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第七章
経 済 学 部 の 生 々 発 展 I
発 展 の 初 期 段 階
富山市の五福原頭に︑前一厚な建築美を添えて経済学部の校舎が鋒え立っている︒それは昭和三十二年当時における富山
大学の代表的建造物であった︒幾波闘を経て︑ここに礎を定めおえた経済学部は︑もはや五福キャンパスを離れることは
ないであろう︒高商系経済学部の歴史を担う生命休として︑ん口岡山大学という綜合大学の有力な一翼をなしつつ︑独自の使
命に向って生々発展を遂げることが︑今後の課題に他ならない︒
高商から工専への転換は︑戦局の急迫に伴う戦争遂行上の異変であったが︑その悲劇を治めて経済学部に再生しえたの
も︑戦後の平和が前提となっている︒我が国は戦火なき平和を享受すること既に三十年にあまる︒この平和体制を永続さ
せ︑文化と福祉の向上につとめることが国民の総意であるといえよう︒同時にそれは経済的成長を不可欠の要素とする︒
国家財政の伸長なくして学部の拡充計画は見込まれない︒また越嶺会の協力や地域社会の支援も︑経済学部の発展を支え
る柱である︒昭和四十年頃までを発展の第一期と捉え主要事項を叙述することにしたい︒
教 官 の 異 動 と 充 実
︑ 付 カ リ キ ュ ラ ム
五福移転後の教官人事としては︑ まず第五代学部長の土生教授が前年度に続いて昭和三十三年度も学部長の職を勤める
ことになった︒これは学部長の任期を二年と定める富山大学学部長選考基準第八条の規定が︑本学部においても初めてそ
のまま施行されるようになったことを意味する︒これまでは本学部に限り︑全学通則の特例として学部長が一年で交替
し︑他学部から注目されていた︒管理業務の責を果すのに︑基準規定の正常運用を望ましいとする経験的認識が︑本学部
でも成立したものと考えられる︒学部のスタ
yフが充実したこと︑学部長の対内的対外的業務が質量ともに加重されたこ
とも︑前例を改める契機となった︒また︑この年度には経済学 1 の海道勝稔助手︑経済学 2 の 武 暢 夫 助 手 の 着 任 が あ り ︑
他方昭和三十三年十一月の高光教授の病残︵在任五年三カ月﹀︑昭和三十四年三月における小寺教授の停年退職︵在任五
年八カ月︑八代学院大学教授︶︑渡植教授の退職︵在任五年八カ月︑松山商科大学教授︶は大きな出来事であった︒学部
は三教授の功績をたたえるために︑研究機関誌の﹁富大経済論集﹂の第四巻第二号と第五巻第一号をそれぞれ小寺教授と
渡植教授の退職記念号にあて︑第五巻第二号を高光教授の追悼号にあてた︒
昭和三十四年度以降の学部長としては第六代学部長に域宝教授が昭和三十四
J三十五の両年度︑第七代学部長に花井教
授が昭和三十六
i三十七の両年度︑第八代学部長に三国教授が昭和三十八
i三十九の両年度に就任した︒また︑教官の異
動については︑昭和三十四年度に経営学 4 の岩淵富治助教授の着任︑昭和三十五年度末の土生教授の停年退職︵在任六年
四カ月﹀︑昭和三十六年度の武石教授の大分大学への転任︵在任七年八カ月︶︑経済学
5の妙見孟助手の着任︑社会学の山本
助手の退職︵在任八年︶︑昭和三十七年度の経済学 3 の神野環一郎教授の着任︑経営学の飯原講師の南山大学への転出︵在
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O年八カ月︶があった︒学部は土生教授
の功績をたたえ﹁富大経済論集﹂第七巻第
二号を同教授の退職記念号にあてた︒
教官の多くは部内の機関誌に研究発表を
行うほか︑新しい研究を単行本の形で公刊
し︑学外の専門学術誌に発表するなど︑活
発な研究活動に余念がない︒単行本︑論文
融訳など︑その学問研究への意欲は︑学生
にたいする教育効果にも好影響をもたらす
ものであった︒しかしこうした建設的状況
が確保される前提として︑公正な管理運営
が堅持されなければならない︒
つぎにこの期間の教官配置と講義実施計
画を明らかにするため︑昭和三十九年の学
科目担当状況と昭和三十八年度入学生に対
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するカリキュラム表を掲げておく︒授業科目中︑必修科目は毎年開講され︑選択科目は隔年開講されるのを原則とした︒
叉カリキュラム表に明示されていない特殊講義は非常勤講師に依存するのを例とした︒
北 陸 経 済 研 究 所 の 開 設 と 事 業
旧制高岡高等商業学校時代には﹁官制によらぬ日本海経済研究所﹂が付設されていて特に北陸地域の経済社会の特殊
性を究明するのに貢献するところがあった︒この伝統を継承して経済学部に特色のある実証的研究機関を設けたいという
希望は学部の独立とともに教官や同窓生の間にしだいに盛り上ってきた︒また︑他の旧高商系経済学部にはそれぞれ持味
を活かした研究所が付置されていたので︑最も遅れて学部を形成した当学部でもそれらに比肩して遜色なからしめるため
にも研究所の設立が切実な課題となってきた︒
二学部校舎が五福に移転を完了した昭和三十二年度に入るや土生学部長の熱心な提唱が機縁となり研究所設立の具体的
な計画が立てられるに到った︒北陸経済研究所の仮称のもとに研究所開設に要する資金の寄付募集が越嶺会︵同窓会︶に
訴えられた︒一方学部においても七月には北陸経済研究所規程案が審議され︑内外呼応して研究所設立に慕進したので
ある︒そこで同窓会員ならびに地域社会の協力を求めるため︑左の如き﹁富山大学北陸経済研究所設立趣意書﹂をひろく
配布した︒これは当時の北陸地方の経済状態の特色を指摘し︑北陸地域の経済社会の実態を理論的︑実証的に究明する要
を切実に訴えているのである︒
富山大学北陸経済研究所設立趣意書
一
一 一
一 一
戦前旧高岡高等商業学校当時︑特に北陸地域の経済社会の特殊性を究明するため﹁日本海経済研究所﹂が設立されて
おりました︒そして︑富山売薬の研究等の幾多の研究がなされておりました︒斯かる研究の必要性は今日において減少
するどころか一層増大しておると考えられます︒
又︑わが国においては戦後の復興のため︑国土の総合開発︑産業の発展に努力してきております︒そして︑今や﹁戦
後ではなくなった﹂のでありますが︑その反面において急激な復興の影響として︑人口︑ 工場等の中央或いは大都市集
中となり︑地域による不均衡は一層拡大されました︒叉︑戦後地方団体の独立性が強化され︑夫々復興計画に余念がな
いのでありますが︑前記の不均衡は益々拡大されておる現状であります︒俗に﹁裏日本﹂と称し︑称されておる如く︑
北陸地域においてもこの例に漏れないのであります︒ここでわれわれに課された任務は﹁裏日本﹂の実態を究明するこ
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今や対岸貿易も将に聞かれんとする際︑右の様な事情から︑北陸地域における経済社会の実態を理論的︑実証的に究
明することは目下の急務であると考える次第であります︒
昭和三十二年四月
富 山 大 学 北 陸 経 済 研 究 所
昭和三十二年十二月に至り︑付置研究所はその正式の名称を﹁富山大学北陸経済研究所﹂とすることにきまった︒高商
当時の﹁日本海経済研究所﹂の名称を直ちに復元するには︑諸条件がなお不備であることも考慮された結果である︒従っ
て条件が整えば︑高商と学部の沿草的継続性や伝統的一体性を証示するため︑﹁北陸﹂を﹁日本海﹂に変更することも︑
予想されないではない︒
この月に域宝教授︑が︑旧高商系経済学部の付置研究所を視察することになった︒同氏は滋賀大学や呑川大学などの各
経済学部に出張し︑戦前からの伝統をくむ付置研究所の実態を審かにすべく︑機構や運営について調査した︒その報告を
参考にすると共に︑山口大学その他の大学の付置研究所の現況について行った各種の照会の結果も参照しつつ︑本学部の
研究所についての構想がまとまった︒かくして昭和三十三年一月一日を期して富山大学北陸経済研究所が発足したのであ
る︒その規程は左の如く正式に制定された︒
第 第
二 条 第 三 条
条
富山大学北陸経済研究所規程
本所は富山大学北陸経済研究所と称し︑その事務所を富山大学経済学部内におく︒
本所は北陸地方を中心とする経済並びに社会一般に関する研究調査を行うことをもって目的とする︒
本所は前条の目的を達するために左の事業を行う︒
内外の経済︑産業︑法律その他社会に関する研究及び調査
特に北陸地方を中心とする前項の研究及び調査
前二項に関する官庁︑会社その他の依頼による研究及び調査
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前三項に必要なる資料の蒐集︑整理及び保管
研究及び調査の成果発表並びに刊行
ホ
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その他本所の目的を達成するに適当と認められる一切の事業
第 四
所長 条
第 五 条 第 六 条 第 七 条 第 八 条 第 九 条 第
十 条
第十一条
第十二条
第十三条
四
本所に左の職員をおく︒
一 名 ︒
所員事務員
若干
名︒
若干
名︒
所長は富山大学経済学部長とし研究所の事業を統括する︒
所員は富山大学経済学部教官とし第三条の事業を実施する︒
事務員は本所の事務に従事する︒
本所に所員会議をおき企画︑運営につき協議決定する︒
本所に所員会議の推薦にもとづき所長の委嘱による理事︑監事及び評議員をおき理事︑評議員は財政運営に
関する重要事項を審議し監事は会計監査を行う︒
理事︑監事及び評議員の任期は二年とする
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但し再任を妨げない︒本所に所員会議の互選にもとづき所長の委嘱による常任委員をおき︑事業計画及びその遂行に従事する︒
常任委員の任期を二年とする︒但し再任を妨げない︒
本所
の年
度は
四月
一日
より
翌年
一一
一月
三十
一日
迄と
する
︒
本規程施行上必要な細目は所長これを定める︒
本規程の改正は所員会議の決定による︒
附 則
本規程は昭和三十三年一月一日よりこれを施行する︒
研究所開設の一切の資金は越嶺会の寄付に仰いだ︒研究所の本拠には研究室棟の一室を充てた︒当時は経済界もやや不
況で寄付の募集は容易ではなく︑越嶺会先輩諸氏の格別の理解を得る必要があった︒そのため︑高岡高商以来の経済学部
教官や高岡高商出身の経済学部教官の辛苦はただならぬものがあった︒とくに︑土生学部長は自ら同窓生を歴訪して東奔
西走し︑資金募集に大なる努力を注ぎ︑これらの協力の結尖として百万円に余る資金が得られ︑昭和三十三年五月には
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所式を挙行することができた︒
研究所の具体的な事業としては所員の北陸地方の経済分析を中心とする﹁北陸経済季報﹂の発行︑北陸地方経済の研
究書の発行を助成する﹁北陸経済研究所叢書﹂の刊行︑ならびに部外からの委託調査の結果を発表する﹁北研資料しの発
行を重点に置くことになった︒北陸経済季報の第一巻第一号は昭和三十四年三月に発行されたが同号に載せられた発刊の
辞を次に掲げる︒
北陸経済研究所季報発刊の辞
富山大学北陸経済研究所は所謂北陸地域を中心とする続的社会に関する調査研究を行うことを目的として設立された
ものである︒その目的を達成するため内外の経済︑法律その他社会に関する研究及び調査を行ない︑又︑それに関する
資料の蒐集︑整備及び研究成果の公表をなすものである︒
本季報は︑北陸地方の経済社会の特殊性を究明する一手段として︑先ず︑北陸地方における資料︑特に統計資料の蒐
集整備をなすが︑又︑その大要を比較的迅速に公表せんがために刊行するものである︒
昭和三十四年三月
富山大学北陸経済研究所長
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また第一巻第一号の目次は次のようである︒
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号︵昭三十四・三︶目次北陸三県の経済構造
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植村
元覚
所員
︶ 右の白次からも知られるように北陸地方の経済統計をまとめて解説と分析を行い︑あわせて︑特集記事を載せることが 雇 編集方針であった︒﹁季報﹂のこの編集方針は第
1
巻第2号︵昭三十四・八︶︑第1
巻第3
号︵昭三十五・二︶︑第1
巻第4
号︵昭三十五・五﹀まで続けられたが︑経済統計に関する当地方の関心が高まり︑富山県庁の経済月報や他の官庁から経済統計を中心にした定期刊行物が発行されるようになったので第
2
巻から編集方針が変えられた︒すなわち︑特殊研究報告を以て第
2
巻を編集することとし︑第2
巻 第
1
・第
2
号︵昭三十五・十︶は淡路憲治所員の﹁富山県農業人口の分析﹂︑および大谷明夫所員の﹁富山県賃銀構造の分析﹂を収め︑同第 3 ・4 号︵昭三十六・六︶は菅原修所員の﹁北陸地方
産業構造の金融面からの分析﹂︑池田直視所員の﹁北陸地方の労資関係の構造分析﹂を収めている︒昭和三十六年に富山
県では野心的な綜合開発計画を発表し︑各方面の大きな関心の対象となった︒経済研究所は県計画に対して学問的な立場
から批判検討を加える必要を感じ︑第 3 巻と第 4 巻を挙げてその仕事と取組むことになった︒その結果として県計画の工
業部門と交通部門の批判検討が三国所員と田中所員によって︵第 3 巻第 1 ・ 2 号 l 昭三十六・十二︶︑農業部門と労働部
門の批判検討が淡路所員と池田所員によって︵第 3 巻第 3 ・ 4 号|昭三十七・三︶︑総括的な批判が柴田所員と海道所員
によって︵第 4 巻第 3 ・ 4 号|昭三十八・四︶行われた︒このほかに︑第 4 巻第 1 ・
2号︵昭三十八・二︶は経済学関係
の所員の富山県における従業員態度の共同調査を収めているが︑北陸経済季報はこのようにして経済学部教官に共同研究
の場を提供するとともに︑その当地域の経済に密着した研究成果は当地方に多大の刺戟を与えたのである︒
北陸経済研究所叢書としては第一集として昭和三十四年一月に植村元覚所員著﹁行商圏と領域経済!富山売薬業史の研
究﹂が刊行され︑第二集の菅原修所員の訴訳﹁租税転稼論﹂が昭和三十五年九月に︑第三集の小寺廉士口前所員著﹁庄川峡
の変貌|越中五ケ山の今と昔﹂が昭和三十八年一月に刊行された︒北研資料としては一号から四号まで発行されている
が︑北陸財務局や富山市商工会議所からの委託調査の結果も別の形で発行されている︒また第四集に該当するものとして
柴田裕・淡路憲治・海道勝稔所員共著の﹁富山県経済の発展
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戦前・戦後の農業生産力の展開を中心として
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﹂が昭
和四十三年四月富山大学経済学部経済研究室の名で刊行されている︒モノグラフについては何れも実証的調査研究の成果
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北研資料として第一号から第一
O号までが発行されており︑それは次のようである︒第一号は田中文信所員の﹁富山市
七
八
高度工業化の基礎条件としての交通および電力の実証的研究﹂︵上︶が昭和三十三年に︑その︵下﹀が翌三十四年に刊行
された︒第三号は武暢夫所員の﹁富山県売薬業の現状と問題点﹂が昭和三十七年に︑第四号は長砂実所員の﹁日ソ貿易発
展の法則性と現実﹂が昭和三十八年に︑第五号は淡路憲治所員の﹁富山県における地主層と他産業との関連
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1
明治後期
を中心として||しが昭和四十一年に︑第六号は柴田裕・淡治憲治・海道勝稔所員の﹁戦後富山県経済の構造分析﹂が同
じく昭和四十一年に︑第七号は柴田裕所員の﹁富山県戦前工業生額統計︵小分類︶第一部︵明治四十二年 J 大正九年︶が
昭和四十三年に︑第八号は山崎佳夫所員企﹁富山県配置家庭薬の現状とその課題﹂が昭和四十四年に︑第九号は山口素
光・藤原壮介所員の﹁農村労働力の構成と就業の実態ーーー富山県大沢野町の農家と兼業|||﹂が昭和凶十七年に︑第一
O号として西門正己・珠玖拓治所員が﹁最近の北陸繊維産業ーーその環境・実態および問題点
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その他︑富山商工会議所︑小野薬品工業株式会社︑北陸本線強化促進同盟会︑富山県︑北陸財務局︑北陸農政局︑など
から委託調査をうけた結果についても︑別の形で発行されている︒
なお︑研究所は現在のところ︑官制によらないで自主的に運営されており︑研究ならびに運営資金はかならずしも潤沢
ではない︒昭和三十七年度以降︑北陸銀行より毎年五十万円の寄付を受けていたが︑これは以上の事情にかんがみ貴重な
財政的援助である︒研究所の他の大口資金としては昭和三十八年度のアジア財団︑同年度以降の北陸農政局からの研究資
金がある︒これらは︑北陸の地域経済の研究に対する研究補助ないし委託調査費として与えられたものである︒しかしな
がら︑現状においては専任の研究員を持つことができず︑研究上の不便は小さくはない︑将来は国の施設として官制化す
ることが期待されている︒この点は第四節でも再説したい︒
経 済 学 部 経 済 学 会
経済学科が発足すると同学科所属の教官の研究成果を発表する機関誌一富大経済論集﹂を発行することを主なる目的
として︑﹁富山大学経済研究会﹂が設立された︒この研究会がその後の経済学部経済学会の初期の姿である︒研究会の会
則は次のようである︒
富山大学経済研究会会則
第 条
本会は富山大学経済研究会と称し︑その事務所を富山大学文理学部経済学科内に置く
本会は経済学︑法学︑社会学に関する研究並びに発表を行うことを目的とし︑毎年一回以上機関誌﹁富大経
済論集﹂を発行し会員に配布する
第 二 条 第 三 条
本会は左の会員をもって組織する
1
本学文理学部経済学科並びに他の社会科学担当の教官
2
本学文理学部経済学科並びに本会の趣旨に賛同する本学学生及び卒業生
3
評議委員会の承認を経て入会した者
第 四 条
本会に左の役員を置く
1
会長︑文理学部長
評議委員︑第三条第一一項の者及び互選に依り選出された学生代表若手名
2
九
一 三 ニ
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3
理 事
名 4
編集委員
5
会計委員
若干名
若干名
第 五 条 第 六 条
会長は毎年一回以上総会を招集し︑会務を報告しなければならない
本会会員は年額弐百円︵別に入会金百円︶を納める
第 七 条
本会運営に関する細部の事項は本会内規にの依る
第 八 条
木会会則の改正は評議委員会の決議による
最初の富大総済論集は昭和は昭和二十五年九月に﹁開学記念創刊号﹂として発行されたが︑同号巻頭の清水虎雄文理学
部長の﹁発刊の辞﹂は当時の経済学科教官の意気を十分に伝えているものである︒次に︑﹁発刊の辞﹂と目次を掲げてお
く
発
干 リ
の 百 平富山大学は昨年五月全国各県に新制大学が設立された際に発足した国立大学であって︑文理︑教育︑薬学︑工学の四
学部を以て編成されている︒その中で文理学部は文学科︑理学科︑経済学科の三学科から成るが︑経済に関する学部又
は学科を持つ大学は裏日本即ち日本海沿岸では他に鉱山いのであるから︑本学における経済学科は最も特色のある存在で
ある︒富山県は裏日本に於て最も経済活動の盛んな地方であるから︑嘗ての高岡高等商業学校が裏日本唯一の高等商業
学校であった事実とも照応し︑極めて重要な立地的意義を持つものということができよう︒
本学の完成年度は昭和二十七年度であるから︑現在の段階では教授陣容も未完成の状態である︒然しながら︑斯学の
研究活動は一日も等閑にはできないので︑先般経済学科に所属する経済学︑法学及社会学各部門の専任及兼任の全員を
以て富山大学経済研究会を組織し︑其の機関雑誌として﹁富大経済論集﹂を発刊し︑研究の成果を発表することとした
のである︒本号は即ち富山大学関学記念を兼ねた創刊号であって︑ここに収載する論文は何れも各員の最近の研究成果
を編集したものである︒本学創設以来日尚浅く研究も省みて意に満たない点も多いのであるが︑兎も角第一の基石を置
き︑将来の発展を期し度いという各員の徴意であるから︑先学各位の御示教を得ることができれば此上ない幸である︒
昭和二十五年八月
清
水
富大経済論集︵開学記念創刊号﹀昭和二十五年九月
目 次
北陸
経済
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史的
展開
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経済発展の産業構造的分析||政策樹立の前段階的考察として
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豊 島
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小島の社会の研究
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執筆者のうち中臣氏は文理学部史学第二講座の一講師であったが他の諸氏は経済学︑法学︑社会学の専任ないし兼任の教
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かっその会員であった︒
富大経済論集は第一巻は開学記念号の一冊だけで第
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巻は昭和二十六年度に第一号から第三号まで三冊発行された︒第2巻第一号の執筆者は植村︑古川光︑石瀬︑小寺︑池田︑清水の諸氏であり︑第2巻第2号の執筆者は城宝︑植村︑高光︑
石瀬の諸氏のほかに武石勉教授が﹁経済政策の一典型TVA﹂を載せている︒第
2
巻第3号の執筆者は城宝︑植村︑高光池田の諸氏のほかに渡植彦太郎教授の﹁創造と社会性しの掲載がある︒
富大経済論集は第二巻をもって打ち切られ︑昭和二十七年度以降は﹁富山大学紀要経済学科論集﹂に引きつがれるこ
とになった︒従来の論集形式での発行が財政上の困難を伴い︑この困難を避けるために︑他学部と同形式の紀要形式をと
ることにしたのがその主たる理由である︒紀要形式をとることによって経済研究会の機関誌発行は国費に依存することに
なったのであるが︑紀要形式が過渡的なものと考えられていたことは次の﹁発行の辞﹂にみるとおりである︒なお︑創刊
号の目次も併せ掲げる︒
発 刊 の 辞
文理学部長
主目
ー
水 虎 雄
富山大学文理学部経済学科の外郭研究団体である経済研究会では︑従来﹁富大経済論集﹂の名称の下に経済学科に属
する教授︑助教授等の論文集を刊行して来たのであるが︑本年三月経済学科の最初の卒業生として百十九名の経済学土
を送り出す機会に︑経済学科教官の研究を益々盛んならしめ︑且つ発表機関を一層充実せしめるために︑今までの﹁富
大経済論集﹂を廃刊し︑新に本学において﹁富山大学紀要経済学科論集﹂としてその第一号を発刊する事になった︒大
学紀要の編集方法に色々有るが︑本紀要は一応論文集の形式を採る事にした︒将来に於ては更に形式及び内容に検討を
加えるつもりである︒
昭和二十八年三月
富山大学紀記経済学科論集創刊号︵昭和二十八年三月︶
目 次
米支経済関係の回顧と展望・
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﹁表式﹂における﹁恐慌の抽象的形態﹂:
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ーl富山平野における売薬業と賃労働の成立基盤||
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ピケッティングの法律的意義::::
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ついで第二号が昭和二十八年八月に発行されたが経済学部が同年八月一日に発足した関係上︑﹁富山大学紀要経済学
部論集﹂の第二号と表示された︒以後︑昭和二十九年度以降昭和三十一年度までは一年に三冊︑昭和三十二年度には一冊︑
昭和三十三年には一冊の割で第十四号まで発行され︑その問︑学内の教官の研究発表機関として大きな役割を果した︒
経済研究会は経済学部の独立とともに活動を再開する努力が行われた︒発足当時は会員から会費を徴収する立前にな
っていたがが実際は徴収されぬまま︑昭和二十六年には会費徴収をきめた会則第六条も削除され︑富大経済論集も廃刊と
なって︑経済研究会は事実上冬眠状態にあったのである︒活動再開のためには何より資金を持つ必要があったから昭和三
十年度に経済学部の入学生から一千円の入会費を徴収することに会則が変更され︑昭和三十一年度には研究会主催の最初
学術講演が行われ︑昭和三十一年十一月一日に羽仁五郎氏が来講した︒また︑学部の研究機関誌としては富山大学紀要の
形式は不便であり︑富大経済論集の形式が望ましいという教官の希望︑か強くなった︒紀要は大判であるが︑他の大学の経
済学部は大部分が
A 判の論集型の判の機関誌を発行しており︑かっ︑発行の主体は学部内の研究団体であるという当時5
の事情を反映しているのである︒同時に︑学生側からの学生の研究機関誌を持ちたいという要望が強かった︒富大経済論
集の一復刊と学生の研究機関誌の発行を主たる目的として研究会規程の大幅な改正が行われた︒学生研究機関誌名は学生か
ら公募されたが︑小寺教授の推薦があってE開ω
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に決った︒また︑会費も二︑
00
0円に値上げされて二つの機
関誌の発行費を賄うこととなった︒新しい研究会規程は昭和三十二年九月十二日付で改正されたが︑この新規程が以後の
研究会活動の基礎になった︒次に新規程と富大経済論集の﹁復刊の辞しを掲げる︒
第 条
官岡山大学経済学部経済研究会規程︵昭和三十二年九月十二日改正︶
本会は富山大学は富山大学経済学部経済研究会と称する
第 条
本会は経済学︑経営学︑法学︑社会学その他の学術に関する研究並びに発表を目的とする︒
第 三 条
本会は前条の目的を達成するために左の事事を行う
一︑毎年一回以上機関誌﹁富大経済論集しを発行し会員に配付する︒
二︑毎年一回以上学生研究機関誌﹁開ω
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﹂を発行し会員に配付する︒
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三︑学術講演会を開催する︒
四︑その他本会の目的を達成するに必要な行事を行う︒
五
第 四 条 第 五 条 第 六 条 第
七 条
ム
ノ 、
本会は富山大学経済学部教官︑卒業生︑及び在学生をもって組織する︒但し本学部に関係ある者の入会を許
可することができる︒又︑本会は名誉会員を推薦することができる︒
本会の事務所は富山大学経済学部内に置く︒
本会に左の役員を置く︒
一︑会長富山大学経済学部長が之にあたる︒
二︑評議員富山大学経済学部教官より会長が委嘱する︒
三︑企画委員︵若干名︶日評議員中より会長が委嘱する︒
四︑学生委員︵若干名﹀本学部在学生中より会長が委嘱する︒
五︑会計委員︿若干名﹀評議員中より会長が委嘱する︒
六︑書記︵若干名︶本学部事務職員中より会長が委嘱する︒
彼員は左の職務を行う︒
一︑会長は本会の事務を統轄する︒
二︑評議員は重要なる事項を協議する︒
二一︑企画委員は機関誌の編集及びその他の行事の企画運営にあたる︒
四︑学生委員は学生研究機関誌﹁円山叶
CU
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﹂の編集及びその他の行事の企画運営にあたる︒
五︑会計委員︑会計事務を処理する︒
六︑書記は委員を補佐し庶務会計及び編集の事務にあたる︒
第 八 条
会長︑評議員及び書記はその任期を定めない︒企画委員︑会計委員及び学生委員は一ヶ年をその任期とする︒
第 九 条
会員は入会費金式千円を納めなければならない︒会費は別に定める︒
第 十 条
本会規程の改正は評議員会の決議に依る︒
復
干
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の 辞
経 済 学 部 長
経済研究会長
土 生 法
事恵
富山大学経済学部の外郭研究団体である富山大学経済学部経済研究会は︑その前身である富山大学経済研究会時代に本
論集を第二巻第三号まで発行したが︑昭和二十八年三月︑富山大学紀要経済学部論集の前身である富山大学紀要経済学科
論集が新たに発刊されることになったのを機に廃刊された︒しかし︑前記紀要のみでは本学部教官に対して研究発表の機
会が十分に与えられない事情にかんがみ︑今回︑本論集を復刊し︑年数回発行することにした︒
昭和三十三年三月
論集の復刊第一号は旧論集︑が第二巻第三号で終っていたので第三巻第一号として発行された︒また︑紀要はすでに述べ
たように昭和三十三年度に一冊を発行したのみで廃刊され︑以後は教官の学内機関誌は論集に一本化されている︒
四富大経済論集は昭和三十三年度に二冊︑三十四年度以降毎年四冊︵ただし︑三十五年度は例外﹀の割で発行され︑昭
和三十九年四月には第十巻第一号を発行している︒この間︑第四巻第二号︵昭三四・二一︶は小寺教授の停年退職を記念し