著者 小松 一子
学位名 博士(ヒューマン・セキュリティ)
学位授与機関 同志社大学
学位授与年月日 2013‑03‑20 学位授与番号 34310甲第583号
URL http://id.nii.ac.jp/1707/00001062/
博 士 学 位 論 文 審 査 要 旨
2013年1月19日
論 文 題 目 : 認知症高齢者の感情表出とケアへの示唆 学 位 申 請 者: 小松 一子
審 査 委 員 :
主 査: 総合政策科学研究科 教授 中川 清 副 査: 文学研究科 教授 庭田 茂吉
副 査: グローバル・スタディーズ研究科 教授
ANNE GONON要 旨 :
本論文は、認知症高齢者の感情表出が、高齢者一般と共通する「統合された感情」や「苦悩と 葛藤のある感情」として理解できることを明らかにし、「その人らしい穏やかな生活」が可能と なる認知症高齢者のケアのあり方を探った労作である。認知症高齢者の増加が見込まれる現在、
インタビュー調査による感情表出の分析を踏まえて、ケアへの示唆を導こうとする本論文の意義 は大きい。今日のケアモデルは、疾病の治癒を目指す医療モデルから、疾病とつき合いながらQ OLの維持・向上を目指す生活モデルへと転換しつつあるが、本論文は、認知症高齢者のケア論 として、生活モデルを適用した意欲的な試みである。また、先行研究の検討や質的調査の実施に おいて、長年にわたる対人援助職や大学での援助技術教育の経験が随所に活かされている点も、
本論文の強みであり、記述や分析のリアリティを高めている。
まず序章では、認知症のBPSD(行動・心理症状)に個別的に対応してきたこれまでのケアの 問題が指摘され、生活モデルにもとづく研究の枠組みが示される。第1章では、日本における認 知症ケアの変遷が概観され、当事者の生活の継続性をめぐって展開されるケア現状が述べられる。
第2章では、高齢者の心理的特徴と認知症高齢者への回想法の意義が、先行研究によって整理さ れる。高齢者の特徴としては、「人生の捉え直し」(統合)が図られ満足感も比較的高いことが、
回想法の意義としては、情緒の安定やうつ状態の改善が、それぞれ指摘される。第3章では、認 知症高齢者の世界が先行研究によって描かれ、ケアに際して当事者感情の吐露とケアラーの接し 方の重要性が導かれる。
第4章と第5章は、認知症高齢者17名に直接インタビュー調査を行った結果の分析にあてら れる。発語を丹念に整理分類し、内容を再構成する会話分析から、以下の知見が導かれる。①対 象者すべてが話しかけに十分応答し、発語に支障がある場合も表情・振舞いで補われた。②感情 表出の内容数は「快感情」が49.3%、「不快感情」が32.1%であった。③「統合された感情」と して集約できるのは13名、「苦悩と葛藤のある感情」は4名であった。④「現状満足」の表出が 多いことを含め、以上の知見は、高齢者一般の先行研究とも整合的である。もちろん調査の限界 には留意されねばならないが、終章で総括されるように、認知症高齢者を「特別視しない」ケア への具体的な示唆が得られたことの学術的な意義は大きい。
よって本論文は、博士(ヒューマン・セキュリティ)(同志社大学)の学位論文として十分な 価値を有するものと認められる。
2013年1月19日
論 文 題 目: 認知症高齢者の感情表出とケアへの示唆 学 位 申 請 者: 小松 一子
審 査 委 員:
主 査: 総合政策科学研究科 教授 中川 清 副 査: 文学研究科 教授 庭田 茂吉
副 査: グローバル・スタディーズ研究科 教授
ANNE GONON要 旨:
学位申請者に対する総合試験を、2013年1月19日午前9時30分から同10時30分まで、同 志社大学今出川校地志高館において実施した。
本試験において申請者は、提出された論文の内容に関する質問に対して的確に答え、論文の主 張の根拠と意義を説得力のある仕方で述べた。関連する認知症高齢者ならびにケア問題について の質疑応答においても、論文で展開された議論を十分に裏付ける専門知識を有することを示した。
また、語学試験(英語)を同時に行ったが、申請者が研究文献を読みこなす十分な能力と知識を 持つことを確認した。
よって、総合試験の結果は合格であると認める。
博 士 学 位 論 文 要 旨
論 文 題 目:認知症高齢者の感情表出とケアへの示唆 氏 名:小松 一子
要 旨
:認知症高齢者の数は増加の一途を辿り、2012年8月、厚生労働省は300万人を超えたと発表 した。しかし認知症高齢者のケアは、複雑なBPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia;行動・心理症状)に惑わされ、そのケアは一つ一つの症状に対してマニュアル形式で 対処するに留まっている。これはBPSDが認知症高齢者の周囲の環境に対する防衛機制である という理解が、浸透しきれていない現れであり、それは介護専門施設等での虐待や身体拘束が無 くなっていない現実からも明らかである。そこには認知症症状への恐怖心や不安感、差別意識の 根強い存在が挙げられ、一方でそれらは早期発見や早期治療の阻害要因ともなっている。したが って認知症高齢者に関する理解を転換しなければ、増加する認知症高齢者への対応が後手にまわ り、介護サービスが追いつかないのみならず、本人や介護者の日常生活も問題を抱えた状態が続 くことになる。今後の認知症高齢者のケアは、それまでの地域や家庭での生活が継続でき、安心 して穏やかな老後を過ごすことを目標にすべきである。
本論文では、認知症高齢者に直接インタビューすることにより、そこで表出された感情と内容 が、認知症であっても一般の高齢者と変わらないことを明らかにし、BPSD対応型のケアから脱 却し、長期に及ぶ要介護期間を穏やかに過ごすためのケア関係とその環境を構築する方向を示し た。
まず序章では、いくつかの問題点を指摘した。認知症高齢者の増加について、厚生労働省は、
65歳以上の出現率を10.2%とみなし、85歳以上については、47.6%と50%近くなるため、認知 症は加齢にともない多くの人々が直面するものと考えたほうが良い。またBPSDが強くなった 場合、未だに精神科病院に入院している現実もある。さらに認知症高齢者の虐待や身体拘束も減 少せず、それらは、身体的・精神的・社会的にも拘束することになり、廃用症候群のみならず死 を招く危険性がある。障害者ケアや高齢者のケアでは、ICF(International Classification of Functioning ; Disability and Health, 国際生活機能分類、2001)が普及しつつあるにも関わら ず、認知症ケアにはこの原則が適用されていないことも指摘し、認知症高齢者への理解と環境の 見直しが必要であることを述べた。
第1章では、認知症についての医学的な理解とケアの変遷について述べた。認知症ケアの変遷 では、1970年代が有吉佐和子の『恍惚の人』や大熊一夫の『ルポ・精神病棟』が出版されて社 会問題となり、旧厚生省も対策に乗り出した時期であるため、この時代から最近までを、行政的 施策と時代のトピックスを入れて、10年毎に区切り、それぞれの時代の認知症ケアの特徴を整 理した。
第2章では、認知症高齢者の感情についての研究の背景として、高齢者の心理的特徴に関する 先行研究を検討した。高齢者が直面する課題としては、身体的老化や精神的・社会的喪失、環境 の変化への適応等がある。それらを発達的危機と捉えてライフサイクル論を展開したエリクソン は、晩年アイデンティティの最後の段階Ⅷを「統合と絶望」に「英知と統合」も加え、自らもそ のように人生を完結しようとした。その理論を発展させた岡本は、危機期にはアイデンティティ の再体制化が繰り返されるとしてその過程を具体化した。さらに、高齢者の感情表出を心理療法 で研究している回想法から、高齢者の感情表出の状況を概観した。回想法では、中核症状への成 果は望めないが、日頃自分を出さない人たちが家族も知らない過去を話したり、笑顔になったり、
「しゃきっとした表情になる」などの変化が観察されていた。
族の支えがあれば生活できていることを述べた。そして日本の先行研究でも、認知症高齢者の立 場に即した見方があることを示した。室伏君士の「悩める老人」という見解を示し、大井玄は、
周囲の老人をみる目が許容的であれば「ぼけ老人」ではなく知力の落ちた「正常老人」(純粋痴 呆)であると言い、小澤勲は、ケア次第で日常生活が可能であるとして、「作られる認知症」と 言っている。これらの先行研究では、認知症高齢者を特別視せず、困難を抱えた高齢者一般とし て理解しているのである。
第4章では、地域のデイサービスを利用する認知症高齢者にインタビューを行い、分析結果を まとめた。対象者は17人(男性4名、女性13名)、76歳~92歳(平均年齢84歳)、認知症日 常生活自立度の平均2.4、要介護度の平均2.8である。インタビューの時間は4分~59分(平均 34.6分)であるが、その全体的な特徴を3つの視点から分析した。まず、認知症日常生活自立度 と要介護度をクロスさせ、軽度から順に配し時間数と話題数を比較した。軽度から中程度までは 概ね差はないが、Ⅲa以上は時間数、話題数共に低下していた。それぞれの人が話された内容も 記述し、中程度までは十分現在の意思や感情を語ることができることを示した。次に、語られた 話題は、現在の感情の表出が50.8%と多かったため、現在の感情を多い順に分析したところ、現 在の感情表出の多い人ほど、現状に満足されておられる人が多い結果となった。重度になると話 題数も少なくなるが、関心のある過去や趣味などは表現できた。3つ目の感情分析では、快感情 と不快感情の割合を見た。快感情が49.3%と多く、その人たちは現在の表出の多い人とほぼ一致 し、現状満足な人(9人)、辛苦や後悔のある人(6人)、葛藤がある人(2人)となり、快感情 を多く話す人は、現状に満足しながら生活されている人が多い結果となった。
第5章では話題を質的に分析した。話題の内容をまとめてカテゴリー名をつけた結果、「統合 された感情」と「辛苦や葛藤のある感情」という2つの感情表出が浮かび上がった。この分析で 明らかになったことは、①認知症高齢者でも中等度(Ⅰ~Ⅱb)までは人生の捉え直しによる心 境を表出することができる。また重度(Ⅲa~Ⅳ)でも条件によっては可能である。②重度で言葉 での表出が困難な人も、潜在的な感情を表情や身振りで表出できる。③過去の出来事や思い出に 繋がる現在の心境(後悔、辛苦、成し遂げたい思い、自分への評価など)や家族への思いが、さ まざまな形で表現できる。④長年その人に染み付いた言葉づかいや態度、品格などや相手への遠 慮、配慮などが一般の高齢者と同じように表出される。⑤現状に満足して日々を穏やかに過ごし たいと思っておられる人が多い。⑥その中には、以前から心配事のない生活を送ってこられた人 もおられるが、過去の自分の努力の結果現在の自分があると思っておられる人、辛かったことは 精算して現状で満足していきたいと思っておられる人がおられる反面、辛い気持ちを捉え直せな いでおられる人も、少数ながらおられた。なお「統合された感情」は認知症日常生活自立度Ⅱb
までで90%、Ⅲ~Ⅳの重度になると57%と減少するため、この点では、認知症の程度と関係し
ているかも知れない。
以上の検討から終章では、認知症高齢者の感情表出とケアの方向性を示した。インタビューで 語られた内容や感情には、一般の高齢者と同じように人生の捉え直しや積み残した課題などの感 情が見受けられ、また今後の願望も示された。感情の内容には、統合されたものが多く、現状を 肯定する傾向にあった。また、インタビューの過程では、応答に協力しようという積極的な姿勢 もみられたことから、インタビューを安心した時間として認識され、自分が認められていると感 じられたのではないかと思われる。自分と向き合い自分を認めてくれると感じられる関係やその ような環境の構築が、認知症高齢者のケアにとって最も重要であると考えられる。
本論文では、認知症高齢者が人生を捉え直して統合された感情や人生で積み残した後悔や葛藤 の感情を、一般の高齢者と変わらない形で表出されることを明らかにして、これまでのBPSD 対応型のケアからの転換の方向を示した。もちろん認知症高齢者への直接的なインタビューは、
初めての試みでもあり、サンプル数やフォローアップなどいくつかの課題を残している。けれど も、認知症高齢者を特別視することなく、認知症を抱えながら生活の質の維持、向上を目指すケ アの方向性は提示できたと考える。長期的な視野をもって安心して穏やかに生活できる環境が一 般化することによって、あらためて認知症高齢者に固有のケア技術のあり方が問われることにな るが、本論文は、そこに至る基礎的作業を目指したものである。(3880文字)