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一 一 都 和 一 北 一 青 一 山 石 一 宮 一 秋 一 日 言 語 一 在 一 荘 一 川 け は 同 ゆ 岡 阿 佐 川
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四六 六
国的な規模で入学者が集まりつつある︒しかし︑他県出身者のうちでは石川県︑愛知県︑福井県︑長野県︑新潟県︑岐阜
県など富山県をとりまく県の出身者が圧倒的に多い︒とくに石川県が最も多く︑時に愛知県が石川県を凌︑ぎ︑福井県がそ
れに次いでいる︒最近では長野県出身者も多く︑また北海道や九州の出身者もいる︒最近︑沖縄留学生が三十七年度︑一ニ
十九年度および五十年度に各一名入学している︒
卒業生数と入学生数を四年の年度をずらして対称的に前掲のグラフに示してある︒二十七年度の卒業生は二十四年度の
入学生を主体とするわけであるが︑グラブから明らかなように卒業生の方が多い年度のあるのは転科転部の学生があった
ためである︒二十八年度以降の卒業生数は四年前の入学数に比例することがグラフから分る︒一一一十五年度卒業生数が三十
二年度入学生より多いのを例外とすれば︑どの年度の卒業生数も四年前の入学生数より少なく︑中途退学者が若干数にお:
よぶ
こと
を知
るの
であ
る︒
学 生 の 就 職 状 況
卒業者はごく僅かの家事従業者と進学者を除いて就職を希望するが︑卒業時においては就職希望がすべて達せられてい
る︒卒業時点で調べた卒業年度別︑産業別就職状況一覧は次表の通りである︒
ただし︑卒業生数はかならずしも各年度末における卒業生数ではなく︑年度途中のものも含んでいる︒各年度の前期を
終了後卒業した者は二十九︑三十一︑三十三︑三十六の各年度に一名︑一二十七年度二名︑一二十五年度三名︑三十四年度五
名あり︑さらに昭和三十一年以降も一名ないし数名を数える︒しかし例外的数字と考えてよい︒
卒業生名簿の越嶺会会員名簿から主なる産業別に卒業生従事数を示すと次表のようである︒
富山大学経済学部卒業生産業別就職状況
\業\種\卒業〜回〜数 1 2 3 4 Z》 6 7 8 9 10 11 12 13 14 1農漁業業・林業・ 1 2 1 2
2鉱 業
3建 設 業 9 2 4 2 2 2 4 5 3 6 5 10 3 5 4ば食糧こ製品造・業た 1 つ 3 1 3 4 3 1 2 3 1 2
繊衣維服工業・
5 その他 2 つ 2 1 2 〉 1 1 3 4 4 6 ~.'.~版関連・印産刷業・ 7 4 4 6 5 3 3 7 3 3 4 2 7
: f
芸(出) 2。
2 2 4 7 3 4 9 17 5 4 9 6 8鉄 鋼 業 1 1 1 2 1 1 4 3 4 5 2 2 29金属−製 品 製 品j,菜 4 2 1 8 2 3 10 つ 7 2 4 12
10一具般製機造械業器 3 3 3 3, 7 7 5 8 10 3 2 10 4 11麗 聖 堂 器 1 2 1 2 1 2 11 8 1 12 輸器送具製用機造業械 3 1 4 8 4 4 4 2 1 3 4 1 13精具密製機造業械出 3 1 1 ヱ 』つ 1
14ユそ、止旦世の克己と他の製 4 4, 4 1 6 9 9 11 3 4 7 5 3 9 15卸・小売業 11 8 13 11 18 15 19 18 30 22 23 12 20 32 16金業融・保険 26 29 24 20 19 26 29 31 30 26 27 34 34 3R 17不 動 産 業 1 1 2 1 1 1 18運業輸・通信 3 2 4 2 5 9 2 2 3 2 7 4 4 4
電水気道・カス・
19 業 6 8 1 6 1 4 2 5 7 3 5 1 1 20業医療・保険
21、丘 務 1 1 1
22教 育 9 5 10 6 4 2
。。
3 2 1 3 2 23宗 者t 2 1四 六 七
24非体蛍利的団 2 1 ヱ 2 1 2 1 り
25その他のサーヒス業: 3 υ c 2 7 9 8 15 6 6 2 1 3 5 26公 務 員 5 6 7 15 8 8 10 3 8 8 3 3 12 16 27:札JよσーJ、(イユ勤ィ、、明i務1月先.r、ノ! 9 6 1 10 15 7 10 17 5 8 23 20 12 16 卒 業 者 数 118 94 89 105 129 129 133 133 144 138 134 128 132 165 死 亡 者 数 5
。
5 2 1 2 1 3 2 3 よ 4 2。
卒業者生存数 113 94 84 103 128 127 132 130 142 135 133 124 130 165
富山大学経済学部卒業生産業別就職状況
戸喋\種−−−−−−卒1業〜凶ー数 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 ,;t 1農漁業業・林業・ 1 2 1 1 1 12
2鉱 業 1 1
3建 設 業 3 3 1 10 15 8 5 6 2 4 5 3 127 会警暴・た 4 2 2 4 2 2 4 1 1 6 5 59 4 造業
~繊平維盟 総
15窓業会−)
2 1 7 1 5 3 2 1 2 1 50 5 1 3 2 3 ヱ 1 つ 2 2 1 77 υ c 6 7 4 6 5) 3 4 4 4 5 137 8鉄 鋼 業 2 1 1 3 3 41 9 4非b鉄層金進')$属主製,,,,m造業f笠・ 4J :
10 7 2 3 4 8 5 2 5 116 10具一製般機造械業器 3 5 9 2 7 3 μ つ 3 5 114 11電具製気機造械業器 1 lj 6 9 9 11 10 12 2 21 6 104 12一輸送用機械; 3 円 4 7 5 4 2 ヱ 2 2 1 791
3ο精具蛮製機造械業器 1 1 1 4 2 1 1 22 14スそ、止旦世のに他の製ラ 5 4 8 8 8 1 6 7 8 12 41 159 15卸・小売業 31 41 30 25 19 27 22 28 23 18 34 381 5R8 16業金融・保険 321 30 21 24 29 24 32 34 48 46 842 17不 動 産 業 3 1 1 1 1 15 18業輸・通信運 6 4 3 υ c 5 3 2 4 1 94
~:叶業
水医.,t気道業療−・・力保ス険・ 1! 2 2 1 1 3 1 3 3 671
21/1、; 務 3
22教 育 2 4! つ釘 2 4 3 1 2 1 69
23宗 教 1 2 6
24:j体1q;~’利的団 2 3 4 3 7 2 2 1 3 1 45
r。その他のサーヒやスヨ叫ミ 3 8 8 10 11‑‑;;] 12 4 3 9 8 19 177 26公 務 f'l 10 6 6 11 11 29 24 24 18 17 15 28 311 幻そf也の/\叫京別ι行
1
/ 17 1011 15i 5 12 10 16 20 298 卒 業 者 数 145 14d 13G 144 159 155 148 138 192 211 3, 650 死 亡 者 数 2 0 0 0。
1。
1 0。
36[卒業者生存数 143 146 136 144 159 159 145 154 148 137 192 211 3, 614 四六 八
学 生 の 研 究 状 況
富山大学続的研究会︵後に経済学部経済学会と改称されたことは前注した︶は役目として学生代表を加えることになっ
ていた︒昭和三十二年度の研究会予算において学生の研究活動が経済研究会の支暖を受けることが明示されている︒この
時以
来︑
日本学生経済︑ゼミナールでの本学部学生の報告と討論のための参加︑学生のインターゼミの一開催が学生研究論文
かっ︑その水準集の刊行とともに経済研究会の事業となったのである︒これらのことが雨後の学生の研究活動を刺戟し︑
を高めるのに大いに貢献したのである︒
日本学生経済ゼミナールは昭和二十九年に第一川大会が横浜国立大学で開催され︑全川本の一経済関係の大学作り研究討
論の場が初てでき上った︒本学部では昭和三十一年十二月︑山口大学で開催された第一一一州大会に初めて当時三年次生であ
った横山巌君が報告した︒昭和三十二年十一月︑慶応大学で問らかれた第四回大会では︑日大会での報告が経済研究会に
よって支援されることになった関係もあって︑当時三年次生の苗崎士山弘・高野実両君の共同研究および︑稲垣俊士
7
猪俣一男両君の共同研究が報告されるとともにかなりの数の学生が討論に参加した︒以後︑日大会における本学部生の研究被
告は活溌に行われようになった︒昭和三十七年度の第九回大会は木学部において開催されたことは特筆すべきことであっ
た︒この大会では本学部から多数の学生が報告ならびに討論に参加し︑本学部学生の一声価を尚めたのである︒本大会は附
和三十九年度は第十凶大会として法政大学で聞かれたが本学部から三つの報告が行われるとともに各種の討論に参加して
い ヲ 心 ︒
PAAJリ ︑
中/ふイ全日本学生法学ゼミナlルも昭和↓J十九年に設立され︑第一同大会が立命館大学で催されて今日におよぶが︑本
円吋﹂︑?ぃ円υ↑J ノ︐ サノ
四七
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学部の法学ゼミ学生は早稲田大学での第四回大会以来ほとんど毎年の出席および討論参加を欠かさない︒
また︑本学部学生は北信越大学︵富山︑金沢︑新潟︑信州︶の経済関係学生の共同ゼミナールを主唱し︑第一回北信越
学生ゼミナール大会を昭和三十三年十月二十六日に本学部において開催した︒同大会では実際は信州大学の参加がなかっ
た︒本大会は以後︑会場を各大学持ち回りで開催が続けられている︒ただ︑その後﹁北陸三大学法経ゼミナール﹂と会の
名称を変更し︑第七回大会は昭和三十九年度は本学部で聞かれた︒
学内のインターゼミも昭和三十二年度以降毎年のように聞かれており︑昭和三十九年度は七月に経営会計系︑経済系︑
法律系の三つに分かれて聞かれている︒
学生研究論文集はE何
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叶C U
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という名称で昭和三十三年三月に創刊号が刊行された︒その内容は昭和三十一年と昭
和三十二年度の日本学生経済ゼミナールにおいて研究報告を行った前記の学生諸君の報告を主としている︒創刊号の目次
は次のようである︒
技 術 進 歩 と 経 済 の
重
構
、丘二Z旦
回
崎
士口
弘
ーロビンソン・モデルによるわが国紡織工業の技術進歩の分析
l
﹂ 品
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間引
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毅 独
占 的 競 争 理 論 の 般 均 衡 論 的 考
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巌 経 済 軍 事
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論
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てと口
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