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スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワ ーク実践に関する考察

著者 羽鳥 恵一

雑誌名 評論・社会科学

号 133

ページ 173‑195

発行年 2020‑05‑31

権利 同志社大学社会学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2020.0000000196

(2)

要約:精神科ソーシャルワーク実践の現場では,クライエントの抱えるスピリチュアリテ ィへの配慮が求められる。本稿では,先行研究を紐解き,スピリチュアリティを取り巻く 全体的状況を把握し,社会福祉学の歴史的変遷を概観することで,ソーシャルワーク実践 がスピリチュアリティに基礎付けられていることを明らかにした。特に精神科ソーシャル ワーク実践では,筆者が実際に関わった事例のように,特有な仕方での配慮が必要である。

その際,ソーシャルワーカーには,自らの弱さや感受性の自覚が求められる。それによっ て,クライエントも私も同じ自他不二の存在であると気づくとともに,スピリチュアリテ ィに配慮した実践が可能となるのである。

キーワード:社会福祉,ソーシャルワーク実践,精神科ソーシャルワーク,スピリチュア リティ

目次 1.はじめに 2.研究背景

2-1.スピリチュアリティを取り巻く全般的状況 2-2.社会福祉におけるスピリチュアリティの歴史的変遷 3.ソーシャルワークにおけるスピリチュアリティ

3-1.社会福祉学におけるスピリチュアリティ

3-2.ソーシャルワーク実践とスピリチュアリティとの関連 4.事例を通して考える

4-1.事例報告

4-2.精神科ソーシャルワーク実践でのスピリチュアリティ 5.スピリチュアリティへの気づきと援助実践

5-1.感受性と可傷性

5-2.自己否定による自他不二の気づき 6.結論

────────────

同志社大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程

2020318日受付,査読審査を経て2020331日掲載決定

論文

スピリチュアリティに配慮した

精神科ソーシャルワーク実践に関する考察

羽鳥恵一

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1.はじめに

精神科ソーシャルワーク実践の現場には,個々それぞれに複雑な背景を抱えたクライ エントが訪れる。筆者も精神科ソーシャルワーカーとして,長年にわたって精神科領域 におけるソーシャルワーク実践に携わってきたが,その中で,様々な状況に直面した多 くのクライエントと関わってきた。しかし,クライエントが実際に抱えるしんどさ,生 活のしづらさの本質を把握するのは,なかなか難しいことであった。例えば,死にたい と口にするクライエントに対して,ソーシャルワーカーは何ができるであろうか。その ようなクライエントの真のニーズはどこにあるのか,またそれをどのように探っていく ことができるのか。いずれにしろ,ソーシャルワーカーはどのようなクライエントに対 しても,その都度で的確にアセスメントを行い,ケアを実践しなければならない。その 際のアセスメントでは,クライエントの生活歴や家族背景,関係支援機関といった環境 的要因の確認だけでなく,本人の希望や生活のしづらさ,さらにはそこにある苦しみや 葛藤など,時には本人が言葉にすることのできない内的体験や感情,場合によってはそ の背景にある文化的特質などにも視野を拡げなければならないのである。

もちろん,現場では様々なアセスメントツールが用いられている。しかし,クライエ ントは個々それぞれで異なる背景を持っているのであり,そのようなクライエントをア セスメントする場合,ソーシャルワーカーがその場その場で目の前のクライエントと向 き合い,根気強く対話を重ねて探って行かざるをえないのである。したがって,たとえ 同じツールを用いたとしても,ソーシャルワーカーの経験と勘によって,アセスメント の質が大きく異なる可能性は十分にありうるのである。そのため,場合によってはアセ スメントが的を外れ,援助過程がソーシャルワーカーの当初の想定から大きくずれるこ ともある。中には,どうしてもクライエントを理解することができないケースや,援助 すらを考えられないような場面にも遭遇する。そのたびごとにソーシャルワーカーは自 らの実践を振り返り,的確にクライエントをアセスメントできなかった自身を責め,よ り質の高い援助が実践できたのではないかと思い悩み,葛藤することになる。うまくい かなさから無力感に陥り,極端な場合には,ソーシャルワーカーの方が自己の存在その ものを否定されたような危機的状況に直面することもあるのである。それでも,ソーシ ャルワーカーが援助者としてあるためには,そのような無力感や自己否定感を乗り越え る必要があると考えられる。

このような危機的状況の乗り越えについては,例えば深谷美枝が,特定の信仰を持つ 障害者福祉に携わるソーシャルワーカーにインタビュー調査を行い,このような危機的 状況に直面したものがいかにしてそれを乗り越えたかを聞きとっている(深谷,2015,

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2018, 2019 a, 2019 b)。そこでは,ソーシャルワーカーの信仰していた宗教がバッファ ー機能として作用し,それぞれの信仰心からクライエントへの深い共感が生まれ,クラ イエントをかけがえのない他者として捉えることでかえって自らの信仰心も深まり行く ことにより,危機的状況を乗り越えたことが語られている。ここでは,あくまで既成の 伝統的宗教への信仰心がその根底に語られるわけであるが,しかしそれは既成宗教だけ に限られたものではない。そこで鍵概念になるのが「スピリチュアリティ」である。

2019年現在,日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW)倫理委員会によって「ソーシャ ルワーカーの倫理綱領」の改定案がまとめられているが,その中には,「ソーシャルワ ーカーは,すべての人々を生物的,心理的,社会的,文化的,スピリチュアルな側面か らなる全人的な存在として認識する」という条文が新たに設けられ,スピリチュアリテ ィを倫理綱領の中に導入する方向で検討されている(日本ソーシャルワーカー連盟

(JFSW)倫理委員会)。そもそも,世界保健機関(WHO)が1998年に提案した新しい 健康の定義では,身体的,心理的,社会的に動的な状態にスピリチュアリティを加える 形で健康の概念が捉えられていた。それが今になって,日本の社会福祉に反映されるに 到ったと考えられるのである。しかし,ここではスピリチュアリティの明確な定義はな されておらず,その理解にも曖昧さが残ることは否定できない。

元来スピリチュアリティは,religiousness(宗教性・宗教的)とほぼ同義に用いられ てきていた。訳語として「霊性」「精神性」などがよく当てられるが,いずれも伝統的 な既成宗教の色彩を強く受けた用語であった。しかしそれが近年になって,例えば林貴 啓が述べるように,宗教的用法と区別された形で,「宗教的ではないがスピリチュアル」

と言われるようになりつつある(林,2011)。特に,終末期医療におけるスピリチュア ルケアの実践が後押しとなり,スピリチュアリティに含まれる意味と可能性の探求が対 人援助の実践でも盛んになってきている。しかし,ソーシャルワーク実践の現場では,

まだまだスピリチュアリティに対する議論は十分になされていないのが現状である。し たがって,「ソーシャルワーカーの倫理綱領」の中にスピリチュアリティが導入されよ うとしている中,ソーシャルワークにおけるスピリチュアリティの意義や可能性につい て改めて検討していく必要があると考えられる。

このような問題意識のもと,本論ではソーシャルワーク実践の中でも,特に精神科ソ ーシャルワーク実践の場面で,クライエントのスピリチュアリティに配慮する援助実践 のあり方について検討を加える。この目的を達成する方法は以下のとおりである。

まず,現在のわが国においてスピリチュアリティがどのように捉えられているかを明 らかにし,次いで,社会福祉学やソーシャルワーク実践にかかる言説の中でスピリチュ アリティがどのように歴史的変遷を遂げてきたかを明確にする。その上で,現代の社会 福祉学やソーシャルワークにおいてスピリチュアリティがどのように位置づけられるか

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を検討する。ただし,本論で明らかにしたいのは,その中でも精神科ソーシャルワーク 実践にあるため,実際に筆者が関わった事例を挙げ,それに基づいてクライエントのス ピリチュアリティに配慮するソーシャルワーカーのあり方を考察する。その上で,その ようにクライエントと関わるソーシャルワーカーの資質やあり方についても検討を加え る。

2.研究背景

前節を踏まえ,ここではスピリチュアリティを取り巻く全般的状況を概観し,その上 で,ソーシャルワークにおいてスピリチュアリティがどのように捉えられてきたか,そ の歴史的変遷について考察する。

2-1.スピリチュアリティを取り巻く全般的状況

上述のように,2019年現在,日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW)倫理委員会によ って「ソーシャルワーカーの倫理綱領」の改定案がまとめられ,スピリチュアリティを 倫理綱領の中に導入する方向で検討がなされている。1998年の世界保健機関(WHO)

における新しい健康定義の提案以来,日本の社会福祉分野においてスピリチュアリティ を導入するまでに時間を要したのは,スピリチュアリティという用語が既成宗教の色彩 を強く受けた概念であるからだと考えられる。もともと日本では,戦後,政教分離の原 理と個人の信仰の自由の原則によって,社会福祉と宗教を分離してきた歴史がある。そ うすることで福祉国家体制の確立を目指してきたわけであるが,その流れの中で,母体 に宗教系のルーツをもつ社会福祉法人も,少なからず宗教的色彩を弱めざるを得なかっ た感がある。このような事態について木原活信は,「日本において市民感覚としての宗 教への嫌悪が根深く,市民と宗教それ 自 体 に は な お 相 当 の 距 離 感 が あ る」(木 原,

2016 : 26)と述べている。しかしそれが近年になり,「宗教の代替としてのスピリチュ アリティ」(木原,2016 : 26)に焦点が当たるようになってきているのである。

新しいスピリチュアリティが興隆しつつある現状については,島薗進がその背景を分 析している(島薗,2012)。島薗は,戦後の日本において,伝統的な宗教が社会的影響 力を弱めることで,徐々に衰退することになったとする。その一方で,それと並行する ように新興宗教が一時的に隆盛することになるが,これも1990年代以降にその勢力を 後退させることになった。島薗は,このようなもともと宗教が持っていた地域社会や国 民に対する公的機能の低下を,宗教の「世俗化」という概念で説明している。その一方 で,新しいスピリチュアリティは「『自己変容』を主題とする文化」(島薗,2012 : 23)

であり,あくまで個々人の変容の体験に主眼が置かれるとされる。島薗はこれを,宗教

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の「私事化」と呼んでいる。このような動きの中で,個々人の繋がりは儀礼的,祭事的 な地域社会のつながりではなく,あくまで「一人ひとりがまず変わり,他者に働きかけ て相互に力をつけていくエンパワメントを実現する『参加型学習』」(島薗,2012 : 84)

のようなものへと変容を遂げていく。島薗は「新しいスピリチュアリティは,このよう な意味での宗教性の新たな形態ということができる」(島薗,2012 : 46)とも述べ,宗 教に代わる新しいスピリチュアリティの現代的な潮流を説明するのである。

その一方,元来,宗教とスピリチュアリティとは独立したものではなく,あくまで密 接な関連を持っているとも考えられる。例えば島薗は,「『宗教』はシステムの側面から 見ており,『スピリチュアリティ』は個人の経験や資質や特性の側面から見ているが,

ともに『聖なるものとの関わり』をめぐる事柄である」(島薗,2012 : 99)と述べ,ま た堀江宗正も,「スピリチュアリティの定義は,しばしば宗教の機能的定義と大差ない ものが多いし,この言葉自体は,キリスト教という宗教を背景とするものである」(堀 江,2007 : 36)と述べている。堀江はその上で,宗教とスピリチュアリティの境界線は あくまで流動的であり,その時代,文化における宗教のあり方次第で変化すると捉えて いる。また,西平直も「その区別が繰り返し強調されねばならないほど『スピリチュア リティは宗教と近い』」(西平,2007 : 74)と述べている。しかし西平は,スピリチュア リティをそのように捉えながらも,スピリチュアリティの特徴を「宗教性」だけでな く,「全人格性」「実存性」「大いなる受動性」の4つの位相で捉えている。これは言い 換えれば,スピリチュアリティは狭義には「宗教性」と同義に捉えられるが,広義には

「全人格性」「実存性」「大いなる受動性」といった位相も含めた,より多様な意味内容 を含み込んだものとして捉えられるということでもある(西平,2007)。

先述のように,林も「宗教的ではないがスピリチュアル」といった姿勢について言及 し,宗教には積極的に関わりたくはない人であったとしても,「人生の究極的な意味と 目 的 を め ぐ る『問 い』で あ れ ば,ほ と ん ど『誰 で も の』関 心 事 と な!!!!」(林,

2011 : 15)と述べている。これは西平が捉えているスピリチュアリティの「実存性」に 関わる問題に該当するものであるが,林はこれを「問い」と「答え」の位相に分け,あ くまで「問い」の位相を出発点としてスピリチュアリティを批判的,反省的に捉え直す 視点を提案している。このように提起することで,様々な分野で人生の究極的な意味や 目的を考えること,一人称としての自己の死を自覚すること,もしくは何らかの聖なる ものに生かされてあると実感することなどが問われることになる。その結果,スピリチ ュアリティがより広範な人々に拓かれることになると考えるのである(林,2011)。島 薗も,現代におけるスピリチュアリティの潮流に対して,「世俗的な原理によって成り 立っていると見られた諸制度が,宗教的な要素を取り込むようになる」(島薗,2012 : 26)と述べており,現代社会の様々な機能領域で聖なる次元が検討され,それぞれの領

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域で統合や超越が求められるようになってきている現状を説明する。これは,社会福祉 の分野においても当てはまる。すなわち,既成宗教による福祉的実践だけでなく,実践 の中で,宗教と機能的に類似したスピリチュアリティに注目が集まるようになってきて いるのである。「ソーシャルワーカーの倫理綱領」改定案の動きは,このような流れの 中に捉えることができるのである。

2-2.社会福祉におけるスピリチュアリティの歴史的変遷

社会福祉の歴史を紐解いてみると,もともと福祉活動は既成の宗教団体による慈善活 動に依拠するところが大きかったことが分かる。例えばイギリスでは,産業革命以降,

資本主義の構造に伴う矛盾から,貧困問題が重大視されるようになった。1869年,ロ ンドンでは慈善組織化協会(COS : Charity Organization Society)が誕生し,社会福祉活 動が組織的に運営されることとなった。これは後に,アメリカでも設立されることによ って発展を遂げることになるが,元来はキリスト教にもとづく慈善活動から出発したも のである。

このような,COSと並んで重要な役割を担っているのがセツルメント運動である。

これは支援者が実際のスラム街に出向き,貧困者と生活を共にすることでその生活を支 えていく,という理念に基づいた活動である。この活動の第一人者として挙げられるの が,当時,最大規模のセツルメント活動となったハル・ハウスを設立したジェーン・ア ダムス(Jane Addams)であるが,その活動の背景には,キリスト教による影響が大き かったことが指摘されている(木原,1998, 2003)。

また,キリスト教神学を土台にケースワーク理論を打ち立てたフェリックス・バイス テック(Felix P. Biestek)は,その主著『ケースワークの原則』の中で,クライエント を「神の形になぞられて創られた同じ人間」(バイステック,2006 : 115)と捉える。ま た,クライエントの価値や尊厳についても,「創造主である神がわれわれに与えたもの」

(バイステック,2006 : 114)と考える。ここでは,キリスト教神学におけるスピリチュ アリティを前提に,神の似姿としての人間という神学的理解から,ソーシャルワーク実 践における援助関係を整理しているのである。このように,欧米におけるソーシャルワ ーク実践の背景には,少なからずキリスト教の影響を見て取ることができるのである。

その一方で,日本におけるソーシャルワーク実践の歴史を概観してみると,例えば留 岡幸助の感化教育,山室軍平の日本救世軍,石井十次の岡山孤児院,といったキリスト 教,特にプロテスタントを信仰する社会事業家による戦前の社会福祉実践を取り上げる ことができよう(木原,2003)。また,仏教界では渡辺海旭,矢吹慶輝,長谷川良信な ど,明治以降,欧米のソーシャルワーク実践に影響を受けながら,独自の実践を展開し た浄土宗に属する仏僧も挙げることができる(吉田,2003)。

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このように,戦前にはキリスト教や仏教といった既成の宗教団体が,その教義を前面 に出して社会福祉活動に取り組んでいた。しかし,それが戦後になり,政教分離や信教 の自由といった原則の中で,宗教的色彩を弱めて社会福祉事業が運営されるようになっ た。結果として,社会福祉の科学化,専門化が叫ばれるようになり,西欧から多くの援 助技術論が輸入されることとなった。そのような中,日本独自の援助技術論の展開も見 られるようになった。中でも注目すべきは,岡村重夫による社会福祉への「社会関係の 主体的側面」の導入であろう。岡村は,慈善事業や博愛事業といった宗教的背景を持っ たソーシャルワーク実践であっても,そこには援助対象者の社会生活上の基本的要求の 充足が前提にあると考える。すなわち,慈善事業や博愛事業が「社会福祉活動であるた めには,援助対象者の思想の自由を前提条件として,彼の生活上の要求の充足を援助し なくてはならない」(岡村,1983 : 22)とするのである。このように社会福祉の科学化 が進められる中で,スピリチュアリティに対する議論に深まりを見せることがなかった と考えられるのである。

社会福祉のそのような動向の一方で,医療の分野,特に緩和ケアの分野では,1990 年代後半からスピリチュアリティに注目が集まるようになってきている。例えば窪寺俊 之は,人が自らの死を目前に迎え,「人生の危機に直面して『人間らしく』『自分らし く』生きるための『存在の枠組み』『自己同一性』が失われたときに,それらのものを 自分の外の超越的なものに求めたり,あるいは自分の内面の究極的なものに求める」

(窪寺,2004 : 8)として,「人間が生きるための『枠組み』」(窪寺,2004 : 7)としての スピリチュアリティに着目している。窪寺は,「既存の宗教に無関心で信仰心のない人 にも,スピリチュアリティは潜在的にある」(窪寺,2004 : 11)と述べ,その特徴を,

感情的・情緒的要因,哲学的要因,宗教的要因,重層的構造の4つに分けて複合的に捉 えている。そもそも,一人称である「わたし」が死という危機に直面したとき,自らの 存在が消失することへの不安や恐怖に襲われるだけでなく,今までの価値観や構築して きた人間関係などが役に立たず,自身の人生の意味を見失い,無力感に襲われることに なる。そしてそれを乗り越えようとするとき,自らの人生の意味や目的の再検討,それ に代わる価値や新たな人生の意味・目的の探求へと誘われることになり,今まで無関心 であった死後の生命を考えるようになるとともに,超越的・究極的なものへの関心が生 じる。その結果,死の危機はスピリチュアリティの覚醒を促すことになるのである。窪 寺は,「人生を支えていた生きる意味や目的が,死や病の接近によって脅かされて経験 する,全存在的苦痛」(窪寺,2004 : 43)を,スピリチュアルペインと呼ぶ。そして,

死の危機を前にした患者の闘病記を分析することで,患者たちのスピリチュアルペイン の乗り越えが,「スピリチュアリティである『超越的なもの』と『究極的なもの』を覚 醒して,『人間らしさ』や『その人らしさ』を保つ」(窪寺,2004 : 58)ことになると,

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明らかにしている。

このように緩和ケアの分野では,スピリチュアリティに着目したスピリチュアルケア が重要視されるようになってきている。窪寺は,患者のスピリチュアルペインに応える ためのケア提供者の傾聴,共感,受容を,スピリチュアルケアの中心に据えている。こ うした緩和ケアの分野におけるスピリチュアリティへの関心は,今までその科学性を追 い求めてきた社会福祉学の分野において,大きな示唆を与えるものと考えられる。いや 実際には社会福祉の分野においても,スピリチュアリティと捉えることのできる議論 や,スピリチュアリティに特化した理論の展開も見られるようになりつつある。したが って,次節以降では,ソーシャルワーク実践におけるスピリチュアリティに関する議論 を概観していくことにする。

3.ソーシャルワークにおけるスピリチュアリティ

前節では,スピリチュアリティを取り巻く現状について見てきた。本節では,近年の 社会福祉学の言説の中でスピリチュアリティをどのように位置づけることができるか,

さらにはスピリチュアリティに基づくソーシャルワーク理論の実際について,検討を加 えてみることにする。

3-1.社会福祉学におけるスピリチュアリティ

日本における社会福祉に関する言説を概観したとき,たしかに大勢とはいかないまで も,戦後にもキリスト教や仏教を基盤としたソーシャルワーク実践の研究が続けられて きている。例えば嶋田啓一郎は,上述のような社会福祉の科学化,専門職化に対し,キ リスト教的世界観に立脚し,「経済学的,心理学的,社会学的,文化的諸要因の力動的 統合理論の確立が肝要であり,社会福祉実践への統一原理として,人格主義的価値観の 不可欠性を強調すべきである」(嶋田,1980 : 2)という立場を表明している。その上 で,「クライエントの背後に神が立ち給うことを自覚し,クライエントをとおして神を 礼拝する聖書的アガペの愛を全うし得ているか否かを,手厳しく問い続ける」(嶋田,

1999 : 17)援助者の姿勢を強調するのである。このような立場は,知的障害児を「世の 光にまで育てあげる」(糸賀,1969 : 53)とする,糸賀一雄の実践にも通底するもので あろう。さらに,阿部志郎もそのキリスト教的世界観から,「人に見えない信念,プリ ンシプル,信仰,それが大事で,それこそがスピリチュアリティで,専門職は,『秘め た花』の存在であっていいのではなかろうかと思っている。スピリチュアリティとは,

自己存在を超える深みから根源的に人間を支え動かし,知情意身体を統合して生きる意 味を内発的に問いかけ,生物的な命を実存的な命へと成長せしめる力をいう」(阿部,

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1997 : 184)と述べている。その上で,ソーシャルワーカー自身が自己の弱さや無力さ と向き合い,クライエントの言葉にならない「呻き」を聞き,痛みを分かち合う必要性 を指摘している。

またこれらに加え,精神科ソーシャルワークの具体的な実践としては,浦河べてるの 家の当事者活動を取り上げることができる(浦河べてるの家,2002, 2005)。浦河べて るの家における実践は,直接的にキリスト教を前面に押し出しているわけではない。し かし,そこでの活動の中心的存在である向谷地生良は,「数多くの困難を,『精神障害を もった人たちの生きづらさによって引き起こされたもの』と考えるのではなく,その人 たちが負わされた 地域の悩み と出会い,向き合うことを通じて 共に弱くされる 中で,『互いに愛し合う』ことを祈り求めてきた」(向谷地,2015 : 13-14)と,ここで の活動とキリスト教との関係性について述懐している。

このようなキリスト教社会福祉学の流れの一方で,非宗教的な視点によるスピリチュ アリティへの指摘も取り上げることができる。例えば久保紘章は,「いわゆる『専門家』

『援助者』は,当事者の重さの前で,一度は,自らの専門性が色あせるほどの経験,無 力になる経験をする必要があるのではないか」(久保,1988 : 227)と述べ,援助者の無 力感や自身の当事者性の自覚から,当事者から学ぶ視点の重要性を指摘している(久 保,1988, 2004 a, 2004 b)。また尾崎新は,スピリチュアリティの危機的状況とも理解 できる,ソーシャルワーカーの「ゆらぎ」という概念を提示している(尾崎,1999)。

尾崎は,このような経験にソーシャルワーカーが直面し,それを乗り越えることで,新 たな援助関係が育まれるとしている。尾崎はまた別の箇所で,社会福祉における現場の 持つ意味についても検討を加えている(尾崎,2002)。なお,このような現場という概 念に関して言えば,窪田暁子が福祉援助の「臨床」という概念を提示していることにも 注目すべきであろう。ここで窪田が実践ではなく,あえて「臨床」という概念を用いて いるのは,援助実践がクライエントの共同作業であること,それによりクライエントの

「生の営みの困難さ」の全体を把握すること,クライエントの生活の困難さと援助実践 のつながりを明確にできること,といった3つの理由からである(窪田,2013)。ここ で窪田が言うクライエントの「生の営みの困難さ」とは,自己の実在や自己同一性の喪 失といった葛藤をも含みこんだ困難さであると考えられる。したがって,ここでの臨床 とは,クライエントとソーシャルワーカーによるスピリチュアルな交流が生じる場であ るとも捉えられよう。

さらにこれらに加えて,中村剛は社会福祉の経験に対する哲学としての福祉哲学を提 起し,その上で社会福祉の科学的原理(ロゴス)とそれを突き動かす理念や倫理(ダー バール)という双方向から社会福祉学の構築を提言している(中村,2009, 2015)。こ こで言うダーバールとは,表層的な事実や因果関係によって明らかにされるような性質

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のものではなく,より根源的な「人を実践へと駆り立てる力」(中村,2015 : 223)であ る。中村は,「社会福祉学への学びを深めていけばいくほど,根源にある真理に触れる ことになる。その真理に触れた者は,自分と社会福祉という営みの『間』にある見えな い関係性(他者への責任=倫理)に気づき,自ずと,自分にできることを考え,行動す るようになる」(中村,2015 : 224)と述べる。これは自己の根源にあるスピリチュアリ ティへの目覚めであり,嶋田の言うクライエントの背後に立つ神への気づきにも繋がる ものであると考えられる。

以上のように,ここでは社会福祉学やソーシャルワーク理論におけるいくつかの議論 を紐解いてみたが,そこには社会福祉の科学性だけではない,いわばスピリチュアリテ ィと捉えて差し支えないような概念が散見されるのである。このようにみると,社会福 祉学やソーシャルワーク実践の背後には,少なからずスピリチュアリティが横たわって いると理解することができるのである。

3-2.ソーシャルワーク実践とスピリチュアリティとの関連

前節のように,社会福祉学とスピリチュアリティの関連性を捉えることができる一 方,直接的にスピリチュアリティに基づいたソーシャルワーク理論の展開も見られる。

例えば木原は,スピリチュアリティを「人間を超越する存在との関係性を創生するも の,人間存在の意味を創生させるものの総称」(木原,2003 : 13)と位置づけ,スピリ チュアリティの概念を社会福祉における人間理解の中核として積極的に導入しようと試 みている。また,1980年代から,宗教と社会福祉の関係性に検討を加えているエドワ

ハ ー ト

ード・カンダ(Edward R. Canda)は,「スピリチュアリティは援助の核心」(カンダ,

2014 : 2)と述べ,クライエントを理解する際にその人が依拠しているスピリチュアリ ティにも配慮する必要があること,また,様々な宗教的コミュニティに準拠するクライ エントを全世界的な視点で理解する必要があることなどを指摘している。その上で,ス ピリチュアリティを「人間存在とその文化の普遍的特質を指し示すものとして,すなわ ち,意味,目的,道徳性,超越,ウェルビーイングの探究や,自分自身・他者・究極的 実在との深遠な関係の探究にかかわる特質を指し示すもの」(カンダ,2014 : 5)と定義 している。カンダによれば,スピリチュアリティは,「生物的・精神的・社会的・霊的 な側面をすべてふくむ,人間の生活と発達の全過程のゲシュタルト(全体像)として概 念化」(カンダ,2014 : 98)され,人間であることの全体性として捉えられる。そして,

「人が意味を求め,自己自身,他者,すべてを包括する宇宙,実存の存在論的基盤との あいだに道徳的にみたされた関係を求めることと結びついている」(カンダ,2014 : 98)

とされる。カンダはさらに,「スピリチュアリティは,私たちのすべての側面に浸透し,

それらを束ねて,統合性(integrity, integratedness),つながり(connectedness),全体性

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(wholeness)の感覚を生み出すように働く」(カンダ,2014 : 132)とし,自己が自己と して統合されていくこと,他者との関係の中でつながりを実感すること,それによって 全体性としてのスピリチュアリティが覚醒されることを論じている。このような全体性 は神聖で超越的なものと捉えられるのであり,「それゆえ,一人ひとりの人間が,その 特定の性質や条件にかかわらず,尊敬とケアに値する」(カンダ,2014 : 132)とされる のである。

従来,ソーシャルワークの分野では,主観と客観は分離したものとして捉えられてき た。しかし,スピリチュアリティの持つホリスティックな特性から見れば,二元論的に 考えられていたものが一体的に捉えられてくるようになる。これにより,スピリチュア リティが「人間性のホリスティックな意味での結合の役割をも果たす」(木原,2003 : 17)ことになるのであるが,これは人間と社会システムとの関係においても当てはま る。例えば,カレル・ジャーメインとアレックス・ギッターマン(Carel B. Germain &

Alex Gitterman)はソーシャルワーク実践のエコロジカルモデルを提起しているが,こ れはソーシャルワーク実践を,個人と社会の関連性,その一体性から捉える概念であ る。ジャーメインとギッターマンも,ソーシャルワーク実践の中で,クライエントのも つ宗教性や多様性,さらにはスピリチュアリティへの配慮が必要であると捉え る

(Carel B. Germain & Alex Gitterman, 2008)。つまりスピリチュアリティは,個人か社会 かの二元論的な視点ではなく,あくまでその関連性や全体性の中でクライエントを理解 する視点を提供するものなのである。

このように,スピリチュアリティに配慮したソーシャルワーカーは,カンダによれば

マインド ハート

「『他者の立場に身を置き』,他者の観点をとり,私たちの精神と心をクライエントとつ なげることができなくてはならない」(カンダ,2014 : 17)とされる。そのためにも,

「ソーシャルワーカーが道徳的・倫理的枠組みの発展に努めるとき,多様性を尊重しつ

コンパッション

つも共通の基盤を求めるのと同じように,私たちは違いの根底に, 共 感の共通した核 心が存在するのかどうかを考えてみるべき」(カンダ,2014 : 74)なのである。カンダ は,このような共感の感情は,多様な他者を前に,「それぞれの人がみずからの心の奥 を深く見つめ,互いに心と心から深く交流をはかることによって」(カンダ,2014 : 75)

見出すことができると考える。いやむしろ,共感の感情こそがソーシャルワークへの召 命となるのである。スピリチュアリティに配慮したソーシャルワークは,このような共 感の感情の上に成立するのである。

ところで上述のように,スピリチュアリティは宗教とも密接な関連を持っている。確 かに多くのソーシャルワーカーは,スピリチュアリティと宗教とを区別して捉えてい る。しかし,実際のソーシャルワーク実践の中では,クライエントが抱く宗教意識との 葛藤や軋轢を,問題として取り上げざるを得ないと考えているソーシャルワーカーが多

スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワーク実践に関する考察 183

(13)

いのも事実である(カンダ,2014)。したがって,「ソーシャルワーク実践に影響を及ぼ すような,スピリチュアリティの特定の宗教的および非宗教的な表現について考察」

(カンダ,2014 : 35)が必要となるのであり,実際にカンダは,様々な既成の伝統的宗 教におけるスピリチュアリティに基づくソーシャルワーク実践や,実存主義やトランス パーソナル理論などといった,非宗教的なスピリチュアリティに基づくソーシャルワー ク実践のあり方を検討している。このように,ソーシャルワーク実践では,多様な文化 的,宗教的背景を持つクライエントの宗教的もしくは非宗教的なスピリチュアリティに 配慮する必要性が生じるのである。

なお,カンダはスピリチュアリティを宗教的及び非宗教的表現のいずれに対しても用 いており,宗教性をも含めた広義の概念としてスピリチュアリティを捉えている。カン ダによるスピリチュアリティの概念モデルでは,人生の意味や目的,つながりや超越的 な感覚を求める側面が重要視されており,したがってソーシャルワーカーは,クライエ ントがそれらを発展させていく過程を見守らなければならないと考えられる。しかもス ピリチュアリティは全体性を志向するものでもあるため,クライエントが自己自身・他 者・究極的実在との関係の中で,統合の感覚を醸成できるよう,注意を払う必要も生じ る。そこで重要なのが,スピリチュアリティの覚醒の過程ということになるであろう。

これについてカンダは,スピリチュアル・エマージェンス(spiritual emergence:霊的発 現)とスピリチュアル・エマージェンシー(spiritual emergency:霊的緊急事態)という 概念を用いて説明している。カンダによれば,スピリチュアル・エマージェンスは,

「通常は比較的ゆるやかな過程であるが,さまざまな発達の局面やトランスパーソナル な経験のなかでは,その強さも変わってくる」(カンダ,2014 : 366)とされる。われわ れが,スピリチュアル・エマージェンスを「比較的容易に統合することができるときに は,霊的成長は何の危機感もなく加速される。しかし,ときには,それが強烈すぎて,

圧倒されることがある」(カンダ,2014 : 367)のである。ここにおいて,スピリチュア ル・エマージェンシーと呼ばれる霊的発達の危機的状況が生じる。しかし,このような

「スピリチュアル・エマージェンシーは,危険と機会の両面をはらんでいる」(カンダ,

2014 : 368)のであり,個人が破壊されたように感じられる危機的状況を生じる一方,

「人間がその過程をくぐり抜ければ成長をもたらす可能性がある」(カンダ,2014 : 412)

とされるように,それをうまく乗り越えることができれば,より充実した生き方を再構 築できる可能性が開かれるものとして捉えられるのである。

ところでカンダは,「スピリチュアル・エマージェンシーの特性や徴候を知らない専 門的援助者は,それらを精神障害の表現と誤解しやすい」(カンダ,2014 : 409)とも述 べている。その上でカンダは,精神疾患の診断基準(DSM-Ⅳ-TR)を紐解き,その中 にスピリチュアル・エマージェンシーとも捉えうる基準が散見されることを分析してい

スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワーク実践に関する考察 184

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る。しかしカンダは,そこであくまで重要なのは,「厄介な霊的危機と,精神障害に影 響するか,それと共存するものとのあいだの区別」(カンダ,2014 : 417)であり,さら には「表面的には精神障害と似ている霊的な成長の経験やエマージェンシーと,本当の 精神障害とのあいだの区別」(カンダ,2014 : 417)であると述べる。そのためにも,ス ピリチュアリティに配慮したソーシャルワーク実践では,「障害に対処するだけでなく,

それとともに,可能な宗教的・霊的なストレングスや資源を回復のために使えるように 援助」(カンダ,2014 : 417)することが重要になるのである。

このようなスピリチュアリティに配慮したソーシャルワーク実践は,「しばしば,治 療的変化,すなわち個人あるいは社会システムの状態の向上」(カンダ,2014 : 472)を もたらす。ここで言う治療的変化とは,「人びとが,自分自身,他者,地球,宇宙,存 在の基盤そのものとの関係において,全体性へと向かって動いていく変化」(カンダ,

2014 : 472)であるとされる。こうした治療的変容の概念モデルにおいて,クライエン トは,準備(治療以前の急降下する出来事),分離(援助への参入),流動(ダイナミッ クな変化),集結(再統合),統合(治療後の人生),という段階を経て,自己自身や世 界,究極的実在との統合を図っていくとされる。スピリチュアリティに配慮したソーシ ャルワークでは,クライエントのスピリチュアルな経験と発達をアセスメントし,クラ イエントとのスピリチュアルな対話を通して問題解決を図り,「援助過程のすべてにわ たり,変容の機会に注意しておくことが重要である。そうした変容の可能性を支援する ことによって,私たちは,クライエントのなかで進行している霊的発達を促進すること ができる」(カンダ,2014 : 482)のである。

以上,カンダによるスピリチュアリティに配慮したソーシャルワークの理論的展開を 見てきた。ここでは,スピリチュアリティに配慮したソーシャルワーカーのあり方,ス ピリチュアリティの覚醒の過程,スピリチュアル・エマージェンシーと精神障害の差異 及びスピリチュアリティに配慮したソーシャルワーク実践の視点,治療的変容の概念モ デルの実際やそれに基づくクライエントの霊的発達を支援する援助実践のあり方など,

スピリチュアリティに直接的に焦点を当てたソーシャルワーク実践の理論が展開されて いた。これらを通じて,ソーシャルワーカーはクライエントのスピリチュアリティに配 慮するとともに,クライエントのスピリチュアルな統合を目指すソーシャルワークを実 践することができるのである。

4.事例を通して考える

これまで,ソーシャルワーク実践におけるスピリチュアリティの意義について検討を 加えてきたが,本論で検討を加えたいのは,あくまでも精神科ソーシャルワーク実践に

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関してであった。したがって,ここでは筆者が関わった2名の事例を挙げ,精神科ソー シャルワーク実践に特有の課題について考察する。なお,本事例の提示については,X 病院内の倫理委員会の承認(2019年11月27日承認:第20191127-1号)を得た。

ちなみにここで取り上げる2名は,表面的にはその苦しみや葛藤に何らかの宗教意識 との関連が伺われる事例である。先述のように,確かにスピリチュアリティと宗教は密 接な関連を持ってはいるものの,しかし,決して同一視されるべきものでもない。その 一方,窪寺が「自信喪失,無力感の中で宗教への関心が触発」(窪寺,2004 : 58)され ることがあると指摘しているように,特定の宗教的関心を持たない人であっても危機的 状況に直面すると,おのずから何らかの宗教意識が生じうるのである。ここで提供する 事例も,本人の言動だけから判断すると,あくまで宗教意識において苦しみや葛藤を生 じているように見える。しかしその背後には,言葉にすることのできない自己の実存的 なあり方や自己同一性の葛藤,すなわち広義のスピリチュアリティにおける危機的状況 があり,その中でもがき苦しんでいたと筆者には考えられたのである。このような理由 から,以下,2名の事例を提示してみることにする(1)

4-1.事例報告

4-1-(a).【事例1】A氏:40代男性 統合失調症

(経過)

もともとは両親と姉の4人暮らし。高校2年の時に中退し,自宅で勉強して大検を取 得するが,大学受験はせず。その後1年間アルバイトを続け,正社員を目指して転職。

しかし,周囲のペースについていけず,数日で退職。その後はアルバイトをしても数日 しか続かず,自宅に引きこもりがちになる。徐々に被害妄想が出現するようになり,精 神科病院を受診。1年ほど通院するが,被害妄想が悪化して4ヶ月ほど精神科病院に入 院。退院後は,外来作業療法に通所しながら通院を継続していた。30代に入り,父親 が他界し,姉も結婚して家を出たため,母親と2人暮らしになる。その頃から母親に対 して暴言や暴力といった行動が目立つようになり,作業療法も休みがちとなった。その ため,母親と姉とも相談をし,精神科病院に再入院。退院後は再び外来作業療法に通所 しながら通院を継続。その間,アルバイトをするが長くは続かず,職を転々と替えるこ とに。そのため,就労系の福祉事業所を利用することとなった。

退院から4年ほどが経過し,再び母親への暴力などが出現。この頃から筆者との面談 を始める。8ヶ月ほどが経過し,どうしても母親に当たってしまうとのことで精神科病 院に入院。退院後は訪問看護を導入し,訪問時に相談すること,デイケアに通所してみ ることを取り決めて退院した。しかし,退院後のデイケア通所は途切れがちになった。

外来受診は欠かすことがなかったため,その際に筆者との面談を継続した。

スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワーク実践に関する考察 186

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(筆者との関わり)

当初の筆者との面談は,就労に向けての取り組み方が中心であった。面談を重ねる中 で,筆者はA氏の一家が特定の宗教の熱心な信奉者で,A氏もその中の一部門の中心 メンバーであることを知った。さらに,宗教団体の他のメンバーは,A氏が精神疾患 に罹患し,今でも通院を継続していることを把握しており,精神的にしんどい状況にも かかわらず,一般就労に向けて訓練に取り組んだり,宗教活動に従事したりしている A氏を肯定的に評価していた。しかしこれがかえってA氏のプレッシャーになってい た。A氏は,「障害を持って頑張っている人の信仰体験が団体の新聞に載って…」「そ れで自分と比較して…,(働かないと)ダメな人間になってしまう」「社会に貢献できる 人間にならないといけない」「教義に反してはいけないので…」「でも,正直しんどくて

…」などと語り,信仰と自らの状態にジレンマを感じていた様子であった。宗教団体に はA氏がまだ幼い頃に入信したようで,A氏は「母親に入信させられた」「その恨みか らか,ついつい母親に当たってしまう」などとも口にするようになった。しかし一方 で,A氏は宗教団体の教義に希望も抱いており,積極的に宗教活動にも取り組んでい たのである。

このことから,筆者は団体の教義に合わせて仕事と宗教活動,家事と休息など,自身 の精神状態のバランスをとることをA氏に提案。具体的には,宗教活動と仕事に取り 組んだ時間,自宅でゆっくり過ごした時間の大まかな配分を定め,モニタリングシート をA氏と共に作成した。ちょうどその頃,宗教団体で知り合った中小企業の社長から アルバイトを勧められ,短時間から働くこととなった。後にA氏は,筆者との面談を 振り返り,「教義について考える機会となり,より一層信仰を深めることができた」「信 仰を貫けば,自分にとってよい方向に向くという教義の本質に思い到った」「ありのま まの自分でいいことに気づいた」などと語った。その後もA氏は,しんどさの波はあ るが,就労と宗教活動を両立しながら,大きく体調を崩すこともなく生活を続けてい る。

4-1-(b).【事例2】B氏:40代男性,統合失調症

(経過)

小学校の頃から万引きなどがあり,中学校では不良グループに入っていた。高校に入 学し,新聞配達のアルバイトを開始して卒業まで続けた。卒業後,専門学校に不合格と なり,就職もうまくいかずに自宅で引きこもりの生活に。20歳頃に家業を手伝うよう になり,その傍ら社交ダンスも始める。社交ダンスは,その後大きな大会で優勝するほ どの実力となった。その頃,出会い系サイトで知り合った10代の女性と交際を始める。

1年ほどを経た後,女性の妊娠が発覚。家族も交えて相談した結果,人工妊娠中絶手術 を受けることとなった。ほどなくして,その女性とは別れることとなるが,それ以降B

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(17)

氏は,「水子の霊を供養しないといけない」などと口にすることが増えるようになった。

それから1年ほどが経ち,パニック発作を起こして精神科病院を受診。内服治療を始 めるが数回で中断。それから約2年後,今度は幻聴が聴こえるようになり,再び精神科 病院を受診し,治療及び内服が再開。その後は治療を継続していたが,不眠や疲れがた まると時折興奮状態になることがあった。不調の際にはやはり,「水子の供養をしない といけない」などと母親に話していたようであった。

さらに1年の後,再び出会い系サイトで知り合った別の女性と交際を開始。2年ほど 交際をし,その女性の妊娠を機に結婚。1児をもうけた。それから2年ほどが経過し,

ダンスパートナーとの不和や家業の手伝いによる過度の疲れが重なり,不眠状態に。幻 聴も活発となり,子どもに水子の霊が憑りついたと感じ,その恐怖心から,妻に「霊を 取り除かないといけない」「水子供養をしないといけない」などと話し,子どもを連れ て元交際相手の実家近くまで赴いた。そこで幻聴から,『子どもを殺さないとおまえを 殺す』と命令されたため,嫌々ながらに子ども殴り殺すに到った。その後,B氏は精神 鑑定を受け,医療観察法に基づく指定入院処遇となった。

(筆者との関わり)

筆者とB氏との出会いは,B氏がまだ指定入院中の,調整ケア会議と呼ばれる指定 入院医療機関と指定通院医療機関との間で行われるカンファレンスであった。この中で B氏は,事件に対して多くを語ることはなかった。その後も数回にわたって調整ケア会 議が持たれ,退院と同時に筆者の所属する精神科病院に転院をして指定通院に切り替わ ること,本人,家族,関係者が一堂に会してのケア会議を定期的に開催して近況を確認 すること,通院の際に筆者とも面談を継続することなどを確認した。

退院したB氏は,約束通り通院を継続し,筆者とも面談を重ねた。当初は,指定入 院医療機関で作成したクライシスプランやモニタリングシートに基づいて面談していた が,時に話題は子どものことに移ることもあった。B氏は「(亡くした)子どものこと を一度も忘れたことはない」「子どもの供養はきちんとしていきたい」「先日,墓参りに も行ってきた」などと語った。筆者はB氏の気持ちを肯定的に受け止め,子どもの供 養を続ける重要性をB氏と共有するように心掛けた。またその上で,事件を引き受け て生きていくこと,その責任や重みなどについても話し合った。

その後のB氏は通院を継続しつつ,生活も概ね安定したため,指定通院期間の満了 を待たず,医療観察法処遇を早期に終結することになった。それから以降も,生活全般 の相談や事件の振り返り,子どもの死を受け止めることなどについて,筆者と面談を続 けている。

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(18)

4-2.精神科ソーシャルワーク実践でのスピリチュアリティ

ここに挙げた両氏に対する筆者の関わりは,日常生活の支援で完結するようなもので はなかった。いずれの場合も,人間存在の意味や目的,究極的実在との深遠な関係,聖 なるものとの関係などを含み込んで面談を繰り返したのである。A氏の場合は特定の 宗教団体の教義との葛藤や自らの生きる意味について,B氏の場合には,自らの犯した 罪の重さと向き合うこと,死者とともにいかに生きるか,などがそれに該当するであろ う。いずれにしろ,筆者がクライエントのスピリチュアリティを視野に入れて面談を継 続したこと,それにより,両者がスピリチュアルな危機的状況を乗り越え,自己や世界 との折り合いを見出したことに特徴があると思われる。

ここでは2つの事例を提示したが,このように精神科ソーシャルワークの実践場面で は,クライエントの持つスピリチュアリティに配慮しつつ,本人との対話の中で,カン ダの言うようなクライエントが統合に到る変容の過程を見守る必要がある。A氏の場 合のように,精神科に通院するクライエントには,精神的苦痛から何らかの宗教に入信 している人が少なからず存在する。しかし,中にはA氏のように,そこでの葛藤や軋 轢から精神症状を増悪したり,生活のしづらさを感じたりすることも少なくない。その ような場合,ソーシャルワーカーは本人の背景にある宗教団体の教義や活動の実際につ いてもよく理解しておき,その上で,本人のスピリチュアリティや葛藤状態などを的確 にアセスメントし,自己の人生の意味や目的と宗教教義との統合,さらには宗教活動と 自身の生活,そこでの対人関係などとの折り合いを目指すのである。

また,特にクライエントが統合失調症の場合,本人が幻覚(特に幻聴)を精神症状と してではなく,あくまで「神の声」や「宇宙からの交信」などとして納得していること がある。B氏の場合には,「水子の霊」が子どもに憑依すると表現しているが,そのよ うなクライエントの語りに直面した際には,本人の背景にある信仰や,本人が影響を受 けているスピリチュアルな活動や体験などから,そのように表現している可能性がある ことにも留意すべきであろう。ソーシャルワーカーは,クライエントの発言の背景にあ るスピリチュアリティを理解した上で,その発言を吟味する必要がある。そして,それ を踏まえてクライエントと対話を繰り返し,葛藤を抱えながらもいかに生きるかを,共 に考える視点が求められるのである。

以上を踏まえて考えると,精神科ソーシャルワークの実践場面では,この分野に特有 の課題があることが想定される。それはここでのクライエントの多くが,その精神症状 の背後に,自身のスピリチュアリティと直接に関連する生きづらさや生活のしづらさを 抱えているということである。したがってソーシャルワーカーは,クライエントの精神 症状に眼を向けるだけでなく,その背後にあるスピリチュアリティを十分に理解すると ともに,クライエントの生きづらさがいかにして生起しているのかを的確にアセスメン

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(19)

トしなければならない。スピリチュアリティに配慮するソーシャルワーカーには,自ら の実存にかかる苦悩や,自己や他者,世界との統合に関する葛藤といったスピリチュア ルな課題を抱えるクライエントと向き合う力量が求められていると言えよう。

5.スピリチュアリティへの気づきと援助実践

前節のように,精神科ソーシャルワークにおいて,ソーシャルワーカーがクライエン トのスピリチュアリティに配慮する必要性を考察したが,であるとすれば,このように クライエントと向き合うソーシャルワーカーの資質をどのように考えるべきなのか。こ こでは,スピリチュアリティに配慮するソーシャルワーカーのあり方について検討を加 える。

5-1.感受性と可傷性

窪寺はスピリチュアルケアの提供者の資質として,「スピリチュアルペインへの感度 のよいレセプターをもつ人は,スピリチュアルペインを敏感に察知することができる」

(窪寺,2004 : 93)として,クライエントのもつスピリチュアルペインへの感受性の高 さを指摘している。また,ケア提供者には「自分の無力さを認め,受け入れる人間性」

(窪寺,2004 : 69)が必要とした上で,積極的な死生観,スピリチュアルな感性,人格 的豊かさが求められるともしている。

これは,そのままソーシャルワーカーにも当てはまるであろう。特にスピリチュアル な感性については,例えば阿部が,クライエントの「ニードのもつ『呻き』を言葉にな らぬ言葉から,表出されない行為から,そして四囲の環境からも聴くには,冷静な態 度,鋭い感受性,深い洞察力,そして豊富な知識と技術が必要となる。ここに,福祉に 専門性が求められる理由がある。(中略)専門職としての技術・経験・知識の研鑽の裏 打ちが必要であるが,同時にそれは,心の問題でスピリチュアルな課題でもある」(阿 部,1997 : 9-10)と述べている。また中村も,「社会福祉の本質を理解する上で,まず 求められることは,他者の痛みや苦しみに傷つくという感受性により世界を受容するこ とである」(中村,2009 : 273)としている。このようにソーシャルワーカーには,クラ イエントの「呻き」を聞き取り,そこにある「痛みや苦しみ」に自らも傷つく感受性が 求められる。言い換えれば,ソーシャルワーカーはクライエントの苦しみだけでなく,

自身の苦しみに対しても感受性を持つ必要があるということである。それは自らの弱 さ,傷つきやすさの自覚でもある。このことは他者の苦しみに直面して私も傷つくとい うことであり,ここにおいて,感受性とは全くの受動性であり,さらには可傷性でもあ ると捉えられることにもなるであろう。

スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワーク実践に関する考察 190

(20)

ところで可傷性(vulnérabilité)とは,エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévi- nas)が用いている概念であるが,レヴィナスは「感受性とは可傷性であり感応性であ り剥奪である」(レヴィナス,1999 : 194)と述べている。レヴィナスによれば,感受性 は他者の存在を引き受ける自己の責任へと繋がり,究極的には「他のために」〔他の代 わりに〕なること,他者の身代わりになることへと繋がっていくとされている(レヴィ ナス,1999)。鷲田清一も,「苦しみの語りは語りを求めるのではなく,語りを待つひと の,受動性の前ではじめて,漏れるようにこぼれ落ちてくる」(鷲田,1999 : 163)と述 べており,ここからすると,クライエントの苦しみの語りは,弱さや傷つきやすさを持 つソーシャルワーカーの感受性,可傷性を前にしてはじめて語られると考えることがで きよう。

なお,このような受動性については稲沢公一も,ソーシャルワーカーがソーシャルワ ーク実践の中で,「身を削る覚悟をするまでもなく,いつの間にか『逃げられなさ』を 背負わされてしまう」(稲沢,2017 : 175)という絶対的な受動性があることを指摘して いる。実際の援助過程で,その実践がソーシャルワーカーの思うようにならないとき,

ソーシャルワーカーは自身の無力さを認めざるを得ない。しかし,それでもソーシャル ワーカーは援助の場に踏みとどまり,クライエントと向き合わなければならない。その 際,ソーシャルワーカー自身が自らの葛藤と向き合い,自身のスピリチュアリティに気 づくとともに,積極的な死生観を身に付けることで,スピリチュアルな感性や人格的豊 かさを養うことができるのである。クライエントの苦しみの語りは,そのようなソーシ ャルワーカーの人間性を前に紡がれるのである。

5-2.自己否定による自他不二の気づき

前述のように,ソーシャルワーカーである私がクライエントのスピリチュアリティに 配慮するためには,自己自身と向き合い,自らのスピリチュアリティに気づくことが求 められる。それは言い換えれば,私の自己否定の過程としても捉えることができる。す なわち,私が私をなくすことで,私が「私ならざる」他者に出ていき,再び自己に戻 り,自己の内に「私ならざる」他者を迎え入れるということである。上田閑照は,この ような往還関係について,「私は,私ならずして(私なくして),私である」(上田,

2000 : 15)と簡潔に述べる。これは,「私」が「私」に自閉する動きを否定し,「私」か ら脱自して自己が他者に開かれるということである。すなわち,「私」に「私ならず」

という否定の切れ目が入ることで,自閉的世界に破れが生じ,限りない開けへと開かれ る。そしてその時,「私ならざる」他者の内に「私」を見るとともに,自己の内に「私 ならざる」他者を見出すのである。このような「『私と汝』,自他の『間』そのものが真 の自己」(上田,1999 : 181)なのである。ここで言う「私ならざる」は,本論で見てき

スピリチュアリティに配慮した精神科ソーシャルワーク実践に関する考察 191

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たスピリチュアリティの危機的状況と捉えることができる。このような危機により,自 己の弱さや傷つきやすさへの自覚が生じる。そのような自覚を持った「私」が,世界の 破れから他者に開かれることにより,他者の苦しみに気づくことができ,さらには,そ のような他者を自己の内に見出すことにより,他者の苦しみに対する可傷性を生むこと ができるのである。そして,このような自他の間,さらには自己の内なる他との間こそ が「真の自己」なのであり,これこそがまさに本論で捉えようとしているスピリチュア リティなのである。

ここにおいてはじめて,クライエントの苦しみとともにあるソーシャルワーカーの受 動性を理解することができる。例えば市瀬晶子が,「何らかの関係性のなかに生かされ ているという,人間としてありのままの『弱さ』に立つとき,初めて,身を寄せ合う関 係を喪失した人の傷を共に痛むことができ,弱さや傷をもちながらも共に生きる他者と しての絆が生み出されていく」(市瀬,木原,2013 : 253)と述べるとき,そこにはクラ イエントの苦しみを共に痛むソーシャルワーカーの姿がある。これをスピリチュアリテ ィの全体性という特質から捉えたとき,そこでのクライエントである「汝」とソーシャ ルワーカーである「私」は,共に痛む他者として理解することができる。これは裏を返 せば,「ソーシャルワーカーがクライエントを援助するとき,私たちもまた助けられて いる」(カンダ,2014 : 56)ということでもある。言うなれば,すべての人間が誰でも 尊敬とケアに値するということであり,クライエントを援助するソーシャルワーカーも またソーシャルワーク実践の中で助けられているということなのである。しかし,その ように私がクライエントと共に苦しむものであったとしても,そのような私はあくまで 私であり,クライエントはどこまでも他者である。ソーシャルワーカーは,スピリチュ アリティに配慮することで他者の立場に身を置き,他者の観点を取りつつも,それでも なおソーシャルワーカーは援助専門職としてクライエント前に立つのである。そこに自 他不二の自覚が生じる。それはすなわち,自他二元でありつつも自他一元,自他一元で ありつつも自他二元であるようなあり方なのである。スピリチュアリティに配慮したソ ーシャルワークの実践場面では,一面において,このような矛盾的なあり方がソーシャ ルワーカーに求められるのである。

6.結 論

以上これまで,スピリチュアリティに配慮したソーシャルワーク実践について概観し てきた。特に精神科ソーシャルワークの実践場面では,クライエントがスピリチュアリ ティの危機に直面するとき,それが精神症状として表出する場合がある。精神科ソーシ ャルワーカーは,そのような精神症状の背後にあるクライエントの痛みや苦しみを理解

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