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龍谷大學論集 478 - 007日下幸男「飛鳥井雅康自筆『瓦礫 明応四年』について」

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全文

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飛鳥井雅康自筆

について

はじめに 室町期の堂上歌人飛鳥井雅康(永享八{)永正六年︿一四三六

1

一 五

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九﹀、七四歳)の文事については、既に稲田 利徳氏など多くの先学による言及が見られるが、中でも井上宗雄氏のー中世歌駒史の研究 ι 室町前期・室町後期(風 間書房・明治書院)が詳しい(以下井上氏著と称す)。先行研究によると、雅康の自筆日記や自筆家集など、その文 事を研究するに基礎となる確実な史料が残存せず、要するに歌集や定数歌、歌鞠伝授書、古典書写本などが遣されて いるだけのようである。なお末柄盛氏﹁飛鳥井雅親・雅康の伝記史料の集成と研究﹂(二

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九年研究実 績報告書)などを参照されたい。関連して拙稿寸飛鳥井家和歌伝授書二種︿翻字﹀﹂(﹃国文学論叢﹄五五輯、二

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年二月)も併読くだされば幸いである。 そうした状況の中では、たとえ一年分とは言え、明応四年の自筆詠草が新出したのは希有なことで、貴重な史料と 思われる。個人蔵本の紹介をここに試みる所以である。 小篇ではまず雅康略年譜を示し、次に雅康自筆詠草の翻字を掲げたい。略年譜については、金剛福寺蔵守飛鳥井家 譜一冊(国文学研究資料館蔵マイクロフィルムによる。以下家譜と称す)に多く依り、﹃公卿補任﹄﹃諸家 付備考 L 飛鳥井雅康自筆吋瓦際 明応四年 ι に つ い て ( 日 下 ) 一 二 九

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龍谷大学論集 一 三

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伝 L q 大日本史料﹄などの周知の史料や事象は、煩を避け出典を略す。引用にあたり原則として漢文は訓じ、句読点 を 付 す 。

永享八年(一四三六)

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月日、雅康誕生。父飛鳥井雅世、兄雅親。本姓藤原。なお父雅世は永享五年に撰歌の給旨を蒙り、撰集の途上 である(家譜)。家領は越前で、後に雅康は家領回復を試みたようである(福井県朝日町編﹃朝日町誌﹄)。 永享十年(一回三八)=一歳 -八月二十三日、雅世﹃新続古今和歌集 L 四季部撰進。同十一年六月二十七日、同恋雑部撰進。 永 事 十 三 年 ( 一 四 国 ご 六 歳 -七月十日、雅世出家、法名祐雅、五十二歳。 宝 徳 三 年 ( 一 四 五 ご 十 六 歳

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八月二十五日、初めて禁裏御会に出詠か。飛鳥井侍従殿雅康、童形御会(康富記)。 歳 享徳元年(一四五ニ) -二月一日、雅世没、六十三歳。雅親家督を継ぐ。 十七歳 享徳二年(一四五三)十八歳 。 三 月 日 、 叙 従 四 位 下 ( 家 譜 ) 。

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冬、禁裏和歌御会講師。個人蔵え徳大寺公維懐紙留︺﹄二帖によれば、﹁題者飛鳥井中納言(雅親)、読師帥大納言 (三条実雅)、講師雅康朝臣、御製読側関白(二条持通)、講師飛鳥井中納言﹂とあり、雅康懐紙には、

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冬日侍太上皇仙洞同詠 庭松久松緑応製和歌 従四位下行左近衛権少将藤原朝臣雅康上 よろつ代をたちかさ/ねてもにはのまつ みとりやおなし色/にさかへむ と あ る ( / 印 は 行 移 り を 示 す ) 。 享徳三年(一四五回) 。六月十七日、禁裏和歌御会講師。可︹徳大寺公維懐紙留︺﹄二帖によれば、寸題者飛鳥井中納言、読師太宰権帥(突 雅)、講師雅康朝臣、御製読師一位大納言(足利義政)、講師飛鳥井中納言﹂とあり、雅康懐紙には、 夏日同詠竹不改色和歌 左近衛権中将藤原雅康 十九歳 うつしうへて代々へむ/きみかともなれや 竹のうてなのとき/はかきはに とあるロ因みに該書については平成七年十一月中世文学会(於久留米大学)において﹁徳大寺公維守懐紙留﹄につい て L と題して口頭発表しただけで放置しているのであるが、これも貴重資料であるので、徳大寺公維の文事をまとめ い つ か 紹 介 し た い 。 る 中 で 、 康正三年(一四五七)ニ十二歳 。正月五日、叙従四位上(家譜)。 長禄二年(一四五八) ニ + = 一 歳 飛鳥井雅康自筆﹃瓦際 明応四年﹄について(日下)

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龍谷大学論集

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三月二十四日、為丹波権介兼中将、同日叙正四位下(家譜)。 寛正三年(一四六ニ)二十七歳 -固 定 歳 、 雅 親 息 雅 俊 誕 生 。 寛正六年(一四六五)三十歳 -二月二十二日、雅親は近古以来の和歌を撰進すべきの由、院宣を蒙り畢ぬ。院司権中納言綱光卿奉る。 応仁元年(一四六七)三十二歳

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十 月 十 九 日 、 叙 従 三 位 ( 家 譜 ) 。 応仁二年(一四六八)三十三歳 。 四 月 十 五 日 、 任 参 議 ( 家 譜 ) 。 文明二年(一四七

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三十五歳 。 九 月 日 、 兼 右 兵 衛 督 ( 家 譜 ) 。 文明三年(一四七こ=一十六歳 。 三 月 十 六 日 、 叙 正 三 位 ( 家 譜 ) 。 文明五年(一回七三)三十八歳 -十二月十七日、雅親出家、法名栄雅、五十八歳。 文明七年(一四七五)

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正 月 二 十 八 日 、 兼 出 雲 権 守 ( 家 譜 ) 。 四 十 歳 文明十一年(一四七九)四十四歳

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四月四日、奏慶。同月七日、為権中納言(家譜)。

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文 明 十 三 年 ( 一 回 八 こ 四 十 六 歳

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月日、参議労十二筒年、辞退。未拝賀(家譜)。

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九月十八日、大内政弘の所望により吋源氏物語﹄を書写し、奥舎を付す。寸関屋 L の 巻 末 に 、 文明十三年九月十八日依 大内左京兆所望、染紫屯 者 也 。 権中納言雅康 とある。大島本の右奥書は写真で見る限り、筆勢著しく劣り、雅康本人の筆ではないこと明白であり、雅康本を後人 が書写したものであろう。これについては中古文学会関西部会編﹃大島本源氏物語の再検討﹄(和泉書院)などを参 照 さ れ た い 。 なお未見であるが鶴見大学蔵﹃新撰菟玖波集﹄は﹁伝飛鳥井雅康・大内政弘筆﹂とされる。 文明十四年(一四八二)

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二月四日、雅康出家、法名宋世(以下宋世)。号ニ楽院、二楽軒。土佐因幡多郡山田村八幡宮神主宮部正光日く、 文明年中一条房家当国に御選座し、供奉の門葉に飛鳥井某ありと。その子正五位少将頼高、その子従四位少将雅量、 土佐一条殿の客となり、幡多郡大方郷鹿持村に居す(家譜)。なお鹿児島大学平成十二年度貴重書公開展示目録解説 によれば、玉盟文庫本守源氏物語﹄の寸筆者目録﹂には、細見河内守宗高、姉小路済継、小倉季種、飛鳥井雅康息宗 衣、毘沙門堂公厳、岩山道竪などの名が見えるようである。

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是歳、本願寺蔵﹃慕帰絵詞﹄十巻の内、欠巻一・七を、宋世(詞)、藤原久信(絵)が補作。 五十四歳 四十七歳 長享三年(一四八九) 飛鳥井雅康自筆﹃瓦際 明応四年﹄について(日下)

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龍谷大学論集 一 三 間

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五月八日、京の大火によって家を失い、上原賢家の旧犀をもらう(井上氏著)。 五十五歳 延徳二年(一四九

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三 月 二 十 日 、 ﹃ 宋 世 詠 百 首 和 歌 ﹄ な る ( 井 上 氏 著 ) 。 -十二月二十二日、雅親没、七十四歳。雅俊(二十九歳)家督を継ぐ。 延 徳 三 年 二 四 九 こ

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三月十五日、四宮長能朝飯会に雅俊と出席(井上氏著)。

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四月二十日、三時鞠会。公家の甘露寺親長らの外、武田・小笠原・四宮・薬師寺・伊勢などの武家も参会(井上氏 著 ) 。 五+六歳

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七月、大内政弘のために拾遺集を書写(井上氏著)。 -八月末、雅俊は将軍義材の供をして近江に下る(井上氏著)。

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十一月三日、春日社法楽百首詠(井上氏著)ロ

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十一月五日、畠山政長に﹃飛鳥井秘伝集﹄ 一 巻 を 附 与 す ( 拙 稿 ) 。 明応元年(一四九二)

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七月七日、自邸歌会に公家の三条西実隆らのほか、武家の河内入道宗高・薬師寺元一らも参会(井上氏著)。 五十七歳 明応三年(一回九四)

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十 二 月 二 十 一 日 、 参 内 云 々 ( 家 譜 ) 。 五十九歳 明応四年(一四九五)六十歳

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正月一日、和歌所会始(瓦際)。宋世の動向は吋瓦際 L に詳しいので、重複する条は原則として引用を略す 0 ・正月二十六日、宋世息雅種叙爵。二月五日元服(井上氏著)。

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-六月二日、雅極早位、十七歳。﹁六月二日侍従雅種世去 .九月十八日、大内政弘没、五十歳。 明応八年(一四九九)六十四歳

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五月三日、富士歴覧のために都を立つ(市士際覧記)。遠祖の旅を追体験か。

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九月十六日、大津に移住、五十首詠(井上氏箸)。 文亀二年(一五

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ニ ) 六 十 七 歳 。正月、稲生智閑歌会の題者。二月春日社法楽詩歌の題者(井上氏著 ) 0

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四月三日、自詠を三条西実隆を通じて天皇に奉る(井上氏著)。 。九月二日、堺で住吉祉法楽百首を詠み奉納(井上氏著)。 永正元年(一五

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四 ) 六 十 九 歳 -九月四日、薬師寺元一は細川澄元の擁立を計り、政元に背いて淀城に拠る。同月十日、政元の軍山城国西岡の神谷 に元一の兵を攻撃。同月十九日、政元は薬師寺長忠を援け淀城を攻撃。この日城陥落し四宮長能ら自殺、薬師寺元一 は囚われて京都で自殺。 口 口 / 同 四 日 千 本 ニ 土 葬 ﹂ ( 瓦 脳 陣 ) 。 永正二年(一五

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五 )

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十一月、宋世息興福寺修南院盛円は僧を殺害して出奔、盛円は除籍、宋世は放氏。四年三月宋世続氏(井上氏著)。 七十歳 永正三年(一五

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六 )

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三月、仁和寺御室尊海のために蹴鞠百首を詠ず(井上氏著)。 永正六年(一五

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九 ) 七 十 四 歳

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十月二十六日、宋世(雅康)没。雅康は蹴鞠や和歌の宗匠のほか、手書きとしても知られ、古今集、伊勢物語、 七十一歳 J¥ 飛鳥井雅康自筆﹃瓦際 明応四年﹄について(日下) 一 三 五

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龍谷大学論集 一 一 一 一 六 代集秀逸など多くの古典を書写している。個人蔵吋詠歌大概 L 一帖も雅康筆の極札を持ち、確かと思われる。

底本書誌

巻子装一巻。軸先象牙。二重箱入り。古い箱(修理有り)蓋表面に打付け書で﹁飛井雅康卿御筆/明応四年トアリ 極札添﹂とあり、内側附筆(貼付)に﹁天保二辛卯年春日見利和・・・(朱方印)﹂とある。表紙茶色繋ぎ紋鍛子。 見返しは金箔押し。本文料紙は格紙。本紙縦二七・一×横一二八七倒。巻末に別紙三五・五センチが継がれ、寸瓦傑 明応四 L とある。もと表紙を巻末に接いだものか。全体に写真のごとく速筆で訂正や重出の削除(図

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)

なども見 られ、草稿本の体である。雅康の一筆になる。成立は明応五年か、そう遠くない時期と思われる。巻頭に極札が貼り 付けてあり﹁飛鳥井殿雅康卿[入道二楽軒宗世/明応四春も秋一巻](朝倉茂入極印)﹂(図

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)

とある。箱内 に旧蔵者のメモと思われるものがあり、 年代仕見申候所 明応元子年ヨリ当年 迄三百三十九年ニ成候。 明 応 ハ 九 年 迄 続 。 とある。このメモの成立は天保二年である。蓋内側附筆の年号と対応する。

一、個人蔵の飛鳥井雅康自筆﹃瓦際明応四﹄ 二、翻字に際して次のように措置する。 一 巻 を 原 本 に 忠 実 に 翻 字 す る 。

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四 イ、漢字仮名は通行の字体を用いる。 口、歌一首二行書きを一行書きに改める。 ハ、題は歌よりニ字下げで示す。 ニ、不読の箇所は、口印をもって埋める。 ホ、歌頭の数字は任意の一連番号である。重出歌(九三

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九七)には削除の意図を示す塁線が引かれているが、そ れらの歌も参考のためにそのまま掲載する。写真版(図

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)

参 照 。

明応四年正月一日 和歌所会始恒例 鴛告春 春も秋もしらぬ我とやうくひすのやとにことなるはつねなくらん 於成通卿御影 祝言 名にしおは﹀をとめの袖につ﹀むまで雲入たかくのほるをそみむ 中 将 雅 俊 朝 臣 官 宇 会 始 初春祝 松かせもけふのことふき吹そへて世のこゑしるき春はきにけり 一一日上原豊前守賢家もとより騰の鳥口にむすひ付て 立かへる君にならひてかりも又おなし雲井の春にあふらん 飛鳥井雅康自筆司瓦際 明応四年﹄について(日下) 一 三 七

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一 三

我もげに雲井のかりにならひなはか貯るはかりの口にかへらむ 旧冬予参内し侍し祝言を二十首よみてたひ侍し也 十三日甘露寺中納言亭月次始に 梅渡年花 いくかへりとしと春との中やとにまっさきそめて匂ふむめかえ 務生刑部大輸入道知閑閑月次 春色浮水 けふといへはしらぬおきなもわか水におもかはりしてむかふ春かな 十六日為春日社法楽、釈迦・薬師・地蔵・観音・文殊といふことを句の上にをきて十四首、大般若経一 部転読の問に詠之 春 ししら雲のこなたかなたの山たかみ心もぬさとちるさくらかな や八百日ゆく浜ちなりとも春の日のなかき限にふみはつくさし か神かきにとしとしかくるみしめ縄この春いそく心もやしる 夏 ややとことにとは﹀やさても郭公我よりさきに初ねきくやと く雲のゆく方たに見えす空とちて日かけにとをき五月雨の比 し時雨して秋なきもりのこかくれをたちいて h きけは蝉のもろこゑ 飛鳥井雅康自筆﹃瓦酪 明応四年いについて(日下) 一 三 九

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二 五 龍谷大学論集 一 四

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秋 ちちらすなよ下葉うつろひ花もはもあかぬふる枝の萩のしたかせ ささをしかのたのむかげとや春日山野にもさとにもむれて行らん ううた﹀ねにき﹀つるかたはをとやみて又ことさとにころもうつなり え く草かえのいり江氷てさゆる夜にむれたるたつのすみのほるこゑ わ我やとをとひしならひはなけれともあとをとはる﹀雪の中かな むむかしにはかはる世なからなとてかくとしも日かすもはやく暮ぬる 恋 ををのつからあれは有世のならひこそこひせぬ人のたかひ成らめ むむくひそと我さきの世を思ふにそつれなき人に心やすむる ももろくなる涙はおいの物そともせめてや人にいひてつ﹀まむ 雑 むむかへともまなひむなしくあかす夜の窓にはあたらともし火の影 ししらさりきけふまて憂にくらせともつゐのめくみを神にまかせて 廿六日此亭品川首続歌当座 出題中将 朝 鴛 ふるすをやはるはるいて﹀棋のとにきつ﹀なれぬるけさのうくひす 祝言

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三 一

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三 二

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三 三

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三 四 もろ人の二のみちをかくはしみとめこむ春の限やはある 二月六日庚申此亭十首 翫 梅 さくむめの花もてはやす人からに風もより貯る匂ひとそしる 帰 鴎 西にとひ東にか付るかりもあれとつみの行ゑやみこしちの空

恋 たのめをかはいかにうれしきよはならん夕と﹀ろきもかす見えそめて 旅宿 かり枕か貯のたりおのなか﹀れとおもひもあへすあくるよはかな 七日人々来臨之時梅留客といふことををのをのよみ侍しに さくむめの花や思はむとふ人に我をもおらは駒のあしをれと 十二日四百長能宿所にて品川首当座に初春 めつらしととちし氷のしたひも﹀春をみむとやけさはとくらん 交山鳥 影みるに身をこそはつれ山とりのか﹀みになとかねをはなくらん 十三日甘露寺月次三首に 若草 おいさきをいかにせよとて草の名のは﹀子つむのにけふもくらせる 飛鳥井雅康自筆﹃瓦諜 明応四年﹄について(日下) 四

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四 龍谷大学論集 問 春 月 さすか又かすまぬひまもありやとて有明までにみつる月かな 恋 鋭 よそに思ふならひはかりは口にせく袖にのもりのか﹀みをそしる 廿七日花の校にむすひつけて上原賢家かもとへつかはし侍し 世にありて花みる人のかすにやは我ももれんと手折えたかな

賢 家 花によもけちめはあらし世の人の数にいれとや君もいさめし 又きしをとしはにつけておこせ侍し 君かよはひ松のちとせを十しはゆふためしにかけよ花とりのこゑ 品川日陽明の御庭に桜の盛なるにあたりの棋杉原も花に映ておもしろくみえけれは翌日によみてまいらせ 侍し さく花にあらそふ色はなけれともま木たっかけもあかぬ庭かな

いまさくら棋たっかけに及はめや君かこと葉の花をさかせて 三月二日祐乗法印す﹀め侍しに 瀧 霞 ぬきゃいかにかすみの衣たてはかりはつれておつる瀧のしらいと 同日阿野少将季綱もとより花につけて

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五 猶ふかき色かをみむと手折きて君かこと葉の花をこそまて

予 先手折君かこと葉の花を﹀きていつくにまさる色かをはみむ 向 日 貞 崇 朝 臣 も と へ 花 に つ け て つ か は し 侍 し 予 わきてみよ花の心も君にとや風にしられぬかげにさくらん 返 し 君ならてたれかはみせむ風にたにしられぬ花のふかき色かを 三日四宮長能にさそはれて大原野の花みにまかり侍しに品川首題をさくりて人々よみしに 初花 かくはかりおとろかれめやはつ桜みぬもろこしの山はみるとも

花 春の水のいくよにか文かへてまし花にくれゆく一刻をは 社頭花 大原ゃあめをもこらて神垣にぬさたてまつる花のしたかせ 花交松 花にみとり松に匂ひをゆつりをきて二木も春はあかぬ色かな 山 家 なき物に身をなしぬれは山かけも浮世もおなしすまゐなりげり 三月五日甘露寺大納言入道もとより花につけて 飛鳥井雅康自筆﹃瓦諜 明応四年﹄について(日下) 一 四 三

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五 九 龍谷大学論集 一 問 問 みせはやなあまり日かすの過ゆかは雪とやはなのふりもはてなん

し 予 君たにもあといとはすは散ぬとも花の雪こそふま﹀ほしけれ 十三日甘露寺月次三首に 花下送日 山さくらけふもそくらすふるさとにまつらん人はさもあらはあれ 落花入簾 いまそしる花のためとやいよすたれあはらにあめるひまもとむ也 野寺僧帰 月まちてかへるをみすはおとろかし花にねふれる春のはやしに 花山院月次とです﹀め給しに 雲雀揚 をのか心ひきの﹀つ﹀ら末つゐにおちん芝生をたつ雲雀かな 藤伴松 ちとせをはよそにやらしとさく藤の浪もてゆへる庭の松かえ 忍久恋 袖の露そ常磐にか﹀る秋といへは軒のしのふも色かはる世に 廿一日細川より天神法楽とです﹀めしに 卯 花

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六 八 花の色は夢かうつ﹀かうつ木てらさかきの月もありでなけれは 容 音羽川 をとは川春たつ比の雪消よりせき入ぬ水も浪やこすらん 維 布引瀧 みちのくにありとかき﹀し胸あはぬためしにおへる布引のたき 廿三日摂州より四宮長能許よりよみておこせ侍し たへて又なつらふへくもみえぬかな宮こにかくる夢のうきはし

し 予 おもふ人にゆくらん物を我かたにふみたるへきや夢のうき橋 問所より廿首題をこひ侍しにかきてつかはすとて旅宿といふ題を一首よみでっかはし侍し 枕とてむすへる草はしらねともこはしのふらんふる郷の空 廿六日宮徳院殿七回忌に姉小路宰相百首歌を人々にす﹀め侍しに 春 月 春をへて昨日のこともたとる身におもへは月はかすまさりげり 花 あたなりと散を名たてにみる人や花を恩はぬ心なるらん 暮 春 ほと﹀きすみ山いつらんとたのめすは春の別にたへさらましゃ 述 懐 飛鳥井雅隣自軍司瓦磁 明応凹年﹄について(日下) 一 凶 五

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七 六 龍谷大学論集 一 四 六 世中よあるは有にもあらねともなきはなきま﹀過るかなしさ 釈 教 くめはふかく仰はたかし鷲の山宝の池にすめる月か付 廿八日或人春日法楽とです﹀め侍しに 出題冷泉 杜首夏 さく藤もいつよりか名におほのなるみかさの森の夏にか﹀れる 逢恋 こよひこそたもとほすへき折しまれ身はならはしの涙おちけり 述 懐 非 一 よしゃ身の此世ひとつはさてをきぬ後うき事をたれにかこたん 中将亭会に 梅花久薫 としをへてかすさしそへむ花かめのよはひに契るやとの梅か﹀ 山名右衛門督許へ音信候頃申っかはし侍る 何也 四月六春日参詣之次右亭か在所にまかりて廿首当座に 新樹 若みとり木すゑにみてし花そめのうつろひやすくあかぬ色かな 腕郭公 ほと﹀きすさすか憂名にた﹀しとやあくるいもせの山になくらん

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八 三 契恋 猶さりの思ひならすよいはに生る松をためしの契かはるな 十三日甘館寺月次会 ほと﹀きす 山容は人をよふこ鳥たに有物をまたれでもこぬほと﹀きすかな あふひ いつのまに露をくものそあふひ草あくれはやかてむかふ日影に ひとりね 思ひと貯はたか逢そめし行ゑとて又ひとりねに心いらる﹀ 愚亭廿首続歌に 霞春衣 けふにあけてたつや霞のすりころも忍の山に春もきぬらし 鵜 JII くらきよりくらき五月のやみまちてうなはくるしきせをもしらすや 雛 草 秋かせの限をきかむ物とたにみえぬまかきの荻の下もえ 六 月 二 日 侍 従 雅 種 世 去 口 口 同四日千本ニ土葬 同額田次郎宗朝かたへよみてつかはし侍し 飛鳥井雅康自筆﹃瓦牒 明応四年﹄について(日下) 一 四 七

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九 龍谷大学論集 一 四 八 せめてさはけふりとならは雲をたにあたのかたみと見るへき物を つとめてのあした元右もとよりよみてたひ侍し あらき風いとひし花のすかたをもおもひすてぬる野へのかなしさ 返 し 予 それもよし夢なりなから秋をたにまたぬ子萩か花そかなしき ある人のもとへ申っかはし侍し ありしたに子を思ふみちに迷事のましてなき世にいか﹀たへまし 返

夢かとよ我もなみたにかきくらす心のやみのさそまよふらん 陽明より此つゐてたまはり侍し 有し世はよしまよふとも思ひ子のやみちをてらせむねの月影 御 返 し 予 ともすれはくもるとをしれさしもこはみかくとおもひし胸の月影 宗高僧もとより 君こふる涙はうみと見るふさのおいゆくすゑをみぬそ悲しき 返 し はかりなきなげきはしるやみるふさのおい行すゑもなれぬ物から 四月﹀﹀或人春日法楽に 杜首夏

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九四

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さく藤もいつよりか名におほのなるみかさの森の夏にか﹀れる 逢恋 在前 こよひこそ涙ほすへきおりしまれ身はならはしの涙おち付り 甘露寺月次に ほと﹀きす 春は人をよふこ鳥たに有物をまたれでもこぬほと﹀きすかな あふひ いつのまに露をく物そあふひ草あくれはやかてむかふ日かけに ひとりね 恩ひとげはたか逢そめし行ゑとて文ひとりねに心いらる﹀ 中将す﹀め侍しに 朝 霞 このま﹀や雨もふりいてん雲となるおりからふかくたっかすみ哉 待 恋 人もわか待にたへける命をや心みかてらつれなかるらん 旅 宿 かりねにもおなし宮こやみえつらむやとしかはらは夢もかはらて 七月七日四宮長能かもとにて当座七首よみ侍しに

夕 七夕に六十かしつることの葉をいつ返してか色のそふへき 草花露 飛鳥井雅康自第吋瓦醸 明応四年﹄について(日下) 一 四 九

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龍谷大学論集 一 五

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ちとせふる固とかき﹀したのしみもみるか中なるあさかほの露 雨夜蛍 よるの雨のか﹀るもつらし葎おひあれたるやとの松むしのこゑ 回 月 もる影そひとりさひしき鹿もおはすいなはもからぬ月人おとこ 寄木恋 ま事かとたのむ心の直き木にまかれる人のいつはりもうし 寄鎚恋 隔あらし人もきく夜の鐙ならはあはれいまはの心もそっく 述懐 たか倭とさらにもいはし我たにも身をは思ひぬ世に生きて 八 月 独 吟 十 首 に 雨 中 荻 露そちる雨うちそよき秋かせにやとりからる﹀庭の荻原 秋タ思 我のみかこなたかなたの里とふも心をくたく秋のゆふくれ 遠 鹿 おもひ入こひちゃ遠きつくは山は山かおくのさをしかのこゑ 在明月 おも影に又たちかへり三日月のわれでもすゑに在明の空

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一 一 四 一 一 五 一 一 六 一 一 七 一 一 八 一 一 九 一 二

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指 衣 いとせめてこたすともかなむは玉の我はかり衣それもこそあれ 祈

とけよとは思ふものから下級をむすふの神に何いのるらん 稀逢恋 こなたにもかそへてみすや逢事は十たにおらぬ中の契を 恨身恋 者を﹀きて今はひとつにみくまの﹀うらのはまゆふいふかひもなし 職中関 もる人の関にはへたるなはたちて跡はかりなる不破の中山 備松 みねにふきふもとにをろす松かせのこゑの時雨にぬれぬ臼そなき 九月十一日駿河国へくたる人に口つけて伊豆国に侍る一笑斎もとへ・申っかはし侍し 契しを今こそおもひいつの海の波まて君にしたかへる代は 同日四宮月次会に 途端衣 よそにでもね覚をすまのあま衣又なくこゑはあはれにそうつ 初紅葉 つゐにこれま木たつ山の下もみちあらそひかねてけにやそむらん 飛鳥井雅康自筆﹃瓦醸 明 応 凹 年 ﹄ に つ い て ( 日 下 ) 五

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一 二 四 一 二 五 一 一 一 ム ハ 一 二 七 一 二 八 一 二 九 龍谷大学論集 五 後朝恋 玉にぬくも程なやねての朝ねかみけつれはともにおつる涙よ 九月六日間所に品川首歌人々よみ侍しに 春や先とつなの橋にくりそへてとしのをなかくけふはきぬらん 嶺樹深雪 初 春 雪を﹀もみけさ折かへる松の色や青根かみねのこけをしつらん 恋昨今 ことのはの心の秋やきのふよりいそかぬ色をけふはそふらん 恋憂喜 一かたになれないもせの中川にうきせうれしきせをわけすとも 九月廿八日中将張行三首 秋 月 月にやはおしまれぬへき秋ことにかたおもひして我世ふけぬる 秋山 身を分て入ぬるものかたった姫そめぬ色なき四方の山のは 秋

分こしを﹀くる﹀人やさを鹿のしからむのへになしてまよはん 老対菊 同当座廿首に あはれとや花はみるらん我そまつ符をいた﹀くやとのしら菊

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一 三

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一 三 四 一 三 五 一 三 六 一 三 七 暁掠衣 八こゑなくゆふつけ鳥かね覚するおりから衣まきれてそうつ 被厭恋 くり返し何としのふのさねかつらはてはな付木にか﹀るおもひを 十月十三日甘月次 霜 このねぬる朝霜ふかしけふの日のてりうき性を空にしるかな 氷 やり水のしつくはかりになかれきてこほりはてぬもあはれにそ聞 > J

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かへりきて住はてむ世のたひならはわかれゃなかき契ならまし 蒲生入道月次問題にて詠てつかはし侍し 箱 しのす﹀きいとに箱をく朝戸あけはたれ水引をよりかけぬらん 氷 うす氷池のか﹀みにみえてけりこ﹀なる鳥ゃにほのかよひち d H H 4 ロ HM さきにたつ涙なりせは別ちに我心をそわれはしたはん 時雨谷冬 四宮長能月次に 飛鳥井雅隣自筆﹃瓦磁 明応四年﹄について(日下) 一 五 三

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一 三 八 一 三 九 一 四

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四 四 一 四 三 一 四 四 一 四 五 龍谷大学論集 一 五 四 過やすき月日と﹀もにたつ冬をそをたにもとく初時雨かな 水氷無音 けさは﹀や谷のいたはし板はかりふむをとたかし氷すらしも 往事紗狂 のこりてはたれもうつ﹀にしのふ世を我身ひとつの夢かとそ思ふ 十六日姉小路宰相宿所始て各まかり侍て廿首題をさくりて 帰腐 朝むかふ心を秋にみえをかはかへるをしたふかりやとまらむ 月 月もはしめやともことしの秋よりを契てめてむ影はかはらし 千鳥 すみそめて君もみ﹀こそなれつらめ川原の千とりよはになくねを 廿日夢想の事ありて此題にて人々にす﹀め侍し 幾万秋菊 めくりあはむ我行すゑの年の星かそへんとすれは庭のしら菊 廿三日独吟州首当座 柳 玉のを﹀あはをとたにもたのますよ我身ふる木の青柳のいと 帰 腐

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一 四 六 一 四 七 一 凶 八 一 四 九 一 五

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一 五 五 一 五 三 一 五 四 一 五 五 そのかみの秋にあはれをよせしをやおなし心にかへるかりかね 春 月 春をへていよいよかすむ月ならしあふけはたかくすみゃまされる 花 あらましの春に先たっこ﹀ろより二たひ花をみるにそありける 款冬 ことのはの花の山ふきありとしもしらてやすくすゐてのさと人 藤 はふ木よりあまりてか﹀るむらさきを浪もてくたく池の騰かえ 暮 春 やよ弥生おもへなさらむ月日たにかへらぬ物としたふこ﹀ろを 早 苗 いそくうちもたはふれけりなさをとめか共に手にてをとるさなへかな 橘 たれか栽しみちのく山にあらねともこかね花さく軒のたち花 蛍 とふほたるたえぬおもひになれをしそあはれとはみる宇治のはし守

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としとしのおもひを h かはあまの川そのたなはしもかけは及はし 飛鳥井雅隣自筆吋瓦離 明応四年﹄について(日下) 一 五 五

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一 五 六 一 五 七 一 五 八 一 五 九 一 六

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一 中 ハ 一 六 一 六 一 六 四 龍谷大学論集 一 五 六 荻 みる夢をわする﹀草のたねならしあきかせすきふよはのおき原 鹿 さをしかのなみたの露やのへことにおくとはなけきぬとはなくなる 秋 田 みなと回やしはしなるこも引塩にをのれとなひくほすゑをそみる 月 月ことに月はみれともあきも秋なかはの秋の中ころの月 霧 みねたかみ猶ゆくさきはくらま山うすまふきりの晴ぬあさけに 紅 葉 よそにでも名やしるからし柿のはの一木色こきあきの山もと 寒 草 うつろひし垣ねの恨たて日かすへてからからのこる霜のしたかな 水鳥 友ねするをのか玉もの床をたにをしのふすまはたれかからまし .Iifi =1 ゆきさへもふりにし方にかはるめりあともおしますとふ人もなし 寄杜恋

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一 六 五 一 六 六 一 六 七 一 六 八 一 六 九 一 七

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七 -~ 一 七 三 思はぬをさかともいかてとひてましみかさの森の神はしるとも 寄藻恋 いつまでか我身をうらのみたれものよるかたなしに波にゆられん 寄鳩恋 うきしつむさくらのしたや鳩とりのおき中川を床になかして 寄猪恋 つれなしやかる矢にむかふいかりゐもつゐにしたかふならひある世を 寄楚恋 かたしくもうしゃなみたのさ廷のかはる色をもみせはこそあらめ 寄船恋 納をみよ湯も取あへす行舟のわれをあはれとひく人もなし 寄鐙恋 偽のある世なれともかねのこゑはあくるま事になす別かな 夜 燈. 老ぬれは身はならはしにむかへともまなふことなき窓のともし火 竹 すくならぬうき世中にあるかひもなよ竹まてやわひて枯にし 十 一 月 廿 二 日 禁 裏 百 首 御 続 歌 に 勅 題 也 御 新 作 云 々 日 吉 飛鳥井雅腹自軍司瓦傑 明応四年﹄について(日下) 一 五 七

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一 七 四 一 七 五 一 七 六 龍谷大学論集 中将張行会に 寒樹交松 冬かれは葉もりの神も松のはにうつりやすらむかしは木の森 屋上聞鍛 えそわかぬ雪にもあらすみかりにもあられくたけてもるいたまかな 寄名所恋 あちきなや我名た﹀すはかよひてんくめのさら山に君を﹀きても 一 五 八 日向国人 伊東宮内少輔藤原祐光 明応五年後二月廿二日来了

明応四

( 翻 字 了 ) キ ー ワ ー ド 齢 、 L H V + γ 怯 院 は 民 訓 引 川 ド E A H J J ' 刊勿 4 ド れ “ w 明応四年 武家との交流 白銀詠草

参照

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