新島襄の足跡を辿る イギリス編 : リヴァプール、
マンチェスター、グラスゴー、エディンバラ、ロン ドン、オックスフォード、ケンブリッジ
著者 田島 繁
雑誌名 新島研究
号 109
ページ 209‑225
発行年 2018‑02‑28
権利 同志社大学同志社社史資料センター
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000255
新島襄の足跡を辿る イギリス編
−リヴァプール、マンチェスター、グラスゴー、
エディンバラ、ロンドン、オックスフォード、
ケンブリッジ−
田 島 繁
Ⅰ.新島襄全集第 8 巻
1)1872. 5/11 NY、5/20クイーンズタウン(アイルランド)、5/21リヴァプー ル、5/23マンチェスター、(5/24カーライル)、5/25グラスゴー、5/29エ ディンバラ、6/5ロンドン、7/8オックスフォード、7/9ケンブリッ ジ、
7/16ロンドン発パリ
幕末国禁を犯して米国に渡り、アーモスト大学を卒業した同志社英学校創 立者・新島襄は森有礼駐米公使の斡旋で米国留学免許状とパスポートを交付 される。その翌1872(明治5)年、新島は岩倉使節団・田中不二麿文部理事 官の通訳・秘書として、5月欧州の教育調査のためニューヨークから英国リ ヴァプールに向かう。*岩倉使節団のイギリス回覧は7/13-11/16で、別行動 である2)。
私は新島の日記を基に、その足跡を辿るため2016年5月19日−31日、
標題の都市を13日間精力的に歩き回った。
[全集第8巻の間違い]3)
①エディンバラ、城塞に登りジェームズ4世の誕生地→6世
②エディンバラ、Mory House→Morey House
③グラスゴー、ジョージ街のジョン・チャーチ→ジョージ・チャーチであ ろう
④ロンドン、ピカデリーのRoyal Gallery→Royal Academy of Arts
⑤ロンドン、45ドル受け取る→45ポンド
Ⅱ.訪問地
1.アイルランド・ダブリンの国会議事堂訪問とアイルランド首 相と握手
新島はNY出発後アイルランドに寄港。同志社の京都での創立に寄与し た木戸孝允は1872年11月3日日英条約改正交渉中アイルランドの首都ダブ
新島足跡英国地図 ◉印 田島訪問地
リンの議院を訪れた。私も5月20日政府庁舎を訪れた。国会議事堂の写真 を撮っていたら、門衛さんが「あっちから首相が歩いてくるよ」と。電車で 通勤、駅から歩いて秘書と首相官邸に。「日本から来た中高教師です」と言 ったら「遠くの国からようこそ」と握手、また写真も一緒に撮った。北アイ ルランド、ベルファストにある「タイタニック博物館」で係員にその写真を 見せたら興奮して「Enda Kenny首相だ」と。
*イギリス(United Kingdom)を構成する4つの国〜イングランド、ウェ ールズ、スコットランド、北アイルランド
2.新島到着の頃のリヴァプールの港風景
ベルファアストから8時間。洋上からリヴァプールの港を見た。時計台や 教会などが見られたが、新島の時はどんなであっただろう。港の説明員は
「Water Frontの建物は全て1872年以降の建物だ」と。リヴァプール中央図 書館に1868年の港のスケッチがあった。時計台(1908-10年設立)はまだ なかったが、新島はSailor’s Church(1811-15年設立)など賑やかな景色を 楽しんだであろう。
3.新島が泊ったワシントンホテルとその位置
新島は英文書簡4)に「税関士がワシントンホテルまで案内してくれた。ア メリカ人に好まれる最高級のホテルだ」と写真を添えていた。最高級のホテ ルなら今のブリタニア・アデルフィーホテルだと思った。ビートルズが有名 になってロンドンに活動拠点を移すまで、ブリタニア・アデルフィーホテル で秋にコンサートを開催していたから間違いないと思った。アデルフィーホ テルに行き、フロント係に聞くと「1914年創業。あとはインターネットで 調べて」とそっけない。5階建、豪華さ、LIME St. に面する。よく似てい る。パンフレットの住所はLIME Stではなくその隣のRenshow St.だった。
リヴァプールで偶然出会った留学生糸乗ちいほさんが中央図書館に行き、
送信してくれた「ワシントンホテル」のスケッチ5)が下図である。5階建で 煙突が4つある豪華ホテル、LIME St. にも面する。新島書簡の建物と少し スケッチが違うようにも見えるが、書簡の中の「WASHINGTON HOTEL
LIME STREET LIVERPOOL」の刻印は全く同じだ。スケッチの右の建物が St. George’s Hall、左がリヴァプール鉄道駅、正面がワシントンホテル。「新 島が泊ったワシントンホテルはここにあった」と確信した(下右地図「ワシ ントンホテルの位置」参照)。今は解体され駅前のLIME St. が拡張された。
ワシントンホテルの右手に見えるのがブリタニア・アデルフィーホテル
(1827年創業)で、新島が訪れた時には共に豪華さを競っていた名門ホテル である。
新島書簡中のワシントンホテル
ワシントンホテルのスケッチ ワシントンホテルの位置6)
4 .マンチェスター 産業革命発祥の地 新島の宿舎は今
リヴァプール・マンチェスター間に世界初の旅客鉄道が1830年に開通し た。繊維製品などがマンチェスターからリヴァプールを経てアメリカなど海 外に輸出され、寒村マンチェスターが大産業都市に変身した。マンチェスタ ーの駅舎跡に作られた「マンチェスター科学産業博物館」7)に入ると、パネ ルで「紡績機、蒸気機関車、そして飛行機と世界の先端技術はここから」
と。イギリス産業革命の起爆都市である。リヴァプールの駅舎跡が前述の Lime Street Stationである。新島が「イギリスの教育制度」について聞こう と訪れたのはマンチェスター大寺院のフレーザー大主教である。
新島が宿泊した「クイーンズホテル」について宿舎YHAの職員に聞い た。インターネットで当時のホテルの写真を見つけ、親切に道順を教えてく れた。ピカデリー駅に近く今はポルトガル総領事館になっていた。今マンチ ェスターで人気があるのはサッカーのマンチェスター・ユナイティッドだ。
ベッカムやロナウド、香川真司が活躍した「世界一ファンの多いクラブ」
で、英国サッカー博物館で同チームが2012-13年プレミアリーグで優勝した カップを持たせてもらった。
5.EU から離脱か残留か 国民投票に注目
5月23日ピカデリー駅にタクシーで行く。午前5時、列車は発車ベルも なくマンチェスターを出発した。隣の人はマンチェスターからグラスゴー経 由でアバディーンに行き、北海油田で働く男性(34歳)だ。彼はTelecomu- nicatorとして働く。
英国でガソリンが150円/Lと高いのは税金(付加価値税)が20% と高い からだと。イギリスでは高校まで学費は原則無料だ。しかし大学はみな私学 で学費が高く、教育ローンを組む。昨年9月に結婚した彼の妻は大学で心理 学を勉強。学費だけで年9,000£×4年=36,000£(612万円)かかり、30,000
£(510万円)の借金を抱え、20年間で返済する。子供は今は考えていない と。今イギリスで最大の関心事は「EUから離脱か残留か」である。国民投 票が6月23日に行われる。彼は大国のアメリカ、ロシア、中国と対抗する には離脱せず留まるべきだと言った。
6 .グラスゴー 新島の訪れた大学は
グラスゴーは人口が1920年〜60年100万人を超え、造船業を中心にスコ ットランド第一の経済力を誇ってきた。しかし60年代造船が倒産し、新興 国の台頭で長く不況になった。90年代に金融を中心に持ち直し、今はエデ ィンバラに次ぐ観光客を誇る都市に。人口は今58万人と半減した。
グラスゴー中央駅で大学について聞いた。グラスゴー大学とストラスクラ イド大学を教えてくれた。
1)グラスゴー大学:ジェームズ・ワット(発明家)や『国富論』のアダ ム・スミスを輩出した有名な大学だ。1451年創設の「古代の大学」
と呼ばれ、重厚で歴史を感じさせる建物であった。八重桜が美しく咲 いていたが、なぜか学生は少なかった。「古代の大学」とは(数字は 創立年) ①オックスフォード大学1249 ②ケンブリッジ大学1284
③セント・アンドルーズ大学1411 ④グラスゴー大学1451 ⑤アバ ディーン大学 1494 ⑥エディンバラ大学1582 ⑦トリニティ・カ レッジ(ダブリン大学)1592
2)ストラスクライド大学:大学発行の The Orange Line 8)を戴いた。
それを見るとGlasgo Normal Seminary(1837-45)が2つに別れ、新 島 が 訪 れ た1872年 に は「Glasgo Free Church Training College」と
「Glasgo Church of Scotland Training College」の2つの教員養成学校 があることが分かった。
『新 島 襄 全 集』第8巻p.94に「テ イ ト の 案 内 で ま ずFree Church グラスゴー大学
Nornal Schoolを訪れ、次に Established Church Nornal Schoolに 行 き 見 学。さ ら にNew Universityへ行く」
と。京田辺在住のイギリス 人教育学者、サトクリフ・
ポリー女史に質問すると、
「Free Church of Scotlandは スコットランドのプロテス タント宗派」「Nornal Schoolは 高 校 を 卒 業 し た 学生が教師になるためトレ ーニングを行う学校」と。
いわば大学の教育学部だ。
新島はプロテスタントとカ トリックの大学の教育学部 を訪れたと言える。即ち、
新島は今のストラスクライド大学の教育学部を訪れ、その後、「New University」を訪れた。「New University」について、北垣宗治同志社 大学名誉教授は「1872年当時、大学と言えばグラスゴーにはグラス ゴー大学しかない。しかも新島が訪れる2年前にグラスゴー大学の新 校舎が完成した」と。
私は新島が訪れたStrathclyde大学の教育学部を訪れた。丁度昼休 みだったので、カフェテリアで英語教師を目指す女子大生3人と話す ことができた。「4年制の大学で授業料は無料。その代わり、卒業後1 年間はスコットランドで教える義務がある」と。圧倒的に女子学生が 多かった。同大学は1796年にグラスゴーで設立され、今は100か国 から2万人の学生が在籍する。2012年英国の高等教育情報誌から
「年間最優秀大学」に選ばれ、2013年、「年間企業家精神に優れた大 学」に選ばれた。
The Orange Line より
3)『新島襄全集』第8巻 p.94に「クイーンズ・ホテルに入る。日曜日、
ホテルに近いジョージ街のジョン・チャーチに行く」と。ジョージ街 にはSt. Gorge’s Church があった。ジョン・チャーチはジョージ街に はなく、グラスゴー大学よりもっと遠いところにある。ジョン・チャ ーチは間違いで、ジョージ・チャーチであろう。
4)新島が宿泊した「クイーンズ・ホテルはQueen Street駅の近くであろ
う」とStrathclyde大学の職員。ジョージ・チャーチとも近い。
5)2015年10月に第46回世界体操競技選手権が開催されたグラスゴー 体育館を訪れた。日本は団体で優勝し、翌年のリオ五輪団体金メダル に繋がった場所である。
7.エディンバラ 魅力は大学と城塞
エディンバラはスコットランドの首都であり、オックスフォード大学やケ ンブリッジ大学など「古代の大学」は教会が創立したのに対し、エディンバ ラ大学は唯一町によって創立された大学である。
1)エディンバラ大学の図書館に行き、新島が訪問した教授を調べてもら った。博士号をもつ彼女はH・コルダーウッド教授とエディンバラ・
アカデミー(郊外)校長のハーベイ博士を検索し、二人の資料を戴い た。
ストラスクライド大学
2)新島が見学したMorey House(Moryは間違い)を訪れた。1846年
Moreyの私邸がスコットランド教会に接収され教員養成学校となり、
今はエディンバラ大学教育学部となった。職員がホールを案内してく れた。学生数は千人、授業料はなしと。1年私費留学(約270万円)
のアメリカ人女性はとてもいい学校で満足していると。
3)新島の訪れたAnatomy Departmentは今エディンバラ大学の医学部と なり、その近くにあるSurgery Musium(外科手術博物館)を見学し た。江戸中期、医師がペンチで日本人女性の前歯を抜く浮世絵があっ た。世界中の戦争や病気での悲惨な姿(実物)が展示され、手術で直 す医師に尊敬の念を抱いた。
4)新島と同じくエディンバラ城塞に上り、ダイヤの王冠、刀剣、大砲、
跳ね橋、空堀を見た。またクイーン・メアリーの居間とジェームズ六 世(四世は間違い)の誕生の部屋を見た。ジェームズ六世はエリザベ ス一世の逝去後イングランド王ジェームズ一世を兼務した。王は清教 徒を迫害した為信仰の自由を求め、清教徒がメイフラワー号でアメリ カ・ボストンに渡り、ピリグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)と呼ば れた。
8.イギリス「EU から離脱」キャメロン首相辞任
エディンバラは朝8℃ と寒く天気予報を見ようとTVをかけた。「残留か 離脱か」連日いろんな人の意見を伝えていた。北海油田で働く前出の男性は
「EUから離脱すれば他のEU諸国との輸出入に関税がかかり、外国企業は 英国から退去しイギリスの経済・雇用は悪くなる。EUに残留すべきだ」
と。数年前にはスコットランドの「独立か残留か」で48対52と「僅少差で 残留」と決まった。今回はその影響はもっと大きいので、世界は固唾を飲ん で注目した。
国民投票の翌6月24日(金)昼頃、BBC放送が「英国のEU離脱確実」
と第一報。「え!まさか」「やっぱり」世界に激震が走った。1ドル百円を割 る。日経平均株価千二百円以上下落…。キャメロン首相の辞任表明。「移民 の急増で仕事が奪われたり社会保障費が喰われてしまう。EUへの主権のな
さ、拠出金より恩恵が少ない等の不満が強かった」と分析。英国のEU離脱 でEU加盟国の不満が噴出し国際政治や世界経済に深刻な影響を及ぼさない かと心配だ。
9.ロンドン証券取引所 取引のオンライン化で様変わり
「英国のEU離脱」決定で世界の株価は大暴落。イギリス金融街、ロンド ン証券取引所ではどうかな? 私は新島が訪れた株式取引所(今ロンドン証 券取引所)を5/28訪れた。土曜日でCityは閑散。東京証券取引所の周りに は証券会社がたくさんあるが、ここではスコットランド銀行以外ほとんど見 かけなかった。取引がコンピュータ化されているからか。旧王立取引所は長 い取引所としの使命を終え、今はルイ・ヴィトンなど老舗の店が入ってい た。その左にあるイングランド銀行(中央銀行)は1694年スタートした世 界最古の銀行だ。現在の証券取引所はこのバンク駅の次のセントポール駅の 西側にあった。その正面玄関は昔のような立派な建物ではなく、周りには証 券会社はどこにと首をかしげるほど。旧王立取引所の前の市長公邸(マンシ ョンハウス)はロンドン最初の証券取引所であった。私は中学時代、イギリ ス人のペンパルにクリスマスプレゼントを贈った。1ポンド1,008円と高か った。今回ポンドを東海ツアーで168円で購入したが、英国ではほとんどカ ードで支払い半分程残した。今日(2016. 6. 25)のポンドはEU離脱で140 円と大幅に下落した。
旧王立取引所
10 .ベアリング商会「女王陛下の銀行」から倒産に
私は新島がハーディ氏から手紙やお金(45ドル受け取る9)→45ポンドの 間違い)を受け取ったベアリング商会(金融業)を探した。ビショップゲー ト8にあったベアリング商会の場所を見つけた。また1885年撮影のベアリ ングス銀行の写真を発見した。「女王陛下の銀行」と称された名門投資銀行 が1995年巨額な負債を抱えあっけなく倒産。まさに栄枯盛衰の歴史であ る10)。
1762年F・ベアリングがロンドン・シティで創業。創業者引退後、長男、
次男、三男が引き継ぎ、1807年ベアリング・ブラザーズ(Baring Brothers &
Co)」と社名変更。ベアリング家による同族経営。アメリカに進出し事業拡 大。19世紀終りには英国王室御用達となり「女王陛下の銀行」と称される イギリス名門投資銀行になった。南米に進出。1890年アルゼンチン革命で 多大な損失。イングランド銀行からの救済を受け株式会社に転換。20世紀 初頭アメリカビジネスで大成功。またロシア、カナダ、ベルギー、日本、清 と関係を深めた。日本とは1905年日露戦争の戦費調達に大きく貢献した。
しかし、二度の世界大戦でイギリスの国際的地位が大幅低下しポンド下落。
1980年代の金融ビッグバンで投資銀行化。日本のバブル崩壊で大打撃をう ける。さらに1995年シンガポール支店の取引失敗でベアリングス銀行破産。
(損失約1,380億円) 233年の歴史に幕を下ろした。
11.大英博物館、国立美術館(ナショナル・ギャラリー)入場料 無料
私は大英博物館では古代エジプトやギリシャ・ローマ時代のものが、ナシ ョナル・ギャラリーではゴッホやモネなど印象派の作品が好きだ。新島も
「大画家たちの素晴らしい作品を見る」と記す。日本なら入場料が1,300円 程いるが、英国では無料。寄付も強制ではない。それにフラッシュなしなら 撮影も可能である。新島は「ピカデリーのRoyal Galleryへ行く」と書いて いるが、ピカデリーにあるのはRoyal Academy of Arts(王立美術院)」の間 違いである。その玄関口には大きなモネの水蓮が貸出中と。京都市美術館
(モネ展2016. 3. 1-5. 8)に出展されたのであろう。
12 .ロンドン大学 薩長の留学先
新島が訪れたロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ(UCL)とキングス
・カレッジを訪れた。
1)ユニヴァーシティ・カレッジとその付属学校。付属学校とは医学部で あると職員が教えてくれた。
宗教や人種、性別による差別撤廃をモットーとする大学。ダーウィ ンは当時唯一の無宗教大学のUCLで「進化論」を発表した。幕末か ら明治維新にかけ伊藤博文など松下村塾出身者や森有礼など薩摩藩留 学生らがUCLで学び、明治政府の設立・発展に貢献した11)。日本が イギリスの議会制民主主義を採用しているのは彼らの影響が大きい。
2)キングス・カレッジ 学費と奨学金
キングス・カレッジは名前からして立派な建物、大学である。女学 生が二人椅子に座り話していたので学費と奨学金について聞いてみ た。学 費 はEUの 学 生 は 年9,000ポ ン ド(1£=170円 換 算、153万 円)、海外の学生は15,000£(255万円)。給付型奨学金は優秀な成績
+素晴らしい活動実績の人に与えられ、それ以外の人は貸与奨学金。
年3% の利子がつく。ローマから来た学生は親が全額出し奨学金ゼ
ロ。将来は教授か研究者に、結婚は考えていない。もう一人は利子付 奨学金をもらう。卒業後数学の先生を希望。前出の北海油田で働く男 性は去年9月に結婚。妻は貸与奨学金をもらい、30,000£(510万円)
ロンドン大学
の借金があり20年払いで返済する。卒業後も働かねばならず子供の ことは今は考えられないと。欧米では高校までは親が面倒を見るが、
その後は奨学金をもらいアルバイトしながら大学に通う学生が多い。
日本でもそのような学生が増え、NHK「クローズアップ現代」でも 取り上げられた。今回(2016年)の参議院選挙から18歳以上に選挙 権が与えられ、各政党も給付型奨学金について若者にアピールし始め た。
13.オックスフォード大学 浩宮殿下の留学先
ロンドンから電車で1時間(新島の時は2時間)、大学の町オックスフ ォードを訪れた。
1)カレッジが39もある。新島はMagdalen Collegeなど多くの大学やボ ードリアン図書館、アシュモリアン博物館を訪れた。黒いガウンを着 た男女の学生を見た。卒業式かなと聞いてみると、学年末試験を受け る際には白シャツ、黒ズボン、その上に黒ガウンを。最終学年の3年 生は胸に赤いカーネーションを。その後に出来たケンブリッジの大学 にはないしきたりだと。キャメロン前首相、ブレア元首相、サッチャ ー元首相及びガンジー元首相など30か国以上の元首の出身校である。
2)マートンカレッジと浩宮殿下、彬子さま 浩宮殿下と彬子さまが留学 したマートンカレッジを訪問した。
学校案内に「Prince Naruhito of Japan(1983)」と。「あれ!浩宮の 間違いでは」と受付の人に言うと二階の「Develop Office」に案内さ れた。「殿下は本を執筆されています」。「The Thames and I」12)を購入 し読むと「NARUHITO」と署名。日本では浩宮殿下、外国では本名 の徳仁である。「AKIKO(三笠宮彬子)に卒業式にガウンを着せてあ げた。1年2年はここの寮の2階あの部屋に」とパブの主人。マート ンカレッジには凄くでっかいパイプオルガンがあり、荘厳な音色を響 かせていた。ということは皇室は神道であるが、ここで学んだ皇族方 はキリスト教にも深い理解があると思った。前述の著書には「礼拝に ついて」の記述はなかった。同大学には蓮のある小さな日本庭園があ
り、八重桜の下で読書している女子大生がいた。
14.ケンブリッジ 町が大学のキャンパスのよう
多くの著名な学者や政治家を輩出した街で、オックスフォードとは対照的 に街がそのままキャンパスのようだ。ローマ時代に始まり1284年に最初の カレッジができた。ケム河沿いの豊かな緑の中に風格のある中世の校舎が並 んでいる。新島はニュートンやバイロンを輩出し、30人以上ノーベル賞を 受賞したトリニティ・カレッジやチャペルが素晴らしいと言ったジョーンズ
・カレッジなどを訪れた。チャールズ現皇太子も卒業生だ。二人の王妃が完 成させたクイーンズ・カレッジの「数学の橋」は写真家にとってのベストア ングルだ。新島はガイドを雇い夕方ロンドンに。私も半日で14のカレッジ と街並みを楽しみロンドンに戻った。
15.グリニッジ天文台
海外進出を競う大航海時代、海難事故が相次ぎ、世界進出を図る英国は 1675年天文台を建設。1884年の国際天文会議で経度0度と定められ、世界 の時刻の基準となった。新島は7月3日ここを訪れた。2016年5月10日〜
6月25日まで同志社ギャラリーで開催された「新島襄の見た宇宙」で口径
33 cm望遠鏡のノートを見た。私は是非訪れたいと無人電車DLRに乗って
10 km南東のグリニッジ駅に。グリニッジ公園頂上にある展望台に上ると大
ケンブリッジ大学
勢の人が集まっていた。午後10時頃夕日がCityのビルの谷間に沈んでいっ た。
16.ロンドン
新島が訪れた英国議会、ウエストミンスター寺院、聖マーティン教会、ロ ンドン塔、水晶宮、食肉市場を訪問したが、紙面の都合上省略した。
Ⅲ.終わりに
1.文部省『理事功程』著者は田中不二麿。草稿を書いた新島の 名前がなぜ出ないのか
欧米の教育調査の報告書が『理事功程』である。新島の草稿が文部省『理 事功程』に採用されたのは「独乙国」編13)のみである。新島はその草稿を田 中不二麿が帰国する前に手渡すため、1872年9月−12月まで厳冬のベルリ ンで頑張り「独乙公学校 規則第三編」を12月末に書き上げた。翌1月初 めに手渡した時には持病のリューマチを患い動けなくなった。ドイツ人医師 の勧めでフランクフルト郊外の世界的に有名な温泉保養地ヴィースバーデン で湯治生活を送った14)。5週間の予定が5か月かかった。
こんなにも苦労して作成した文部省『理事功程』が73年12月に文部省か ら米国の部2巻と英国の部1巻が発刊された。同志社大学図書館で借りて読 んだ。著者は田中不二麿である。新島が草稿を書いた「独乙公学校 規則第 1〜3編」のどこにも新島七五三太の名前が出てこない。どうしてか。沖田 行司著『岩倉使節団の教育調査と新島襄−「理事功程」をめぐって』15)を読む と「身分が、三等書記官心得なので、理事官の公的報告にその名前が連記さ れることはありえない」と。今なら膨大な資料や統計を翻訳し、草稿を書き 上げた新島の名前は記載されるであろうが…。
政府が新島に今までの留学費を支払うと申し出があった時、新島は断っ た。田中不二麿からも誘いがあった時きっぱり断り、「キリストの奴隷だ」
とののしられた。こんなことも少しは影響しているのか。しかし、政府に束 縛されたくない。「自由人」として生きたいと貫き通した新島は凄い、偉い
と思った。
2.欧米教育視察の成果「同志社大学設立の旨意」に結実
「明治4年、故岩倉特命全権大使等の米国に航せられしや、文部理事官田 中不二麿君は、欧米教育の実況を取調への為め其一行中にありき、時に余ア ンドヴァに在て勤学せしが、徴されて文部理事官随行の命を蒙り、理事官と 共に北米中著名の大中小学校を巡視し、更に欧州に赴き、独逸、仏蘭西、英 蘭、瑞西、阿蘭陀、丁抹、露西亜等の諸国を経歴し、学校の組織、教育の制 度等を始めとして、凡そ学制に関する者は、聯か之れを観察講究するを得、
茲に於て愈よ欧米文化の基礎は国民の教化に在ることを確信し、而して我邦 をして欧米文明の諸国と対立せしめんと欲せば、独り其外形物質上の文明を 模倣するに止まらず、必ず其根本に向って力を尽さざる可からざるを信し、
不肖を顧みす、他日我邦に帰らば、必ず一の私立大学を設立し、以て国家の 理事功程
為に微力を喝さんことを誓ひたりき」16)と。欧米教育視察の成果は見事に
「同志社大学設立の旨意」に結実していた。
参考文献
1)新島襄全集編集委員会『新島襄全集』第8巻 年譜編(同朋舎出版1992年)、
pp.92-100
2)久米邦武編、田中彰校注『特命全権大使 米欧回覧実記(二)』(岩波書店、1978 年)、pp.434-435
3)『新島襄全集』第8巻、pp.95-97
4)『新島襄全集』第7巻 英文資料編(同朋舎出版1996年)、p.54
5)Grosvenor Prints社のRef.19107 Washington Hotel, Lime Street, Liverpool 〈http : / /www.grosvenorprints.com/stock_detail.php?ref=19107〉(2016.8.25調査)
6)Google Mapより作成。Ordnance Survey(July, 1953)Plan SJ3490NE post code 14 Washington Hotel(349-905)
7)ダイヤモンド社編『地球の歩き方 イギリス 2015-16』(2015年8月)p.240 8)ストラスクライド大学発行のパンフレット The Orange Line
9)『新島襄全集』第8巻、p.97
10)田中文憲「ベアリングズの崩壊−マーチャント・バンキングの終焉」、『奈良大学 紀要』36(奈良大学、2008年)、pp.1-20
11)「薩摩藩英国留学生記念館」のガイドブックと展示図録 発行 いちき串木野市 2015
12)Prince Naruhito, The Thames and I : A MEMOIR OF TWO YEARS AT OXFORD,
(Global Oriental, 2006)
13)『新島襄全集』第1巻 教育編(同朋舎出版1983年)、pp.650-653 14)『新島襄全集』第8巻、pp.108-110
15)沖田行司著『岩倉使節団の教育調査と新島襄−「理事功程」をめぐって』(晃洋書 房、1993年)、pp.56-59
16)『新島襄全集』第1巻、pp.130-131