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小笠原の「乾性低木林」とは何か

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(1)

小笠原の「乾性低木林」とは何か

清 水 善 和(駒澤大学総合教育研究部自然科学部門)

       要   約

 小笠原の乾性立地に成立する低木林と倭低木林のうちで、シマイスノキが優占し、特有 の随伴種群をもつ森林を乾性低木林とよぶ。乾性低木林は父島と兄島にまとまった林分が あり、とくに父島の中央山東平に希少種の分布が集中している。現在の立地は雲霧の発生 と密接な関係にあり、乾湿の絶妙なバランスの上にかろうじて維持されている。また、母 島南部や属島にある、シマイスノキを欠くが組成・構造が乾性低木林に近い低木林は、乾 性低木林に準ずる森林である。乾性低木林の構成種の多くは耐乾性を備えており、地中海 性気候の硬葉樹林に内容が近い。筆者による長期モニタリング調査では、近年の希少種の 減少、および全体の種多様性の低下傾向が認められる。

1.はじめに

 2007年1月、環境省は小笠原の世界自然遺産登録へ向けての第1歩となる暫定リストを ユネスコに提出した。その中で小笠原の「乾性低木林」とそこに生息・生育する動植物が 重要な価値の一つとして取り上げられた。乾性低木林は文字通りの意味では「乾燥した立 地に成立する低木林」であるが、小笠原の場合、ある組成構造をもつ特定の植生をさす 言葉として用いられている。筆者は小笠原の植生を一般向けに紹介する際に、「小笠原の 植生を代表する父島の乾性低木林と母島の湿性高木林」という表現をよく用いてきたため、

この言葉の定着にはある程度の責任がある。しかしながら、乾性低木林という言葉から受 ける印象は人によって様々であり、とくに小笠原の事情に詳しくない人にとっては誤解を 招きやすい言葉であるとも言える。そこで本稿では、筆者の考える小笠原の「乾性低木林」

について、その内容や分布、由来、更新様式等をまとめてみたい。

皿.範囲と内容

 一般に植生を立地環境(湿性、乾性)や優占種の生理・生態(常緑・落葉、広葉・針葉、

高木・低木)を組み合わせて類型化することが行なわれている。筆者は当初、相観(主に

樹高)に基づき、小笠原の森林(自然林)を1型(高木林)、II型(低木林)、 III型(倭低

(2)

木林)に分け、II型をさらにシマイスノキの優占するシマイスノキ型(IID型)とシマ シャリンバイの優占するシマシャリンバイ型(IIR型)とに区分した(清水・田端、1979)。

その後、聾島列島のII型はモクタチバナの優占する独特の内容をもつことからこれも一つ のタイプとして独立させ、1型とIII型の内容も整理して、最終的に7つの森林タイプを識 別するに至った(図1)(清水、2002)。また、これらを大きく湿性タイプと乾性タイプに 分け、湿性高木林や乾性低木林などの言葉でよぶことにした。

 さて、後述のように、シマイスノキ型の乾性低木林(図1のシマイスノキ・ムニンヒメ ツバキ型乾性低木林)は現在、父島列島の標高150m以上の山地平坦面を中心に分布する。

シマイスノキが優占するものの全体で30−40種の樹木が混生し、7つの森林タイブの中では もっとも種多様性の高い内容をもつ(清水、1989)。また、構成種の多くは小笠原固有種 であり(構成樹木の約80%が固有種)、小笠原全体で個体数が少なく国レベルの絶滅危惧 種に指定されている種も多く含まれている(清水、1999)。これに対してシマシャリンバ イ型の乾性低木林(図1のシマシャリンバイ・オガサワラビロウ型乾性低木林)は、シマ イスノキ型よりは低標高の谷や山腹の斜面、土壌が薄く不安定で乾燥した立地等に成立し、

シマシャリンバイの他、タコノキやオガサワラビロウなどが優占する(タコノキやビロウ

乾性低木林(狭義)

標高

シマシャリンバイ・オガサワラビロウ型乾性低木林  (シマシャリンバイ型) モクタチ六ナ・ヤロード型乾性

乾性

マツ・ム=ンヒメツバキ型湿性高木林1

1二次林

      環境

図1 小笠原の森林植生のタイプ分け

湿性

雲霧の発生

一2一

(3)

清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

の純林状の部分も含む)。シマイスノキ型に比べると構成種は少なく、固有種の割合も低 く、含まれる絶滅危惧種も少ない。両者の構成種を比較するとアカテツ、シマシャリンパ イ、タコノキ、テリハハマボウなど共通する樹種も多いが、それぞれ独自の構成種(随伴 種)も見られる(図2)。特に、シマイスノキ型には特有の随伴種群があり、シマイスノキ

の出現とともにシマイスノキ型乾性低木林のよき指標となる。筆者はシマイスノキ型の立 地環境が悪化する(より乾性し地表が不安定になる)とこれらの随伴種が順次脱落してい き、最後にはシマイスノキ自身も消失して、シマシャリンバイ型に移行すると考えてい

る。

ところで、シマイスノキ型乾性低木林の分布範囲の中で、基岩が露出し、土壌が薄く乾 燥の厳しい尾根的な立地には、上記III型の乾性倭低木林(図1のシマイスノキ・アカテツ 型乾性倭低木林)が成立する。ここでもシマイスノキがもっとも優占し、アカテツやアデ ク、タコノキ、テリハハマボウなど共通する種も多いが、全体に構成種数は減少し、樹高 は0.5−2mほどになって飼旬型や株立ち状の生育形をとるものが多くなる(清水、1989)。

また、コバノトベラ、ウチダシクロキ、ウラジロコムラサキなど、この植生タイプに特有 の固有種がみられるのも特徴である。ただし、周囲のシマイスノキ型乾性低木林との間に

シマイスノキ型 シマシャリンバイ型

アカテツシマシャリンバイアデクタコノキテリハハマボウコヤブニッケイ アツバモチムニンネズミモチキンショクダモムニンアオガンピタチテンノウメ

シマイスノキムニンヒメツバキシマホルトノキシマタイミンタチバナ オガサワラクチナシオガサワラモクレイシオガサワラボチョウジ ムニンノキコブガシムニンイヌグスノヤシシマムロムニンフトモモ

ムニンヤツデオオトキワイヌビワシロテツムニンシャシャンボトキワガマズミ シマギョクシンカシマカナメモチムニンビャクダンムニンツツジ

噛゜一 塔mメ厘≧ヲヨ⊇L∠圭≡1LSzt1cS 1之遡旦圭zpm11±:2

 一ジロコム■  マルバ  ミン  バ  (ハハジマトベラムニンクロキ)

ムニンゴシュユムニンイヌツゲナガバキブシ ムニンピサカキムニンノボタンオオミトベラ チチジマクロキシマムラサキ

ハツバキヤロードシマモチオガサワラピロウムニンエノキ ウラジロエノキセンダンシマムクロジアコウザンショウシマグワ モクタチバナトキワイヌビワシロトベラオオバシロテツ

オオバシマムラサキシマモクセイマルバナワシログミシマザクラ ヒメマサキオガサワラモクマオヒレザンショウ

図2 シマイスノキ型とシマシャリンバイ型の随伴種の分布パターン

   下線は乾性倭低木林の構成種、カッコ内は母島列島固有種を示す。

(4)

明瞭な境界はなく、組成、構造が移行的に変化するので、両者を一体として捉える見方も 成り立つ。とくに、小笠原の植生の成立過程を考える上では、その方が好都合である

(Shimizu,1992)。そこで、筆者は、これらのシマイスノキの優占する乾性低木林と隣i接す る乾性倭低木林とを合わせて、狭義の「乾性低木林」(Dystilium dry forest)とよぶこ とにした(図1参照)。ゆえに、以下、本稿で用いる乾性低木林はこの狭義のものを指す。

皿.植物社会学的植生区分との対比

 奥富ら(1983)は植物社会学的な手法に基づき、小笠原の植生をタイプ分け・体系化し、

諸島全域の詳細な植生図を作成した。筆者の考える乾性低木林(狭義)と奥富らの植生区 分とをつき合わせてみると図3のようになる。奥富らによればシマイスノキの含まれる森 林タイプは3つの群集に分かれる。このうち、コバノアカテツーシマイスノキ群集が乾性 低木林の大半部分と重なる。この群集の中のムニンヒメツバキ亜群集タチテンノウメ変群 集と典型亜群集タチテンノウメ変群集が岩場周辺の背丈の低い乾性綾低木林に相当し、残 りの部分がシマイスノキ型乾性低木林の中核をなす。あとの二つはムニンヒメツバキーコ ブガシ群集のシマイスノキ亜群集と岩上荒原植物群落の範疇に属するシラゲテンノウメ群 落である。前者は乾性低木林の中で比較的土壌の発達した湿性な沢筋に成立するムニンヒ

奥富ら(1983)の植生区分 対応する清水の植生区分

●全島に適用

 1.コバノアカテツーシマイスノキ群集  (1)ムニンヒメツバキ亜群集

 ①典型変群集一一一一一一一一一一一一シマイスノキ型乾性低木林  ②タチテンノウメ変群集一一一一一一一一乾性倭低木林

 (2)典型亜群集

 ①典型変群集一一一一一一一一一一一一シマイスノキ型乾性低木林  ②タチテンノウメ変群集一一一一一一一一乾性倭低木林

2.ムニンヒメツバキーコブガシ群集

(1)典型亜群集一一一一一一一一一一一一マツ・ヒメツバキニ次林

(2)シマイスノキ亜群集一一一一一一一一一シマイスノキ型乾性低木林 3.シラゲテンノウメ群集一一一一一一一一一乾性楼低木林

●母島列島のみ適用

 4.コバノアカテツームニンアオガンピ群集

 (1)典型亜群集一一一一一一一一一一一シマイスノキ型乾性低木林に準ずる  (2)タチテンノウメ亜群集一一一一一一一乾性蟻低木林に準ずる

図3 植物社会学的植生区分との対比

       一4一

(5)

清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

メツバキやコブガシを伴う比較的樹高の高い林分であり、後者はほとんど露出した基岩上 でシラゲテンノウメを除いては樹木類がほとんど生育できない部分である。筆者はこうし た部分も基本的にシマイスノキの優占する本体の低木林と一体となって森林を構成してい るととらえており、一括して乾性低木林としている。

 また、奥富ら(1983)は母島南部や属島(向島、姉島、妹島、姪島)によく見られる乾 性の低木林をコバノアカテツームニンアオガンピ群集に位置付けている(図3)。これは筆 者のシマシャリンバイ型乾性低木林の範疇に含まれるが、後述のようにシマイスノキを欠

くもののシマイスノキ型の随伴種のいくらかを含み、組成、構造ともにシマイスノキ型乾 性低木林と共通する点も多いので、シマイスノキ型からシマシャリンバイ型への移行的な 植生(父島列島の乾性低木林に準ずる内容をもつ森林)であると考えられる(清水、

1994)。

 奥富ら(1983)の植生区分と植生図にその後の調査結果や植生変化を加えて修正した植 生図が環境省のホームページ(小笠原のGISデータhttp://ogasawara.prec.co.jp/

ogasawara.data.html)で公表されている。こちらとの対応関係では、コバノアカテツーシ マイスノキ群集、ムニンヒメツバキーコブガシ群集オガサワラモクレイシ亜群種シマイス ノキ変群集、岩上荒原植物群落の三つがほぼ筆者の乾性低木林と重なっている。

N.分布

1.父島列島

 現在、乾性低木林(狭義)がもっとも広い面積でまとまって分布するのは父島列島の父 島と兄島である。父島では中央部の中央山東平(尾根、沢の入り組んだ平坦一緩傾斜地)

にもっとも大きな分布があり、その続きとして北部の夜明平から奥村稜線部にかけて比較 的まとまった分布がある(ShimiZu,1992)。これらは概ね標高150m以上の山地平坦面上に 位置しており、島を南北に走る主稜線の東側に面している(図4)。父島の南部や西部のそ の他の地域では、やはり標高150m以上の山地の尾根的な部分に断片的な分布が見られる

のみである。

 一方、兄島瀬戸をはさんで父島の北隣りに位置する兄島では、島を取り巻く海食崖の上

(標高120m以上)にある広い山地平坦面のほぼ全域を乾性低木林が覆っており、小笠原で もっとも広くまとまった分布地となっている(清水、1991)。さらに、北方の弟島にも数 カ所のごく断片的な分布がみられるが、それらは父島南部の断片的な分布の状況とよく似

ている。

 乾性低木林に随伴する個々の種の分布を調べてみると、父島の中央山東平にもっとも多

(6)

  父島列島、

     ノ  o 、

      笥\

一卿m

母島列島

}グ

向軟Pζ ,へ、

      図4 乾性低木林の分布

黒塗り部分:乾性低木林、斜線部分:乾性低木林に準ずる低木林 破線は海底の一100mの等深線を示す。

くの種の分布が集中し(全ての随伴種が出現)、あたかもここが分布のセンターになって いるかのようであった(清水、1989)。図5に父島、兄島、弟島で筆者が確認した乾性低木 林の随伴種の分布を示す。随伴種の中にはチチジマクロキ、オオミトベラ、ナガバキブシ など父島では中央山東平付近だけに分布が限られるものがある一方、シマタイミンタチバ ナ、オガサワラモクレイシ、オガサワラクチナシなど周辺の断片的な分布地にまで広く出 現するものもある。全体としては周辺にいくほど随伴種の種数が減少し林分の組成が単純

になる。

 兄島においても似たような傾向が見られる。従来父島だけの分布とされていたチチジマ クロキやムニンフトモモなどが筆者らによる1980年代の調査で兄島でも見つかり、しかも 兄島中央部平坦面の東寄りの部分が多くの種の集中するセンター的な場所であることがわ かった。ただし、父島の中央山東平に比べると兄島における随伴種の個体数密度は低く なっており、全体に衰退傾向にあることが推測される(清水・安井、1992)。ちなみに、

弟島の断片的な乾性低木林では、父島の周辺部の分布に見られるのと同じようなごく限ら

一6一

(7)

清水 小笠原の「乾性低木林」とは何か

種名

ムニンノボタン オオミトベラ

ウチダシクロキ ウラジロコムラサキ マルバタイミンタチバナ チチジマクロキ ナガバキブシ アツバシロテツ シマムラサキ ムニンフトモモ

トキワガマズミ ムニンヤツデ ムニンイヌツゲ オガサワラモクレイシ コバノトベラ

ムニンビャクダン シマカナメモチ ムニンノキ シロテツ

シマタイミンタチバナ オガサワラボチョウジ オガサワラクチナシ ムニンピサカキ ムニンゴシュユ

十十十 十十十

十 十

十十 十十 十十十 十十十 十十十 十十 十十 十十

父島

 Y

C:中央山東平、Y夜明平、0:奥村稜線部

0

 十

十十十十十十

兄島

十十十十十 

+++:比較的多い、++:少ない、+:非常に少ない

(+)は乾性低木林以外の場所で確認したもの。

    図5 乾性低木林の随伴種の分布パターン

弟島

++++

れた随伴種しかみられない。

 今から約2万年前の最終氷河期最盛期には海面が100mほど低下し、父島列島の父島、兄 島、弟島は完全に一つながりの島になった(図4参照)。当時はほぼ一つにつながった各島 の山地平坦面上に乾性低木林が今より連続的にまとまって分布しており、随伴種の分布も 広い範囲にわたっていたと思われる。しかし、後氷期になって海面が上昇し、海峡が成立 して3島が分断されると、一番標高が高く乾性低木林に適した環境がかろうじて残る中央 山東平で多くの種が残存する一方、乾燥の厳しい低標高の周辺部では分布が縮小、分断さ れ、それとともに随伴種も脱落していったと推定される。種数一面積関係からみても断片 的になった小面積の分布地においては安定して維持できる種数が小さくなることが予想さ

れる。

 父島より全般に山地平坦面の標高の低い兄島は、面積的には小笠原で最大のまとまった

乾性低木林が残っているが、希少種の衰退傾向という点では父島の一歩先を行っているよ

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うにみえる。

2.母島列島

 シマイスノキの優占する乾性低木林(狭義)はわずかながら母島列島にも存在する。母 島では北部の東山の稜線部分にややまとまって出現し、中央の脊梁山地を飛び越えて、南 部の中ノ平周辺の数カ所に断片的な分布が見られる(図4)。父島の中央山東平で見られる 随伴種の多くは欠けているが、随伴種の中でも分布の広いシマタイミンタイチバナやオガ サワラクチナシ、ムニンノキなどは母島でも乾性低木林によく出現する。また、父島列島 のオオミトベラに代わって、母島の乾性低木林には母島固有のハハジマトベラが生育する。

ムニンビャクダンも概ね乾性低木林と重なる分布を示す。また、母島属島の向島、姉島、

妹島、姪島にもごく断片的にシマイスノキが出現し(筆者は妹島と姪島でのみ確認)、上 記の随伴種も現れる(清水、1994)。

 ところで、母島南部の南崎周辺や上記4つの属島にはシマイスノキ型乾性低木林とよく 似た相観をもつ低木林が広がっているが、シマイスノキ自身は存在しない。構成種を比較 すると母島の乾性低木林で見られる随伴種がこちらにも含まれており、さらに、母島列島 固有のハハジマトベラや父島列島のチチジマクロキに対応すると考えられるムニンクロキ

(向島のみの固有種)が出現するなど、シマイスノキ型とシマシャリンバイ型との中間的

(移行的)な内容であることがわかる。ちなみに、母島列島では父島列島の乾性倭低木林 に含められる植生はほとんど見られない。乾性倭低木林の指標の一つとなるシラゲテンノ ウメが母島東山稜線部と妹島、姪島の一部にかろうじて分布するに過ぎない。

 母島列島においても最終氷河期の海面低下時にはすべての属島が一体化していたことが 海底地形から読み取れる(図4参照)。そこで、母島列島においてもかつてはシマイスノキ の優占する乾性低木林が今より連続的、広範囲に分布していたが、その後海面の上昇とと

もに島の標高が下がったため低地の乾燥化が進んで母島南部や属島の乾性低木林は衰退し

(シマイスノキや随伴種の多くが消失)、かろうじて一定の標高(100m以上)のある尾根 筋にのみ残存するようになったと考えられる(清水、1994)。ちなみに、母島本島は全体

に湿性であるので土壌条件のよい場所には湿性高木林が、また、標高のより高い雲霧帯的 な環境にはワダンノキ群落(湿性倭低木林)やモクタチバナ型の低木林が成立している。

 こうしてみると母島南部や属島に広くみられる乾性低木林に類似した低木林は、シマイ スノキ自身と多くの随伴種を欠く点では狭義の乾性低木林から外れてしまうが、以上の歴 史的な経緯をふまえ、かつ、ハハジマトベラやムニンクロキなどの母島列島固有種を含む ことを考えると、乾性低木林に準じた位置付け(母島型の乾性低木林)として、適切な保

一8一

(9)

清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

護・保全をすべき存在であるといえる。

3.聲島列島

 聾島列島の聾島は戦後のノヤギの食害により植生が破壊され、返還後は谷筋を中心にわ ずかに森林が残存するのみとなった。筆者はこの残存植生の調査を行なった結果、モクダ チバナが優占しウドノキやシマホルトノキなどを混生する点は母島の湿性高木林に近い が、樹高は6m以下の低木林であり、立地環境も概ね乾性であることがわかった(清水、

1993)。そこで、このタイプの森林をモクタチバナ型として独立させ、乾性タイプと湿性 タイプの植生の中間に位置付けた(清水、2002)。モクタチバナの優占する低木林は父島 や母島にも局所的にあるので、この低木林は聾島列島特有の森林タイプであるとは言えな いが、母島の湿性高木林を寸詰まりにしたような内容は大変ユニークである。

 また、同じ調査で智島の基岩の露出した谷筋の一角にシマイスノキを伴う乾性低木林

(狭義)も見つけた。シマイスノキの個体数はわずかでシマシャリンバイ型の構成種が多 く含まれるが、シマタイミンタチバナやムニンシャシャンボなどのシマイスノキ型の随伴 種もわずかながらあり、ムニンヒメツバキも1本だけ認められた(清水、1993)。その意味

でここはまさに響島列島で最後に残ったシマイスノキ型乾性低木林の片鱗であると考えら れる。ノヤギの食害以前に聾島列島でシマイスノキ型乾性低木林がどの程度広がっていた のかは確かめようがないが、氷河期までさかのぼればやはり今よりは広い分布があったと 考えるのが妥当である。ちなみに、ノヤギの食害による植生破壊がいっそう進んだ媒島で は、シマイスノキ型乾性低木林は見られなかった。

V.立地環境(本当に「乾性」か)

 乾性低木林の「乾性」は、小笠原において湿性高木林と比べた場合に「より乾燥した立 地に成立する」という意味であり、あくまで小笠原の中での相対的なものである。日本全 体あるいは世界全体の植生に照らし合わせて「乾性」かどうかは考慮されていない。実は 1980年の旱越の際に、乾燥に強いはずの乾性倭低木林の構成種、とくにシマイスノキやウ チダシクロキなどが集中的に枯れて奇妙に感じたことがあった(清水、1982)。その後、

乾性低木林が本当に「乾性」なのかどうか考察するうちに、次のような仮説が浮かんでき た。すなわち、乾性低木林の原型は現在より諸島全体が大きく標高も高かった時代により 湿性な環境(雲霧帯)で成立した森林であり、その後の侵食による島の縮小、低平化に 伴って雲霧帯が消失する過程でより乾燥した環境に適応しつつ現在の姿に変わってきたと

いうものである(清水、2002)。

(10)

 現在、父島の乾性低木林は概ね標高150m以上の山地平坦面上に分布している。標高 150mは雲底の高さにほぼ対応し、かろうじて雲霧帯的な環境が保たれている高さでもあ る(Shimizu,1992)。とりわけ5−6月の梅雨時にはこの高さ以上に終日雲がかかり湿性な 環境が持続する。真夏のかんかん照りの乾性低木林は名前の通りの乾燥した世界であるが、

梅雨時の雲に包まれた乾性低木林はまさに雲霧林の趣がある。ハワイ諸島の山腹にある広 大な雲霧帯のオヒア林(ハワイフトモモ林)には、林床に湿地を好むスゲやイグサの仲間 が生育している。小笠原の乾性低木林の林床にもクロガヤ、ムニンナキリスゲ、ヒゲスゲ、

イヌノハナヒゲ、シマイガクサ、ヒラアンペライ、ムニンアンペライなど属レベルで共通 した種類が多く見られる。

 また、父島の乾性低木林には母島では標高350m以上の主稜線部の雲霧帯にのみ現れる 樹種が含まれている。ムニンヤツデ、ハザクラキブシ(父島ではナガバキブシ)、ハハジ

マノボタン(父島ではムニンノボタン)などがそれである。父島の郷閾山の一角にのみか ろうじて残存するムニンツツジも、おそらくはかつての乾性低木林の雲霧帯的な部分に生 育していたのであろう。現在、父島のムニンノボタンやムニンッッジはほとんど絶滅の瀬 戸際にある。こうしてみると、小笠原の乾性低木林は単純に乾性な立地に成立する低木林 ではなく、1年を通して湿潤な時期と乾燥の厳しい時期とが交じり合う微妙なバランスの 上にかろうじて成り立っている植生であることがわかる。単純に乾性な立地にはより乾燥 に強いシマシャリンバイ型の低木林が成立する。

 おそらく長年月をかけて湿性な樹林から乾性な低木林へと植生全体が変化する中で、乾 燥に耐えられずに絶滅した種もあったであろう。なぜ、現在、小笠原の乾性低木林には絶 滅危惧種が多く含まれるのか。その理由は、過去の人為による植生破壊や環境改変の影響 もあるだろうが、根本的には地史的な時間の流れの中で起こった島全体の乾燥化の中でか ろうじて生き残ってきたものが多いからではないだろうか。父島で原産地に植え戻された ムニンノボタンやムニンツツジの人工苗が、成長して花を咲かせ種子をつけるまでにはな るが、落下した種子による新たな実生が一向に定着できないのは、実生の成長にとって現 在の環境が乾燥しすぎているせいである可能性が高い。地球温暖化ともからんで今後いっ そう気候の乾燥化が進めば、乾性低木林の構成種の絶滅が相次ぐ恐れが大きい。

 乾性低木林の立地環境でもう一つ気になることは、地質との対応関係である。海野

(2004)の父島と兄島の地質図を見ると、無人岩(ボニナイト)の分布と乾性低木林の分 布がかなりよく一致する。この分布は父島や兄島の山地平坦面とも対応するので、無人岩 の侵食のされ方に特有なものがあって山地平坦面が形成され、その環境が乾性低木林の成 立を促したのかもしれない。あるいは、無人岩はマグネシウム含有量が高い特徴があるの

一10一

(11)

清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

で植物にとっての栄養面で何か特別な影響がある可能性も考えられる。ただし、母島列島 には無人岩が分布していないので、地質と植生との対応関係は一筋縄ではいきそうもな

い。

W.由来と成立過程

 現在の乾性低木林を構成する多くの樹種は、東南アジア、台湾、沖縄にかけて広く分布 する照葉樹林のメンバーとの共通性が高い。豊田(1981)は必ずしも真の類縁関係を示し たものではないと断った上で、小笠原の72種の植物と沖縄における対応する種類の一・覧表 を作成している(乾性低木林以外の植生タイプの構成種も含む)。多くの種は小笠原固有 種になっているが、アカテツやモクタチバナなど両地域で同種の扱いのものもある。おそ

らく小笠原の乾性低木林の原型となった森林は、大陸方面から大挙してやってきた照葉樹 林のメンバーが元になったと考えて間違いない。

 ところが、現在の小笠原固有種の多くは沖縄の対応種と比べて、葉が小型・肉厚で表面 に厚いクチクラ層をもつ特徴がある。ウラジロコムラサキやシラゲテンノウメなどのよう に葉に毛が密生する種もある。こうした特徴は明らかに乾燥に対する適応形態であると考 えられ、このような「耐乾性をもつ常緑樹からなる低木林」を世界的な植生区分では硬葉 樹林(sclerophyllous forest)とよんでいる。硬葉樹林は世界の大陸西岸、中緯度に現れる 地中海性気候(夏は暑く乾燥し、冬は温暖で多雨)に特徴的な植生であり、本場の地中海 沿岸の硬葉樹林ではオリーブ、ゲッケイジュ、コルクガシなどがお馴染みの構成種である

(大沢、2003)。小笠原の乾性低木林が硬葉樹林に類似しているという指摘は、返還直後に 行なわれた総合的な植生調査の報告書中の「小笠原の乾性立地の低木林は地中海地方の マッキーやガリグに相当する」との記述にも見られる(沼田・大沢、1970)。

 日本には地中海性気候はないので世界標準の硬葉樹林は存在しないが、小笠原の乾性低 木林はこれに似た唯一の事例であると考えられる(本土では唯一、西南日本沿岸のトベラ やシャリンバイを含むウバメガシ林が組成・相観的に硬葉樹林の片鱗をみせる)。おそら く小笠原の夏季の厳しい乾燥と冬季の温暖・多湿な気候が地中海性気候に通じるところが あり、類似した植生が実現したのであろう。こう考えると、小笠原にやってきてまずは雲 霧帯の照葉樹林を作った植物たちが、島の長期的な乾燥化の中で乾燥適応を果たしながら 固有種となり、全体として硬葉樹林(乾性低木林)を構成するようになっていったという 道筋が見えてくる。

 ところで、乾性低木林の中でも立地的にさらに乾燥の厳しい乾性倭低木林に変わったと

ころでは、この新しいニッチに進出して種分化を起こすものが現れた。乾性低木林の構成

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種であるオオミトベラ、シマムラサキ、チチジマクロキ、シロテツ、シマモチ、シマタイ ミンタチバナは、乾性倭低木林のコバノトベラ、ウラジロコムラサキ、ウチダシクロキ、

アツバシロテツ、アツバモチ、マルバタイミンタチバナにそれぞれ対応しており、平行的 な種分化が起こったと考えられる(Shimizu&Tabata,1991)。

W.更新様式

 筆者は1977年に父島の夜明平の乾性低木林内に50mx50mの調査区を設け、詳細な毎木 調査を行なった結果、林内には大小様々な林冠ギャップがあり、そこを新たな稚樹が埋め ることで森林の更新(世代更新)が行なわれる「ギャップ更新」が主な更新様式であると の結論をえた(Shimizu,1984)。また、ギャップを作り出す撹乱現象としては単木的な親 木の枯死が中心であると推定した。一方、1976年に中央山東平に30mx30mの永久方形区 を設け、1986年、1997年に再調査を行なうことで約10年ごと21年間の森林の変化をモニ タリングし、乾性低木林の更新様式について新たな知見を得た(清水、1999)。

 まず、最初の10年間に起こった事象として、1980年夏の旱越(5− 11月の雨量が平年の 18%)の影響がある。この乾燥の影響で調査区の林床の実生、稚樹に枯死するものが多く あり、また生残した個体の成長量も低下した(Shimizu,1985)。次に、森林の構造にもっ

とも大きな影響を与えたのは、1983年11月に小笠原を直撃した台風17号による被害であ る。林冠を構成するシマイスノキをはじめ、多くの樹種で幹が折れたり枝が飛ばされたり して、樹冠が先枯れ状態となった。そのため全体的に林床が明るくなりムニンヒメツバキ やムニンアオガンピなど陽性樹種の稚樹の数が増加した(清水、1999)。損傷した樹冠の 多くは、次の10年間で徐々に回復したが、そのまま衰退・枯死した個体もみられた。また、

1984年と1997年にオオシラホシアシブトクチバという蛾が大発生し、アカテツを選択的 に食害したため、一時的にアカテッの樹冠が軒並み丸坊主になる現象が起きた。そのため、

この21年間で、親木から稚樹、実生までアカテッの枯死個体が目立った。

 1984年には返還後で唯一のシマイスノキの実り年があり、大量の種子が生産された後、

1986年春までに落下した種子から大量の実生が発生した。調査区内でも1平方メートル当 たり50個体を越える実生が密生するところもあった。これらの実生は1990年夏の旱魑の 際に多くが枯死したが、生き延びて徐々に成長し、現在稚樹段階に達したものも見られる。

また、この事象でもう一・つわかったことは、シマイスノキの種子散布能力が極めて小さい ということである。上記のようにシマイスノキの親木のある場所では大量の実生が発生し たのに対して、永久方形区から50mも離れていない別の調査区(シマイスノキの親木はな い)には当時ほとんど実生が現れなかったのである(清水、2007)。表面がすべすべで小

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清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

型のシマイスノキの種子は硬い果皮の先端が裂けると親木の周りに落下するので、基本的 な散布様式は重力散布だと推定される。乾性低木林の分布を考える上でこのシマイスノキ の種子散布能力の低さは重要な要素である。

 21年間のモニタリング調査で確認されたもう一つの重要な事実は、もともと総個体数の 少なかった多くの希少種(大半は絶滅危惧種に指定)がこの期間でさらに個体数を減らし たことである。オオミトベラやシマムラサキなどは当初の5分の1まで減ってしまった

(清水、1999)。これらの希少種では新たな実生や稚樹がほとんど見られないので、世代交 替がうまく機能していない。このままでは親木の枯死により種そのものが消滅することに

なる。これらの希少種は小笠原の中でも中央山東平が分布の中心となっているものが多い ので、ここで消滅することは小笠原から絶滅することを意味する。この減少の理由として 人為的なものは考えにくく、筆者は戦前の気候条件と比べて返還後は年間平均降水量が 340mmも減少して乾燥気味であること、しかも1980年や1990年に見られたような極端な 旱越も頻繁に起こるようになったことが主な理由ではないかと推定した(清水、1999)。

前述のように乾性低木林が雲霧帯と結びついた微妙なバランスの上にかろうじて成り立つ 植生であるとすれば、返還後の乾燥に傾いた気候条件は多くの希少種の生存にとって厳し

いものになっていると考えられる。

ve.外来生物の影響

 小笠原で問題視される外来植物として、アカギ、ギンネム、キバンジロウ、リュウキュ ウマツ、モクマオウなどが上げられる。上記中央山東平の永久方形区では設定当初点々と リュウキュウマツが侵入しており、在来種の林冠から樹冠を突出させる個体も見られた。

それらはその後成長して横に伸びた樹冠が周囲の在来種を圧迫したり、堆積した落ち葉が 林床の草本や樹木の実生の生育を阻害したりするケースもあるが、森林全体としてはそれ ほど深刻な影響は出ていない。また、リュウキュウマッは陽樹なので閉鎖した林冠下では 実生や稚樹が長く生残はできない。さらに、1980年代初めの松枯れ現象(マツノザイセン チュウの侵入による一斉枯死)により調査区周辺のマツ親木の多くが枯死したので新たな 種子の供給も減り、最近まで調査区内のマツの個体数は増えていない(全体としては減る 傾向にある)。

 リュウキュウマツと似た樹形をもつモクマオウも陽樹的性格が強く、林冠の健全な乾性

低木林の中にはほとんどみられない。しかし、リュウキュウマツとともに乾性倭低木林の

ある岩場の開けた場所には積極的に進出・定着して在来種を圧迫している。両種とも開け

た場所では横に枝を張り出した大きな樹冠を作り、地表に落ち葉を厚く積もらせるので、

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岩場付近に生育するウラジロコムラサキ、コヘラナレン、ムニンタイトゴメなどにとって は脅威となっている。

 ギンネムは人家周辺や舗装道路の路肩など人為により徹底的に撹乱された場所に進出し て純群落を作る。一度群落ができると在来種による植生遷移が進まず、ギンネム林の状態 が長く続く。最近になって、同齢林における寿命による一斉枯死と思われる現象が各地の ギンネム林で発生しているが、ギンネムから在来樹種への更新は観察されていない(山村 ら、1999)。ギンネムは乾燥した立地にも定着できるので乾性低木林に進出してもおかし くはないが、林内のギャップにたまに見られる程度で大きな脅威とはなっていない。おそ らく、ギンネムも陽樹的な樹種なので林冠が健全な乾性低木林の林床では実生が育たない こと、また、基本的に重力散布であるので親木の周辺にしか分布を広げられないため乾性 低木林内部まで種子が届かないことなどが理由として考えられる。

 アカギとキバンジロウはどちらかというと湿性な環境で旺盛な成長を示す。両者は鳥散 布型の種子をつけるので乾性低木林の調査区内にもたまに実生が出現するが、早晩消滅し てしまう。おそらく乾性低木林の夏季の厳しい乾燥に実生が耐えられないのだと思われる。

ただし、乾性低木林の立地の中の沢筋などには定着する可能性がある。

 外来動物としてはノヤギの影響が大きい。ノヤギは岩場とその周辺のやや開けた場所で 採食する傾向があるので、とくに岩場周辺の乾性倭低木林には大きな影響がある。こうし た環境に生育するウラジロコムラサキ、オオハマギキョウ、オガサワラアザミ、シマカコ ソウ、コヘラナレンなどは選択的に食べられ、父島ではほとんど絶滅してしまった。それ に対して調査区のある中央山東平の乾性低木林の内部では、2007年8月の調査でノヤギの 食痕のあるタコノキ稚樹やスゲ類を確認したが、タコノキ以外の樹木類への深刻な影響は 観察されなかった。ただし、阿部・和田(2007)は、近年ノヤギが中央山東平の乾性低木 林に侵入するようになったと述べ、最近5年問のナガバキブシの個体数減少の原因として 第一にノヤギの食害をあげているので、ノヤギの動向には今後とも注意が必要である。

】X.まとめ

 小笠原の植生の中で、比較的乾性の立地に成立する低木林と倭低木林のうちで、シマイ スノキが優占し、特有の随伴種群をもつ林分を狭義の「乾性低木林」(シマイスノキ型)

とよぶ。乾性タイプの低木林には他にシマシャリンバイ、タコノキ、ビロウなどが優占す るシマシャリンバイ型があり、環境条件がより厳しくなるとシマイスノキ型からシマシャ リンバイ型へ組成・構造が移行すると推定される。

 乾性低木林は聾島、父島、母島の3列島すべてに認められるが、父島列島の父島と兄島

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清水:小笠原の「乾性低木林」とは何か

にもっとも広くまとまった林分がある。とくに父島の中央山東平の乾性低木林は多様な構 成種(随伴種の全て)が生育しており、分布の中心となっている。一方、人為の影響の深 刻な父島と違って、兄島は島全体に原生状態の乾性低木林が広く残っており、保護上貴重 な存在である。これらの比較的まとまった分布地から外れた父島南部や弟島ではごく断片 的な分布しか見られず構成種も貧弱である。また、母島列島では母島の北部と南部、およ び属島に乾性低木林の断片的な分布がある。ただし、母島南部や属島にある、シマイスノ キを欠くが組成・構造が乾性低木林に近い低木林は、本来の乾性低木林に準じて扱うべき

ものである。なお、響島列島の乾性低木林はほとんど消滅寸前の状態である。

 乾性低木林を構成する40ほどの樹種のほとんどは東南アジア、台湾、沖縄にかけての照 葉樹林の構成種に対応するものがある。ただし、小笠原の樹種は多くが固有種になってお り、沖縄の対応種と比べて形態・生理・生態の面で耐乾性を備えている。すなわち、世界 的な植生類型からすると小笠原の乾性低木林は地中海性気候の硬葉樹林にもっとも近い。

筆者は、大陸方面から小笠原に渡った照葉樹林のメンバーが、まず、当時は今より大きく て標高も高かった小笠原のとくに雲霧帯的な部分で照葉樹林を構成し、その後、島の低平 化、雲霧帯の縮小、生育環境の乾燥化のなかで乾燥適応していき、乾性低木林(硬葉樹林)

を構成するようになったという道筋を考えている。おそらく小笠原の3列島全体において 乾性低木林が今よりも広くかつ連続的に分布していた時代があり、その後、分布の分断、

縮小が進んで現在のような状態になったと推定される。

 現在の乾性低木林の分布は雲底の高さに対応する標高150m以上の山地平坦面や尾根筋 にあり、雲霧の発生と密接な関係がある。父島の中央山東平は3列島の乾性低木林の中で はもっとも高い標高にあり、雲霧帯的な環境(とくに梅雨時)がかろうじて残っている場 所である。乾性低木林は1年を通して乾燥と湿潤の時期が混ざり合った微妙なバランスの 上に維持されており、通常の夏季の乾燥には十分耐えられるが長期間の旱越には意外に脆 い面がある。戦前に比べると近年は気候の全般的な乾燥傾向が見られ、極端に降水量の少 ない旱魅の頻度も高まってきている。実際に1970年代に比べると中央山東平の希少種が個 体数を大幅に減らしているデータが得られている。2007年8月に実施した筆者による中央

山東平の乾性低木林(永久方形区)の31年目のモニタリング調査でも、全体の種多様性が 減少する傾向が確認された(清水、未発表データ)。実は父島より標高の低い兄島では、

すでに希少種の多くが非常に稀になってきており、分布地も限られている。その意味で父 島の乾性低木林でも 兄島化 が急速に進行しているといえる。

 本稿では触れなかったが、乾性低木林は鳥類、昆虫類、陸山貝類など小笠原の固有動物

の生育場所としても重要であり、小笠原の自然の要であるといっても過言ではない。今後

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も乾性低木林を多様性の高い状態に維持していくためには、できるだけ広い範囲をまと まった状態で残すことが肝要であり、絶滅危惧種についてはその存続に関して何らかの人 為的な手助けが必要であると思われる。

      文   献

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参照

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