はじめに
かつて国際的な不等価交換について議論が行われたとき、それは主に先進 国と後進国との貿易について、後進国が不当な収奪をされているということ を示すためのものであった。そして、その議論では、いわゆる不等価交換が 実質賃金の格差がもたらす交易条件の悪化を意味するものであるとして整理 され、一応の決着を見たといえよう。
しかし、現在の世界では経済のグローバル化の進展とともに、いわゆる中 進国と先進国との間で貿易の進展が注目を集めるようになっている。こうし た貿易は中進国の経済成長に資するものとして肯定的に捉えられることがあ る一方、各国の経済進歩の度合いに応じた所得格差が問題視されることもあ るのである。また、グローバル化自体、貿易による経済状況の悪化を懸念す る立場から批判の矢面に晒されることすらある。
本稿では、マルクスによる記述から始まり、主にマルクス経済学者によっ て議論が行われた国際的不等価交換論の論旨を振り返るとともに、サミュエ ルソンや根岸隆による新古典派の側からの整理を再考し、現代においてその 議論にどのような意味を見出せるかを示すことにしたい。
国際的不等価交換の論理
山 崎 好 裕*
*福岡大学経済学部
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1.マルクスの記述とその解釈
マルクスによる国際的な搾取の問題について、その記述は極めて少ない。
というのも、マルクスは国際経済や貿易の理論を構築する構想は抱いていた ものの、結局そのプランを完成させることはなかったからである。
しかし、彼の場合、国内的に見られる資本家による労働者の搾取という論 理を2国間の関係に広げるというかたちで議論が展開されていることは間違 いない。
マルクスは「一国において資本主義的生産が発展していれば、それと同じ 程度において、そこでは労働の国民的強度及び生産性も国際的水準以上に高 くなっている」1として、各国の経済発展の度合いにおいて労働生産性に違い があることを述べる。その上で、「異なる諸国で等しい労働時間に生産され る同種商品の異なる分量は、不等の国際的価値をもち、これらの価値は種々 に異なる価格をもって、すなわち国際的価値の如何に応じて異なる貨幣額を もって表現される」2とした。ここでは同種の財が異なった価格を持つがゆえ に不等価とされているが、異なった財であっても両国でその労働生産性に違 いがあればそれは不等価交換であると主張しているように見て間違いはない だろう。
また、マルクスは別の箇所で、リカードの議論でも「ある国の三労働日は 他の国の一労働日と交換されうることを考察している」3ことを引き、そのよ うな場合に「より富んでいる国が、より貧乏な国を搾取することに」4なると している。そして、このことは「たとえ後のほうの国が交換によって利益を
1カール・マルクス『資本論』(3)、向坂逸郎訳、岩波書店、425ページ。
2同上。
3カール・マルクス『剰余価値学説史』(3)、岡崎次郎・時永淑訳、大月書店、
202‐203ページ。
4同上。
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得るにしても」そうだと、わざわざ念を押してさえいるのである。
だが、マルクスは国際貿易とは場面を異にする一国内の労働の質の相違に ついては、具体的有用労働を抽象的人間労働に還元するというレトリックで 量的なものに読み替える操作をしていた。それが、なぜ国際貿易で異なった 国同士の労働の還元になるとできないということになるのかが説明されなけ ればならないだろう。
実際、完全競争の下で財の価格がその生産コストにまで押し下げられた状 況を考え、生産要素は労働のみであるとするなら、その場合、財の価格は、
各国の労働投入係数にそれぞれの賃金を掛け合わせたものに等しくなる。も し、同一の財を両国で作っていれば、国際貿易においてそれらの価格は等し いから、両国の賃金の比率は労働投入係数の比の逆数に等しくなるはずであ る。つまり、生産性の高い労働はそれだけ多くの量の労働として社会的に評 価されていると理解することもでき、その場合には労働で考えた不等価交換 も搾取も存在しないとなりそうなのである。
このあたりを整合的に解釈するとしたら、次のような方法しかないのでは ないだろうか。すなわち、同一国内の労働密度や作業内容の相違は、一つの 経済システムの中の異なった労働と考えられるのに対して、同一の財を作る ときの他国の労働との比較では、全く異なったシステムでの労働という違い があるということだ。具体的には、前者では実際に労働を行っている人々の 働き方の違いに賃金格差の理由があるのに対して、後者では、そうした働き 方の違いというより、勤労者には如何ともしがたい、その国の技術水準や教 育水準ということに理由があり、そのことを以って勤労者の受け取る賃金水 準の違いを正当化できないという解釈である。
このように考えれば、マルクスの国際的不等価交換論のエッセンスは、そ れが労働価値で評価されるべきかどうかや不等な労働条件が強制されている かどうかということにあるのではないということになるだろう。要は、国際 国際的不等価交換の論理(山崎) −15−
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貿易の仕組みのなかで、国ごとに財の労働生産性に相違があり、そのことが 賃金水準の相違に繋がるということを示すことが重要なのである。そして、
極端な国際的所得格差が持続しないようにしながら、自由で双方の利益にな る国際貿易関係をどのように構築していくかを提言することが必要であると 考えられる。
2.エマニュエルとサムエルソン
日本において1950年代から1960年代初めにかけて、名和統一、木下悦二、
行沢健三、松井清などのマルクス経済学者の間で行われた国際価値論争とは 別に、エマニュエルは1970年代初めに国際的不等価交換の議論を提起し5、 これを巡って欧米においてもこうした論戦が行われたことがあった。
エマニュエルは著書のなかで二つの形態の不等価交換を定義している。一 つは、剰余価値率は等しいが資本の有機的構成が異なる2国間でのものであ り、もう一つは剰余価値利率が異なる2国間でのものである。エマニュエル は後者の方が重要であると考えていた。ちなみに、剰余価値率と資本の有機 的構成はマルクスの経済理論のなかで使われる概念である。剰余価値率は、
労働者が作り出す経済的価値のうち、労働者への支払を行なった後に残る剰 余が労働者への支払のどれだけの割合になるかの指標である。資本の有機的 構成は、マルクスの経済理論では不変資本と呼ばれる原材料費や固定資本の 減耗分と、労働者への支払を意味する可変資本との割合を指す概念である。
不変資本を
C、可変資本を V、剰余価値を S
とすると、利潤率r
は、r=S/
(C+V)=(S/V)/{(C/V)+1}5
Emmanuel, A., Unequal Change, London, New Left Books, 1973.
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O1
O2
A0
B0
P Q
と表される。したがって、利潤率は剰余価値率とは同じ方向に、資本の有機 的構成とは逆方向に変化することが分かるのである。
エマニュエルの最初の不等価交換では、資本が国際的に移動して利潤率が 等しくなるとき、資本の有機的構成の低い後進国の交易条件が、貿易を行な う前に比べて悪化して、結果的に経済的価値の海外への流出を招くとされる。
また、後者の不等価交換では、後進国の低い賃金率が貿易開始後にその国 の交易条件を悪化させて、やはり経済的価値の流出を招くというのである。
これに対して、サミュエルソンはエマニュエルの議論の仮定を逐次詳細に 批判した。6ここではそれをいちいち取り上げることはせず、エッジワース のボックス・ダイヤグラムを用いて両者の主張の差異を考えてみよう。
図1は、AB2国の原点をそれぞれ対角線上にとったボックス・ダイヤグ
6
Samuelson, P., “Illiogic of Neo-Marxian Doctrine of Unequal Exchange”, in D. A.
Belsley et al. eds., Inflation, Trade and Taxes : Essays in Honour of Alice Bourneuf , Columbus, Ohio State University Press, 1976.
図1
国際的不等価交換の論理(山崎) −17−
( 5 )
ラムで、両国で生産し、貿易によって交易が行なわれる様子を表している。
貿易は財1と財2の2財について行われ、それぞれの国際的な生産量と消費 量がそれぞれ縦軸と横軸で測られる。点
P
から発する直線のうち、左下の 1本を除く2本は、それぞれA
国とB
国の生産可能性フロンティアであり、その傾きは2財の貿易前の価格比に等しい。
貿易が行われておらず、それぞれの国が自給自足の経済を営んでいた状態 は図1の点
A
0,B0で表わされている。そこでは、生産可能性フロンティア にそれぞれの国民の無差別曲線が接しており、両国ともに自給自足の状態で 厚生を最大化していることが分かる。貿易が開始されて以降は、両国は比較生産費の原理に基づいて特定の財に 完全特化し、その生産の状況は点
P
で表されることになる。この場合には 図に見るようにA
国は財1に、B国は財2に特化する。その上で両国は交 換を行い、点P
からより国民の厚生の高い点へと移動することになる。そうした点は両国民の無差別曲線が相互に接する点の集まりである契約曲 線上にあるが、そのなかで特に選ばれるのは点
P
から発する直線が両国民 の無差別曲線の共通接線となるような点である。図ではそれは点Q
である。当然のことながら、点
Q
は貿易前の点P
よりは厚生水準が高く、この意味 で両国ともに貿易の利益を享受している。だが、点A
0,B0と点Q
を比較し て分かるのは、自給自足の状態に比べて格段に高い厚生水準に達したB
国 に対して、A国は却って厚生水準が低下しているということである。エマ ニュエルが不等価交換の議論を持ち出したときに想定されていたのは、この ような状態に置かれた国が存在するという論点であると考えられる。だが、サミュエルソンは、図のような状況は貿易前に比べて
B
国の交易 条件が悪化しているのだから、こうしたオファーはB
国自身によって拒絶 され、そもそも貿易は開始されないと考える。しかし、現実的なケースでは、A
国は最初から国際貿易に組み込まれていて、自給自足は仮説的な状況に過−18−
( 6 )
ぎないかもしれない。その場合、将来的に貿易関係から離脱することは不可 能であろう。
また、国民の厚生水準の観点から点
A
0が望ましいとしても、それは財の 生産と貿易に従事する企業の視点からは必ずしも選ばれるべき点ではないだ ろう。なぜなら、企業は適切な利潤が確保できていれば、現在の生産と貿易 を持続する十分な理由があるからである。エマニュエルでは、古典派の伝統 に従って利潤率が部門間で等しくなっている状況が最初から想定されていた が、現実には資本の国際的移動を通じて利潤率の高低が是正されていくと考 えられる。続いては、利潤率の均等化と交易条件との関係を見る必要があろ う。3.スラッフィアンと根岸隆のモデル
前章で見たのは、エマニュエルによる不等価交換という考え方の欧米経済 学界における提起とそれに対するサムエルソンによる正統派からの批判で あった。そこでは両者の視点の差異をエッジワース・ボックスという一般的 枠組みで確認し、その上でエマニュエルの問題提起に見るべき点があること を述べたのであった。
だが、エマニュエルはマルクスの『資本論』の議論を継承する立場から、
交易条件の導出を、投下労働価値を以って行い、いわゆる生産価格による議 論を展開していない。このこともまた、その議論が特別な前提に基づくもの と誤解された理由であろう。
そうしたことを背景にスラッフィアンのサイガルは、線形の生産関数モデ ルを用いて、貿易による交易条件の悪化が賃金水準の低い後進国で起こるこ とを明らかにしようとした。7スラッフィアンとは、ケンブリッジの経済学 者スラッファの著作を元に、限界概念に基礎を置く現代経済学主流派とは一 国際的不等価交換の論理(山崎) −19−
( 7 )
線を画す議論を展開したグループであった。彼らは古典派的な再生産概念を 重視し、技術的な生産構造から価格が決定するメカニズムを明らかにしよう とした。また、スラッファ自身が利潤と賃金の相反関係を重視したこともあ り、スラッフィアンのなかには、マルクスが指向した経済分析をより洗練さ れた道具で行うことを考える人々も存在する。サイガルもまたそういった流 れを汲む者である。
生産財と消費財の2財からなる体系を考えよう。消費財価格を1として相 対価格を
P、賃金を W、利潤率を R
でそれぞれ表わす。1=(1+R)
aP+bW P
=(1+R)cP+dW
小文字のアルファベットは投入係数である。技術に国際的な違いはなく、
後進国である
A
国と先進国であるB
国とは共にこれらの技術を利用できる ものとする。A国が消費財に、B国が生産財に特化して貿易が始まったとす ると、そのことは添え字によって以下のように表わせるだろう。1=(1+R )
aP
+bWAP
=(1+R )cP
+dWB後進国は先進国に比べて低賃金であると考えられるから
W
A<WBである。相対価格は貿易前の
P
からP
へと変化している。同様に利潤率もそれぞれ の国で貿易前と変化していると考えられるが、R という共通の利潤率が成 立するのは資本移動による均等化の結果である。7
Saigal, J. C., ‘Reflexion sur la theorie de l’echange inegal’,appendix in S. Amin, L’echange inegal et la loi de la valeur, Editions Anthropos-IDEP, 1969.
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サイガルはこの体系を用いて、貿易前に比べて後進国が先進国から購入す る生産財の価格が上昇するため、後進国が貿易によって不利益を被ることを 示した。また、貿易前に比べて後進国では利潤率も低下してしまうとしたの である。
今、後進国が消費財に特化した生産を行っていることを示す方程式で、サ イガルが言うように
P
>Pであるとしてみよう。すると、そのままでは費 用が価格1を上回ってしまうから、利潤率は貿易前に比べて低下しないと採 算が取れないことになる。したがって、これもサイガルの言うとおり、後進 国の利潤率は貿易前に比べて低下するのであろう。サイガルは資本移動に よって貿易後両国の利潤率は一致すると考える。先進国の企業は利潤率が上 昇するということが貿易に乗り出すインセンティブになっているのだろうか ら、当初低かった利潤率が貿易後に以前より高くなってバランスするであろ う。では、後進国の企業はなぜ、利潤率が低下するのに貿易に乗り出したの だろうか。そのことはひとまず措き、後進国が貿易後消費財の生産に特化した理由を 考えてみよう。それは貿易後の相対価格の下で、後進国は消費財ならば採算 に合う生産ができるのに生産財はそれが無理だからであるはずだ。先ほど見 たように、利潤率は以前より低下しているのに生産財の生産で採算が合わな くなるのは、海外から来る生産財の価格が国内で生産する価格より安いため であると考えざるを得ない。これは先ほどの話と完全に矛盾する。そこで、
サイガルの結論とは逆に
P
<Pであるとしてみよう。こちらなら話のつじ つまは合う。そして、これもサイガルとは逆に後進国の利潤率はむしろ上昇 することになるのである。利潤率に関して言えば、先進国でもそれは貿易前に比べて上昇する。先進 国における生産財の生産を示す下式を見ると、先進国が消費財の生産をあき らめるのは、貿易後の相対価格では生産の採算が合わないからである。消費 国際的不等価交換の論理(山崎) −21−
( 9 )
財の価格は1に固定されているから、海外から来る消費財価格が安くなった ことは、相対価格
P
が以前国内で成り立っていた相対価格よりも高くなる ことによって示される。下式では両辺にP
があるが、右辺の方には賃金の 項があるため、利潤率が上昇しなければ等号が成り立たないのである。このように、貿易によって両国は利潤率の上昇というメリットを受ける上、
輸入財の価格が貿易前に比べて安くなることで国民的にも利益があることに なる。サイガルが全く逆の結論を導いたのは、後進国が採算割れするような 生産に特化することを強制されていると考えたためであると考えなくてはい けない。だが、そうした前提は、かつての植民地時代ならともかく、現代的 な状況では決して正当化できないのである。
ところで、貿易前に先進国では利潤率が低く、後進国ではそれが高いとい うのは、前提や仮定ではなく、賃金が後進国で低いということから導かれる 結論である。資本は後進国の高い利潤率を求めて移動していき、その結果、
両国で利潤率が均等化するというストーリーが考えられていた。ただ、その 過程でも賃金は与えられたものから変化しないとしていたので、最後はすべ ての資本が後進国に移動してしまうと考えなくてはいけない。その結果成り 立つ利潤率は、資本移動の前に後進国で成り立っていた利潤率に等しい。そ して、すべての資本が後進国の安い賃金で生産を行うようになっているなら ば、消費財も生産財も皆後進国で生産されているわけであり、先進国の生産 は消滅してしまう。
このストーリーが奇異に感じられるのは、資本移動によって生産が逐次後 進国に移動していっても両国の賃金に変化がないという前提がおかしいから である。実際には、後進国の労働人口が無制限でない限り、資本移動はそこ での賃金を上昇させるであろう。また、それに伴って先進国の賃金は低下し て、両国の賃金格差が小さくなるはずなのである。結果として、資本移動の いずれかの時点で、後進国の持っていた低賃金のメリットは失われて以前の
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( 10 )
中間の利潤率で均等化することで変化は止むであろう。
だが、これでは要素価格の差異が時間の経過とともにやがてなくなってい くという正統派の見解そのものである。国際的な賃金格差を問題にする不等 価交換の議論が成り立つためには、賃金格差が固定されたままで貿易関係が 継続しているのでなければいけない。そのための一つの方法は、利潤率が均 等化するという前提を外してしまうことである。こうした修正が可能なこと は根岸隆によって指摘された。8根岸は先進国が後進国へ投資することにリ スクが存在するため、両国で利潤率が均等化することはなく、後進国に若干 高い利潤率が残った状態で資本移動が止まるとしたのである。その上で、先 に見た交易条件の改善と利潤率の上昇という恩恵を後進国が受けることがで きるので、サイガルの意味での不等価交換は成り立たないと考えた。だが、
賃金格差がない場合とある場合を比較すると、前者の方が後進国の交易条件 は悪化しているので、その点がもともとエマニュエルによって指摘されてい た問題点であると結論付けた。根岸の議論によって、賃金率格差の問題が不 等価交換論の核心であることが明確にされたと言えよう。
また、スラッフィアンのエヴァンズは、サイガルの体系が両国の生産技術 が同じであると仮定していることは現実的ではないと考え、両国が異なった 技術を持つという前提で議論を行った。9エヴァンズの仮定の下でも既に見 たのと同じ、貿易による利潤率の上昇と交易条件の改善という結論を導くこ とができる。そして、この点は根岸の結論と同様に、賃金格差がない場合に 比べて交易条件は悪化しているのである。ただ、エヴァンズの議論ではサイ ガルや根岸の場合と異なり、後進国の賃金率が低いからといって貿易開始前
8根岸隆「近代経済学と国際的不等価交換論」、根岸隆・山口重克編『二つの 経済学:対立から対話へ』東京大学出版会、1984年。
9
Evans, H. D., ‘Unequal Exchange and Economic Policies : Some Implication of the Neo-Ricardian Critique of the Theory of Comparative Advantage’ in I. Living- ston, ed., Development Economics and Policy : Readings, George Allen & Unwin, 1981.
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の後進国で、先進国に比べて利潤率が高いという関係が必ずしも導けるわけ ではない。技術に違いがあるのだから当然のことである。そこでは、利潤率 の高低で交換の等価、不等価を論じることはもはやいかなる意味でも正当性 を持たないのである。
4.多数財リカード・モデルにおける不等価交換
ここまでの考察から、結局のところ、不等価交換の議論は賃金水準が各国 間で異なることからの帰結に集約できることが分かった。そして、賃金水準 が異なることで交易条件に違いが生じるというロジックこそが不等価交換論 の核心なのである。交易条件の悪化は国民の厚生水準の低下を意味すること から問題視される。厚生水準が自給自足の場合に比べても貿易下で低下する 可能性すらあることも、エッジワース・ボックスを使っての考察から確認し た。ただ、仮にそのような状況でなくても、他国より低い賃金水準は交易条 件の悪化を通して、それがない場合に比べたら厚生水準を低めていることは 明らかだろう。
問題はそうした低い賃金水準がなぜ生じているかであろう。それはもちろ ん貿易における均衡関係で説明ができるのだが、このことを詳細に分析する ために多数財リカード・モデルを用いる。10リカード・モデルでは財は労働 のみを投入して生産される。これは実際を極端に単純化していることになる が、賃金水準と交易条件との関係のみを考察する場合には正当化できるもの であろう。なぜなら、先に見たように低い賃金水準は交易条件を必ず悪化さ せているからである。また、国際的な競争は十分機能しており、利潤率もゼ
10
Dornbusch, R., S. Fischer and P. A. Samuelson, ‘Comparative Advantage, Trade and Payments in a Ricardian Model with a Continuum of Goods’,American Eco- nomic Review, vol.67, 1977.
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⋧ ኻ ⾓ ㊄
╙
n
⽷ロまで低下しているものとする。このとき、自国は下記の関係が成り立って いる財に特化し、それ以外の財に相手国が特化する。つまり、そうした条件 の財に自国は比較優位を持つのである。
(自国の賃金)×(自国の労働投入)<(相手国の賃金)×(相手国の労働投入)
この式を変形すると以下の通りである。
(自国の賃金)/(相手国の賃金)<(相手国の労働投入)/(自国の労働投入)
経済には極めて多数の財が存在し、自国が生産上の技術的な優位性を持つ 順に1番から
N
番までの番号が振ってあるとする。これを横軸に測り、自 国と相手国の相対賃金を縦軸に測った平面上に限界的に自国が特化する財と 相対賃金との関係を曲線で表わすと図4−1の右下がりの曲線のようになる だろう。これは供給賃金曲線と呼ばれるものだ。この曲線が右下がりになる図4−1
国際的不等価交換の論理(山崎) −25−
( 13 )
のは、上式から自国の賃金が相対的に低下すると、それに伴ってより多くの 財が比較優位を持つようになり、輸入財から輸出財のグループに入ってくる という関係があるからである。
一方、こうした供給上の関係とは対照的に、貿易を巡る需要上の関係も当 然考えることができる。2国間の貿易において金融的な関係を除外して考え れば、輸出額と輸入額は必ず一致していなければならない。両国が所得のう ちのどれだけを輸入に費やすかを平均輸入性向と呼べば、以下の関係が貿易 均衡において成り立っているはずだ。
(自国の平均輸入性向)×(自国の所得)
=(相手国の平均輸入性向)×(相手国の所得)
また、1国の所得はリカード・モデルにおいてその国の賃金と労働の賦存 量の積になる。この関係を上式に代入して整理すれば、下記の式を得る。
(自国の賃金)/(相手国の賃金)
={(相手国の平均輸入性向)/(自国の平均輸入性向)}
×{(相手国の労働賦存量)/(自国の労働賦存量)}
労働賦存量は当面一定であるとすると、相手国の平均輸入性向が自国の平 均輸入性向に比べて大きいほど、自国の賃金は相対的に上昇していく。とこ ろで、各国民は所得の一定割合を特定の財それぞれに支出していると考えら れる。ということは、自国の輸出する財の種類が増えていけば、それにつれ て相手国の平均輸入性向が増大する一方で自国の平均輸入性向は低下してい くことになるはずだ。こうして、先ほど供給賃金曲線を描いたのと同じ平面 上に、上式の関係を右上がりの曲線として描くことができる。これが需要賃
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金曲線と呼ばれるもので、図4−1に見るように両曲線の交点から自国の輸 出する財の範囲と相対賃金が定まるのである。
賃金が先進国に比べて低い後進国の置かれた状況は、図4−1の交点が1 より低い相対賃金のところにあるものとして理解される。だから、状況を改 善する方法の一つは、やはり図に描き込んであるように供給賃金曲線を右方 向にシフトさせることである。これは各財を生産するときの効率を自国が全 般的に上昇させることを意味しており、教育の普及や技術訓練の徹底によっ て国民の労働生産性を改善することで実現できるだろう。こうした改善があ れば、自国は以前より多くの種類の財を輸出することになる一方で相手国は より少ない財しか輸出しなくなる。すなわち、相手国の平均輸入性向は高く なり、自国の平均輸入性向は下がっているのである。それでも貿易の均衡が 保たれるのは、賃金水準が上昇することで所得額が増加し、以前より低い平 均輸入性向であるにもかかわらず輸入額が自国において増加しているからで ある。
それでは、なぜ、こうした技術格差、したがって賃金格差が固定してし まったのであろうか。それは先に近代化を行った先進国が、まず所得からの 支出割合の多い財に技術的な優位性を確立したためであろう。他国に先駆け て近代的な技術を選択した国が、自国にとって最も重要な、所得からの支出 割合の多い財について生産性の上昇を図るのは自然なことだろう。その後、
先進国でそうした財が普及してそこでの支出割合が減った後、後進国では先 進国の生活スタイルにキャッチアップすべく、そうした財への支出割合を増 やすであろう。その一方で、後進国に残されるのは、所得の高い国ではエン ゲル係数が低下しているような基本的生活財や所得からの支出金額の少ない 原材料品なのである。この結果、両国の需要賃金曲線は図4−2のようにな る。
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おわりに
以上の検討を通じて、マルクスの議論に始まる不等価交換論の視点が、現 代経済学の観点からも多少の示唆を持ちうるものであることを確認した。そ れは、要素価格が均等化するまでの相当長い期間にわたって国際的な賃金格 差が残存するという事実に焦点を当てたのであり、先進国に比べて後進国の 方が低賃金になりがちなのであった。そして、相対的に低賃金の国はそうで ない場合に比べて必ず交易条件が悪化しているのだった。
だが、この事実の確認を不等価交換と呼んでいい根拠は何であろう。貿易 の均衡が成り立っていれば、物理的な意味でより多くの労働時間を費やした 財を低賃金国が提供し、高賃金国はより少ない労働時間を費やした財によっ てそれを入手できるのは明らかである。たとえば、低賃金国の時給が高賃金 国の半分であり、低賃金国の輸出財1単位と輸入財1単位が交換されるとす る。この場合、低賃金国の輸出財1単位は輸入財1単位の2倍の労働時間を 費やしていなければならないからである。
この不等価性を問題にする理由は、同じ人間であるから同じだけその労働 図4−2
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( 16 )
は評価されるべきであるという人道主義的なものだろうか。しかし、それは 経済的な根拠とは言えまい。経済の再生産の観点から両国の労働という生産 財が同じコストをかけて生産をされるということ以外に、経済的に両財を同 じと考える理由はないのである。
だが、実際には両国の生活水準は異なっているのだから、実質賃金という 意味での労働の生産コストは高賃金国の方が高く、見かけの不等価交換は実 際には等価の交換であるということになってしまうのだろうか。ここでは、
実質賃金と生理的な意味での最低限の生産コストは異なるという可能性を示 唆しておきたい。もし、この意味で労働の生産コストが国際的に等しいので あれば、賃金水準の異なる2国の貿易は不等価交換と言って差し支えあるま い。そして、この場合、先進国の国民は後進国の国民に支えられて、必要な 生活費をはるかに超える贅沢な消費を行なっていることになる。
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