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ブルーメンベルクにおける宗教受容の哲学

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Academic year: 2022

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はじめに

 

││ 宗教概念論以後の宗教哲学的思索の可能性 ││

  宗教研究における古典的な二分法││宗教︵史︶学/宗教哲学︑あるいは記述的/規範的││の選択は︑研究行為に先立つ基本的態度決定として作用し︑ときにその中間的な作業領域の可能性を排除する︒しかし近年のいわゆる

﹁宗教概念論 1﹂の成果に伴い︑従来のそのような研究枠組みへの無批判的な依拠はかつてないほど困難になったと

言えよう︒﹁宗教﹂という概念︑および﹁宗教とは何か﹂と普遍的・本質論的に問う行為に対する系譜学的解体が 論文要旨 ブルーメンベルクの仕事の核心として独自の現象学的人間学があるということは近年とくに注目されているはいえ彼の思想をすべて人間学へと還元しようとするのはその特異な歴史記述の意義を看過してしまうことにつながるそこで﹄︵受容という現象を成立させるのは原体験からの距離化であるそこで生成する空白のわからなさこそその埋め合わせへと駆り立てるものであるブルーメンベルクが問題とするのはそこで成立するような宗教経験なのである本論文はさらにこの問変容において成立する宗教的根源性へと思考を開くその試みをブルーメンベルク独自の宗教哲学として定式化するキーワード ブルーメンベルク宗教哲学受容非神話化隠喩

ブルーメンベルクにおける宗教受容の哲学

││

 

﹃マタイ受難曲﹄を中心に

 

││

下   田   和   宣

(2)

試みられるなかで︑事柄を歴史的形成の現場に引き戻すという視線の転換がいまやラディカルに促されていく︒の

みならず︑実証的・経験的な宗教研究を導く知の背景もまた根底的に問い直されていくのである︒ところでこうした反省は必ずしもネガティブな意味作用を持つだけではあるまい︒学科的フレームを基礎づける方法論的リゴリズ

ムが解消されるのであれば︑かつての分断を往復しつつ宗教性を主題化することもまた︑新たに期待されてしかる

べきだろう︒

  少なくともこのような︑記述/規範という枠組みに還元されない視座から捉えられる宗教的根源性がありうるこ

とは︑これまでにも指摘されてきた︒ガダマーの哲学的解釈学を援用しつつ︑氣多雅子は歴史的過程における始源

性の創設を﹁大乗仏教徒の経典制作 2﹂という事態に読み取っている︒その分析によれば︑大乗経典はたしかにゴー ダマ・ブッダの死後数世紀を経て制作されたものであるが︑後世における新たな制作というその媒介こそ︑﹁仏教における始源的な思索の仕方﹂であったという 3︒受動的な伝承ではなく﹁テクストを揺さぶる﹂能動的な働きかけ

において原テクストは新しい意味を獲得する︒その生成が﹁本質的に生成するものである真理の︑歴史における生

成の出来事﹂としての﹁伝統の創出﹂となる︒ここにひとつの宗教的なアプリオリ性の生起を認めることが︑氣多によれば仏教という変容と多様化を重ねつつ根源性をそのつど保持し続ける宗教を理解する鍵なのである︒﹁起源﹂

ではなく﹁変容﹂││そこに経験の根源性を付与するのは対象側ではなく︑そのつどの歴史的な﹁我々﹂の﹁憧

憬﹂ないし﹁期待﹂である︒たしかに︑そのような主観性のあり方は伝統創出を不可能とする﹁ニヒリズム﹂の時代においてすでに空洞化してはいるだろう︒しかしかつて方位づけられた﹁我々﹂の構造そのものは︑空虚なもの

となりつつ︑ある種の共同性を確保する契機として残されているとされる 4︒

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  こうして︑起源ではなく変容へと向かう宗教哲学的思索は︑待つことの﹁何を﹂から︑不可能な到来を憧憬しつつ待ち続ける﹁我々﹂そのものへと転回しながら︑宗教概念論とは別の角度で記述/規範の方法的二元論の解体を

促す︒ここに見込まれるその理論的ポテンシャルと︑それが提示する宗教的根源性のあり方が︑いまや究明されな

ければならない︒

  こうした問題設定を行うことで︑従来の宗教学・宗教哲学研究ではあまり注目されてこなかった諸々の思想家に

も新たな角度から光があてられることになろう︒二十世紀ドイツの思想家ハンス・ブルーメンベルク︵Hans Blu-

menberg ︶の宗教論は︑まさにそのような光のもとで改めて意義を持ちうる思想だと言える︒本 論文では以下にブルーメンベルク研究の状況を概観したうえで︑彼の後期著作﹃マタイ受難曲﹄を中心に︑それがどのような思索の場を開くものであるかを考察することにしたい 5︒

一  ブルーメンベルク研究の現状   いくつかの翻訳がすでに存在する日本では︑ブルーメンベルクはとりわけヨーロッパの思想史家・精神史家とし て認知されているようである 6︒しかし数々のテーマを横断する膨大なその著作群を実際に手に取ってみても︑﹁迷 宮の迷宮 7﹂と評されるその歴史記述が何に定位し︑どこに向かっているかを見極めることは難しい︒思想の実証的なクロノロジーがそこで記述されているわけではないのである︒したがって初期の研究状況においては︑その議論

││例えば有名なものでは隠喩論や世俗化論││のひとつひとつに注目が集まったとしても︑彼のプロジェクト全

体が持つ狙いは議論になりづらいという事情があった︒

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  その﹁核心﹂はどこにあるのか││圧倒的な知識量と学問常識の裏をかくような思考の道筋に魅了された同時代 の受容 8を越えて︑彼の思想の根本的な枠組みとなるものに目が向けられるようになったのは︑没後に遺稿が公刊されるようになった二〇〇〇年代以降のことである 9︒研究の新展開にとってとりわけ重要な契機となったのは︑二〇

〇六年の﹃人間の記述 A﹄の出版であろう︒晩年に書き溜めていた九〇〇頁を超えるこの遺稿からは︑元来水と油で あると見なされてきた現象学と人間学を巧みに混ぜ込む独自の哲学的人間学が見出される︒その﹁現象学的人間学﹂こそ︑ブルーメンベルク自身の隠された哲学的核心ではなかろうかと期待されてきた B︒

  博識に裏打ちされたヨーロッパ精神史記述の伽藍の背後に︑独自の人間学的省察が鎮座している││ブルーメン

ベルクを読む際︑迷宮の中で道筋を見失わないためにも︑そうした核心に配慮することはたしかに不可欠である︒

しかしそうだとしても︑ブルーメンベルクが﹁隠喩学﹂と呼ぶ歴史記述は︑人間一般の本質論的考察に還元されてしまうものではない︒例えば﹃神話の変奏﹄︵一九七九年︶の冒頭にはたしかに次のような一節がある︒﹁欠如存在﹂

︵ゲーレン︶としての人間は︑﹁現実の絶対支配﹂がもたらす恐怖に耐えることができない︒そこから逃れる﹁距離

化︑距離を取ることによる行為︵Distanzierung, actio per distans︶﹂こそ﹁神話﹂を含む文化一般の起源である︵AM  15︶︒ブルーメンベルク解釈には︑この議論を過度に重視するものが少なくない C︒とはいえ︑﹃神話の変奏﹄のテー

マが神話起源論ではなく︑西洋思想の歴史を覆う﹁プロメテウス神話﹂の受容史を追跡することであるというのは

明白である︒だとすればまずなされるべきなのは︑本質主義的核心へと議論を早急に縮減するのではなく︑起源/変容の二者択一を脱し︑その往還において遂行されるブルーメンベルクの記述そのものを意義づけることなのでは

ないだろうか︒もちろん︑ブルーメンベルクの人間学が副次的なものであり検討するべき価値のあるものではない

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などと主張しようというのではない︒むしろその人間学へと適切に立ち入るためにこそ︑ブルーメンベルク特有の思考法について予備的に確認することが不可欠であるように思われる︒この問題意識を念頭に︑以下ではブルーメ

ンベルク宗教論における人間学的考察と歴史記述の関わりについて︑後年の一九八八年に出版された﹃マタイ受難

曲﹄を中心に検討する︒

二 

マタイ受難曲

の主題と構造   ブルーメンベルクの著作活動全体において見ると﹃マタイ受難曲﹄の主題および形式は異質な作品であると言え る︒最近の初期遺稿集 Dやクルト・フラッシュによる画期的な初期研究 Eが明らかにしているように︑ブルーメンベルクは宗教哲学的・神学的テーマへの関心を生涯に渡り抱いていた︒ハイモ・ドルヒへの批判︑パスカル論︑とりわ け中世末期のスコラ学をテーマとした博士論文﹁中世スコラ的存在論の根源性の問題についての論考﹂︵九四七年

に示された問題関心は︑後の諸著作にも通底するものであると言えよう︒しかしそれでも︑﹃神話の変奏﹄の神話論や﹃近代の正統性﹄において扱われる﹁世俗化﹂などの宗教学的概念を除けば︑宗教を主題化する公刊著作は

﹃マタイ受難曲﹄に限られる︒

  マタイ伝におけるキリストの﹁受難﹂を中心とした旧約・新約聖書の分析が主になされていくことから︑﹃マタイ受難曲﹄全八章は一見すると神学的・宗教学的な聖書釈義が主題となっているように受け取られうる︒第一章

﹁地平﹂の理論的準備に続く章において︑例えば第二章﹁ある神のエスカレーション﹂では天地創造︑創造の後の

七日目の退屈︑楽園における知恵の樹の実を食べることの禁止について︑第三章﹁肉体性﹂では人間の創造とイエ

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スの誕生︑第四章﹁反逆者たち﹂ではユダの密告とペテロの否認︑第五章﹁ふたりの人殺しの間で﹂では十字架上

での出来事︑第六章﹁涙﹂では埋葬と封印された墓が︑それぞれ考察の素材となる︒とはいえ︑それによって批判的・文献学的・考古学的な聖書解釈が問題となっているわけではない︒本著作における考察の軸となるのはむし

ろ︑一七二七年に初演されたバッハの﹁マタイ受難曲﹂を中心とした︑西洋哲学史・文化史上における受難物語の

﹁受容﹂なのである︒以下で見ていくように︑まさにこの﹁受容﹂概念の持つ奥行きにこそ︑ブルーメンベルクが考える宗教変容の事柄は基づいているのである︒

三  受容

 

││  誰がマタイ受難曲を聴くことができるのか  ││

  福音書の受難物語ではなくバッハ﹁マタイ受難曲﹂という︑今日に至るまでなお好まれ︑キリスト教文化を超えて広く聴き継がれている音楽作品を対象とすることでブルーメンベルクが試みるのは︑﹁受容︵Rezeption︶﹂という

事柄を宗教哲学的に第一次的な問題として視野に入れることである︑と言えよう︒﹁起源﹂へと定位する哲学的・

文献学的立場からは表層的であり二次的だと思われざるを得ないこの受容概念をあえて議論の中心へもたらすという戦略は︑すでに先に挙げた博士論文においてたしかに萌芽として見られるものである︒しかしこの概念の練り上

げについてとりわけ重要なのは︑ギーセン大学において一九六三年にヴォルフガンク・イーザーやハンス・ローベ

ルト・ヤウスらと立ち上げた研究グループ﹁詩学と解釈学︵Poetik und Hermeneutik︶﹂における活動であり︑そこで行われた受容理論の主題化であった︒

  いわゆる﹁受容美学︵Rezeptionsästhetik︶﹂として形成された問題圏の中でも﹃マタイ受難曲﹄の叙述ととりわけ

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関わりが深いのが︑ヤウスとイーザーの理論である︒ヤウスによれば︑テクストの意味は実体的にあらかじめ確定しているものではなく︑読書という能動的行為によってそのつど担保されるという︒注目すべきなのはその行為の

前提である︒いかなる新しいテクストでも︑それが読解されることを想定したものであるかぎり︑それを手に取る

読者にとってなじみ深い情報をあらかじめ提示している必要がある︒作品はそれによって読者の記憶へと自らを組み入れ︑期待という一定の感情的な態度を呼び覚ます︒その期待が読書によって保たれるか変化するかはあるにせ

よ︑ヤウスによれば読書という行為は読者の﹁期待の地平︵Erwartungshorizont︶﹂によってそのつど促されなけれ ばならないという G︒   イーザーは従来の様々な理論において現れた﹁読者﹂モデルを分類し︑実在の読者や理想の読者の想定がすべて限定的であり︑それらの理論的妥当性の弱さを指摘する︒それに対して彼が提起するのが﹁潜在的︵内包された︶

読者︵der implizite L Heser︶﹂の概念である︒それは歴史学的に確認・検証されうる実在の読者ではなく︑テクスト構

造に組み込まれた︑テクストそのものが内包している読者である︒あらゆるテクストは読まれうるものであるかぎり︑受容者の存在を予期しており︑読者に対してあらかじめ特定の役割を提供している︒それはイメージと態度の

形成と変容を促し︑緊張状態を作り出すことで︑様々な遠近法を触発する︒イーザーによればテクストの意味はそ

のような読書行為によって産出されるのである︒

  ブルーメンベルク﹃マタイ受難曲﹄における第一章﹁地平﹂の理論的準備考察と︑バッハの﹁内包された︵潜在 的︶聴き手︵der implizite Hörer︶﹂を軸とする福音書分析はまさに︑彼らとの共同討議を通じ︑芸術や宗教といった 精神的事象におけるその事柄の理解を深めることで成立したものであると言えよう I︒では︑ブルーメンベルク自身

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はこの﹁受容﹂という事象に何を捉えたのだろうか︒﹃マタイ受難曲﹄で中心となるのはバッハ﹁マタイ受難曲﹂

の︵同時代の︑あるいは後世の︶﹁聴き手﹂であるが︑﹁受容﹂の抱える問題はそこに限定されない︒見るべきなのはむしろ︑﹁マタイ受難曲﹂自体がマタイ伝の受難物語のひとつの展開であり︑あるいは十字架の下にいたわけで

はないマタイも︑キリストの受難を聴き︑それを記した者である以上︑その証言もまたすでに﹁受容﹂の結果なの

だ︑ということである︵MP 235︶︒このように﹁受容﹂という出来事は︑言葉の通俗的な使用の響きに反して︑単なる受け入れという受動的なものではなく︑意味の制作という極めて能動的な機能を持つものである︒ただひとつ

の物語ではなく︑性格の異なった複数の福音書がキリスト教において聖典化されているということもまた︑原テク

ストの不在を指し示すばかりではなく︑聖性を生成・変容させる読み手の側の行為としての﹁受容﹂の意味・機能

へと考察の目を向けかえるものであると言えよう︒

  宗教的な﹁根源性﹂は失われた起源にではなく︑こうした﹁受容﹂の過程に依存している︒このことは次のよう

に述べられている︒﹁︹﹁マタイ受難曲﹂という︺作品の地位はその神学的な﹁寛大さ﹂に基づいている︒それがベ

タニアのシーンから墓石の封印のシーンまでの歩みを規定する︒そこでは一種の﹁根源性︵Ursprünglichkeit︶﹂が達成されている︒それはたしかに直接的には福音書の儀礼的起源に由来するものではないが︑新たなファクターを もとにそれを復元しうるものである﹂︵MP 45︶︒福音書はそれ自体で完成した閉じられたテクストではない︒むし

ろそこに開いているいくつもの﹁空白﹂を埋め合わせる行為をそのつど読み手に要求するものである︒理解の循環に入るように要請する埋め合わせの指示はしかし︑起源としてのテクストそのものに内在するのではなく︑通用し

てきた解釈の枠組みが解体するところではじめてなされる︒このように︑起源に対する﹁受容﹂の機能を強調する

(9)

ことで︑ブルーメンベルクは受難物語を読み受難曲を聴くという経験が持つ︑他に還元不可能な固有の次元を救い出そうとするのである︒

四 

受容

を促す

わからなさ

  この行為の性格についてより詳しく見ていこう︒教義や信仰などの特定の条件に積極的に関わらずとも︑我々は

受難曲を聴くことができるし︑あるいは受難物語を読むことができる︒﹁受容の﹁否定の道﹂がある︒それはマタ

イ受難曲の聴き手の﹁王道﹂である﹂︵MP 245︶︒作品の﹁受容﹂の可能性は伝授の厳格さにではなく︑起源へのア ナクロニスティックな憶測を認めるこうした本質的な寛容さ││﹁神学的な﹁寛大さ﹂﹂︵MP 45︶││に基づいて

いる︒それどころかバッハの同時代においてすでに︑聴き手は﹁教義学﹂へのアクセスを失った者たちでもありえ

たということにブルーメンベルクは注意を払っている︒﹁バッハのマタイ受難曲の同時代の聴き手が多かれ少なか

れ受苦し死すべき者の﹁教義学﹂への入り口を失った﹁不信仰者﹂であるのみならず︑むしろそれに加えて︑自身が﹁罪人﹂でありあれこれの救済を必要とするという告白について何も理解できないし知ろうとも思わない﹁わか

らずや﹂であるということはおそらくあまりにも考えられていない﹂︵MP 127︶︒   本研究では﹁受容﹂現象に見られるこの﹁わからなさ︵unbegrifflich, unverständig︶﹂の次元にとくに着目したい︒ブルーメンベルクが取り出そうとする﹁受容﹂という事柄の水準はまさに︑単純で盲目的な受け入れではなく︑こ

の﹁不信仰﹂︑﹁無理解﹂あるいは﹁誤解﹂が持つ固有の運動性に見出される︒﹁このことは敬虔な物語でも︑弁証

法的な自己否認の一部でもない︒それは歴史の現象学 Jにおいて成り立ちうるだろう﹁事柄﹂である︒我々は歴史を

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理解しない︒それゆえに我々は歴史を持ち︑歴史に拘ることにただ耐える︒誤解││慰めに﹁実りある﹂誤解と呼 んだとしても││は︑我々が自身でありえないものとともに我々がある様態である﹂︵MP 264︶︒わからないからわかろうとするし︑わかりへの﹁期待﹂もそこにはじめて生じる︒すなわち理解を求めることには︑原体験からの

﹁距離﹂を示す﹁わからない﹂という経験が常に先立っているのである︒ブルーメンベルクによれば︑こうした原

体験とのズレ︵つまり︑わからなさ︶を完全な形で補填することは不可能であり︑人は常に偶然的で準備のままならない状況下において︑突きつけられた空白を急場凌ぎで埋め合わせる││彼の言葉では﹁再充填︵Umbesetzung配置転換︶﹂する││ほかない︒﹁受容﹂という行為が果たしているのはまさに︑意味の本質的な欠如へのこうした

対処なのである︒

  前節においても触れたように︑﹁受容﹂の意義は芸術的経験として理解された﹁マタイ受難曲を聴くこと﹂に限定されない︒﹃マタイ受難曲﹄の洞察によれば︑宗教の事柄において﹁受容﹂の過程を促しているのもまた︑あら ゆる聖典の中心にあるような︑﹁わからなさの薄明︵Dämmer der Unverständlichkeit︶﹂︵MP 226︶である︒キリスト

の受難に関わる﹁わからなさ﹂について︑ブルーメンベルクは次のように指摘する︒﹁十字架上で死ぬ者を﹁哲学者の神﹂の基準で測る必要はない︒﹁必要はない﹂というのは弱すぎて︑言い逃れとしては胡散臭すぎる︒むしろ︑

それはまったくもってできないと言ったほうがよい︒それは次のような世界で最も単純な理由からそうなのであ

る︒つまり我々は︑この神に適した聖書の名前││﹁人の子﹂︑﹁神の僕﹂︑あるいはとくにそれがかつてその場合に用いられていたはずなら︑﹁メシア﹂という名前││が何を意味するか︑知らないのだから﹂︵MP 110︶︒ここで

指摘されているのは︑﹁哲学者の神﹂と﹁アブラハム︑イサク︑ヤコブの神﹂︵パスカル︶との古典的な対立の存在

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ではない︒示されているのはむしろ︑それら両項の根底にあるべき﹁わからなさ﹂であり︑それが宗教経験の確実さを毀損するものではないこと︑あるいはその無知こそが経験を可能にする地平である︑ということにほかならな

い︒だとすれば︑この考察を基礎とし︑何らかの起源を志向するリゴリズムを回避し︑﹁わからなさ﹂への対処と

しての﹁受容﹂の事柄を議論の中心に導き入れることで︑ここにはまた別の宗教哲学的思考の可能性が開かれていると言うこともできるのではないだろうか︒

五  思考の背景へと迂回すること   以上の考察において︑﹁マタイ受難曲﹂を聴くという経験を可能化する背景としての﹁受容﹂のプロセスを︑ブ

ルーメンベルクの記述にしたがって明らかにした︒以下ではさらに︑この議論が持つ哲学的射程を掘り下げ︑明確

化することにしたい︒

  ﹁マタイ受難曲﹂を聴くということが可能となるための条件を描き出すことで︑ブルーメンベルクは我々の感覚を規定し︑解釈行為を促す﹁地平﹂を捉えようとしたようにも見える︒とはいえ無論﹃マタイ受難曲﹄冒頭で述べ

られているように︑自身の﹁地平﹂を認識しようとすることはひとつのパラドクスである︒﹁﹁地平を歩測すること

︵Horizontabschreitung︶﹂とはパラドクスであり︑実行されざるものを隠喩の形式で不当に要求することである︒自らの地平をとうとう歩測してやろうとそこに近づくことを試みる者は︑ただ子どもをがっかりさせる経験をするだ

けであろう︒どれだけ頑張ってみても新たな︑少なからず到達不可能な視界が張られてしまうのである︒目でもっ

て地平を﹁巡視する﹂ことはできるが︑それにしてもそこにひとつかふたつに延びた可能な方向が続くだけなので

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ある﹂︵MP 7︶︒自らの地平の全貌を暴くことはできない︒とすれば︑﹁受容﹂を一次的な事柄として再設定するこ

とで︑ブルーメンベルクの思考はどこに向かっているのであろうか︒この問題について︑以下では彼の﹁隠喩学

︵Metaphorologie︶﹂というプロジェクトに立ち返って確認することにしたい︒   一九五七年の論文﹁真理の隠喩としての光 K﹂および一九六〇年の著作﹃隠喩学のためのパラダイム﹄において︑ ブルーメンベルクはヨアヒム・リッターやエーリヒ・ロータッカーなどが当時推進していた︑哲学的諸概念の歴史を内在的に記述しようとする﹁概念史︵Begriffsgeschichte︶﹂研究の補完となるプロジェクトとして隠喩学を立ち上

げた︒最初に注意しなければならないのはブルーメンベルク的隠喩学特有の位置づけである︒ここで新たに立ち上

げられる隠喩学は︑その名の響きに反して隠喩についての純粋な学問理論を志しているのではなく︑むしろ概念史

を補完する部門︵PM 110︶であるとされている︒とはいえ文献学的な哲学史研究の一分野に留まる謙虚さをここに見て取ることもできない︒隠喩学の課題とは要するに︑概念の歴史における隠喩の働きを積極的に記述することに

よって︑概念的思考と論証の記述を中心とする従来の哲学研究および哲学史学に対してラディカルな問い直しを求

めることにある︒ではどのような事情からブルーメンベルクは隠喩という︑哲学的思考の伝統において多くの場合副次的なものとみなされてきた要素の地位をそのように引き上げるべきだと考えたのか︒

  いくつかの特別な隠喩をブルーメンベルクは﹁絶対的隠喩︵absolute Metaphern︶﹂と呼んでいる︒ここで﹁絶対 的﹂と言われているのは︑それらの隠喩が概念に還元ないし翻訳されることのない自立性を持つという理由からである︵PM 16︶︒ブルーメンベルクによれば︑そうした隠喩は概念と切り離されつつ︑独自の歴史的変遷を持ってい

るという︒それでいて︑絶対的隠喩はそのつどの概念的思考を︑明示化されざる次元において方向づけ導いている

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のだとされる︒哲学者の隠喩使用に認められるそうした働きをブルーメンベルクは﹁背景隠喩法︵Hintergrundmeta-phorik︶﹂と呼んでいる︒﹁言語は我々に先立って思考しているだけではなく︑我々の世界観においていわば我々の

﹁背後に︵im Rücken︶﹂ある︒我々は普段考えられているよりずっと強制的にイメージの蓄積と選択によって規定 されており︑一般に我々に示されうるものと︑我々が経験においてもたらしうるものにおいて﹁誘導され﹂ている﹂︵PM 91︶︒ブルーメンベルクによれば︑概念的・論理的判断や推論が支配的であるはずの哲学的言説において

もなお不可避的に姿を現す隠喩使用の異質性こそ︑それらを暗黙的に駆動させている背景そのものでもある︒

  このように︑絶対的隠喩は抽象的な概念的思考を敷衍化する具体例などではなく︑むしろ逆に概念的思考を可能 化するという意味で︑﹁哲学的言語の根本要素 0000﹂︵PM 14︶であるとされる︒しかもここで注意しなければならない

のは︑隠喩的・詩的言語が概念的言語には表現することのできない﹁深み﹂を可能にするのだ︑とブルーメンベル

クが主張しているわけではないということである︒その力点はむしろ︑概念に還元されることがないにもかかわら

ず︑概念的思考の﹁体系的な結晶化﹂︵PM 16‑17︶に関わるという︑絶対的隠喩に特有の性格にある︒そこから﹁思考の下部構造﹂︵PM 16︶を担う絶対的隠喩のこの働きを︑ブルーメンベルクは﹁触媒的領域︵die katalysatorische  Sphäre︶﹂︵PM 15︶という化学的な言葉によってそれ自体比喩的に表現する︒絶対的隠喩は思考に対し︑それ自身

は変化することのないままに︑思考のプロセスをその下層ないし背景において支え︑触媒的に促進している︒この洞察をもとに概念史記述へと向かうことこそ︑ブルーメンベルク﹃隠喩学のためのパラダイム﹄固有の問題意識に

ほかならない︒絶対的隠喩はたしかに﹁実体﹂としての内容を持つものではない︒むしろ我々はそのつど﹁基礎を

与える隠喩のプラグマティックな機能﹂︵PM 101︶を追跡し︑それらの歴史的変容を記述することによって︑いわ

(14)

ば﹁思考の背景﹂を描き出すことができるだろう︑とされるのである︒   以上がブルーメンベルク隠喩学の骨子である︒すでに明らかなように︑その射程は隠喩についての狭義の言語学理論にとどまるものではない︒その実情に沿うようにして︑一九七〇年代後半になると︑ブルーメンベルク自身︑

哲学的隠喩使用の歴史を記述するという作業全体の意義を︑より広い新たな視点から位置づけなおすことになる︒

すなわち﹁非概念性の理論︵Theorie der U Lnbegrifflichkeit︶﹂という名称のもとで︑隠喩を含めた﹁非概念的なもの﹂すなわち﹁概念的ではないもの﹂││まさに前節で見たところの﹁わからなさ﹂││一般の機能が︑いまや明確に

考察の主題とされるのである︒いまや﹁あらゆる理論に対する動機づけを絶えず後ろ立てているもの﹂としての

﹁生活世界﹂︵SZ 87︶の問題系が接続し︑八〇年代には現象学への取り組みが本格化する︒それと並び︑概念的思

考の背景を迂回的に描写し︑その基礎構造の解明を目指す︑という哲学的な狙いのもとで︑宗教受容の歴史を主題化するという視野が明確に開かれてくるのである︒その取り組みのひとつの成果こそ︑一九八八年に公刊される

﹃マタイ受難曲﹄にほかならない︒

六  非神話化論が排除するもの   ブルーメンベルクによる思考の隠喩学的自己探査は︑明晰判明な自己へと直進するのではなく︑その背後に働く

プロセスへと迂回することで遂行されるものであった︒いくつかの隠喩は概念に還元されることなく││すなわち

﹁わからない﹂ままで││思考に対して働きかけを行い︑そうした明晰判明な意味の﹁空白﹂の埋め合わせを促す

のである︒その行為の諸様態を把握することが隠喩の﹁受容﹂を辿る隠喩学のプロジェクト全体において︑あるい

(15)

は生活世界論へと拡張した﹁非概念性の理論﹂のもとで遂行される宗教受容の追跡としての﹃マタイ受難曲﹄においても同様に問題となる︒後者の場合︑隠喩学的な概念史記述のスタイルを明確にとっているものは最終章﹁哲学

者の神の過剰﹂だけではあるが︑バッハ﹁マタイ受難曲﹂とその﹁内包された︵潜在的︶聴き手﹂についての分析

を通じてブルーメンベルクが描き出そうとするものこそ︑受難経験についての証言の﹁受容﹂を通してのみ垣間見ることのできる人間性のひとつのあり方なのであった︒﹁Passion という表現は︑ラテン語に由来を持つものであ るが︑ドイツ語には翻訳できない﹁受苦︵Leiden︶﹂と﹁情念︵Leidenschaft︶﹂の二義性を持っている︒ただ人間と

してのみ︑受肉を通して︑神は苦悩することができたに違いない︒しかし神をエスカレートさせるよう駆り立てる

ことは││神話と宗教の歴史の全体を考慮すれば││人間の﹁情念﹂であるように思われる﹂︵MP 306︶︒   ﹁マタイ受難曲﹂をいまここでなぜ聴くことができるのか││この問いを真面目なものとして受け取るために

は︑﹁受容﹂概念を本質化する必要がある︒思考の転換を促すこの要求こそ︑ブルーメンベルクが﹃マタイ受難曲﹄

で企てた︑いわば﹁宗教受容の哲学﹂と呼ばれうる思索的努力であると考えられよう︒それは次のような言葉からも十分に読み取ることができる︒﹁受難に関するどんなテクストや音楽も︑聖書的・キリスト教的世界においてゴ

ルゴタ上での死をめぐって││ひとつの核の周りに結晶するように︵wie ein Kristall um einen Kern︶││形成され た諸前提の全容を顧みることはできないだろう︒その全容とは聴き手の地平であって︑作品の﹁内容﹂ではない︒その地平から作品は︑それが何を﹁意味する﹂かを呼び覚ます︒それは一義的ではありえない﹂︵MP 121︶︒先に隠

喩学についてそれが対象とする﹁絶対的隠喩﹂が﹁思考の下部構造﹂を担うという考察について確認した︒ここで

もまた重要なのは︑人間的な﹁情念﹂の核そのものを取り出すことではなく︑それを培養する歴史的プロセスを明

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らかにすることである︒   このような一見してねじれたブルーメンベルクの宗教についての考えは︑その問題提起が向けられる批判の矛先を見るならよく理解できる︒それは︑﹃マタイ受難曲﹄において散見されるように︑ルドルフ・カール・ブルトマ

ンに対する︑あるいはその背後に控えるハイデッガーへの批判である︒十八世紀啓蒙主義の歴史意識の欠如につい

てはよく非難され︑そこで改めて﹁歴史性﹂の概念が提起されてきたわけだが︑その主張は果たして十分なものであるか││そこから続けてブルーメンベルクは次のように述べている︒﹁聖書を歴史的・批判的に還元する態度は︑

﹁ケリュグマ﹂というその残滓に至るまで︑﹁歴史性﹂の概念をただ口癖にして言っているだけである︒それが諸々

のテクストの﹁受容﹂︑教団の﹁性向﹂︑その儀礼的用意について考え始めるのは完全に後回しである︒あるいはメ

シアニズムを挫折させる者たちの︑そして彼らの自己保持の努力の﹁内包された︵潜在的︶理性﹂のようなものについても意識されていない﹂︵PM 233︶︒つまりブルーメンベルクによれば︑歴史性の問題は﹁受容﹂の問題へと深

化させることではじめてその問いの核心へと到達するのである︒

  聖書の内容を﹁非神話化﹂によって実存的に理解可能な﹁ケリュグマ︵Kerygma原始キリスト教の宣教︶﹂へと還元するブルトマンに対し︑ブルーメンベルクはさらに次のように述べている︒﹁ケリュグマという堅固で分節 化されない核︵Kern︶へと還元することはその受容の可能性を破壊する︒﹁非神話化﹂に従って考えるのであれば︑ バッハには音楽の無力さが指摘され演奏を止めるようにとの判決が下されることだろう﹂︵MP 221︶︒ブルトマンが促した聖書からケリュグマへの実存論的転換には︑﹁史的イエス﹂を再構成するという不可能な努力からキリスト

教的信仰を救い出すことがあったわけであるが︑そうなると﹁私がそれです﹂という純度の高い証言以外︑排除さ

(17)

れてしまうのではないかとブルーメンベルクは懸念しているようである︒しかしブルーメンベルクはブルトマンに対して単純な批判を加えたうえで自らは理論的な再神話化や再隠喩化を唱道するというわけではまったくない︒む しろケリュグマへの還元というその態度に︑世界創造神と救済神とを分節するグノーシス主義的﹁仮現説︵Doketi-smus︶﹂の残滓を見て取ること︑またそれによってブルトマン神学を駆り立てているその背景を明らかにすることこそ︑ブルーメンベルクのここでの狙いなのである M︒

おわりに

 

││  宗教的情念の根源性について  ││

  これまで見てきたように︑能動的行為としての﹁受容﹂を宗教経験の中心に位置づけるブルーメンベルクの思考

には︑起源ではなく変容のプロセスに││核ではなく核の不在を﹁触媒﹂とする﹁結晶化﹂に││焦点を当てると

いうかたちでの︑宗教哲学的思考の転換が見て取られる︒﹃隠喩学のためのパラダイム﹄では﹁絶対的隠喩﹂の本

質ではなく︑概念的思考による体系化に対するその機能が主題化された︒宗教論で強調されたのも同様に︑宗教的原体験の本質そのものではなく︑原体験の不在がもたらす意味の空白としての﹁わからなさ﹂である︒とりわけ後

者の議論では︑意味の空白がもたらす根源的な困惑という人間学的事実が着目された︒その困惑こそ︑空白の埋め

合わせに対する切迫感を伴いつつ概念化の要求を駆り立てている期待の背景なのである︒こうしてみるならば︑

﹁誤解﹂ないし﹁無理解﹂に焦点を絞るブルーメンベルクの思考が︵ガダマー的な︶理解の解釈学とは相容れない異

質な要素を含んでいることは明白であろう︒地平を融合することあるいは解釈の循環に正しく入りこむことが問題

なのではない︒むしろその手前で︑解釈という行為を不可避的に促しているものは何であったかと問うことこそ︑

(18)

ブルーメンベルクが独自に発見し︑後期の﹃マタイ受難曲﹄に結実した﹁受容﹂の問題領域である N︒   ブルーメンベルクは同時に︑﹁歴史性﹂を説きつつもその手前に思考をとどめてしまうとされる︵ブルトマンの︶

﹁非神話化﹂の神学や︵ハイデッガーの︶存在史的叙述からの離脱をも求めている︒﹁受容﹂の思索はただ迂回の必

然性を唱えるだけではなく︑実際に思考と情念の結晶化のプロセスへと踏みこむことを要求するのである︒本論文

がこれまで検討してきたように︑その決断を促すものこそ﹁受容﹂という事態への注視にほかならなかった︒﹁受容﹂によってもたらされる根源性は原理へと一般化されることなく︑そのつどの固有のコンテクストにおいてのみ

導き出されるべきものである︒宗教の﹁起源﹂ではなくその﹁受容﹂へと定位し︑宗教的情念の受容史を中心化す

ることで︑歴史探求は新たな哲学的意義を獲得すると言えよう︒

  そのような視座においてはじめて︑現象論と本質論︑記述と規範︑あるいは宗教学と宗教哲学という対立の狭間にあるはずの課題領域もまた開かれてくることだろう︒たしかにそうしたかたちで宗教にアプローチせざるをえな

いとすれば︑それはこれまでの研究法に対するひとつの断念ではある︒とはいえそれは知的営みを放棄することで

は当然ない︒﹁非概念性の理論への展望﹂においてその意識をブルーメンベルクは次のように表明する︒﹁我々が学問についてのまさにそれ 00000という真理を期待することができないということをもう認めなければならないとしても︑

いまや知ることの失望に結びついているものをなぜ我々が知ろうと欲したのか︑我々は少なくともそれを知ろうと

欲するのである﹂︵SZ 87︶︒学問的真理への失望は知的探究を無化してしまったのではなく︑むしろ思索を我々自身の期待という残存する情念へと駆り立てる︒したがって﹁宗教受容の哲学﹂においてようやく明らかになるの

は︑﹁受容﹂の次元のみが備えている宗教的情念の根源性の相貌であるとともに︑失望のコンテクストへと迂回す

(19)

ることで果たされる︑ニヒリズムの時代においてなお可能な││あるいはそれ自身がすでに誤解である可能性を受け入れるような││またひとつの自己知のあり方でもある︑と言えるだろう︒

略号

ブルーメンベルクの著作からの引用に関しては以下の版を用いる引用個所をで指示しその後で内に略号と頁数を表記する︒AM   (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2006).MP   (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1988).LN  . 6. Auflage (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2012).PM  . Kommentar von Anselm Haverkamp unter Mitarbeit von Dirk Mende und Mariele Nientied (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2013).SZ   (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1979).W   (Stuttgart, Reclam, 1981).

参照︒ Johns Hopkins University Press, 1993)︑   Talal Asad,  (Baltimore, 1︶例えば

第二章伝統を創出する視点参照︒   2︶氣多雅子ニヒリズムの思索創文社一九九九年その第二部始源的な思索に向けて第一章大乗経典制作と解釈学﹂︑

揺さぶりがテクストの次元そのものの自己運動を開始させるに至るとき原テクストを読むことにおいて新しいテクストを創造 元がテクストの次元に踏み込みながら解釈の次元の生動性がテクストの次元に揺さぶりをかけるような仕方で展開するこの   3︶﹁西

(20)

するという態度が出現したのである﹂︵氣多雅子上掲書︶︒︵

ブルーメンベルク思想の宗教哲学的側面を明確化するという課題においても有益な指標となっていることのなかったこれらのテーマを主題化し宗教哲学的思索の根本的な転換を導くオリエンテーションは以下に見るように時代錯誤性ゆえに主体を独自の仕方で触発し解釈へと常に駆り立て続けているものだと言えようこれまであまり顧みられる ︶︒ ﹂︑││ ったいくつかの宗教的諸観念もまた科学技術の支配する世俗化と見なされた時代における思考の中から撤去されず残されたま   4︶︑﹁ Ulrik Houlind Rasmussen,  として性格づけるあるいは︑ Ebd, S. 15﹂︵︶ Siebeck, 2000)  (Tübingen, Mohr  Phillip Stoellger,    5︶ブルーメンベルクの宗教哲学を主題化しようとする先行研究は││おそらく以下に本文で述べる研究の集中のために││少な

(Kopenhagen, Kopenhagen University, 2009)︵Erinnerung︶﹂で提示された概念をもとに︑﹁絶対者からの解放﹂︵マルクヴァート以後いかにしてなお神が問題となるかをブルーメンベルクに沿って考察している︒︵

あるった論文があったわけだがこの訳本には掲載されなかったこの経緯も日本のブルーメンベルク受容を考えるうえで象徴的で 神史家としての紹介という側面が強いとりわけ後者の原著には付論として非概念性の理論への展望という哲学的性格を持一九七九年の翻訳であるところの池田信雄土合文夫岡部仁訳難破船﹄︵哲学書房一九八九年であったどちらも精 ﹄︵   Licht als Metapher der Wahrheit6︶

︵   Stoellger 2000, S. 8.7︶   Franz Josef Wetz & Hermann Timm (Hg.), 8︶没後に組まれた論集

(21)

 (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1999)証言が盛り込まれている︒︵

ち上げられた︒ BerlinHans-Blumenberg-Gesellschaft︶﹂││││︵︶   ZfL 9︶

︵ Main, Suhrkamp, 2006). 10  Hans Blumenberg,  (Frankfurt am ︶

︵ 2005). Oliver Müller,  (Paderborn, Mentis, たのは 11  Deutsches Literatur Archiv Marbach︶︵︶稿

︵ lishing Group, 2009), pp. 59‑60︶︒ Markus Gabriel & Slavoj Zizek,  (London/New York, Continuum International Pub-︵ ︑﹃神話狂気哄笑において世界を根源的に開示する構成的神話というシェリング的観点からブルーメンベルクに 12  ︶ 13  Hans Blumenberg, ‑, herausgegeben von Alexander Schmitz und Bernd Stiegler ︶

(Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2017).︵

︵ stermann, 2017). 14  Kurt Flasch,  (Frankfurt am Main, Vittorio Klo-︶

︵ ben von Benjamin Dahlke und Matthias Laarmann (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2020). Hans Blumenberg, , herausgege- 15  Hans Blumenberg,  (Kiel, 1947). ︶

︵ 16  Hans Robert Jauß, , 3. Auflage (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1973), S. 175.︶ Fink, 1972). 17  Wolfgang Iser,  (München, Wilhelm ︶

(22)

超越論的モデル﹂︵Wolfgang Iser,  (München, Wilhelm Fink, 1976), S. 66︶とされる︒︵

新たな時代への様々な配置転換が何によっていかに促されるかという点に着目することで受容の本質性を明確化した︒ Epochenschwelle︵︶﹂  (Konstanz, Universitätsverlag Konstanz, 1987)︶︒ヤウスによれ Hans Robert Jauß, ︵ 18  ︶ヤウスは受容理論その知られざる前史への概観において哲学における受容を取り上げているが哲学史および科学

︵ W 6体を性格づけて用いる表現である例えば参照︒ 19  Phänomenologie der Geschichte︶︵︶﹂

︵  10, 1957, S. 432‑447. 20  Hans Blumenberg, Licht als Metapher der Wahrheit. Im Vorfeld der philosophischen Begriffsbildung, in „“︶

︵ Haverkamp (Frankfurt am Main, Suhrkamp, 2007)︶を参照︒ Hans Blumenberg, . Aus dem Nachlaß herausgegebenen von Anselm ﹂︵ 21  Ausblick auf eine Theorie der Unbegrifflichkeit︶﹃﹂︵︶

問題はマタイ受難曲をはじめ他の著作とりわけ近代の正統性﹄︶を貫くブルーメンベルクの根本テーマのひとつである︒ SZ 98﹂︵︶︒ ズムは復活とは何を意味するはずのものかということを理解していたそれは救済の確信にとっての絶対的隠喩として ならない逐一のケリュグマはいまやもはや字義通りに受け取られる必要もない言語形式の庭に拡散される教義学のリアリ 22  ︶﹁非概念性の理論への展望ではブルトマンについて次のように述べられている︒﹁非神話化はかなりの割合で再隠喩化にほか 学として読むことは可能であると思われる﹄︵ SZ 90﹂︵︶︒ いてそうである著者がテクストに入れ込むことのできたものを超えてそれを豊かなものにしているのは解釈ではないむしろ れが選ばれる理由においてすでに含みこまれているもの以上を示すそれは解釈学にとって模範的事例であるが逆の方向にお ︒﹁ 23  ︶受容理論と哲学的解釈学の近さについては一般にしばしば言及されるところではあるが両者の立場の微妙な差を見落として

(23)

Philosophie der Religionsrezeption von Blumenberg S

HIMODA

 Kazunobu

Es ist heutzutage offensichtlich, dass es bei Hans Blumenberg eine phäno- menologische  Anthropologie  als  den  Kernpunkt  seiner  gesamten  Arbeit  gab. Zu sehen ist aber zugleich die Bedeutung seiner enormen Geschichts- schreibungen, die sich nicht auf seine anthropologische Betrachtung redu- zieren lassen. Dieser Aufsatz thematisiert aus dieser Problemlage der Blu- menberg-Forschung einen in seinem späteren Werk   (1988)  herausgehobenen  Begriff  der „Rezeption“.  Das  Phänomen  der  Rezeption  entsteht Blumenberg zufolge durch die Distanzierung des Ur-Erlebnisses. 

Das  sich  dabei  manifestierende  Unverständige  bzw.  Unbegreifliche  treibt  die Menschen an, diesen leeren Platz wieder zu besetzen. Da ergibt sich  eine  Art  der  religiösen  Erfahrung,  die  Blumenberg  ins  Licht  zu  bringen  versuchte.  Darüber  hinaus  verdeutlicht  der  Aufsatz,  dass  Blumenbergs  ganzes Projekt der „Metaphorologie“ und der „Theorie der Unbegrifflich- keit“ dieses Problem schon vorher behandelt hatte. Daraus formuliert sich  als Blumenbergs Religionsphilosophie sein Versuch, jene traditionelle Rang- ordnung von Ursprung und Rezeption umzukehren und damit die religiöse  Ursprünglichkeit  auf  der  Ebene  der  historischen  Verwandlungen  zu  ver- wesentlichen.

参照

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