環
興
の
仏
身
観
︱﹃無
量
寿
経
連
義
述
文
賛
﹄
を
中
心として
︱
姜
昌
鏑
﹃ 無 量 寿 経 ﹄ に は 法 蔵 菩 薩 が 世 自 在 王 仏 の 前 で 本 願 を 立 て 、 永 劫 の 菩 薩 道 を 修 し て 阿 弥 陀 仏 に な っ た と 説 い て い る 。 古 来 、 浄 土 教 家 達 の 間 に は ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ に 説 か れ て い る 阿 弥 陀 仏 が ど ん な も の で あ る か に つ い て 種 々 の 議 論 が 行 わ れ て 来 た の で あ る 。 本 稿 は 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 中 で 法 蔵 菩 薩 の 願 心 に よ っ て 顕 示 し よ う と し た 仏 身 と は 何 か 、 そ し て そ の 仏 は ど ん な 意 味 を も つ 仏 で あ る か に つ い て ﹃ 無 量 寿 経 義 述 文 賛 ﹄ に 示 さ れ た 環 興 の 見 解 を 考 察 し て 見 た い 。 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 中 で 法 蔵 菩 薩 の 願 心 は 、 世 自 在 王 仏 を 讃 嘆 す る 嘆 仏 偶 か ら 始 ま る 。 そ の 嘆 仏 偶 の 釈 を 見 る と そ こ で は ﹁初 正 求 所 歎 即 仏 法 身 也 ﹂ ( 大 正 蔵 三 七 一 四 八 下 ) と 言 い 、 法 蔵 菩 薩 が 求 め て い る の は 仏 の 法 身 で あ る こ と を 示 し て い る 。 し か し 、 そ こ で 言 っ て い る 法 身 と は 所 謂 自 性 と し て の 法 性 法 身 の 意 味 に 限 定 し た 言 葉 で は な い の で あ る 。 こ の よ う な 仏 身 観 の 思 想 的 背 景 と し て は 多 数 考 え ら れ る が 、 環 興 の 仏 身 観 に 大 き く 影 響 を 与 え た と 見 ら れ る ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 中 に は 法 身 と 言 う 用 語 が 自 性 身 、 受 用 身 、 変 化 身 の 三 身 の 意 味 を す べ て 含 ん だ 仏 身 の 総 称 で あ る と 言 わ れ て い る 。 そ し て 浄 影 寺 慧 遠 も ﹃ 大 乗 義 章 ﹄ の 中 で 仏 の 三 身 を 論 ず る 時 、 三 身 は 皆 法 身 と 名 付 け る も の で あ る と 述 べ て い る 。 こ の よ う な 法 身 の 意 味 と し て 理 解 す べ き 具 体 的 な 表 現 が ﹃ 述 文 賛 ﹄ に も 見 ら れ る 。 ﹁ 所 欲 者 功 徳 法 身 快 楽 浄 土 ﹂ ( 大 正 蔵 三 七 一 四 九 中 ) と 釈 し 、 法 蔵 菩 薩 が 真 実 に 欲 す る 仏 身 は 功 徳 法 身 で あ る こ と を 明 確 に 示 し て い る 。 こ こ で 功 徳 法 身 と 表 現 し た の は 環 興 の 阿 弥 陀 仏 身 観 を 理 解 す る た め に 注 目 し な け れ ば な ら な い も の で あ る 。 功 徳 法 身 と い う の が 自 性 身 の み を 示 す 言 葉 で は な い こ と は 明 ら か で あ る 。 慧 遠 が た だ ﹁ 法 身 と 浄 土 ﹂ と 記 し た の に 対 し て 環 興 が ﹁ 功 徳 法 身 快 楽 浄 土 ﹂ と い う 具 体 的 な 表 現 を 印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 四 巻 第 一 号 平 成 七 年 十 二 月 9環 興 の 仏 身 観 ( 姜 ) 取 っ た の に は そ れ な り の 意 図 が あ る 言 う べ き で あ る 。 ま た そ の 次 の 嘆 仏偈 の 釈 文 に も 同 じ 意 味 の 言 葉 が 見 ら れ る 。 つ ま り 、 ﹁ 発 無 上 覚 心 者 即 前 願 仏 法 身 浄 土 之 心 也 ﹂ (大 正 蔵 三 七 一 四 九 中 ) と述 べ 、 法 蔵 菩 薩 が 世 自 在 王 仏 に 正 請し た の は 仏 の 法 身 で あ る こと が 再 び 強 調 さ れ い る の で あ る 。 こ こ で 言 う ﹁ 前 願 仏 法 身 ﹂と は 前 の 釈 文 に 出て い る 功 徳 法 身 の こ とを 示し た も の で あ る 。そして そ の 次 の 釈 文 に 発 願 後 の 永 劫 の 修 行 は 身 土 の 因 を 修 す る こと で あ り 、 正 覚 を 成 ず ると 言 う の は 身 土 の 果 を 証し た も の で あ ると 釈し た の に は 、 阿 弥 陀 仏 を 功 徳 法 身とし て名付 け た 理 由 が 窺 わ れ る も の で あ る 。 で は 、 阿 弥 陀 仏 が 功 徳 法 身 で あ る な ら ど の よ う な 功 徳 相 を 持 って い る の か を 見 な け れ ば な ら な い 。 環 興 は 第 十 二 願 、 第 十 三 願 、 第 十 七 願 を 摂 仏 身 の 願として 見て い る 。 そ の 三 願 に つ いて は 願 文 に 関 す る 説 明 は ほ ん ど な く 、 た だ 願 名 が 付 け ら れて い る く ら い に 止 ま って い る の で 、 そ の 願 の 成 就 文 を 中 心 に 見 る こと に 一 た い 。 第 十 二 願 は 仏 の 光 明 無 量 を 誓 っ た 願 で 、 そ の 成 就 文 は 十 二 光として 阿 弥 陀 仏 の 光 徳 を 説 いて い る 。 環 興 は 慧 遠 の 十 二 光 釈 を あ げ な が ら そ の 釈 は 郷 重 な 釈 で は な いと 言 い 、 自 釈 を 述 べて い る の で 二 人 の 釈 を 比 較てし 見 た い 。 以 上 の よ う な 環 興 の 十 二 光 釈 を 見 ると 、 慧 遠 の 釈 に 比 べて 仏 の 光 徳 を 顕 す 上 で は 意 味 深 長 な 釈 に な って い ると 言 う こと が 出 来 る の で あ る 。と こ ろ で 、 環 興 は こ の 十 二 光 釈 の 後 に 次 の よ う な 説 明 をして い る 。 ﹁総 而 言 之 。 即 身 荘 厳 故 。 論 云 相 好 光 一 尋 色 像 超 群 生 故 ﹂ (大 正 蔵 三 七 一 五 五 下 ) 十 二 光 は 結 局 仏 の 身 荘 厳 で あ る こと を 明 かし 、 ﹃ 往 生 論 ﹄ の 文 を 引 いて そ の 光 は 相 好 の 光 明 で あ る こと を 主 張 した の で あ る 。 こ の 点 が 相 身 を 含 ん だ 法 身 の 意 味 として の 功 徳 法 身 の 無 量 光 長 非 算 数 無 辺 光 広 無 縁 不 照 無 碍 光 自 在 無 有 人 法 而 能 障 者 無 対 光 余 不 能 敵 非 諸 菩 薩 之 所 及 焔 王 光 勝 余 光 光 明 自 在 更 無 為 上 清 浄 光 離 垢 従 仏 無 貧 善 根 而 現 亦 除 衆 生 貧 濁 之 心 歓 喜 光 見 心 喜 悦 従 仏 無 瞑 善 根 而 生 能 除 衆 生 瞑 悉 寂 心 智 慧 光 於 境 善 照 光 従 仏 無 療 善 根 心 起 復 除 衆 生 無 明 品 心 不 断 光 照 物 無 已 仏 之 常 光 恒 為 照 益 難 思 光 過 世 間 想 光 非 諸 二 乗 等 所 測 度 無 称 光 絶 言 想 亦 非 余 乗 等 所 堪 説 超 日 月 光 超 世 諸 色 日 夜 恒 照 不 同 娑 婆 二 曜 之 輝 十 二 光 慧 遠 釈 環 興 釈 成 就 を 示 す も の で あ る 。 10
次 に 、 摂 法 身 願と名 付 け た 第十 七 願 に つ いて 考え て 見 る と、 そ の 第 十 七 願 は 第 十 二 願と 深 い 関 係 の あ る 願 で あ るこ と が わ か る 。 第 + 七 願 に十 方 の 諸 仏 か ら 阿 弥 陀 仏 の名 号 が 讃 嘆 さ れ ると い う の は 阿 弥 陀 仏 に 功 徳 が 成 就 さ れ たこ と を 意 味 し てい る 。 こ れ を 具 体 的 に 言 うと 光 明名 号 の 徳とし て 号 が十 方 世 界 に 達 す る の で あ る 。 だ か ら 本 願 成 就 文 で は 第 十 二 願 と 第 十 七 願と は 一 緒 に 光 明 の 徳として 説 か れ た の で あ る 。 そし て こ の 第 十 七 願 文 の 内 容 に 関 連 す る も の と 次 のして 東 方 偶 の 釈 文 を 見て お く 必 要 が あ る 。 ﹁ 願 作 仏 時 徳 名 遠 聞 故 云名 顕 十 方 。 即 求 仏 身 願 也 ﹂ (大 正 蔵 三 七 一 六 〇 中 ) こ こ で も ﹁名 顕十 方 ﹂と 言 うと こ ろ に 仏 身 の 意 を 認 めて い る の が 見 ら れ る 。 さて 、 もし ﹃ 述 文 賛 ﹄ の 中 で 言 う 法 身 が 理体して の 自 性 身 の み に 限 定 さ れ る な ら 阿 弥 陀 仏 の 独 自 性 は あ り 得 な い 。 自 性 身として の 法 身 は 諸 仏 共 有 の 平 等 身 だ か ら で あ る 。 環 興 が 功 徳 法 身と い う 言 葉 を 使 い な が ら 具 体 的 な 仏 身 の 功 徳 相 を 述 べ る の で あ れ ば 、 阿 弥 陀 仏 が 諸 仏と は 異 な る 格 別 の 意 味 も 示 さ な け れ ば な ら な い 。 阿 弥 陀 仏 が 諸と 異 な る 点 を 述 べ た 文 を 見 ると ﹃ 述 文 賛 ﹄ の 冒 頭 に は 。 ﹁ 欲 癬 本 誓 之 不 虚 故 。 謂 一 切 仏 錐 発 本 願 本 願 亦 有 不 能 果 遂 。 如 般 若 中 所 有 衆 生 令 得 滅 度 。 法 積 願 力 即 不 如 此 故 。 今 広 説 依 正 功 徳 厳 環 興 の 仏 身 観 (姜 ) 浄 以顕宿願必有 所辨使増 行者往生之意﹂ と述 べ て い る 。 ま た 四 十 八 願 を 釈 す る 前 に も 、 ﹁ 問 諸 仏 本 誓 為 同 為 異 。 異 即 違 華 厳 云 一 切 諸 仏 悉 具 一 切 願 満 方得 成 仏 故 。 若 同 者 亦 違 薬 師 十 二 本 願 弥 陀 四 十 八 願 故 。 答 無 有 一 仏少 , 一 願 行 而 成 道 者 故 悉 同 也 。 然 以 対 所 化 之 機 縁 熟 不 同 故 。 ( 中 略︶ 由 此 諸 仏 所 有 誓 願 錐 有 未 必 遂 果 而 法 蔵 菩 薩 所 発 之 願 皆 有 成 辮 故﹂ (大 正 蔵 三 七 一 五 〇 下 ) と 言 い 、 諸 仏 は 一 切 願 を 具 足して 成 仏 す る の に 対し て 弥 陀 仏 が 四 十 八 願 で 成 仏し た の は 阿 弥 陀 仏 の 本 願 が 所 化 の 機 の 為 で あ る か らと 述 ベて い る 。 他 の 諸 仏 で は 救 済 す る こ とが で き な い 衆 生 ま で す べて 救 済し よ うと す る の が 四 十 八 願 で あ り 、 そ の 四 十 八 願 が 成 就 さ れて 成 仏し た の が 阿 弥 陀 仏 で あ るこ と を 明 か にし た の で あ る 。 つ ま り 四 十 八 願と 言 う 別 願 に よっ て 阿 弥 陀 仏 の 格 別 の 仏 格 が 成 就 さ れ たと 述 べて い る の で あ る 。 以 上 の よ う に 環 興 は 阿 弥 陀 仏 を 格 別 の 本 願 に 相 応 一 た 功 徳 の 仏 身 で あ ると 見て い た の で あ る 。 そ の 説 明 は 応 身 に 近ぃ と も 見 え る が 、 そ れ を 応 身と 呼 ば ず に 法 身 あ る い は 功 徳 法身 と 言 う 語 を 用 い る こで で 阿 弥 陀 仏 の 本 願 力 に 特 別 の 意 味 を 与 え てい る の で あ る 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 阿 弥 陀 仏 、 功 徳 法 身 、 本 願 力 (龍 谷 大 学 大 学 院 ) 11