 / . I . < . t i t : もご 226
'′214̀‑′./p̀′rZ,(
,
yi:
̲I
/' / I ‑ 1 / ' 7 1 ・ ′ 221‑ ‑ ノ 4: # " ' 1 ' 56 J モ . .9 l i l S ) 、 ち : ∴ 1 9 ■ , / 身■ 19 , i: 3 4 + : Z , 穿 ‑ 1 p ′ . 231
95
民 主 資 本 憲 法 戦後日本 日本 の 人間 に 環 境 性教育 太平 洋 人生の 主 義 主 義 の 歴 史 政 治 ついて 間 等 戦 争 意 味
E 3 祐按 までで学 んだ E j 大学 で学 んだ 固 まだ学 んでいない
教養部で講義が開講 されている 「日本国憲法」 と 「 環境問題」 に関 しては 「 大学 にきてか ら 学 んだ」とい う比率が高い。「まだ学んでいない」とす るもので高いのは 「 人間 について」と「 人 生 の意味」である 。 ( 「 人間」 は 「 大学 に きてか ら」が高 くなっている。)その他 は,「 高校 まで で学んで しまった」が過半数 を占め,受験勉強 を中心 とす る知識で もって これ らの認識がつ く
られていることを示 している。 いわば,新たな目での学 びなお しといった経験が少ない ことに 注 目す る必要がある。
+1 3
① 大学での学 び方
最 も範囲が広 く
(Range‑7.503)一番影響 しあっている要因であると認 め られ る. これ らの 知識 を 「 今 までに学んでない 」 ( 「 高校 まで 」 「 大学 にきてか ら」両方 とも低群)が最 も低 く,「 大 字でゼロ」 , 「 大学で少」 も低 い値 である。 これに対 して 「 大学である程度学んでいる」 , 「高校
まで よりも学んでいる数が多い」 は高い値 になっている。
l o l l
②
高校 までに学 んでいる数
比較的 に影響力の強い要因である
。(Range‑2.276)高校 までに学んだ という自覚が少ない も のほ ど高い値 になっている。
■t 5
③
大学 にきてか ら学んだ数
同上
。(Range‑1.808)② 丑か ら見て,学んで しまった という項 目を多 く持 っているものほ ど 関心 は低 くなっていることがわかる。
■1 6
④ まだ学んでいない とい う数
学んでいない とい う数が少ない方が高いが ( 項 目
1, 3, 5),大学で学んだ とす る数で分 け てみると,同 じ群で も大学で学 んだ ものがあ る と自覚 している群 は低 くなって しまう。 ( 項 目
2, 4, 6)
①か ら④ を総 じて,高校 までの勉強 で 「 学 んだ」 とい う意識 を持 って しまうと関心 は高 くな
らない。 これ は受験塾知識 の学びの弊害 ( 暗記中心で主体的な学 びになっていない)が示 され
ていることになるが,大学で学んだ として もその学び方 は次の関心 に結 びついてお らず,高校
まで と同 じ視点での学 びが続 いてい る とい う結果 を示 してい る。
1章 で示 した第
2の学 びの疎 外が大学 で克服 されていない状態 を現 してい る。
(2)
競争観 の構造
先行研究 として,久富善之氏 による数量化Ⅰ Ⅰ Ⅰ 類 を用 いた中学校教師 と中学生 の競争観 の構造 i : ‖ r ]
分析が あるので, これ を参考 に した。 それ による と,教師 の側 は 1軸 として 「 理念上 の競争 の 肯定 もし くは否定」 ( 肯定 ‑否定) ,
2軸 として「 現実 の競争 の厳 しさの把握」 ( ゆるやか ‑ さび しい) によって分類 され, 中学生 は,
1軸が 「 競争への参加 に関す る軸」 ( 参加 一降 りる) ,
2軸 は 「 競争 の否定的作用 に対 す る反応 の軸」 ( 安心 ‑不安)によって分類 されている。 そ こで こ の質問 と同 じもの ( 質間数
8で肯定,否定,
DK
を とる) を とってみたのが図
10である。
3.5教育学部学生 は久富調査 の両者が合わ さっ た ような分化 を見せてい る。 1軸 は ( 降 り る一参加) に近 く,
2軸 は ( 肯定 一否定) に近 い。 そ こで
1軸
・2軸 について ウェイ トの高 い ( プラス ・マイナス 1以上) の項 目を とってみ る と4種類 の似 か よった反応 パ ター ンが現れ るので ( 表
4),
1軸 マイナ ス
(「 不安 にな らない
」「 励 みにな らない」
「当然で ない
」)を競争不参加 回答群, 1軸 プラス
(「 一生影響 す る
」「 一番 にな りたい」
「当然
」「 励 みにな る
」「 序列良 くない と思 わ ない
」)を競争参加 回答群 とす る。 同様 に
2軸 も, マイナス
(「 受験 は他人 との競争 と は思わ ない
」「 バ ラバ ラにす る とは思 わ な い
」)を競争肯定 回答群, プラス
(「 バ ラバ ラにす る
」「 受験 は他人 との競争 だ
」)を競
図
10争否定 回答群 とし, それぞれの回答群 を全 て回答 してい る もの (
1軸 は
DKを含 む) と両者 に またが っていて明確 でない ものに分 けて項 目を設定 した。
①
競争へ の参加
参加意識 を持 っている ものが プラスで,降 りて しまうとマイナスになってい る。学 びのパ タ ー ンが受験競争 の延長である ことを示 してい る。降 りている もの は学ぶ こと自体 か らも遠 ざか ってい く傾 向 を示 してい る といえよう
②
競争価値 について
ほ とん ど影響力 を示 していない項 目 となってい る。競争 を否定 して も 「 競争 に対 す る新 たな +1 8
理念的批判 や競争 に変わ る価値選択」 を大学 に きて兄 いだ してい る とい う状況 にない ことがわ か る。
( 3) 自分 の受 けて きた教育 についての意識
(∋勉強が得意 であったか
大学教育 における 「 学 びの疎外」 の克服 表
497
学校の成績 は一生に大 き く影響する
何で もよいからクラスで 一番にな りたい
今の世の中では人 と競争 してい くのは当然だ
( 肯定)
1.4894( 肯定)
1.4464( 肯定)
1.3657・競争 は勉強の励みになる ( 肯定) 1
.1125序列 をつける競争 は良 く
ない
( 中略) 今の世の中では人 と競争
してい くのは当然だ
( 否定) 1
.1124( 否定)
‑1.4495競争 は勉強の励みになる ( 否定) ‑
1.5926他人の成績 と比べて安心
した り不安になったりす ( 否定)
一1.8310る
・競争 はみんなをバラバラ
にする ( 肯定)
3.2187・受験 は他人 との競争 ( 肯定)
1.8494( 中略)
・競争はみんなをバラバ ラ
にする ( 否定) ‑
1.2524・受験 は他人 との競争 ( 否定) ‑
1.53840.512
相関比
0.4255
段 階評価 で項 目をつ くったが, 「 得意」であった ものがいちばん低 い値 となってお り, 「や や不得意」がいちばん高い値 となってい る 。 ( 「 不得意」 は個数が少 ないので信用で きるデー タ になっていない。) 勉強がで きた と自覚 してい る ものの勉強 の仕方,何 を学 んで きたかが問われ る ことにな ろう
。②